296 :
シルビア山本:
破門者といっても、大勢出ているわけではなく、数名出ているようですけれども、還俗した元職員のなかで、多少、
その還俗を不満に思っている方もいるようです。ご自身が不満に思われること自体はかまわないのですけれども、
現にまじめに活動している方がたを撹乱するような働きが一部にあったようですから、それに対しては、「それは間
違っている」と教えてあげて、それ以上罪を犯さないことが、その人にとっても非常に大事なことです。
初期の頃は、地方本部長とか局長であって、本部講師の資格をその立場に合わせて与えたとしても、現実には五次
元出身者もいました。そういう方は、講義のなかでも話しましたように、諸菩薩たちが出てきたときに、もう上には
いられないのです。それは位置を替えて、教えを受けるべき立場にあるのです。あるいは、在家に戻ってでも教えを
受けて、勉強していくのが当然なのです。
それを、間違ってしまって、もう悟った人間であるかのような考えを持ったり、あるいは特別の人間であるかのよ
うに思うと、その部分が「自分が後退したことを許せない」となって、今度は三宝帰依の反対になります。
私を認めないなら仏陀が偽者、私を認めないなら法が偽物、私を認めないならそのサンガ、僧団が偽物−こういう
ことを考えるのは、もう悪魔以外にはないのです。そこまで自分が偉くなってしまったら、もう大変な間違いなのです。
やはり、自分の過去をよく点検して、それだけの実績があったかどうか、よくふり返るべきであろうと思うのです。
そうではなかったはずです。一時期、光が当って、たとえ半年でも一年でも、ある重要な仕事を任されたら、それはあ
りがたいと思うべきであって、自分の役割が終ったときには、本来の使命を持った方に道を譲って、自分は法についてい
って、修行者としての立場を堅持する−これが仏弟子としての当然の義務です。
修行するという観点を捨てたときに、それはもう増上慢の塊であって、あとは転落しか道はないのです。そんな偉い方が
たではなかったはずです。
ですから、途中からおかしくなったのではかくて、最初からそうだったということです。
297 :
シルビア山本:2005/11/28(月) 11:36:13 ID:UWgvWR/o
ただ、会が小さいうちには、それほど目立たなかったので、いろいろとやっていけたけれども、会が大きくなったら目立
つようになったということです。それで、それで、プライドが苦しいので、それを合理化するために、いろいろな噂を流
したりして、他の人たちを迷わすようなことをするのです。
こういうことは許すまじきことで、きっちりと教えておかないと、『仏説・正心法語』の
なかの『仏説・降魔経』にも書いてありますけれども、人間として生まれるのはもはや最後になります。仏・法・僧を誹
謗して、和合僧破壊をやった場合には、以後、もう人間として生まれることができなくなるのです。これが最後になるの
で、間違いを教えてあげなければ、それが人間として最後になり、もう生まれられなくなるのです。これは、はっきりし
ているのです。
法を犯す罪というのは非常に大きな罪なのです。殺人罪よりも悪いのです。世の中の大勢の人たちを救うためにやって
いる救世運動を阻害するというのは、核爆弾を落とすことよりも悪い罪なのです。それよりも悪い行為なのです。これは、
やってはいけないのです。
ですから、破門者たちもそうですし、外部の団体や週刊誌などにも間違っているものがいろいろありますが、これらの
人たちもみんな、「人間としてうまれるのは、もう今回が最後だ」と思わなければいけません。ですから、教えてあげなけ
ればいけないのです。
もし来世であなたがたが地獄を見にいくことがあったとしたら、彼らの姿はもう人間ではないと思います。