さぁて、書いておくか。
突込みどころ満載ゆえ、かなりの長文失礼。
>>495 > それを言うなら本来は、善も悪もないのだが、善と悪を識別した所に、この世がある。
> つまり、この世には、善も悪もあるし、正も誤もある。それがこの世と言うんだよ。
大きな間違いね。
『善悪』や『正誤』は『個人の感覚及び価値判断によって形作られるもの』であるから…
『この世』じゃなくて『各個人にとっては』善悪も正誤も有るってだけの事だ。
『法律』や『社会常識』なんかは『各人の判断結果の多数集合』をそう呼んでいるだけ。
『この世』なんていう曖昧な基準じゃないんで。
> たとえば八正道の正見。これは四諦という真理を正しく見ると言う意味だが。
これまた曖昧過ぎ。
何も言ってないのと同じ。
真理を『正しく』見る、とは言っても。
その『正しい』範囲は、一体何処から何処までさ。
そもそもが『正しく見る』とは…
『機械的に受け入れる』のか『自分で多少取捨選択する』のか『自分の意志すら放棄して眺める』のか…
それすら示されてない。
> 四諦とは至極簡単に言うと苦の原因とその滅の方法を説かれている。
まぁ、これはいいとしよう。
(続く)
(続き)
> 執着は人間の苦の原因であると言う見方は「正」であり、執着すればこそ「楽」があると言う見方は「誤」である。
教科書解説乙。
単なる『暗記問題』テストだったら100点なんだけどねー。
今回は『論述問題』なんで赤点。
先ず『執着』の何処が悪いのか。
一体どのレベルでの『執着』の事を言っているのか。
人間の生存本能も『自分の命に対する執着』と言えるし…
所有(獲得)欲求も『未だ持たざる何かへの執着』とも言える。
自意識さえも『自我に対する執着』と言える。
生存本能も自意識も『苦の原因』だから捨てろとか言う気か?
こういう点も一切考慮してない。
> のように ”この世” には「正」も「誤」ないんじゃなく、”この世”にはれっきとして「正」も「誤」もある。
繰り返すが『この世』では無い。
『各個人の心情』内に『善悪』や『正誤』は有る。
第一誰も『正誤が無い』とは言ってないんだがね。
『絶対の基準を有した正誤というものは無い』と言っているだけで。
> 俺は「一」を語っている。「一」をしれば、何が正しくて、なにが誤であるか。
> 何が善で、何が悪か。どうして慈悲、慈愛の心が必要なのか、たちまち観えてくる。
はい、この時点でアウト。
その『一とやらを知る』事が『善悪』『正誤』の『絶対基準に成る』とか言ってるの?
絶対基準は無いんだよ。
何処にも。
> この世では、善と悪、正と誤の絶対基準は、あるんだよ。
だから無いって。
有るのは『様々な条件下によって変動する相対基準』のみだ。
極端に言えば、戦時中最前線では『相手を殺傷する事=善』とされ『平時下』と全く違う基準で判断される例すら有るんだから。
(更に続く)
(更に続き)
> 無だの、ゼロだの言ってるやつには、ここの所が理解できず、屁理屈こね回して、邪見にはしる。
> 彼らの詭弁は、空理空論。言葉遊びでしかない。この人達は空理空論ばかりで、
> 四諦の真理も正しくみれないのかもしれないね〜。
> まず発想のスタート時点からして違う。諸法無我の意味も、取り違えているしこの人は。
ここら辺はコメントしようがないなぁ…
単なる感想文だし。
『ああ、そうですか』ってな位かな?
> 「一」とは「自性」のことだ。
…阿呆??
『自性』って何だか知ってる?
つか、どうして『自性』が絶対基準に成るのさ?
じゃあ何かい?
悟った者は皆同一の価値観を持っている『ファシスト』だとでも言う気か?
何だその全体主義は。
自分に自信が無いからって、自分の矮小な願望を押し付けないように。
> ほれ答えてやったぜ。答えられないんじゃなく、おまえとは意見が違うと言ってるんだよ。
『意見が違う』云々以前に『論点乖離回答』と『願望混同発言』を何とかしなさい。
> おまえは”外道”だしな。
そんな事、前々から表明して自称してるじゃないか。
『私は外道だから』って。
今更何言ってんの?