952 :
神も仏も名無しさん:2008/07/19(土) 20:39:56 ID:C8nBrH1g
ま、どっちみち猿には理解できないんだけど…
>より一般的に「バッハは音楽の父」であることを証明したいというなら、現在の西洋音楽に存在する全ての音楽的要素の起源がバッハに存在することを示さなければ
これはもう、論外ね。「バッハは…」をそんな風に理解してるのは、どっかのおサルの脳の持ち主以外にはいないわけで。
>バッハ以後の全ての作曲家に影響を及ぼしたことを示さなければ証明したことにはならない。
これも、もう猿以下の論理。
まず、「すべての作曲家」と言っても、まず、バッハの音楽に接した、と限定されなければ話にならない。
(とはいえ、「バッハ=音楽の神髄」的に考えるならば、また話は違ってくるが… まあ、そんな深遠な話はサルの脳の許容を超えるだろう)
そして、ある程度の作曲家でなければ話にならない。
和声学の基礎も知らない、インヴェンションも弾けない自称作曲家(プッ)が、バッハの影響を受けてない、と言ったところで、
鼻で笑われるだけ。
とすると…
な〜〜〜〜〜〜んだ、
>>934-941で既に証明されてるわけじゃん!!
この件、これにて一件落着!
個人的にはバッハもいいけどテレマンもいい。
一番好きなのは、ヘンデルだ。
954 :
神も仏も名無しさん:2008/07/19(土) 23:34:41 ID:tjj7RghH
CDU ◆DyhaFWpT7sてさ、ラッキョウの皮を一心不乱に剥いているニホンザルみたいだ。
955 :
神も仏も名無しさん:2008/07/20(日) 04:37:08 ID:dRKqy51N
山田く〜ん
>>954 に座布団を三枚もってってやりなさい
また、低脳の劣等民族イエローモンキー糞ジャップどもがわけの分からんことを。w
>>950 つうか、私はバッハの偉大さを否定したことなど一度も無いけどな。妄想乙。
>>952 >これはもう、論外ね。
そう、「バッハは音楽の父」なんて論外だろ。それを私は言っているんだよ。
で、「バッハは音楽の父」について異なる理解を持っているというなら、その理解とやらを示してみ。言葉の通常の意味内容から遠く離れないように注意な。w
他人のことを扱下ろすのは、それからでも遅くない。
>まず、「すべての作曲家」と言っても、まず、バッハの音楽に接した、と限定されなければ話にならない。
おいおい、それだとトートロジーだろうが。結局トートロジーで逃げるしかないのかな?w
「バッハの音楽に接した」作曲家が、バッハから何らかの影響を受けているのは当たり前だろ。
バッハから何らかの影響を受けているから、「バッハの音楽に接した」と周囲の人間から看做されるのだから。
或いは作曲家当人が書簡などに「バッハの音楽に接した」と書き残しているという場合もありうるが、その場合もわざわざ「バッハの音楽に接した」と当人が書き残すのは何らかの影響を受けている場合が多かろう。
彼がバッハの作品を一度聴いて「なんじゃこれw」と感じた場合には、「バッハの音楽に接した」と書き残さないだろうからな。
ところで、バッハの「新曲」発見を知らせる新聞記事に「音楽の父バッハ」と書いてあった(東京新聞)。こんな言い方、今でもするの?ベートーヴェンの『交響曲第5番』を「ウンメー」と呼ぶ慣習とならんで、やめて欲しい呼称のひとつ。
子どものころ音楽室で見た音楽史年表はたしかバッハから始まっており、そこにも「音楽の父」と記してあったような気がする。
ちなみに「音楽の母」はヘンデルで、実際に音楽を産んだのは男のヘンデルだった…、という生物学的ウソを音楽では教えたのだ(ヘンデルの音楽はむしろ男っぽいと思うが)。
もひとつちなみに、上記コラール・ファンタジーの楽譜が見つかったのはヘンデルも学んでいたというハレ大学。ハレはヘンデルの生地である。チチの作品がハハの町で発見されたわけ?
話は戻るが、音楽室の年表にバッハ以前は記述がなかったし、父と母以前に子ども(=音楽)がいるはずはないので、バッハ&ヘンデル以前には音楽はなかったのだと思った。
音楽はこのふたりが産んだ(=発明した)のかと、音楽知らずの小学生(わたしですが)が考えても不思議はなかった。
かれらが音楽を産む以前にも作曲家がいたことを知ったのは中学生になってから。
今となっては「音楽以前」のブクステフーデやコレッリ、フローベルガー、フレスコバルディらがなくてはならないくらい好きである。
かれらは音楽の祖父母か、曾祖父母か。わたしは先祖代々の墓に詣でているのか。
http://walk.gonna.jp/blog/archives/2008/04/bwv1128.html まあ、これが普通の音楽愛好家のまともな認識というものだろう。「バッハは音楽の父」なんてことを真に受けるバハオタは、音楽ファンとはいえなかろう。w
しょうがない。スルーすると言ったが、暇だから少しだけバカの相手してやるか。
>>933 >日本語の伴奏の定義「声楽、器楽の演奏の効果をあげるため、補助の楽器を演奏すること」では全然ない。
まず、伴奏の一般的な定義は、
「楽曲の主要旋律・主要声部を補強する目的で付加された副次的声部。また、その声部を演奏すること。 」
だ。
だから、別に伴奏用の補助の楽器に限定されるものではない。ある楽器や声部が一つの曲の中で主要声部を担当したり、副次的声部を受け持ったりすることもある。
また、「楽曲の主要旋律・主要声部を補強する目的で付加された副次的声部。」であればいいのであって、独立しているかどうか従属しているかどうかも関係ない。
二つの声部の独立性が高いインヴェンションにおいてすらも、主旋律に対して対旋律が伴奏としての役割を果たしている。
オブリガートは伴奏ではなく、対旋律と訳されるのが普通だろ。
>>938 >対位法はバッハの遺産にほかならない。
対位法は別にバッハのオリジナルじゃねえよ。バカが。
>>931 素人の意見も侮れない場合があるといっているのであって、素人にお伺いを立てろなどとは誰も言っていない。
アフォなシャドーボクシングやってるんじゃねえよ。w
961 :
神も仏も名無しさん:2008/07/20(日) 12:54:06 ID:DfK86qQv
体位法はすてきですね
962 :
神も仏も名無しさん:2008/07/20(日) 15:55:18 ID:xqmiSEo8
クラ板から飛ばされて来ますた☆
963 :
神も仏も名無しさん:2008/07/20(日) 19:13:53 ID:7j3W5R1M
ようやく分かったよ(W
語るに落ちたというか、馬脚を現したというかWW
結局、ご幼少の頃は
>957 バッハ&ヘンデル以前には音楽はなかったのだと思った。
という訳だ。なるほどね。
ところが、中学生頃になってやっとでバッハやヘンデル以前にも作曲家がいたことを知ったんだ(WWW
そんでもって「音楽の父」と呼ぶな、間違えるじゃないか〜、これが理由で「音楽の父」という言葉に粘着してるんだナ。
分かった、分かった。要は”言葉尻”を捉えての発言なわけだ。
だから「音楽の父」ならば「先祖代々の墓……」という展開にもいくわけだ。
964 :
神も仏も名無しさん:2008/07/20(日) 19:14:52 ID:7j3W5R1M
ただ、その一方で、
>956「バッハの音楽に接した」作曲家が、バッハから何らかの影響を受けているのは当たり前だろ。
とバッハが他の作曲家に影響を与えていることは容認してらっしゃる。
もはや視点がズレてる、としかいいようがない(WWWW
バッハの曲はインベンションや平均律などで教材でも取り上げられ、その影響は計り知れない。
それではブクステフーデやコレッリ、フローベルガー、フレスコバルディたちといった作曲家たちが
後の作曲家たちにバッハと同じく影響を与えたのか、というとそれは寡聞にして知らない。あったら 教えてほしい。
おそらくバッハと同じ影響を与えた(バロックと限定しなくてもいい)作曲家はいないだろう。
こんにち、バッハの曲と他のバロックの作曲家たちの演奏される頻度、BGMとして流れる度合いを見れば
それは歴然としたものがある。このようにバッハの曲は現代でも十分通用している。たまに演奏されるのとはわけが違う。
このように、こんにちでも演奏され、かつモーツァルトからシェーンベルクまでのありとあらゆる作曲家たちに
影響を与えている偉大な作曲家に対して、一般的な人々は賞賛し、親しみを込めて「音楽の父」と呼んでいるに過ぎない。
何もバッハ以前に音楽がなかった、すべてはバッハから音楽が始まった、などとはお子ちゃまを除いて誰も思ってはいない。
もちろん対位法の技術もバッハ以前からあった。ただ、あそこまで完全に対位法を極め、技法を高めたのはバッハしかいないだろう。
対位法に関してはモーツァルトやベートーヴェンもその近くまではいったがバッハの域にはついに達せなかった。
結論。バッハが「音楽の父」と呼ばれているのは突然バッハから音楽が始まったという意味で使われているのではないということ。
(ったく、ここまで言わんといけないのかね……)
965 :
神も仏も名無しさん:2008/07/20(日) 19:46:31 ID:8VxA6KWm
_人
ノ⌒ 丿
_/ ::(
/ :::::::\
( :::::::;;;;;;;)_
\∠二ニ=、ノ=ニ二ゝ\
ノ ̄ =o=、. ,=o=、:::)
( ,(_。_;。_)、 ;;;;;;人---,,,_
/ ̄――ノ __;__ ` ::::::::::\ , ゙',
( ー=ニ二ニ=-' ::::::::::::::)/ l Hey !
_,f'、\__:::::: ''''''' ;;;;;;;;;;;ノ'"゙i i
_,,r''´ ゙ "´ i l ,'
,,.‐'´ ゙'' ,、,,‐'iン' ..... ..:::.. ', r,‐‐' ノ
r、__,-'´ _,,-'´_,,,.-ヽ, ,' '、 。 l i,) /-,,_
ヒ'-'ゝ. 、 ,,.-‐'',.-''"´ l'、,. 。 ,...ノ ゙'、,,_ ノソ_,/ `゙'‐,
ゝミ_,,ノ" ,'´ iヽ,`゙゙゙´ ゙゙"./~i ....::',
ト;:::.. ', i'、 ,/ノ.,ノ ..:: ゙゙ ',
,' ゙'',ソ‐-、 '、i i'‐、,_ _,,..ノ、,ィヘ,,-‐‐'"´゙i" ゙,
. ,' ,' `゙'', ´ヽ、'、 ヽ'マ'''"'‐、,,_ノ, ';:: ',
l ,.ノ ゙'、. l
l / |||| ブリッ ゙, ..i
i .,'. 人 'i i
_r' /. (__) ',. '、_
,,-‐''´ ..'゙'、 (___) f゙.. `゙'‐、__
f´__,,--‐---‐'゙ `゙゙´`゙''ー----'
966 :
神も仏も名無しさん:2008/07/20(日) 19:51:30 ID:RgwPbRsW
うーん。人間は良いものを発明する。
>>963 相変わらず他人の文章の趣旨を読み解く力が全く無いんだな。低脳の劣等民族イエローモンキー糞ジャップのバハオタは。w
「バッハが音楽の父」だなんてアフォなことを言うと、バッハが西洋音楽を産み出した、なんて認識を一般人が持ちかねないという危惧を持ち避けるべきだと考えるのが、普通の音楽愛好家のまともな認識だといっているんだよ。
>>957のリンク先のブログの筆者はブクステフーデやコレッリ、フローベルガー、フレスコバルディを知っているだけまだ音楽について造詣が深い方だといえるが、
別に子どもに限らず多くの一般人はバッハ以前にそういった多くの作曲家がいたなんて知らなくても不思議ではないからな。
>>964 >おそらくバッハと同じ影響を与えた(バロックと限定しなくてもいい)作曲家はいないだろう。
結局バッハと他の作曲家が与えた影響力の違いは程度問題に過ぎず、相対的な違いしかないということはお前も認めているわけだ。w
程度問題で相対的な違いしかないにも拘らず、しかもバッハ自身もそれ以前の多くの偉大な作曲家から多くの影響を受けたことも無視して、バッハだけを特別視した上「音楽の父だ」などと大風呂敷を広げるのは問題が大きかろう。
教材としての影響度なら、モーツァルトやベートーヴェンやショパンも平均律やインヴェンションと同等或いはそれ以上である。
BGMとして演奏される度合いなら、バロックだけに限定しても、ヴィヴァルディの『四季』やパッヘルベルの『カノン』やヘンデルの『メサイヤ』なども十分高く、バッハ作品にそう引けをとるものではない。
更に古典派以降の作品と比較すれば、バッハ作品が演奏される度合いはむしろ低いだろう。
その上、バッハの作品はメンデルスゾーンによって発掘され再発見されるまでは忘却の彼方に置かれていたわけであり、その間つまり古典派の時代の作曲家に与えた影響は微々たるものであったであろう。
むしろ古典派の時代には、バッハ作品はもはや古臭い音楽だとして相手にされていなくなっていたという傾向が強い。
平均律などは、作曲された時点で既に古臭い音楽になっていたとさえ言われるぐらい。だからこそ一時的とはいえ忘れ去られたわけで。
彼の息子たちですら、親父のJ.S.バッハよりもむしろモーツァルトやハイドンなど古典派の作風に近い作品を作っていたしな。
とはいえ、もちろん古典派の作曲家に与えた影響が全く0だと言っているわけではないので、下らん揚げ足取りはしないように。w
>対位法に関してはモーツァルトやベートーヴェンもその近くまではいったがバッハの域にはついに達せなかった。
というより、彼らバッハ以後の作曲家はもはや対位法を極めようとはそもそもしていなかったというべきだろう。
音楽の形や内容が変わっていったからな。
で、対位法はバッハよりも遥か以前から存在していた以上、対位法を「バッハの遺産」だとするのは誤謬だといわざるを得ない。
970 :
神も仏も名無しさん:2008/07/21(月) 05:13:29 ID:0UiFXzKm
>>964 >(ったく、ここまで言わんといけないのかね……)
まあ〜、だから猿って言われてるんでしょうな。
>>958 >しょうがない。スルーすると言ったが、暇だから少しだけバカの相手してやるか。
しないでいいんだよ別に。君が人をバカ呼ばわりできるというなら、だらだら連投しないで、ひとことで
びしっと書いたら?自分でもどこかでそう言ってたろ?下らないことばかり垂れ流ししてるサルの脳の記憶には引っかかっていないだろうが。
>まず、伴奏の一般的な定義は、
「楽曲の主要旋律・主要声部を補強する目的で付加された副次的声部。また、その声部を演奏すること。 」
その引用した文の「補強」という言葉と「副次的声部」という言葉に注意しな。
お前がそれ以降に書いた分は全然これと食い違ってるぞ。
まあ、対位法とか和声学がわかってない、それ以前のことがわかってないからこんなバカな屁理屈をこねまわすのだろうが。
例えば、横レスになるが、
>>967 「バッハが音楽の父」だなんてアフォなことを言うと、バッハが西洋音楽を産み出した、なんて認識を一般人が持ちかねないという危惧を持ち避けるべきだと考えるのが、
普通の音楽愛好家のまともな認識だといっているんだよ
これは、自分が包丁で怪我をしたから、もう包丁は作ったり売らないように訴えてるのと同じぐらいのバカ。
どこが「普通」で「まとも」な認識なんだか…
>>956つうか、私はバッハの偉大さを否…
通過、君にはバッハの偉大さの100分の一もわかってないんだよね!!
971 :
神も仏も名無しさん:2008/07/21(月) 06:40:44 ID:0UiFXzKm
>>956 >で、「バッハは音楽の父」について異なる理解を持っているというなら、その理解とやらを示してみ。
>言葉の通常の意味内容から遠く離れないように注意な。w
な〜んか一生懸命網でも張ってるつもりかも知れんが、それについてはもうさんざ書きつくした。
やっぱサルの脳には入っていかないんだろうな。
たとえば、
>>968 で「教材としての」とか「BGMとして」なんて書いてるけど、
やっぱ、わかってないのねって言うか…
>おいおい、それだとトートロジーだろうが。結局トートロジーで逃げるしかないのかな?w
それで、結局このへんの文章しか理解、食いついてこれないんだろうな。
俺にからかわれてるってわからんの?サルの程度に合わせて文を書いてやったんだぜ。
ちなみ、俺はお前に(2ちゃんで)出会っても、何の影響も受けないぞ。(おまえは逆にそれでバッハを嫌いになったんだってな)
「くだらない奴もいるもんだな〜」
それだけ。
まあ、しいて言えば、なんだか誰かのうんこを嗅いでしまった様な感じかな。
だから、俺がここでレスつけてるのは、水洗のコックをひねってるようなもの。
「あれ、まだ流れてってないぞ!」って感じ。
>>960 >素人の意見も侮れない場合があるといっているのであって
わかってるんならいいんだよ。
で、お前の言ってることは、くだらない、と。
これにて終了〜!!
またしても、低脳の劣等民族イエローモンキー糞ジャップがわけの分からんレスが付けているようだが、反論にも何にもなっていないのでレスを付けようが無いが。w
一言だけ。
>>970--971
>自分が包丁で怪我をしたから
意味不明。
お前らと違って、バッハが「音楽の父」だなんてことを真に受けたことは私は一切無い。
973 :
神も仏も名無しさん:2008/07/21(月) 10:01:01 ID:jztXoBwu
まあ、低脳の劣等民族イエローモンキー糞ジャップの粘着ストーカーバハオタは、有効な反論はできないが蹴った糞悪いから、相手を罵倒だけして去っていったという感じだな。
ある意味哀れな奴。バハオタプロテスタントには、こういうキモイのが多いのかなあ。w
974 :
神も仏も名無しさん:2008/07/21(月) 22:22:27 ID:5JlVaWaY
サル同士で餌を融通し合っている微笑ましいスレでつね
よくわかります
皆の衆〜、よ〜く聞け〜〜
「音楽の祖父母」だと〜〜〜(W
いいかぁ「音楽の祖父母」だぞ〜〜〜〜(WW
すると「音楽の子」→「音楽の孫」→「音楽の玄孫」………ってか!
久々にワロタ(WWW
お里が知れるよなぁ(WWWW
サル釣って楽しいかクマー
978 :
神も仏も名無しさん:2008/07/22(火) 01:19:56 ID:5TT9V7xQ
>>975 皮肉って茶化して言っているだけだろ。
ったく、低脳の劣等民族イエローモンキー糞ジャップは、さすがに猿だけのことはあって文言通りに受け取ってしまうんだな。
>>974 >サル同士で餌を融通し合っている
ここだけじゃなく、2ちゃん全てがそうだろう。w
>>975 まあ、バッハが「音楽の父」だとか言うのは、そういうことだよねえ。
それにしても、もうこのスレも終わりだな。
しかし、このスレも最初のうちはマターリモードの良スレだったのに、残念なことに単なる罵倒し合いのスレになってしまったなあ。というわけで、次スレは不要。
過去ログをもう一度読み返してみたが、
>>292あたりから不穏な空気が流れ始め、
>>538-539あたりのスレ違いの話題を持ち出してきたバカの書き込みが決定的なターニングポイントになったんだな・・・
というわけで、罵倒の応酬といえばやはりこれは外せないだろ。w
醜い国ジャップは世界の僻地で、文化的にも最後進国だったといってよかろう。今でもそうだが。
ジャップはそんな野蛮国だったから借り物文化で猿真似をして、自らの文化を築き上げるしかなかったのだ。
つまり醜い国ジャップにはキリスト教を批判できる論理的根拠など何一つないのである。
実際ここでもキリスト教批判は感情論ばかりだもんな。w
ズルズル汚い音を立てないと、スパゲッティやスープを食べることが出来ない糞ジャップは野蛮民族である。
信号のない横断歩道で歩行者が横断しようとしていても、車を停止させようとするドライバーがほとんどいない糞ジャップは野蛮国である。
世界に兵器それも大量破壊兵器への転用可能な品物を輸出しまくっておきながら、「武器を輸出していない唯一の平和的国家である」などと嘯くジャップは偽善国家である。
都合の悪いことは全部見て見ぬ振りをして済まそうとするのが、卑劣なジャップの常套手段だよね。
そんなことをしているから糞ジャップはいつまで経っても世界から信頼されない。
西欧においてカテドラルの壁やモアイ像に落書きしたり大声を出したりするなど、糞ジャップのマナーの悪さも世界中で有名。野蛮民族なのだから仕方がないのだが。
ジャップはやはりドイツとは比較にならないほどの野蛮国なんだな。
というかドイツだけに限らず、多くのキリスト教国と比較してジャップはかなりの野蛮国。w
路上などの公共の場所での喫煙が野放しになっているなど、喫煙対策が未だに立ち遅れている醜い国糞ジャップは野蛮国である。
それ以前に糞ジャップは野蛮で低脳だから、何をほざいても説得力は全く生じないんだよねえ。
残念ながら。w
糞ジャップはそもそも低レベルな文化しか持っていないDQN国だから、そんな野蛮国の連中がキリスト教をどんなに誹謗中傷しても、結局負け犬の遠吠えにしかならないわけなのだ。w
全部借り物文化で独自の文化を殆ど全く持ち合わせていない『醜い国』の糞ジャップは、キリスト教を誹謗中傷できるような根拠がないのだから、それも仕方がないんだけどね。
「敵性語」なんて言葉を使うこと自体が低次元な糞ジャップの野蛮な発想なんだよね。そんな発想を持っているから戦争で惨めな大敗を喫してしまうんよ。w
とにかくね、糞ジャップは民族的に能力が極めて低いから自前の文化を築き上げるようなことはできなかったのはある意味仕方がないんだけどね。
ただ、現在糞ジャップが持っている文化は全て外国からの借り物に過ぎないのだということは、分かっていないといけないよ。
そういうことが分かっていないと、本来は良いものであっても、使用を誤って良くない効果を出してしまうことが往々にしてある。
自由とか個人主義といった概念も低脳な糞ジャップにはその実体の正確な理解が困難なようなので、意味を取り違えて誤用をしてしまうことがあることもそのことによるのであろう。
おいおい、諸行無常なんて、見たまんまじゃねえか。w
生々流転する被造物たる自然物や自然現象の背後にある永遠普遍の真理、更にそれを支配している全知全能の神を見出すことが出来なかったことが仏教の限界でしょうな。
例えば、氷が水になり更に水が水蒸気になるという現象を表面的にだけ見れば如何にも生々流転して変化しているように見えてしまうが、
実はH2Oという分子自体は何も変わっていないというが如しだな。
こんな現在なら中学生でも常識になっているようなことすら釈迦は分かっていなかったんだなあ。w
諸行無常や輪廻転生も科学的にありえんし、差別思想にもつながりかねない危険な発想だよね。
やはり釈迦はアフォやね。w
教祖がヴァカなら、信徒もヴァカ。
道理で仏教が影響力を持っていた地域においては科学が発展しなかったわけだ。
やはり東洋思想はダメだね。話にならん。消えるべき。
生れ落ちた直後に立ち上がり何を血迷ったか「自分こそ宇宙で唯一尊い」などと口走ったトンデモ勘違い思い上がり野郎の妄言なんか信じてんじゃねえよ。
死刑が未だに存在する醜い国糞ジャップは野蛮国である。
サービス残業という名の事実上のタダ働きが当たり前のように行われていて、経営者のやりたい放題が認められている醜い国糞ジャップは野蛮国である。
花見などと称して公共の場で宴会を行い、多人数で酒を飲み奇声を発するというマナー無視の傍迷惑な習慣を持つ糞ジャップは野蛮民族である。
インチキ映画や暴力ゲームばかり制作して暴利を貪り世界で顰蹙を買っている○ニーみたいな悪徳業者も多いイエローモンキーの低脳糞ジャップは野蛮杉。
政府の方針に批判的な言論を行っている者を自衛隊が監視し、その名前をリストアップするなどというナチスまがいの蛮行がまかり通っているイエローモンキーの低脳糞ジャップはやはり野蛮国。
しかし切支丹禁令高札の撤廃、すなわちキリスト教解禁を前にして、最後の大迫害が起こるのである。
明治政府は神道国教化政策を励行、そのためにキリスト教徒は生け贄となったのである。
浦上村では村民総流罪という浦上四番崩れが起こった(こちらを参照)。
五島では、徳川幕府の禁教令施行当時と同じような激しい迫害が行われる。
吹雪の海中に子供を立たせ仮死状態になったら浅瀬に引き戻す、炭火に掌を入れさせ吹いて燃え上がらせる、戸板を腹の上に置きその上に乗り腹水を出させる、などの拷問が行われた。
また六坪の牢の中に200人が押し込まれ放置された。排便の施設もなく全員立ったままで、全くの地獄絵であった。こうした状態で8ヶ月も置かれ、次々と倒れていった。死んだ遺骸を葬ることも許されず、五昼夜も放置され、死骸は変形し平たくなる有様であったという。
二年後残された者は帰宅したが、その後数人が死亡。帰った家は、郷民によって略奪されており、何も残されていなかった。
http://www.collegium.or.jp/~take/christi/rekisi5.html
1609年日本に到着したフェレイラは、他の宣教師と同じように熱心に布教活動を行った。1614年の宣教師追放の折には、日本に残り宣教活動を継続する事になった。その後フェレイラは日本準管区長として、潜伏司祭達の柱として活躍する。
そんな彼も1633年ついに捕らえられることとなった。キリシタン教界は彼が殉教するものと信じて疑わなかった。
彼は、元天正遣欧使節の中浦ジュリアンと共に穴吊りの刑に処される。穴吊りは、この時代最も過酷な拷問と言われた。その内容は、1メートルほどの穴の中に逆さに吊す、というものであったが、そのやり方は残酷極まりない。
吊す際、体をぐるぐる巻きにして内蔵が下がらないようにする、頭に血が集まるので、こめかみに小さな穴を開け血を抜く、などそう簡単に死なないようにし、穴の中に汚物を入れ、地上で騒がしい音を立て、精神を苛んだ。
5時間に及ぶ拷問の末、フェレイラは転んだ。
その棄教の時、吐いた言葉は「南無阿弥陀仏」であったという話がある。
幕府は家康の祖法を守るため、仏教中心の思想統制を行っていた。キリスト教否定のために仏教を用いるのが幕府のやり方であった。
穴吊りで意識が朦朧とした者に刑吏が「念仏を唱えよ」と迫るのである。これが棄教した転びキリシタンに、どれほどの精神的苦痛を与えたかは計り知れない。
転んだフェレイラを待っていたのは、さらなる生き地獄であった。江戸の小日向にある宗門改方・井上筑後守政重の下屋敷(通称切支丹屋敷)で通詞として余生を送ることとなった。
沢野忠庵という日本名をつけられ、日本人の妻を強制的に与えられた。そして屋敷に送られてくる捕らえられたキリシタンに棄教をすすめ、宣教師との通訳を務めた。
彼は1650年長崎で死亡、戒名をつけられ仏教徒として葬られた。
ちなみに同じ時同じ拷問を受けた中浦ジュリアンは、穴吊りに屈せず殉教している。
棄教を迫るための拷問は、どれも凄惨を極めるものであった。
火あぶり、、雲仙地獄責め、竹鋸引きなど、残酷な方法が採られた。
火あぶりは、柱にくくりつけ、周囲に薪を置いて火をつける。苦しみを長引かせ、信仰を捨てさせるため、薪は柱から離してとろ火で焼いた。背教したければ逃げ出せるよう、くくる縄は弱く縛ってあったという。
他にも両手両足を引っ張って、回転させながらあぶることもあった。その際、口から煙が出たという。
また簑踊りという火刑は、手足を縛り簑を着せ、火をつける、と言うものであった。苦しみもだえる様が踊っているように見えることから、この名が付いたのである。
雲仙地獄責めというのは、雲仙の硫黄沸き立つ熱湯を、柄杓に入れて少しずつかける、という熱湯責めであり、気絶したり死にそうになったら手当てして同じ拷問を繰り返したという。
竹鋸引きというのは、路傍の柱にキリシタンを括りつけ、首に刀傷を付けておく。そばに竹鋸を置いておき、通行人にそれを引かせた。竹鋸のため切れが悪く、苦しみが長引いた。ホントに人間のやることか、とか思ってしまう。
他にも、木馬責め、切・支・丹の焼印押し、硫黄と灰を鼻に押しあて口を閉じさせる、前回書いた穴吊り、など苦しみが長くなかなか死なないような拷問が数多く採用された。
これらの拷問を考え出したのは、島原領主松倉重政、唐津領主寺沢広高、長崎奉行竹中重義らであった。彼らの非人道的な拷問はキリシタンに、過酷な重税による圧政は農民達に、それぞれ反感を買わせ、それが島原の乱へと繋がっていくのであった。
殺すだけなら斬首で十分、見せしめのためなら磔で十分である。このような残酷な拷問が行われたのは、キリシタン達の心を砕き殉教の栄光を味わわせない事、凄惨な拷問を見せ他のキリシタンを棄教させることがねらいであった。
またキリシタン宗は邪教であるから、どんな残酷な処刑も当然、というキリシタン邪教観を民衆に植え付けようとしたのである。
そして幕藩体制固めのための神仏中心の思想統制と、鎖国の口実作りに、キリシタン禁制は大いに役立ってくれたのである。
そのためキリシタンの処刑は残酷なだけではなく、神州が穢れる、と言う理由から、キリシタンの遺体は焼かれ、その灰は長崎の伊王島の沖まで持っていって捨てたという。
http://www.collegium.or.jp/~take/christi/rekisi3.html
30年前の12月。まだ冷戦のさなか、ブラント西独首相はワルシャワを訪れ、
国交正常化条約を結んだ。首相はユダヤ人ゲットー(居住区)跡の慰霊碑にひざまずき、うなだれた。
ドイツが罪を認めた。その象徴的な姿は、ポーランドだけでなく、世界に衝撃を与えた。
首相の腹心だったエゴン・バール元連邦議員が明かす。
ブラントは『花の贈呈だけでは足りないという気持ちだった』と答えた。
欧州では約1000年前から、ひざまずくことは謝罪を表す最も強い表現なのです
ドイツの「謝罪」は今も繰り返されている。両国の首脳や閣僚会談のたびに、必ずといっていいほど「歴史の記憶」に触れ、謝罪する。
「ドイツが何度も自ら謝罪するから、ポーランドがそれを求める必要はない」と、どのポーランド人も言う。
そこまでいって初めて「歴史カード」は姿を消す。「共同宣言で首相が謝り『和解』も盛り込んだ。一件落着」と考えるのは早計だろう。
日本とドイツとでは、地政学的にも歴史の内容にも違いはある。だが、朝鮮半
島やアジアの安定にどう貢献するかという課題を考えると「負の遺産」に正面
から向き合うことで外交の主体性を手にしつつあるドイツの例は、参考になるのではないか。
http://www.asahi.com/international/aan/report/2001_04.html
また、1969年、政権を担ったヴィリー・ブラント(1913〜1992)
は、首相としてドイツの過去の犯罪をはっきり認める態度を示した。1970
年 月、難航していたポーランドとの平和条約をまとめあげ、調印のためワル
シャワを訪れる。
その折、ユダヤ人ゲットーの蜂起を記念する慰霊碑の前で花輪を捧げたブラ
ントは、雨上がりで地面が濡れていたにもかかわらず、コンクリートの地面に
突如として跪いて黙祷をささげた(かれ自身もナチスの迫害にあって北欧に亡
命を余儀なくされた身であったが)、ナチスがもっともひどい残虐行為を行
なったポーランドにおいて、そのナチスの行為を謝罪するために深く頭をたれ
たのである。
このオーバーを着たまま跪くブラント首相の姿は、すぐに世界中に映像とし
て流れた。この行為について西ドイツ国民の意見は当初、分裂したものだっ
た。保守派の人たちは、一国の首相があそこまでやるのは、やりすぎだといっ
たが、中道から左の人たちからは共感と賛嘆の声が強くあがった。当の本人
は、のちにこう言っている。
「自分は献花の前になにも計画していなかったが、ゲットーの慰霊碑で心にう
かぶ特別な思いを何らかの形で表現しなければと思った。私は言葉では言い表
せない場合に、人間がすることをしたまでである」と。
自国が犯した過去の罪を一国の首相として具体的・象徴的な形でわびた姿
は、近隣諸国の人たちにも素直に受け入れられ、その後各国との友好・和解の
動きが割合スムースに進展するのに大きく貢献したと言ってよいだろう。
http://www.suzushiro-coop.com/seikyo/tushin/htm/67.htm
同じことは、この反日デモの報道にあたっての欧米の新聞の論調にもあらわれ
ている。『ル・モンドなど欧米の一流紙は、反日デモが激化した背景に中国の
国内事情があることを指摘すると同時に、一様にドイツの率直な謝罪と比較し
ての、日本の謝罪の不十分さをあげている。』
小泉首相としたら、あの戦争は、自分の何代も前の先輩たちがやったことなの
だから今さら自分が責任を問われたくないという気持があるのだろう。しか
し、それはドイツの政治家も同じである。シュレーダー首相はしばらく前のア
ウシュヴィッツで行った演説の中で、記憶を抑圧してしまおうとする誘惑、
「悪魔のヒトラー」の神話に逃げこみたい誘惑がきわめて強かったことを率直
に認めた。しかし、そういう気持を持ったことを恥とし、未来のために、自ら
の過去に立ち向かい、重荷を背負っていく覚悟を決めたと語っている。小泉首
相に欠けているのはそういう逃避欲求を恥とする心と自らの過去に立ち向う勇
気と覚悟である。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/050502_syazai/index2.html
『南ドイツ新聞』は、「戦争礼賛に励む小泉―日本の首相、靖国参拝でかび臭い
国家主義を明らかにする―」と題して、靖国神社を「日本のradicalな極右達の
聖地」、「天皇礼賛の残滓物の中枢」であり、「戦争をいましめる警告施設と
は全く別のものだ」と強く批判した。首相が特攻隊に涙したことを「神風特攻
隊…の礼賛」と取り上げた上で、首相の個人的な歴史認識が濁っており、「軍
事浪漫主義」的で「国家保守主義者」だと報じた。「アジア…との和解は彼に
とって…重要でない」ともいっている。また、首相が原爆記念日に広島・長崎
に行くのも、靖国神社で戦犯を追悼するのも、日本人にとっては同じことで、
自らを犠牲者とみなし、加害者だとはみなさない「集団的で日本的な歴史の盲
目性」、「間違った国家認識」を象徴しているとも伝えた
ドイツと日本では過去の‘負の遺産’に対する向き合い方が全く異なる。「30
年前のブラント首相の歴史的な訪問を思い起こしたい」。00年12月ポーラン
ド、ワルシャワを訪れたシュレーダー首相は国会演説でそう切り出した。
冷戦最中の70年、国交正常化条約締結のため、ワルシャワを訪れたブラント西
独首相は、ユダヤ人ゲットー跡の慰霊碑にひざまずき、うなだれた。その象徴
的姿は、ポーランドだけでなく世界に衝撃を与えたという。欧州では約千年前
からひざまずくことは謝罪を表す最も強い表現なのだそうだ。
>>970 >これは、自分が包丁で怪我をしたから、もう包丁は作ったり売らないように訴えてるのと同じぐらいのバカ。
思考力の乏しい低脳の劣等民族イエローモンキー糞ジャップはこれだから。w
包丁は正しく利用すれば十分に利益を生じさせる。
しかし「バッハは音楽の父」だと嘯くことには、何の利益も無いばかりか有害だ。百害あって一利なし。w
>>971 >ちなみ、俺はお前に(2ちゃんで)出会っても、何の影響も受けないぞ。
アフォ、影響受けまくっているだろうが。過去ログ読んでみろ。
私の突っ込みにイライラしている様子が手に取るように分かる。w
>>971 >な〜んか一生懸命網でも張ってるつもりかも知れんが、それについてはもうさんざ書きつくした。
お前はそれについて何にも書いてねえだろうが。低脳が。w
>>952 ああ、そうそう。因みにインヴェンションは弾き始めたよ。子どものときにも少し弾いていたけどな。
いつか平均律に到達したときには、平均律に対して単なるリスナーとしての感想とは異なる演奏者としての感想を持つことはあるかもしれんが、それでもリスナーとしての退屈だという認識は恐らく変わらないだろう。w
999 :
神も仏も名無しさん:2008/07/22(火) 03:46:17 ID:13Pq7i5y
バッハと関係ないことをダラダラと書き込む無神経ぶり。文化財に落書きしまくる手合いだろう。
The Great Bach
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。