親鸞聖人の遺言

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1ハテナ
親鸞聖人の遺言とされている
「一人いて悲しい時は二人いると思え。二人いて悲しい時は三人いると思え。その一人は親鸞なり」
ですが、これは、倉田百三の創作ですか?それとも本当の言葉ですか?
「一人いて喜ばは二人と思うべし。二人いて喜ばは三人と思うべし。その一人は親鸞なり」
こっちは有名なのですが。
浄土真宗に詳しい方、よろしくお願いします。
2名無しさん@3周年:2005/12/01(木) 21:08:01 ID:b72Uyk0m
2ゲット おまんこしたい!!
3名無し三鳥@3周年:2005/12/02(金) 00:21:49 ID:IhJv3xnY
3取りー!!!
4名無しさん@3周年:2005/12/03(土) 21:49:21 ID:0hEaDOc6
http://nagoya.cool.ne.jp/ls-sg7/
 岩波講座 日本通史 第21巻 (岩波書店 平成7年初版発行)
  宗教意識の現在 3.「土着型」新教団の台頭 真宗「原理主義」の挑戦
  http://nagoya.cool.ne.jp/ls-sg7/nihontushi.htm
 真宗王国と新宗教「蓮如さん今を歩む」 (北国新聞社 平成8年初版発行)
  第一部 世は乱れ法もなく−法話に集まる若者たち
  http://nagoya.cool.ne.jp/ls-sg7/shinshuokoku.htm
 富山新聞 平成9年10月28日号 掲載記事
  「神よ仏よ」 信仰厚き北陸路を行く
  http://nagoya.cool.ne.jp/ls-sg7/shinkouatsuki.htm
 RENNYO THE SECOND FOUNDER OF SHIN BUDDHISM
  (Asian Humanities Press, 1991)
  http://nagoya.cool.ne.jp/ls-sg7/rennyo.htm


5名無しさん@3周年:2005/12/04(日) 21:24:09 ID:vnxlKPaX
感謝は、幸せな人に生じる心です。生きる幸せに満ちていれば、まわりの一切に感謝せずにおれませんが、不幸ならば、すべてが疎ましく、感謝の心にはなれません。

感謝は謝恩ともいわれ、「恩」は、「因を知る心」と書きます。自分が幸せなのは、あの人のおかげだ、こんな恩恵を受けているからだと知り、有り難いと感じて、どうにかお返ししたいと努力する。 現在の幸せの原因を知れば、必ずそういう心になります。

http://homepage2.nifty.com/shinran/
6名無しさん@3周年:2005/12/05(月) 19:54:44 ID:wC89spbg
仏教徒よ誰か答えてやれ。
7名無しさん@3周年:2005/12/06(火) 00:41:22 ID:kD4WFyXJ
親鸞って無視される存在??
8渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2005/12/07(水) 22:07:57 ID:V8QtXLr9
>>6
> 仏教徒よ誰か答えてやれ。

> 「一人いて喜ばは二人と思うべし。二人いて喜ばは三人と思うべし。その一人は親鸞なり」
> こっちは有名なのですが。

 もっと有名な言葉。
 二三人我が名によりて集まる所には、我もその中に在るなり(聖書 マタイ伝18−20)。

 親鸞の遺言は、徳川時代末期の本願寺のパクリだ。
 親鸞に遺言などのこってるはずもない。

 
9名無しさん@3周年:2005/12/08(木) 01:03:43 ID:EdvSPapO
っていうか、親鸞会がこれに答えられないのは勉強不足だからか??
別に荒らしの質問じゃないだろ??
10名無しさん@3周年:2005/12/08(木) 09:39:05 ID:0fWKFfoE
『御臨末の御書』

「我が歳きわまりて、安養の浄土に還帰すというとも、
 和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
 一人居て喜ばは二人と思うべし、
 二人居て喜ばは三人と思うべし、
 その一人は親鸞なり。

   我なくも
     法は尽きまじ
       和歌の浦
    あをくさ人の
      あらん限りは」
11名無しさん@3周年:2005/12/08(木) 09:44:36 ID:0fWKFfoE
この文は親鸞聖人が死に臨む前に遺されたといわれていますが、
今は学問上では偽作とされています。しかし宗祖と仰がれる
親鸞聖人とは、まさにこういう方として人々の心に生きていた
のではないでしょうか。
自分の勝手な思いから、始終ひとりで泣き笑いを繰り返す
この自分。しかしたとえ一人であっても孤独ではなく、仲間が共に
いれば、そこにはさらにもう一人の仲間がいる。
―宗祖とはいえ遠い雲の上の人というよりは、聖人はそのような方
として人々の心をを励ましておられたのだと思われます。
(釈尼慶喜)
http://www.isshinzi.or.jp/mihikari/zero/page5.htm
12名無しさん@3周年:2005/12/08(木) 09:48:41 ID:0fWKFfoE
御臨末之御書

 
愚禿年つもりて病に犯され候間追付往生の本意を遂べく候
今は唯極楽の蓮台にて一味のの衆中を相待つばかりに候。
あなかしこあなかしこ
弘長二歳十一月 親鸞
別れ路のさのみなげくな法の友 又逢う國の有りとおもえば
有難やまた逢う國のありと聞く南無阿弥陀仏のぬしに成身は
性信
 
我歳きはまりて安養浄土へ還帰すとも和歌の浦の片雄波の
よせかけよせかけ帰らんに同じ。一人居て喜はば二人とおもふべし
二人寄て喜はば三人と思ふべしその一人は親鸞なり
我なくもと法は尽まじ和歌の浦あをくさ人のあらんかぎりは
弘長二歳十一月 愚禿 親鸞; 満九十歳
西念御坊
 
※五條西洞院の華園御坊が、弘化4年(1847) 月輪(九条)兼実
(1149-1207・慈円和尚の兄)の650年の法要の時に刊行した華園文庫に初見

前が往相、後が還相
http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/rinmtu.html
13渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2005/12/08(木) 20:17:26 ID:9W6JJ2yw
>>11
>宗祖と仰がれる
>親鸞聖人とは、まさにこういう方として人々の心に生きていた
>のではないでしょうか。

 田舎人形浄瑠璃の世話人情話の主人公のような存在なんでしょう。
 まあ、御勝手にというところですね。
 こんな親鸞、面白くも何ともない。
14名無しさん@3周年