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KOPIPE:
では、論理的に言って、どのよう な立場で あれば擁護よ う ごすることができるのでしょうか。
物質が最初から存在し(あるいは何の原因もなくひとりでに誕生し)、その後で物質がひとりでに決まった順序で並び、
情報の体系ができあがったという立場 ― この立場は真の「……自然現象であれ、プロセスであれ、連鎖的現象であれ、
情報が物質の中に自力で姿を現すという類たぐいのものは、私たちは知りません。」それでは、
情報の源は何なのでしょうか?以上のことから、生き物の中にある莫大な情報量は知的存在からもたらされたに
違いないという結論を引き出すことができます。この知的存在は、私たちをはるかに超えた存在でなくては
ならなかったことになります。しかし、そうなると、そのような源はさらに大きな情報 ― 知性を持った何かによって
引き起こされなければならなくなると言う人もいるでしょう。しかしながら、このように議論を進めていくと、
このさらに大きな情報 ― 知性はどこから来たのか、という疑問が浮かび上がってきます。では、このさらに
もう一回り大きな情報 ― 知性はどこから来たのでしょうか。論理を拡大してくと、無限の時間へと辿り着いてしまい、
開始点がなくなってしまいます。ただし、私たちの有限の理解力を超えた無限の知性が存在し、
その知性が源となっていれば、開始点が現れます。そして、これは聖書が次の箇所で指し示していることでは
ないでしょうか。「初めに、神が ……。」聖書に書かれている神(造り主)は、無限の存在なる方であり、時間的、
空間的、その他どのような限界によっても制限されていません。進化論者であるリチャード・ドーキンスですら、
このことを認めています。「ひとたびその組織的な複雑さ、DNA/タンパク質複製装置という組織的な
複雑ささえ想定を許されたなり主が私たちの所有者であり、従って、その造り主が私たちの守るべき規則を
定める権利を持っているということになります。