1 :
ハテナ:
親鸞聖人の遺言とされている
「一人いて悲しい時は二人いると思え。二人いて悲しい時は三人いると思え。その一人は親鸞なり」
ですが、これは、倉田百三の創作ですか?それとも本当の言葉ですか?
「一人いて喜ばは二人と思うべし。二人いて喜ばは三人と思うべし。その一人は親鸞なり」
こっちは有名なのですが。
浄土真宗に詳しい方、よろしくお願いします。
2ゲット おまんこしたい!!
3取りー!!!
感謝は、幸せな人に生じる心です。生きる幸せに満ちていれば、まわりの一切に感謝せずにおれませんが、不幸ならば、すべてが疎ましく、感謝の心にはなれません。
感謝は謝恩ともいわれ、「恩」は、「因を知る心」と書きます。自分が幸せなのは、あの人のおかげだ、こんな恩恵を受けているからだと知り、有り難いと感じて、どうにかお返ししたいと努力する。 現在の幸せの原因を知れば、必ずそういう心になります。
http://homepage2.nifty.com/shinran/
6 :
名無しさん@3周年:2005/12/05(月) 19:54:44 ID:wC89spbg
仏教徒よ誰か答えてやれ。
7 :
名無しさん@3周年:2005/12/06(火) 00:41:22 ID:kD4WFyXJ
親鸞って無視される存在??
8 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2005/12/07(水) 22:07:57 ID:V8QtXLr9
>>6 > 仏教徒よ誰か答えてやれ。
> 「一人いて喜ばは二人と思うべし。二人いて喜ばは三人と思うべし。その一人は親鸞なり」
> こっちは有名なのですが。
もっと有名な言葉。
二三人我が名によりて集まる所には、我もその中に在るなり(聖書 マタイ伝18−20)。
親鸞の遺言は、徳川時代末期の本願寺のパクリだ。
親鸞に遺言などのこってるはずもない。
9 :
名無しさん@3周年:2005/12/08(木) 01:03:43 ID:EdvSPapO
っていうか、親鸞会がこれに答えられないのは勉強不足だからか??
別に荒らしの質問じゃないだろ??
10 :
名無しさん@3周年:2005/12/08(木) 09:39:05 ID:0fWKFfoE
『御臨末の御書』
「我が歳きわまりて、安養の浄土に還帰すというとも、
和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり。
我なくも
法は尽きまじ
和歌の浦
あをくさ人の
あらん限りは」
11 :
名無しさん@3周年:2005/12/08(木) 09:44:36 ID:0fWKFfoE
この文は親鸞聖人が死に臨む前に遺されたといわれていますが、
今は学問上では偽作とされています。しかし宗祖と仰がれる
親鸞聖人とは、まさにこういう方として人々の心に生きていた
のではないでしょうか。
自分の勝手な思いから、始終ひとりで泣き笑いを繰り返す
この自分。しかしたとえ一人であっても孤独ではなく、仲間が共に
いれば、そこにはさらにもう一人の仲間がいる。
―宗祖とはいえ遠い雲の上の人というよりは、聖人はそのような方
として人々の心をを励ましておられたのだと思われます。
(釈尼慶喜)
http://www.isshinzi.or.jp/mihikari/zero/page5.htm
12 :
名無しさん@3周年:2005/12/08(木) 09:48:41 ID:0fWKFfoE
御臨末之御書
愚禿年つもりて病に犯され候間追付往生の本意を遂べく候
今は唯極楽の蓮台にて一味のの衆中を相待つばかりに候。
あなかしこあなかしこ
弘長二歳十一月 親鸞
別れ路のさのみなげくな法の友 又逢う國の有りとおもえば
有難やまた逢う國のありと聞く南無阿弥陀仏のぬしに成身は
性信
我歳きはまりて安養浄土へ還帰すとも和歌の浦の片雄波の
よせかけよせかけ帰らんに同じ。一人居て喜はば二人とおもふべし
二人寄て喜はば三人と思ふべしその一人は親鸞なり
我なくもと法は尽まじ和歌の浦あをくさ人のあらんかぎりは
弘長二歳十一月 愚禿 親鸞; 満九十歳
西念御坊
※五條西洞院の華園御坊が、弘化4年(1847) 月輪(九条)兼実
(1149-1207・慈円和尚の兄)の650年の法要の時に刊行した華園文庫に初見
前が往相、後が還相
http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/rinmtu.html
13 :
渡海 難 ◆Fe19/y1.mI :2005/12/08(木) 20:17:26 ID:9W6JJ2yw
>>11 >宗祖と仰がれる
>親鸞聖人とは、まさにこういう方として人々の心に生きていた
>のではないでしょうか。
田舎人形浄瑠璃の世話人情話の主人公のような存在なんでしょう。
まあ、御勝手にというところですね。
こんな親鸞、面白くも何ともない。