■  聖書ってお伽話でしょ?  ■

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37名無しさん@3周年
イエスキリストが生まれたとき、マリアは処女受胎していたので
産道がせまかろうということで、神の御使いはマリアの大腸に
イエスキリストを身ごもらせたのでした。
そこからクリスマスとは大腸受胎の意であり、
アナルセックスは神聖なものとされてきたのでした。
38名無しさん@3周年:2005/12/10(土) 08:45:39 ID:f4+WWLrt
ある日イエスキリストが村を散策していたときでした。
あまりに肛門がむずがゆいと思ったら悪魔がとりついていたそうです。
そしてイエスキリストはこういいました。
「悪魔よ私のアナルから去れ」
イエスキリストの言葉には権威がありました。
たちどころに悪魔は彼の肛門から去ったそうです。
39名無しさん@3周年:2005/12/10(土) 08:46:12 ID:f4+WWLrt
また別の日に、イエスキリストはとある売女とであいました。
その女はアナルセックスしかしない、当時としては異端の若い女性でした。
イエスキリストはその女にひざまづくと「おお、わが父なる神よ」
と泣きながら肛門を差し出したそうです。
それを見たイエスキリストの弟子たちも我先に肛門を差し出しました。
40名無しさん@3周年:2005/12/10(土) 08:52:50 ID:f4+WWLrt
今日キリスト教解釈の主流である「三位一体説」の三位とは
父なる神、キリスト、聖霊の三者を指しますが、父なる神とイエスキリストは前述した通り
肛門でつながっています。では聖霊とは一体なんなのでしょうか。
じつは聖霊とは肛門じたいのことなのです。
父なる神と、その子であるキリストは聖霊(肛門)によってつながっている。
この強固なむすびつきのシンボルは三角形であり、神の愛を象徴しています。
41名無しさん@3周年:2005/12/10(土) 08:56:34 ID:f4+WWLrt
クリスマスとは前述した通り大腸受胎を象徴する日です。
この日は常日頃お世話になっている人々とともに、神の愛になぞらえた
永遠の関係を取り結ぶ日でもあります。
この日だけは家族は早めに家に帰り、お互いの肛門を愛撫しあいお互いの愛の
強さを確認しあいます。
また一年に一度、恋人たちのアナルセックスが許される日でもあります。