535 :
KOPIPE:
であれば擁護できるのでしょうか。それとも、無限の存在なる方、聖書に書かれている神(造り主)、無限の知性の源
であられる方が、生命の存在に必要な情報の体系を創造したという立場 ― この立場は、真の科学と一致します
― であれば擁護できるのでしょうか。無限の造り主なる神について聖書の中でなされている主張が、
真の科学によって擁護されるとすれば、知性あふれる科学者たち全員がこの主張を受け入れないのはなぜでしょうか。
マイケル・ベーエはこのことについて次のような答えを出しています。「科学が知的デザイナー説をいやがる
四番目のもっとも強力な理由は、やはり哲学的な考慮に基づくものである。非常に尊敬されている多数の
重鎮の科学者を含めて、多くの人々は、自然を超えるものはとにかく存在してほしくないと思っている。
どんなにわずかな、または建設的な相互作用であっても、超自然的存在が自然に影響を与えてほしくないのである。
言い換えれば、物質的世界に関して自分たちが受け入れる説明の種類を限定することになるような哲学的な立場を、
初めから科学に持ち込んでいるのだ。これは時にはむしろ奇妙な行動を招くことがある。」この議論の最も重要な点を
述べましょう。私たちを創造した神が存在するということを受け入れるなら、その神が私たちの所有者であるという
ことになります。この神が聖書に書かれている造り主であるなら、その造いるのは、聖書のみです。
また、すべての基本的な生命存在と全宇宙の起源に関する、真実で信頼するに足る記述は、聖書の中でのみ
発見することができます。
536 :
KOPIPE:2005/11/28(月) 17:09:07 ID:bo49UEjX
聖書の歴史的記述は考古学、生物学、地質学、及び天文学によって何度も何度も確認されてきました。
聖書は造り主の御霊み た ま(聖霊)によって動かされた数多くの様々な著者によって書かれ、成立に
何百年も要したにも関らず、聖書の中には矛盾も誤った情報も見つかっていません。様々な分野の科学者たちが、
何百もの書物とテープを作成し、聖書の正確さを擁護し、聖書は私たちの造り主から私たちに向けられた啓示で
あるという、聖書自身の中にある主張を擁護してきました。聖書は、私たちがどのような存在で、どこから
来たのかということを語り掛けてくるだけではありません。聖書は、私たちの主であり救い主である方と永遠の時を
過ごすにはどうしたらいいのかという良い知らせを、私たちに告げているのです。この小冊子の表紙の裏に
掲載されているメールアドレスまたはインターネットアドレスにアクセスすれば、この小冊子と、その他にも
興味深い資料を入手することができます。では、キリスト教の信仰とはどのようなものなのでしょうか。
キリスト教の信仰を盲目の信仰と考えている人もいますが、実際はそのようなものではありません。それどころか、
盲目の信仰を抱いているのは、造り主を否定する進化論者たちです。造り主を否定してしまうため、
進化論者は真の科学と矛盾すること(つまり、情報が無秩序から偶然に現れたということ)を
信じなければならなくなるのです。しかし、キリストが聖霊を通してクリスチャンの目を開いてくださるため、
クリスチャンは自分たちの信仰が本物であることが分かるのです。