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ヒロ坊:
『信仰は執着を断ち、布施の心を育てる』のはなぜか。
◎信仰によってなぜ執着を断てるか
@この世ならざる視点、価値観を得られるから
・霊的人生観を得ると、今世が永遠の転生輪廻のなかの一点であることがわかる。
・肉体は乗物に過ぎず、魂こそ本当の自分であることを知る。
・三法印によって、真空無相を悟る。
A三宝帰依によって人生を私物化することがなくなるから
・帰依とは尊いものに対して、身も心も投げ出し、信じ奉ること。
・自分のための人生から、仏のための人生へと転換する。
B人生の目的を知るから
・人生の目的は魂修行、全ての存在はそのための教材であることがわかる。
◎信仰によってなぜ布施の心が育つか
@仏に全てを与えられていることがわかるから
・感謝の心が報恩としての与える愛(布施)に転化する。
A因果の理法を知るから
・善因善果を信じれば布施によって徳を積みたくなる。
B万物の仏性を信じるから
・山川草木悉有仏性、全ては仏のご慈悲の現れであり、全ては重重無尽の縁起によって
繋がっている。
・「自他はこれ別個に非ず一体なり、共に仏子の兄弟なり」他人を愛することは、実は自分を愛することである。
C人生の使命を知るから
・人生の使命はユートピア建設にある。愛が発展した姿がユートピアである。
D真空妙有を知るから
・「一切なるものは幻でありながら、一切なるものは素晴らしい仏の芸術である」ことを知ったとき、自分は世界のために存在しているとの自覚から、布施の心が湧く。
◎結局、なぜ信仰は執着を断ち、布施の心を育てるのか
・人は、正しい信仰(三宝帰依)によって、生かされている自分に気づき、感謝の心が起こり、その結果、報恩の念いが出てくる。
すなわち、正しい信仰によって、奪う愛の心から、与える愛の心(布施の心)へと変わるのである。