★ プロからカトになりたい人のためのスレ2 ★

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314名無しさん@3周年
OK。

sin シン〔英語〕 原罪 グレーフ〔ロシア語〕

crime クライム〔英語〕 犯罪 プレ_ストゥプレーニエ〔ロシア語〕

チャラの話はヤバイ教会の説だよ。
カトリックや正教でないよ。プロテスタント系とかいう奴。
今までの罪だって償わなければならないのは常識だが。。。

信仰義認は、犯罪もキリストの救いに預かれば無罪放免っていう「原理主義」。
朝鮮系の人の日本人への犯罪が全部無罪という。キリスト教で無いような
キリスト教もどきの教会の説。

原罪は、アダムという一人の人から罪が入って死ぬ事となったように
    イエスという一人の人から命が与えられて死から救われる。と
いうように 原罪で死ぬ、魂が滅びる、第2の死から救われる という
原罪に対する罰からの救済の話だと思うのですが。。。

犯罪は 被害者への謝りと償いですが。。。
赦しの秘蹟や教会での相談による問題解決とかで。
315名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 08:06:42 ID:IIHZsoal
聖書が原語で読めたなら
 −−−聖書語学の証しと勧め 大久保史彦 聖書語学同好会

45 的をはずれると「罪」 p107
神に背を向けた状態
「罪」というのはギリシア語でハマルティアーといいます。
これはもともと「失敗」という意味があり
槍を的に向かって投げるとき的をはずすという意味からきているのだそうです。
新約聖書においては
このハマルティアーは明白な罪の行為を指しているのではなく
罪の行為が起こってくるもとの罪の状態を意味し
神という「的」からはずれ、神との正常な関係からはずれた人間の状態
神に背を向けた状態をいうのです。
αμαρτια(単数形)ハマルティアー

正教要理 p39 四、罪 
人間が神に与えられた中で最も大切なものは自由です。
他人の意志によらず、束縛を受けず・・・喜びを持つ、・・・
しかし、人間は自由をはき違え悪魔の誘惑に負け
自分の生命を神のみ手にゆだねることを拒み、神の前に罪を犯しました。
・・・。悪は神から来るものではなく罪から生まれるものです。
無限に尊い神にそむいた罪ですから人間は自分の力で罪のつぐないを
することはできません。・・・人間が悪にうち勝つために
救い主ハリストスを遣わすことを・・・されました。

私註※ [新教]神に背を向けた状態・・・。[正教]神にそむいた罪・・・。
316名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 08:07:18 ID:IIHZsoal
ロシア的「罪」の理解

→ ドストエフスキー 罪と罰(下)江川卓訳
 赤613−7岩波文庫 定価(本体760円+税)

宗教的「罪」は、грех:グリェーフ(グレーフ)と呼ぶ。
使い方として、
@しかたない損も半々に(責任も半分こに)грех пополам
Aグリェーフを使う、若気の過ち грехй молодости
失敗・間違いの語を使う、若気の過ち ощйбки молодости
B彼を虐めるのは可哀想 
грех его(彼を)обежить(アビジャ−チ:怒らせる・侮辱する)
とあり、このことから、法律ではなく生活上の罪、[を意味する]
[そこで ]ロシア的な宗教的「罪」の使い方は、
「神様を怒らせるような事をしでかした」「どっちの人間にもある過失」
「人生一度は誰もがする失敗」と理解できる。法律を破ったの意味ではない。
慣用句というか、決まった言い方に、
人間は皆、罪人です все Люди грещнь?
罪の赦しを神に祈る замолить грех
とあり、似た語幹に、
@原罪A背信という意味に、грех−опадение の単語がある。
ロシア文学「罪と罰」で使われる「罪」は、
Пре−ступление:プレ−ストゥプレーニエ
越える−歩む(踏み越えてしまう)という法律上の罪を意味する。
317名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 08:12:55 ID:IIHZsoal
ロシア的「罪」の理解 (つづき・・・)

p428 ロシア語を知らないと気がつきようもないが、
この長編の題名の一要素である「罪」の原語「プレストゥプレーニエ」
は「越える」を意味する「プレ」という接頭辞(せっとうじ)と、
「歩む」を意味する「ストゥパーチ」という動詞の合成語から派生した名詞で、
原義は「ふみ越えること」の意味なのである。
ロシア語で「罪」をあらわす言葉には、このほかに
主として神の掟を破った罪を意味する「グレーフ」という名詞があるが
「プレストゥプレーニエ」のほうは、人間の定めた掟を「ふみ越えた」罪
つまり、犯罪なのである。
p429 ・・・ソーニャは自分のことを「罪の女」と呼んでいる。
この「罪の女」の原語は、神の掟を破った罪を意味する「グレーフ」
から派生した「グレーシニツァ」である。
ということは、神を信ずるソーニャが抱いていた罪意識を
「ふみ越えた」という言葉によって
ラスコーリニコフが強引に自分の罪意識に引き寄せ
彼女を自分の「同類」にしようとしていることを意味するのだろう。

ちなみにキリスト教徒で「罪の女」と聞けば
売春婦とか、マグダラのマリア(マグダレーナ)を思い浮かべるだろう。
帝政ロシア時代の売春婦は、黄色い免許証を持っていた。
つまり公娼制だったのである。(レイプを防ぐ意味合いも含みで、国家管理)
318名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 08:13:40 ID:IIHZsoal
カトリック教会のカテキズム

 第2部 教会の七つの秘跡
p446 7 悔い改める者の行為 痛悔 1451
p447 罪の告白 1455
p448 償い 1459 多くの罪は隣人に害を与えます。
それを償うために、できるだけのことをしなければなりません(たとえば
盗んだものを返す、中傷された人の評判を回復する、与えた傷の補償をする
など)。これは正義の上からも要求されることです。
・・・、罪から生じた無秩序を修復されるものではありません。
・・・ すなわち、適切な方法で「弁済する」なり罪を「あがなう」なり
する必要があります。この弁済のことを「償い」ともいいます。
1460 聴罪司祭が科す償いは、悔い改める者の個人的状況を考慮しながら、
・・・また、犯した罪の重さと性質にできるだけ相応するものであるべきです。
償いには、祈り、寄付、慈善のわざ、隣人への奉仕、・・・などがあります。
・・・キリストと「ともに苦しむ」(ローマ8・17)からです 59)。
p449「しかし・・・ ・・・父に受け入れられるのです。」 62)。
319名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 08:16:47 ID:IIHZsoal
【 カトリック要理(サンパウロ) 】

第一部 神と、キリストによる人間の救い 第三課 人間 
13 良心とはどういうものですか。
良心とは、人間の行いの善悪を判断し、善を命じ、悪を禁じ、善をほめ、
悪を戒める神よりの心の声です。
・・・人間は心の中に神から刻まれた法を持っており、・・・神とともにあり・・・ます。
(『現代世界憲章』16参照)p25−26

14 人は神に対してどのような態度をとらなければなりませんか。
人は神を礼拝し、愛し、ご恩に感謝し、そのおきてを守らなければなりません。
特に、祈りをもって、人は神に対する礼拝と感謝を表わし、・・・願います。
祈りの中で、もっともすぐれた祈りは、
イエズス・キリストのお教えになった「主の祈り」です。(マタイ6・9−13)p26−27

第一部 神と、キリストによる人間の救い 第十三課 罪と罪のゆるし 
56 罪とはどういうものですか。
罪とは悪いことと知りながら自由意志をもって神にそむくことです。
(第三課、質問13(良心)参照)p109

第一部 神と、キリストによる人間の救い 第十五課 終末的完成 使徒信条 
われは、天地の創造主、全能の父なる神を信じ、・・・終わりなき命を信じ奉る。アーメン。
・・・信仰宣言の様式・・・。p121

第二部 キリスト信者の道徳 第三十課 完徳 
・・・イエズス・キリストは山上の説教で、真の幸福を告げ、
新約の道徳をおさとしになりました。・・・(マタイ5・3−10)p164

第三部 秘跡と祈り 第三十五課 ゆるしの秘跡 
・・・洗礼以後に犯した罪を、教会の司祭を通してゆるし、・・・和解させる秘跡です。
(第十三課、質問56−59参照)p190
320名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 08:24:34 ID:IIHZsoal
【 正教要理(日本ハリストス正教会教団) 】

第一部 信仰箇条 信経について 
・・・教会の教えを正しく受け、それに対する心からの承認と忠誠を誓うものです。・・・
p20
第一部 信仰箇条 第四課 機密 六、痛悔機密
・・・痛悔は心からその犯したあやまちを悔やむことですが、・・・悔改めであり、
・・・神の赦しと導きをいただくこと・・・です。
p93
第二部 信者の生活 四、祈り 天主経
祈りは神と信者との対話です。・・・
・・・祈りには教会で行う公的な祈り(公祈祷)と私的な祈り(私祈祷)があります。
・・・(ルカ18・1)・・・代表的な祈りとして「天に在(いま)す」で
はじまる天主経があります。・・・
p124
第二部 信者の生活 四、祈り 謙遜の祈り(真福九端)
この祈りは、マトフェイ福音書の五章にあるハリストスが山上でなされた教訓で、・・・
p133
第二部 信者の生活 五 徳 信者の心得 
(一)主日(日曜日)の聖体礼儀及びその他の諸祭日には出来る限り参祷する
・・・聖体礼儀にあずかれない場合、それに代わる祈りをささげ、・・・望まれます。
p154−155
321名無しさん@3周年:2006/05/13(土) 08:50:41 ID:hnDf+zhC
>>311

>ある時点を基軸に免除・放免・免責というキリスト教的な赦すという考え。は

ヨベルの年だかいう、ユダヤの証文払いや徳政令みたいな。
借金をした多重債務者への支払い免除の年とか50年に1度設けるようなもの。

ヨベルはヨーベルという角笛が原語で
ツノブエを吹いて救いを告げるという意味らしい。

ようは重荷を軽くする物で、本当に全額を借金を払わないでは無く
実際には、支払額の軽減だったと思うのよ。

7の7倍で49年で
50年目は負担を軽くする徳政令の年みたいな戒律というのかねぇ。
数字の語呂合わせによる免責の理由付けに過ぎないと思うんだけど。。。