この経は、大雑把に言って以下のようになるだろう。
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舎「世尊に勝るほどの沙門は、過去に居ず、未来にも居ず。そして今現在にも居ない
仏「過去・未来の諸仏の思考を同様になぞることができたから
→ポイント1・・・神通の存在が前提。
過去・未来の諸仏の《戒は―、智恵は―、解脱はこのようである・・・A》、と言えるのですね
舎「違います。
仏「現在の仏(私)の思考を同様になぞることができたから
現在の仏(私)の戒は―、智恵は―、解脱はこのようである、と言えるのですね
舎「違います。
仏「では、汝は他者の心を知り得てはいないことになるが、なぜ、先の様な宣言をしたのか?
舎「私は、教えを全て知ったので、そのように言うのです。」(このあとの比喩表現の仕方が興味深いものの一つ)
以下、各種の教え(神通力も含)が列挙され、舎利弗がそれを最上のものとして賞賛してゆく。
→ポイント2・・・正しい知識と正しい行為があれば仏に並ぶ。
心を知らずともAのように言える。
そしてそれは、精進努力によって誰でもが得られるものであり、世尊はそれを得ている。
→ポイント3・・・(原文見ないとw
舎『もし、誰かが過去・未来・現在において釈尊に勝る沙門はいるか?と問えば、
私は「居ない」と言うでしょう。
もし、誰かが過去・未来において釈尊に等しい沙門はいるか?と問えば、
私は「居る」と言うでしょう。
もし、誰かが現在、釈尊に等しい沙門はいるか?と問えば、
私は「居ない」と言うでしょう。』
→ポイント4・・・過去には、お釈迦さんほどの人物は居たかもしれない。
未来にもまた、生まれ得るであろう。けれども、
今現在、私(舎利弗)は、世尊ほどの人物を知りません!
舎『また、誰かがこのように問うでしょう。
「一方(過去・未来)では並ぶものが居ると言い、一方(現在)では居ないと言う。なぜか?」と。
それは、世尊がそのように言ったからです。(→世尊を信じるからです。)
一時代に二人も如来が世に出ることは難いと言ったからです。
→ポイント4・・・個人的には、違う理由が欲しいw
舎「私は、間違っていますか?世尊を誹謗することになりませんか?法に適った発言となりますか?
仏「間違っていない。私を謗るものでもない。法にも適っている。
仏「他の行者は、もし、それらの徳を持つならば自らそれを宣揚するだろう。
如来は、このように徳があり神通力があっても、自らそれを宣揚しない。
→ポイント5・・・だから如来は、信じるに値する。
→舎利弗に賛嘆させているw
仏「舎利弗よ。この教えの概要(上記の分類分別)を以って法を説きなさい。
さすれば、如来に対し疑念を抱く者も、その疑念が晴れるだろう。
舎利弗は、自らの、世尊への(信頼を伴う)喜び・満足からこのような言葉を述べたので、
これを自歓喜経と呼ぶのである。
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さすが南伝大蔵経w 文体が古すぎて読みづらいw
PTSのコピーもとってたと思ったけど見つからないwww
本スレだったらボロクソ言われるだろうな・・・(^^;
全部まとまったことだし、片山訳買うか・・・(;-_-)y━~~