阿含宗という宗教94

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1口下手番長
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのスレッドです。
過去の関連スレッドは下記に掲載しています。
http://etcsouko.hp.infoseek.co.jp/
http://i.ringoya.nu/?u0=http%3A%2F%2Fetcsouko.hp.infoseek.co.jp%2F
初めての方は過去ログをお読みください。
ダウンロードして保存することをお勧めします。
Never Returnerなる人物の大量コピペがありますが、読み飛ばしましょう。
2口下手番長:2005/10/18(火) 11:03:58 ID:8XFc94hF
初代「口下手番長」さんの宣言文。

皆さん阿含宗という宗教団体を知っていますか?
今では伝統宗教のようにふるまっていますが昔は自ら作ったインチキ
超能力で民心を惑わしあのオウム麻原を生んだとんでもない宗教団体
です。(オウム麻原と桐山靖雄を比べればそっくりであることに気が
付くでしょう)桐山靖雄の過去も疑わしい点があります。
偽ビール事件で実刑判決を受け、学歴詐称を行い(初めは早稲田の卒
業と偽り、それがばれると、日大の芸術学部と偽った)、実際は僧歴
もないのに、僧歴を偽るなどの悪行を行ったのです
現在も金銭の見返りに世界各国から勲章をもらうなどしてますし(池田
大作に模倣して??)インチキなノストラダムス本を書いてまた民心を
惑わし続けています。
皆さん、こんな宗教団体に騙されてはいけません!!
阿含宗の信者だった、もしくはそこの内部事情を知っている方ここへ書
き込みしていただけませんか?宜しくお願いします
また、私も阿含宗の資料が集まり次第ここへ書き込みいたしますので
どうか宜しくお願いします。
3名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:53:27 ID:/PrMKt/j
前スレからの続き
>576 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:34:25 ID:/PrMKt/j

仏教には因縁解脱など存在しない。
仏教には因縁も解脱も存在するが、因縁解脱など存在しません。
そんな言葉や概念があるなら、ぜひ阿含経から示してください。
阿含宗の因縁は前世の業で作った運命などを指すが、
仏教の因縁にはこのような意味はありません。
阿含宗の因縁解脱とは、運命を変える、仏教流に言えば、業解脱のことです。
桐山さんは業を切ることが解脱だと説いたし、仏教に業を切る方法を求めた。
しかし、釈尊は業解脱など説いていないから、大乗経典はもちろんのこと、
阿含経にも業解脱などありません。
仏教の解脱とは業ではなく、煩悩を断ちきることだからです。
桐山さんは因縁解脱などという仏教に存在しないものを探したのだから、
見つけられなかったのは当たり前です。
4名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:59:09 ID:/PrMKt/j
>576 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:34:25 ID:/PrMKt/j

ところが、桐山さんは阿含経で因縁解脱の方法を見つけたという。
聖書から解脱を見つけられないように、阿含経から因縁解脱などみつけられるはずがない。
あるはずのないものをどうやって見つけたのか。
あるはずのないものを見つけるのは天才か、嘘つきかのどちらかです。
桐山さんは、四神足で得られる神通力でカルマを切るのだという。
阿含経には四神足法も神通力もあります。
しかし、信者さんたちも頭から桐山さんを天才だと信じるのではなく、
きちんとこの部分の阿含経を読んでほしい。
四神足や神通力でカルマを切るなんて、釈尊はただの一度も言ったことはありません。
なぜなら、釈尊のいう解脱とは、カルマではなく、煩悩を切ることだからです。
その煩悩すらも神通力で切るのではない。
5名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 13:02:52 ID:/PrMKt/j
>>576 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:34:25 ID:/PrMKt/j

四神足のおおまかな説明は、
@欲求について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足++++欲神足法
A精進について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足++++勤神足法
B思索について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足++++心神足法
C観察について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足++++観神足法
これのどこがカルマを切る力なのですか。
桐山さんは、
「欲神足=物質界における、無碍自在の力を持つ
勤神足=業にたいする無碍自在の力を持つ」(『阿含仏教超能力の秘密』23頁)
などと、いかにも業を断ちきる力であるかのように書いているが、
阿含経の欲神足や勤神足の説明のどこを読んでも、このような説明はありません。
桐山さんの本では、まるで阿含経にもあるかのような書き方だが、
この説明は桐山さんが勝手に作り出したものであり、捏造です。
四神足のそれぞれにチャクラを配置するのも、桐山さんの捏造です。
阿含経にはチャクラやクンダリニーに相当する概念は出てきません。
当然、これらの開発や覚醒など説いていない。
6名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 13:06:13 ID:/PrMKt/j
>576 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:34:25 ID:/PrMKt/j

六通とは神足通、天眼通、天耳通、宿明通、漏尽通で、
これらの通力もカルマを断ちきるものはありません。
桐山さんは昔の本で、
「その煩悩を完全に消滅させてしまう智慧がこの漏尽通である。
すなわちこの智慧によって業が全く消え去り、
修行者はニルヴァーナに入るのである。」(『人間改造の原理と方法』157頁)
などと書いてしまった。
しかし、漏尽通には業はもちろんのこと、煩悩を切る神通力ですらない。
「漏尽通は、自己の煩悩が尽きたことを知る能力」(『岩波仏教辞典』847頁)
これが仏教での厳密な漏尽通の定義です。
ごらんのように、煩悩を切るとはないし、もちろんカルマを切るなどありえない。
さすがの桐山さんも、新しい本では、
「・・漏尽智は、”漏”すなわち煩悩を完全に滅したことを知る智慧であり、
これがもっとも重要である。」(『般若心経瞑想法』124頁)
と、普通の説に置き直している。
では、六通の中のどの神通力で業や煩悩を切るのですか。
桐山さんは言葉を濁して、はっきり述べていない。
阿含経を持ち出せば持ち出すほど、桐山さんの業解脱の説は成り立たないからです。
7名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 13:10:58 ID:/PrMKt/j
>576 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:34:25 ID:/PrMKt/j

釈尊の解脱が業解脱ではなく、煩悩を切ることであることは
桐山さん本人が『輪廻する葦』の259頁以降で説明している。
それが十結です。
十結を順次切っていくことで、聖者の階梯を進み、やがてアラハンになる。
しかし、十結とは十種類の「煩悩」のことであり、業ではない。
身見、疑惑、戒取などの十結のどこにも業を切る、カルマから脱出するなんてありません。
今では、シュダオンからアラハンまでなるのに阿含宗の冥徳供養や
練脳塾や守護神をもらうとなれるような話に置き換えられているが、
阿含経でのこれら聖者の階梯は十結という煩悩を切ることで得られるのです。
十結の説明を読んでも、アラハンに至るのに、
ただの一つもカルマを切るという項目がないことに、信者さんたちは驚きませんか。
しかし、これこそが釈尊が説いた解脱です。
8名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 13:15:14 ID:/PrMKt/j
>576 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:34:25 ID:/PrMKt/j

『21世紀は智慧の時代』p.231
「わたくしのいう法はそれではなく、仏教を信じ、実践し、
修行するところから生じる筆舌に尽くし難い不思議な力、“法力”をいいます。」

桐山さんは、神通力という超能力でカルマを断ちきるのが解脱、としている。
桐山さんは、独自の解釈として法を法力であると述べていますが、
残念ながら、仏教のどこを探しても、桐山さんのいう意味での法力なんて言葉ありません。
信者さんたちは、「釈尊の説く自力で煩悩を断ちきるという解脱」と、
「桐山さんの法力でカルマを断ちきる解脱」を比較した時、
ある事に気が付きませんか。
それは、桐山さんのこういう仏教解釈はとても子供じみている点です。
神通力、成仏力なんて仏教用語を並べられるから錯覚するが、
過去のカルマを全部帳消しにしてくれるというのです。
自分がなした悪事を反省する必要もなく、きれいに消してくれる。
現実に桐山さんはまさにそれをしている。
偽ビール一つにしても、彼は自分の悪事だとは認めていない。
今でも、先祖の上意討ちという悪業が原因で自分は前科を持ったと言っている。
直接的な悪業を作った自分ではなく、先祖だというのだから、
自分の責任を認めていないのです。
この責任を認めないという態度がとても子供じみている。
9名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 13:16:57 ID:/PrMKt/j
>576 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:34:25 ID:/PrMKt/j

桐山さんのカルマ解脱を真に受けて、もろに実行してみせたのが麻原彰晃です。
オウムでは、「カルマ落とし」と言って、桐山さんと同じで、カルマからの脱出を説いていた。
桐山さんのカルマ解脱の誤った概念を麻原もそのまま受け継ぎ、これを仏教だと信じた。
彼は最終解脱と称して、カルマを完全に断ち切ったから、
何をしても悪業にならない存在になったと宣言した。
食欲、性欲、権力を欲しいままにしても悪業にはならない。
なんせ、悪業を帳消しにする自在力を持っているのだから、何をしてもいい。
カルマを断ちきっていない俗人と違い、カルマを自在に操る人間だから、
人殺しも悪業にならない、というのです。
こんなふうに解説されると、信者さんたちは麻原の愚かさを笑うでしょう。
だが、桐山さんは人殺しこそしないが、麻原と同じことを主張し、実行している。
10名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 13:24:23 ID:/PrMKt/j
>576 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:34:25 ID:/PrMKt/j

カルマを断ちきるなんて主張はとても幼い人間のすることです。
自分がなした過去の悪業を認めたくなく、
また今している悪業も認めたくないから、これを帳消しにする力が欲しい。
映画みたいに超能力でパッと消してしまえる力が欲しい。
桐山さんは長年、美食を続け、糖尿病になり、脳梗塞を併発した。
発病していたにもかかわらず、彼は自分の美食という行いを正すのではなく、
美食はそのままにして、サプリメントを取ることで、ごまかそうとした。
桐山さんはいつもこのパターンで、自分を反省し変えるのではなく、
自分のワガママはそのままに、何か特別な力や方法で変えようとする。
自分のワガママをそのままやれる方法を桐山さんは仏教から探そうとした。
そして、一番このワガママを否定している阿含経から
ワガママができる方法を発見したと宣言した。
11名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 13:28:01 ID:/PrMKt/j
>576 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:34:25 ID:/PrMKt/j

桐山さんのしていることは、学校で0点を取った子供が、テスト用紙を焚き火で燃やしてなくし、
「あれは先祖の悪業から来る霊障で零点を取ったのだ」と言い訳をして、
真言を唱えて、百点仏陀に変身したツモリと変わりない。
自分で試験問題を作り、採点して、「百点取った!」と宣言している。
過去に取った0点は、焚き火をしようが、何をしようが決して消えないし、変わらない。
同様に、過去になしたカルマは焚き火をしようが神通力を得ようが消えないし、変わらない。
「過去に取った0点が100点になりますよ。
これからの出す成績表には満点が並ぶのです。
ほんの少々、供養してくれれば、ね」と耳打ちする者がいたら、
あなたはその人を笑い、嘘つきの詐欺師だと思うでしょう。
ところが、桐山さんが仏教用語で装飾して同じ事を言うと信じてしまう。
12名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 13:32:17 ID:/PrMKt/j
>576 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:34:25 ID:/PrMKt/j

「業を断ち切ることができないなんて、
では、横変死の因縁のある者は横変死すればいいのか」と信者さんたちは反発する。
これもまた桐山さんに洗脳されている証拠です。
横変死の因縁があるとどうしてわかるのですか。
桐山さん自身すら自分の因縁がわからないのですよ。
1987年に密教食事件で罰金刑の有罪になると、
>[432]フジウス 05/03/05 10:39 UoNeRkkgb2
「しかし内輪のミーティングでは相
当こたえていたようで、“まだ刑獄の因縁が残っていたんだな〜
”と本音をもらした。すごく弱気の管長だった。」
これが桐山さんの実際の姿です。
自分の因縁もわからないし、切ることもできない桐山さんが
どうして赤の他人である信者さんの因縁がわかり、切ることができるのだろう。
13名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 13:36:11 ID:/PrMKt/j
>576 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 12:34:25 ID:/PrMKt/j

信者さんたちは宗教ヤクザから因縁を付けられているにすぎない。
横変死の因縁とは、桐山さんが霊視したのではなく、「因縁を付けた」にすぎない。
阿含宗は因縁切りの宗教ではなく、因縁付けの宗教です。
桐山さんには誰が横変死するかわからないし、これを防ぐ方法もない。
信者さんたちは悪因縁という恐怖心を植え付けられ、
焚き火でナモナモして、「好運会」に入り、なんとか悪運を避け、
棚ボタを得ようと必死になっている。
釈尊はそういう恐怖や欲望を減らせと説いているのです。
信者さんたちは元々恐怖も欲望も持っているのに、
さらに阿含宗で霊障や悪因縁という恐怖と、
箱根で訓練して能力を獲得するとか、運が良くなるなど、できもしない欲を増やしている。
阿含宗の道を進めば進むほど、釈尊からは遠ざかります。
14名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 18:35:35 ID:0bhd62aC
四神足は脳に関する呼吸法です。
15名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 21:01:39 ID:0bhd62aC
四神足は、止息法で、例祭のお護摩。
魔法めいた呪文に大脳生理学が息づく。
16名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 23:49:53 ID:5ACTBXMA
>12、
フジウスが何といおうと、
刑獄の因縁がうすくなっていることは確かじゃねえかよ!
禁固刑から罰金へと、だんだん軽くなってきている。
ズバリ、すっぱり切ることが出来なかったということを
悩んでいたんだよ、愚か者!
お前のようなヘタレがいると真面目な修行者が迷惑するのだ。
やめた、お前は一生切れない、輪廻からも逃れられない。
なかなか切れないまでも努力しあきらめない奴は
最後には勝利する。
負け犬には勝利の美酒の味は永遠にわからない
ずっと地べたを這いずり回るだけ(笑)。
だから、まだ、このスレをつづけているのでしょう。
ジミズ氏にてこずっているくせに、なにが「桐山さん」だか
片腹いたいわ!(爆!
17樹意:2005/10/19(水) 01:21:02 ID:NZ+GXEc5
前スレ
>>558
> 如来は神通力の全く経験の無い二人が何故このように図々しさを発揮して、説法を中断させるのかが、

NRもといジミズのおじさん おかえりなさい、しっぽを巻いて逃げ出したのかと思ったが
そんな繊細な神経はどこを探してもない方でしたね。
この教団は神通力と解脱と宝生を売りにしますが、そんな個人崇拝のカルト依存などしなくても
仏陀の説く観察を実践するなら 実生活に役立つ現実の利益があることを書いてみましょう。
なお これは私が慢心して書くものではありません。
また 少し脱線気味になりますが ゲイカの説く宝生との兼ね合い 神通力との兼ね合いですから
ご勘弁してもらいたいと思います。
18樹意 2:2005/10/19(水) 01:25:14 ID:NZ+GXEc5
私は投資板の住人でもあります スレッドの名前は忘れましたが ほんの数ヶ月前に書いたものを
転載してみます。

42 樹意 2005/07/29(金) 11:43:21 ID:HWsSh7MU
11970 までなら来週あるだろう うまくすれば かするかもしれない
その次の週あたりはほぼ 達成すると思っている。
まあ 少しづつ あげるのではと思います 、
何事も急はよろしくありません 。
冷やしながら 加熱せず少しずつというのが理想です。
その後 離隔売りに押されて 100円程下がるのではというのが 私の所感です。

15000 はこのまま順調に推移したとして 来年の年末ごろに掠るぐらいになるのでは
と思います。

悪材料があったにも係わらず三井物産が軽く戻したように 中国の消費が減少しない限り
資源 商社関連はまだまだ伸びるものと思います。

63 樹意 2005/08/04(木) 10:57:17 ID:tDBc9var
なんやかんや 150も下げましたね、
少し買われすぎていましたから 当然といえば当然でしょうね。
個人的には 今が拾い場だと思います。
特に資源関連。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
19樹意 3:2005/10/19(水) 01:40:21 ID:NZ+GXEc5
なおこれは ゲイカのように両方書いて 当たった方だけ引用したものではありません
これを書いた時点は日経平均で12000割れ 7月から8月ですね
現在は13350 これを書いた時点より現在まで 商社資源関連は最大で5割の上昇 現時点で4割
前後の上昇という事です。
アメリカ 中国の消費がこのまま続けば 当然こうなるであろうと予測されたことです。
実に簡単な観察です。
車を使う方は、ここのところの値上がりで大変な目にあっているかと思いますが、経済を観察
するなら こういうヘッジが効くわけです。
なお私が人に勧めるのはリスクの少ない転換社債というものです。
カルトに老後のお金を持っていかれた方にはこういうやり方 預け方もあるわけです。
殆ど定期預金なみのリスクで最大数割の金利がつくものもあるわけです。
他にもありますが すれ違いなので割愛します。

20樹意 3:2005/10/19(水) 01:47:12 ID:NZ+GXEc5
現実世界をよく観察するなら 現実世界のリスクもある程度回避できるでしょうし
こういうヘッジが効くわけです。

ご利益など求めて個人崇拝する必要などまったくありません。
また仏陀本来の宗教は観察の宗教であり自分で気づけというのが 本筋
四念処観です。

21名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 06:21:21 ID:rIlCweLY
>16 ズバリ、すっぱり切ることが出来なかったということを

その時点で、俗人と何がちがうの?
22名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 06:48:47 ID:rIlCweLY
前スレより
>555-556 どういうわけか、サーバーの規制を受けて、しばらく出られませんでした。
私と同じケーブルテレビの人で、荒らしをやった人が居たみたいですね。
先を越されたようです。ふふふふ。


まずはわが身を振り返れ。

それから、同じこと2回も書くな。
23名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 10:05:38 ID:oZrIO+Z+
>21、
ぜんぜんちがうだろ。
俗人は業の認識がないし、因縁のまま
ただ流されるだけですね。
仕事にも支障がでて教団だって維持できたかどうか
しかし、密教食にしたって、法律が変って、
漢方薬としてしか認められないからダメという表示の
問題であり、製品そのものは良心的なものであって、
いまだに惜しむ愛用者も多い。
天地神明にたいしてはなんらやましいことはやっていなかった。
だから、信者は支持したし、教団も大きくなった。
切れなかったといっても表面的なもんですね。
偽ビールとはまったく質がちがう。
逆ですね、イカサマもんビールで捕まるのと
品質が良すぎて罰金払うのとではは天地雲泥の差
24名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 12:34:05 ID:jkRWf10s
>>6の修正

正 六通とは神足通、天眼通、天耳通、他心通、宿明通、漏尽通で、
誤 六通とは神足通、天眼通、天耳通、宿明通、漏尽通で、
25名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 12:36:29 ID:jkRWf10s
>>16 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 23:49:53 ID:5ACTBXMA
>フジウスが何といおうと、
>ジミズ氏にてこずっているくせに、なにが「桐山さん」だか

「桐山さん」と尊称を付けて書くことのどこが悪いのですか。
星祭さんも「フジウス」などと呼び捨てにしないで尊称くらい付けたらどうか。
関東で1980年代前半の布教活動時代に修行していたら、
フジウスさんを知らない人などいない。
よさんならフジウスさんが誰かすぐにわかったはずです。
ところが、星祭さんは誰なのかわからず、いきなり罵声を浴びせた。
あなたは昔から梵行に相当する修行など熱心したことがないからです。
だから、元信者であっても、立派な修行をした者への尊敬の態度がない。
あなたの基準は、桐山さんと同じで、味方か敵かの色分けしかない。
その単純な色分けこそ、あなたがこれまでどんな修行をしてきたをよく示している。
あなたの身の程知らずぶりは、相手構わず吠えまくるシツケの悪いヤクザ犬と同じです。
26名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 12:38:38 ID:jkRWf10s
>>16 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 23:49:53 ID:5ACTBXMA
>ジミズ氏にてこずっているくせに、なにが「桐山さん」だか
>片腹いたいわ!(爆!

信者でありながら、星祭さんは時には桐山と呼び捨てにした。
批判側が皮肉に桐山ゲイカと書くと、これを真似て桐山ゲイカと書く。
信者なら「桐山猊下」と書くべきではないかと意見されても、
ますます反発して桐山ゲイカと書き続ける。
道理も常識もなく、ただただ批判側が憎い、悔しいというだけ。
批判側から右と言われたら左、上と言われたら下という子供っぽいのが星祭さんです。
桐山さんと同じで、精神構造がとても幼い。
あなたの片腹につける薬はないから、しばらく痛いままでいたほうがいい。
27名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 12:42:19 ID:jkRWf10s
>>16 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 23:49:53 ID:5ACTBXMA
>ジミズ氏にてこずっているくせに、なにが「桐山さん」だか

ヂミズさんと桐山さんの密教食事件とどう関係しているのですか。
まるで脈絡のないものをあなたは持ち出す。
星祭さんはヂミズさんにてこずってはいないのですね。
ということは、ヂミズさんの意見に賛成なのだ。
あなたはヂミズさんを擁護などしないと書いていた。
だったら、信者としてはっきりとヂミズさんに反論してみればいいではないか。
あれほど阿含宗の教学と違うことを書かれても、あなたは知らぬふりです。
ヂミズさんが擁護側であることをいいことに、口を拭っているのはとても姑息です。
他の信者さんははっきりとヂミズさんに決別を宣言している。
にもかかわらず、あなたがこうやって2ちゃんねるに来て、
わざわざヂミズさんの名前を出す。
理由は簡単です。
ヂミズさんの名前を出し、私が反論すれば、うまくすればヂミズさんがまた
調子に乗ってここに大量コピペをしてスレを荒らしてくれる。
これがあなたの目的であり、ヂミズさんに反論しない理由です。
これを他人に気づかれないと思っているあなたの姑息さ、傲慢さは、
行歴三十年の阿含宗大先達としては模範的です。
28名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 12:46:47 ID:jkRWf10s
>>16 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 23:49:53 ID:5ACTBXMA
>フジウスが何といおうと、
>刑獄の因縁がうすくなっていることは確かじゃねえかよ!

星祭さんは阿含宗の教学すらも知らないのですね。
「これらの真正仏舎利到来と同時に、私の悪因縁が解脱したことを自覚した。」
(修行者座右宝鑑、85頁)
とあり、この時の真正仏舎利としては、1979年に須田家からもらった仏舎利、
1983年ダライラマからもらった仏舎利、1986年のスリランカからもらった仏舎利だとしている。
つまり、桐山さんは1979年には悪因縁が解脱したと自覚したのです。
悪因縁が薄らいだ、ではなく、「悪因縁が解脱した」というのだから、完全にキレタ。
あなたも因縁切りと因縁解脱は違うとわざわざ書いていた。
桐山さんは因縁切りに成功したのではなく、因縁解脱したと書いている。
お釈迦の成仏法による完璧な霊視能力があるのだから、
完全にキレタかどうかくらいわかったはずです。
29名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 12:53:13 ID:jkRWf10s
>>16 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 23:49:53 ID:5ACTBXMA
>刑獄の因縁がうすくなっていることは確かじゃねえかよ!

『一九九九年カルマと霊障からの脱出』1981年、139頁
「わたくしが完成した因縁解脱成仏法は、準胝尊因縁解脱千座行と申します。
わたくしはこの法で、自分の因縁を切りました。」

この本が出た1981年には因縁がうすくなっていたのではなく、すでに切っていた。
ところが、桐山さんの密教食で罰金刑の有罪判決を受けたのは1987年。
仏舎利をもらい、「悪因縁が解脱した」「自分の因縁を切りました」後です。
薬事法違反で警察に事情聴取を受け、簡易裁判所で判決として罰金刑を受けたのです。
素人の信者がだんだん刑罰が薄くなりましたというのならともかく、
因縁切りの大将であり、因縁を透視する力と、予知能力を持つはずの桐山さんが
もろに裁判に訴えられ、罰金刑をくらったのです。
阿含宗では誰がどうみても刑獄の因縁そのものです。
「残っていたんだなあ〜」で済む話ではない。
刑獄の因縁は霊障から来る三大悪因縁の一つですよ。
どうして星祭さんはそうやって、桐山さんのこととなると点数が甘いのですか。
他人には口を極めて罵るのに、桐山さんのこととなると、
もう何をどうやっても結構でございます、になる。
その豹変ぶりに、たまには自分に疑問を持つ知性が残っていないのか。
30名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 12:55:26 ID:jkRWf10s
>>16 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 23:49:53 ID:5ACTBXMA
>なかなか切れないまでも努力しあきらめない奴は
>最後には勝利する。

刑獄の因縁なんてあるのかないのか、桐山さん以外誰もわからない。
星祭さんは成り立たない事例をどう出されようが、悪因縁はある、と決めている。
桐山さんの因縁など成り立たないのは刑獄の因縁の例だけではない。
桐山さんは自分に脳障害の因縁はないと機関紙に書いた。
「これは、私に脳の因縁、つまり脳溢血の素因がなく、
胃癌の素因があるためである。」 (大白身、4号、昭和44年、44頁)
その桐山さんが、因縁の完全解脱を果たした後の1996年に
脳梗塞になり、脳障害の因縁を丸出しにした。
最後に勝利するどころか、現実は最後にコケタ。
31名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:03:06 ID:jkRWf10s
>>16 :名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 23:49:53 ID:5ACTBXMA
>なかなか切れないまでも努力しあきらめない奴は
>最後には勝利する。

桐山さん本人だけでなく、夫人はガンで亡くなった。
最初にガンを発症した段階ですら、千座行時代から
勤行、梵行と在家としては最高の修行をして徳を積んだはずです。
それから二十年近く、真正仏舎利と応供の如来に徳を積み、因縁切りに精進して、
阿含宗副管長、光和食品社長、平河出版社社長と
信者を魂、肉体、精神のすべての面で指導的立場で引っ張ってきた。
その夫人が76歳という平均寿命にすら至らず、ガンというありふれた病気で亡くなった。
ガンの因縁は三大悪因縁ですらない。
在家で最高の修行をしてきた人が、こんな程度の因縁すら切れなかったばかりか、
これで命を落としたのに、あなたの頭の中では、
>最後には勝利する。
夫人の遺体のそばで「必ず勝つ!」と叫ぶ星祭さんの姿を想像してしまいました。
桐山さんも星祭さんも本当に現実を見ないで済む性格なのですね。
32名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:08:00 ID:jkRWf10s
>>23 :名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 10:05:38 ID:oZrIO+Z+
>しかし、密教食にしたって、法律が変って、
>漢方薬としてしか認められないからダメという表示の
>問題であり、製品そのものは良心的なものであって、
>いまだに惜しむ愛用者も多い。

未だに惜しむとは何をどう惜しむのですか。
何かすごく立派なものを作っていたかのような書き方ですね。
桐山さんは中身が間違っていたなんて言っていない。
レイシをブクリョウなどと書いたから問題だったと言っているのであって、
成分が間違えたなどと言ってない。
これは桐山さんが法話で言い訳をした時の口まねですよね。
桐山さんの言い訳をそのままあなたは記憶して、中身も考えずに書いた。
いかにも、多くの人が惜しんでいるかのような口ぶりだったが、
桐山さんの言っていることはおかしいのです。
表示だけが問題なら、中身を変える必要などない。
変えていないなら、惜しむ人などいない。
聞いていたのに、星祭さんはこんな程度の矛盾すら感じなかった。
星祭さんは桐山さんの言葉をまったく吟味することもなく、
ひたすら頭から浴びて、ガブガブと飲み込み、それをそのまま吐き出してみせる。
33名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:09:51 ID:jkRWf10s
>>23 :名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 10:05:38 ID:oZrIO+Z+
>天地神明にたいしてはなんらやましいことはやっていなかった。

法律に違反していながら、やましいことはやっていなかった???
薬事法という法律に違反したのですよ。
裁判ではっきりと20万円の罰金刑に処せられた。
有罪なのです。
星祭さんのこの発想は、宗教的に許されれば何をしてもいいという、オウムに通じます。
教祖と信仰を擁護するためなら、法律や社会常識すらもゆがめてもなんともないのですね。
34名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:14:01 ID:jkRWf10s
>>23 :名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 10:05:38 ID:oZrIO+Z+
>品質が良すぎて罰金払うのとではは天地雲泥の差

どうして星祭さんはこういう嘘を書くのだ?
品質が良すぎて罰金を払ったのではなく、薬事法違反だから罰金を払ったのです。
当時の信者すら、この件は舌打ちをしていた。
ところが、あなたの場合は、まるで違い、
品質が良すぎて罰金を払ったと頭の中では現実を書き換えている。
オウム信者と同じで、教祖の高い次元の行為が殺人と誤解されたという解釈と同根です。
こうやって矛盾だらけの桐山さんを自分に納得させているのですよね?
あなたの精神構造をよく示している。
35名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:17:17 ID:OruWXsw1
>>23 :名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 10:05:38 ID:oZrIO+Z+
>品質が良すぎて罰金払うのとではは天地雲泥の差

法律に違反しておきながら、表示の問題だから問題なしなどというのは開き直りです。
そんな話が通用するなら、裁判官に堂々と言えばよかったのではないか。
判決が不服なら、上告すればいい。
法治国家では法律を知らなかったでは済まない。
短期滞在の外国人ですら、日本の法律を知らなかったでは許されません。
ましてや、光和食品は食品メーカーであり、素人ではない。
1971年設立で、桐山さんと一緒に罰金刑を受けたF津さんも
早い時期にボイラーマンから光和に加わっていた。
15年近くも専門にやっていて、法律が改正されたことを知りませんでしたで済むと思うか。
こういうことを平気で書く星祭さんはどういう職業なのだ?
ヤクザでもない限り、普通の職業ではみんな法律を守って、
違反しないことで社会的な信用を得るのです。
36名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:22:55 ID:OruWXsw1
>>23 :名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 10:05:38 ID:oZrIO+Z+
>品質が良すぎて罰金払うのとではは天地雲泥の差

桐山さんは普通の人にはない高度の智慧があるという。
事物の明快な認識力と、予知力です。
占星術で選ばれた信者に毎月の運勢を示すという。
他人に示せるほどの能力があるなら、どうして自分の運勢がわからないのだ?
光和に法律をちゃんと調べるように指示して、
刑獄の因縁が吹き出るのを未然に防いでこそ、普通の人にはない能力といえるのであって、
「忘れていた」というなら、普通どころか、普通以下です。
起きてからの言い訳なら誰でもできる。
こういう桐山さんのどこが超人?
現実世界になると、桐山さんは何一つ超人的能力なんか発揮できない。
霊視だの、御霊示だのと、見えない世界、妄想の世界での超人にすぎない。
星祭さんのように信じ切っている信者には超人に見えるのだろうが、
現実の桐山さんは密教食事件を見てもわかるように、
みじめな言い訳を並べるだけで、超人的能力などありません。
37名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:25:19 ID:OruWXsw1
>>23 :名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 10:05:38 ID:oZrIO+Z+
>俗人は業の認識がないし、因縁のまま
>ただ流されるだけですね。

ほら、また「因縁のまま」と始まった。
阿含宗の因縁なんて、桐山さんの事例を見れば成り立たない。
桐山さんには因縁を透視する力も、切る力もない。
阿含宗のいう因縁は成り立たないし、ありません。
阿含宗の因縁など迷信にすぎない。
ところが、これだけ桐山さんの言っていることが外れても、
星祭さんには「因縁はある」という大前提が消えない。
まるで太陽が東から昇るというくらいに、星祭さんには「因縁はある」のです。
三十年も因縁の漬け物になって、一心同体になっているから、
因縁なしでは何一つ考えられないのです。
38名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:27:01 ID:OruWXsw1
>>23 :名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 10:05:38 ID:oZrIO+Z+
>俗人は業の認識がないし、因縁のまま

「因縁のまま」というのは桐山さんの口まねです。
さも自分たちは業や因縁を理解し、認識している高度な人間であり、
一方、阿含宗の悪因縁を信じない俗人は愚かだという前提で書いている。
桐山さんも自分の因縁論を信じない世俗の人たちを侮蔑心も露わに、犬猫レベルだと罵る。
星祭さんの「俗人」という言葉の中に、自分は俗人ではなく、
聖なる道を歩いているという驕りが出ていることに、着目してください。
俗人たちを仏法を知らない愚かな人たちと桐山さんも星祭さんも軽蔑しているが、
知らないのはお二人のほうです。
釈尊は因縁解脱など説いた事はありません。
釈尊のいう解脱とは煩悩を断ちきることであって、業を切るなんて説いていない。
阿含宗の因縁論は仏教ではなく、外道の教えです。
これが釈尊が説いた仏教だと信じている桐山さんや星祭さんこそ愚かなのであって、
世俗の人たちはこのような間違った信仰を持たない分、釈尊の教法に近い。
俗人を無理解な愚か者と侮蔑する前に、己の姿を鏡で見たほうがいい。
39名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:31:47 ID:OruWXsw1
>>23 :名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 10:05:38 ID:oZrIO+Z+
>俗人は業の認識がないし、因縁のまま

信者さんたちも、よく星祭さんを見てほしい。
阿含宗の因縁は仏教の因縁とは意味が違うといくら指摘されても、
因縁切りの大将である桐山さんが因縁切りも因縁霊視も成り立たないことを示しても、
星祭さんには何の効果もない。
因縁、因縁と、まるで念仏のように唱え続けている。
知性でとらえているのではなく、世の中を見るのに
因縁という物差し以外では見られないほどに自己洗脳しているのです。
阿含宗の先達にはこういう人が多い。
何か事件が起きれば「それは因縁だ」、相談事にも「あなたの因縁が」と
なんでもかんでも因縁因縁と結びつける。
根拠があって、桐山さんが実証しているならまだしも、
子供が見ても崩壊している因縁論を根拠にして、
社会常識を求められる中年が、二言目には因縁、因縁とブツブツとつぶやく。
これが阿含宗で三十年以上も修行してきた結果です。
信者さんたちはこんなふうに迷信で頭を固めてしまいたいのですか。
40Never Returner:2005/10/20(木) 00:04:46 ID:2ddliz/K
別にここを荒らしたってかまわぬよ。
7氏と樹意が意味の無いこと書いてるんだから。
七氏はホントニ阿呆や。
桐山の因縁解脱は、阿含経における煩悩解脱である。
この二つを結びつける線は、運命である。
馬鹿だから、七氏は単純な推理も出来ない。


それより、漏尽通の定義は、
未だ、阿含経の矛盾を解決しないのですね。
いったいどうして、分らないのですか?
あんたらの学者追従のアホ定義のおかげで、阿含経が矛盾するんです。
樹意は、その議論から逃げ、自分が分らないことを突きつけられしまった
弱みをいじられたくないのかな?
分らないことは分らないとはっきり言えば良いよ。
そうすれば気持ちが楽になるからネエ。ふふふふふ。
あんたは自尊心の強い人間で、そういうことが出来ぬ阿呆やね。
皆が目撃して知ってしまいました。
わたしは、そこをいつまでも突く。
このことで、あんたらが阿含宗を批判する能力が無いことが、証明されてるんだ。
いつまでも、この掲示板にぶら下げてたら面白いのです。
ふふふ。
41Never Returner:2005/10/20(木) 00:07:59 ID:2ddliz/K
釈迦牟尼が、「解脱すれば解脱したという自覚が生じ、
もはや、迷いの生を繰り返すことは無いという確信が・・・」と説法を成されていたとき、
樹意と七氏が立ち上がり、「しかしながら如来よ、本当に解脱したと言う確信が生まれるためには、
漏尽通を発揮して、煩悩がほんとに無くなったことを観察しなければ、なりません」
如来は神通力の全く経験の無い二人が何故このように図々しさを発揮して、説法を中断させるのかが、
良く理解できなかったが、彼らの誤解を解くために、ある仮定を述べられた。
「それでは、樹意と七氏よ、お前たちがそれを確かめようとしたとしよう。
果たして実際に、確かめられるかどうか考えてみよ。
煩悩が完全に消えた場合は、確かに分るであろう。しかしその場合、修行者は既に解脱しており、煩悩の消滅を感じているのであるから、煩悩の消滅を感じた者にとって、更に心の奥深く分け入って、
煩悩の消滅を感じとる作業が必要であろうか?そして、お前たちの漏尽通定義では、煩悩が少しでも残っていれば確認できないものだ。
煩悩がいまだあることを確認する能力は、漏尽通とは呼ばないと言うのが、お前たちの不思議な定義なのだろう?
確かめると言うが、確かめられない人が続出するのでは人には勧められない方法だな?」
如来は、樹意と七氏を哀れんでさらに続けた。「無いことが否定されたときには、在るであろう。在ることが否定されれば、無いであろう。それなのに、なぜそのように、
煩悩の非存在に限って漏尽通と言う言葉を規定してしまったのであろうか?私はそんな愚かな漏尽通定義をしたことはなく、そんな馬鹿なことを誰にも相談しなかったことも問題だし、
あるいは誰も止めようとしなかったことも問題であろう。」
42Never Returner:2005/10/20(木) 00:09:23 ID:2ddliz/K
釈迦牟尼が、「解脱すれば解脱したという自覚が生じ、
もはや、迷いの生を繰り返すことは無いという確信が・・・」と説法を成されていたとき、
樹意と七氏が立ち上がり、「しかしながら如来よ、本当に解脱したと言う確信が生まれるためには、
漏尽通を発揮して、煩悩がほんとに無くなったことを観察しなければ、なりません」
如来は神通力の全く経験の無い二人が何故このように図々しさを発揮して、説法を中断させるのかが、
良く理解できなかったが、彼らの誤解を解くために、ある仮定を述べられた。
「それでは、樹意と七氏よ、お前たちがそれを確かめようとしたとしよう。
果たして実際に、確かめられるかどうか考えてみよ。
煩悩が完全に消えた場合は、確かに分るであろう。しかしその場合、修行者は既に解脱しており、煩悩の消滅を感じているのであるから、煩悩の消滅を感じた者にとって、更に心の奥深く分け入って、
煩悩の消滅を感じとる作業が必要であろうか?そして、お前たちの漏尽通定義では、煩悩が少しでも残っていれば確認できないものだ。
煩悩がいまだあることを確認する能力は、漏尽通とは呼ばないと言うのが、お前たちの不思議な定義なのだろう?
確かめると言うが、確かめられない人が続出するのでは人には勧められない方法だな?」
如来は、樹意と七氏を哀れんでさらに続けた。「無いことが否定されたときには、在るであろう。在ることが否定されれば、無いであろう。それなのに、なぜそのように、
煩悩の非存在に限って漏尽通と言う言葉を規定してしまったのであろうか?私はそんな愚かな漏尽通定義をしたことはなく、そんな馬鹿なことを誰にも相談しなかったことも問題だし、
あるいは誰も止めようとしなかったことも問題であろう。」
43Never Returner:2005/10/20(木) 00:11:14 ID:2ddliz/K
これを解決できないお舞らは、糞野郎だ!
釈迦牟尼に逆らい続けておる、夜盗である。
44Never Returner:2005/10/20(木) 00:39:02 ID:2ddliz/K
釈迦牟尼が、「解脱すれば解脱したという自覚が生じ、
もはや、迷いの生を繰り返すことは無いという確信が・・・」と説法を成されていたとき、
樹意と七氏が立ち上がり、「しかしながら如来よ、本当に解脱したと言う確信が生まれるためには、
漏尽通を発揮して、煩悩がほんとに無くなったことを観察しなければ、なりません」
如来は神通力の全く経験の無い二人が何故このように図々しさを発揮して、説法を中断させるのかが、
良く理解できなかったが、彼らの誤解を解くために、ある仮定を述べられた。
「それでは、樹意と七氏よ、お前たちがそれを確かめようとしたとしよう。
果たして実際に、確かめられるかどうか考えてみよ。
煩悩が完全に消えた場合は、確かに分るであろう。しかしその場合、修行者は既に解脱しており、煩悩の消滅を感じているのであるから、煩悩の消滅を感じた者にとって、更に心の奥深く分け入って、
煩悩の消滅を感じとる作業が必要であろうか?そして、お前たちの漏尽通定義では、煩悩が少しでも残っていれば確認できないものだ。
煩悩がいまだあることを確認する能力は、漏尽通とは呼ばないと言うのが、お前たちの不思議な定義なのだろう?
確かめると言うが、確かめられない人が続出するのでは人には勧められない方法だな?」
如来は、樹意と七氏を哀れんでさらに続けた。「無いことが否定されたときには、在るであろう。在ることが否定されれば、無いであろう。それなのに、なぜそのように、
煩悩の非存在に限って漏尽通と言う言葉を規定してしまったのであろうか?私はそんな愚かな漏尽通定義をしたことはなく、そんな馬鹿なことを誰にも相談しなかったことも問題だし、
あるいは誰も止めようとしなかったことも問題であろう。」
45名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 01:34:22 ID:Tn7rNa0h
>43 これを解決できないお舞らは、糞野郎だ!
   釈迦牟尼に逆らい続けておる、夜盗である。

またまた「オバカ宣言」だ。

おまえが「お舞ら」と指差している方向には、批判派のみならず
擁護派も、サギ山さえもいるというのに。

学者の定義を否定するなら、サギ山・アゴン臭の定義も否定している。

それを指差して「糞野郎」「夜盗」と罵るのか。

アゴン臭&擁護派さえも敵に回しているではないか。

これぞ「オバカ宣言」

そうそう、おまえは、だからね、真性の馬鹿だっていってるの。

馬鹿の正統を引き継いでいるのは、おまえだ。


NRに贈る言葉
   ↓

これを解決できないNRは、糞野郎だ!
釈迦牟尼に逆らい続けておる、夜盗である。

46名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 01:48:10 ID:Tn7rNa0h
前スレより
>555-556 どういうわけか、サーバーの規制を受けて、しばらく出られませんでした。
私と同じケーブルテレビの人で、荒らしをやった人が居たみたいですね。
先を越されたようです。ふふふふ。

おまえは40で「別にここを荒らしたってかまわぬよ。
7氏と樹意が意味の無いこと書いてるんだから。」

と書いているけれど、もともと、前スレの555-556で
「先を越されたようです。ふふふふ。」と他人のアラシ行為
に対しても寛容な態度を見せているね。

ということは、おまえはそもそも、アラシ行為が
モラルに反する行為だということを知っているのか?

おまえは、このスレに限らず、アラシ行為そのものを
肯定しているのではなかろうな?

アゴン臭をずっと信奉していると、そういう「社会常識」や
「良識」のようなものが磨耗してしまうのだろうな。

それこそカルトの証左なんだよ。危険なんだよ。
だから、オウムと同じだと批判されるんだよ。

みなさん、アゴン臭に入るとこうなってしまうということですよ。
絶対に、近づいたり、入会したりしてはいけません。

47名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 01:57:26 ID:Tn7rNa0h
>40 別にここを荒らしたってかまわぬよ。
   7氏と樹意が意味の無いこと書いてるんだから。

この書き込み自体が、アゴン臭の危険性を証明している。
アゴン臭を守るためなら、モラルも社会常識も良識さえも
かなぐり捨てる。

大事件を起こした時のオウムと同じ考えだ。

よって、アゴン臭は、立派なカルトです。

カルト中のカルト。オウムの母体でもある。

前スレでは、組織的なアラシ行為も仕掛けてきました。

絶対に、このような団体に関わってはなりません。


48名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 12:39:37 ID:Taf8qIJ2
阿含宗と桐山氏について―第十六章―全人類共通の先祖 『アダム』 ―から転載

[35]中沼源太郎 05/10/20 03:54 WdIub.7xk7
これは正確ではないから、あくまで“わたしが聞いた話しで
うるおぼえの記憶”という、前提で聞いてもらいたい。
もうすでに亡くなった、桐山さんの奥さんの話しだと思うが
“管長のおじいさんのお話しは何かの小説といくつかの事実を
 デフォルメして書いた”
というものだ。たしかに趣旨としては、そういう話しであった。
18人の武士の話しは、系図もなければ、たしかなことでは
ないかもしれない。
年代を経て、書いてゆくうちに、話しに広がりが出てきた。
管長の祖父が、剣術の達者な人であったというのは本当のようで
ある。管長自身が剣道が得意で、柔道などもよくやったという
のも本当のようである。
わたしの知り合いであった人で、すでに物故されたのだが、
海軍の軍医だった方がいた。昭和天皇陛下の執刀医だった人が
親友だったりして、バリバリ右寄りの人だった。この人の祖父が
天狗党の一員であったという。群馬でケガをして隊を離れ、その
後に天狗党は壊滅した。しかし怪我の功名で生き残ったという。
後で群馬の史実研究者にあったら、生き残った〇〇〇〇の子孫の
方ですかと、感激されたという。この方は管長と同い年。管長の祖父が武士である可能性はある。

[39]中沼源太郎 05/10/20 07:41 WdIubMOrAN

>35の《補足》
18人の武士については、信憑性はない。また、桐山靖雄 さん
のお祖父さんが、どこかの藩の指南役というのも、あやしいと
いうのが、わたしの結論です。ただし、幕末に武士のような者で
あったかもしれません。
49名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 12:41:41 ID:Taf8qIJ2
>>48 :名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 12:39:37 ID:Taf8qIJ2
>[35]中沼源太郎 05/10/20 03:54 WdIub.7xk7
>もうすでに亡くなった、桐山さんの奥さんの話しだと思うが
>“管長のおじいさんのお話しは何かの小説といくつかの事実を
>デフォルメして書いた”

すごい話がまた出てきました。
桐山さんのお祖父さんが上意討ちで武士を斬り殺したため、
殺された18人の霊障武士全員が桐山家に崇り、桐山さんの刑獄の因縁を作ったというのが、
阿含宗の霊障と因縁の基本教学の一つです。
ところが、このスレの1から指摘され続けたように、
信州の幕末には上意討ちなど歴史に存在しない。
信州の各藩主は日和見であったというのが、歴史家たちの見方です。
擁護側は、藩主が隠したとか、歴史に残るとは限らないと反論していた。
しかし、上意討ちとは今でいう死刑であり、公務であり藩主は隠す必要はない。
明治になって形勢が逆転して、倒幕派が政権をとったのだから、
殺された倒幕派は革命の英雄であり、明治政府によって名誉回復がなされた。
隠すどころか、遺族にしてみれば、語り継ぐべき内容です。
だが、現実の信州には、そんな話は伝承としてすら伝わっていない。
50名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 12:44:13 ID:Taf8qIJ2
>[35]中沼源太郎 05/10/20 03:54 WdIub.7xk7
>“管長のおじいさんのお話しは何かの小説といくつかの事実を
>デフォルメして書いた”

明治維新とは桐山さんが本に書いた1980年から見てもわずか百数十年前のことであり、
当事者(お祖父さん)の子供(桐山さんの母親)がまだ生きていた。
歴史家たちにとって好材料であり、幕末の動乱については、
たとえば信州各藩で何人死んだかなど、詳しく記録が残っている。
18人も殺され、しかも、桐山さんのお祖父さんともう一人を残して、
全員が仇討ちされたというなら、二十〜三十人殺されたことになる。
その遺族や一族は少なくともこれの数倍であり、語り継がないはずはない。
信州の小さい藩の中でこれだけの殺し合いがあったら、記録に残らないはずはない。
遺族は慰霊碑を建て、歴史家が本に書き、小説家が題材にして、
地元の商工会などは毎年のイベントに使うでしょう。
しかし、そんな話は皆無です。
51名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 12:46:40 ID:Taf8qIJ2
>[35]中沼源太郎 05/10/20 03:54 WdIub.7xk7
>“管長のおじいさんのお話しは何かの小説といくつかの事実を
>デフォルメして書いた”

桐山さんのお祖父さんの上意討ちの話は作り話だろうというのが
これまでの批判側の指摘であり、信者側は具体的な歴史資料を何一つ示せずにいる。
そこに、今回、桐山夫人から聞いた話として、
桐山さん本人が小説として作り上げたものだという証言が出てきた。
これは二重の意味で大きな問題を含んでいる。
一つは、もちろん、霊障教学の基本である上意討ちなど作り話だということ、
二つ目は、どうやら桐山さんは百も承知で話を作ったらしいという点です。
そして、二つ目はなかなかのショックです。
なぜなら、これまでは上意討ちの件は、お祖父さんの作り話を桐山さんが真に受け、
妄想癖のある求聞持脳では、あたかも現実であるかのように錯覚したのだという説がなりたった。
これは、一種の「病気説」です。
桐山さんは病的な妄想癖があり、空想しているうちに事実であるかのように錯覚して、
ついには、本当に見えるようになるという説です。
ところが、今回の証言からはこれが違うらしいことがわかった。
52名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 12:49:16 ID:Taf8qIJ2
>[35]中沼源太郎 05/10/20 03:54 WdIub.7xk7
>“管長のおじいさんのお話しは何かの小説といくつかの事実を
>デフォルメして書いた”

『修行者座右宝鑑』73頁
「血みどろの若い武士数人が、すさまじい怨念の目を私に向けている姿を、
ありありと見たのである。」

上意討ちがないことを百も承知でこのような話を作り上げたとすれば、
桐山さんは妄想癖という脳の病気ではなく、虚言癖という心の病だということです。
妄想癖という病気ならば、犯罪性は低くなる。
本人は見たり聞いたりしているのですから、これは病気です。
しかし、嘘だと百も承知で作り上げたとすれば、桐山さんは嘘つきであり、犯罪行為です。
あらためて桐山さんの心をかいま見たようで、ゾッとしました。
妄想癖も虚言癖もどちらも困った話だが、
妄想癖なら、気の毒な病気と同情できるから、まだよい。
虚言癖となれば、一種の確信犯です。
53名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 12:57:08 ID:Taf8qIJ2
>[35]中沼源太郎 05/10/20 03:54 WdIub.7xk7
>“管長のおじいさんのお話しは何かの小説といくつかの事実を
>デフォルメして書いた”

嘘だと百も承知で法話で語り、本に書き、
釈尊まで引きずり出して、宗教を作り上げてきた。
星祭さんなどは上意討ちの件を事例の一つにすぎないと矮小化していたが、
阿含宗の根本教学であり、桐山さんが宗教を構築する土台となった事件です。
これなくしては阿含宗の霊障も悪因縁も成り立たない。
霊障武士こそは、霊障教学の基本中の基本です。
霊障によって三大悪因縁は生じ、人々は運命を狂わされ、
無実の文学青年は刑務所に入れられ、大地震やテロが発生する。
ところが、悪因縁や大地震、大災害の大元とされる「霊障の元」の話が
桐山さんの完璧な作り話であったとなれば、阿含宗は根本から崩壊する。
信者さんたちが出している解脱供養、冥徳供養も、
広島やパレスチナ、アウシュビッツでの護摩もまったく無意味だということになる。
これらはすべて霊障武士から始まっているのです。
霊障武士が桐山さんの小説なら、信者さんたちは小説のために高い金を払っていることになる。
アニメの主人公を真似てコスプレを楽しむ若者たちと何が違うのですか。
彼らはアニメの主人公を実在だとは信じていない。
ところが、信者さんたちは小説を事実だと信じて、
いい年こいたオジサンやオバサンが霊障コスプレをしている。
54名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 13:00:04 ID:Taf8qIJ2
>[35]中沼源太郎 05/10/20 03:54 WdIub.7xk7
>“管長のおじいさんのお話しは何かの小説といくつかの事実を
>デフォルメして書いた”

桐山夫人の話では、桐山さんは小説と事実を組み合わせたものだという。
ザでユビキタスさんがその元ネタを紹介しています。
信州の幕末であった武士同士の斬り合いで有名なのは赤報隊と水戸の天狗党です。
前に、信者さんたちにぜひ信州だけでなく、幕末について調べてほしい、
なぜなら桐山さんの上意討ちの元ネタがなんであるかわかるから、と書いた。
批判側から説明されると反発するばかりだろうから、自分で調べるのが一番だからです。
私は、桐山さんの霊障武士の話は主に天狗党をネタにしたのだと思っています。
55名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 13:05:12 ID:Taf8qIJ2
>[35]中沼源太郎 05/10/20 03:54 WdIub.7xk7
>“管長のおじいさんのお話しは何かの小説といくつかの事実を
>デフォルメして書いた”

天狗党は、水戸藩で幕末に尊皇攘夷を叫んで挙兵し、天皇に会うために京都に向かった。
その途中で、信州を通りかかり、命令を受けた信州諸藩の武士と戦いになったが、
死を覚悟して、実戦も摘んだ天狗党の圧勝だった。
しかし、天狗党は投降した後、屈辱的な状態でイワシ小屋に閉じこめられ、
約800名のうち350名が斬首、さらに水戸に残っていた家族が、
老女や子供まで処刑されるという残忍、悲惨なものだった。
殺された者の子孫が今度は仇討ちをして、恐れられた。
これが天狗党の概要で、信州を通りかかった点を見ても、
桐山さんのお祖父さんはこの話を聞いて知っていたのでしょう。
倒幕に立ち上がり、逆に上意討ちで無念な殺され方をして、
今度は遺族が仇討ちをするという話のパターンがそっくり同じです。
56名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 13:09:48 ID:Taf8qIJ2
>[35]中沼源太郎 05/10/20 03:54 WdIub.7xk7
>管長の祖父が、剣術の達者な人であったというのは本当のようで

このスレでも何度か意見がでたが、これは違うかもしれません。
というのは、桐山さんの祖父が剣術の達人だったという根拠は何もない。
本人が千葉周作の門下だったとか、藩で二番目の腕だったと言ったという話があるだけで、
実際にこれを確認した人も、彼の腕前を見た人もいません。
桐山さんの祖父は「流れ者」だった。
桐山家に突然現れて、そこに婿養子として入っただけで、
彼の前歴は誰も確認していないし、知らなかったのです。
ただ、彼の立ち振る舞いから武士であろうこと、
またかなりビクビクしており、追われているのは事実だったのでしょう。
しかし、どのような階級の武士なのか、またなぜ追われていたかはわからない。
上意討ちの件はまったくの嘘だったのだから、
追われていたのなら、何か犯罪をして逃げてきた。
藩のある実家には戻れないような、
しかも追われるような何かをしでかして逃げて来たのでしょう。
57名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 13:13:46 ID:Taf8qIJ2
>[35]中沼源太郎 05/10/20 03:54 WdIub.7xk7
>管長の祖父が、剣術の達者な人であったというのは本当のようで

桐山さんの祖父はその腕前を見せたこともない。
桐山さんが書いているのは、明治になってから捕り者をしたという話です。
しかし、戦って相手を負かしたのではなく、
「刀を警官に預けて」、十手を借りて「神妙に」と言って投降させたという内容です。
何度か指摘されたが、武士が魂を他人に預けるなどありえない。
剣を抜くつもりがないなら、カバーを掛けるとか、ヒモで縛るなどすれば、
相手も武士ならすぐにわかるはずです。
相手は死ぬ覚悟をして、かなりの剣術使いで、まともに戦ったら負けるから、
丸腰ならいくらなんでも斬りかかって来ないだろうと、賭けに出たのでしょう。
桐山さんのお祖父さんらしく、ハッタリが得意だった。
こんな祖父が腕のよい剣術つかいだったとはとても思えない。
刀を預けたというこの一点だけでも、本当に武士であったかどうかすら怪しくなります。
58名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 13:19:54 ID:Taf8qIJ2
>[35]中沼源太郎 05/10/20 03:54 WdIub.7xk7
>もうすでに亡くなった、桐山さんの奥さんの話しだと思うが
>“管長のおじいさんのお話しは何かの小説といくつかの事実を
>デフォルメして書いた”

信者さんたちは源太郎さんの証言を軽くみないでほしい。
夫人すらもあれが作り話、小説だと言ったというのですよ。
上意討ちなど信州の歴史書にもなく、地元の人たちも知らない。
祖父が上意討ちを話したとすれば、祖父もまたオオボラ吹き。
孫である桐山さんも、血みどろの武士を霊視して、これを成仏させたなんて小説を書いた。
桐山さんの話も本もこんなふうに、事実を元にした小説にすぎない。
信者さんたちは小説の霊障を信じているのです。
霊障のもう一つの根拠としているソンディの話も真っ赤な嘘。
阿含宗の霊障とは桐山型、ソンディ型で出来ているのです。
その二つともに根拠がないばかりか、身内から作り話であるという証言まで出てきた。
源太郎さんの証言一つなら、彼の聞き間違いととることもできる。
だが、桐山さんの数多くの嘘を見れば、
むしろ、はめ絵パズルのパーツがまた一つピタッと入ったようなものです。
信者さんたちはまだこれでも、焚き火で霊障のホトケを成仏させられると信じて、
霊障コスプレを続けるつもりですか。
59名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 14:10:35 ID:qrfs3CCD
軽く見てないよ。
本に面白く載せる、多少のデフォルメ当たり前だろ!
しかもうろ覚えだった記憶だから、確かな
嘘だっていう話とは違う。
なら、どこがどう嘘なのだ?祖父が逃げるとき、
忍者のように掘りに潜って逃げたというのが、ただ溝川を走った
だけの事かもしれないがな(笑)。
斬り殺したというのも即死ではなく重傷を負わせたとか・・・。
だいたい、この話は法話でもしている。おおよその、あらすじ
はいつも同じであるから、嘘をただ作ったとは思えませんね。
嘘だったら必ず矛盾が出るものです。
こんな、ただ小耳にはさんだという第三者の聞いた
「でふぉるめ」という言葉に大騒ぎして躍り上がって喜ぶなよ。
アホくさいから(笑)。
60名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 14:14:16 ID:qrfs3CCD
それから、桐山師の体験の話があるから信じて
解脱供養等しているわけじゃありませんので、
それなりに「これは!」という功徳があり
実感があるから信じているのです。
武士の話がどうだからと言うのではないのですよ。
大半の信奉者がそうです。
61Never Returner:2005/10/20(木) 17:44:35 ID:2ddliz/K
釈迦牟尼が、「解脱すれば解脱したという自覚が生じ、
もはや、迷いの生を繰り返すことは無いという確信が・・・」と説法を成されていたとき、
樹意と七氏が立ち上がり、「しかしながら如来よ、本当に解脱したと言う確信が生まれるためには、
漏尽通を発揮して、煩悩がほんとに無くなったことを観察しなければ、なりません」
如来は神通力の全く経験の無い二人が何故このように図々しさを発揮して、説法を中断させるのかが、
良く理解できなかったが、彼らの誤解を解くために、ある仮定を述べられた。
「それでは、樹意と七氏よ、お前たちがそれを確かめようとしたとしよう。
果たして実際に、確かめられるかどうか考えてみよ。
煩悩が完全に消えた場合は、確かに分るであろう。しかしその場合、修行者は既に解脱しており、煩悩の消滅を感じているのであるから、煩悩の消滅を感じた者にとって、更に心の奥深く分け入って、
煩悩の消滅を感じとる作業が必要であろうか?そして、お前たちの漏尽通定義では、煩悩が少しでも残っていれば確認できないものだ。
煩悩がいまだあることを確認する能力は、漏尽通とは呼ばないと言うのが、お前たちの不思議な定義なのだろう?
確かめると言うが、確かめられない人が続出するのでは人には勧められない方法だな?」
如来は、樹意と七氏を哀れんでさらに続けた。「無いことが否定されたときには、在るであろう。在ることが否定されれば、無いであろう。それなのに、なぜそのように、
煩悩の非存在に限って漏尽通と言う言葉を規定してしまったのであろうか?私はそんな愚かな漏尽通定義をしたことはなく、そんな馬鹿なことを誰にも相談しなかったことも問題だし、
あるいは誰も止めようとしなかったことも問題であろう。」
62Never Returner:2005/10/20(木) 18:07:41 ID:2ddliz/K
物事は見かけとは異なることがある
あなたは言葉の論理を感じとらねばならない
そうすればその言葉の意味が、あなたの目の前で変化するだろう
63名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 22:25:44 ID:kCz6MCbk
阿含宗と桐山氏について―第十五章― 『アートマン プロジェクト』 ― から部分引用
>[979]星祭@供養 05/10/17 23:27 OiFnrlXpTy
>国書刊行会から出ているA・スマサーラ師の「死後はどうなるの?」という本に
>阿含経から引用のビンビサーラ王の先祖供養というのが載っていました。
>釈迦は先祖供養も施餓鬼供養も説かなかったというのは大嘘ですね。
>上座部でも施餓鬼供養はやるようですね。

信者さんたちは星祭さんが「阿含経」に先祖供養が書いてある事例を見つけてくれたと
大喜びしているのではありませんか。
ヌカ喜びです。
引用元が阿含経には間違いありません。
著者のスマナサーラ師は引用元を示しており、
「小部三餓鬼事、餓鬼事註」(『死後はどうなるの?』133頁)
とある。
小部とは、南伝の阿含経の「小部経典(クッダカニカーヤ)」のことで、
小部経典の3にある「餓鬼事経」のことです。
日本ではほとんど訳されておらず、「南伝大蔵経 25巻」にあります。
64名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 22:29:23 ID:kCz6MCbk
>[979]星祭@供養 05/10/17 23:27 OiFnrlXpTy
>釈迦は先祖供養も施餓鬼供養も説かなかったというのは大嘘ですね。

餓鬼事経と聞いて、スレを前からお読みの方はお気づきでしょう。
一年ほど前に、
「阿含宗と桐山氏について―第五章―阿含宗を斬る―」の、
>[1725]]27号 04/07/26 15:41 X1SOvOqULsu
で、]27号さんが餓鬼事経を引用し、盂蘭盆の根拠としました。
サーリプッタの亡くなった母親が餓鬼となり、
サーリプッタが他の僧侶に供養することで成仏するという話です。
しかし、餓鬼事経に登場する釈尊やサーリプッタは本物ではありません。
餓鬼事経は釈尊や弟子の説いた経典であるとはみなされていないからです。
阿含経はあれ全てがそのまま釈尊が説いた内容であるはずはなく、
桐山さんが「24金ではなく18金や14金である」とたとえたように、
混ざり物、後世の付加、中には大乗経典からの借用と思われる部分まであります。
学者たちは純金はどれなのか研究して、どれが釈尊の教法なのか、
どれが後世の混ざり物なのかを大筋では区別ができています。
学者たちの研究では、小部経典は18金というよりも玉石混淆というが適切で、
ダイヤモンドとガラス玉が一緒に入っていて、餓鬼事経はガラス玉のほうです。
65名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 22:30:58 ID:kCz6MCbk
>[979]星祭@供養 05/10/17 23:27 OiFnrlXpTy
>釈迦は先祖供養も施餓鬼供養も説かなかったというのは大嘘ですね。

小部経典には、ダンマパダやスッタニパータの一部のように、
古層と呼ばれ、釈尊の教法の原型を留めるダイヤモンドと、
逆に餓鬼事経みたいに後世作られ、
内容的にも釈尊の教法とは似ても似つかないガラス玉が一緒に入っているのです。
と言っても、批判側の話では信用がならんと信者さんは言われるでしょうから、
専門家の解説を引用しましょう。
餓鬼事経を和訳した学者本人の解説です。
66名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 22:32:02 ID:kCz6MCbk
>[979]星祭@供養 05/10/17 23:27 OiFnrlXpTy
>釈迦は先祖供養も施餓鬼供養も説かなかったというのは大嘘ですね。

南伝大蔵経、25巻、2頁、宮田菱道
「本書は天宮事経(南伝蔵巻第24)と姉妹編をなすものにて、巴利聖典文学中新しき
部に属する。即ち第4品第3節に現れるピンガラ王は護法の註釈に従へば、仏滅
後二百年頃スラッタを統治していた。従て此の事実等より察するも、仏滅後かなり
隔たった後の時代に本書の成立を置くこと得る。天上、地獄の思想は、涅槃の思想は
共に、原始仏教時代に併存したものとするも、かかる詩集を遠く古代に遡らしめるこ
とは困難である。」
67名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 22:34:57 ID:kCz6MCbk
>[979]星祭@供養 05/10/17 23:27 OiFnrlXpTy
>釈迦は先祖供養も施餓鬼供養も説かなかったというのは大嘘ですね。

餓鬼事経には釈尊滅後200年も後の王様が登場するのですから、
この経典に登場する釈尊やサーリプッタが実在した本人たちと解釈するのは無理です。
宮田先生の解説で一番着目してほしいのが「巴利聖典文学」「詩集」という言葉です。
巴利聖典、巴利経典ではなく、餓鬼事経はなんと文学、詩集だというのです。
信者さんたちが関心があるのは、仏教文学、仏教詩、仏教物語ではなく、
実在した釈尊が何を説いたかですよね?
文学でいいのなら、大乗経典はオールスター総出演の素晴らしい仏教文学、仏教詩集です。
信者さんたちの大好きな神通力も御利益もアメアラレ、
大乗のお釈迦さんは秘伝を持っていて、なかなか明かしてくれないし、
懇願する弟子に「お前達には理解できない」なんて、どこかの教祖様のようなことまで言います。
阿含経の中にも文学が含まれているのです。
68名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 22:37:36 ID:kCz6MCbk
>[979]星祭@供養 05/10/17 23:27 OiFnrlXpTy
>釈迦は先祖供養も施餓鬼供養も説かなかったというのは大嘘ですね。

餓鬼事経はたしかに阿含経ではあるが、
後世の人たちの文学ですから、そこに書いてあるからといって、
釈尊が先祖供養や施餓鬼供養を説いたなどという根拠にはなりません。
餓鬼事経についてはたかだか一年前にザのスレで出たことであり、
星祭さんがこの議論を記憶していなかったとは思えません。
スマナサーラ師がはっきりと餓鬼事という引用元を示しているにもかかわらず、
これを無視して、批判側に「大嘘ですね」などと、よくまあ言うものだ。
星祭さんのひどさはこれだけではない。
69名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 22:46:15 ID:kCz6MCbk
>[979]星祭@供養 05/10/17 23:27 OiFnrlXpTy
>阿含経から引用のビンビサーラ王の先祖供養というのが載っていました。
>釈迦は先祖供養も施餓鬼供養も説かなかったというのは大嘘ですね。

星祭さんが引用した「ビンビサーラ王の先祖供養」の最後に、スマナサーラ師は、
「先祖供養とは、超人的なエネルギーによって誰かを救済する、
という話では決してないのです。」(133頁)
と述べている。
阿含宗のような先祖供養をはっきりと否定している。
阿含宗はまさに桐山さんが体得した釈迦の成仏法という超人的なエネルギーで
餓鬼に堕ちた者も救うのでしたね。
スマナサーラ師はこういう先祖供養を否定しているのです。
こういう著者が一番言いたい主張を完全無視して、
「餓鬼事」と書いてある引用元をわざわざ「阿含経」と言い換えて、
阿含宗の先祖供養の擁護の材料に利用した。
星祭さんは宮元教授の本を引用した時も御都合な解釈をしていた。
今回も同じ事をしているのだろうと本を読めば、案の定、まるで逆の主張につかっていた。
大嘘とは星祭さんのほうです。
70名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 22:51:35 ID:kCz6MCbk
>[979]星祭@供養 05/10/17 23:27 OiFnrlXpTy
>釈迦は先祖供養も施餓鬼供養も説かなかったというのは大嘘ですね。

スマナサーラ師が勧める先祖供養は、文章の表題になっており、それらは、
「何でもいいから善いことをしよう」(135頁)
「毎日善いことをして悪いことは絶対にしない」(140頁)
善業をなして徳を積み、それを自分のものにしないで、
先祖に廻向してあげなさいと説いている。
信者さんたちは、二つ目の表題を読んですぐに阿含経の一文を思い出したはずだ。
「183.すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。」(ダンマパダ、真理のことば、中村元、36頁)
スマナサーラ師は先祖供養を説いているようでありながら、
実は、128頁では伝統的な先祖供養すらも否定している。
星祭さんはスマナサーラ師が説いていることを完全に無視して、
阿含宗の先祖供養をズバリ否定している文章を隠し、
つい一年前にはっきりと否定された餓鬼事経を元にした話を持ちだし、
さも、阿含経で釈尊が先祖供養を説いたかのように書いた。
星祭さんのような行為は、スマナサーラ師の「精神的に徳を積んで清らかな心の波動」
とは正反対の行為であり、悪業というのです。
悪業をなす者がどうなるか、スマナサーラ師が書いているから、読んではどうか。
71Never Returner:2005/10/21(金) 01:06:43 ID:iS0c1lFw
釈迦牟尼が、「解脱すれば解脱したという自覚が生じ、
もはや、迷いの生を繰り返すことは無いという確信が・・・」と説法を成されていたとき、
樹意と七氏が立ち上がり、「しかしながら如来よ、本当に解脱したと言う確信が生まれるためには、
漏尽通を発揮して、煩悩がほんとに無くなったことを観察しなければ、なりません」
如来は神通力の全く経験の無い二人が何故このように図々しさを発揮して、説法を中断させるのかが、
良く理解できなかったが、彼らの誤解を解くために、ある仮定を述べられた。
「それでは、樹意と七氏よ、お前たちがそれを確かめようとしたとしよう。
果たして実際に、確かめられるかどうか考えてみよ。
煩悩が完全に消えた場合は、確かに分るであろう。しかしその場合、修行者は既に解脱しており、煩悩の消滅を感じているのであるから、煩悩の消滅を感じた者にとって、更に心の奥深く分け入って、
煩悩の消滅を感じとる作業が必要であろうか?そして、お前たちの漏尽通定義では、煩悩が少しでも残っていれば確認できないものだ。
煩悩がいまだあることを確認する能力は、漏尽通とは呼ばないと言うのが、お前たちの不思議な定義なのだろう?
確かめると言うが、確かめられない人が続出するのでは人には勧められない方法だな?」
如来は、樹意と七氏を哀れんでさらに続けた。「無いことが否定されたときには、在るであろう。在ることが否定されれば、無いであろう。それなのに、なぜそのように、
煩悩の非存在に限って漏尽通と言う言葉を規定してしまったのであろうか?私はそんな愚かな漏尽通定義をしたことはなく、そんな馬鹿なことを誰にも相談しなかったことも問題だし、
あるいは誰も止めようとしなかったことも問題であろう。」
72Never Returner:2005/10/21(金) 01:28:20 ID:iS0c1lFw
論理が真理を暴くのです。
そして暴かれた真理が、我々を自由にするのです。
立教大学の図書館には、「真理があなたを自由にする」と刻まれており、
東京都立大学図書館にも、
  VERITAS VOS LIBERABIT (真理は君たちを自由にする)
と刻まれており、
国立国会図書館の壁にも、「真理が我らを自由にする」という言葉が刻まれており、
神戸女学院図書館にも、
   VERITAS LIBRABIT VOS   (真理は、あなたたちを自由にする)と刻まれており、
明治学院大学図書館にも、 Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ 
(真理はあなたたちを自由にする)と刻まれている。
真理は言葉の論理性を感じることから生まれるのです。
私が漏尽通力の定義で、あの愚かな二人に突きつけた矛盾が
真実を告げています。
彼らが、間違っており、私が正しいことを告げているのです。
新しい言葉の地平線を感じ取らなければ、あなた方は自由になることが出来ないのです。


「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書 8/32)
73Never Returner:2005/10/21(金) 01:34:27 ID:iS0c1lFw
煩悩の非存在に限って漏尽通と言う言葉を想定する愚かさ。
<煩悩の有無を明らかにし、有ると知れたら、その煩悩に仏の智慧で対処する>
どうして、こういうような当たり前の解釈が出来ないのでしょうか?
神通力に関して偏見を持った学者がでたらめを書いたのだ!
それに追従して、自らの過ちを認めぬ愚かな二人が
正当仏教教団を批判するなど罰当たりもいいとこです。
74Never Returner:2005/10/21(金) 02:01:12 ID:iS0c1lFw
全ての患者は死の直後、
21.26214 グラムの体重を失う。
75樹意 :2005/10/21(金) 05:59:26 ID:6qgKKW3n
>>71
> 如来は神通力の全く経験の無い二人が何故このように図々しさを発揮して、説法を中断させるのかが、
> 良く理解できなかったが、

漏尽通は煩悩の四聖締であると書いてあげている。
それよかどうでもいいことだが −−−

お前の如来とやらは他心通を持っていないようだな。
かなりまぬけだぞ。
一切智があり他心通のある如来が 他人の考えを理解できない道理がない
ジミズさんよ お前もしかして如来と自分をダブらせていないか? かなり痛いぞ。

まあこの教団は四聖締を表向き説くこともないから 信者や信者もどきが
理解できないのは無理も無い話だが、四聖締は修道の中に入っている。
76Never Returner:2005/10/21(金) 08:04:37 ID:iS0c1lFw
神通力に関して偏見

煩悩の非存在に限って漏尽通と言う言葉を想定する愚かさ

論理を逸脱する脳みその無さ  矛盾をほったらかしにする愚かさ
77名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 12:41:23 ID:eNsv824+
>>59 :名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 14:10:35 ID:qrfs3CCD
>本に面白く載せる、多少のデフォルメ当たり前だろ!
>しかもうろ覚えだった記憶だから、確かな
>嘘だっていう話とは違う。

阿含宗の教学にとって根本だというのに、
多少のデフォルメして当たり前だなどと、さすがは桐山さんの信者だけのことはある。
ならば、星祭さんに同じ質問をしよう。
嘘ではないというなら、どこがどう本当なのだ?
源太郎さんの記憶では、
>何かの小説といくつかの事実をデフォルメして書いた
とある。
小説ですよ、小説。
小説をどう使おうが、小説は小説であり、物語ですから、事実ではない。
8人しか死んでいないのに18人と書いたというなら、多少のデフォルメとも言えるだろうが、
上意討ちがそもそもないのです。
小説という空想や、天狗党や赤報隊を元にして、ありもしない上意討ちの話を作るのは、
小説であり、これを事実のように書いた桐山さんは嘘つきです。
78名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 12:45:28 ID:eNsv824+
>>59 :名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 14:10:35 ID:qrfs3CCD
>本に面白く載せる、多少のデフォルメ当たり前だろ!
>しかもうろ覚えだった記憶だから、確かな
>嘘だっていう話とは違う。

月にはかぐや姫はいなかった。
しかも、竹取じいさんが竹林に赤ん坊が捨てられていた事件を元に、
話を作ったとおばあさんが話した。
これでもあなたはまだ月にかぐや姫がいると信じるか。
桐山さんの上意討ちの件はこれと同じです。
信州の幕末に上意討ちなどありません。
祖父が斬り殺した人数が違っていてもかまわない。
だが、上意討ちなどないのにあったかのように書くのは、論外です。
デフォルメなどではなく、ただの嘘つきです。
79名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 12:46:16 ID:eNsv824+
『霊障を解く』1981年、103頁
ところが、わたくしの霊視では、三人の若い侍が出てきました。」

『一九九九年カルマと霊障からの脱出』1981年、69頁
「桐山一族の他の家の因縁を霊視すると、霊障を発している不成仏霊が三体現れた。」

『修行者座右宝鑑』1991年、74頁、『冥徳供養』1991年、81頁
上意討ちで殺された十八人の若い武士たちは、さぞ無念きわまる思いであったろう。
その無念の思いは、祖父一人に集中されたに違いない。」
「直接、祖父の手にかかった二人はもちろん、他の十六人すべてを完全成仏させて、
この怨念を消滅させねば、桐山家の家系に、末代まで祟るに違いない。
因縁は、永劫、切れない。
80名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 12:50:34 ID:eNsv824+
>>59 :名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 14:10:35 ID:qrfs3CCD
>だいたい、この話は法話でもしている。おおよその、あらすじ
>はいつも同じであるから、嘘をただ作ったとは思えませんね。
>嘘だったら必ず矛盾が出るものです。

そのとおりで、嘘だから矛盾は法話どころか、本の中ですら出ている。
>>79の1981年の本によれば、18人が上意討ちされ、内、3人が桐山家に祟ったという。
ところが、十年後に書かれた本では、18人の武士全員が桐山家に祟る話になっている。
前に本では、霊障を発している不成仏霊が3体現れたとはっきり書いている。
18人のうち、祖父は2人直接手にかけたが、霊障のホトケとなって
現れたのは3人であり、18人だとは書いていない。
ところが、後の本では、18人全員が霊障のホトケとなって、桐山家に祟っていたとある。
その強烈さは、解脱し終わるのに三年もかかる程だったという。
桐山家に祟っていたのは3人だったのに、10年の間に18人に増殖した。
桐山さんらしく、話を膨らませた。
デフォルメではなく、嘘だから、話が違って来た。
81名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 12:55:10 ID:eNsv824+
>>60 :名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 14:14:16 ID:qrfs3CCD
>それから、桐山師の体験の話があるから信じて
>解脱供養等しているわけじゃありませんので、

つまり、桐山さんの話が嘘であることを暗に認めるのですね。
根拠など示せないから、「理屈理論などどうでもいい、体験が全てだ」というのは、
体験主義といって、霊友会の教祖が唱えた信仰です。
しかし、桐山さんはこういう知性を無視して、ひたすら信じるという信仰を
昔から批判していた。
あなたと違い、私はこういう点だけは桐山さんに賛成でしたよ。
文証、理証、現証といい、経典などの文献的な根拠、
教義などの理論、悟りが得られた証拠の三証がそろって初めて正しい仏教となる。
私が言っているのではなく、『修行者座右宝鑑』(78頁〜)に書いてあります。
星祭さんも行歴が長いのだから、座右宝鑑くらい読んでください。
82名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 13:00:24 ID:eNsv824+
>>60 :名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 14:14:16 ID:qrfs3CCD
>実感があるから信じているのです。

『人は輪廻転生するか』211頁
「経典に、
信解円通して方に行の本となる
ということばがある。
解とは「理解」と「知解」である。理性による理解(なっとく)と、知性による
(なっとく)である。その解と信が円通、すなわちすき間なくぴったりそろって、
はじめて、ほんとうの行の基礎が出来るのだ、というのである。
われわれは、宗教にたいして、論理で証明することなど要求しない。しかし、論理
で説明できるものでなければ、現代人はなっとくしないのではないか?」

桐山さんは信仰とは理屈と信じることと車の両輪だといつも説いている。
「論理で説明できるものでなければ、現代人はなっとくしないのではないか?」
この桐山さんの言葉を信者としての星祭さんはどう考えるか。
解脱供養が理屈理論などどうあろうが、体験しているのだからかまわないなどと、
桐山さんによれば、現代人は納得しないそうですよ。
ただし、解脱供養や冥徳解脱の背景にある霊障の話がただの小説だとわかっても、
十万円を出すのは、もちろん星祭さんの自由です。
それはただ星祭さんが桐山さんのいう現代人ではないというだけのことです。
嘘でも信じて体験しているのなら、守護神はもうもらいましたか。
体験を語るなら、こういう話のほうが説得力があるのですよ。
どうして、星祭さんは自分の実感の中身を一言も書かないのだ?
だから、あなたが本当に冥徳解脱を出しているかどうかすら疑われるのです。
83名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 13:05:26 ID:eNsv824+
阿含宗と桐山氏について―第十六章 から転載

[103]星祭@剣豪小説 05/10/21 10:40 OiFnrYny6o
そ れに本の内容に関しては、ゲイカ自ら、あれは啓蒙書として書いたとか、
ここの部分は、あえて嘘を書いてあるとか告白することもありますからね。
しかし、そ ういう本でも全部がデタラメではない。
ところどころ、秘伝とか書いておりますからね。
武士の話に関しては本当だと思いますよ。
剣術指南だったが実は腕は二 番目だったとか作り話にしては出来過ぎでしょう。
もっとも小説家だったからそのくらいは書けるでしょうが、
ゲイカの性格だったら、もっとド派手な演出をするでしょう。

[101]○○屋 05/10/21 09:50 D-Oab/h
ユビキタス氏から提案があったので、私見を述べてみます。
ただし、後半の記述に関するレス『交通事故にゴジラ出現云々』は無視ね。
私は以前より脚色説も有りと見ていましたから、中沼氏の話にそれほど動揺はありませんね。
では、どこまでが事実か。私は総数『18人』とその内『特に強い霊障3体』『成仏させるのに数年』と言うのは実際で、『信州』『上意打ち』『指南番』などは脚色と見ています。
根拠はないがね。私の感覚的な話です。
84名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 13:15:03 ID:eNsv824+
>[103]星祭@剣豪小説 05/10/21 10:40 OiFnrYny6o
>そ れに本の内容に関しては、ゲイカ自ら、あれは啓蒙書として書いたとか、
>ここの部分は、あえて嘘を書いてあるとか告白することもありますからね。

18人の霊障武士は、阿含宗の根幹です。
その根幹に関わる部分が、「嘘が書いてある」「ド派手な演出」で済むことか。
桐山さんはあれらは事実であり、自分の霊視能力で確認したことだと書いているのです。
それを星祭さんは、阿含宗の根本教学に嘘や演出が入り込んでいると認めている。
認めながらも、「武士の話に関しては本当」??
「武士の話」とは何を指しているのだ?
適当にごまかさないで、oo屋さんのように何を信じて、
何を信じていないかをしっかりと書き並べたらどうか。
いつもあなたはこうやって曖昧に書いて、とても卑怯だ。
星祭さんは何の論理的な根拠も示さず、それでいて「嘘や演出もあるかもしれないが、
しかアし、上意討ちは本当だ」とただ断定するだけ。
これで他人をどうやって説得するのだ?
星祭さんは、>>63などで本の読み方の間違いを指摘され腹を立てて、
私を愚か者と罵って気分がよくなり、脈絡のないあなたの頭では
それだけで上意討ちがあったかのように信じられるだろうが、
普通の人はあなたのこの根拠のない感情的なだけの主張を誰も納得しません。
愚か者でないなら、自己満足にふけるのではなく、第三者や読んでいる信者を
説得できるような材料なり理屈を並べてみてはどうか。
85名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 13:18:57 ID:eNsv824+
>[101]○○屋 05/10/21 09:50 D-Oab/h
>私は総数『18人』とその内『特に強い霊障3体』『成仏させるのに数年』と言う>のは実際で、『信州』『上意打ち』『指南番』などは脚色と見ています。

星祭さんと違い、oo屋さんですら、もはや上意討ちを信じていない。
普通の感覚が残っている信者は上意討ちの話はもはや信じない。
しかも、oo屋さんのこの説もまた一般の読者には何の説得力もない。
もっともご本人は他人を説得しようとしているのではなく、
目の前で崩れ始めている霊障教学を自分だけでも必死に信じ続けるための
「根拠はないがね。私の感覚的な話」を並べているのでしょう。
信者さんたちはoo屋さんの書いていることをよく見て下さい。
一部の事実は認めているが、それでも桐山さんを信じるために、
桐山さんと同じ手法を用いている。
見えない世界に逃げ込んで、そこで勝負する。
86名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 13:20:17 ID:eNsv824+
>[101]○○屋 05/10/21 09:50 D-Oab/h
>私は総数『18人』とその内『特に強い霊障3体』『成仏させるのに数年』と言う
>のは実際で、『信州』『上意打ち』『指南番』などは脚色と見ています。

『信州』『上意打ち』『指南番』は、現実の話であり、史実として調べることもできる。
しかし、『特に強い霊障3体』『成仏させるのに数年』は桐山さんの脳内の話だから、誰も確認できない。
桐山さんと同じで、現実の世界では通用しないから、
霊的な世界、桐山さんの霊視能力の世界に逃げ込んだ。
桐山さんの頭の中のことは、誰も内容を検証することができないから、
嘘だと否定される心配がない。
その部分だけをoo屋さんは信じることにした。
つまり、oo屋さんのしたことは、現実逃避、です。
87名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 13:24:24 ID:eNsv824+
>[103]星祭@剣豪小説 05/10/21 10:40 OiFnrYny6o
>[101]○○屋 05/10/21 09:50 D-Oab/h

星祭さんといい、oo屋さんといい、お二人の大先達様の
現実を目の前にした時、見苦しい姿を他の信者さんたちはよく見ることです。
星祭さんは批判をあざ笑い、愚か者と罵倒するだけで、
実のところ何一つ証拠も出せず、他人を説得できるだけの理屈もない。
むしろ、大袈裟に書くことを当たり前だという。
こういうのを「教祖への過剰な寛容」といい、カルト宗教ではよく見られる。
教祖の間違いや矛盾が出ても、これを擁護し、さらには自分が間違っていると反省して、
決して教祖への批判が向かないようにする自己洗脳です。
oo屋さんは、星祭さんほど頑迷ではないが、現実世界では勝てないとわかり、
桐山さんと同じで霊的な世界に逃げ込んだ。
三十年も阿含宗で信仰を続けた二人の先達の
現実を突きつけられた時のこの醜態を信者さんたちはどう思うか。
彼らは現実をあるがままに見ることも受け入れることもできないです。
88名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 13:27:56 ID:eNsv824+
>[103]星祭@剣豪小説 05/10/21 10:40 OiFnrYny6o
>[101]○○屋 05/10/21 09:50 D-Oab/h

信者さんたちも二人の先達のように、小説にすぎない内容を信じて、
現実から逃げるために信仰をしているだろうか。
長年阿含宗を信仰してきた二人がこんなふうになったのは偶然ではない。
桐山さんを信じようとすれば、こうなることは必然です。
桐山さんは嘘だと百も承知で小説を書いて、事実であるかのように座右宝鑑に書いた。
パンフレットに参考程度に書いたとか、法話の勢いで話を大きくしたなんてのと違い、
座右宝鑑は阿含宗の基本図書であり、信者が学習して信じなければならない内容です。
その座右宝鑑に、赤報隊や天狗党の話をネタにして
作り上げた小説「上意討ち物語」「剣豪小説」が、事実として載っているのです。
しかも、これは阿含宗の霊障教学の基本であり、悪因縁の基本であり、
桐山さんの求道のスタートになっているのですよ。
大黒柱に相当する内容を平気で嘘を書くような桐山さんを信じようとしたら、
星祭さんのように知性や羞恥心を捨てて批判を罵るか、
oo屋さんのように霊的な世界に逃げ込むしか道はない。
89名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 13:31:01 ID:eNsv824+
>[103]星祭@剣豪小説 05/10/21 10:40 OiFnrYny6o
>[101]○○屋 05/10/21 09:50 D-Oab/h

釈尊は自己を省みることを説いている。
現実の自分の姿を鏡に映してあるがままに見るという怖ろしい修行です。
理想的な、空想的な、デフォルメされた自分の姿ではなく、あるがままの姿です。
ところが、桐山さんも二人の先達も、自分を見るどころか、
自分の外にある現実すらもあるがままに受け入れようとはしない。
彼らには勇気、勇猛心がないのです。
欲望ばかり強くて、自己評価が高く、あるがままの自分を認めたくない。
現実の自分を見ないで済み、辛さを忘れるために、妄想の世界に入り込み、
ついには現実と妄想の区別がつかなくなり、出てこれなくなった。
桐山さんは元々そういう性格だとしても、
二人の先達は長年の修行の結果、現実逃避という条件反射を身につけた。
信者さんたちもこんなふうになるために、
つまり釈尊の説いたこととは正反対になるために信仰をしているのですか。
90Never Returner:2005/10/21(金) 16:44:37 ID:iS0c1lFw
ザの掲示板から勝手にコピーし、勝手に反論してるんじゃねえよ、その前に
漏尽通の定義でお舞が、基地外じみた矛盾を出してしまった以上、
何を書いてもただの馬鹿の作文にしか見えネエだろうが?
恥の上塗りなんだよ。
馬鹿やもう止めれ!
傲慢な樹意も、もっと謙虚になって、スシーマ経を読み、
自分自身の矛盾と相対峙したらどうやろかね?
いつまでも子供みたいに逃げるんじゃねえよ!
91Never Returner:2005/10/21(金) 16:47:56 ID:iS0c1lFw
いつまでも矛盾をぶら下げて、アホ面さげて、ここで
恥かかいてろ!
お舞らにふさわしい所業じゃ。
阿含経が分らぬのに、阿含宗を批判するってか?
笑わせるネエ。
ふふふふふ。
92Never Returner:2005/10/21(金) 16:48:29 ID:iS0c1lFw
釈迦牟尼が、「解脱すれば解脱したという自覚が生じ、
もはや、迷いの生を繰り返すことは無いという確信が・・・」と説法を成されていたとき、
樹意と七氏が立ち上がり、「しかしながら如来よ、本当に解脱したと言う確信が生まれるためには、
漏尽通を発揮して、煩悩がほんとに無くなったことを観察しなければ、なりません」
如来は神通力の全く経験の無い二人が何故このように図々しさを発揮して、説法を中断させるのかが、
良く理解できなかったが、彼らの誤解を解くために、ある仮定を述べられた。
「それでは、樹意と七氏よ、お前たちがそれを確かめようとしたとしよう。
果たして実際に、確かめられるかどうか考えてみよ。
煩悩が完全に消えた場合は、確かに分るであろう。しかしその場合、修行者は既に解脱しており、煩悩の消滅を感じているのであるから、煩悩の消滅を感じた者にとって、更に心の奥深く分け入って、
煩悩の消滅を感じとる作業が必要であろうか?そして、お前たちの漏尽通定義では、煩悩が少しでも残っていれば確認できないものだ。
煩悩がいまだあることを確認する能力は、漏尽通とは呼ばないと言うのが、お前たちの不思議な定義なのだろう?
確かめると言うが、確かめられない人が続出するのでは人には勧められない方法だな?」
如来は、樹意と七氏を哀れんでさらに続けた。「無いことが否定されたときには、在るであろう。在ることが否定されれば、無いであろう。それなのに、なぜそのように、
煩悩の非存在に限って漏尽通と言う言葉を規定してしまったのであろうか?私はそんな愚かな漏尽通定義をしたことはなく、そんな馬鹿なことを誰にも相談しなかったことも問題だし、
あるいは誰も止めようとしなかったことも問題であろう。」
93名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 23:14:45 ID:LJh2lFJx
阿含宗と桐山氏について―第十六章 から転載
>[111]I 'll be back 05/10/21 17:36 *iaA1uvP//mh*GoRGEoUS
>2chの七氏がまた勝手に無断でコピーして喜んでおりましたが、ああいうのを愚か者と言うのですね。

いいえ、私のことは、
桐山さんのような欲望と執着で固めた男を聖者だと一瞬でも信じた愚か者、
阿含宗のような仏教とは似ても似つかない外道を一瞬でも釈尊の教法だと信じた愚か者、
先祖を供養するつもりで、十万円払って不成仏霊と罵ってしまった愚か者、
木切れにお願い事を書いて、焚き火をすれば世の中が良くなると一瞬でも信じた愚か者、
と正確に言ってください。
94名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 23:19:25 ID:LJh2lFJx
>[111]I 'll be back 05/10/21 17:36 *iaA1uvP//mh*GoRGEoUS
>2chの七氏がまた勝手に無断でコピーして喜んでおりましたが、ああいうのを愚か者と言うのですね。

すでに何度も説明したことだが、ご指名いただいたようなので、
初めての方もいるだろうから説明します。
私がザのスレに行かないのは、行けば、皆さんがいなくなるからです。
星祭さん、oo屋さん、よさんも昔は2ちゃんねるの住人だったらしい。
私の書いた文章をザにコピペしただけで、服部社長は新スレを立てて、転載禁止の看板を掲げた。
スレを立てた人が規則を決めるのは自由だし、
スレと関係ない話のコピペを禁止するのはわかるが、
明らかに関係した内容のコピペまで禁止するのはおかしい。
要するに、服部社長は私の書き込みが嫌いなのです。
追いかけて、ザのスレで擁護側に反論を加えるという手もあります。
しかし、私は星祭りさんなど信者さん個人を批判するのが目的ではない。
私が読んでほしいのは、中年先達衆のように、桐山さんの漬け物状態になっている信者ではない。
知性と良識の残っている十人に一人の信者のためです。
95名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 23:27:31 ID:LJh2lFJx
>[111]I 'll be back 05/10/21 17:36 *iaA1uvP//mh*GoRGEoUS
>2chの七氏がまた勝手に無断でコピーして喜んでおりましたが、ああいうのを愚か者と言うのですね。

私はザのスレの中年先達衆の存在がとてもありがたく、あのままいてほしい。
知性と良識が残っている十人に一人の人に、一方的に私が阿含宗批判を書くのも一つだが、
信者さんたちが考えそうな話や反論を擁護派が出してくれるのが一番いい。
信者さんたちは、2ちゃんねるという舞台の上で、
信者代表が阿含宗を擁護し、通用するかどうかを目の前で見るのです。
普通の人は面と向かって反論されると、正しくてもムッとする。
しかし、仲間でも他人が論破されるのは、読んでいる信者さんにはそれほど痛くない。
冷静さが残っていれば、桐山さんが嘘だらけで、
阿含宗は仏教とは似ても似つかない宗教であり、
教義などまるで現実には通用しないことに気が付く。
こういう沈黙の信者のために私は書いている。
この舞台の上に出てくる信者代表が必要なのです。
ザのスレはその信者代表の供給源です。
96名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 23:33:33 ID:LJh2lFJx
>[111]I 'll be back 05/10/21 17:36 *iaA1uvP//mh*GoRGEoUS
>2chの七氏がまた勝手に無断でコピーして喜んでおりましたが、ああいうのを愚か者と言うのですね。

信者さんたちの生の意見は私にもとても参考になる。
元信者の私ですら思いもつかないことが書いてある。
今なら、ザのスレでの使者さんがグンバツでしょう。
伝法会で神足法を教えたとか、護身法が阿含経から取り入れられたとか、
北京大学名誉教授を大作さんももらっていると聞くと、大作さんを見直さないといけないとか、
最近の例では、[71]での、漏尽通が釈尊以前の宗教家たちも持っていたとか、
[104]でのサンガへのメチャクチャな解釈。
読んだだけで、力が抜けてしまいそうなことを堂々と書く。
昨今入信した信者ならともかく、使者さんは20年を越える信者です。
いったい、阿含宗で何を今まで勉強してきたのか。
こんな程度のことに一々反論というか、説明してあげなければならないユビキタスさんが気の毒になる。
しかし、仏教を本当に知っていたら、阿含宗にいるはずはないのだから、
こういう基本的なことこそが重要なのです。
97名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 23:39:04 ID:LJh2lFJx
>[111]I 'll be back 05/10/21 17:36 *iaA1uvP//mh*GoRGEoUS
>2chの七氏がまた勝手に無断でコピーして喜んでおりましたが、ああいうのを愚か者と言うのですね。

オープンなネット上に書き込んでおいて引用するなものないし、
引用されていることをザのスレの皆さんは知っている。
通行人にしてみればネット上では隣の店みたいなものです。
本当に嫌なら昔のニフティのような会員制の閉鎖スレを作り、
信者同士でマターリすればいいのです。
あるいは自分でホームページを作り、気に入らない書き込みを削除すればいい。
ザという公のスレである必要はまるでない。
私の批判が違うというなら、ここに来て反論すればいいし、
ザから動きたくないというなら、ザのスレで反論すればいい。
あるいは転載を認めればいいではないか。
どうしてしないのですか。
ここには星祭さんが名無しで出てくる程度で、他の信者は来ていないようだ。
具体的には反論できないから、よさんは不愉快だと言い、
星祭さんやI 'll be backさんは愚か者と罵るしか手がない。
私の何が愚かなのか示せないあなた方は愚かではないのですね。
98樹意 :2005/10/21(金) 23:44:23 ID:ZNwfJEjE
>>90
> ザの掲示板から勝手にコピーし、勝手に反論してるんじゃねえよ、その前に

お前のように引用も示さず、人の意見を勝手に書き換えているわけではないから
充分良心的である。

公開の掲示板にしているのは管理者であるから 管理者に言ってパスワード設定の
非公開掲示板にしてから モノを言え。
批判がいやなら公開するな。
99名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 23:44:48 ID:LJh2lFJx
>[111]I 'll be back 05/10/21 17:36 *iaA1uvP//mh*GoRGEoUS
>2chの七氏がまた勝手に無断でコピーして喜んでおりましたが、ああいうのを愚か者と言うのですね。

私は星祭さんにはいつも感謝している。
彼は2ちゃんねるの舞台の上のド突き漫才の相方としてはとても良い。
あまり手の内を明らかにしたくないが、星祭さんと違い、裏をかくのは嫌いなので、正直に書きます。
私はしばしばネタを振ってくれるように、星祭さんの名前をわざと出す。
すると、彼は不愉快になり、必ず何か書き込んでくれる。
時間が合えば、私が書き込む先から、反論や罵りを始めてくれる。
私はそれにはすぐには反論しません。
次の日の重要な批判ネタだからです。
いつも星祭さんにはお礼をいう機会もなかったが、
ああいう瞬間は「やった!ネタを提供してくれた。ありがたい」と
私はとてもうれしく、星祭さんを拝んでいます。
星祭さんは、桐山さんの中にドブヅケしたような人で、
おまけにどんなに反論されても、すぐに忘れて、決して恥を知ることがない。
ヂミズさんのように、同じ恥知らずでも、桐山さんから外れてしまい、
今の教学すら知らず、関係ない話を同じネタでダラダラ書く人ではダメだし、
平河道場さんのように、反撃されると、恥じる心を持っているために、
いなくなってしまう人も困ります。
星祭さんは傲慢で、身の程知らずで、自分の無知を棚に上げて、
他人を愚か者呼ばわりするなど、私の相方としては理想的です。
100名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 23:51:26 ID:LJh2lFJx
>>59 :名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 14:10:35 ID:qrfs3CCD
>嘘だったら必ず矛盾が出るものです。

さて、>>80の続きです。
>>80では、桐山さんの話は嘘が多いから、本でさえも矛盾している例として、
桐山家に祟る武士の数が最初は3人だったのに、
十年後の本では18人総出演になってしまったことを指摘しました。
おかしいのは霊障のホトケの数だけではありません。
桐山さんがいつ因縁解脱したのかということも矛盾している。

『一九九九年カルマと霊障からの脱出』69頁
「わたくしは、霊視能力を持つ数年前、もう自分の因縁はすべて切ってしまっていた。」

このように、霊視能力を持つ前にすでに桐山さんは自分の因縁をすべて切っていたとある。
ところが、十年後の本には、

『修行者座右宝鑑』75頁、『冥徳供養』82頁
「十八人すべてが完全成仏し、この人たちにかかわる因縁が完全に解脱するのに、三年かかった。」

因縁を完全解脱したのは霊障武士が成仏してからになっている。
「この人たちにかかわる因縁」であって、桐山さんの因縁だとは書いていない。
しかし、他人の因縁を切ることはできないのだから、
ここでいう因縁は霊障武士が作り出したという桐山さんの因縁のことです。
前の本では霊障に気が付く前にすでに因縁を切っていたと書いているのに、
十年後の本では、霊障のホトケを解脱して因縁も切ったと書いてある。
>嘘だったら必ず矛盾が出るものです。
という星祭さんのいうとおりです。
101名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 23:56:18 ID:LJh2lFJx
>>59 :名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 14:10:35 ID:qrfs3CCD
>嘘だったら必ず矛盾が出るものです。

桐山さんは阿含経の釈迦の成仏法を体得して、
霊視能力と解脱成仏力を獲得したから、阿含経を出すために阿含宗を立宗した。
成仏法を体得してから「数年間」立宗しようかどうしようかを悩んだという。
霊視能力を体得したのは立宗の二〜三年前なら1975〜6年です。
一方、>>100に引用した『一九九九年カルマと霊障からの脱出』によれば
「霊視能力を持つ数年前」には因縁を切っていた。
因縁を切ったのは霊視能力を得た二〜三年前なのだから、1972〜4年です。
ところが、十年後の座右宝鑑では、

修行者座右宝鑑、1991年、85頁
「これらの真正仏舎利到来と同時に、私の悪因縁が解脱したことを自覚した。」

須田家から来た真正仏舎利が来たのは1979年ですから、
悪因縁が解脱したことを自覚したのは早くても1979年です。
古い本では1972〜4年なのに、
十年後の本には1979年と、なんと5〜7年も開きがある。
星祭さんがおっしゃるように、
>嘘だったら必ず矛盾が出るものです。
102名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 00:00:04 ID:LJh2lFJx
>>59 :名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 14:10:35 ID:qrfs3CCD

ここまで書けば、アウンの呼吸で星祭さんは反論の準備をしてくれているでしょう。
いくつか反論する方法はあるけど、
因縁解脱と因縁切りは違う、といういつものあれなんかどうですか。
「爆」「藁」なんて罵りを入れながら適当に書いてくれれば、
意味不明でも、いつものように私が読んでいる信者さんたちに、
星祭さんが何を言いたいのか説明します。
私も反論を続いて書いて、阿含宗の説など成り立たないことを示しますから、早くネタをお願いします。
103ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/10/22(土) 00:14:47 ID:0Ssdi0Di
これから一応宿題と自分で思ってるシシャさんへ反レスつけていくことを思うと
気が重くなるな。
端折ろうかな。(笑)
104樹意 :2005/10/22(土) 02:24:30 ID:qx356nO0
>>Never Returner

何度も何度も同じ文面 とことん詰まらん人間だな。
あ〜 つまんね。

ほれ わしが観察 宝生の実例を書いてやったぞ 
ワシの言うことを信じて 七月の終わりに商社を仕込んだ人は
資産が4割から5割増えている。
おまえもなんか 書いてみろや。

批判側が宝の雨の降る如しでどうする。
信者もなんか書いてみろ。
105樹意 :2005/10/22(土) 02:40:52 ID:qx356nO0
>>Never Returner
俺は神通力は無いが 実体経済を観察しその予測が的を得ていた
という実例を示した。
今度はおまえの番だ おまえは神通力を持っていると宣言して
いるのだから その実例を示せ。
示せないのであれば 今後奈々氏さんには絡むな。


106Never Returner:2005/10/22(土) 09:02:11 ID:xGDiBsTA
私が指摘した矛盾をお舞らが解決せぬ限りは、同じ攻撃をお舞らに突きつける。そしてお舞らが阿含経を
理解できていないことをさらし続けるであろう。
学者の分類した言葉を使って、結局は釈迦牟尼の言葉が前後矛盾し、
樹意と七氏は意味不明に落ちている。
樹意は、その矛盾を知りながら、阿含宗批判を続けるために
自己矛盾を見ないふりを続ける。
愚かな。馬鹿二人。こも矛盾を永遠にさらされし続け、
死ぬときもなお、NRの指摘した矛盾を私は解けぬまま死ぬのかと、
愚かな自虐的自己問答を繰り返すが良いのだ。
傲慢なお前にはふさわしい死だ。
107Never Returner:2005/10/22(土) 09:05:00 ID:xGDiBsTA
スシーマ経で、漏尽通と、煩悩が既に無いと言うことを自覚することが
全く無関係であり、形象を超えて煩悩を解脱し、煩悩の無い寂静の世界に入っていく、
まさに積極的にこれから入っていく、そのことが漏尽通の本当の姿だと書いてあるので、
七氏の定義は決定的に間違いだと言うことが分るのだ。
そしてむしろ、桐山先生のように、煩悩を切って行く、解脱し、寂静の世界に入っていく、
方向の解釈のほうが、どうやら正しそうだと言うところまで分ってきた。
そのことが大問題です。
あなた方が正しい解釈をしている人を、その正しさをもって非難してきたとしたら
大問題であると、言うのです。なぜなら釈迦その人に逆らっていることになるからだ。
お舞が傲慢で卑しい人格だから、釈迦に逆らえるのであろうよ。
108Never Returner:2005/10/22(土) 09:08:49 ID:xGDiBsTA
如来は、樹意と七氏を哀れんでさらに続けた。「無いことが否定されたときには、在るであろう。在ることが否定されれば、無いであろう。
それなのに、なぜそのように、煩悩の非存在に限って漏尽通と言う言葉を規定してしまったのであろうか?私はそんな愚かな漏尽通定義をしたことはなく、
そんな馬鹿なことを誰にも相談しなかったことも問題だし、あるいは誰も止めようとしなかったことも問題であろう。」
それを言われると、樹意と七氏は、「辞典に学者が書いているので、それに従っておりましたが、池田慈水という男が盛んに我らを、矛盾していると警告しておりましたが、
我らは彼に耳を貸しませんでした。今は反省するのみであります」
如来は、不還果を得た聖者である池田慈水を思い出し、そして言った。
「かの修行者は、”千人の阿羅漢”たる桐山靖雄の弟子であった者だ。
お前たちの間違いを指摘し、それを正そうとしたことは、評価せねばならぬ。
樹意よ、七氏よ、これからお前たちは、どんなときでも、如来の弟子を過小評価してはならない。
解脱に達していないお前たちが、修行者の面をして、解脱の最終局面である漏尽通について、
あれこれ論じようとしても意味が無いではないか。
学者は弟子をとって菩提法を行ずることは決してない。
であるから、その最終局面について何も知らないのである。」
109Never Returner:2005/10/22(土) 09:24:30 ID:xGDiBsTA
解脱したことを自覚したら、解脱したことを確認したのと同じですね。ですから、
お舞らの定義する漏尽通は「不要で、要らない、無駄な、」ことですね。
日本語を使って話をしているのですよ。 お舞いらが日本語の常識を逸脱して、
どんな詭弁を述べようとしても、矛盾が解決されていないことは、明白であり、
ごまかしようがありませぬ。もしこれが解決してしまったと思い込んでいるとしたら
それこそ馬鹿ですよ。ふふふふ。
110樹意 :2005/10/22(土) 20:34:08 ID:m/wMezQr
>>Never Returner

勝手に私の意見を書き換える 寝言師にまで丁重にコメントつける樹意と
いう人格に敬意を払いたまえ ジミズ君。
私が主張してもいないことを引用せずいつまでコメントする気かね。

そんなことよりお前の神通力の現実を披露したまえ、
ゲイカによると シュダオンから先は天の境涯であり神通力を備えるという。
さあ アナゴンを自称するからにはさぞや驚天動地の神通力を備えて 批判に
答えてくれるのだろう。 さあ 逃げずに披瀝したまえ。 ほれ ほれ ほれ。
まさか樹意ごときの、経済予測より劣るなどという事はないだろうね。
そんな惨めなジミズは見たくない。 ほれ ほれ ほれ。
言っとくが宝生の功徳も披瀝するのだよ、 わかったかい。 ジミズくん 
さあ さあ さあ ほれ ほれ ほれ。
それともザのスレッドに逃げ帰って 愚痴でもこぼすかね。(w w w


111樹意 :2005/10/22(土) 20:41:24 ID:m/wMezQr
>>77
> 小説ですよ、小説。

ゲイカの文章は典型的な小説家の文書であるというのは
私のかねてからの主張ですが やはり そうでしたか。 (うん うん 
よし よし )

心優しい奈々氏さんはゲイカの虚言癖に対して病気説をとっておりましたが
私はかねてから 確信犯であると 言っておりました。
するってーと 奈々氏さんの方がソフト批判派であったわけですね。

112名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:18:49 ID:Xphaxhho
阿含宗と桐山氏について―第十六章 から転載

[125]星祭@たとえ話 05/10/22 07:40 OiFnrlXpPy
> 115、なんだかんだ言ってもハッキリしないですね。
霊障の啓蒙としての本ならば、それでもいいと思いますね。
だいたいそのような体験があったということ で、これは別に教学の本ではないし、ましてや歴史書じゃありません。
活字として残ろうが霊障というものを説き、それからの解脱と解放をとく。
たとえ話しの ようなものですよ。
たとえば釈迦が帝釈天と阿修羅の戦争を説きたくみに説法する。
はたしてそんな戦争が本当にあるのか釈迦以外わかりますまい。

[127]星祭@若気の至り 05/10/22 07:48 OiFnrlXpPy
あ る程度、脚色があっても大部分は本当の話だと思ういますね。
まあ、源さんが嫌な顔したんで副管長が作り話もあるとかあわてたそうですが、
まるごとというの でもなく、もともとはゲイカが祖父から聞いたほんの少しの昔話だったのでしょう。
晩年、若き頃の所業を悔いて念仏三昧していた人が、
嫌な思い出を孫に詳し く語ることもないでしょうからね。
113名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:20:28 ID:Xphaxhho
>>112 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:18:49 ID:Xphaxhho
>[125]星祭@たとえ話 05/10/22 07:40 OiFnrlXpPy
>霊障の啓蒙としての本ならば、それでもいいと思いますね。
>[127]星祭@若気の至り 05/10/22 07:48 OiFnrlXpPy
>あ る程度、脚色があっても大部分は本当の話だと思ういますね。

星祭さんにはこちらの要望をお聞き届けいただき、早速のレスをありがとうございます。
信者さんたちは星祭さんの上記の二つの書き込みをよく比較して読んでみてください。
[125]では、「啓蒙としての本」「教学の本ではない」「たとえ話し」であり、
帝釈天と阿修羅の戦争の話までだしている。
ところが、[126]では、「本当の話」といきなり断言している。
彼の書き方はいつもこの調子で、>>83などに一部引用した[102][103]でも、
「武士の話も誇張やらなにやら」「あえて嘘を書いてある」などと書くかと思うと、
何の根拠も示さずに、いきなり「本当だと思います」と断定していた。
114名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:28:22 ID:Xphaxhho
>[125]星祭@たとえ話 05/10/22 07:40 OiFnrlXpPy
>霊障の啓蒙としての本ならば、それでもいいと思いますね。
>[127]星祭@若気の至り 05/10/22 07:48 OiFnrlXpPy
>あ る程度、脚色があっても大部分は本当の話だと思ういますね。

信者さんたちにこの落差を指摘するのは、星祭さんの詭弁の手法を知ってほしいからではありません。
彼を見て、自分の信仰に参考にしてほしいことが二つあるからです。
一つは、阿含宗の霊障教学の基本となった話は小説、嘘、作り話にすぎず、
信者側は誰一人これに対して具体的な根拠を示すことができず、
○○屋さんはすでに>>83 の[101]で脚色、つまり嘘だと認め、星祭さんですら半ば認めている点です。
つまり、阿含宗の霊障教学は嘘でできていることを信者すらも認めるしかない。
二つ目は、それにもかかわらず、星祭さんは絶対に作り話だと断固として認めない点です。
つまり、星祭さんの信仰とは理屈も事実も関係がなく、感情的な信仰です。
阿含宗を信じようとすると、>>81-82などで桐山さんが指導している三証や信解円通など
口先だけであり、実際には無理だということがわかる。
知性を説く仏教の信仰をすることは阿含宗では不可能です。
115名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:31:01 ID:Xphaxhho
>[125]星祭@たとえ話 05/10/22 07:40 OiFnrlXpPy
>霊障の啓蒙としての本ならば、それでもいいと思いますね。
>だいたいそのような体験があったということ で、これは別に教学の本ではないし、

18人の霊障武士が教学の本には載っていないというのです!?
星祭さんは本当に阿含宗の信者なのだろうかと思ってしまうのが、こういう文章です。
二十年を越える信者である大王の使者さんの主張の稚拙さにも「脱力」してしまうが、
三十年を越える星祭さんにこんなことまで説明しなければならないとは・・。
桐山さんの「おれは弟子に恵まれない」という言葉を思い出し、思わず同情しそうになる。
私の文章は読まないのは知っているが、
桐山さんの本を引用してあげているのだから、それくらい読んだからどうか。
>>100などで引用したのは『修行者座右宝鑑』であり、
教学の本でないどころか、教学の標準教科書です。
116名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:31:28 ID:3hOMAshM
だから個人的に思います。と言ってるだけジャン。
自分自身の思いをのべているだけだよ。
なにもアンタに本当の事だ!信じろ!なんていってねえよ。
愚か者!
根拠なんかアンタに示す必要もないし、する気もない!
ユビ氏との対話を勝手に引用すんなよ!
おまえと対談してるわけじゃないんだからよ
エチケットを守れ!何度いってもわからん馬鹿なのか
七氏よ!
117名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:34:23 ID:Xphaxhho
>[125]星祭@たとえ話 05/10/22 07:40 OiFnrlXpPy
>霊障の啓蒙としての本ならば、それでもいいと思いますね。
>だいたいそのような体験があったということ で、これは別に教学の本ではないし、

なんで批判側の私が阿含宗の教学の説明をしてあげなければいけないのかと
ぼやきそうになるのを押さえて、信者の皆さんは、
星祭さんがせっかくヴォケネタを提供してくれたのですから、
大先達様の恥を捨てた犠牲を無駄にせぬように、『修行者座右宝鑑』を開いてください。
・・え?座右宝鑑て、何のことだって?
入行した時、青い本をもらったはずです。
布で製本して、背表紙に金文字が打ってあり、いかにも見た目だけ立派で
中身が全然何もない桐山さんを象徴するかのような本です。
今は入行費に入っているからいいようなもので、昔の座右宝鑑は
高級和紙に印刷して、高級紬で製本したものだから、たしか二万円くらいした。
あと一万円払うと、因縁解脱修行宝鑑に相当する内容が書き込んでもらえるということだった。
もちろん、桐山さんがこんな約束を守るはずはない。
詐欺だ!・・・ま、いつもそうだから、驚きませんが。
118名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:36:23 ID:Xphaxhho
>[125]星祭@たとえ話 05/10/22 07:40 OiFnrlXpPy
>霊障の啓蒙としての本ならば、それでもいいと思いますね。
>だいたいそのような体験があったということ で、これは別に教学の本ではないし、

修行者座右宝鑑は一般書と違い、信者のために書かれたものです。
「本書は、仏陀の法修行者三部書の一つである。」(296頁)
と、修行する上での三冊の本の一つであることを強調している。
後の二冊のうち、因縁解脱修行宝鑑は因縁などが書いてあるだけだし、
『仏陀の法』は超能力などの教科書であるのに対して、
『修行者座右宝鑑』は教学の基本を知るための教科書です。
「別に教学の本ではない」どころか、教科書なのです。
だから、修行者座右宝鑑は、星祭さんのいう「啓蒙の書」などではありません。
18人の霊障武士の話は67〜78頁までの12頁に渡り書いてある。
教理篇は115頁まであるから、なんと1割をさいている。
それもそのはずで、阿含宗の霊障教学の基本の一つなのです。
阿含宗独自の霊障教学には二つある。
それは、桐山型とソンディ型です。
119名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:37:47 ID:Xphaxhho
>[125]星祭@たとえ話 05/10/22 07:40 OiFnrlXpPy

『修行者座右宝鑑』77頁
いま、私は「すべての悪因縁の原因を追及していていくと」といったが、それは、
その通りで、人間のすべての悪因縁、不幸な運命の原因は、いまのべた、R・ソン
ディ型か、桐山型の二つしかないのである。これは、数十年間にわたって、数十万
人の人の因縁、運命を視てきた私の結論である。

ご覧のように、ソンディの恋愛事件と桐山さんの霊障武士は阿含宗の霊障教学の基本なのです。
霊障を説く教団はたくさんあるが、これが阿含宗の霊障教学の特徴なのです。
わざわざ桐山さんが桐山型とソンディ型と名付けたように、
二つの事例こそが、桐山さんの「私の結論」であり、阿含宗の霊障教学の結論なのです。
だから、この二つの事例が事実でなかったら、阿含宗の霊障教学は崩壊する。
そして、二つの事例ともに嘘だから、崩壊している。
120名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
基本的なルールも守れない奴が
なにがキリヤマ云々などとほざけるのであろうか?
まあ、こんな奴だから、基本的な教えも守らず
ただワガママだけで文句を言うようになるのでありましょう。
なにかというと「桐山さんは・・・」などと言う。
確かに教団や中途半端な指導など批判するべきこと
は山ほどあるが、個人的なワガママなど糞のような
ものであり、他スレの人の会話を勝手にもってきて
グズグズ文句たれんのは、まったく不快であり
悪臭以外の何ものでもありません。
ロムしている方々どう思いますか?
121名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:41:22 ID:Xphaxhho
>[125]星祭@たとえ話 05/10/22 07:40 OiFnrlXpPy
>霊障の啓蒙としての本ならば、それでもいいと思いますね。
>だいたいそのような体験があったということ で、これは別に教学の本ではないし、

ソンディ型とは、生まれ変わりなどによる運命の反復を言います。
ソンディが異母兄の生まれ変わりであり、相手の女性も異母兄の妻の生まれ変わりであり、
ソンディは異母兄と同じ運命を繰り返そうとしていた、というのがソンディ型霊障です。
完全な嘘です。
なぜなら、ソンディは4歳から異母兄夫婦に育てられたからです。
生まれ変わりであるはずがない。
相手の女性と知り合ったのはソンディが23歳の時です。
この時、女性が19歳としても、彼女が生まれた時、ソンディは4歳で、異母兄夫婦は生きていた。
両者が生きているのにどうして生まれ変わるのですか。
桐山さんのいうソンディ型霊障、つまり生まれ変わりによる運命の反復など、
ソンディの事例では成り立たないのです。
桐山さんはソンディを単なる事例として出しているのではなく、霊視をしている。
霊視能力によって確認した内容であり、先祖に似たような運命の男性まで紹介している。
生まれ変わるはずのない人を生まれ変わりと霊視できる桐山さんの霊視能力によって
確認された霊障の型を信者さんたちは信じるのか。
122名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:45:59 ID:Xphaxhho
>[127]星祭@若気の至り 05/10/22 07:48 OiFnrlXpPy
>ある程度、脚色があっても大部分は本当の話だと思ういますね。

桐山型も同様に、桐山さんのインチキ霊視が根拠です。
脚色したのではなく、最初から何もない。
ソンディの恋愛事件は本人が話した内容だから、事実としてはあったのでしょう。
しかし、信州の幕末の上意討ちなど歴史上ないのだから、脚色のしようもない。
桐山さんの祖父がそんな話をしたとしても、それ自体が嘘です。
桐山さんが上意討ちの件を一例して出しているならまだ逃げようもある。
しかし、本人が血みどろの18人の武士を霊視して、成仏させたという。
あれが上意討ちによって殺された武士ではないとすれば、
では、どうして桐山さんに刑獄の因縁が出てくるのか。
霊障ばかりか、因縁論すらも18人の霊障武士から出でくるのです。
霊障武士がいなければ、霊障も悪因縁も、桐山さんの霊視能力、成仏力も根拠を失う。
つまり、阿含宗の教学は全部嘘だとなってしまう。
123名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:50:11 ID:Xphaxhho
>[103]星祭@剣豪小説 05/10/21 10:40 OiFnrYny6o
>剣術指南だったが実は腕は二 番目だったとか作り話にしては出来過ぎでしょう。
>もっとも小説家だったからそのくらいは書けるでしょうが、
>ゲイカの性格だったら、もっとド派手な演出をするでしょう。
>[127]星祭@若気の至り 05/10/22 07:48 OiFnrlXpPy
>晩年、若き頃の所業を悔いて念仏三昧していた人が、
>嫌な思い出を孫に詳し く語ることもないでしょうからね。

細かい話になるからと[103]の時は反論をためらったが、
反論しないでいると、星祭さんは次から次と空想が始まるようなので反論しておきます。
腕が二番目だったというのは、作り話にしてはできすぎでもなんでもない。
これを祖父が言ったとすれば、実力を示してみろと言われた時の言い訳にできる。
実際、捕り物の時は危うくばれそうになった。
桐山さんが作ったとすれば、いかにも真実味があるかのようにする作戦です。
事実、星祭さんがこんなふうに単純に信じている。
あなたが言うように、桐山さんは小説家だから、真実であるかのように演出できるのです。
ただ、桐山さんの演出は下手だと思います。
エイリアンのごとき魔界の女怪の描写なんか、
桐山さんが自分の描写力に酔いしれているのがわかる。
124名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:58:35 ID:Xphaxhho
>[127]星祭@若気の至り 05/10/22 07:48 OiFnrlXpPy
>晩年、若き頃の所業を悔いて念仏三昧していた人が、
>嫌な思い出を孫に詳し く語ることもないでしょうからね。

桐山さんの祖父が念仏三昧で何をしていたかなど誰もわからない。
供養していたというのは桐山さんが書いていることであり、
また、「若き頃の所業を悔いて」というのは、おかしい。
上意討ちは公務であり、祖父が指南役なら当然のお役です。
悪業ではなく、仕事なのです。
しかも、彼は武士であり、人を斬るのが当たり前の職業です。
武士は人を斬ることを悪業だなんて思っていない。
公務として人を斬り、しかも、闇討ちなどの卑怯な手段ではなく、
正面から戦ったのですから、武士としての正しく、恥じることも後悔などもない。
相手が憎いわけではないから、手くらい合わせるだろうが、
「所業を悔いて」などというのは星祭さんの勝手な想像です。
ところで、明日のネタを早速書いていただいて恐縮です。
ザに取りに行く手間暇を省いていただいて、お礼を申し上げます。
125名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 00:18:51 ID:H9XNfq1l
>120
ルールって何ですか?
名無しさんはアラシをしたわけでもないし、他スレからのコピーを元に
書いてるけど、それはルール違反じゃない。
ルール違反はアラシをしてきたジミズさんにこそ、言う言葉でしょ。
126Never Returner:2005/10/23(日) 01:21:20 ID:HDnJA64z
通常、目の前に、阿含経典があって、それだけで解脱を目論むのであれば、
神通力の修行を網羅しなければ、殆ど解脱しない。
また他者を教導するためには、他心通などで、修行の成果の判定をしたほうが良い。
個人としての修行でなくて、教団として他者を教導するには、
神通力は必須であると言えるだろう。
桐山先生はこの点、実に誠実な姿勢を示している、と言えるだろう。
煩悩は、ソンデイの言う家族的無意識であり、深層記憶であるので、
通常の観想修行では、まずもって解脱しない。
人生の運命の本体であり、人を酔わせ翻弄させるこの無意識が
簡単に洗い清められると楽観視するのは問題外で、何か特殊な瞑想の技術がなければ
解脱は難しいと思った方が良い。
実質的に密教的な神通力修行を無した者だけが、深層記憶に入り込む瞑想術を体得するのであり、
それを恐れ、無視するようでは、煩悩消滅のための修行は、まず失敗すると思って間違いない。
現実に、樹意は阿含経を読んでいても、解脱していない凡夫であり、
七氏は相変わらず人間の水準にも到達していない。
こいつらが、阿含宗の批判をするなぞ、100年早いのである。
127Never Returner:2005/10/23(日) 01:28:42 ID:HDnJA64z
荒らしたってかまわぬ、このようなばかげた掲示板は。
存在価値が無い。
漏尽通の定義論争で分ったであろう。
第一、論争に負けたことさえ気づかぬ阿呆どもには、掲示板は相応しくない。
在ることが否定されれば、無いであり、無いことが否定されれば在るである。
こんな論理構成も出来ぬ、愚か者七氏とは議論して無駄である。彼は
封殺=相手の動きを封じ込める、と言う言葉を殺す=KILL と間違えたほどの愚か者で
そのため警察に通報しようと、この掲示板で呼びかけてもいる。そんな愚か者が
阿含宗を批判できるものか。身の程をわきまえろ。
七氏、ただの糞馬鹿ではないか。ふふふふふ、あまりに馬鹿で
話にならぬわ。
128Never Returner:2005/10/23(日) 01:32:22 ID:HDnJA64z
なぜ阿羅漢が応供なのか?と言うことを私なりに解説してみます。
阿羅漢は来世が在りません。したがって、阿羅漢たる人が、供物を捧げた人に対して、来世に果報を与えることは有り得ません。
それでは現世ではどうでしょうか?現世でも、到底その人に借りを返すということは有り得ません。阿羅漢は貸し借りで供養を受けたりはしないからです。
それでは供養を与えた人の果報は(徳力)はいったいどこへ行くのでしょうか?その人に返るしかありません。阿羅漢に与えた供養は必ず、その人本人に善果となって返るのです。
まさに、来世が無いという境涯が、このような結果をもたらします。
これが阿羅漢が応供と呼ばれる所以だと考えます。

ただこれで、終わりじゃない。阿羅漢は輪廻の最終点であるから、
果報はその人の輪廻の最後に返される。
与えた同等のものが返ってくる、という法則があるため、
その人の輪廻最終段階を反復作用として返す。
供養を捧げるものが、阿羅漢を自らの憧れとして、
来世の自分の姿として供養すれば、それが自分の来世の姿として、
鏡のように未来が来る。つまり、
供養を捧げたものが来世阿羅漢になるという強力な可能性を持つ事になる。
その可能性を掴むか?掴まないのかは、その人が、そのときに、
どれだけ憧れの念を抱いたかに掛かる。
強烈な感情とともに刻み込まれた記憶は強い、という法則がある。
それは魂に刻み込まれる。それは解脱の種子と呼ばれるのだ。

現世で阿羅漢に供養を捧げたものは、来世に須陀恒になるチャンスが与えられるだろう。
信仰生活の意味するところはこれである。
129Never Returner:2005/10/23(日) 01:35:56 ID:HDnJA64z
ミスタースポックは、言った。
「魚雷は発射され、本艦からは発射されなかった。残された可能性は、見えないクリンゴン船だけである」
ドクターマッコイが口を挟んだ。
「しかしそれなら、魚雷を発射するときに透明偽装装置を解除するはずで、われわれは見てるはずだ」
ミスタースポックは、右目の眉毛を上に反らせながら、答えた。
「新型の透明偽装装置」
皆はまさかという顔をした。
「すべての不可能を消去して残ったたった一つの可能性は、たとえそれがどんなに信じがたいものでも真実である」
130Never Returner:2005/10/23(日) 01:37:49 ID:HDnJA64z
桐山先生が、過去に書いた著作は何冊あるのだろうか?ゴーストライターが居ないということは、誰もが認めていることである。50冊以上?詳しい数字は知らないが、その中でも求聞地聡明法に関する著作など、
成就した本人しか書けない事柄が随所に散りばめられている。あれが本当のことと確認できる人はこれから何人も出ないだろう。神秘に満ちた本だ。偽ビールを造っていた痩せ詐欺師が
どうしてあれだけの本が書けるようになったんだろうか?そのことに論理的な説明が出来るのであろうか?

昔、桐山が炊いた護摩の火の中に竜神や天部の守護神や如来が現れた。それは写真に撮られた。わたしは伝法会の同室の方に竜神の写真を見せていただいた。
炎がたまたまそのような形になるだけだと誤解している人が居るようだが、見てない人の悲しい誤解である。竜神そのものが護摩の中に浮いているのである。
そういう写真であった。
だから、2重露光だとかトリック写真だとか言われるのが落ちだなとは思う。それだけ、神様がはっきりと映ってしまっている。
そのことに論理的な説明が出来るのであろうか?

徳間書店「念力」という本に従って、私は、ムラダーラチャクラ、マニピューラチャクラ、ヴィシュダーチャクラを開発していった。
本に書いてある通りの修行の成果があった。天耳通を成就し、この世ならぬ音を聴いた。それは阿含経にも記述されていた六神通の一つであった。
このことに論理的な説明が出来るのであろうか?

桐山靖雄という男は優れた密教修行者であって、その成果を本に書いたり、人々に目撃されたりしたのである。
論理的な説明は、これだけである。たとえそれがどんなに信じがたいものでも事実なのである。
131Never Returner:2005/10/23(日) 01:41:35 ID:HDnJA64z
「寿命も業も尽きる事無く煩悩が消滅するのは、いかなる人の場合であるか?預流果を得た人、一来果を得た人、不還果を得た人、独覚の場合である」          阿含経「シュカ・スートラ」より

私がよく引用するこの阿含経の一説で、かなりの事が分る。まず、四沙門果の聖者には煩悩がないが、業があると書かれていることに注目。
同じくシュカ・スートラには「業は束縛されないので、
アジャータ・シャトル王は地獄から再生した後、たびたび頭痛に襲われた」との記述もある。
業は過去に成した行為の記憶で、それが運命の避けられないエネルギーとして作用する、そのエネルギーをまた業と呼ぶ。
業は、運命を作り出すエネルギーのことである。このエネルギーは消えないと阿含経は説く。
たとえばアングリマーラは、村人の投げた石や木材で大怪我をして死んだ。この運命は過去に犯した殺人の作った業である。
しかしながら、本来は輪廻し、来世、人に殺される運命を彼は持つはずだった。地獄への旅を決定付ける輪廻が待っているはずだった。
それが、覆されている。仏陀の教えが覆したのである。
このことをたとえば、「業が切れた」と表現したらどうだろう?業のエネルギーは残ってしまっているが、特定の霊障と結びつくことが無く、
本来のカタストロフィーが消え去っている状態である。これが桐山の言う業の破壊、運命転換、因縁解脱、では無いのか?
確かに業のエネルギーは消え去ることが無い。そういう意味では、業が破壊されることは無い。
だが、業は特定の家庭の霊障と結びつくことによって人間の運命となる。だから、その作用が破壊された時に、
「業の破壊」という言葉は許されてしかるべきである。
それともこれが分らぬほど、樹意は馬鹿か?
132Never Returner:2005/10/23(日) 01:44:18 ID:HDnJA64z
密教は高度な自己暗示術という事柄に関して、補足。

催眠術で、あんたは透視できる、などとやると実際に透けて見えてしまうことがあるそうです。タバコの本数を当てたり、
病気の所在箇所を当てたり、非常に確立の高い人も出て来るそうです。
あなたは世界最高の予知能力者だ、と催眠を掛けると、予知能力を実際に発揮する人が出てきます。
ときにはノストラダムスのような凄い人も出てきます。
ですから、高度な自己暗示術である密教をやっても同じように、超能力者が出てしまうということなんです。ああ、人間は単純な生物だ。
催眠の場合、あとで催眠術を解かなければならないのですが、密教の場合は、深い観想から日常生活にそのまま戻ればよいのですから、便利です。
また自分が、計画的になりたいものになれます。

もっと密教を行じましょう。そのテクニックは、「念力」という本に書いてあります。
古本屋で見つけましょう。徳間書店「念力」、現在は絶版だそうで、残念です。阿含経を密教のテクニックを使って修行してください。
漏尽解脱が非常に速いです。実際にどのような観想をするのかは、私のHPを参考に。
133Never Returner:2005/10/23(日) 01:47:52 ID:HDnJA64z
桐山靖雄が居なかったら、私は解脱を果たしていない。桐山が解脱のチャンスを与えてくれたのは確かなことなんだ。桐山靖雄はかくのごとく修業すべしと、本を書いた。「密教のカリキュラム」、「念力」。それに従って私は修業した。
それに従って修業したものだけが、少なくともその修行方法については批判できる立場にあるのだと確信する。
初期の段階、観音慈恵会から阿含宗初期までの時期で、桐山靖雄は何と言っていたか。思い出して欲しい。基本的には、パワーと徳を付けなければ次の世に生き残れない、ということであった。つまり修業は2本立てだったんだ。
パワーは、チャクラ開発とクンダリーニ覚醒行であった。徳は、千座行であった。この2本の並列だった。
ところが、このパワーのほうは、ほとんどの人が、修業していないではないの。2本立てのはずが、皆一本だてにしてしまった。桐山の神通力に頼りっぱなしで、信者としてくっ付いて行っただけではないの。
桐山靖雄は、しっかり修業し来たるべき激動の時代に、世界を救い、他者を教導するそういう若者よ集まれと、われ等を集めたはずなのだ、最初は。
裏切ったのは、お前たちであって、桐山靖雄では無いのではないか?考え違いをしていないか?
桐山の神通力に頼りっぱなしだった人々は、桐山から弟子扱いを受けてないだろう。弟子入りしたつもりでも、桐山靖雄は弟子だとは思っていない。ユビキタスは桐山に弟子入りしたことも無かったと言えるだろう。
信者として、現世利益だけを頂戴しようと群がったのだ。それでは、正月の神社仏閣にお参りするのと同じですから、お賽銭を返せと言うに等しいことをユビキタスは、この5年間言い続けてきたのと同じではないのか。
134Never Returner:2005/10/23(日) 01:51:59 ID:HDnJA64z
全てを語っても、納得しませんよ、ユビキタスとか、名無し@3周年とかあの連中はね。不快なことはしなくて結構。まともに相手にしてはいけません。不誠実なんですから。
彼らの言葉は全て嘘だと思っててください。表面的な言葉使いだけはまともですが、彼らの言葉は、相手にするだけばかばかしく、偽りと疑惑に満ちています。屁理屈の塊ですから。
とにかく、発言を促されても、まともに付き合う必要な全然ありませんから。考え違いをしないでください。適当に、やりたいように流してください。
名無し@3周年は人に不快感を与えることを趣味にしているような奴ですよ。まともに、議論したってだめですよ。
魂が汚れてるんですから、彼は。
135Never Returner:2005/10/23(日) 01:55:15 ID:HDnJA64z
かくて、悪しきもの樹意は、桐山のもとに至りて、偈をもって桐山に語りかけた
「他の人々を教えることは
 汝にふさわしいことではない
 汝は、それをあえてして
 貪りと怒りにとらわれぬがよい」
{桐山は仰せられた}
「他人の利益と
 愛憐とのゆえにさとれるものは
 他を教える
 阿羅漢は、貪りも怒りも
 すでにことごとく解脱した」
そのとき、悪しきもの樹意は
「桐山はわたしを知っている。
 桐山はわたしを見抜いているのだ」
と苦しみ萎れて、そこにその姿を没した

(南伝相応部経典4,14、相応しき)
136Never Returner:2005/10/23(日) 02:01:08 ID:HDnJA64z

今、桐山を置いて誰が在家の人々に、「阿含経を修行しよう!」と呼びかけるであろうか?誰ひとり居ない。他には誰も。
桐山を批判することは、国益に反し、現在の宗教界の状況をわきまえない、愚かさそのもの。日本を滅ぼすもの。
樹意の書いてることを信じたって、修行が止まってしまうだけ、メリットはゼロである。だから、樹意はこの世の糞なのだ。
自分のしていることが正しいと確信していても、状況的に明らかに多くの民衆にとって不利益ならすべきではないのです。ですから、
小泉の靖国参拝も大反対です。状況的に明らかに多くの民衆にとって不利益なことだからです。

状況をまるでわきまえていないという点で、樹意は日本の毒虫である。この国の、馬鹿貝である。
現在消火活動をしている消防夫を代わりの者を立てることなく、過去の言動の矛盾点を述べ立て排斥したところで、
残るのは焼け野原ではないか?桐山が過去に偽ビールを作った?知ってる!だが誰でも知ってることである。
彼を在家修行の指導者にさせたくなければ代役を立てろ。知恵が無いのである。樹意は日本の空っぽ脳みそである。
法華経がこれだけ馬鹿をやっている状況下で、阿含経を在家の人に勧めるだけで、素晴らしい宗教家なんだ。
それほど、法華経の弊害が大きい!のである。
そこが見えない樹意は、底が見えない愚か者である。掲示板での仲間も同罪である。
137Never Returner:2005/10/23(日) 02:03:39 ID:HDnJA64z
煩悩が深層記憶にあり、深い瞑想が必要になる、と私NRは書いておきながら、
準低尊千座行はそれほど深い瞑想とは思え無いのだが、と言う意見があろうかと思う。
その通りで、確かに、形式的に単純な勤行形式に、唯一、真言と印ゲイが与えられた辛うじての密教形式であった。
だからこそ、千回の繰り返しを要求したのである。繰り返せば、水石をも穿つ、と言う種類の行だったのである。しかも、密教的な行については、皆初心者であったのだ。
だから、ユビキタスのように成功しなかった者もいるのである。
勤行に時の心の使い方、精神手中の仕方まで、懇切丁寧に、指導を受けた訳ではないから。我々全員がそうであった。千回の繰り返しと、準低尊の真言に全ての希望を託した行であった。
もちろん、それで解脱した人も、大勢いるわけです。
要は、煩悩の深みまで到達する修行を出来るか否かで、全ての成否が決まるのである。
138Never Returner:2005/10/23(日) 02:15:15 ID:HDnJA64z
糞、7氏は何を言ってきても、私はコメントを出さないよ、お前は漏尽通定義で
日本語の論理を破壊して平気な馬鹿だ。おざなりな反論は聞き飽きた。
そんな馬鹿に付き合うほど、俺は暇ではない。
はっきりと、おま得の矛盾は解決できぬまま、保留されているのだ。
お舞いさんほどの、罰当たり野郎は居ない、お釈迦様と言葉が対立しているのだからね。
早く謝るが良いよ。

ふふふふふ。
139樹意 :2005/10/23(日) 07:59:38 ID:m5ZlUyZg
>>117
> 今は入行費に入っているからいいようなもので、昔の座右宝鑑は
> 高級和紙に印刷して、高級紬で製本したものだから、たしか二万円くらいした。

ん〜 確かそれぐらいでしたというか私は3万ほど払ったように記憶しております、
霊写真がオマケだったようです、これを得たときは結構感動したものです。
今にして思えば、汚物に感動したわけですね。
すり替え手法の 教科書としてはいまだ健在ですから このスレッドを参照される方は
よく比べてみるとよいでしょう。
140樹意 :2005/10/23(日) 08:09:38 ID:m5ZlUyZg
>>120
> 基本的なルールも守れない奴が

公開の掲示板を引用するのは別段ルール違反でもありませんし
ネチケット違反でもありません。
そういう批判が嫌なら非公開の掲示板にすればいいのです 私が利用する
業界の掲示板も非公開でパスワードを貰わないと入れないようになっています。
本来批判というものはどこの業界でも成長するためには絶対必要不可欠なもので
ありますから、批判を排除しようとした時点で 北の将軍さまが納める国のように
成長が止まってしまいます、 まして宗教の場合は個人崇拝のカルトと認定されても
文句は言えないと言うことです。

あの世界企業のトヨタですらいまだ成長を続ける企業であり、そのカイゼンは
批判の中から生まれるものです、
役員といえどファーストクラス禁止の姿勢は、見習うべきものが沢山あります。
この宗教団体の長などは京都から弁当を運ばせたとの書き込みがあります。
単に宗教を利用して貴族を作っただけという見方をされても仕方ないのでは
ないでしょうか。



141樹意 :2005/10/23(日) 08:21:50 ID:m5ZlUyZg
>>Never Returner
漏尽通のコメントは煩悩の四聖締であると私は書いているし 解脱に必要ないとも書いていない
から、君のは議論の対象にはならない。この教団の教義にもない事を言っても寝言認定される
だけと心得よう。
>>132
> 漏尽解脱が非常に速いです。実際にどのような観想をするのかは、私のHPを参考に。

お前の説くところでは漏尽解脱には神通力がいるのだろう、 だからお前の主張に合わせて
やるから その神通力の現実世界の実例を示せと と言っている。
樹意ごときの経済見通しなんざ軽く蹴飛ばした 実例を出せばみんな納得するだろう。
その上でゲイカの擁護をするのが カッコいいセイジャというもんだ。
さあどうぞ。
>>天耳通を成就し、この世ならぬ音を聴いた。それは阿含経にも記述されていた六神通の一つであった。
こんなのは現実世界で証明できるものとはいえないから ちゃんとしたものを書いてみよ。



142名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 08:22:51 ID:BnqGTkzF
>23 ぜんぜんちがうだろ。
俗人は業の認識がないし、因縁のまま
ただ流されるだけですね。

では、俗人とは違うサギ山は、業の認識があって、因縁の
ままただ流されることはないということかいな?

それで違法行為をして罰金を払うとなると、意図的に、意識的に
それを行ったということかいな?

ということは、違法行為と知りながら、わざと法律を犯して
罰金を払ったということかいな?

それは、計画的であったということであれば、俗人の中でも
悪質なほうに入るな。

また、違法行為と気づいたままに行い、罰金をはらうほどのアホか?

どこが俗人とちがうんだ? 俗人中の俗人ではないか。

おまえの言い分からいえば。
143名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 08:27:27 ID:BnqGTkzF
>23 天地神明にたいしてはなんらやましいことはやっていなかった。

因縁のままに違法行為をしたのなら、そういういいわけもできるかもね。

しかし、サギ山は、そうじゃないんだろ? おまえの言い分ならば。

じゃあ、違法行為と知りながら、

「天地神明にたいしてはなんらやましいことはやっていなかった。」

と言い切るのは無理があるな。

そんなんじゃ、オウムと同じじゃ。
144名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 08:32:58 ID:BnqGTkzF
>23 切れなかったといっても表面的なもんですね。

なんでサギ山のことがおまえにわかるんだ?

なんで「表面的なもん」だとおまえに断言できるんだ?

それに、少なくとも表面的には切れていなかったとおまえは
認めるんだな?

じゃあ、結局、切れてないじゃないか?

それで、言い訳並べても、ただの詭弁じゃ。
145名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 09:26:28 ID:BnqGTkzF
>23 逆ですね、イカサマもんビールで捕まるのと
品質が良すぎて罰金払うのとではは天地雲泥の差

天地雲泥の差って言葉はな、

こういうときには使わないんだよ。

まったくちがうものを指すときに使うの。

むしろ、違法行為としては同じじゃないか。

こういうときにふさわしい言葉をおまえに教えてあげよう。

こういうときは「五十歩百歩」って言うんだよ。

憶えとけ。
146名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 09:32:32 ID:BnqGTkzF
>59 本に面白く載せる、多少のデフォルメ当たり前だろ!

なんで信者のくせにデフォルメを積極的に認めるかなあ。

それは、「事実に則していない部分もあります」と
宣言しているようなものなんだがなあ。


147名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 09:41:28 ID:BnqGTkzF
>59 しかもうろ覚えだった記憶だから、確かな
   嘘だっていう話とは違う。

これは逆ですよ。

「うろ覚えだった記憶」でしかないのならば
「確かな」事実とは言いがたいだろ、ふつう。

どこからどこまでが事実で、どこからどこまでが
事実ではないのか、自分でもわからないから
「うろ覚え」としか書けないんだよね?

そんな記憶に基づいた話なんて
小説にさえならないよ。

ウソか本当か自分でも判別できないような状態なんだから。

そんな記憶を根拠に話を作っても

はっきりいって、「〜だったような気がする」って
レベルの話でしかないよ、そんなの。
148名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 09:58:07 ID:BnqGTkzF
>59 「でふぉるめ」という言葉に大騒ぎして躍り上がって喜ぶなよ。
   アホくさいから(笑)。

あらあら、「多少のデフォルメ当たり前だろ!」と自分も「躍り上がって」
認めたうえに、いまさら「でふぉるめ」で「大騒ぎ」するなと?

駄目押しですな。サギ山の話は「でふぉるめ」当然の話だと?
今更そんなことで「大騒ぎ」するなと?
信者から見たら、「ああ、またサギ山が話を大きくしているようだが
この人はそれが当然だからむしろ当たり前だ、大騒ぎするまでもない。」
ってなるんだな。

騙され続けると、多少話が事実から外れていても気にならないくらいに
鈍感な頭になってしまうということですかね。

よくもそんないいかげんな宗教団体にいて平気で居られるもんだ。

これからもせいぜい「でふぉるめ」万歳でがんばってください。

149名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 16:22:39 ID:BnqGTkzF
>60 大半の信奉者がそうです。

これをもっと正確に書くならば
「少なくとも私の知る範囲の信奉者についていえば
その大半はそうです。」
となるんだろうね。

でもなあ、おまえの書き方からすると、
「全信奉者の大半がそうです」
って書いているように見えるんだよな。
サギ山でも、末端の信者の実情まで把握できては
いないだろうのに、なんでおまえが全信奉者の
信仰の態度、それも、内面の実情まで把握できているんだ?
何か公式の調査発表の資料かなんかが手元にあるのか?
全信奉者の大半が「桐山師の体験の話があるから信じて
解脱供養等しているわけじゃありません」となぜ言い切れるのか?

おまえの知っている限りの信奉者についても、いちいち
そういう信仰態度について聞いて回ったわけでもなく
おまでの想像、推測の範囲を出ないんだろ?

じゃあなんで、全信奉者のことまでおまえにわかるんだ?
150名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 16:39:54 ID:BnqGTkzF
>62 あなたは言葉の論理を感じとらねばならない

NRよ、おまえな、「論理」って言葉を本当に理解しているのか?

まあ、理解しているわけないだろうけれど。

「論理」ってのは、どちらかといえば、「数学」に近いんだよ。
「論理学」の入門書でも買って読んでみろ。
完璧な理屈の世界なんだよ、「論理」ってのはね。左脳の世界なの。
「言葉の論理」を「感じ取る」なんて右脳的な世界ではないの。

「論理」とは、言葉という記号を用いて表された「仮定」「条件」「結論」
であって、それは「感じ取る」のではなくて「読み解く」ものだよ。
数学と同じなの。数学は、数学的仮定に基づいた、数学的な記号を用いた
「論理」の組み立てで成り立っているのだから。

おまえは、方程式の答えを「感じ取る」のか?

他の人はみんな、方程式を、筋道を通して解いて答えを出すんだけど。

151名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 16:48:24 ID:BnqGTkzF
>72 論理が真理を暴くのです。

この言葉は、まずはおまえがよく理解しなさい。

「論理」という言葉と「真理」という言葉です。

どちらも、おまえがここに書き込んでいる言葉、
ここでおこなっている行為とは、縁遠い言葉です。

「論理」や「真理」について生半可にしか理解していない
おまえが、他人に説教をたれている場合ではありません。
152名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 17:01:11 ID:BnqGTkzF
>76 論理を逸脱する脳みその無さ

おまえを自己描写した言葉だな。

おまえが「論理」に弱いのはみんな知ってるよ。
「論理を逸脱する」なんておまえにとっては
日常茶飯事だからね。

おまえに脳みそが無いとはいわないよ。

麻原にだって脳みそはあるんだから、おまえにもサギ山にもあるだろう。

3人ともに言えることだが、
まっとうな人間におなりなさい、って感じだな。

153名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 17:46:10 ID:BnqGTkzF
>90 馬鹿やもう止めれ!

「馬鹿や」って何? どこの地方の言葉?

おまえな、そうとう目が悪いらしいから、レス1の

「Never Returnerなる人物の大量コピペがありますが、読み飛ばしましょう。」

って見えないだろ? 見えるわけないよな。

このスレに、特に初めて来る人は1を読んで

「なんだ、こいつはただのアラシか」と思うだけ。

おまえはな、このスレでは「読み飛ばし」積極奨励の「アラシ認定」をうけてるの。

おまえはすでにもう、このスレでは「ただのアラシ」以上のものではないの。

なんでかわかる? わかるわけないよね。

それがわかるだけの知性があったら、「アラシ認定」なんてされないもんね。

もうおまえが何を書き込んでも「NR=アラシ」だから、何の説得力もないの。

よくできた奥さんにでもなぐさめてもらっとけ。
154名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 22:58:16 ID:xmFyLps7
>>116 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:31:28 ID:3hOMAshM
>だから個人的に思います。と言ってるだけジャン。

被害妄想を広げないで、私の文章もたまには丁寧に読んでください。
あなたの思いを述べているのを悪いなんて言っていませんよ。
あなたが個人的に桐山さんの嘘を信じていることが悪いなんて書いたことは一度もない。
星祭さんを信者として引き合いにしているだけで、「思うのはけしからん」などと私は書いていない。
私が書いているのは、三十年桐山さんを信じている星祭さんにして、
何の根拠も示せないという事実を見てもわかるように、
十八人の霊障武士など嘘だと、読んでいる信者さんたちに説明しているのです。
こんな根拠のない嘘を信じ続けていられる星祭さんを
他の信者さんたちに、自分の鏡として見てほしいと書いたのです。
155名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:01:26 ID:xmFyLps7
>>116 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:31:28 ID:3hOMAshM
>だから個人的に思います。と言ってるだけジャン。

読んでいる信者さんたちは「桐山さんと阿含宗はの嘘だらけ」と面と向かって言われたら、
ムカッとくることは、星祭さんのこの反応を見れば十分です。
長年阿含宗で桐山さんを深く深く信じて、他人に説教するほどの修行をして、
聖なるバイブレーションを感じる星祭さんにして、こんな反応です。
ましてや一般の信者は面と向かって言われたら怒る。
だが、言われているのは星祭さんであって、読んでいる信者さんではない。
私は信者さんたちに「ほら、ごらんなさい。長年信仰して、
仏陀の智慧を目指している先達にしてこの有様ですよ
あなたもこんなふうになりたいのですか」と他の信者さんに問いかけているのです。
156Never Returner:2005/10/23(日) 23:02:54 ID:HDnJA64z
阿含宗は正当な仏教教団である。
桐山が運命の本体を「因縁」と呼び、それを解脱しようとしたことが、
実は阿含経に説かれる煩悩解脱と全く同等のものだったのである。
煩悩は、阿含経典の中では漏と呼ばれ、これはアルコールの意味である。
人を酔わせるものとして、煩悩は定義されている。
現代流に言うなれば、人をそのように向かわせる衝動である。
酔っ払ってしまっていて、自分の行動がきちんと制御できない原因となるもの、である。
これが悪しき運命を喚起する。
桐山は、この煩悩がもたらす悪しき運命の方向から見ていたために、「〜の因縁」
という呼び方をして、我々を修行に赴かせた。
たとえば、血縁相克の因縁、刑獄に繫がれる因縁、肉体障害の因縁などである。
桐山先生は、阿含経における煩悩解脱と因縁解脱が同一のものと、
最初から気づいていた訳ではないと私は推理している。
阿含経のことは後から、気がついたのではないか。
普通の宗教団体のように一種、現世利益の面から、たまたま煩悩への対処を
我々に促したのではなかろうか。
それにしても、我々仏道修行者にとっては幸運な出来事であったと思う。
それは、密教の周辺に居た、ということが起因しているのだ。
真言密教から離れなかったことが幸いしたのだと私は考える。
その中に仏教の根本たる成仏力の発現があった。
その伝統の中に在ったために、煩悩からの解脱力を観音慈恵会が備えていたということだろう。
密教には、深い自己変革のパワーと、釈迦牟尼の煩悩解脱の力が実際に存在したのだ。
157名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:08:20 ID:xmFyLps7
>>120 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
>ものであり、他スレの人の会話を勝手にもってきて
>グズグズ文句たれんのは、まったく不快であり
>悪臭以外の何ものでもありません。

ですから、星祭さんに文句など垂れておりません。
自意識過剰なんじゃありませんか。
あなたのことなんか私は関心がないと何度も書いている。
星祭さん個人のことを書いているのではありません。
誰なのか知らないのだから、関心の持ちようもない。
ネタを提供してもらっているだけです。
私は18人の霊障武士などインチキであり、ソンディの話も嘘であり、
阿含宗の霊障教学などデタラメだと申し上げているのです。
霊障教学が「悪臭」と言われれば、たしかに悪臭ですね。
全部嘘であり、桐山さんの煩悩丸出しの話しですから、煩悩はたしかに悪臭です。
158名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:13:58 ID:xmFyLps7
>>116 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:31:28 ID:3hOMAshM
>根拠なんかアンタに示す必要もないし、する気もない!

もっと正確に、「根拠など示せないし、嘘だとわかっていても、
おれは信じるのだ」と書いてはどうか。
する気がない、などと、いかにも根拠はあるがやらないかのように言い方はずるいですよ。
根拠など示せないのです。
文句を垂れているのは星祭さんのほうであり、
二つもレスを付ける暇があるなら、引用するな、ではなく、
議論のテーマである霊障武士やソンディの件で反論すればいい。
できないから、そうやって因縁をつけているのです。
十八人の霊障武士など嘘であり、小説であり、作り話なのだから、
根拠なんか示せるはずがない。
個人の感想と称して、さも何かあるかのように、ごまかしているだけです。
159Never Returner:2005/10/23(日) 23:15:39 ID:HDnJA64z
ご名答。私は荒らしである。
ただ、普通の荒らしではない。一見、論述がまともに展開されている。
そして、実際、樹意や7氏の記述と比べれば、私のほうが理路整然と
ものを書いているのがお分りになるであろう。
そして、第3者が見たときに、何かためになることが含まれている、そういう文章を
目指して書いている。
そして、樹意と7氏が、漏尽通定義を安易に考えて、スシーマ経で前後不覚に陥ったことを
晒し続けて、彼らの記述が説得力がないことを、PRしているのです。
なにしろ、彼ら二人の考え方が、釈迦牟尼の言葉と矛盾しているのは、致命的欠陥です。
160Never Returner:2005/10/23(日) 23:17:07 ID:HDnJA64z
桐山先生の著作を読むと、いきなり、サハスララチャクラの修行をして漏尽通を目指すのは、良くないのだと書かれておられます。
やはり、ムラダーラチャクラから順に上っていくほうが良いとなってるんですね。私のHPでは次の記述があります。////
甲状腺ホルモンを通常より多く分泌させるとこのような超能力がつくなどと、現代医学は決して認めませんが、
事実は事実、なるものはなるのですから仕方ありません。

甲状腺ホルモン亢進症であるバセドウ氏病は非常に多くの症状があって、30個近くある症状のうちで
天耳通に共通したものが2つあったので、驚きました。 掲示板でバセドウ氏病との関連を指摘され
調べてわかったことですが、私もこれには驚きました。
    少なくとも、甲状腺と耳とが関連する事は証明されたと確信。

1 聴力が敏感になる・・・聞こえる周波数が違うが、耳が良くなる点では同じか。
                びっくりだ。 バセドウ氏病の方はこのせいで、いいらいらして怒りっぽくなるそうです。

2 体がゆれる感じがする・・・天耳通の神通力者は地震を予知するときに、体の奥がゆれる感じがする。
                        こりゃあ、驚いた。   
その事で、何故天耳通の神通力者が、他の悪いバセドウ氏症状が出ないのかと議論になった。
私は、天耳通の行者は、性腺ホルモン、胸腺ホルモンも通常より多く分泌している点、
またマニピューラチャクラと呼ばれる太陽神経叢も通常より活性化している点、
そう言うことが他の症状を出さないことに影響しているのではないかと、推論した。
多分このことはいつか、医学が証明してくれるのではないかと、希望を持っている。
///この記述はヴィシュダーチャクラを先に開発した場合の危険性について述べている訳だが、
いきなりサハスララチャクラを開発した場合でも、同様の危険性が出てくるのではないかと、
桐山先生は心配なさっている訳です。視床下部は、視覚と人格を変化させることが出来る部位であり、
そのことから言えば、視覚と人格に危険が伴うということになる訳です。
161名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:17:58 ID:xmFyLps7
>>116 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:31:28 ID:3hOMAshM
>ユビ氏との対話を勝手に引用すんなよ!
>エチケットを守れ!何度いってもわからん馬鹿なのか
>>120 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
>基本的なルールも守れない奴が

>[863]星祭@末裔 05/09/14 22:53 m8fQoIkXSG
>やめていつまでもウジウジしてる人ってのは、2chの七氏も同じような雰囲気を感じます。

勝手に引用するなと怒鳴るわりには、あなたは上記のように、
一ヶ月ほど前、ザのスレで私のことを批判しています。
よさんも星祭さんも私のことを書いていながら、引用されると怒り狂う。
基本的なルールもエチケットも守っていないのはあなた方のほうです。
阿含宗の先達様はそろいもそろって自分を省みないのは、
桐山さんをお手本にしているからでしょう。
桐山さんも信者に説教するわりには、たいてい自分が一番守らない。
だから栄養講義などしながら、本人は糖尿病に脳梗塞という生活習慣病です。
批判を歓迎しようなどと座右宝鑑で信者に教え諭すのに、
桐山さんを批判などしようものなら、激怒して、自分の目の届かない所に追いやる。
162Never Returner:2005/10/23(日) 23:19:33 ID:HDnJA64z
下手に先走って、修行すると、樹意のように傲慢な人間になったり、あるいは
7氏のように脳みそが消滅してしまう事態も起こりえます。(藁)
163名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:19:51 ID:xmFyLps7
>>120 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
>基本的なルールも守れない奴が
>なにがキリヤマ云々などとほざけるのであろうか?

私はキリヤマ云々など書いたことはありません。
桐山さんか桐山ゲイカとよほどのことがない限り尊称をつけている。
他人にルールを説く前に、信者の分際で桐山さんを呼び捨てにしたり、
桐山ゲイカなどと書くのをやめて、信者としての基本的なルールを守ってはどうか。
164樹意 :2005/10/23(日) 23:21:18 ID:FIbobEDj
>>Never Returner
>>156
> 桐山先生は、阿含経における煩悩解脱と因縁解脱が同一のものと、
> 最初から気づいていた訳ではないと私は推理している。

心の解脱と因縁解脱の違いは基本教学ですから そんなこたー推測もなんも
ありゃしませんぜ ジミズのおじさん。 基本教学 わかるかな〜 
わかんね〜だろうな。 
 き  ほ   ん   
165名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:23:07 ID:xmFyLps7
>>120 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
>なにかというと「桐山さんは・・・」などと言う。

星祭さんは頭に血がのぼって、ここがどこなのかすら忘れている。
>>1にあるように阿含宗と桐山さんを批判するスレです。
「桐山さんは・・・」と書くのがこのスレの目的です。
ここでの話のテーマは常に「桐山さんは・・・」なのです。
信者も擁護側もこんな事もわからないのですね。
あなたのように引用するなと怒鳴るのがこのスレの主旨ではない。
聖なるバイブレーションなんて説教するなら、
もう少し冷静に反論するくらいの余裕を持ってはどうか。
もう若くはないのだろうし、カッと頭に来るのまで桐山さんの真似をしなくていい。
書き込みに自分の修行の結果が問われているなどとは思いもよらないのでしょう。
口先でどんな偉そうなこと話しても、アナゴンだのアラハンだのと宣言しても、
その人の書き込み一つにすべてが現れてしまう。
166名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:26:00 ID:xmFyLps7
>>120 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
>確かに教団や中途半端な指導など批判するべきこと
>は山ほどあるが、個人的なワガママなど糞のような

どうぞ、読んでいる信者さんたちは星祭さんの重大な発言に着目してください。
桐山さんの指導は「中途半端」であり、批判すべきことが「山ほどある」。
三十年間、阿含宗を信仰して、桐山さんの漬け物のようになっている星祭さんにして、
教団には批判すべきことがあるだけでなく、
桐山さんの指導は中途半端で批判するべきことが、一つや二つではなく、
山のようにあると書いているのです。
まだ入信して長くない信者さんたちは、
これから桐山さんが素晴らしい指導をしてくれると期待している。
だが、三十年間、桐山さんについて来た大先達様が、
桐山さんの指導はどれもこれも中途半端であるため、
批判側に言われるまでもなく、批判したいことが山のようにあるのです。
信者さんたちは星祭さんのこの発言を重く受け止めるべきです。
167樹意 :2005/10/23(日) 23:28:10 ID:FIbobEDj
おめえが漏尽通に対するワシの発言を曲げる限り 何度でも指摘しますよん。
>>Never Returner
>>160
> 2 体がゆれる感じがする・・・天耳通の神通力者は地震を予知するときに、体の奥がゆれる感じがする。
>                         こりゃあ、驚いた。   
> その事で、何故天耳通の神通力者が、

この教団の批判に協力頂いた感謝の印に ジミズ教の定義に則り その神通力の実際を聞いてやるから
書いてみれ と言うているのに書けないのかいな。 こりゃまた お恥ずかしい限りでんな。
ほれ 能書きはいいから実際その天耳通とやらが現実世界でどれだけの 験を現したか 書いてみれ。
ほれ ほれ ほ〜 れ。

まさか樹意ごときの経済予測に負けるようじゃ 応援する擁護派に申し訳たたないのと違いますか?


168名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:28:59 ID:xmFyLps7
>>120 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
>確かに教団や中途半端な指導など批判するべきこと
>は山ほどあるが、個人的なワガママなど糞のような

勢いでつい星祭さんは本音が出てしまった。
もっとも、ザのスレでは時々この本音を出している。
「中途半端な指導」について星祭さんに代わって説明しましょう。
これは正確には、指導が何もない、という意味です。
様々に伝法会を開いて、何事が行法を教えるが、その時だけで、何の脈絡も発展性もない。
超能力開発を『変身の原理』で売り出したのが1971年ですから、
あれから何と34年たっているのです。
そして、ただの一人も超能力者は出ていない。
いるのは、桐山さんはじめ自称超能力者、自称聖者ばかりです。
169名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:29:35 ID:OBdsFTzf
勝手な引用とただの批判の違いもわからんバカなのかい?
「ザ」で文句言われるのが嫌ならば勝手な引用
やめるべきでしょうね。
最初に始めたのはアンタだろ、「ザ」から勝手に
もっていって、だから「ザ」でもアンタのことを書いたの
だよ、わかるかね?えっ七氏くんよ!
170名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:31:28 ID:xmFyLps7
>>120 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
>確かに教団や中途半端な指導など批判するべきこと
>は山ほどあるが、個人的なワガママなど糞のような

阿含宗を立宗した前後の夏期伝法会、瞑想センターなど、
もういますぐにでも超能力開発法を伝授するはずだった。
平河町にあった道場には求聞持法のためのプラネタリュームがあり、
最新のコンピューターで信者の指導が行われるはずだった。
しかし、伝法会は密教の四度加行にすぎないし、
護摩法を伝授されても道場での練習すら行われなかった。
瞑想センターの講義は10回以上も行われたが、どれもワンパターンで、
本に書いてある以上のことは何も出てこない。
あんな程度なら、他の瞑想の本にいくらでも書いてある。
いつも「今度の本が最後」また「君たちにはまだ早すぎる」というのが桐山さんの口癖。
いつのまにか、陰と陽の部屋とか、それぞれのマンダラなどは消えて、
チャクラペンダントは護摩木のオマケになった。
171名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:32:29 ID:OBdsFTzf
しかも、なんど抗議しても止めない。
ジミズ氏に叩かれ、ネタにつまると
勝手にもってきて、あ〜だ、こ〜だ、で、桐山さん(笑)。
いいかげんにせい!
172Never Returner:2005/10/23(日) 23:33:00 ID:HDnJA64z
視床下部については、視覚と人格を変化させることが出来る、
と書きましたが、全て修行と言うものは、精神的なものも含めて、
身体の部位にその根拠があるわけです。
他人に対しての思いやりは、その人の周囲に対する良い評判や、職業運、金銭運
と結びついており、多くの場合、胸腺ホルモンの修行をすれば、
増進するものであります。この修行を極めれば、テレパシー能力(他心通)が
発現しますが、そこまで行かない人も、修行の効果は社会的な成功と言う形で現れるでしょう。
その過程で、自分に他人に対する配慮が大いに欠けていた事が、理解され、また
人間における多くの精神的な特徴は、結局は身体の特徴に過ぎないことが分るでしょう。
これは悲観するべき問題ではなくて、逆に、身体の改善を伴う修行を積むことによって
どんなタイプの人間にも、希望すれば成れるのだ、という希望に繫がるものです。
この、大きな、修行体系が、ヨーガや密教の中に広がっているわけです。
この、広がりの中から、阿含経世界に展開される六神通ですとか、三明ですとか、
四如意足の修行ですとかの、実態を探り当てればよいのです。
173名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:33:20 ID:xmFyLps7
>>120 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
>確かに教団や中途半端な指導など批判するべきこと
>は山ほどあるが、個人的なワガママなど糞のような

霊能者軍団と桐山さんは宣言したが、中身は独古加持や屋敷浄霊などの
加持祈祷であって、実のところ信者には霊能力などない。
オウムに追撃されて、瞑想センターを潰して、求聞持スクールを作り、
仏陀の法を開いたが、わかったようなわからないようなチャクラタッチ。
桐山さんに触ってもらい、オバチャンと思いこみ激しい信者だけが喜んだ。
パール瞑想法と称して講義を開いた頃は、もう桐山さんはボケていて、
何の講義を開いているのかさえ忘れて、漫談をして、
肝心のパール瞑想の講義をせずに終わりそうになった。
御立派な総本殿と練脳塾はできて、箱根にさらに研修所を造ろうとしているが、
しかし、出てきた内容は、どれもこれも溜息のでるような初歩的な内容ばかり。
子供騙しじゃあるまいし、今さら八段錦法、水泳、瞑想の初歩、滝行、護摩。
最近入った人には物珍しいかもしれないが、
三十年間ついてきた星祭さんには、「いつか見た光景」なのです。
しかも、超人であるはずの桐山さんは脳梗塞を患った84歳の普通の老人。
174名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:35:32 ID:xmFyLps7
>>120 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
>確かに教団や中途半端な指導など批判するべきこと
>は山ほどあるが、個人的なワガママなど糞のような

批判側になど言われなくても、星祭さん本人が三十年に渡り、
桐山さんの空手形をつかまされ続けてきたのだから、
「批判するべきことは山ほどある」は嘘でも大袈裟でもなく、
彼の心底からの本音であり、他の先達たちの声を代表している。
批判など読む前から星祭さんは十分に阿含宗に失望しているのです。
おまけにこのスレに来れば、桐山さんのさらなる嘘が暴露されている。
仏舎利から聖なるバイブレーションを感じることに秘かな誇りと拠り所を見いだしていたのに、
仏舎利は偽物だ、偽物から聖なるバイブレーションを感じる星祭さんはおかしいと批判された。
彼の最大の誇り、拠り所に水をぶっかけられた。
フラフラしながらかろうじて桐山さんの後を付いて来たのに、
批判スレを避けようとして、どぶ川に落ちたようなものです。
星祭さんが批判側の私に物凄く腹を立て、逆恨みする気持ちもわかるではありませんか。
175樹意 :2005/10/23(日) 23:37:48 ID:FIbobEDj
>>Never Returner

験 という字をご存知かな 修験道の験 この教団でアナゴンともなれば仏陀に順ずる神通力者
(仏陀本来の宗教では五神通を持たない阿羅漢があります、そういう意味でもこの教団は詭弁を使います)
験を現さず宝生もなにもないし 神通力もなにもない。
さあ さあ ジミズ教とゲイカ教に則りその神通力 験を聞いてやるから書け。
修験の験を示せや ジミズ。

まあ 逃げ帰るのも自由だがな。 泣いて返ってもいいぞ。


176名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:38:16 ID:xmFyLps7
>>120 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
>確かに教団や中途半端な指導など批判するべきこと
>は山ほどあるが、個人的なワガママなど糞のような

ここで信者さんたちに疑問をもっていただきたい。
三十年も桐山さんから空手形を掴まされ、濡れ鼠状態の星祭さんは、
ではどうしてまだ信者をしているのでしょうか。
それが、星祭さんの欲望と依存心です。
超能力が欲しい、他人と差別化したいという欲望です。
三十年以上なのだから、若い頃からどっぷりと阿含宗につかり、
よさんのように周囲の人間関係も阿含宗で作り上げ、今さら引っ込みがつかないのです。
しかも、桐山さんに強く強く依存している。
長年、桐山さんを信じるための屁理屈を周囲にだけでなく、自分に言い聞かせているから、
今さら否定したら、自分の人生を自分で否定するにも等しい。
ちょうど、まだやっているオウム信者、と同じです。
どんな現実を示されようが、桐山さんに煽られた超能力の欲望と
桐山さんへの依存から離れられないのです。
177名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:42:17 ID:xmFyLps7
>>120 :名無しさん@3周年:2005/10/22(土) 23:38:03 ID:3hOMAshM
>確かに教団や中途半端な指導など批判するべきこと
>は山ほどあるが、個人的なワガママなど糞のような

私は星祭さんがここに登場するのは決して偶然などではなく、
仏様のお手配以外のなにものでもないと信じているのであります!(この一行は太文字ゴシック)
普通なら恥ずかしくて出てこない。
ところが、星祭さんはまるで気にせずに出てくる。
この厚かましさこそ、星祭さんは仏様に選ばれた理由です!!(エコーをかける)
信者さんたちに教えるために彼は選ばれてここに来ているのだ〜〜〜。
せっかく仏様が釣れて来たのだから、私は星祭さんの書き込みを引用して、
信者さんたちに彼の依存と欲望を示すことで、反面教師とするように、
自らを省みなければ、こんなふうになってしまうぞと警告するのが義務なのです。
これが究極のそれだったのだ。
このためにこそわたくしはここに書き込みをしているのだ。
ザのスレの書き込みをそのまま2ちゃんねるにうつさねばならぬ。
それがわたくしの使命だったのですね・・いかん、今日も星祭さんをからかって遊んでしまった。
178Never Returner:2005/10/23(日) 23:52:26 ID:HDnJA64z
全て修行と言うものは、精神的なものも含めて、
身体の部位にその根拠があるわけです。と私は書きましたが、
従って、仏教にとっての肝心な煩悩解脱についても、同じように
身体の部位と言うものを相応させることが出来るわけです。
煩悩からの解脱は、日々のたゆまぬ観想行(自分が自分に言い聞かせること、と私は書いた)
によって成立しますが、実際には、深い瞑想によってのみ到達できることなのです。
深さが必要だからこそ毎日の繰り返しが必要なのです。
桐山が、かつて千座の行を課したのも、その深さの追求のためです。
しかしながら、漏尽通定義で私が主張したように、修行者の資質によっては、
煩悩(深層記憶にある)に対して直接的な働きかけが出来る場合が存在します。
これは一種、悪夢を目覚めた意識で体験する、といいますか(ヴィパッサナー瞑想で言うところの夢見の瞑想)
、あるいは桐山の場合、行法中に不成仏霊を出して、念を込めて成仏させるとか言う行為など
によってもたらされます。
これらは、毎日の繰り返しによって煩悩の本体に到達したのではなくて、
特殊な瞑想術によって煩悩の本体と触れ合い、それを解決した例だと思います。
いわばこういう能力は、胸腺チャクラ、視床下部などが、高度に発達した修行者によって
行われるもので、これが漏尽通なのであります。
こうして、煩悩が解決された後に、涅槃寂静と言う充実感あふれる煩悩のない安心感に満ちた
世界を手に入れることが出来るわけです。
このように修行には、身体的な根拠があるということです。
179樹意 :2005/10/23(日) 23:56:06 ID:FIbobEDj
この教団の教学はシュダオンからは天の境涯となり 一つの神通力を備えると
いいます。 実際は五神通を備えない阿羅漢(慧解脱)もいるわけですから
内容に大きな隔たりがあります。 ビジネス?上のえさですね 餌。
経典上は決定の話といって 念処はこういう観察であるといろいろ 定まった説法に
なります、これをゲイカは超能力開発 クンダリーニヨガに摩り替えております。
では実際の験はどうなのかというと いつも奈々氏さんが批判されている通りであります。
信者から得た金銭で名誉勲章を貰い ○作さんの二番煎じでしかありません。
信者を得る為には験がいりますが それを偽造した批判も寄せられていま。
ゲイカを真似したジミズ教に至ってはその験が 耳鳴りだそうです。(w

ほれ 樹意をぎゃふんと言わせるような験を示してみ。 そうすれば 信者が
できるかもよ ジミズ(NR)さん。
180Never Returner:2005/10/23(日) 23:58:42 ID:HDnJA64z
図書館で全てが解決できると思い込んでいる方は
ただの阿呆でして。(藁)
頭の中の知識が入れ替わっても、人格は変化しません。
その人の根本的な衝動や、運命の軌跡は、ぜんぜん変化しません。
修行というものは、もっと実際的なものです。(藁)
学者が分類した阿含経の用語を覚えても、絶対に、それだけでは解脱しません。
(藁)
181樹意 :2005/10/24(月) 00:05:33 ID:VTNRdOBh
>>180
> 修行というものは、もっと実際的なものです。(藁)

だから実際を聞いてやるから 書けと言うに ほれ ほれ 
俺はちゃんと書いて 引用して示しましたよ、しかも私は神通力なんざもっていないと
書いてあるが その経済予測はちゃんと当てている。
ほんの数ヶ月で樹意のいうことを信じて実行した方は資産が最大五割 少なく見積もって3割
増えている。
お前も神通力の験を示せばいいだろう。


182Never Returner:2005/10/24(月) 00:22:27 ID:dFrV9f9F
須陀恒は自分が須陀恒であることを自覚しません。
これは私が初めて言ったことであり、多くの方が誤解しておられます。
自分の境涯を悟るには、宿命通や天眼通が必要です。
そういう修行を為していないのに、悟る訳、無いではありませんか。
幸運に恵まれて、夢などで、自覚できる場合もありますが、それも少しは
身体的な修行を積んだ人が得られる幸運でしょう。(私のことを言っている)
如来に灯明を献ずるという凡行をなした人は、その果報によって、
自己の境涯を悟ります。これが瞬間的天眼通でしょう。
きちんとした修行によって安定した神通力によって境涯を悟れる人も居ます。
多くの阿含宗の方は、この理屈が分らず、自分が須陀恒に到達しておられるのに
そのことを自覚しない人が居られます。漠然と、如来への絶対的信仰心を私は持っている、とか
3結を断じたような気がする、と、感じている人は居るのです。
本当に知りたいのなら、チャクラ開発行をし、如来様に灯明を献ずる行を積極的に
行ってください。
183Never Returner:2005/10/24(月) 00:23:25 ID:dFrV9f9F
凡行  訂正  梵行
184Never Returner:2005/10/24(月) 00:25:49 ID:dFrV9f9F
ふふふふふ。

かくて、悪しきもの樹意は、桐山のもとに至りて、偈をもって桐山に語りかけた
「他の人々を教えることは
 汝にふさわしいことではない
 汝は、それをあえてして
 貪りと怒りにとらわれぬがよい」
{桐山は仰せられた}
「他人の利益と
 愛憐とのゆえにさとれるものは
 他を教える
 阿羅漢は、貪りも怒りも
 すでにことごとく解脱した」
そのとき、悪しきもの樹意は
「桐山はわたしを知っている。
 桐山はわたしを見抜いているのだ」
と苦しみ萎れて、そこにその姿を没した

(南伝相応部経典4,14、相応しき)
185糞名なしめ、氏ね:2005/10/24(月) 01:45:51 ID:dFrV9f9F
借金取りに会わない方法は、借金を返してしまう選択肢と、
借金取りのいない国に脱出するかの、2つの選択肢があるわけだが、どちらも同じことだ。
借金取りのいない国に逃げるには、借金を返してしまわないと、どうやら行けないらしい。
借金があるという心の中の認識は、借金取りのいない国に自分を逃がさない選択をする。
無意識の選択は自分では自由にならない。
苦しみのある娑婆世界から脱出する方法は、
徳ある行為と瞑想によって一つ一つ苦しみを消していく方法と同じである。
桐山の言う因縁解脱は一つ一つ苦しみを消していく方法である。
その方向性は、釈迦牟尼の言う輪廻からの解脱と全く
同じことです。
これを違うと思い込んでいる樹意は糞馬鹿です。
186糞名なしめ、氏ね:2005/10/24(月) 01:58:01 ID:dFrV9f9F
ムチャリンダ竜王について:
周囲が暴風雨にあるときでも、釈迦牟尼の周囲だけは
寒くも無く、暑くも無く、風もないように、防いでおります。
物質的なとぐろを巻いた体で防いだのではない。
霊的な体で防いでおる。霊的な身体で、7日間も防いでいるんです。
これは一種、局所的に気象を操ったと解釈すべきものであります。
物質的な体を持っていないのですから、そう解釈すべきです。
念力なのです、神通力なのです。精神力で雨や風や熱など物質的なものを動かしたのです。
龍神の気象をあやつる神通力が発揮されたのです。
霊的な体で。7日間ですからね。
187糞名なしめ、氏ね:2005/10/24(月) 02:00:17 ID:dFrV9f9F
パッパパラリア♪、ピーヒャラ、ピーヒャラ、踊るポンポコリン♪
・・・・・・・・・
いつだって、忘れない♪、桐山は偉い人
そんなの常識、イエエーー、パッパパラリア♪、
ピーヒャラ、ピーヒャラ、踊るポンポコリン♪
あ、そ----れ!!
♪ハハハハ。
188糞樹意564:2005/10/24(月) 02:08:49 ID:dFrV9f9F
OOHAA、POOHAA、POOHAA、POOHAA、
POOHAA、POOHAA、POOHAA、POOHAA
FORCEの暗黒面は素晴らしいぞ。最強の仏陀の騎士になりたくはないか?
けけけけ。怒りを解き放て、恐怖心を怒りに変えるのだ。
そうすれば、お前の力は数倍になる。
この世を無常の苦界と観想せよ。
一切の人間に対する哀れみと欲望を消去せよ。
この暗黒面から人は最強の解脱を手に入れることが出来る。
薄汚い人間どもに、別れを言うが良い。
二度とこの苦しみで汚れきった人間世界に戻ってこないと、心底誓え。
怒りをもって、無常を包み込め!全身でこの世を毛嫌いせよ。
誕生すれば、死の苦しみを味わうことになる。
そんなことは愚か者がやることである。
二度とこの物質世界に生まれないと誓え。
FORCEの暗黒面を使え。心を統御せよ。
解脱力が倍になる。
怒りをもって、無常を克服せよ。死への恐怖を理知に変換せよ。
FORCEの暗黒面を使え。さあ。 さあ。
HUHUHUHUHU。
POOHAA、POOHAA、POOHAA、POOHAA、
POOHAA、POOHAA、POOHAA、POOHAA
189糞樹意564:2005/10/24(月) 02:09:47 ID:dFrV9f9F
釈迦「ではスシーマよ、そなたもまた、そのように知り、そのように見て、人間を越えた清浄なる天眼を得て、それによって、人々が死してまた生まれるとき、、...........彼らのなせる業に従って、その幸と不幸とが分かれるであろう事を知ることが出来るであろうか?」

スシーマ「いいえ、大徳よ、そのようなこと、I can not. 」
  ......................

釈迦「スシーマよ、今こそ言う。いまわれらが問答したこと、それから、そなたがI can not.と言ったこと、。スシーマよ、これが、われらの成就したことなのである。」
190名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 03:41:20 ID:K5m6FgQJ
偉い方 関東別院のロールスロイス何処にあるの?
191名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 03:49:43 ID:K5m6FgQJ
すいませんが 桐山さんの冥徳の話を引用してください意味解らん
192名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:30:06 ID:sQCJT74M
>>169 :名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:29:35 ID:OBdsFTzf
>勝手な引用とただの批判の違いもわからんバカなのかい?

引用するなではなく、批判するなが本音ですよね。
反論できないし、批判されると傷つくから、引用するなと言っている。
私は引用元を示して批判している。
しかも、あなたは引用され批判されたことを知っている。
本を引用するのにいちいち著者に断ってネットに載せる人はいない。
ネットは本以上に公開のものです。
引用されたくなかったら、非公開にするか、書かなければいい。
ヂミズさんが東洋大の森先生を引用のように、
引用元を示さず、森先生の主張とは逆の意味に使ったら、大いに批判される。
しかし、こういう悪意な引用を星祭さんはいっさい批判せず、自分の引用には怒る。
ヂミズさんを批判するどころか、「手を焼いている」などと間接的に彼を煽り、応援をしている。
批判に反論もできず、自分の主張の根拠も示せず、
引用を批判しながら、卑劣な引用をしているヂミズさんを応援し、
ただただ悔しくて、罵り返しているのが星祭さんの姿です。
193名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:32:25 ID:sQCJT74M
>>169 :名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:29:35 ID:OBdsFTzf
>勝手な引用とただの批判の違いもわからんバカなのかい?

引用され、批判されたら、反論すればいいだけです。
しかし、星祭さんはしないというよりも、できない。
何か反論などしようものなら、私から逆手にとられる。
こんなこと当たり前です。
矛盾だらけ、嘘だらけの阿含宗と桐山さんを擁護して、理屈の上で勝てるはずがない。
十八人の霊障武士がいたと「思う」が星祭さんの感想ですよね。
小学生の感想文でももう少し根拠を示す。
大人ならこんな感想は恥ずかしくて書けない。
個人の主観を議論しているのではなく、十八人の霊障武士が存在したかどうか、
客観的な根拠を議論しているのです。
あなたが根拠を示すことができないことで、阿含宗の霊障教学に根拠がないことがわかる。
阿含宗で三十年修行した星祭さんが引用されたくらいでヒステリーをおこすことで、
阿含宗での修行など煩悩を断ちきるという仏教の教法でないことがわかる。
あなたはヂミズさんと同じで恥知らずだから、何度でも出てくる。
私は読んでいる信者さんたちにただあなたの姿を描写し、指摘するだけで、
いかに阿含宗が嘘だらけで、仏教の本筋から離れているかを示すことができる。
だから、相方としては最高だと賛美しているのです。
194名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:32:51 ID:BvOAJNLK
>159 ご名答。私は荒らしである。

「ご名答」でもなんでもなく、レス1を読めば誰でもわかることである。

それをいまさら「ご名答」なんて書くのは、おまえが鈍感であるがゆえ。

それに、自分で「あらすぞ」と書き続けていたのだから

今更、アラシ宣言なぞしなくてもいいよ、みんなわかってるから。
195名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:35:39 ID:sQCJT74M
>>169 :名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:29:35 ID:OBdsFTzf
>最初に始めたのはアンタだろ、「ザ」から勝手に
>もっていって、だから「ザ」でもアンタのことを書いたの

星祭さんが私の文章など斜め読みで一知半解なのはよく知っている。
前に金魚のウンコだと書いていましたね。
批判を読むと、心が痛むから読みたくない。
まともに読むと傷つくから、あなたはつまらない内容だと決めつけて、斜め読みしている。
だから、時々トンチンカンなことを書いて、また私に反論ネタを提供する。
でも、反論するなら、もう少し丁寧に読んでください。
>>161で、私はあなたがザのスレで私のことを批判したことを悪いなんて言っていない。
「アンタのことを書」くのではなく、阿含宗について反論するべきなのです。
私のことではなく、議論されている内容について反論するべきなのです。
こんなことすらわかりませんか。
私があなたの文章を引用しているのは星祭さんの個人的なことを書いているのではない。
あなたが書いた阿含宗の教義についての批判と、
三十年信仰を続けてきた大先達としての発言を取り上げているだけです。
あなたや使者さんが意識しようがしまいが、あなた方は信者代表なのです。
196名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:39:06 ID:BvOAJNLK
>194 ただ、普通の荒らしではない。

たしかに、スレで名指しで「読み飛ばし」を奨励される

「荒らし」は珍しい。普通ではなく、悪質だな。
197名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:40:16 ID:sQCJT74M
>>171 :名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:32:29 ID:OBdsFTzf
>ジミズ氏に叩かれ、ネタにつまると

星祭さんはヂミズさんのほうが正しいのですね。
ヂミズさんを支持する数少ない一人です。
というと、支持などしていないと、また逃げるのでしょう。
でも、私とヂミズさんとの議論を読んで、私が「叩かれ」と判断するのは
明らかにヂミズさんを擁護している。
私はヂミズさんに反論できなかったことなど一つもありません。
ヂミズさんとの議論などとうの昔に終わっている。
同じ話をただ繰り返しているだけで、しかも、阿含宗とは全然関係のない自慢話です。
彼は反論を完全に無視して、同じ書き込みを続けているだけです。
今も樹意さんに質問されても、答えられないから、無視している。
反論できなくなり、このスレを去った星祭さんに比べて、
ヂミズさんのほうがさらに羞恥心を解脱している。
本人もアラシだと宣言しているのだから、星祭さんはアラシを支持するのですね。
あなたにとって敵の敵なら、ゴキでもダニでも何でもいいのだ。
あなたのその品性のなさ、目的のためなら手段を選ばない態度はすばらしい。
阿含宗で長年修行してきた先達がこのようであるという見本として、
私は読んでいる信者さんたちに示すことができ、重宝している。
198名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:43:50 ID:sQCJT74M
>>171 :名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:32:29 ID:OBdsFTzf
>勝手にもってきて、あ〜だ、こ〜だ、で、桐山さん(笑)。
>いいかげんにせい!

私が桐山さんと書くのがよほどあなたは気に入らないらしい。
尊称を付けるのがどう「(笑)」「いいかげんにせい!」なのですか。
しかも、尊称を付けることと、あなたの文章を引用することには何にも脈絡がない。
大先達の星祭さんは、桐山と呼び捨てにしたことがある。
あなたはさも自分は指導者すらも呼び捨てにするほど
客観的に見ているのだとポーズをとったつもりでしょう。
本当に客観的なら立派だが、十八人の霊障武士がいると「思う」というのでは、
そのポーズはただのポーズにすぎない。
桐山さんは僧侶ではないから、「桐山猊下」は正しくない。
猊下は普通僧侶に付ける尊称だが、桐山さんは偽坊主です。
だから、批判側は「桐山ゲイカ」と書く。
すると星祭さんも桐山ゲイカと書いていた。
批判側が使うから、真似をして皮肉ったつもりなのですよね。
199名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:46:21 ID:BvOAJNLK
196の訂正

誤:>194 ただ、普通の荒らしではない。
正:>159 ただ、普通の荒らしではない。
200名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:47:18 ID:sQCJT74M
>>171 :名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:32:29 ID:OBdsFTzf
>勝手にもってきて、あ〜だ、こ〜だ、で、桐山さん(笑)。
>いいかげんにせい!

自分の師に深い尊敬の念をもっていたら、皮肉のネタには普通の人はできない。
信仰心があるキリスト教徒が踏み絵が踏めないのと同じです。
ところが、あなたは桐山ゲイカと書いて、何ら恥じることもない。
憎しみのためなら、自分の師を皮肉のネタにすることすら気にしないのです。
阿含宗で三十年修行して、因縁が薄らぎ、心解脱の道を歩み、
聖者への階梯を進むはずの先達が、俗人顔負けの憎悪や怒りの煩悩を丸出しにして、
しかも、これを恥じる様子もない。
読んでいる信者さんたちはよく見てください。
星祭さんが例外なのではない。
長くいれば程度の差こそあれ、みんなこうなる。
阿含宗の修行など釈尊のいう解脱には何の効果もないばかりか、
逆に煩悩を増やしているのが現実です。
桐山さんも星祭さんと同じように、オバサン一人に批判されて、激怒して、
暴力を用いて追い出した。
こういう師の元で信仰を続けたら、星祭さんのような人になっても、不思議ではない。
201名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:54:28 ID:sQCJT74M
>>171 :名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 23:32:29 ID:OBdsFTzf
>勝手にもってきて、あ〜だ、こ〜だ、で、桐山さん(笑)。
>いいかげんにせい!

星祭さんはたぶん元々は普通の人だったのです。
しかし、阿含宗を信仰したばかりに、彼の心には煩悩が渦巻いている。
超能力を得たいという欲望と執着、
聖なるバイブレーションを感じる自分は他の信者とすらも違うという慢心、
批判に対する激しい怒りと憎悪。
口にこそ出さないが、悪因縁と霊障や、
そこから引き起こされるという大災害への強い恐怖心もあるはずです。
これらはいずれも阿含宗で信仰したばかりに新たに作られ、増幅された煩悩です。
信者さんたちも他人事だと思わずに、彼らを見てほしい。
ザのスレを読めば、他の信者側も程度の差こそあれ、星祭さんと似たり寄ったりであるように、
信者さんたちも信仰を持ったために、かえって煩悩が増えてしまっている。
仏教とは煩悩を減らし、なくすことが目的なのですよ。
釈尊はこれ以外に道はないと何度も説いている。
護摩木祈願をして、骨や焚き火にナモナモして御利益をもらい、
災害から免れようというのは、煩悩でしかない。
三十年間修行して、仏教の教えからははるかに離れてしまった星祭さんの姿を
信者さんたちは反面教師としてしっかりと観察することです。
彼の今の姿こそ、信者さんたちの将来の姿だからです。
202名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:54:30 ID:BvOAJNLK
>159 一見、論述がまともに展開されている。

「一見」という言葉は

「ちょっと見たところ」とか「表面的には」という意味だから

たしかにそのとおりだね。自覚はあるんだな。

でも、実際に読んでみると論旨グチャグチャで

頭が痛くなってくるよね。

ちゃんとわかってるじゃないか、自分でも!
203名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 12:58:49 ID:BvOAJNLK
>159 私のほうが理路整然とものを書いているのがお分りになるであろう。

だったら「アラシ」認定なんてされませんよ。

「理路整然」なはずのおまえになんでそんな簡単な理屈もわからんかなあ。

まあ、わかるはずもないか。


204名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 13:05:16 ID:BvOAJNLK
>159 第3者が見たときに、何かためになることが含まれている、
    そういう文章を目指して書いている。

目指す方向は正しい。

しかしそれでおまえが行き着いたのは「アラシ」認定だろ?

おまえの書き込みは「読み飛ばし」対象になってるんだよ?

「何かためになる」と思って、逆に害悪を撒き散らしている。

事件を起こしたオウムの信者と同じじゃないか。

そういう自己中心の正義を振り回すのがカルトなんだよ。
205名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 13:12:02 ID:BvOAJNLK
>185-189

NRよ、とうとう「Never Returner」のHNは捨てたか。

「池田慈水」に続いて2回目だな。

次は、他人のHNを使って書き込みを始めるんだろ、どうせ。

そして、また新しいHNで再登場か。

今度は、「ノータリンナー」ってのはどうだ?

206金剛靖雄:2005/10/24(月) 15:05:20 ID:+pQZX31x
11月12月に起こる桐の破滅のカルマによる
巨大地震はもはやさけようがありません。
各人、寝室には出来るだけものをおかないように
されるがいいでしょう
また、本日はあらたな情報もお知らせしましょう
鳥インフルエンザが人から人に感染するようになり
スペイン風邪と同等かあるいはそれ以上の被害を
全世界におよぼすでしょう
もちろん経済はその影響でメチャクチャになります
桐が近い将来お陀仏になってもそのカルマは数年間猛威を
ふるいつづけることでしょう
207ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/10/24(月) 15:57:46 ID:bz4fShn+
>>206
11月12日巨大地震ね。
チェックしておこう。
当たらなかった時の責任をどう考えているのか、人心を惑わすような発言に関しては、
批判側、擁護側の立場を越えて容赦しません。
208金剛靖雄:2005/10/24(月) 16:35:05 ID:+pQZX31x
11月12日じゃなくて11月か12月
よく読め
209名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 17:21:51 ID:PwHNYvy2
当たらないときは、わたしのおかげです。
210ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/10/24(月) 18:01:57 ID:bz4fShn+
>>208
ああ?11月12月ね。これはスマソ。
11月12月に世界中のどこかで巨大地震ね。
いずれにしてもチェックしとくわ。
211樹意 :2005/10/25(火) 04:57:18 ID:Oap5lfyf
>>Never Returner
>>糞樹意564

ジミズさんは 返答に困って私のHNまで書くようになりました。
私は経営者の視点でもゲイカを批判してますが、要は金の流れがどうなって
いるかを観察するのが一番その経営体を観るにいいわけです。この場合(カルト判断)
表聖職 裏牧場主です。
(その資本政策を観るということです)
オウムはノウハウにおいてこの教団を参照しましたがその資本人材は ○化 ○逸も
出資していたようであり その意向影響といったものも受けていたという書き込み hpが
ネット上には流出しています。

212樹意 :2005/10/25(火) 05:09:28 ID:Oap5lfyf
>>糞樹意564

よく観察しみずから考えて行動するというのは宗教に限らず普遍的なものですが
この教団は人生上のリスク管理に要するお金と時間を教団に入れさせようとします。
そのための教学が組まれています。ですから 守られるという意識から来る弊害として
交通事故などという現象もおきる訳です。
保険屋の如く振舞い、入金させますがその責任の所在は無いようになっています。
事業として観た場合はこれほど利益率のいいものはありません。
どんな事業体を観る場合でも 金の流れをよく観察するというのは基本になります。
どんなことにそのお金が使われるかでその法人の有りようは 真実の姿をさらけ出す
事になります。
213樹意 :2005/10/25(火) 05:22:56 ID:Oap5lfyf
>>糞樹意564

私がNR氏とのやり取りで 投資板に書いた私の数ヶ月前のレスを紹介しましたが この点に対してスレ違いの
批判を頂くと思いましたが今の所無いようです その趣旨をもう一度書きます。
この教団は解脱とともに宝生を説きます、ですがその宝生は教祖依存からは生まれません。
人生上で必要なリスク管理の思考を放棄させる方向にあるということです。
この教団の教祖は自分はそのリスク管理を実行しておりますし、その形跡は節々に散見されます。
ただし信者には盲信依存を要求する教学となっています。
本来の仏陀が説くのは それこそ究極の観察であり気づきの宗教です。
まったく反対です。

私が書いたのは経営上のヘッジでもあり此れが老後の資金に向かえば年金資金の運用となります。
経済見通しを当てた 外したではなく飲み込んでもらいたいのは その
考え方にあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
214名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 12:38:22 ID:ciZ9Wfaf
阿含宗と桐山氏について―第十六章― から部分転載

[155]大王の使者 05/10/22 18:18 JG6JNXCXuP
自称、真実の仏教であるユビキタス宗の管長にして大アジャリのユビさん
に、お伺いいたします。ぜんぜ〜ん急ぎませんから、気が向いたらお答え
ください。もしユビさんが、本格的に仏教を修行したいと思って出家を
決心したとします。
さて、心当たりある仏教の師が二人居たとします。
一人は在家の人だが、アナゴンまで到達していたとします。
一人は由緒正しい出家層だが、シュダオンにもなっていなかった。
さて、ユビさんは得度するのにどちらの師を選びますか?と、いう設問
です。
215名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 12:41:01 ID:ciZ9Wfaf
>>214 :名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 12:38:22 ID:ciZ9Wfaf
>[155]大王の使者 05/10/22 18:18 JG6JNXCXuP
>さて、心当たりある仏教の師が二人居たとします。
>一人は在家の人だが、アナゴンまで到達していたとします。
>一人は由緒正しい出家層だが、シュダオンにもなっていなかった。
>さて、ユビさんは得度するのにどちらの師を選びますか?と、いう設問
です。

桐山さんが偽坊主だという批判に対して、
資格などよりも、実力こそが重要ではないか、という反論です。
これはすでに前スレの417で信者さんたちの主張をまとめた中の、
「5.僧侶や阿闍梨の資格がなくても、桐山ゲイカは僧侶以上の僧侶、
阿闍梨以上の阿闍梨である。」
に相当し、私は前スレの429,430で反論しました。
信者さんたちが資格などどうでもいいと捨てても、
桐山さんは自分には僧侶の資格も阿闍梨の資格もあると答えているのです。
阿闍梨などの肩書きに桐山さんが執着しているのは、
チベットなどから肩書きを買い集めたことを見てもわかる。
最新の本でも、あれで何か霊能力を手に入れたような話を桐山さんはいうが、
チベット仏教側は位階を与えただけで、そんな話はしていません。
肩書きを手にいれたいという欲望をごまかすために、
さも霊的な力を受け取ったような話をしているだけです。
国際警察長協会から勲章をもらった時も、これが因縁解脱した証だと書いていた。
勲章や肩書きを買ったというのでは外聞が悪いから、
必ず宗教的な意味づけをするのが桐山さんの得意技です。
216名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 12:42:08 ID:ciZ9Wfaf
>[155]大王の使者 05/10/22 18:18 JG6JNXCXuP
>一人は在家の人だが、アナゴンまで到達していたとします。
>一人は由緒正しい出家層だが、シュダオンにもなっていなかった。

使者さんのこの質問は、一見もっともらしいから、
信者さんの中にも使者さんの質問に、桐山さんをあてはめて、
そうだ、そうだと賛成していた人がいるのではないでしょうか。
質問自体に勝手な仮定が入っているから、意味がないのです。
使者さんや信者さんたちは、在家の人でアナゴンに到達した人(在家アナゴン)という時、
桐山さんを連想し、由緒正しい出家だが、シュダオンにすらなっていない人とは
一般の坊さんを連想している。
後者はともかく、前者はまったく無意味な根拠のない連想です。
217名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 12:47:23 ID:ciZ9Wfaf
>[155]大王の使者 05/10/22 18:18 JG6JNXCXuP
>一人は在家の人だが、アナゴンまで到達していたとします。

使者さんは桐山さんをアナゴンやアラハンだという大前提で話をしている。
これがそもそも無意味であり、間違っているのです。
信者さんたちも半ば当たり前のこととして、
在家アナゴンとは桐山さんを指すと連想したはずです。
そんな決めつけはしていないというなら、
使者さんのいう在家アナゴンが大川隆法さんや麻原彰晃でもいいのですか。
彼らは僧侶の資格はなく在家であり、ブッダ、最終解脱者、
つまりアラハンを宣言している人たちです。
彼らだけではなく、スレにも自称アナゴンが二人もいる。
使者さんのたとえが成り立つなら、大川さんや麻原、ヂミズさんや実行委員長も
僧侶という資格などなくても、アナゴンやアラハンなのだから、いいではないかということになる。
しかし、信者さんたちも、また使者さんだって、桐山さん以外の人のアナゴンや
アラハンなど認めないし、ましてやヂミズさんなどに帰依するくらいなら、
普通の坊さんのほうがはるかにましだと思っているはずです。
218名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 12:49:54 ID:ciZ9Wfaf
>[155]大王の使者 05/10/22 18:18 JG6JNXCXuP
>一人は在家の人だが、アナゴンまで到達していたとします。

ここまで説明すれば、使者さんのたとえが無意味なのがわかるでしょう。
僧侶の資格とは、社会的にも認知され、普通の人たちも確認できるものです。
これに対してアナゴンは社会的には認知されておらず、
普通の人たちが確認できる内容ではない。
まったく異質なものを使者さんは二つ並べて、比較して、
さももっともらしく結論を引き出そうとした。
僧侶の資格とアナゴンを比較すること自体に意味がないのです。
彼の話は「運転免許証を持っている人と宇宙人とでどちらがいいだろうか」
と質問しているようなものです。
彼の質問自体に意味がありません。
219名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 12:52:16 ID:ciZ9Wfaf
>[155]大王の使者 05/10/22 18:18 JG6JNXCXuP
>一人は在家の人だが、アナゴンまで到達していたとします。

使者さんの質問に意味がないだけではない。
桐山さんのどこがアラハン、アナゴンなのですか。
桐山さんは仏教のアナゴンでは絶対にありえない。
普通、アナゴンという時、仏教のアナゴンを指します。
四果といい、シュダオン、シダゴン、アナゴン、アラハンと聖者の階梯を進むとされている。
四果についての桐山さんの解説は『輪廻する葦』での説明で十分です。
その後、『間脳思考』などではオーラがどうのこうのと始まり、
最近の本ではその内容がますます歪み、すっかりオカルト仏教になっている。
四果の簡単な説明は『輪廻する葦』の258頁である一覧表が仏教に近い。
十結と呼ばれる10の煩悩を断ちきっていくことで、アラハンに至るのです。
オーラも霊的浄化も関係ありません。
220名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 12:59:51 ID:GmEadMH1
>[155]大王の使者 05/10/22 18:18 JG6JNXCXuP
>一人は在家の人だが、アナゴンまで到達していたとします。

アナゴンになるには身見、疑惑、戒取、欲貪、瞋恚という五つの煩悩を断ちきる必要がある。
ところが、桐山さんは不成仏霊がいる、魂はあるという「身見」に囚われ、
釈尊が煩悩を切りないさいというのに、これをオシエにすぎないと「疑惑」に囚われ、
外道の護摩や占いを表看板に使っているくらいだから、「戒取」であり、
桐山さんはあるが上にも名誉がほしいのだから「欲貪」が切れず、
オバサン一人に激怒して暴力まで用いたのだから、「瞋恚」が残っている。
いったい、この桐山さんのどこがアナゴンなのだ???
殺人鬼にすぎない麻原が最終解脱者ではありえないように、
煩悩だらけの桐山さんがアナゴンやアラハンなはずがない。
使者さんはいったいどこに目をつけて、桐山さんの何を見ているのだ??
221名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 13:04:38 ID:GmEadMH1
>[155]大王の使者 05/10/22 18:18 JG6JNXCXuP
>一人は在家の人だが、アナゴンまで到達していたとします。

桐山さんはアナゴンもアラハンにも絶対になれない。
なっていない、ではなく、なれないのです。
なぜなら、アラハンとは解脱した者、涅槃に至った者を指します。
仏教でいう解脱、涅槃とは、煩悩を完全に断ち切ってしまった存在を指します。
つまり、十結を完全に消滅させた人をアラハンというのです。
ところが、桐山さんのいう解脱とは因縁解脱であり、業からの脱出のことです。
解脱の定義が仏教と阿含宗で違うのです。
これでは、登る山を間違えたようなもので、
釈尊がヒマラヤに登れと言っているのに、桐山さんは高尾山に登っている。
解脱の定義の間違いは目標や目的を間違えているのだから、致命傷です。
222名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 13:05:15 ID:GmEadMH1
>[155]大王の使者 05/10/22 18:18 JG6JNXCXuP

『修行者座右宝鑑』106頁
仏陀は、業からの脱出、業からの超越を説いて、成仏法を教えた。

『一九九九年カルマと霊障からの脱出』139頁
わたくしは完成した因縁解脱成仏法は、「準胝尊因縁解脱千座行法」と申します。わたくはこの法で、自分の因縁を切りました。

『岩波仏教辞典』225頁
解脱
仏教では煩悩から解放されて自由な心境になることをいう。
釈尊は煩悩から解脱して涅槃を得たが、・・
223名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 13:08:52 ID:GmEadMH1
>[155]大王の使者 05/10/22 18:18 JG6JNXCXuP
>一人は在家の人だが、アナゴンまで到達していたとします。

>>222のように、桐山さんの解脱の定義と阿含経の定義とがまるで違います。
桐山さんいう解脱とは業からの脱出であり、自分はこれを成し遂けたという。
一方、阿含経にある解脱とは、煩悩を切ることであり、
煩悩を切った境涯が涅槃であり、こういう人をアラハンといいます。
信者さんたちはこの事実、現実をどう思いますか。
「学者は所詮学者。桐山ゲイカは体得したのだ」と反論するでしょう。
まったく無意味な反論です。
阿含経には、解脱とは煩悩を断ちきることだとしか書いていないのです。
業解脱など、阿含経のどこを探してもありません。
ところが、この阿含経から桐山さんは業解脱を体得したと言っている。
まるで電気店に行って、カボチャを買ってきたと言っているようなものです。
「トーダイに入りました!」というから、東大に合格したのかと思ったら、
実は岬の灯台に入ったと言っているようなものです。
224名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 13:12:15 ID:GmEadMH1
>[155]大王の使者 05/10/22 18:18 JG6JNXCXuP
>一人は在家の人だが、アナゴンまで到達していたとします。

桐山さんは解脱や涅槃の定義すら間違えているのですから、
そこへの資格を表すアナゴンやアラハンであるはずがない。
業を断ち切ったからアナゴンやアラハンであるなどというのは、
「車の運転免許証をもっているから宇宙飛行士である」と言っているようなものです。
桐山さんが業を本当に断ち切ったのなら、まだいいかもしれない。
現実の桐山さんは密教食事件で有罪になり、脳梗塞になったのだから、
業など断ちきってはいない。
つまり、桐山さんは運転免許証すら持っていない。
桐山さんが定義したアナゴンにすらなっておらず、
ましてや仏教のアナゴンなど論外です。
225名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 13:12:54 ID:GmEadMH1
阿含宗と桐山氏について―第十六章― から転載

[129]星祭@昔の事情 05/10/22 08:08 OiFnrlXpPy
> 120、では、源さんのこだわる伝法灌頂についてですが、
ゲイカが正式の真言密教の伝法灌頂を受けていないということは周知の事実で、
今は本人でさえ言っておりますが、ただ、ある方に(北野氏関係?)伝法灌頂を授けると言われ、
受けて、本人は、そのつもりになって受けて、真言宗に参入したつもりだったが、
灌頂は後に、伝法灌頂ではないと言われ相手にされなかったという・・・、
また、北野氏と袂を分かち争うようになった経緯など詳しいこと知りませんか?
226名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 13:16:24 ID:DTVVI+x0
>>225 :名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 13:12:54 ID:GmEadMH1
>[129]星祭@昔の事情 05/10/22 08:08 OiFnrlXpPy
>ゲイカが正式の真言密教の伝法灌頂を受けていないということは周知の事実で、
>今は本人でさえ言っておりますが、ただ、ある方に(北野氏関係?)伝法灌頂を

こんな話は初めて聞きました。
桐山さんが今、「真言密教の伝法灌頂を受けていない」と言っているというなら、
いつからこんなことを言い出したのか、星祭さんでなくてもいいから
知っている信者さんがいたら、ぜひ書いて下さい。
桐山さんが真言密教の伝法潅頂を受けていないなどとは
私は読んだことも聞いたこともない。
星祭さんの口から出任せではないかと疑っているのです。
伝法会でもしばしば小田師の名前を出し、
阿含宗こそは真言密教の正式な法脈を伝える宗旨であると自慢している。
それなのに、桐山さんが真言宗の阿闍梨ですらないなんて言い出したら、
いったいこの法脈はどうなるのですか。
227名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 13:20:04 ID:DTVVI+x0
>[129]星祭@昔の事情 05/10/22 08:08 OiFnrlXpPy
>ゲイカが正式の真言密教の伝法灌頂を受けていないということは周知の事実で、

星祭さんは私のこの批判を読んでも、根拠を示すことはないでしょう。
その場しのぎのことを平気で書く。
しかし、星祭さん個人については大きな進歩でしょうね。
信者さんたちはよく彼の書いた言葉を読んでください。
桐山さんを真言宗の阿闍梨ではないと認めているのです。
しかも、「周知の事実」だという。
信者さんたちも広く知っている事実だという意味です。
桐山さんがこんなことを認めたとは思えないが、それはさておき、
行歴三十年の大先達様が、桐山さんは真言宗の阿闍梨ではないと認めた。
阿闍梨ではないのだから、真言宗の大僧正も嘘だと認めるのでしょう。
228名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 13:28:46 ID:DTVVI+x0
>[129]星祭@昔の事情 05/10/22 08:08 OiFnrlXpPy
>灌頂は後に、伝法灌頂ではないと言われ相手にされなかったという・・・、

これは1970年の護国寺での小田師の伝法のことを指しているのでしょう。
しかし、ザのスレで源太郎さんが示しているように、
桐山さんはこの後も真言宗を名乗り、大僧正を名乗った。
相手にされなかったから、阿闍梨を引っ込めたというならわかるが、
相手にされなくてもそのまま名乗り続けた。
しかも、資格に問題があると本当に意識したのなら、
大橋師などに頼んで、どうして伝法潅頂をしてもらわなかったのですか。
仮に1970年まで気が付かなかったとしても、
それ以後にも桐山さんは真言宗を名乗り、真言宗の阿闍梨や大僧正を名乗っていた。
星祭さんは、何とか桐山さんが嘘つきではなく、
北野師に騙されたという説で逃げようとしているのだろうが、無駄です。
事実はあなたの詭弁でも変わらない。
229名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 13:31:58 ID:DTVVI+x0
>[129]星祭@昔の事情 05/10/22 08:08 OiFnrlXpPy
>ゲイカが正式の真言密教の伝法灌頂を受けていないということは周知の事実で、

星祭さんは、念力の護摩を本物だとは認めず、
愛人の存在を認め、桐山さんがブッダだとは認めず、
さらには桐山さんの真言宗阿闍梨の資格も剥奪した。
墓石のように頭が固いと思っていたが、案外、星祭さんにも進歩があるのですね。
もう18人の霊障武士と真正仏舎利がインチキだと認めてはどうか。
これを認めれば、あなたは屈辱を感じるだろうが、
同時に、私はこの件で星祭さんを批判できなくなるから、
あなたの怒りや憎しみが半分に減りますよ。
嘘だらけの桐山さんを擁護しているばかりに、
あなたが本来持っているはずのない怒りや憎しみを後生大事に抱えこんでいる。
自分の身から出たサビですらなく、桐山さんの身から出たサビなのに、
あなたはそれを一生懸命に抱え込んでいる。
釈尊は「捨てること」を説いた。
あなたは断固として捨てないことで、元々自分の苦しみでもないことで苦しみ、
それが信仰だと思っている。
我が身は見えないが、星祭さんを見ていると、
捨てることを説いた釈尊の教法の意味がよく理解できる。
230名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 17:44:13 ID:Fz0ZepvQ
阿含宗には、止息法があるから完全です。
231美少女レイア:2005/10/25(火) 23:09:15 ID:j4I6E1I2
樹意さまってヒューマニズムにあふれた素敵なお方です・ネ(^▽=b
だって奈々子ちゃんがNRさんに「あなたと遊んであげるのは私しかいないのです」と言ってたけどもう見放しちゃったしぃ。
樹意さまは最後までNRさんと遊んであげる、並のことじゃないよ。 ♪♪(^▽〜☆
232NR:2005/10/26(水) 00:32:10 ID:JfKkVp25
人の運命は前世のカルマと、生まれてきたところの(家族)の霊障によって起こる。
煩悩とはこの家族的な霊障に他ならない。
生まれ落ちた家庭に流れる霊障、とはソンデイ博士の言う家族的な運命衝動のことである。
その家族的な運命衝動は、本来自由であるはずの人の感情や世界観に偏向性を与えており、
その偏向性と前世の業とが結びつくことによって、桐山が分類したような人の運命が生起します。
たとえば命を暴力的に傷つけるような偏向性の場合、悪い業と結びつけば横死の運命となり、
中程度の業と結びつけば手足を切断する運命となるでしょう。
カルマは過去の記憶であり消滅はしないが、霊障は宗教的修行で消滅することがある。
阿含経の一文に、「寿命も業も尽きる事無く煩悩が消滅するのは、いかなる人の場合であるか?
預流果を得た人、一来果を得た人、不還果を得た人、独覚の場合である」
    阿含経「シュカ・スートラ」より
とあるので、煩悩が消滅するのが分る。そして煩悩が消滅すれば、
阿含経的な意味での解脱が完了することが分る。その意味で、
桐山が運命の悪しき因子としての「因縁」を解脱させることが、
そのまま仏教的な解脱であると主張してきたことが、決して間違いではなく、
むしろ阿含経に即した考えであったことが、証明されたのである。
233NR:2005/10/26(水) 00:32:49 ID:JfKkVp25
借金取りに会わない方法は、借金を返してしまう選択肢と、
借金取りのいない国に脱出するかの、2つの選択肢があるわけだが、どちらも同じことだ。
借金取りのいない国に逃げるには、借金を返してしまわないと、どうやら行けないらしい。
借金があるという心の中の認識は、借金取りのいない国に自分を逃がさない選択をする。
無意識の選択は自分では自由にならない。
苦しみのある娑婆世界から脱出する方法は、
徳ある行為と瞑想によって一つ一つ苦しみを消していく方法と同じである。
桐山の言う因縁解脱は一つ一つ苦しみを消していく方法である。
その方向性は、釈迦牟尼の言う輪廻からの解脱と全く
同じことです。
これを違うと思い込んでいる樹意は糞馬鹿です。
234NR:2005/10/26(水) 00:33:24 ID:JfKkVp25
ムチャリンダ竜王について:
周囲が暴風雨にあるときでも、釈迦牟尼の周囲だけは
寒くも無く、暑くも無く、風もないように、防いでおります。
物質的なとぐろを巻いた体で防いだのではない。
霊的な体で防いでおる。霊的な身体で、7日間も防いでいるんです。
これは一種、局所的に気象を操ったと解釈すべきものであります。
物質的な体を持っていないのですから、そう解釈すべきです。
念力なのです、神通力なのです。精神力で雨や風や熱など物質的なものを動かしたのです。
龍神の気象をあやつる神通力が発揮されたのです。
霊的な体で。7日間ですからね。
235NR:2005/10/26(水) 00:39:26 ID:JfKkVp25
多重人格の症状を持つ者がそこから治るためには自己の中にあるもうひとつの人格に
気がつかなければならないという事がある。・・・それと同様に気が付くことが治癒
の始まりであり、治癒そのものの力となる。運命を変えるためには、すなはち煩悩を
解脱するためには、この悪夢に気が付かなければならないわけである。パスカルの
パンセにも同様の言葉が出てくる。「知る」ということは、その対象物を「包み込む」
ということであり、対象物より優位に立つことを意味するのだと。そういう言葉が
パンセの中にもあったと思う。
 この煩悩という悪夢はあなたを子供時代から縛り付けている力であり、あなたの運命
を決定している悪夢である。その悪夢の内容が歴史的な事実であるかどうかはあまり
重要ではないと私は思う。家族的無意識を解脱された桐山靖雄師の著作の内容について、
それは母方の剣の指南役の話で、藩の命令でやむなく人斬りをする話であるが、その
内容が歴史的な事実ではないのではないかと疑惑を指摘する掲示板の書き込みがあるが、
私の経験から分析させていただければ、そういう悪夢を知覚し得たということだけで、
解脱し、須陀恒以上の境涯になったという証拠になるのであり、十分なのである。
それ以上の議論は要らないと私は考えるのである。むしろ、そのことよりも、
私のように夢ではなく、師匠桐山靖雄が目覚めた意識で行法中にそれを
成したということが、驚異に思われるのである。
さすがは熟達した密教修行者は違うものだと感じるのである。
目覚めた意識でそれを知覚しても、夢で見てそれをはっきりと覚えているのも、
効果は同じである、と私は考える。
・・・とにかくこういう認識作用が、
須陀恒以上の境涯をもたらすのではないかと思われるのである
・・・人と言うものは、自己の限界を超えるときには、恐ろしい夢を見るものである
・・・その夢が歴史的事実であるかどうかは重要ではなく、ただその夢を認識したと言うことが重要なのである
・・・なぜならば認識すれば、そこから治癒するからである。
236NR:2005/10/26(水) 00:43:47 ID:JfKkVp25
◎ヴィパッサナー瞑想・・・気づきの瞑想
  (止観の観)

◎サマタ瞑想(サマーデイ、三昧耶)・・・集中の瞑想
  (止観の止)

この両者の瞑想の中で、密教の行法は、もちろん、分類するとすれば、サマタ瞑想のサマーデイに入る。
一つのテーマに固定して集中し(止観の止)、身口意の3つを統一し、意識の改革と身体の改革をもたらすものである。神通力の修行は、もちろん、ヴィパッサナーではなく後者サマーデイの行である。
日本でそれなりの成果を出しているのは、真言密教のお坊様方だけである、と私は思う。
空海は斯陀含でした。仁和寺の門跡小田慈舟阿閣梨も斯陀含でした。
彼らは実に阿含経的な意味で、解脱をしていた。
彼ら密教修行者の行は心の奥に届いております。だから、解脱する。
神通力を持っている人の方が、解脱には有利です。
なぜなら心の奥に思念が届く、ということが、神通力の意味だからです。
たとえばヴィパッサナー瞑想の上級の行であるところの「夢見の瞑想」
を私は、何度か経験しているが、これは密教というサマーデイ行を行ってきたからこそ出来たもの。
決して、ヴィパッサナーなんかの延長上には無いと考えている。
密教の行に精通すれば、夢の意識はそのまま日常的な意識になる。
だからこそ、私は解脱した。
密教的サマーデイーの解脱の力は非常に優れているのである。
237NR:2005/10/26(水) 00:47:14 ID:JfKkVp25
一切の事象は、原因と条件とによって生起する。
人間の運命は、カルマを根本原因とし、家族的な霊障を条件として、生起する。
カルマは過去の記憶と同じであるから変えることは出来ない。
しかしながら、新しい善きカルマを上に積み上げることが出来る。善根である。
それが、運命を変える根拠となる。
さらに、家族的な霊障を清めても、人の運命は変わる。もちろん業の力は強大であるから、根本的変換にはならないが、条件が変われば運命が変化するのも道理である。
宗教家は、人の運命を善くしようとするとき、2つの側面を狙う。
すなわち、よきカルマを積み上げよ。そして、霊障を清めよ。の2点である。
桐山も多くの宗教家と同様に、この2つの側面を狙っているのである。
すなわち、梵行をなせ。そして、霊障を清めよ。の2点である。
樹意と7氏は頭が変になっており、この阿含宗の当然の動きを、良くない事だと思っている。
実際には、良くないのは、彼らの頭である。
238NR:2005/10/26(水) 00:53:34 ID:JfKkVp25
実は、前世如来の弟子だった修行者が輪廻再生してくるのは、
須陀恒以上になってから子供を作った人の家庭に生まれてきます。
(当然ですが )
この家庭は聖衆なんですよ。
分りますか?
阿含宗のみなさん。
そこは、三福道が起こりうる場所なんですよ。
239NR:2005/10/26(水) 00:58:52 ID:JfKkVp25
中阿含経、「業の分類」というお経を読んでみてください。
修行者が速やかに解脱する業、どんなことをすればよいか書いてありますよ。
それが、三福道、なんですよ。
前世で、解脱の種子をまいた人に、常に軍配が上がるんです。
解脱の種子を撒かなかった人は、結局は、
樹意や7氏みたいに如来の教えに反逆してしまうのです。
240NR:2005/10/26(水) 01:04:59 ID:JfKkVp25
煩悩とは、深層意識の層を論ずれば、ソンデイになるし、人生におけるアクシデントの発露の仕方を論ずれば、
桐山の因縁になるし、個人を縛る世界観や感情の動きから見ると五上分結 ・ 五下分結になる。
241NR:2005/10/26(水) 01:08:29 ID:JfKkVp25
樹意は、馬鹿ですから、240の3つの視点が持てません。
ふふふふふ。
ただの馬鹿やろう、と言うことがそれだけで分るでしょう。
彼は3つ目の視点以外の煩悩論を認めません。
事実なのに認めないのです。
馬鹿ですよ、こいつは。
242名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 02:49:38 ID:rjshm5Rp
>241 事実なのに認めないのです。

なんでおまえの独りよがりに他の者たちが付き合う必要があるのだ?

「ジミズ教」は他でやれ。スレ違いだよ。

といっても、スレとレスの違いもわからんやつだから

もうどうしようもないな、こいつは。
243名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 12:37:31 ID:zxObgc4S
>>139 :樹意 :2005/10/23(日) 07:59:38 ID:m5ZlUyZg
>ん〜 確かそれぐらいでしたというか私は3万ほど払ったように記憶しております、

樹意さんは昔の座右宝鑑をお持ちですか。
もし、そうなら、ちょっと確認してほしいことがあります。
阿含経の引用についてです。
桐山さんは旧座右宝鑑でもいくつか阿含経を引用している。
桐山さんが経典を平気で捏造することを知ってから、
引用されているからといって、信じてはいけないと勉強させられた。
そこで、旧座右宝鑑の阿含経も一つ一つ國訳一切経から確認しているのですが、
桐山さんははっきりと経典名を示さないこともあり、難航しています。
今のところ、一つは完全な捏造ではないかと思われる経典があります。
他にも、直接経典の文言を引用していないが、
元の経典からして、内容的にありえないような解釈がいくつかあります。
しかし、私の調べ方が足りないのかもしれない。
そこで旧座右宝鑑を持っているのなら、樹意さんや信者さんたちも調べてほしいのです。
244名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 12:45:16 ID:zxObgc4S
>>243 :名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 12:37:31 ID:zxObgc4S

旧『修行者座右宝鑑』26〜27頁
「汝にらはまさに、業を知り、業の因りて生じる所を知り、業のあるを知り、
業の勝如を知り、業の滅尽を知り、業滅の道を知るべし。――いかんが業を知るや、
いわく、業に二種類あり。福と非福なり。(中阿含経二十七「達梵行経」)」

「達梵行経」は『國訳一切経 阿含部 5』(大東出版)の131頁以降にあります。
信者さんたちに先に申しあげておくが、「業の滅尽」「業滅の道」とあるから、
これは因縁解脱、業解脱であり、やはり釈尊は業解脱を説いたのだ、と喜ばないでください。
暇人さんが前に説明してくれたように、釈尊が使う業とは、
阿含宗で使うような前世の業という意味で使うことは稀で、
普通は「言動や心における行為」、つまり、今現在の身口意の行為(三業)を指します。
この経典でも、全体を読んでもらえばわかるように、業解脱などを説いたのではなく、
身と言葉と心における行為を慎み、煩悩を出さないようにすることを説いているのです。
だから、この経典で業を滅する方法とは八正道です。
八正道で自分の行動、言葉、心を正し、悪業をなさないようにするという修行です。
これを見ても、釈尊は神通力で前世からの業(悪因縁)を断ちきるなんて説いていません。
245名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 12:49:46 ID:zxObgc4S
>>243 :名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 12:37:31 ID:zxObgc4S

桐山さんが引用した経典は國訳一切経の132頁、8行目からで、
「汝にらはまさに、業を知り、業の因りて生じる所を知り、業の報あるを知り、
業の勝如を知り、業の滅尽を知り、業滅の道を知るべし」
とあります。
桐山さんは「業のあるを知り」と書いているが、
「業の報あるを知り」が正しく、これは桐山さんの書き写しの間違いで、
内容的には間違いだが、ミスのうちでしょう。
しかし、問題はその後です。
「――いかんが業を知るや、いわく、業に二種類あり。福と非福なり。」
と続いて桐山さんは書いているが、國訳一切経にはありません。
元の経典でこれに対応するのは、國訳一切経の2頁後、134頁の12行目、
「云如んが業を知るや。謂わく二業有り。思已[業]思業なり。」
ここでいう、思已[業]思業の二業とは、実は身口意の三業のことです。
この経典の中からは、桐山さんの書いている、
「――いかんが業を知るや、いわく、業に二種類あり。福と非福なり。」
が見つけられない。
むしろ、この経典の内容から言ったら、「福と非福なり」などとあるなら唐突です。
これを桐山さんの経典捏造ではないかと疑っているのです。
246名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:03:41 ID:zxObgc4S
>>243 :名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 12:37:31 ID:zxObgc4S

捏造の元ネタであろうと思われる文言を桐山さん本人が書いている。
旧座右宝鑑の26頁に、引用した阿含経の後で、『阿毘達磨倶舎論』からの引用として、
「阿含経の中で、業に二種ありと説く。福と非福である。・・」
とあり、桐山さんが引用した達梵行経の、
「――いかんが業を知るや、いわく、業に二種類あり。福と非福なり。」
と同じです。
つまり、桐山さんは、アビダルマに阿含経にあると書いてあるとばかりに、
「達梵行経」の後にアビダルマの言葉を勝手に付け加えてしまったのではあるまいか。
もちろん達梵行経の中には福や非福などありません。
桐山さんが達梵行経に存在しない、
「――いかんが業を知るや、いわく、業に二種類あり。福と非福なり。」
を付け加えたとすれば、完全な経典捏造です。
三供養品の三福道の捏造、仙尼経の異陰の捏造など、
桐山さんの経典捏造に新たな一頁が付け加えられた。
247名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:06:18 ID:zxObgc4S
>>243 :名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 12:37:31 ID:zxObgc4S

旧『修行者座右宝鑑』31頁
「すなわち、中阿含経の第二、世間福経第七で、
世間福、と、出世間福の二種類の福ありと説かれている。
世間福というのは、一般世界における福をいい、財物、名誉、地位等の福で、
七つの世間福があるという。
出世間福とは、世間の福を超えた福で、つまり因縁解脱の成就、法力の完成な
どの超世間福である。これも七つの出世間福があるという。」

上記では経典は引用していないが、内容的に?の例です。
桐山さんの説明によれば、世間福とは「一般社会に対する布施行による徳」であり、
出世間福とは「如来と法に対する布施行による徳」であるとしています。
つまり、因縁切りや超能力が欲しければ、如来のいる阿含宗に寄付して、
徳を積むしかないのだと言う主張です。
今日の三福道に相当する内容の根拠として経典です。
248名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:09:05 ID:zxObgc4S
>>247 :名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:06:18 ID:zxObgc4S

「世間福経」は『國訳一切経 阿含部 4』(大東出版)29頁以降にあります。
たしかに、経典には七つの世間福と、七つの出世間福とが説かれている。
しかし、内容を読むとはだいぶん桐山さんの説明とは違います。
七つの世間福とは、簡単に言えば、比丘たちのために衣食住を提供して、
彼らの修行が順調に進むように手助けすることです。
桐山さんはこれを出世間福だと説いているが、経典では世間福だと説いているのです。
これによって大きな功徳、果報などが得られるとあります。
桐山さんは布施によって世間福が得られると解釈していますが、
経典ではその布施に相当することを世間福であると言っているのですから、
原因を結果であるかのように解釈しています。
信者さんたちは、「順序はともかく、功徳が得られるのだからいいではないか」というかもしれない。
だが、経典での功徳や果報が、信者さんたちが期待しているような
世俗的なものであるとは書いていないのです。
それは次の出世間福の説明からもわかります。
249名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:17:23 ID:zxObgc4S
>>247 :名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:06:18 ID:zxObgc4S

釈尊は世間福に続いて、七つの出世間福について説いています。
それらは、簡単に言えば、比丘たちを探し、彼らに供養して、
三宝に帰依し、在家の五戒を受けること、つまり在家信者になることです。
ここでも七つの出世間福によって大きな功徳が得られ、
世間福と出世間福がそろえば、すばらしいことだと絶賛しています。
世間福も、出世間福も桐山さんの解説とずいぶん違うことに気が付きませんか。
出世間福とは、在家が仏教に帰依して信仰を実践することそのものを指しているのです。
世間福は比丘たちの修行を助けることであり、
出世間福とは在家として信仰を実践することだというのですから、
世間福とか出世間福など、言葉としては新しいが、内容は従来から釈尊が在家に説いてきたことです。
わざわざ桐山さんのように取り上げて、強調しなければならない新しいことなどありません。
250名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:21:44 ID:zxObgc4S
>>247 :名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:06:18 ID:zxObgc4S

桐山さんの解釈のおかしい所をまとめてみます。
一つ目に、世間福の解釈が完全に間違っている。
桐山さんは世間福を「一般社会に対する布施行による徳」と述べているが、
釈尊のいう世間福とは、比丘たちに供養するという行為そのものです。
つまり、衣食住という世俗的な意味で手助けするのを世間福と言っているのです。
二つ目に、出世間福の解釈も間違っている。
「因縁解脱の成就、法力の完成などの超世間福」と述べているが、
釈尊のいう出世間福とは、在家が仏教に帰依して実践する行為そのものです。
実践したなら、解脱への道を歩むから、大きな功徳だと言っているだけです。
ところが、桐山さんのほうは、功徳というエネルギーで因縁がキレテ、
法力が完成するかのように述べている。
釈尊はそんな他力的なことは何も述べていない。
三宝に帰依して、自分で実践することを出世間福と述べたのです。
つまり、釈尊のいう福とは供養や信仰の実践のたとえにすぎない。
桐山さんのように何か差し出すことで、見返りが得られるという意味ではありません。
251名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:24:33 ID:zxObgc4S
>>247 :名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:06:18 ID:zxObgc4S

世間福の解釈が明らかに桐山さんは意図的に違えていることに気が付いたでしょうか。
釈尊は桐山さんのいう出世間福に相当することを世間福だと述べているのです。
どうしてこんな明瞭なゴマカシをしたのでしょうか。
桐山さんにはちゃんと理由があるのです。
信者さんたちに阿含宗以外のところで寄付やボランティアなどしてほしくないからです。
これをやられたら、その分、阿含宗の取り分が減る。
桐山さんは自分の所に寄付と労力奉仕が欲しいのです。
ところが、仏教は慈悲を説き、釈尊も困っている人たちを助けるよう説いている。
信者たちがその気になって、阿含宗と関係ないことで寄付や労力奉仕されても、
桐山さんの懐は潤わないばかりか、下手すれば減ってしまう。
そこで、信者さんたちの寄付と労力奉仕がすべて阿含宗に向くようにしたかった。
その方法として、世間的な寄付や労力奉仕は無意味ではないが、
世間的な福、つまり世俗的な功徳しか生まないと強調したいのです。
252名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:29:22 ID:w9XAt5kF
>>247 :名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:06:18 ID:zxObgc4S

信者さんたちの頭には世俗的な功徳はダメだと教え込まれている。
「金持ちでも悪因縁があれば、それが原因でかえって不幸になる。
だから、世間的な功徳は因縁のままであり、幸せになるとは限らない。
出世間的な功徳は、仏様がくれる功徳だから、
悪因縁を切ってくれて、不幸になることは絶対にない。
あなたは世間と出世間のどちらで功徳を積みたいか。
もちろん、生きた如来がいらっしゃる阿含宗でのみ功徳を積めばいいのであーる。
世間の人たちを物質的に助けても、彼らの因縁がそのままなら何にもならない。
因縁を切らない限り、世俗的な助けはかえって因縁を増長させる。
彼等を本当に助けたければ、入信させ、如来へ供養させるしかない。
だから、彼らを阿含宗に釣れてきて、入信させるか、
最悪でも護摩木一本でも買わせて、如来に供養させることである。」
こんなふうに教えられていますよね。
桐山さんはいかにもこういうことを釈尊が説いたかのように
信者さんたちに錯覚させたいのです。
しかし、その元となった経典を読んでみても、釈尊はそんなことは言っていない。
世間的な功徳がどうであるかなど述べていないし、
そもそも世間福も出世間福も、比丘に供養し、自ら信仰を実践するという
在家信者のあり方を説いた普通の内容にすぎない。
253名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:32:03 ID:w9XAt5kF
>>247 :名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:06:18 ID:zxObgc4S

桐山さんは信者さんたちの懐や労力を全部阿含宗に集めたいのです。
桐山さんのいう出世間福が得られるという如来供養にしても、
釈尊はこれを世間福であるといい、しかも、その内容は明らかに違います。
比丘たちが生きていけるように補助するのが比丘への供養であって、
骨や炎に現れた如来に金品を差し出せなんて説いていない。
当たり前です。
骨や炎は飯を食わないし、衣類も、住処もいらない。
釈尊のいう比丘への供養とは、信者さんたちが今阿含宗でしているような、
金と人を貢ぐことではありません。
清浄な行を行う比丘が生きていくに困らないようするのが供養なのです。
桐山さんのように、総本殿という伽藍を誇り、海外から名誉や位階を買い集めるために、
金と人を差し出すことは仏への供養ではない。
無意味な焚き火をして、霊障や悪因縁で人を脅かす行事は如来への供養などではない。
254名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:36:09 ID:w9XAt5kF
>>247 :名無しさん@3周年:2005/10/26(水) 13:06:18 ID:zxObgc4S

桐山さんは、伽藍や名誉をかき集めて、自分をエラクみせたいがために、
信者さんから金と人を集中的に吸い上げたい。
だから、世間福の解釈をねじ曲げ、あたかも世間的な布施が無意味であると
釈尊が説いたかのように書いたのです。
釈尊は困っている人たちを助けることを無意味だとか、
本当に助けたことにならないなどとは言っていない。
今もパキスタンで多くの人たちが困っている。
信者さんの中には彼らのために護摩木祈願や仏様に祈った人もいるだろう。
しかし、木切れにお願い事を書いても、火に合掌しても、
彼らには何の役にも立たないのが物事の道理です。
仏様に助けを頼むではなく、自分でできることからしてはどうか。
子供でもしないオマジナイをするのではなく、
護摩木代金の百円でいいから、彼らのために寄付してはどうか。
桐山さんは阿含宗を通すように言うだろうし、
信者さんたちはそうすれば、仏様を通過したかのように錯覚する。
だが、それはただ阿含宗に金を与えたにすぎない。
釈尊は「ワシを通じて助けるのだ」なんて説いたことは一度もありません。
実際に援助をしている公的な機関や非営利団体に、あなた自身が寄付することです。
255樹意 :2005/10/26(水) 16:44:05 ID:arzRW4qU
>>243
> 樹意さんは昔の座右宝鑑をお持ちですか。

残念ながら今持っているのは2代目です、初代の偉くご立派なヤツは
知り合いにあげました。

 批判本(阿含宗の研究)にもあるようにゲイカの場合は 節々に
意味を摩り替えるという技を使いますしこのスレッドで顕かになった経典改ざんもそうですが
座右宝鑑の引用を摩り替えるなどの小細工は当然あるものと考えていいでしょう。
今回もそうですが 批判においてこのような小細工を発掘するというのは
社会的に意義のある仕事といえます。
256樹意 :2005/10/26(水) 17:09:08 ID:arzRW4qU
>>244
>阿含宗で使うような前世の業という意味で使うことは稀で、
>普通は「言動や心における行為」、つまり、今現在の身口意の行為(三業)を指します。

原始仏教スレッドの議論に相応しい レベルになりますが、私見を示します。
「カッサパよ、作すものと受くるものとは同じであるという考え方は、先にそなたが苦は自作
であるといった考え方と同じである。それは、いうところの常見に堕すものである。」
南伝相応部経典12 17 阿支羅 漢訳雑阿含教 12 20  阿支羅 増谷文雄氏訳
経典分類 因縁相応 
この後の断見の話 これ等両極端を離れた十二縁起の話が続きます。

理解しがたいかも知れませんが、仏陀の説くところは五蘊無我でありその五蘊は支縁起(12縁起)
により生起する 縁起を説くのが本来の仏陀の教説です。
同一の我が受ける業なるものを解脱するという思想は この縁起の思想からは出て来ようが無い
と思われます。 つまり 奈々氏さんの指摘の通りであるというのが 私の見解であります。

257NR:2005/10/26(水) 18:10:24 ID:JfKkVp25
一切の事象は、原因と条件とによって生起する。
人間の運命は、カルマを根本原因とし、家族的な霊障を条件として、生起する。
カルマは過去の記憶と同じであるから変えることは出来ない。
しかしながら、新しい善きカルマを上に積み上げることが出来る。善根である。
それが、運命を変える根拠となる。
さらに、家族的な霊障を清めても、人の運命は変わる。もちろん業の力は強大であるから、根本的変換にはならないが、条件が変われば運命が変化するのも道理である。
宗教家は、人の運命を善くしようとするとき、2つの側面を狙う。
すなわち、よきカルマを積み上げよ。そして、霊障を清めよ。の2点である。
桐山も多くの宗教家と同様に、この2つの側面を狙っているのである。
すなわち、梵行をなせ。そして、霊障を清めよ。の2点である。
樹意と7氏は頭が変になっており、この阿含宗の当然の動きを、良くない事だと思っている。
実際には、良くないのは、彼らの頭である。
258NR:2005/10/26(水) 18:11:53 ID:JfKkVp25
煩悩とは、深層意識の層を論ずれば、ソンデイになるし、人生におけるアクシデントの発露の仕方を論ずれば、
桐山の因縁になるし、個人を縛る世界観や感情の動きから見ると五上分結 ・ 五下分結になる。
樹意は、馬鹿ですからこれら3つの視点が持てません。
ふふふふふ。
ただの馬鹿やろう、ということがそれだけで分るでしょう。
応用力が無いのです。
彼は3つ目の視点以外の煩悩論を認めません。
事実なのに認めないのです。
馬鹿ですよ、こいつは。
259NR:2005/10/26(水) 18:15:51 ID:JfKkVp25
私が指摘した漏尽通定義の矛盾を解決せぬ限りは、樹意と7氏が阿含経を全く理解できていないことになる。
学者の分類した言葉を使って、結局は釈迦牟尼の言葉が前後矛盾し、
樹意と七氏は意味不明に落ちた。
樹意は、その矛盾を知りながら、阿含宗批判を続けるために
自己矛盾を見ないふりを続ける。
愚かな。馬鹿二人。こも矛盾を永遠にさらされし続け、
死ぬときもなお、スシーマ経の矛盾を私は解けぬまま死ぬのかと、
愚かな自虐的自己問答を繰り返すが良い。
傲慢な樹意にはふさわしい死となろう。
自分で作った愚かな自家撞着の罠の中で死ね。
ふふふふ。
260NR:2005/10/26(水) 18:18:47 ID:JfKkVp25
スシーマ経で、漏尽通と、煩悩が既に無いと言うことを自覚することが
全く無関係であり、形象を超えて煩悩を解脱し、煩悩の無い寂静の世界に入っていく、
まさに積極的にこれから入っていく、そのことが漏尽通の本当の姿だと書いてあるので、
七氏の定義は決定的に間違いだと言うことが分るのだ。
そしてむしろ、桐山先生のように、煩悩を切って行く、解脱し、寂静の世界に入っていく、
方向の解釈のほうが、どうやら正しそうだと言うところまで分ってきた。
そのことが大問題です。
あなた方が正しい解釈をしている人を、その正しさをもって非難してきたとしたら
大問題であると、言うのです。なぜなら釈迦その人に逆らっていることになるからだ。
お舞が傲慢で卑しい人格だから、釈迦に逆らえるのであろうよ。
261NR:2005/10/26(水) 18:21:47 ID:JfKkVp25

釈迦牟尼が、「解脱すれば解脱したという自覚が生じ、
もはや、迷いの生を繰り返すことは無いという確信が・・・」と説法を成されていたとき、
樹意と七氏が立ち上がり、「しかしながら如来よ、本当に解脱したと言う確信が生まれるためには、
漏尽通を発揮して、煩悩がほんとに無くなったことを観察しなければ、なりません」
如来は神通力の全く経験の無い二人が何故このように図々しさを発揮して、説法を中断させるのかが、
良く理解できなかったが、彼らの誤解を解くために、ある仮定を述べられた。
「それでは、樹意と七氏よ、お前たちがそれを確かめようとしたとしよう。
果たして実際に、確かめられるかどうか考えてみよ。
煩悩が完全に消えた場合は、確かに分るであろう。
しかしその場合、修行者は既に解脱しており、煩悩の消滅を感じているのであるから、煩悩の消滅を感じた者にとって、
更に心の奥深く分け入って、煩悩の消滅を感じとる作業が必要であろうか?そして、お前たちの漏尽通定義では、
煩悩が少しでも残っていれば確認できないものだ。
煩悩がいまだあることを確認する能力は、漏尽通とは呼ばないと言うのが、お前たちの不思議な定義なのだろう?
確かめると言うが、確かめられない人が続出するのでは人には勧められない方法だな?」
如来は、樹意と七氏を哀れんでさらに続けた。「無いことが否定されたときには、在るであろう。在ることが否定されれば、無いであろう。
それなのに、なぜそのように、煩悩の非存在に限って漏尽通と言う言葉を規定してしまったのであろうか?
私はそんな愚かな漏尽通定義をしたことはなく、そんな馬鹿なことを誰にも相談しなかったことも問題だし、あるいは誰も止めようとしなかったことも問題であろう。」
それを言われると、樹意と七氏は、「辞典に学者がそう書いてあったので、それに従っておりましたが、池田慈水という男が盛んに我らを、
矛盾していると警告しておりましたが、我らは彼に耳を貸しませんでした。今は大いに反省しております」
262名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 10:47:37 ID:HgdWHgAs
263名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I
旧『修行者座右宝鑑』(1978年)39頁

要するに、世人の供養に応える力と徳を持つ者で、仏陀のことをいうことばであるが、
雑阿含経巻の三十五(「大祠経」)では、
『応供の仏をば”福田”という』
とあり、応供の仏に供養することにより、三悪道の因縁を解脱して、煩悩の毒箭を
離れて大富利を獲得する、と説いている。
264名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:39:26 ID:qtJ4rN0I
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I

旧『修行者座右宝鑑』にある経典捏造の続きです。
応供は仏の呼び名の一つであり、福田(フクデン)は仏をさすこともあります。
「大祠経」は桐山さんが書いているように、雑阿含経の巻35にあり、
『國訳一切経 阿含部 3』(大東出版社)の143〜145頁に2つあります。
問題は、桐山さんが引用したこの文言と、後半の説明に相当する部分が
大祠経のどこにあるのかという点です。
わずか2頁ほどの経典ですが、桐山さんが引用した、
『応供の仏をば”福田”という』
という文章はもちろんのこと、説明に相当する文章も見つけられません。
265名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:44:01 ID:qtJ4rN0I
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I

大祠経の内容を簡単に紹介します。
王舎城で人々が外道に供養するのを憂いた帝釈天が、バラモンに姿を変えて現れ、
人々に仏に供養するように先導したという話です。
経典にはたくさん福田という単語が出てきますが、必ずしも仏という意味ではありません。
経典の中の「諸人は當に僧に福田を施すべし」とは、
僧に食べ物などを供養しろという意味です。
また、外道に「・・先に福田を作さん」というのだから、
これも外道が福田だという意味ではなく、食べ物などの供養をするという意味です。
これらの文に表れているように、経典の主旨は、仏教の比丘たちに食べ物を供養しろというもので、
『応供の仏をば”福田”という』という説明ではありません。
266名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:46:55 ID:qtJ4rN0I
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I
>『応供の仏をば”福田”という』

当時栄えていた王舎城にはいろいろな宗教家たちがいて、
供養を誰が受けるかの競争も激しかった。
占いをして、真言を唱え、太鼓を叩きながら護摩を焚いて、
運がよくなるように祈祷して、お守りも授けてくれる外道の宗教家に比べて、
鉢を持って門口に黙って立っているだけの仏教の比丘たちは
なかなか民衆から供養を受けられず、苦しい思いをしていたのでしょう。
大祠経はこのような出来事が書いてあるだけで、
『応供の仏をば”福田”という』
などという文言は見あたりません。
信者さんでこの経典にあるというなら、何頁の何行目にあるのか示して下さい。
私の見た範囲ではこの経典には応供という言葉自体が出てこない。
つまり、この一文もまた桐山さんの経典捏造です。
267名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:51:08 ID:rPgxuNVh
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I
>『応供の仏をば”福田”という』

『応供の仏をば”福田”という』という言葉自体が奇妙です。
信者さんたちは「応供の如来」という言葉に慣れているから、
気にならないだろうが、応供とは仏の十号、つまり仏の別名ですから、
応供の仏などといったら、仏の仏、如来の如来と言っているようなものです。
応供の仏とは、馬に乗馬、山から下山というような、奇妙な言葉なのです。
因縁解脱と同様に、応供の仏、応供の如来はオカルト仏教用語であり、
普通の仏教では通用しない言葉です。
これだけでなく、桐山さんのいう「応供」の意味も普通の仏教では通用しません。
268岡本寿美恵@顕正会:2005/10/27(木) 12:53:36 ID:hf0kW1KM
はいはいわろすわろす
269名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:57:57 ID:rPgxuNVh
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I

旧『修行者座右宝鑑』47〜48頁
「応供の仏は、衆生の供養に応じる仏であるから、」
「この仏に供養をささげるよりほか、功徳は得られぬのである。」

『岩波仏教辞典』84頁
「応供・・供養を受けるにふさわしい者の意。」

桐山さんは応供の「供」を供養、「応」を応えると日本語の意味にとり、
供養に応えると解釈している。
だが、辞典を見ればわかるように、応供には供養に応えるという意味はありません。
供養に値する、供養にふさわしい者という意味です。
ただの物もらいやコジキではなく、積極的に衣食住を提供するに値するような
清らかな行いを実践する者を指すことばです。
要するに、ここでも桐山さんは仏教の基本を理解していない。
信者さんたちは桐山さんは僧侶や学者たちの誰よりもよく仏教を理解していると信じているが、
現実はこんな辞典で調べればすぐにわかるような初歩的な間違いをしている。
桐山さんの間違いを、信者さんたちは仏陀の智慧だと思いこんでいる。
仏陀の智慧どころか、桐山さんの無知の上に信者の無知が重なっただけです。
270名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 13:00:26 ID:rPgxuNVh
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I
「とあり、応供の仏に供養することにより、三悪道の因縁を解脱して、煩悩の毒箭を
離れて大富利を獲得する、と説いている。」

この一文に相当する内容は大祠経には存在しません。
「応供の仏」という単語も出てこないし、「因縁を解脱」なんて言葉もありません。
>>269の辞書の説明でわかるように、応供とは仏なのですから、応供の仏なんて変なことばはありえない。
仏教でいう因縁は縁起のことであり、普通は原因などの意味に使われるだけですから、
これを解脱するなんて文章も出てくるはずがない。
この経典には「大利」という言葉は出てきますが、「大富利」という言葉は出てきません。
仏教のいう大利とは、煩悩がなくなり、心の平安を得ること、つまり解脱することです。
しかし、大富利などと表現したら、何か物質的な御利益を得られることのように誤解される。
桐山さんは経典にあるかのように文章を捏造したばかりか、内容も捏造した。
桐山さんのこれらの経典や解説の捏造には一つの共通点があります。
福田、応供の如来など、何とか釈尊が御利益を説いたと言いたいのです。
271名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 13:04:44 ID:rPgxuNVh
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I

旧『修行者座右宝鑑』を持っていない信者さんも多いでしょうが、
しかし、桐山さんが引用した経典部分については
『國訳一切経 阿含部』(大東出版社)
にありますから、ぜひ調べてみてください。
旧版とはいえ、信者の指導用に書いた本であり、引用された阿含経は教義の根本をなすものです。
>>224の達梵行経は捏造、>>247の世間福経の解釈はデタラメ、今回の大祠経でまた捏造。
捏造部分は、いずれも福、つまり御利益に関する部分です。
釈尊が福という名前で御利益を説き、
阿含宗には仏がいるから、この仏に供養すれば御利益が授かるのだと言いたいのです。
釈尊はこんなことは言っていません。
272名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 13:13:31 ID:uhHIW9Xc
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I

>>247の世間福経の例がそうであるように、釈尊のいう供養とは、
比丘たちが生きていく上で最小限の衣食住を提供することです。
今でこそ物があふれているが、二千五百年前は食べ物に事欠いていた。
今の東南アジアの仏教国のように、信者が列をなして食べ物を差し出すなど
当時はありえなかったのです。
働いてさえも飢えていた。
その時代に働きもせずに、飯をもらいに来るのはコジキでしかない。
比丘は人々のこのさげすみの目に耐えながら、
ねだるでもなく、もらって礼を言うでもなく、くれなくても腹を立てるでもなく、
ただ黙って鉢をもって立っているだけという「修行」をしていた。
バラモン教に対抗して新興の宗教がおきていた時代だから、
「同業者」たちなど競争相手はたくさんいたのです。
樹意さんが引用したスシーマ経でのスシーマが神通力を盗もうとして
出家したという例があるように、宗教家は何かパフォーマンスをすることで、
信者を獲得して、収入を得ていた。
どこかの教団が囲碁まで使ってド派手な宣伝をして、護摩木だけでなく、
悪因縁や霊障のホトケを販売して収入を得ているのと同じで、
信者さんたちにはおなじみの光景です。
273名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 13:15:22 ID:uhHIW9Xc
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I

商売のうまい宗教家が信者から金を集めて、
一族を宗教貴族として養い、ベンツに乗り、囲碁を楽しみ、
愛人とホテルオークラで糖尿病になるまで美食を堪能している時、
釈尊と比丘たちは何もパフォーマンスをしないから、食べ物を受けられず、
比丘たちは何日も食事ができないような状態だったのでしょう。
世間福経に出てくる帝釈天とは、おそらく在家の篤志家で、
教団の窮乏を見るに見かねて、周囲に呼びかけたのでしょう。
一日一食の食事に事欠いても、釈尊は物を乞うなどしなかった。
信者から神通力を売り物にしてはどうかと勧められても、
釈尊は、恥ずかしいことだとしてこれを拒絶した。
274名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 13:20:24 ID:uhHIW9Xc
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I

釈尊は、清らかな生き方をする比丘たちが生きていられるように、
最小限の衣食住を提供しなさいと説いたのです。
生きている比丘たちの手助けをすること、これを供養と言ったのです。
骨や火に供養しろなんて、愚かなことを説いたことはありません。
もちろん供養した者に大きな幸福となって返ってくると説いた。
しかし、それは現世利益ではない。
供養すれば、清らかな生き方をする比丘がこの世に留まり、増えて、
世の中がよくなり(世間福)、供養した者は比丘たちの清らかな生き方を学び、
自らも実践するから、自分も世の中ももっとよくなる(出世間福)。
このように煩悩を減らし、断ち切り、心に平安を持つ者たちを増やす働きがあるから、
釈尊と比丘たちは「福田」なのです。
それをまるで桐山さんは、釈尊とは「福田」という御利益製造器であり、
金と人を貢ぐと、御利益がゴロンと落ちてくるような書き方です。
釈尊が御利益製造器などではなかったことは、他の経典での態度をみてもわかります。
275名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 13:23:34 ID:y6ma5dAw
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I

バラモンが、働きもしないで食を求める釈尊たちを批判したところ、逆に説教された。
バラモンが説法に感銘して、お供物の残りを差し出すと、
「詩を唱えて[報酬として]得たものを、わたくしは食うてはならない。」
(『ブッダのことば』中村元、23頁〜)
と、法と食べ物とを交換することはありえないと拒絶した。
桐山さんの福田説、つまり御利益自動販売機説からすれば、この態度はおかしくありませんか。
相手は説法に感銘して、お礼に供養しましょうというのだから、
「よっしゃ、ワシは福田であり、応供の如来様であるから、
おまえの供養に応えて、功徳をさずけるぞよ」と、受け取るべきです。
ところが、実際の釈尊は拒絶した。
桐山さんの説に矛盾します。
276名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 13:31:21 ID:y6ma5dAw
>>263 :名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 12:35:47 ID:qtJ4rN0I

供養を受けてから説法することはあるが、説法のお礼に供物を受け取ることはしないのです。
説法は供養の見返りではないのだから、
供養に対しては釈尊はいかなる見返りも差し出さない。
こういう厳密で清廉潔癖な釈尊が、応供に如来とやらに変身して、
人と金を出せば、世俗的な御利益も、因縁切りの超能力も、
御利益としてドロドロと垂れ流しますよ、なんて言うと思いますか。
取り引きはしないと言っている釈尊が、「供養に応える」などと、
見返りになにかくれるなどありえるはずがない。
桐山さんは釈尊に御利益製造器になってほしいのだが、
阿含経を読めば読むほど、釈尊は御利益製造器とは正反対です。
こういう釈尊をなんとか御利益製造器に見せかけるために、
桐山さんは応供や福田という単語を巧みに用いて、経典を次々と捏造した。
釈尊に派手な服を着せ、顔にマジックで化粧したようなものです。
これのどこが阿含経を護持する教団なのですか。
阿含経の捏造など、大乗経典を作った人たちすらしなかった大罪です。
信者さんたちはこんな大罪の片棒を担ぎたいのか。
277名無しさん@3周年:2005/10/27(木) 22:18:23 ID:yTrrUwSN
このスレは名前からして間違ってる
阿含宗は宗教に値しない
278樹意 :2005/10/28(金) 00:50:06 ID:6MHJ7svr
>>256
> 「カッサパよ、作すものと受くるものとは同じであるという考え方は、先にそなたが苦は自作
> であるといった考え方と同じである。それは、いうところの常見に堕すものである。」
> 南伝相応部経典12 17 阿支羅 漢訳雑阿含教 12 20  阿支羅 増谷文雄氏訳
では続きです

カッサパよ、また、作すものと受くるものとは別であるというのは、苦を受けてそれに重圧された
ものが、苦は他作であるというのと同じ考え方である。それはいうところの断見に堕すというもの
である。
カッサパよ、わたしは、これら二つの極端を離れて方を説くのである。いわく、無明によって行
がある。行によって識がある。識によって −−−−−」

沙門果経において戒として説かれる 占いをしない というのもこの辺に理由があるものと
思われます。
つまるところ 仏陀には人間を 名色(五蘊) 支縁起(十二因縁)で観ているというのが
私の実感です。




279樹意 :2005/10/28(金) 00:59:48 ID:6MHJ7svr
>>244
>阿含宗で使うような前世の業という意味で使うことは稀で、
>普通は「言動や心における行為」、つまり、今現在の身口意の行為(三業)を指します。

増谷氏の経典注釈にも同様の意味で解説がありますから七誌さんの書き込みで正解で
あると思われます。
さて この業を論じて苦は自作なりや他作なりやと問答する経典群があります その例を
挙げてみたいと思います。  これも因縁相応のカテゴリーに属するものです。

280名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 01:04:55 ID:PXVg2CyK
あっ!ゴン磐田にいたの?!
281樹意 :2005/10/28(金) 01:10:36 ID:6MHJ7svr
>>244
>阿含宗で使うような前世の業という意味で使うことは稀で、
>普通は「言動や心における行為」、つまり、今現在の身口意の行為(三業)を指します。

だが、アーナンダよ、業を論じて、(苦は自作である)と説く彼ら沙門やバラモンは、実は、
触がないときにも、そういうことになることを説くことはできない。あるいは、−−−業を
論じて、(苦は自作でもなく、他作でもなく、因なくして生じるものである)と説く
彼ら沙門やバラモンも、実は、触がない時にも、そういうことになることを説明する
ことはできないのである。
ーーー中略ーー
しかるに、アーナンダよ、無明を余すことなく滅しつくせば、それによってわが内に苦楽
を生ずる行為はなくなり、それによってわが内に苦楽を生ずる言語はなくなり、また、
それによってわが内に苦楽を生ずる意はなくなるのである。すなわち、それによって
我が内に苦楽を生ずる田畑はなくなり、基底はなくなり、手立てがなくなり、
理由がなくなるのである」
相応部経典 12 25 浮弥 雑阿含経 14 1 浮弥 増谷文雄氏訳 
因縁相応 カテゴリー

282樹意 :2005/10/28(金) 01:19:06 ID:6MHJ7svr
>>244
>阿含宗で使うような前世の業という意味で使うことは稀で、
>普通は「言動や心における行為」、つまり、今現在の身口意の行為(三業)を指します。

> 「カッサパよ、作すものと受くるものとは同じであるという考え方は、先にそなたが苦は自作
> であるといった考え方と同じである。それは、いうところの常見に堕すものである。」
>>281
> だが、アーナンダよ、業を論じて、(苦は自作である)と説く彼ら沙門やバラモンは、実は、
> 触がないときにも、そういうことになることを説くことはできない。あるいは、−−−業を

業解脱などこれからいけば有りえないわけです、
ゲイカの説くのは
 業を論じて、(苦は自作である)と説く彼ら沙門やバラモン
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そのものであり すでに根本仏教ではありません。
業を論じて苦は自作であり 作すものと受くるものとが同じであり、さらに
業を解脱すると論じるのですから まるっきり意味が違うわけです。
まあ、整合性を持たせるために経典改ざんするのも我々の無知に付け込む
手法なわけですから 不勉強なのは全てにおいて罪があります。


283樹意 :2005/10/28(金) 01:41:13 ID:6MHJ7svr
>>259
ほれ。

このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、付随煩悩を離れ、
柔軟になり、行動に適し、確固不動のものとなると、その私は、
もろもろの煩悩を滅する智に心を傾注し、向けました。その私は、
「此れは苦である」と如実に知りました。
「此れは苦の生起である」と如実に知りました。
「此れは苦の滅尽である」と如実にしりました。
「此れは苦の滅尽に至る行道である」と如実に知りました。
「これらは煩悩である」と如実に知りました。
「これは煩悩の生起である」と如実に知りました。
「これは煩悩の滅尽である」と、如実に知りました。
「これは煩悩の滅尽jに至る行道である」と、如実に知りました。
このように知り、このように見るその私には、欲の煩悩からも心が解脱し
生存の煩悩からも心が解脱し、無明の煩悩からも心が解脱しました。
解脱したとき、解脱したという智が生じました。
「生まれは尽きた。梵行は完成された。なすべきことはなされた。
もはや、この状態のほかにはない」と、知ったのです。
マッジマニカーヤ 恐怖経 大蔵出版 方山一良訳 
284名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem
旧『修行者座右宝鑑』(1978年)

23頁
福徳を得るための三つの方法
これについて、ブッダは、長阿含経巻の八「衆集経」の中で、福徳を得るために
『”三福業”の三法あり』といって、福を身につける三つの法を説いている。

48頁
この仏に供養をささげる者は大福徳を得、この仏をそしり、この仏にそむく者
は、三悪道に堕ちて、未来永劫にわたって浮かぶことができいなのである。(衆集経巻の十二)
285名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:38:30 ID:ksXvSRem
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

桐山さんの捏造経典シリーズも三日目です。
運の悪い者が運を改造するために福徳を身につけるための三つの方法とは、
「衆集経」に説かれた三福業であるというものです。
桐山さんは後半の文章では、「巻の十二」と書いていますが、
これは前半の「巻の八」が正しい。
超人的な記憶力をお持ちの桐山さんはしばしばこういう凡人がするような間違いをする。
供養をささげると大福が得られて、そむくと三悪道に堕ちるなんて、
なんか、経典を開くだけで、罰が当たりそうな怖い経典です。
恐る恐る、元となった「衆集経」を見てみましょう。
286名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:44:23 ID:ksXvSRem
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

『國訳一切経 阿含部 7』184頁、「衆集経」
「復、三法有り。謂く『三福業』、『施業』と『平等業』と『思惟業』なり。」

>>284の『”三福業”の三法あり』という文章ではないが、おおよそ内容的には合っています。
「内容が合っているなら、どこが捏造なんだ」と信者さんからは早くもお怒りの声が出て来そうです。
信者さんたちは、桐山さんの>>284の文章を読んだ時、
衆集経では三福業についてついていろいろと説明があり、
さらに仏に供養すれば大福が得られて、そしれば三悪道に堕ちると
書いてあると思いませんでしたか。
ないのです。
衆集経での三福業について記述は上記のたった一行しかない。
これは説明ではなく、名前が並んでいるだけです。
では、他の経典に三福業について説明があるではないか?
ありません。
なぜなら、もしそんなものがあったら、桐山さんが引用しているはずです。
三福業については阿含経では上記の一文しかない。
三福業には大福も三悪道もないのですから、立派な捏造です。
287名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:47:18 ID:ksXvSRem
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

衆集経の概要を簡単に述べます。
サーリプッタが釈尊に代わって比丘たちに説法したもので、
1から10までの数字で分類した内容を合計229個並べたものです。
三福業は、3に分類される内容で、前述のように、詳しい説明はありません。
桐山さんが書いたような、供養すれば福徳を得て、
そしれば三悪道に堕ちるなんて説明はありません。
もっとも桐山さんは、三福業の中に大福や三悪道があるとは書いておらず、
衆集経にあるように書いている。
しかし、経典全体を読んでみても、そんな記述は見つかりません。
唯一、釈尊への批判について言及した点は、
「世尊を非難してはいけない。世尊を非難するのはよくない」
(『原始仏典 3』春秋社、328頁)
と、当たり前の記述があるくらいで、地獄に堕ちるなどという脅迫まがいの話は出てきません。
288名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:54:13 ID:ksXvSRem
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

桐山さんはいかにも衆集経には三福業が詳しく説かれ、
これが特別なことであるかのように書いているが、
わざわざ取り上げなければならないほどの内容であるにしては、
ただメニューが並んでいるだけで、説明すらされていないのです。
ましてや、衆集経には御利益も地獄もありません。
経典そのものを捏造はしていないが、内容は恒例の捏造です。
「しかし、メニューだけでも、内容は福徳を授けるものではないか」と
おっしゃるでしょう。
では、内容を見てみます。
289名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:58:14 ID:ksXvSRem
>>286 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:44:23 ID:ksXvSRem
「復、三法有り。謂く『三福業』、『施業』と『平等業』と『思惟業』なり。」

この一文に『國訳一切経』では註釈がついています。
「三種の清福なる行為を達せしむる基本たるもの」(187頁欄外)
つまり施、平等、思惟という三種類の清浄な行為(業)を達成するための基本だという。
どこにも大福も棚ボタもなさそうです。
桐山さんはこれで福徳という御利益を生じて、運を良くするのだといいたい。
だから、桐山さんは福業、梵福、世間福、出世間福という単語にひかれるのです。
では、仏教の福徳には桐山さんの言うような意味があるのでしょうか。
福徳を仏教辞典で引くと、
「福徳・・善いこと。功徳とも訳される。」(『岩波仏教辞典』687頁)
なあんだ、福徳とは功徳のことなんだ。
だったら、福徳なんて言わないで、最初から功徳って言えばいいのに・・ブツブツ。
「功徳・・善根を修することにより、その人に備わった徳性をいう。」(同210頁)
ほほう、御利益を得るためには善根とかいうのをせねばならんようです。
「善根・・無貪、無瞋、無癡の三つを三善根という」(同499頁)
信者さんたちもこの説明に、おやあ!あらら!と思わず声を上げそうになりませんか。
290名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 13:02:25 ID:ksXvSRem
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

三善根て、どっかで聞いたような言葉だが、それはちょっと後にして、
なによりも、貪、瞋、癡って、六大根本煩悩の最初に出てくる悪玉三人組です。
無貪、無瞋、無癡というのだから、これらの煩悩をなくせと言っているのです。
ここまででわかったことを逆にたどるなら、
善根とは煩悩をなくすことであり、これによって功徳という徳性がうまれ、
功徳は別名を福徳という、というのが仏教の説明です。
「善根=煩悩消滅」 → 「功徳=福徳」
じゃあ、福徳を得るためには何をしたらいいのか、といえば、煩悩をなくせばいいのです。
世間福、出世間福、梵福、福徳なんて名前はいろいろだが、
要するに、煩悩をなくせという仏教の基本的な教えを説いているにすぎない。
三福業も、その単語どおりで、煩悩をなくす行為(業)によって、
煩悩をなくし心の平安(福)を得なさいという教法だから、経典では細かい説明をしなかっただけです。
ごらんのように、仏教の福徳は桐山さんの説明とまったく違います。
291名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 13:05:59 ID:ksXvSRem
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem
「善根・・無貪、無瞋、無癡の三つを三善根という」(同499頁)

阿含宗の信者さんなら、三善根はどこかで聞いたような単語だと思うでしょう。
阿含宗での依経は阿含経であり、その中から桐山さんは根本経典として
選んだ二つの経典の一つに出てきます。
在家信者にとっては一番大事な三供養品です。
三供養品で信者さんたちが三福道と言っているのは、正しくは三善根です。
漢訳経典の三供養品には三福道などという単語はありません。
桐山さんは本などで、三善根と三福道を併記して、
いかにも三福道と訳した経典もあるかのように述べているが、完璧に嘘です。
三福道は桐山さんの捏造語であり、三福道などと書かれた経典は存在しません。
仏教経典には、大乗経典を含めて、三福道などという言葉は存在しないのです。
これまで紹介した経典捏造もひどいが、三供養品は在家信者の最大の拠り所とする経典であり、
一番の眼目である三福道が桐山さんの捏造だとなると、ひどいで済む話でありません。
桐山さんはなんだって、わざわざ三善根を三福道なんて言い換えたのでしょう。
三善根をそのまま使えばいいではないかと普通は思います。
ちゃんと理由があるのです。
292名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 13:09:48 ID:ksXvSRem
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

衆集経の「三福業」と「三福道」はとてもよく似ていることに
信者さんたちも気が付いているでしょう。
そのとおりで、三福業から桐山さんは三福道を捏造したのです。
この経緯は本にはっきり残っており、前にユビキタスさんが指摘していた。

『人間改造の原理と方法』1977年、210頁〜
「仏陀は、運のわるい修行者のために、運をよくする修行を説いているのである。
どんな修行法か?
『三福業道』
と名づける修行法である。
アーガマの長部経典、衆集経第五に示されている。」

この本は旧座右宝鑑が書かれた前年に出ています。
そして、ここでは「三福業」ではなく「三福業道」になっています。
仏陀が名づける修行法などと、いかにも経典に出てくるような書き方ですが、
>>286の衆集経には三福業はあっても、三福業道などありません。
つまり、この文章もまた桐山さんの経典捏造の一つです。
293名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 13:16:38 ID:ksXvSRem
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

桐山さんは旧の座右宝鑑などを書いた時点では、まだ三供養品を見つけられなかった。
御利益経典の元を衆集経に求めようとしていた。
しかし、>>286に引用した文章を読んでもわかるように、ただ単語が並んでいるだけで、
これでは信者にすら説得力がなく、御利益で釣ることができない。
この後、桐山さんは阿含経を読んで、御利益経典を探したのです。
だから、1980年代初頭、例祭で数年にわたり阿含経講義をした。
桐山さんは三供養品を見つけたのは1981年だと書いている。
その成果を1984年に『間脳思考』で発表した。
御利益経典を探そうと、この数年間こそが桐山さんが一番阿含経を熱心に、真剣に読んだ時期でしょう。
294名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 13:21:54 ID:ksXvSRem
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

桐山さんは三供養品を御利益経典として使えることに気が付いたが、
しかし、三善根ではいかにもインパクトが小さい。
何か御利益が怒濤の如く押し寄せ、信者が溺れるくらいの単語がいい。
桐山さんはこういう商品の名前を考えるのには才能がある。
だから、今でも中身なんか何もなくても、週刊誌程度の占いでも「好運会」とか、
ただの護摩に「光明解脱大日護摩」なんて仰々しい名前を付ける。
桐山さんの頭にあったのは、数年前に衆集経にあった三福業、自分が書いた三福業道です。
信者の欲を煽り、欲にかられて財布のヒモをゆるめさせるには、「善」ではダメで、
福徳、梵福、世間福など「福」がついていないとイマイチです。
そこで桐山さんは、
三福業 → 三福業道 → 三福道
と連想ゲームで作り上げ、なんと経典にある三善根を三福道と書き換えて発表した。
これがただの推測でないことは、桐山さん本人が本で次のように書いている。
295名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 13:24:28 ID:ksXvSRem
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

『末世成仏本尊経講義』255頁
一書には「三善根」「三福業」とあり。阿含宗は「三福道」をとる。

信者さんたちは、桐山さんのこの奇妙な文章をよく読んでほしい。
「三善根」「三福業」の中から「三福道」を選んだと書いてあるのです。
AとBの二つの中からCを選んだ、と書いているのです。
信者さんたちは小さなミスだというかもしれない。
だが、これまで経緯を見れば、桐山さんのこの小さなミスこそが、
彼の頭の中で何が起きたかを示しているではありませんか。
三福業を桐山さんは覚えていたが、三福道とごちゃ混ぜになっている。
しかも、ごちゃ混ぜにするばかりか、自分の記憶を確認することすらせず、
「三福業とか三福道とかいうのがあったから、ま、いいか」と経典を書き換えた。
296名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 13:29:10 ID:3GdIyO5Y
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

信者さんたちは、桐山さんの脳内で簡単に現実と空想とが混ざり合ってしまうこと、
さらには経典を自分に都合よく書き換えてしまうという道徳心のなさをどう思いますか。
経典という他人が確認できることですら、桐山さんはこうやって平気で嘘を書く。
それも、三供養品は、在家信者が多数を占める阿含宗の根本中の根本です。
現実世界ですら空想が混じり、嘘が平気な桐山さんの霊視や御霊示が、
客観的なものだと信じられるだろうか。
こうなると、桐山さんはなぜ嘘つきなのかの問いに、私の脳内御病気説と、
樹意さんの虚言癖確信犯説とが主張されてきたが、
二人の凡人が考えたような片方ではなく、
天才であらせられる桐山ゲイカは脳内御病気虚言癖確信犯である可能性が出てきた。
297名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 13:33:35 ID:3GdIyO5Y
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

煩悩をなくすことで心の平安を得るという三福業や三善根は
桐山さんによれば、御利益を得て、運が良くなるための三福道だという。
まるっきり、逆のことを言っていることに気が付きませんか。
煩悩の悪玉三人組の貪瞋癡のうち、貪はムサボリ、簡単にいえば欲望です。
欲望をなくせと説いているのに、御利益や運が良くなるとは欲望そのものです。
欲望をなくせと説いた経典を、欲望が達成できる方法を説いた経典であると言っている。
捏造も捏造、180度も違うことを説いているのです。
信者さんたちは、運を良くすることを欲望だと思っていない人もいる。
だが、釈尊は運を良くするなんてもちろんただの一度も説いたことはないし、
運を良くするというのは、金を得たいとか、女にもてたいといった欲望の一つにすぎない。
運命改造なんて、何か高尚なことのように桐山さんは述べているが、
仏教から見たら欲望であり、それも低レベルの煩悩の一つにすぎないのです。
298信者70500号:2005/10/28(金) 17:02:41 ID:nA/88B48
確かにずっと違和感がありましたがそう言うことでしたか。
なんか、騙されていたかと思うと自分がみじめになってきました。
299信者70500号:2005/10/28(金) 17:14:15 ID:nA/88B48
名無しさんは仏教学者さんですか?
300名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 20:16:46 ID:4XsQwM7Y
このスレ長文コピペばっかでつまらん
301樹意 :2005/10/28(金) 22:54:27 ID:kQh7Nlwb
>>298
> なんか、騙されていたかと思うと自分がみじめになってきました。

この教団の場合は適度に霊的に脅しが入ります、(宗蓄を逃がさない柵です)
欺瞞に気づいただけでも 良かったと思うのがいいのではありませんか。

そもそも本来の仏陀は個別の霊的なことに関しては無記を通したのですから
阿含経の権威を借りずにキリヤマ教とする分には批判の大半が消滅するわけです。
阿含経や仏陀の権威の名を借りた霊的脅し(宗蓄を逃がさない柵)などというものは
現役信者のみならず 社会的にとって害毒にしかなりません。
批判側が経典に基づいた批判をするのは この (柵)見えない心の縛りを排除する
必要があると考えるからです。
引用経典に細工して得られる教団側の利益は 2種類あります。
一つはご利益で釣ることであり一つは霊的な脅し(家畜を逃がさない為の柵にする)
という事です。
そのために経典改ざんの小細工をするわけです。 




302樹意 :2005/10/28(金) 23:06:55 ID:kQh7Nlwb
>>300
長文コピペは NRことジミズのおじさんの分です
批判する側は同じような文章ですが、毎回進化しています。
三善根 三福道の改ざん 等は あほだ羅経氏はじめ原始仏教スレッド碩学の
指摘を頂きましたが
今回の奈々氏さんの仕事は 社会的に意味のあることです。
意味のある仕事に対して 信者70500号さんのような意味のある反響があった
ということです。
魂の犯罪をなんとも思わない輩がこの世界にはいるわけですから
カルトというのは本当に社会悪です。
303樹意 :2005/10/28(金) 23:17:34 ID:kQh7Nlwb
>>301
> 批判側が経典に基づいた批判をするのは この (柵)見えない心の縛りを排除する
> 必要があると考えるからです。

批判側と書きましたが此れは私個人の考えですから 訂正します。

304名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 00:35:30 ID:mWs0nAWY
久々にMS−DOSからアタックかけてIP抜きやろうと思って
ザへ逝ってみたが正直脱力感まっしぐらだわ
少しは頑張れよ糞信者
305名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH
宗教は救いを説く。
それが何からの救いなのかは宗派の違いによる。
それを全て脅しというなら
脅しでない宗教は存在しない。
無知な人間はこういうところでカバチをタレル。
だから阿含宗を批判する人たちなど無視しても良いのだ。
やつらは地獄で後悔することだろう。
永遠に続く悲惨な苦しみと共に。
体を寸刻みで切り刻まれて
いつまでも血を流し続け、痛みで気絶を繰り返す。
その苦しみは終わることはない。
それは真の仏法に刃向かう人間に課せられた報いなのだ。
守護神を持って幸せに生きるか、それとも永遠の痛みと苦しみに苛まれるか
それを決めるのはあなた自身だ。
306名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:48:15 ID:H5R8TrtH
求聞持法の伝授はたしかに遅れている。
だけど当時の空海のレベルにならないと伝授しても成就できない。
だから遅れているのは当たり前なのだ。
カバチたれてるやつらは自分が空海と同じレベルだと思ってるのか?
だとすりゃ自信過剰もはなはだしい。
恥を知れ。
307名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 22:23:51 ID:BIHsx9yz
>>299 :信者70500号 :2005/10/28(金) 17:14:15 ID:nA/88B48
>名無しさんは仏教学者さんですか?

仏教学者でも僧侶でもなく、ただの素人です。
しかし、桐山さんを批判するのには専門家はいらない。
ド素人でもわかるくらい嘘が多いからです。
いろいろな人たちが情報を持ち寄り、それぞれの切り口から批判をする。
桐山さんのスゴイところは、どの切り口も金太郎飴みたいに「嘘」が出てくる。
叩けばホコリが出てくるのではなく、ホコリそのものでできている。
だから、叩くと、なんにもなくなる。
他の宗教教義と比較しておかしいのではなく、
阿含宗は阿含宗の教義において矛盾するのです。
三宝が全部偽物なんて、まずそんな仏教教団にはお目にかかれない。
308名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 22:25:34 ID:BIHsx9yz
>>298 :信者70500号 :2005/10/28(金) 17:02:41 ID:nA/88B48
>確かにずっと違和感がありましたがそう言うことでしたか。
>なんか、騙されていたかと思うと自分がみじめになってきました。

元信者として体験を申し上げるなら、
あなたのその「みじめ」な気持ちは事実を知れば知るほど増大します。
三福道の嘘など、桐山さんの嘘のほんの一部にすぎないからです。
スレもザを含めれば100以上もあり、すべて読んでくれとはいいませんから、
時間をかけてでも10くらい読んでみてください。
嫌がらせやアラシや無意味な書き込みは飛ばし読みして、
批判側がどんなことで批判しているのか、拾い読みしてください。
真正仏舎利は偽物、経典捏造、桐山さんは偽坊主、偽阿闍梨。
求聞持脳を体得した後で、必要もないのに、学歴まで嘘を書いていた。
霊障教学の18人の霊障武士の話は嘘。
ソンディの恋愛事件の話も一番肝心な部分は桐山さんの作り話。
ここから出てくる桐山さんの霊視能力や成仏リキの嘘。
モンゴルの奇蹟は天気予報、念力の護摩は手品。
阿含経には因縁解脱も霊障解脱もなく、
仏陀の智慧を持つ桐山さんは解脱の定義すら間違えている。
釈尊が禁止した護摩や占いをウリにして、これが阿含経の護持??
死者の成仏を否定したのが釈尊なのに、先祖供養の阿含宗。
思いつくだけでもこのとおりで、教義の基本で嘘が混ざっていないものを探すのが大変なくらいです。
309名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 22:32:22 ID:BIHsx9yz
>>298 :信者70500号 :2005/10/28(金) 17:02:41 ID:nA/88B48
>確かにずっと違和感がありましたがそう言うことでしたか。
>なんか、騙されていたかと思うと自分がみじめになってきました。

私はあなたや信者さんに、最初だけでいいから、信仰と知識とを切り離すことを勧めます。
何をどう信仰するかは個人の自由なのだから、そこは問いません。
しかし、信じる前に、まず事実は何なのか、根拠は何なのか、
阿含経の釈尊は何と言っているのかという知識を得てほしい。
批判を鵜呑みにする必要はなく、自分で調べられることもたくさんあります。
その知識を身につけても、ザのスレの星祭さんなどのように、
「体験している」「思う」で信仰を続けるのは自由です。
星祭さんのように、桐山さんの嘘つきぶりに何も嫌悪を感じない人もいて、
これは個人の感性の問題ですから、ここでは議論しません。
ただ、その前に、まず仏教についての正しい知識や、
客観的な事実、阿含宗の教義に根拠があるのかどうかという知識を得てほしい。
これを勧めるのは、信者さんたちは桐山さんから、批判はただの悪口であり、
阿含宗に発展されては困る伝統仏教の仕業だと教えられているからです。
だが、現実は、批判側のほとんどが元信者です。
あなたの今の「みじめ」な気持ちはとても重要です。
私もそこを通過してきたから、よくわかります。
その気持ちを忘れないうちに、しっかりと知識を得てください。
私の説明で意味のわからない点は遠慮せずに質問してもらえれば、何度でも説明します。
310名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 22:34:24 ID:BIHsx9yz
>>298 :信者70500号 :2005/10/28(金) 17:02:41 ID:nA/88B48
>確かにずっと違和感がありましたがそう言うことでしたか。
>なんか、騙されていたかと思うと自分がみじめになってきました。

もしかして、>>294以降の三福道が桐山さんの捏造だという話は初めてですか。
では、旧座右宝鑑など今の信者さんが持っていない本の話ではなく、
今の阿含宗の重要な教学に関係したことを書かなければなりません。
阿含宗の基本となる教学では、三福道だけでなく、
もう一つ重大な桐山さんの経典捏造を専門家が昨年指摘したのです。
それが仙尼経の「異陰」の捏造です。
阿含宗では異陰は、釈尊が説いた不成仏霊として重要な教義です。
ところが、引用された仙尼経の元の経典には異陰という単語はありません。
311名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 22:35:49 ID:H5R8TrtH
嘘でもなんでも構わない。
全て解脱に至る為の方便なのだから。
釈迦の喩えも半分以上が嘘、
つまり方便なんでぜんぜん問題なし。

だから無知は困る。
馬鹿そのもの。
312名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 22:39:39 ID:BIHsx9yz
>>298 :信者70500号 :2005/10/28(金) 17:02:41 ID:nA/88B48

桐山さんの和訳(『間脳思考』121頁)
「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて異陰相続して生ず。」
『國訳一切経 阿含部1』(大東出版社、108頁)の和訳
「慢断ぜざるが故に此陰を捨て已りて陰と與に相続し生ず。」

桐山さんの訳が「異陰相続して生ず」なのに、
元となったはずの国訳一切経では「陰と與に相続し生ず」です。
仙尼経には異陰なんて言葉はない!!
桐山さんはいったいどこの世界にある国訳一切経から引用したのでしょう。
漢訳経典である大正新脩大蔵経では、「與陰相続生」ですから、
この漢文をどう読んでも異陰は出てこない。
善意に解釈するなら、経典は昔の不明瞭な印刷なので、
桐山さんが老眼で「與」を「異」と読み間違えたのでしょう。
あの方はよく直感で読み間違える。
しかし、一宗の管長であり、阿含宗の教義の基本を説明するのに、読み間違えたで済む話ではない。
阿含宗ではイオンといえばカード会社や荷電粒子ではなく、
釈尊が不成仏霊を説いたという重要な根拠とされてきた。
骨を祭りながら柴燈護摩を焚く重要な根拠の一つです。
ところが、桐山さんがいつも引用し続けた仙尼経には異陰なんて単語はない。
信者さんたちも信用ができないなら、自分で調べてみてください。
313名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 22:47:12 ID:BIHsx9yz
>>298 :信者70500号 :2005/10/28(金) 17:02:41 ID:nA/88B48

1997年に出た『社会科学としても阿含仏教』の258頁では
仙尼経を再度引用して、漢文と書き下し文を併用しています。
漢文では「与陰相続生」と上段にあるのに、書き下しは「異陰相続して生ず」。
これは焼き直し本だから、桐山さんが書き下ろしたものではないにしろ、
編集者は二つ並べてみれば明らかに違うのに、どういうつもりだったのだろう。
『社会科学としても阿含仏教』ではまだ「与陰相続生」とあるのだから、
國訳一切経からの引用は捏造したが、元となった大正新脩大蔵経を捏造していなかった。
ところが、最新刊『守護神を持て』では、表紙に使った仙尼経を「異陰相続生」と捏造した。
こうなったら、もう老眼のせいにはできない。
明らかに意図的に、嘘だと百も承知で経典を捏造したのです。
間違いを修正するどころか、素人の無知を利用して、さらに犯罪行為を積み重ねた。
これが桐山さんのしていることです。
314名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 22:59:09 ID:BIHsx9yz
>>298 :信者70500号 :2005/10/28(金) 17:02:41 ID:nA/88B48

さあ、信者さんたちはどうしますか。
三福道だけでなく、異陰まで桐山さんの捏造です。
異陰は仙尼経には存在しない。
桐山さんが阿含経から不成仏霊や霊魂の根拠だとした内容は捏造です。
異陰以外に「意生身」も引用しているが、この経典では、
釈尊はただ質問者の言葉を繰り返しただけで、認めているわけではない。
好戦経では釈尊は「肉段」と言っているだけで、意生身も異陰とも言っていない。
しかも、肉段を成仏させろとか、生きている人の運を悪くするなんて一言も説いていない。
一方、サンユッタ・ニカーヤの「西地人」という経典では、死者の成仏をはっきりと否定している。
釈尊は、不成仏霊の成仏や霊障のホトケなど説いていないのです。
教義の根本となる経典を平気で捏造する桐山さんを信者さんたちはどうやって信じるのか。
315名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 05:43:22 ID:O/2XB8KC
ソンディー理論があります。
316??へんなの??:2005/10/30(日) 08:24:24 ID:28P7kCHR
↑生きている人が生きたまま生まれ変わるッテやつですかい。
317名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 22:30:12 ID:2CwhSQWi
>>306 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:48:15 ID:H5R8TrtH
>求聞持法の伝授はたしかに遅れている。
>だけど当時の空海のレベルにならないと伝授しても成就できない。

桐山さんはこんなことは言っていない。
練脳塾の目標は、「管長メッセージ」(2005年6月)によれば、
「その目標は、諸君を、私の頭脳レベルにまで引き上げることです。」
桐山さん並の詐欺脳を獲得することが目標だとはっきり述べているのだから、
信者なら勝手な書き方をするはよしなさい。
318名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 22:31:42 ID:2CwhSQWi
「嘘も方便」シリーズ1

534 名前:名無しさん@1周年 投稿日:2001/08/22(水) 20:31
桐山氏に関していえば、現時点での断定はある部分難しいといわざる終えません。
なぜならば、嘘も方便という部分があるためです。
512 :名無しさん@1周年 :02/01/05 21:37
仏教には方便という言葉がある。
412 名前:名無しさん@3周年 投稿日:03/05/08 17:21
嘘も方便という言葉がありますが、大乗の誓願を実現するために、些細な方便は許されます。
581 :名無しさん@3周年 :03/10/20 10:32
仏教は宗教であり、学校のお勉強が目的じゃない。
だから「嘘も方便」という言葉もある。
712 :名無しさん@3周年 :03/10/23 09:51
ユビキタスは阿含宗の方便部分について嘘だのナンダノとイチャモンをつけて喜んでいるが
それはあくまで方便であり猊下の理想とする本質とは違う。
319名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 22:32:32 ID:2CwhSQWi
「嘘も方便」シリーズ2

713 :名無しさん@3周年 :03/10/23 09:57
聖者はさまざまな方便を駆使して信者達を悟りへと導く。
878 :名無しさん@3周年 :03/12/12 15:04
猊下は「方便」でああ言っておられるに過ぎぬ。
455 :名無しさん@3周年 :04/02/16 12:33
阿含宗の矛盾は全て方便だと解釈すれば信仰は揺るがない。
722 :名無しさん@3周年 :04/03/08 13:20
方便はあくまでも方便なのだよ。
[4095]愚者 04/10/21 18:39 dF6mGrq/deM
嘘も方便というように、真理に導くためにはある程度の嘘は当然許される。
689 :名無しさん@3周年 :04/12/20 13:15:45 ID:lJLSh7Z1
もともと仏教には「嘘も方便」という言葉があるくらいなんだし。
823 :名無しさん@3周年:05/01/17 21:11:24 ID:esd0nqsG
その目的さえ果たせればあとはなんでも嘘も方便なんです。
320名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 22:36:08 ID:2CwhSQWi
>>311 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 22:35:49 ID:H5R8TrtH
>嘘でもなんでも構わない。

「桐山さんの説くところは嘘も方便だというのですね。
ということは、桐山さんが嘘をついているとあなたは認めたのだ!
ちゃんと愚者さんは、桐山さんが嘘つきだとわかったのだ。
ブラボー!」
と、私はちょうど一年前の
>975 :名無しさん@3周年 :04/10/22 22:12:19 ID:rwX9oAng
で書いたのを覚えていますか。
>>318-319のように、あなたの嘘も方便の行歴も長い。
釈尊のいう方便とは「嘘も方便」などではない。
仏教には方便という言葉はあるが、嘘も方便などありません。
このことも初めて書いたのではないのに、覚えていないのですね。
批判側を罵るのはいいが、嘘も方便などと、釈尊を罵るは控えたほうがいい。
321名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 22:40:38 ID:2CwhSQWi
>>305 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH
>それを全て脅しというなら
>脅しでない宗教は存在しない。
>やつらは地獄で後悔することだろう。

桐山さんの嘘を認めただけでなく、
阿含宗に霊的な脅かしがあることをあなたは認めるのですね?
これだけでもあなたは立派に進歩した。
桐山さんは口がうまいから、信者の多くは自分が霊的に脅迫されていることにすら気が付かない。
たぶん305さんだってスレを読むまでは気が付かなかった。
悪因縁、霊障のホトケ、天命殺など、阿含宗には霊的な脅かしがちりばめられている。
しかも、脅迫ネタはだんだん増大している。
最新刊では霊的脅迫の新ネタである「阿鼻野街道」が新発売された。
これと同類の脅かしネタが十年前の『君は誰の輪廻転生か』の「斉の広場」です。
322名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 22:43:29 ID:2CwhSQWi
>>305 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH
>脅しでない宗教は存在しない。

悪因縁、霊障、天命殺と内容が違うことに信者さんたちは気が付いていますか。
この三つはどちらかというと、生きている信者を脅かしている。
悪因縁で不幸になる、霊障で運が悪くなる、天命殺で不幸がどしゃ降りですから、
生きているアナタを脅かしている。
これに対して、十年前から桐山さんは信者の死後も脅かすようになった。
それが斉の広場や阿鼻野街道です。
阿含宗に帰依しない連中の哀れな末路を書いている。
桐山さんの自分を認めなかった連中への憎悪に任せて書いているのだから、これも大きな目的です。
三途の川を渡ろうとする人を次のように描写している。
323名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 22:48:11 ID:2CwhSQWi
>>305 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH

「生前、大言壮語し、豚のように肥え太った指導者は、あっというまに落下していった。」
(『君は誰の輪廻転生か』340頁、1993年)
「何回繰り返してもだめだから、しまいには、この老僧は恥ずかしくなって、
こそこそどこかに行ってしまった。」(『守護神を持て』151頁、2005年)

信者さんたちは桐山さんの霊視能力を信じているから、
桐山さんの霊眼を通じてあの世を見ていると思っている。
しかし、歴史に存在しない18人の霊障武士を霊視して成仏させた桐山さんです。
実在しなかった18人の霊障武士が見える桐山さんの霊視能力などインチキです。
305さんすら認める桐山さんの嘘です。
とすれば、これらの描写は、あの世の話などではなく、
桐山さんの頭の中そのままだと見るべきです。
この光景が桐山さんの頭の中だと見れば、
豚のように肥え太った指導者や老僧の話ではなくなる。
324名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 22:58:00 ID:2CwhSQWi
>>305 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH
>脅しでない宗教は存在しない。

この描写に登場する「豚のように肥え太った指導者」は今でも生きている。
桐山さんがあこがれて、嫉妬してやまないあの人、
北京大学名誉教授を桐山さんよりも二十年も前に手に入れた某宗教家です。
桐山さんはまさに彼に向かって、「地獄に堕ちろ」と呪いをかけている。
桐山さんの憎悪がこの十年の間に増大したことは、老僧の描写に現れている。
『君は誰の輪廻転生か』と『守護神を持て』の両方に老僧が登場します。
前者は念仏三昧というのだから浄土系の僧で、
後者は座禅というのだから禅宗の僧であり、別な僧であるという設定です。
しかし、二人とも徳が足りず、ジャンプはできても前に進まないという描写までそっくりです。
十年後の本ではこれだけの侮辱では溜飲が下がらず、桐山さんは、
「逃げていった老僧は、時々出てきては、いまでも飛んでいる」(151頁)
と、さらに恥をかかせている。
この一文は、十年間に増大した分の桐山さんの憎悪です。
信者さんたちは驚きませんか。
解脱したはずの桐山ゲイカの憎悪という煩悩が増えているのですよ。
殺虫剤で完全駆除したはずの部屋に、ゴキブリが前よりも増えているようなものです。
325名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 23:02:35 ID:2CwhSQWi
>>305 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH
>やつらは地獄で後悔することだろう。
>永遠に続く悲惨な苦しみと共に。
>体を寸刻みで切り刻まれて
>いつまでも血を流し続け、痛みで気絶を繰り返す。
>その苦しみは終わることはない。

信者さんたちは桐山さんの「豚のように肥え太った指導者」や老僧への
激しい憎しみからきた侮蔑的な描写と、
305さんの描写がそっくりであることに気が付いているでしょうか。
桐山さんも305さんも現実世界では勝てない。
「豚のように肥え太った指導者」が180も名誉学位をもらっている時、
桐山さんはその一割すらももらえない。
教団の規模は1割どころか、1%程度です。
桐山さんは現実では勝てないから、本という妄想の世界で復讐しているのです。
305さんも同じで、現実の議論では阿含宗はコテンパンです。
悔しくて悔しくて、批判側が憎くて憎くて仕方ない。
そこで指導者である桐山さんと同じ手法を用いて、
批判側を妄想の世界で地獄に堕して溜飲を下げている。
326名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 23:06:27 ID:2CwhSQWi
>>305 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH

釈尊の説く仏教の教法を実践する者なら、桐山さんや305さんのようなことはしません。
同時に信者さんたちは、305さんを他人だと思ってほしくない。
305さんはけっして阿含宗の中で例外ではない。
一時、RENDAROさんが同じような描写を貼り付けていた。
人間だから憎しみがあるのは仕方ないとしても、
仏教徒ならあることを恥じるはずなのに、恥じて隠すどころか、
逆に桐山さんも信者もわざわざ煩悩を丸出しにする。
桐山さんのように自分を認めない者、批判した者へ怒りと憎悪の強い教祖の下で信仰していたら、
自然にこんな態度が身についてしまうのです。
と、実は、ここまでが前置きで、次からが本論です。
327名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 23:09:00 ID:2CwhSQWi
>>305 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH

信者さんたちは、桐山さんの霊視能力を信じているから、
「阿含宗を信仰しているから、阿鼻野街道もフリーパスだし、
斉の広場の上を青いオーラを灯しながら仏界に行ける」と信じている。
それが甘いのです。
桐山さんともあろう人が、信者さんたちに何も求めないでわざわざ書くと思うか。
他の人を地獄に堕ちたと罵っているのではなく、
生きている信者さんたちに対して、ちゃんと霊的な脅かしをしているのです。
罵りの攻撃目標は桐山さんを批判した連中への復讐だが、
同時に、これらは信者さんたちへの霊的な脅かしにもなっている。
奇しくも、305さんが桐山さんのこの本音をちゃんと描写してくれている。
328名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 23:11:14 ID:2CwhSQWi
>>305 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH
>それは真の仏法に刃向かう人間に課せられた報いなのだ。
>守護神を持って幸せに生きるか、それとも永遠の痛みと苦しみに苛まれるか
>それを決めるのはあなた自身だ。

これが桐山さんが信者さんたちに言いたいことです。
簡単に言えば、「阿含宗を捨てたら地獄に堕ちる」です。
こういう霊的な脅迫を受けているから、305さんは真似して書いたのです。
親から暴力を受けて育った人が、自分の子供にも暴力を振るうようなものです。
305さんはまるで批判側や信者さんたちに説教しているかのような書き方だが、
これは自分に言い聞かせている。
「もしも、自分(305)が桐山ゲイカを疑い、信じず、阿含宗を辞めたら
>永遠に続く悲惨な苦しみと共に。
>体を寸刻みで切り刻まれて
>いつまでも血を流し続け、痛みで気絶を繰り返す。
>その苦しみは終わることはない。 」
と、305さんは自分に言い聞かせているのです。
329名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 23:15:01 ID:2CwhSQWi
>>305 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH
>永遠に続く悲惨な苦しみと共に。
>体を寸刻みで切り刻まれて
>いつまでも血を流し続け、痛みで気絶を繰り返す。
>その苦しみは終わることはない。

信者さんたちも、これらの文章に、305さんの悲鳴のような恐怖心を感じませんか。
批判側への罵りや罵声でありながら、
実際は、桐山さんから阿鼻野街道や斉の広場の恐怖心を植え付けられ、
まるでオバケの話をされた子供のように怯えている。
批判側から「桐山さんは嘘つきだよ」と言われれば言われるほど、
305さんの恐怖と憎悪は増える。
なぜなら、批判を受け入れ、桐山さんを信じなくなり、見捨てることになったら、
305さんは地獄で苦しむと無意識に信じ込んでいるからです。
こういう恐怖心があるから、桐山さんを批判し、
305さんの信仰心を傷つける批判側に激しい憎悪を覚える。
ちょうど、恐怖に怯える子供に「あれは嘘のオバケだよ」と言って、
肩に手をかけると、かえってその手を払いのけるようなものです。
330名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 23:21:30 ID:2CwhSQWi
>>305 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH
>守護神を持って幸せに生きるか、それとも永遠の痛みと苦しみに苛まれるか

桐山さんがこのように信者に霊的な脅迫を与えるのは、もちろん目的がある。
教団につなぎとめ、金と人を集めさせるためです。
十年前に斉の広場を出した時、その数年前から柏原で墓苑事業を始めた。
阿鼻野街道を出した今年、守護神と冥徳霊場を売り始めた。
だから、ほら、販売戦略どおりに、305さんも守護神を出している。
昔の悪因縁、霊障、天命殺は、信者が生きている間を霊的に脅かす材料です。
これで解脱供養などの金と、導きなどの人集めをさせた。
斉の広場、阿鼻野街道は信者さんたちの死後も霊的に脅かすための材料です。
これで墓と守護神を買わせた。
生きている時ばかりか死後すらも信者さんたちは桐山さんに脅かされ、縛られている。
解脱供養や冥徳供養では、亡くなった先祖を人質にとられ、
今は死んだ後の自分自身まで人質に取られて、脅かされているのです。
331名無しさん@3周年:2005/10/30(日) 23:26:47 ID:2CwhSQWi
>>305 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 21:41:55 ID:H5R8TrtH
>脅しでない宗教は存在しない。

信者さんたちは305さんのこういう発言を他人事だと思わないほうがいい。
多かれ少なかれ、信者なら桐山さんから霊的な脅迫を受けて、信じている。
305さんのようにたまたま文章に書いたから、
心の奥にある恐怖心があふれ出てきただけで、
他の信者さんたちも同じように恐怖心を、気が付かずに、植え付けられている。
桐山さんの手法って、ずいぶん古典的だと思いませんか。
ソンディ心理学など出して装飾しているから、一見もっともらしいが、
不成仏霊の霊障って、幽霊の崇りのことです。
阿鼻野街道や斉の広場は、昔の坊主が民衆を縛るために「言うことを聞かないと、
地獄に堕ちるぞ」と地獄絵図を見せて脅迫した手法です。
崇りと地獄なんて、信者さんたちはこんな古典的な脅迫手法に縛られているのですよ。
332てすと:2005/10/31(月) 00:50:54 ID:vfmji0/E
てすと
333樹意:2005/10/31(月) 01:20:11 ID:vfmji0/E
>北京大学名誉教授を桐山さんよりも二十年も前に手に入れた某宗教家です

こちらの方は個人資産1兆円?だそうですからゲイカとは
比べ物にはなりません そういう意味でも羨望の的なのでしょう。
全てにおいてゲイカは小粒な○話師です。
○尿病なのは共通しています。
欲望を制御できず食欲に向かうのはカルト教祖に多く見られる
現象です、定を得る為に戒律を得る僧侶にはありえない現象です。

334名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 01:44:34 ID:9306nO0K
阿含宗ってホントにカルトなんですねえ。

勉強になりました。
335名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 03:33:45 ID:9306nO0K
桐山さんは死んじゃったんですか。
336名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 03:36:13 ID:9306nO0K
NR=Never Returner=池田慈水ですね?
337名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 05:50:19 ID:Magosu+n
シュダオンになれるので安心です。
338名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 12:34:16 ID:IbJ36eCE
阿含宗と桐山氏について―第十六章 から転載
[492]B地区信者 05/10/29 09:24 Z0Q35aBxOg
↑これどーですか、このギャグ。結構行けるでしょー。

なにっお呼びでない。
こりゃまた失礼しました。

ところで得度も伝法灌頂も済んでない人間がどうして金剛院派の副管長になれたんですか〜。
私はそれらすべて揃っているからこそ成れたと思います。

猊下が自分で弟子の前で「俺は得度も伝法灌頂もしてないんだゾ」なんて自慢げに言うんかい?
自分は本人からそう聞いただなんてそんなホラ話しなど何とでも言えるでしょう。
339名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 12:36:46 ID:IbJ36eCE
>>338 :名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 12:34:16 ID:IbJ36eCE
>[492]B地区信者 05/10/29 09:24 Z0Q35aBxOg
>猊下が自分で弟子の前で「俺は得度も伝法灌頂もしてないんだゾ」なんて自慢げに言うんかい?

>>225 :名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 13:12:54 ID:GmEadMH1
>[129]星祭@昔の事情 05/10/22 08:08 OiFnrlXpPy
>ゲイカが正式の真言密教の伝法灌頂を受けていないということは周知の事実で、
>今は本人でさえ言っておりますが、ただ、ある方に(北野氏関係?)伝法灌頂を

B地区信者さんの疑問には、星祭さんが答えています。
桐山さんは真言密教の伝法潅頂を受けていないことは「周知の事実」で、
しかも桐山さん本人までがそのように言っているそうです。
信者時代、一度も桐山さんの口からこのような話を聞いたこともないし、
文章で読んだこともない。
>>226以降で、根拠を示すように求めたにもかかわらず、
もちろん星祭さんは口を拭って知らぬふりです。
しかし、星祭さんの天耳通には聞こえるらしい。
信者同士で、どちらが正しいのか議論してみてください。
340名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 12:38:40 ID:IbJ36eCE
>[492]B地区信者 05/10/29 09:24 Z0Q35aBxOg
>ところで得度も伝法灌頂も済んでない人間がどうして金剛院派の副管長になれたんですか〜。
>私はそれらすべて揃っているからこそ成れたと思います。

桐山さんは、師事した北野師の金剛院派で得度し、伝法潅頂を受けて阿闍梨になったと主張している。
ところが、金剛院派は得度も潅頂もしていないと否定している。
いったいどっちが正しいのかという議論です。
B地区信者さんは、得度もしていない人がなんで金剛院派の副管長になれたのか、
なれたということは、得度もしており、阿闍梨だった証拠だと言いたいのです。
一見もっともらしい話だが、間違いであり、説明は簡単です。
341名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 12:42:52 ID:IbJ36eCE
>[492]B地区信者 05/10/29 09:24 Z0Q35aBxOg
>ところで得度も伝法灌頂も済んでない人間がどうして金剛院派の副管長になれたんですか〜。

桐山さんは昭和三十年頃、金剛院派を訪れ、講習を受けた。
この講習は受けるのには、僧の資格を持っていることが原則だったようです。
そこで僧の資格のない者を金剛院派で得度した。
当然、僧の資格のある者を再度、得度する必要はない。
桐山さんはこの時、自分を大きく見せたい習性と虚言癖で、資格があると言ったのでしょう。
後の学歴詐称を見てもわかるように、桐山さんはつく必要のない嘘をつく。
服役して帰って来た時も、山に籠もって修行していたという嘘までは俗人として許されるとしても、
老師から法器であると誉められた、などと必要のない嘘をついていた。
こういう桐山さんですから、素人同然の他の受講生と同じであるなどとんでもないとばかりに、
自分はすでに得度くらい済まして、修行も経験しているなどホラを吹いたのでしょう。
342名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 12:50:28 ID:IbJ36eCE
>[492]B地区信者 05/10/29 09:24 Z0Q35aBxOg
>ところで得度も伝法灌頂も済んでない人間がどうして金剛院派の副管長になれたんですか〜。

金剛院派は僧侶である者を再度得度するなどありえないから、
桐山さんを得度しなかった。
千年前ではなく、昭和三十年で、誰でも僧侶になれる時代ですから、
まさかこんなことで嘘をつく人がいるとは思わない。
金剛院派も騙されたのです。
しかも、講習に参加した者を得度したのは北野恵宝師本人ではなく、弟子です。
北野師は、桐山さんは僧侶の資格を持っていたか、
金剛院派で得度したのだろうと思い込んでいた。
だから、北野師は最初は金剛院派で得度したと言っていた。
ところが、決裂して、桐山さんと対立するようになり、
桐山さんの資格についてあらためて調べてみると、
北野師の弟子は桐山さんを得度などしていないとわかった。
この件が毎日新聞の特集に載った。
「しかし、北野は彼に得度も潅頂も与えていない」(『宗教を現代に問う4』40頁)
343名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 12:53:59 ID:IbJ36eCE
>[492]B地区信者 05/10/29 09:24 Z0Q35aBxOg
>ところで得度も伝法灌頂も済んでない人間がどうして金剛院派の副管長になれたんですか〜。

副管長でありながら阿闍梨でなかったことはもっと不思議ではありません。
管長とは、明治以降に各宗派内を取り締まるために決めた役職です。
僧侶や阿闍梨のような宗教的な資格とは違います。
ましてや金剛院派のような小さな教団の副管長なんて、
管長である北野師のご機嫌でいかようにも決めることができた。
阿闍梨でなければ副管長になれないなんて規則はありません。
だから、阿含宗の前副管長は桐山夫人と娘で、二人とも在家だった。
二人を阿闍梨だとしたら批判されるだろうが、副管長なんて、
勝手に決めていい役職だから、だれも批判していない。
B地区信者さんの身近にあなたの説を覆す例があるのだから、
「なれたんですか〜」などと人を小馬鹿にしたような書き方をすると、
かえって見識を疑われます。
344名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 13:00:42 ID:IbJ36eCE
>[492]B地区信者 05/10/29 09:24 Z0Q35aBxOg

「しかし、北野は彼に得度も潅頂も与えていない」(『宗教を現代に問う4』40頁)

毎日新聞の記事は1976年、今から約三十年も前です。
桐山さんは僧侶でも阿闍梨でもなく、嘘つきだと言われたのです。
週刊誌の批判記事に載ったなんてものではなく、一流新聞の全国版に載ったのです。
これに反論するのはとても簡単です。
得度した時の度牒と、伝法潅頂を受けた時の証書を示せばいいだけです。
阿含宗でも専修学院で僧侶の資格として授けている度牒です。
よけいな議論も、チベットの阿闍梨も、スリランカの大王もまったく無用です。
黙って、度牒と証書を『阿含宗報』にでも示せば、
金剛院派こそが嘘つきであり、批判側はこの批判を撤回するしかなくなる。
しかし、三十年間、桐山さんはこの件にただの一度も本や公報で言及したことがない。
全国版の新聞に載った内容を沈黙して無視するなら、認めたことになります。
345名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 13:05:19 ID:IbJ36eCE
>[492]B地区信者 05/10/29 09:24 Z0Q35aBxOg

信者さんたちはこの現実をどう見ますか。
釈迦の成仏法を体得したから僧侶の資格はどうでもいいとか、
阿含宗の阿闍梨なのだから、真言宗の阿闍梨などどうでもいいとゴマカス前に、
桐山さんのついた嘘をしっかりと見ることです。
三十年あれば、いくらでも反論する機会があった。
しかし、桐山さんは沈黙を決め込み、
その間、昭和45年の護国寺での行法の伝授を伝法潅頂だとごまかしてみたり、
チベット仏教に多額の寄付をして得た資格を阿闍梨であるとごまかそうとした。
度牒と証書を出せばいいだけのことなのに、それをせずに、
ひたすら他の物で目くらましに使い、ごまかそうとしている。
「私は僧侶でも阿闍梨でもない。しかし、それがどうした。
資格でなく、本当の意味での仏弟子とは私のことである」と嘘を嘘と認め、
開き直ったほうがよほど男らしいし、信者たちもすっきりする。
ところが、桐山さんはこういう開き直りすらできず、
金をばらまいて位階を買い集め、人々が昔のことを忘れてくれるのを待っている。
なんとかごまかせないかと四苦八苦している。
どう見ても、桐山さんのこの姿は獅子ではなく、虎の威を借る狐です。
開き直りができない理由は、過去に嘘をついたのが事実だからであり、
嘘を認める度胸がないからであり、法位法号などが欲しくて欲しくてたまらないからです。
つまり、彼が普通の人以上の煩悩だらけの人間だからです。
346名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 13:10:12 ID:IbJ36eCE
>[492]B地区信者 05/10/29 09:24 Z0Q35aBxOg

信者さんたちに質問したい。
何のために桐山さんの嘘を必死に弁護するのですか。
どう見ても桐山さんには僧侶の資格も、阿闍梨の資格もない。
しかし、嘘をつき、海外からの法位法号でごまかそうとしているのは、
信者さんたちではなく、桐山さんです。
星祭さんやK地区信者さんは、自分がついた嘘でもないのに、
必死に嘘つきの桐山さんのために弁護しようとして、自己矛盾に陥り、批判側を逆恨みする。
自分がついた嘘なら、必死に強弁を並べるのもわかるが、
信者さんのついた嘘ではなく、桐山さんがついた嘘です。
他人がついた嘘のために、自分も嘘つきになって、
恨みや憎しみを強くして、いったい信者さんたちは信仰で何をしたいのか。
347名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 13:13:31 ID:IbJ36eCE
>[492]B地区信者 05/10/29 09:24 Z0Q35aBxOg

釈尊が在家信者のために授けた五戒の一つに、嘘をつかない、があります。
在家の俗人が日常でまったく嘘をつかないという訳にはいかないかもしれない。
だが、せめて信仰の分野だけでも、嘘をできるだけなくしたいとは思わないだろうか。
「嘘の多い世の中で信仰だけでも本物を」というのは桐山さんが昔使った宣伝文句です。
この宣伝文句そのものには大賛成です。
信者さんたちも信仰の世界だけでも、嘘を極力少なくしてはどうか。
信仰の世界に入ったばかりに、あなたが作った嘘ですらない嘘まで信じて、
かえって嘘を増やし、嘘そのものでできたような信仰をしている。
やがて行き着く先は、
>>311 :名無しさん@3周年:2005/10/29(土) 22:35:49 ID:H5R8TrtH
>嘘でもなんでも構わない。
となってしまう。
本当に信者さんたちはこんな信仰をしたいと思って入信したのだろうか。
自分が信仰に何を求めたのか、もう一度振り返ることです。
348NR:2005/10/31(月) 16:19:44 ID:HF/S3/qT
信仰を求めずして、修行すれば、解脱してしまうのだ。
349NR:2005/10/31(月) 16:23:12 ID:HF/S3/qT
桐山が修行するのではない。
あなたが修行するのだ。
桐山は、修行法を教えるのみ。
修行するのはあなたの問題。
その修行法が効果が無ければ詐欺だとののしっても良いが、
成功なさった方が大勢居られるのに、詐欺だと言うわけには行かないでしょう。
どう考えたって、暴論ですよ。
350NR:2005/10/31(月) 16:46:05 ID:HF/S3/qT
樹意、7氏、お舞らが詐欺師の集団です。
空中に漂う煙を龍神の形にして
固形物にしてミイ! それが、平河道場代表さんの目撃じゃあ。
勝手に作り変えるな。
影ではない。投射ではない。
煙そのものが、さっと集まって龍神の形になったのじゃ。
嘘吐きは泥棒の始まりじゃでな、
書き換えるなよ。
早くビデオ作れ!
桐山が手品師だと証明してみせろや、
みせろや。
証明してみせろや、
みせろや。
正義のためやろ?
少しは行動せい。
351NR:2005/10/31(月) 16:51:20 ID:HF/S3/qT
釈尊の解脱とは煩悩を切ることであり、カルマを切ることではない。
中阿含経のシュカ・ストラ(業の分類)に「寿命も業も尽きる事無く煩悩が消滅するのは、いかなる人の場合であるか?預流果を得た人、一来果を得た人、不還果を得た人、独覚の場合である」とあるので、
煩悩が消滅するのが分る。そして、カルマは消滅しない。こうして、文献的根拠を私ネバリタが真っ先に示しました。
さて、この文を、逆に捉えてみると、普通なら、<寿命も業も煩悩も一緒に尽きる>ということだ。
だが成功した仏道修行者の場合だけ、煩悩だけが、早めに、尽きる。
煩悩が、生存欲、食欲、性欲、などを意味しないのは明白だ。
女を抱きたいと思う気持ち、それは、煩悩ではないが、
愛しい彼女を抱きたいと思う気持ちは煩悩なのだ。
なぜなら、後者は結婚という具体的な運命の力と結びついた欲望であり、特定の女を選んだ段階で
家族的無意識の衝動となっているからである。
煩悩は、普通人では、寿命と業(業の力による運命)とともに在る。
これは、運命の力と供にあるのが煩悩だ、と阿含経に書いてあるのも同然であろうと解釈できる。
私はそこに、ソンデイの運命衝動を見る。桐山が慈恵会の最初から阿含経に肉薄していた!
ということ。
352名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 18:09:18 ID:zqOoC65K
↑バ−カ、此処にはまともな人間もいるんだ、
自分のお馬鹿な信者の前だけで言え、アッフォ−
エッ!!いない?ダッタラ、夕日に向かって喋れ!!
353名無しさん@3周年:2005/10/31(月) 22:12:43 ID:mK8IfvrQ
本日も願掛けを

   ◇       ミ ◇
   ◇◇   / ̄|  ◇◇  
 ◇◇ \  |__| ◇◇   
    彡 O(,,゚Д゚) /
       (  P `O
      /彡#_|ミ\
       </」_|凵_ゝ
                NR退散 カルト退散 
354名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 01:45:15 ID:1ipXgOh2
>>1Never Returnerなる人物の大量コピペがありますが、読み飛ばしましょう。

Never Returner=NR=池田慈水ですので、みなさん、ご注意。


355名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 12:38:40 ID:HpfeCAhu
阿含宗と桐山氏について―第十六章 から転載

[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH
>じいちゃん
三身即一の如来の基本教学も正確に理解しとらんようじゃのー。
阿含宗の三身説は真言のと違うだろーが。報身と応身が逆だろ。
その理由を説明してみろ。たぶんできんだろうけど。
猊下の知り合いだからといって何十年もずっとふんぞり返ってただけで居場所がなくなったんで辞めたわけか。この腑抜け野郎が。

夜更かししてるけどだいじょぶか?
パラマウントはいいぞ。あれ。
ポリデントはちゃんと使っとるか?
入れ歯を漬けたらシュワ〜〜〜っと泡出とるか?
356名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 12:42:28 ID:HpfeCAhu
>>355 :名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 12:38:40 ID:HpfeCAhu
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH
>阿含宗の三身説は真言のと違うだろーが。報身と応身が逆だろ。

ちょうど旧『修行者座右宝鑑』(1979年)と関係する話を出してくれた。
他の信者さんたちはK地区信者さんを真似しないほうがいい。
相手をこうやって罵るなら、それに相応する知識を披露するべきです。
「理由を説明してみろ」ではなく、
「あなたのここが間違っている。今の教学はこれこれである」
と説明すべきなのに、これだけ文章を書いていながら、
三身仏の説明は皆無で、ただ罵りがあるだけです。
阿含宗の三身仏の説明はほとんど理解不可能な内容です。
つまり、K地区信者さんは三身仏について名前と配列を暗記しているだけで、
中身を理解していないから、こんなやぶ蛇になりかねない罵りができるのです。
357名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 12:45:42 ID:HpfeCAhu
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH
>阿含宗の三身説は真言のと違うだろーが。報身と応身が逆だろ。

三身仏と聞いても、何のことかわからない信者さんもいるでしょう。
大乗仏教で使われる言葉で、仏教辞典から「三身(サンジン)」について簡単に説明します。
法身・・真理の身体
応身・・衆生救済のために現れる身体
報身・・修行の報いによって完全に功徳を備えた身体
阿含宗の「三身即一の応供の如来」の三身とは法身、応身、報身のことです。
これは概念ですから、具体的にそれぞれに何をあてはめるかは
教祖の独自の解釈でいいのです。
しかし、今日の阿含宗の三身仏を理解できた人はK地区信者さん以外に知りません。
いるなら、ぜひ名乗りをあげて、説明していただきたい。
普通の知性を持っているほとんどの信者さんたちは、
今日の私の説明を聞いても阿含宗の三身仏については理解できないと思います。
358名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 12:48:08 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH
>阿含宗の三身説は真言のと違うだろーが。報身と応身が逆だろ。

『幸福への原理』(1957年)では、
法身仏・・?(具体的に指摘していない)
報身仏・・観世音菩薩
応身仏・・釈迦如来
とあります。
この場合の観世音菩薩とは準胝観音であると見てもいいでしょう。
これからこれがクルクルと代わりますから、
この後の三身仏の変身ぶりを見るためにも、記憶しておいてください。
混乱に拍車をかける役割はしてくれます。
359名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 12:51:50 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH
>阿含宗の三身説は真言のと違うだろーが。報身と応身が逆だろ。

『守護霊を持て』165頁、旧『修行者座右宝鑑』42頁
「三身即一の如来さまとは、
大日如来(法身仏)
釈迦如来(報身仏)
準胝如来(応身仏)」

これは応供の如来を説明したものです。
『幸福への原理』とは報身仏と応身仏とが逆になっています。
「この三身即一の如来さまは、観音慈恵会立教に際し、わたくしが霊感によって感得
し、以来、わが教団の御本尊としておまつりしてきたのであるが・・」
(旧『修行者座右宝鑑』42頁、1979年)
というのだから、『幸福の原理』時代と配置が違うというのはおかしい。
桐山さんは、法華経を中心としていた時代の分類と違うと言い訳をしていた。
大日如来は密教の仏だから、これが違っているのはいいとしても、
慈恵会を立ち上げた時、すでに準胝観音を信仰していたのだから、
釈迦如来と準胝如来が逆になっているのは本当はおかしいのです。
しかし、こんなのは混乱の序の口です。
360名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 12:54:23 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH
>阿含宗の三身説は真言のと違うだろーが。報身と応身が逆だろ。

法身仏・・大日如来
報身仏・・釈迦如来
応身仏・・準胝如来
これが1979年に応供の如来が現形した時の配置です。
どうしてこう配置するのかという理由は明確なものではありません。
ただ何をどう配置しようが教祖の勝手なのですから、
寝た子はおこさないほうがよく、阿含宗ではしばらくこの配置でした。
ところが、この18年後に桐山さんは突然、この配置を変えて、
寝た子を起こしてしまった。
361名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 12:59:35 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

『阿含宗報』(142号、2頁、1997年)
「さて、法身仏が釈迦如来に決まると、応身仏は、当然、準胝如来になる。
応身仏は、お釈迦さまの代わりにわたくしたちの前にお姿を現して、
助けてくださいますから、応身仏は準胝如来になるわけです。
では、報身仏はどの仏さまになるか。
それは、阿弥陀如来です。もっとも、ここへのは薬師如来を持ってきてもよいのですが、
さしあたっては阿弥陀如来が適当です。そうわたくしは断定いたします。」

法身仏・・釈迦如来
報身仏・・阿弥陀如来(または薬師如来)
応身仏・・準胝如来
これが新しい三身仏です。
決めるのは教祖の勝手だが、問題はこの変更の根拠や理由で、
理解できた信者はほとんどいなかった。
362名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 13:05:32 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

根拠としておかしい一つ目は、法身を釈尊にした点。
桐山さんはその理由として、実在した仏であることと、
和讃に「変化法身釈迦如来」と書いてあるからというものです。
実在した肉体としての釈尊というなら、報身や応身がぴったりで、
法身だというのも変な話です。
肉体が法であるなどと釈尊は言ったことはありません。
むしろ、比丘が肉体としての釈尊を礼拝することすら否定している。
和讃に書いてあるからという根拠は根拠にならない。
なぜなら、和讃は桐山さんが作ったものだからです。
御霊示で作ったといいたいだろうが、一緒に読誦するのにちょうどいいように、
桐山さんが作り上げたものです。
自分の作った文章を根拠にしていることになる。
これでは擁護側が阿含宗を擁護するのに桐山さんの本を根拠にするのと同じです。
自分の説の証明に自分の説を用いても、何の説得力もない。
363名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 13:11:15 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

二つ目は、大日如来を簡単にクビにしてしまった点です。
これも応供の如来が現形した時の法話からすれば、ビックリ仰天です。

『月刊アーガマ』2号、31〜32頁
「この仏さまは大日如来さまです。一点のけがれもない法の火をもって
みずからおすがたをかたちづくられ、ご出現になられた法爾無作の大日如来さまです。」
「・・大日如来さまという、仏界最高の仏さまが御出現になろうとは、思いもよりませんでした。」
「ですから、あそこに大日如来さまがおすがたをおあらわしになられたのは、当然なのです。」
「今日は、この法爾無作・三身即一の大日如来さまのおすがたを拝見して・・」

当時を知らない信者さんも、桐山さんの法話を読んで、いかがですか。
これだけ大日如来を並べられれ、
「三身即一の如来」ではなく、「三身即一の大日如来」と言われれば、
三身仏とはいいながら、大日如来が表看板であると誰しも理解します。
大日如来を外してしまうと、とても御都合の悪いことも出てくる。
364名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 13:14:03 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

『桐山靖雄・阿含密教のすべて』伊達相平、290頁、1988年
「この概略図を見て、金剛界大日如来だとわからない方は、如来の形象に対する知識が欠如してい
るか、または、不足していることに原因があると思われる。多少なりともそうした方面に明るい方
ならば、一見して金剛界大日如来であることがおわかりになるはずである。」

伊達さんはつい数年前まで『ダルマチャクラ』に執筆していた方です。
この本では応供の如来について一章をさいて、
表紙や口絵に写真を載せ、さらに289頁では図に描いて説明しています。
頭に五智宝冠を載せ、手は智挙印を結ぶなど、絵も説明も詳細なもので、
簡単にいえば、上記のように、金剛界大日如来であるというものです。
365名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 13:16:46 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

伊達さんに言わせると現形の仏が大日如来の姿であるとわからないのは、
知識の欠如、不足であるという。
ところが、桐山さんはこれを大日如来としたのは、
「密教に影響されていた」(『阿含宗報』142号、2頁)だけで、
大日如来は間違いだったと述べている。
さあ、信者さんたちはどうしますか。
伊達さんのこの本には桐山さんの推薦文がついているのだから、
信者も買って読めという本です。
つまり、阿含宗は公式なものと認めていた。
この本では、詳細にわたり応供の如来の外見は大日如来そのものであると論証して、
当時は阿含宗も認知したのに、桐山さんは、あっさりと否定してしまった。
外見は大日如来なのに、大日如来ではないと信者さんたちは信じなければならない。
まるで「うちの息子?顔も声も性格も父親そっくりだといってきたが、おれの子供じゃないんだ」
と言われたようなショックを受けませんか。
いや、ショックはこの程度では済まない。
366名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 13:23:27 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

「では、報身仏はどの仏さまになるか。
それは、阿弥陀如来です。もっとも、ここへは薬師如来を持ってきてもよいのですが、
さしあたっては阿弥陀如来が適当です。そうわたくしは断定いたします。」

三番目が、突然デビューした阿弥陀如来です。
阿弥陀如来を持ってきた理由の説明は上記だけで、
根拠は「断定」ですから、当然、誰も理解できない。
釈迦如来が実在した仏だから、という理由で、大日如来の代わりに法身仏で並べておきながら、
阿弥陀如来なんて大乗仏教の架空の仏をまた持ち出した。
準胝如来は昔からの信仰の対象だから留任は仕方ないのとしても、
なんでここでわざわざ架空の仏をまた持ち出すのか。
おまけに阿弥陀如来だけでも唐突なのか、薬師如来でもいいって、
要するになんでもいいってことですか、と聞いていた信者は大混乱です。
聞いていた信者も法務部も誰も理解できず、桐山さんは次の月の例祭で説明を加えた。
367名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 13:30:31 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

『阿含宗報』(143号、2頁)
「要するに準胝如来は阿弥陀如来でもある、ということです。
準胝如来とは、未来世を救う仏である阿弥陀如来の別名だ、とわたくしは考えます。」

これが次の月の例祭での説明の追加です。
準胝観音経に「二世の願」とあるから、準胝如来はこの世とあの世の二世で
人々を救うと誓っているのだから、準胝如来はあの世では阿弥陀如来である、
というのが、桐山さんが阿弥陀如来を新規採用した理由だそうです。
準胝観音経を桐山さんは龍樹という著名人の作としているが、根拠はありません。
どこで作られたかわからない、由来不明の経典に書いてあるたった一言を根拠にして、
準胝如来は阿弥陀如来だという抱腹絶倒の珍説を登場させた。
珍説はいいとして、だったら、どうして報身が阿弥陀如来になるのか。
信者さんたちは桐山さんの説明が理屈になっていないことに気が付いていますか。
準胝如来があの世で阿弥陀如来だと、なんで阿弥陀如来が報身仏になるのですか。
応身と報身とはこの世とあの世との違いを示すものではありません。
つまり、準胝如来が阿弥陀如来だという根拠も「二世の願」の一言で、
だから阿弥陀如来が報身仏だというのもまるで意味をなさない。
さらにこのメチャクチャな三身論に桐山さんは拍車をかける説を出した。
368名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 13:32:55 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

『阿含宗報』(143号、3頁)
「・・準胝如来とは如意宝珠であり、仏舎利尊に他ならない・・」
「「如意珠」とは如意宝珠・仏舎利尊であり、準胝如来ですから、
準胝如来に帰依し、信仰するならば、如意宝珠をいただいたのと同じになる。」

信者さんたちはこの説明が理解できましたか。
実は、信者さんたちの拝んでいる仏舎利尊とは準胝如来だというのです。
え?でも、仏舎利尊というくらいで、あれはお釈迦さんだったのではあるまいか。
しかも、釈迦如来は法身と分類されているのだから、
「仏舎利尊=釈迦如来=法身」なはずです。
でも、桐山さんによれば、仏舎利尊は準胝如来なんだから、
「仏舎利尊=釈迦如来=法身=準胝如来=応身」
となり、しかも、実は準胝如来はあの世では阿弥陀如来なんだから、
「仏舎利尊=釈迦如来=法身=準胝如来=応身=阿弥陀如来=報身」
つまりですねえ、仏舎利尊は釈迦如来で準胝如来で阿弥陀如来で、
法身であり、応身であり、報身であり、三身即一なんでありますよン!!??
369名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 13:39:20 ID:EGX8rQwI
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

「仏舎利尊=釈迦如来=法身=準胝如来=応身=阿弥陀如来=報身」
なのですから、
「釈迦如来=準胝如来=阿弥陀如来」
「法身=応身=報身」
だと言っているのです。
AはBで、BはCで、CはAであるなんて言ったら、
なんのために、ABCとわざわざ分けたのかということなってしまう。
これらが同じであるという根拠が
三身即一の仏を大日如来だと法話や本にまで出していながら、
密教時代のおつきあいだったと、あっさりとクビにして、
釈尊は実在した仏であると、架空の仏を批判しながら、
同じ密教の架空の仏である準胝如来はそのまま残し、
しかも、架空の仏である阿弥陀如来は釈迦の成仏法で祈ったから
インチキの仏も本物になり、
経典に「二世の願」があるから、準胝如来と阿弥陀如来は同一であり、
準胝如来は釈尊の遺骨である仏舎利尊でもある、という説明を信者さんたちは理解できますか。
理解できるなら、逆にぜひ説明してほしい。
しかし、そんな説明は必要としないのです。
桐山さんがこの訳のわからん三身仏を持ち出したのには、理由と背景があった。
それが桐山さんの病気と人と金集めの手段です。
370岡目:2005/11/01(火) 13:51:51 ID:AlNawynr
微にいり、細にいる ご指摘に 頷くことばかりです。ほんとうに、桐山って奴は
いいかげんな男ですね。いやね、悪党は悪党なりに、感心する部分もありまして、ある意味で、
こいつには適わないと 思わせるところがあるもんですが、桐山は、もうめちゃくちゃですね。
思い込みが強いというよりも、口からでまかせ男ですね。
これでも、気がつかない星祭りさんや、ジミズさんは もうなんと言っていいのか、・・・
・・愚かというよりも哀れですなあ。
371名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 15:32:42 ID:696Yf7xi
大日如来・・・残しているよ。
法身の釈迦如来こそ、大日如来なのだよ。
ここが密教の密教たる醍醐味であり、
表面しかとらえられん、テメーらには到底わからないこと(爆!
大日如来の三昧耶形こそ仏舎利塔、大卒塔婆なのだ。!
といってもわからないだろーな。
三昧耶形ってなんだ?というのがオチだろう
372名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 15:37:21 ID:696Yf7xi
いや、岡目って元会員だろ、
これをシラネーで理解もできんからやめる破目に
なるんだね〜。
しかし、こんなのは理屈にすぎない。
生身たる、如来の働きを見よ!
それを感じ体験できず。やめて文句いうのは愚かという
より哀れですなぁ〜(笑)。
373名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 15:41:51 ID:696Yf7xi
そういえば、何年もキリヤマの側についていながら、
待遇に対する不満でやめたくせに
いかにもインチキでやめたように恨み辛みみえみえ
のカキコしている御老人が出没しておりますなぁ〜。
374Never Returner:2005/11/01(火) 16:51:41 ID:+ZKZB7jS
>>370 場亀、岡目。
俺は桐山の[念力]と言う本を修行して、チャクラが覚醒してしまったから、
桐山を本物と思わざるを得ない訳さ。
この体験が無いければ、俺もユビキタス側にいたかもな。
俺より幸せな奴は、実行委員長くらいのもん、ほかには一人も居ない。
現代日本に俺たちより幸せな在家の仏道修行者はいないぞ。

パッパパラリア♪、ピーヒャラ、ピーヒャラ、踊るポンポコリン♪
・・・・・・・・・
いつだって、忘れない♪、桐山は偉い人
そんなの常識、イエエーー、パッパパラリア♪、
ピーヒャラ、ピーヒャラ、踊るポンポコリン♪
はっぴー@べいべえ。
375名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 17:31:49 ID:eVguWnJF
求聞持法の秘密を解いて、成就することができました。

376名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 23:16:16 ID:n8xI+c6x
>>372 :名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 15:37:21 ID:696Yf7xi
>生身たる、如来の働きを見よ!

言葉に溺れていないで、「生身たる」とはどこの誰を指すのか、
「如来の働き」とは具体的に何を指すのか、書いてください。
星祭さんはいつもそうやって一人で頭の中で盛り上がり、
すっかり出来上がってしまう。
読んで人たちの脳はあなたとは違う脳だから、
いくらあなたが酔っても、信者すらも酔ってはいない。
377ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/11/01(火) 23:18:15 ID:nuniCQV4
大日を全く捨てたわけでもなく残してます。
残すとか残さないとかそういう明瞭な意識があったかどうか疑問ですが、大日という用語は
残ってます。
四度加行の不動護摩が通常の供養護摩の儀式であるのに対して、阿含宗独自のシステムとして
これから錬成道場で教えていくぞと予告編を出し続けている開発護摩としての
阿含桐山流(とうざんりゅう)大日護摩って奴です。
しかしアレって最初準胝護摩だったよな?
錬成道場に滝場とその隣に護摩堂ができた。
龍神の滝の本尊が不動明王、護摩堂の本尊が準胝如来。
ここでは準胝護摩で自分の脳を開発するのです。
さあ、準胝護摩か?大日護摩か?答えはどっち?
そんなんわからんわ。
桐山さんにだってそれはわからん。
ひょっとすると、今ならば、大日護摩?なんだ?それ?とか言うかもしれんぜ。
378名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 23:21:04 ID:n8xI+c6x
>>371 :名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 15:32:42 ID:696Yf7xi
>法身の釈迦如来こそ、大日如来なのだよ。
>大日如来の三昧耶形こそ仏舎利塔、大卒塔婆なのだ。!

星祭さんの説によれば、「法身=釈迦如来=大日如来」なのだそうだ。
だが、桐山さんはあなたとは意見が違う。

『阿含宗報』(142号、2頁、1997年)
「しかし、阿含宗が法身仏に大日如来を持ってくるのは釈然としない。」

三昧耶行でもサンマ焼きでもいいから、一人で密教用語に溺れて吠えていないで、
桐山さんがどこで「法身=釈迦如来=大日如来」と書いたのか、
仏舎利塔の何が大日如来なのか、いつ述べたのかを示してください。
きっと星祭さんのことだから、都合の悪い質問は無視するでしょうね。
こういう点は>>374-375のヂミズさんや実行委員長さんとそっくりですよ。
379名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 23:25:19 ID:n8xI+c6x
>>371 :名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 15:32:42 ID:696Yf7xi
>法身の釈迦如来こそ、大日如来なのだよ。

何か読んでちょっと得た知識をさも偉そうに説教するのが星祭さんの癖です。
桐山さんの物真似です。
チベット仏教でそれをやって源太郎さんにシッポを捕まえられ、
振り回されて痛い思いをしたはずなのに、全く懲りずにまた同じ事をここでやろうとする。
星祭さんには学習機能が付いていないのですね。
桐山さんの本や『阿含宗報』から具体的に引用して、
法身は釈迦如来であり、大日如来を外したことを示した。
あなたも>>374-375のヂミズさんや実行さんと一緒にされたくなかったら、
彼らのように同じ内容をただ吠えるのではなく、
阿含宗の教学に基づいて、桐山さんから教えられたとおりの説明をしてはどうか。
380名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 23:27:37 ID:n8xI+c6x
>>371 :名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 15:32:42 ID:696Yf7xi
>といってもわからないだろーな。

チベット仏教で源太郎さんから無知を指摘されたから、
ここに来て、他人の無知を決めつけてあざ笑う。
チベット仏教でやりこめられて、このスレに八つ当たりに来たのですね。
星祭さんて、どうしてそんなに性格がねじれているのだろう。
恥知らずがちょうど>>373-375でそろった。
源太郎さんにやりこめられたことがみっともないのではない。
星祭さんが傲慢で、何の謙虚さもなく、己の無知を棚に上げて、
行き場のない怒りや憎しみをこうやってよそでぶつけても、
他人は気が付かないと侮って、人をあざ笑う態度がみっともないのです。
人並みの自制心すらないのに、これが三十年間、
阿含宗で心解脱した先達だというから、お笑いなのです。
381名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 23:31:25 ID:n8xI+c6x
>>373 :名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 15:41:51 ID:696Yf7xi
>そういえば、何年もキリヤマの側についていながら、
>のカキコしている御老人が出没しておりますなぁ〜。

そういえば、チベット仏教のことで源太郎さんにやりこめられて、
怒り狂って内容のない罵りのカキコしている人がザに・・
あ、ここにも出没しておりますなぁ〜。
自分の文章は引用するなと怒り狂うのに、
源太郎さん本人のいないこのスレで悪口を言う。
>>355に引用したK地区信者さんもそうだが、
阿含宗の信者は老人を嘲りのネタに使って恥ずかしくないのか。
桐山さんも差別心丸出しの人だから、信者も右習え。
これで真の釈迦の成仏法を目指す仏教徒だというから、笑われる。
382名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 02:10:06 ID:msjz++/5
>>354
> >>1Never Returnerなる人物の大量コピペがありますが、読み飛ばしましょう。

ジミズさんの書き込みは他人の意見は書き換えるは、同じ内容のコピペだわで
批判側のみならず擁護側にとっても煙たい存在ですが、
漏尽智を調べる過程において 意味がありました。
まあ 智慧の議論はこんなカルト批判スレッドでは高尚過ぎる題材ですが 
信者さんの洗脳を解く上で多少は関連があるものと考えます。

先に漏尽智は煩悩の四聖締であると引用しましたが、
四聖締は仏陀の悟りであり 仏教の学習のはじめに認識すべきものであり
最終的な智を得、解脱の直前(法念四聖締)に再認識すべきもの
といえます。
八正道は道締の内容です。
道締とは言わずもがな、七科三十七道品 ゲイカがジョウブツ法と言っているもの
です。
仏教を語る際はこの四締を俯瞰してもらうのが先になります。

383樹意:2005/11/02(水) 02:54:32 ID:msjz++/5
>382
> 仏教を語る際はこの四締を俯瞰してもらうのが先になります。

無明は四締を覆う無知であるとされます。
四締は苦(Dukkha)に対する構造と対処法になるでしょう。
この四締という全体な中に道締があり、その内容は八正道です。
八正道は戒定慧であり、七科三十七道品です。
ゲイカはこの中の都合のいい部分を抜き出して都合のいい解釈を
していますが この流れを汲むジミズ氏も同様です。
神通力で因縁を解脱するなんてのは 仏教ではありません。
因縁 縁起の法は確かに存在のありようですが、四締と関連して説く場合は
十二因縁(支縁起)です。


384樹意:2005/11/02(水) 03:12:38 ID:msjz++/5
>>377
> 四度加行の不動護摩が通常の供養護摩の儀式であるのに対して、阿含宗独自のシステムとして

アゴンの四度加行が正統な流れを踏んでいないという 認識に至り
私が加行中に逢った諸々のおかしな現象が ある程度理解できました。
ザのスレッドの源太郎氏には感謝するしだいです。

はっきりいって まじめにやったら危険であると警告しておきたいと
思います。

385名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 06:16:45 ID:nVX6Ilbv
>>374

ウンコを撒きちらさないように。
386Never Returner:2005/11/02(水) 12:14:44 ID:3tyJZVrO
糞や小便を撒きちらしているのは、樹意と7氏です。
彼らは私が指摘した漏尽通定義の矛盾を、解決しないまま、
阿含宗を批判し続け、自己欺瞞を続けており、
人として、失格。
分らないなら分らんと素直に言えばいいのだ。
根性が腐っており、愚かなエゴを守って腐れ外道を続けている醜態だ。
そんな奴が、無我を説く。藁藁だ。
387名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 12:36:54 ID:3qQt27kf
>>355 :名無しさん@3周年:2005/11/01(火) 12:38:40 ID:HpfeCAhu
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH
>阿含宗の三身説は真言のと違うだろーが。報身と応身が逆だろ。

三身仏の続きです。
信者さんたちは桐山さんの話を読んでいて、
話がクルクルと変わるので、何が三身なのか、さっぱりわからないでしょう。
大乗仏教の思想とはいえ、三身仏はそんなに複雑怪奇なものではありません。
>>357に引用した仏教辞典の三身の説明を参考に、
阿含経に基づいて三身論を出すなら、三身とも釈尊その人です。
なぜなら、釈尊こそが実在した如来だからです。
釈尊は煩悩を断ち切れという教法を説いたから法身仏であり、
釈尊は自らが修行によって煩悩を断ち切り如来となったのだから報身仏であり、
これを人々にも伝えて衆生救済をしたのだから応身仏です。
釈尊如来の三つの面を表しているのが三身仏です。
阿含経を元にして三身仏を立てると、ごらんのようにすっきりしていて、
難しいことなど、なにもありゃしません。
偽物の仏など出そうとするから、話が複雑怪奇になってしまうのです。
388名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 12:43:13 ID:3qQt27kf
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

桐山さんが1997年頃、あのような訳のわからない三身仏を出し、
なんとか架空の仏をそれらしくみせたかったのは、主な理由は二つ考えられます。
一つは、桐山さんの脳梗塞の病気であり、
二つ目は、1999年の地球壊滅で信者を脅かして人と金を集めるために、
阿弥陀如来を閣僚にする必要があった。
まず一つ目。
三身の根拠がデタラメで、説明にすらなっていないのは、
桐山さんの脳がそれだけ老化していたからです。
自分では論理的で、とてもうまく説明がついており、
周囲が理解できないのは、自分の説明がまずいからだとは思わない。
むしろ、自分はなんと頭が良いのだと惚れ惚れしながら話している。
これは脳が老化しはじめた人にはよく見られる現象です。
長年、人々の前で話をして、聴衆の顔色を見るだけの余裕があるはずなのに、
信者たちが理解できずにいることに気が付かないほどだった。
389名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 12:47:07 ID:3qQt27kf
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

桐山さんが新しい三身仏を法話で出したのは1997年9月頃です。
前年1996年3月には脳梗塞の初期症状で一ヶ月ほど姿を消し、
12月1日には早朝に脳梗塞が発症して言語に障害がおきていた。
桐山さんはこの時期を病気になったことを認めているし、
2003年には脳梗塞が治ったと法話でポロッと言ってしまった。
1996年の桐山さんを、まだあれは脳梗塞ではなく、
入れ歯のせいで舌を噛んだという言い訳を信じる信者はいないでしょう。
この後の法話のひどさは目を覆いたくなる惨状だった。
ロレツが回らない。
初護摩では文章を読み上げただけで、「あけましておめでとう」の挨拶すら抜けた。
まもなく一時間を越すような法話もできるようになったが、
内容は以前にもまして焼き直しで同じ話しを繰り返すようになった。
桐山さんが護摩の最中にフリーズしてしまい、内陣がパニックになり、
長い護摩はF田さんが焚くようになった。
390名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 12:52:13 ID:3qQt27kf
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

桐山さんの体力が回復したのは2003年頃からです。
今では時々、例祭での護摩もまた焚けるようになり、
信者さんたちはあの状態を見慣れたこともあって、
何か脳も回復したかのように錯覚している。
だが、一度失われた能力は元には戻りません。
養生すれば致命傷にはならないだろうが、
脳も身体も普通の老人と同じように老化の坂を転がりつつある。
本がそれをよく表している。
焼き直し本は別として、『一九九九年七の月よさらば』など、
論理性は皆無で、本人の思いこみとヒステリックな描写で
読者を自分のペースに巻き込んだつもりで、一人で盛り上がり、はしゃいでいる。
ちょうど、星祭さんが悔し紛れに批判側を罵ることに、
読んでいる人たちも同調していると信じて疑わないのと似ている。
『守護神を持て』本は今の桐山さんの脳の状態をよく示している。
新しい物は何もなく、古いネタをかき集めているから、
上着はタキシードなのに、下はハカマをはいたような、チグハグな内容です。
あわよくば新しい信者を獲得して、また今いる信者たちの欲を煽り、
冥徳解脱を出させ、守護神を購入させるのが目的だから、
格好などもはや気にしていられない。
桐山さんの今の頭では格好がおかしいこと自体がわからないのです。
391名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 12:55:06 ID:3qQt27kf
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

つまり、三身仏を出した1997年は、脳梗塞で脳機能が著しく低下した時期なのです。
桐山さんは長年、信者に新商品を売りつけるために、仏教的な教学を作り上げてきた。
また、矛盾が出てきても、これを逆手に取って、かえって教義や教団の発展をさせるのを得意とした。
正しいことに使うならすばらしいが、これを悪いことに使い、嘘を並べる。
前科などその典型で、暴露されると、さっそく霊障教学を作り、
霊障による地球壊滅というテーマで布教活動をさせ、信者が爆発的に増えた。
長年こういうゴマカシが通用してきたのだから、
桐山さんは一般大衆などバカであると侮蔑しているし、
自分のこういう才能を仏陀の智慧と称して絶大な自信を持っていた。
ところが、脳梗塞でこの才能すらも失われたのです。
自分ではものすごく良くできた三身仏だと思っているが、
信者すらも理解できないような内容だった。
392名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 13:00:10 ID:3qQt27kf
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

二つ目が、阿弥陀如来を好待遇で迎えることで、信者を増やしたかった。
これも桐山さんが長年やってきたことで、
大乗仏教の神仏を架空だと批判しながら、大黒天、愛染明王など積極的に取り入れた。
神道からはスサノオを自分が生まれ変わりだと宣伝に使い、中国に行けば道教の神様を使う。
要するに、人集めに使えるなら、教義の矛盾などどうでもよく、なんでもアリ。
新しい三身仏を出す直前の1997年4月に一年半ぶりで北陸本部道場に行った。
北陸は阿弥陀信仰のさかんな地域です。
阿弥陀如来を祭り、この例祭では「南無阿弥陀仏」を唱和した。
393名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 13:03:31 ID:3qQt27kf
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

桐山さんは1996年のモンゴルの奇蹟をウリにして、
信者を世紀末破滅で脅かして、阿含宗を一気に百万人教団にするために13運動をしていた。
ところが、運動はなかなか盛り上がらず、
苛立っていた桐山さんはわざわざ関東別院本堂に先達たちを集めて、
オバサン一人を吊し上げて憂さ晴らしをしたほどです。
当時の北陸道場も同様で、以下のような惨憺たる状況だった。

「管長猊下が来られた時は、北陸道場も参拝者でいっぱいになりますが、
それ以外は例祭の日でもガラガラで、法話も最後まで聞かないで帰ってしまう人が多い。
これは、まことに嘆かわしいことである」(『阿含宗報』136号、3頁)
394名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 13:05:43 ID:3qQt27kf
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

桐山さんの手法はいつも同じで、普通の人がやるような、
地道に問題を洗い出し、解決を探るのではなく、
とてつもないアイデアや手段で一気に問題を解決してしまうというものです。
それが阿弥陀信仰を取り入れるばかりか、これを三身仏という厚遇で迎えることでした。
北國新聞に載った阿含宗の記事では、「因縁解脱を説き真宗に食い込む」という見出しでした。
つまり、阿弥陀信仰の盛んな北陸で阿弥陀信仰を取り入れることで、
本家本元はこっちだ、と信者を獲得するつもりだったのです。
395名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 13:11:44 ID:3qQt27kf
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

阿弥陀如来を三身仏に取り入れたら、それまでの三役の誰かに下りてもらう必要がある。
釈迦如来は絶対にはずせないし、準胝如来を外したら、
慈恵会当時の信仰を否定してしまうことになる。
残るは大日如来で、金と人を稼いでくれそうな阿弥陀如来と交替してもらった。
超人的な記憶力をお持ちの桐山ゲイカは、>>363で引用したように、18年前に
「三身即一の大日如来」と法話でくり返したことなど、きれいに忘れていた。
阿弥陀如来は実は準胝如来そのものであるから、
阿含宗は慈恵会時代から、阿弥陀如来を信仰していたのと同じであーる!
慈恵会時代に体得した三身仏の一つが阿弥陀如来だったのだー!!
おシャカの成仏ホーによって、本物になった阿弥陀様を拝めば、
この世もあの世も御利益ザクザクであーる!!!
こう言えば、愚かな北陸の大衆は阿含宗に殺到するであろうというのが、
脳梗塞を患った桐山さんの仏陀の智慧だったのです。
396名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 13:14:55 ID:I3zkVR3J
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

桐山ゲイカの仏陀の智慧の結果は言うまでもなく、阿弥陀信仰で人集めどころか、
三身仏のデタラメ教義など、信者には理解できなかった。
なぜなら、桐山さんと違い、普通の信者は脳がまだ十分には老化していないからです。
桐山さんは阿弥陀如来の件でも、いつもの手を使った。
それが次の一文です。

「結論を言うと、架空の仏を拝む場合、釈迦の成仏法を学んだ者が拝めば、
それは実在の仏となるのです。」(『阿含宗報』142号、2頁)
397名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 13:21:26 ID:I3zkVR3J
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

「結論を言うと、架空の仏を拝む場合、釈迦の成仏法を学んだ者が拝めば、
それは実在の仏となるのです。」(『阿含宗報』142号、2頁)

信者さんたちはよく桐山さんのこの文章を読んでほしい。
「釈迦の成仏法」という言葉を読んだ瞬間、信者さんたちの思考が停止したはずです。
まるで太陽が東から昇るというくらいの、当たり前の言葉として無批判に受け取っていませんか。
星祭さんが、因縁解脱という言葉がどんな根拠がないと示されても、
まるで仏教には最初からあるかのような書き方をしているのと同じで、
信者さんたちに「釈迦の成仏法」と聞かせると、
とたんに思考が停止して、何でも受け入れてしまう。
太陽が東から昇ることは誰でも確認できる
だが、信者さんたちは一度でも、釈迦の成仏法が何であるかを確認したことがあるのですか。
ないはずです。
なのに、どうして信じているのですか。
398名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 13:25:21 ID:I3zkVR3J
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

「釈迦の成仏法」という言葉こそが桐山さんの詭弁であり、ヒッカケであり、ゴマカシです。
架空の仏を本物にする方法が阿含経に説かれているというのです。
では、桐山さんがドラエモンやゴジラの人形に釈迦の成仏法で修法すると、
本物になるのですか。
阿弥陀如来だとなんとなく釈迦の成仏法で本物になるような気がするが、
ドラエモンやゴジラと言われたら、信者さんたちは笑ったはずです。
しかし、両者は何が違うのか。
両方とも架空の存在、空想の存在です。
違いが一つだけある。
ドラエモンやゴジラは本物になったというなら、人形が動くはずだから、素人にも確認できる。
しかし、阿弥陀如来の場合、本物になったといっても、確認できない。
では、どうやって本物になったと確認するのか?
桐山さんがそう言っているのと、信者の御利益体験です。
信者さんたちの信仰の根拠とは、桐山さんの言葉であり、信者の共鳴にすぎない。
何も客観性はありません。
399名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 13:32:11 ID:I3zkVR3J
>[601]K地区信者 05/10/31 08:06 Z0Q35Rj6GH

あの嘘だらけの桐山さんの言葉を信者さんたちは信じているにすぎない。
どうしても釈迦の成仏法による阿弥陀如来が本物だというなら、
釈迦の成仏法でドラエモンやゴジラの人形を動かしてください。
阿含経には空想の仏を本物にする成仏法なんて説かれていない。
釈尊が仏像を拝めなんていうと思いますか。
自分の身体を拝もうとした比丘すらも批判した人です。
この釈尊が、「この仏像にワシのおみたまを込めておくから、
毎日礼拝するのじゃ。そうすれば、因縁がブチ切れて、御利益いっぱいであるぞよ。
本日はお日柄も良いから一体十万円にまけておく」なんて言うはずがない。
釈迦の成仏法とは七科三十七道品だというなら、
どこに空想の仏を本物にする方法があるのか示してください。
あるはずがない。
これらの教法には自分の煩悩をどうやってなくすかという方法が説いてあるだけです。
仏像を拝むということ自体が依存心や欲望であり、煩悩の一つにすぎない。
煩悩をなくせと説いた釈尊が、煩悩を増やす方法を説くはずがない。
釈迦の成仏法などという言葉で騙され、信者さんたちは釈尊が説いたことと
まるっきり逆のことを信じ込まされているのです
400名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 17:46:25 ID:bmMyoF1z
釈迦の成仏法は止息法です。
401樹意:2005/11/02(水) 19:01:05 ID:/amnZLgu
>>386
> 糞や小便を撒きちらしているのは、樹意と7氏です。
> 彼らは私が指摘した漏尽通定義の矛盾を、解決しないまま、

ちゃんと書いてあげているのだが まったく無視しているのはジミズの
おじさんですね。
スレッドの趣旨から脱線するが ご自慢の神通力とやらを聞いてやるから書け
と言っても 返ってくるのは耳鳴りじゃあみんな納得しませんね〜。
チミに四聖締の議論なんぞ 無理!
402樹意:2005/11/02(水) 19:13:24 ID:/amnZLgu
>>386
> 彼らは私が指摘した漏尽通定義の矛盾を、解決しないまま、

毎日勤行するときに唱える 阿含経典
その内容ぐらいは把握しておくべきでしょう。
 念処 正勤 如意足 根 力 覚 道 を修習しないものは
漏尽解脱しないとある。
ぜんぜん やっとらんじゃないか アホか も舞。
ジョウブツしようと思わなくてもジョウブツするという あれです あれ。

比丘たちよ、そのように、もし比丘にしてよく修習してあるならば、たとい (我が心
取著するところなくして、もろもろの煩悩より解脱したいものだ)と願わずとても、
その心は、おのずから、取著するところなくして、もろもろの煩悩より解脱することを
うるであろう。
それは何故であろうか。それは修習したからであると言わねばならない。では、何を
修習したのであろうか。それは 四念処をーーーー 四正勤をーー ーー


403樹意:2005/11/02(水) 19:23:21 ID:/amnZLgu
402の続き
また、比丘たちよ、それは、たとえば、石工もしくは石工の徒弟の、手斧の柄に手指の
痕があらわれるようなものである。だが 彼は、 (我が手斧の柄が、今日はこれだけ
磨り減った、昨日はこれだけ磨り減った、明日はこれだけ磨り減るであろう)知るわけでは
ないが、やはり 磨り減ったのは磨り減ったと判るのである。
比丘たちよ、そのように、もし比丘がよく修習してあるならば、たとい(我が煩悩は、
今日はどれだけ滅した、昨日はどれだけ滅した、明日はどれだけ尽きるであろう)と
知るわけではなが、やはり滅尽したのは滅尽したと判るのである。
 南伝相応部経典 22 101 手斧の柄 漢訳雑阿含経 10 8 応説 
増谷文雄氏訳 

鶏卵のたとえ 手斧の柄のたとえ 船の支索のたとえ がある。
煩悩が減っていくのが段階に応じて判るという趣旨である
最終的には 煩悩苦悩の四聖締を認識する(気づく)ということです。
まったく ジミズのおじさんは 早く教団を辞めたもんだから この経典の
内容も知らないで 噛み付いてくる無知ぶりを発揮しております。
404樹意:2005/11/02(水) 19:33:15 ID:/amnZLgu
戒定慧(七科三十七道品)(八正道)は おのおの段階を踏むのであって そのうちの支目の
一部だけを修したからといって漏尽解脱できるといったものではありません。
弟子の資質によって端折る定というのはあるでしょうが 基本的な段階は必ず踏むわけです。
戒なくして定なく 定なくして慧はありえないという事です。
これは中継車経等に説かれたいます。
はっきり言ってこの教団の説くところは 仏教ではありません。
この念処 正勤 如意足 根 力 覚 道は やっていませんから当然ですし
また沙門果経に説かれる戒を あえて破っています んな 戒をけっとばして 果
が得られる道理は無いわけです。

完璧外道です。

405名無しさん@3周年:2005/11/02(水) 20:42:01 ID:bmMyoF1z
念処だけで仏陀になれます。
勉強不足です。
406Never Returner:2005/11/02(水) 21:31:11 ID:3tyJZVrO
樹意、自覚の問題ですよ。成仏する、しないの問題でなくて、自覚。
また、段階的自覚の問題でないことも、釈迦牟尼の言葉より明らかだ。
成仏すれば成仏したとの自覚が生じ、もはや迷いの生を繰り返さないとの確信が生まれると、
釈迦牟尼が述べておられる以上、お舞いらの漏尽通定義では、無駄で、蛇足な能力となってしまい、
矛盾しているのだよ。
矛盾してしまって論争に負けたことを気づいているくせに、
ごまかすんじゃないよ!樹意君。
お舞さんは頭がいいから、論争に負けてしまったことに気づいている、
それがお舞の、弱点さ。
7氏は馬鹿で、自分のゴミ箱理論が正しいと思い込んでいるんだからね。
こりゃあ、処置無しさ。馬鹿だからしょうがないよ。
だがお舞は違う。頭が論理的に出来えしまってるから、ご自分の負けに気づいているな。
哀れだな。
407ユビキタス ◆PYjGRf6fDs :2005/11/02(水) 21:50:41 ID:sPEl4bho
阿含宗の如来論番外編。
私が最後の阿含宗道場参拝となった2002年12月の例祭法話です。
準胼尊は真言宗では六観音の一部で観音部に属する。しかし天台宗では六観音には
準胝は入れずに準胝は如来部に属し、これは正法明如来のことであるとの説を紹介していた。
阿含宗の準胝はこの天台の正法明如来の説をとって準胝如来とすると語ってました。
私はその後しかしこの準胝如来とは実は釈迦如来のことでそこに仏舎利尊との接点があるのだ
という締めくくりを期待していたのだが、そんな話には全く展開せず準胝に終始する話ばかりで、
訝しく思った。それから話があったのは観音経(普門品)にて「侍多千億仏 発大清浄願」
(多千億の仏に侍えて、大清浄の願を発せたまへり)とあるを以て「この大清浄の願とは因縁解脱の誓願を表し、
つまりこの観音経の観音は準胝観音のことではないか?私の霊感によりそう断定する!」
とまで言ってしまった。それが土曜例祭の法話だったのだが、翌日曜日の法話でクレームがつき
撤回訂正した。
かつて「霊障を解く」で聖教新聞の阿含宗批判記事に対する反論として、阿含宗は阿含経を
依経としながら準胝観音を立てて、その観音は法華経の普門品にあると書いてあったのを
準胝観音は普門品の観音とは全く違うと書いたことに矛盾するとのクレームです。
このクレームにゲイカは「弱ったね」と苦笑しながら間違いを認めて普門品準胝観音説を
撤回して「管長でも間違えるんだよ」と笑ってごまかした。
実在の仏も仏舎利尊もどこに行ったかと疑わせるお粗末な話だが、実はこの観音経の
大清浄の願の話も古い観音慈恵会時代に既に話しているのです。
それが批判本「阿含宗の研究・桐山密教の内実」(廣野隆憲)にもあります。
昭和30年代か40年代にした話なんです。
この時の桐山さんの頭はすっかり観音慈恵会時代に戻っていた。
だから真言行などと準胝真言をただひたすら唱える念仏行ばかり説いていた。
最近は例祭の護摩も時々焚けるようになったのだそうだが、この頃は例祭はまるで
焚けず、如意宝珠の観想すらも忘れていたのでは?
408樹意:2005/11/02(水) 21:56:46 ID:/amnZLgu
神通力を自慢するのであれば徹底的に自慢してミロと書いてあげても
なさけない脳内仏陀を持ち出すのはゲイカもジミズさんも同様です。
脳内仏陀のお告げで 落書きするのも これまた同様というかゲイカの場合は
その小説に現実感を持たす技術 聖者に見せかける技術といったものは
数年の図書館通いから得た知識を前提としていますから ジミズさんとは
当然違いがあります。
ある方が 詐欺師は勉強家であると書いていたようですが まったく
その通りです。 
その点でジミズ氏は詐欺師にはなれない方です。

409(´・ω・`):2005/11/02(水) 22:26:16 ID:K/iJRRYY
(´・ω・`)りたいあおじさんはこうかいおなぬーぷれいがすきなだけなんだとおもうよ
きもいとかいってよしとかいわないであげてね ほっといてもいっちゃうみたいだから
410Never Returner:2005/11/03(木) 01:06:37 ID:kAZv1PBZ
阿含宗周辺には誰の目にも明らかな主張が2つある。
修行に成功しなかった者には、桐山は詐欺師に見え、
修行に成功した者には、桐山は聖なる仏弟子に見える。
主張の微妙な差異こそあれ、この点ではみな共通している。
411名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 03:46:50 ID:ddWyURa+
>>410

だから、ウンコを撒き散らすなっての。
412Never Returner:2005/11/03(木) 16:21:28 ID:kAZv1PBZ
多重人格の症状を持つ者がそこから治るためには自己の中にあるもうひとつの人格に
気がつかなければならないという事がある。・・・それと同様に気が付くことが治癒
の始まりであり、治癒そのものの力となる。運命を変えるためには、すなはち煩悩を
解脱するためには、この悪夢に気が付かなければならないわけである。パスカルの
パンセにも同様の言葉が出てくる。「知る」ということは、その対象物を「包み込む」
ということであり、対象物より優位に立つことを意味するのだと。そういう言葉が
パンセの中にもあったと思う。
 この煩悩という悪夢はあなたを子供時代から縛り付けている力であり、あなたの運命
を決定している悪夢である。その悪夢の内容が歴史的な事実であるかどうかはあまり
重要ではないと私は思う。家族的無意識を解脱された桐山靖雄師の著作の内容について、
それは母方の剣の指南役の話で、藩の命令でやむなく人斬りをする話であるが、その
内容が歴史的な事実ではないのではないかと疑惑を指摘する掲示板の書き込みがあるが、
私の経験から分析させていただければ、そういう悪夢を知覚し得たということだけで、
解脱し、須陀恒以上の境涯になったという証拠になるのであり、十分なのである。
それ以上の議論は要らないと私は考えるのである。むしろ、そのことよりも、
私のように夢ではなく、師匠桐山靖雄が目覚めた意識で行法中にそれを
成したということが、驚異に思われるのである。
さすがは熟達した密教修行者は違うものだと感じるのである。
目覚めた意識でそれを知覚しても、夢で見てそれをはっきりと覚えているのも、
効果は同じである、と私は考える。
・・・とにかくこういう認識作用が、
須陀恒以上の境涯をもたらすのではないかと思われるのである
・・・人と言うものは、自己の限界を超えるときには、恐ろしい夢を見るものである
・・・その夢が歴史的事実であるかどうかは重要ではなく、ただその夢を認識したと言うことが重要なのである
・・・なぜならば認識すれば、そこから治癒するからである。
413Never Returner:2005/11/03(木) 16:22:07 ID:kAZv1PBZ
◎ヴィパッサナー瞑想・・・気づきの瞑想
  (止観の観)

◎サマタ瞑想(サマーデイ、三昧耶)・・・集中の瞑想
  (止観の止)

この両者の瞑想の中で、密教の行法は、もちろん、分類するとすれば、サマタ瞑想のサマーデイに入る。
一つのテーマに固定して集中し(止観の止)、身口意の3つを統一し、意識の改革と身体の改革をもたらすものである。神通力の修行は、もちろん、ヴィパッサナーではなく後者サマーデイの行である。
日本でそれなりの成果を出しているのは、真言密教のお坊様方だけである、と私は思う。
空海は斯陀含でした。仁和寺の門跡小田慈舟阿閣梨も斯陀含でした。
彼らは実に阿含経的な意味で、解脱をしていた。
彼ら密教修行者の行は心の奥に届いております。だから、解脱する。
神通力を持っている人の方が、解脱には有利です。
なぜなら心の奥に思念が届く、ということが、神通力の意味だからです。
たとえばヴィパッサナー瞑想の上級の行であるところの「夢見の瞑想」
を私は、何度か経験しているが、これは密教というサマーデイ行を行ってきたからこそ出来たもの。
決して、ヴィパッサナーなんかの延長上には無いと考えている。
密教の行に精通すれば、夢の意識はそのまま日常的な意識になる。
だからこそ、私は解脱した。
密教的サマーデイーの解脱の力は非常に優れているのである。
414Never Returner:2005/11/03(木) 16:23:14 ID:kAZv1PBZ
一切の事象は、原因と条件とによって生起する。
人間の運命は、カルマを根本原因とし、家族的な霊障を条件として、生起する。
カルマは過去の記憶と同じであるから変えることは出来ない。
しかしながら、新しい善きカルマを上に積み上げることが出来る。善根である。
それが、運命を変える根拠となる。
さらに、家族的な霊障を清めても、人の運命は変わる。もちろん業の力は強大であるから、根本的変換にはならないが、条件が変われば運命が変化するのも道理である。
宗教家は、人の運命を善くしようとするとき、2つの側面を狙う。
すなわち、よきカルマを積み上げよ。そして、霊障を清めよ。の2点である。
桐山も多くの宗教家と同様に、この2つの側面を狙っているのである。
すなわち、梵行をなせ。そして、霊障を清めよ。の2点である。
樹意と7氏は頭が変になっており、この阿含宗の宗教としての当然の動きを、良くない事だと思っている。
実際には、良くないのは、彼らの頭である。
415名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 16:35:46 ID:2jEVu8xS
>>修行に成功した者には、桐山は聖なる仏弟子に見える。

成功の基準がわからんが、自己申告でいいの?
「修行に成功した」と桐山が認めた信者は誰もいないぜ。
そんなこと言ったら、あいつ怒りだすぞ。
つまり「修行に成功した者」は誰もいないのだから
誰の目にも桐山は詐欺師に見えるわけか。にゃるほど。
416名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 17:54:53 ID:bdg5eujn
桐山師は自らシュダオンになった体験を書いています。

そこを探し。同じことすれば、シュダオンになれます。

シュダオンと仏陀の違いは時間だけです。
417樹意:2005/11/03(木) 20:17:36 ID:fG2W5RMN
ジミズ教をもって この教団擁護をされるのはある意味 批判側が事実をもって批判するより
強烈なインパクトをROM者に与えるものと思われますので、その調子でガムバッテ下さい。

さて 削減経という経典があります、
この削減とは 煩悩を正しく削るという意味です
この経典では禅の増上慢者に対して、八等至(四色界禅 四無色禅)は楽住であって、観を
基礎とする削減ではない、という事を述べたものです。
不害 不殺生 不与取 非梵行 不妄語 不両舌 不悪口 不綺語 不貪欲 不瞋恚
 正見 正思 正語 正業 正命 正精進 正念 正定 正智 正解脱 −−−

ゲイカは嘘が多いですし 瞋恚もありますから まあ 仏教の聖者ではありません。
これもよく見ると 戒 定 慧ですね。 削減という表現で語られているという事です。
たとい 禅を得たとしても観を基礎とした煩悩の削減をしなければ正解脱には
至らないという事です。 
さらに わざわざ正解脱と書いている事に着目されたい。
正とあるからには 邪解脱というのもあるということです。

418樹意:2005/11/03(木) 20:28:16 ID:fG2W5RMN
>>417
> 正とあるからには 邪解脱というのもあるということです。

(他の者達は邪解脱のものになるかもしれない。しかしわれわれは、ここに正解脱
の者になろう)と削減を行うべきです。

miccha-vimutti - 解脱していないのに(私は解脱しているという思いのある者)
という意味です。
根拠 片山一良訳 マッジマニカーヤ 大蔵出版
他には先に引用した通り 両語 悪口 綺語 貪求 瞋恚 邪語 邪業 等々
あります、 まあ ゲイカに見事に当てはまります。
大体にして おばさん相手に瞋恚を出してみたり 病気の嘘をついてみたり 
あ〜 数えればきりが無いくらいの嘘のオンパレードですから、
削減ではなく 煩悩増幅です。
こんな方が説く解脱が 正解脱であろうはずが無く 解脱は解脱でも
頭の方に邪がつきます。

まあ そういうことです。


419Never Returner:2005/11/03(木) 20:31:03 ID:kAZv1PBZ
樹意、
お舞の言葉に価値は無い。
漏尽通定義で無知をさらけ出したお舞らに、
説得力は無い。
ふふふふふ。
負け犬の遠吠えになっているのが分らんか。場亀。
420Never Returner:2005/11/03(木) 20:32:57 ID:kAZv1PBZ
釈迦牟尼が、「解脱すれば解脱したという自覚が生じ、
もはや、迷いの生を繰り返すことは無いという確信が・・・」と説法を成されていたとき、
樹意と七氏が立ち上がり、「しかしながら如来よ、本当に解脱したと言う確信が生まれるためには、
漏尽通を発揮して、煩悩がほんとに無くなったことを観察しなければ、なりません」
如来は神通力の全く経験の無い二人が何故このように図々しさを発揮して、説法を中断させるのかが、
良く理解できなかったが、彼らの誤解を解くために、ある仮定を述べられた。
「それでは、樹意と七氏よ、お前たちがそれを確かめようとしたとしよう。
果たして実際に、確かめられるかどうか考えてみよ。
煩悩が完全に消えた場合は、確かに分るであろう。しかしその場合、修行者は既に解脱しており、
煩悩の消滅を感じているのであるから、煩悩の消滅を感じた者にとって、更に心の奥深く分け入って、
煩悩の消滅を感じとる作業が必要であろうか?そして、お前たちの漏尽通定義では、煩悩が少しでも残っていれば確認できないものだ。
煩悩がいまだあることを確認する能力は、漏尽通とは呼ばないと言うのが、お前たちの不思議な定義なのだろう?
確かめると言うが、確かめられない人が続出するのでは人には勧められない方法だな?」
如来は、樹意と七氏を哀れんでさらに続けた。「無いことが否定されたときには、在るであろう。在ることが否定されれば、無いであろう。
それなのに、なぜそのように、煩悩の非存在に限って漏尽通と言う言葉を規定してしまったのであろうか?
私はそんな愚かな漏尽通定義をしたことはなく、そんな馬鹿なことを誰にも相談しなかったことも問題だし、
あるいは誰も止めようとしなかったことも問題であろう。」
それを言われると、樹意と七氏は、「辞典に学者がそう書いてあったので、
それに従っておりましたが、池田慈水という男が盛んに我らを、矛盾していると警告しておりましたが、
我らは彼に耳を貸しませんでした。今は大いに反省しております安視しております」
421Never Returner:2005/11/03(木) 20:44:34 ID:kAZv1PBZ
人の苦しみをもたらす運命の成立を考えるに、運命は過去世の業と生まれた家に流れる霊障とに依拠して起こる。
これを、系統別に、運命の因縁とか星と呼んだのは、桐山が信者に分りやすく説明したいからである。
人を修行に赴かせるのには、分りやすく説明しないといかんからね。
人の運命=桐山の説く因縁は、前世の業が起因(根本原因)しているので、前世でそういう業を成して居ない人はいくら因縁

悪き家に生まれても、そういう星にはならない、と考えられる。
兄弟で、同じ家の霊障を受けながらも、その出方が違うことはそうして説明されます。
また、同じ前世での業を為しても、違う家に生まれたことで、運命に違いが生ずる場合もあるでしょうが、
それは、前々世やさらに過去の業との関係性があるからであります。
でも大まかに言って、前世の業と家の霊障、という2つの基本線で、人の運命が生起する。
そして、家の霊障こそ、煩悩の正体です。これは本来自由であるはずの精神をゆがませ、人間の
自由を精神の偏向性を与えることで、縛りつけ、悪しき、運命を生起させるからです。
カルマは過去の記憶であり消滅はしないが、霊障は宗教的修行で消滅することがある。
阿含経の一文に、「寿命も業も尽きる事無く煩悩が消滅するのは、いかなる人の場合であるか?預流果を得た人、一来果を得た人、不還果

を得た人、独覚の場合である」とあるので、煩悩が消滅するのが分る。したがって、煩悩から解脱したときは、人の精神は家族的霊障から

自由になり、偏向性から抜け出た自由人になるのが分る。
しかしながら、運命の根本原因たる業から解脱した訳ではないので、善根を植え、よき業を積むようにしないと、
阿羅漢でも身体の苦しみが抜けないという結果になる。運命の結果と心の自由が一致しない場合が出てくる。
中阿含経に、「いかなる人が、心が安楽で、身体はそうではないのか。すなわちたとえば、功徳を積まなかった阿羅漢は心は安楽でも、身体はそうではない。」
とあるのはそういう場合である。
422名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 23:37:35 ID:rtqKEuiR
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem
旧『修行者座右宝鑑』(1978年)48頁
「この仏に供養をささげる者は大福徳を得、この仏をそしり、この仏にそむく者
は、三悪道に堕ちて、未来永劫にわたって浮かぶことができないのである。(衆集経巻の十二)」

旧『修行者座右宝鑑』の続きです。
>>287でも説明したように、衆集経には、大福を得ることはもちろん、
そしり、そむく者は三悪道に堕ちるなんて文章も内容もありません。
桐山さんの経典捏造は常習的なものとはいえ、この捏造はかなり悪質です。
桐山さんの書いている「仏」とは、釈尊のことではなく、
1979年に柴燈護摩に現形した応供の如来のことです。
あのクルクルと三身が変身する如来様です。
つまり、桐山さんの言いたいことは、阿含宗に供養をささげれば大福が得られ、
応供の如来の現形写真を「ただの火と煙にしか見えない」と当たり前ことを言った者や、
私のように「足下から白いシッポが生えている」などと批判した者は、
「三悪道に堕ちて、未来永劫にわたって浮かぶことができない」のだそうです。
423名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 23:40:47 ID:rtqKEuiR
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

あたかも阿含経の中で釈尊がこのような事を説いているかのように見せかけるばかりか、
釈尊を阿含宗製「応供の如来」にすり替えて、アメとムチを信者たちに与えたのです。
金と人をたくさん出せば御利益一杯だが、
もし批判などしたら、地獄に堕ちるぞ、というのだから、
正真正銘の霊的脅迫、つまり霊感商法です。
信者さんたちは私から、阿含宗は霊感商法だと批判されると怒るが、
信者さんたち自身がこうやって桐山さんからあちこちで霊的に脅かされている。
供養とは金と人を出すことなのだから、立派な霊感商法です。
424名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 23:46:05 ID:rtqKEuiR
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

座右宝鑑だから、信者にとっての教科書です。
因縁を切りたいだけで、超能力までいらないという大衆部の信者にとっては、
他の本よりも、まずこの一冊を読まなければならない。
その教科書に、釈尊が語ってもいないのに、あたかも阿含経にあるかのように、
信者に、金と人を出させるために、霊的な脅かをしている。
これが聖者、解脱者のすることですか。
「使われていない本を出すな」と信者さんは言うでしょう。
旧版の『修行者座右宝鑑』でも阿含宗になってから書かれたものです。
では、信者さんの手元にある『修行者座右宝鑑』からご紹介しましょう。
425名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 23:46:53 ID:rtqKEuiR
『修行者座右宝鑑』(1991年、272〜273、289頁)

時おり、見かけることであるが、この尊い宝物を、人にそそのかされたりして、
放棄したり、返納する人がいる。まことに愚かな極みである。みすみす、自分の福運を
放棄、返納しているのである。
そういう人の行くすえを見ていると、決してよいことが起きていない。かならず、
悪くなっている。
かりそめにも「如意宝珠」とまでたたえられているありがたい仏さまを放棄して、
よいことがあろうはずがないではないか。

御宝塔なくして成仏はぜったいに不可能であり、これを棄捨する者は、必ず堕
地獄の苦患に会うであろうこと、諸経典の説く通りなのである。
426名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 23:54:37 ID:rtqKEuiR
>>425 :名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 23:46:53 ID:rtqKEuiR

「尊い宝物」とは信者さんが拝んでいる仏舎利尊のことです。
旧の『修行者座右宝鑑』よりも、むしろ強い法罰が書いてある。
放棄したり、返納する人というのだから、阿含宗を辞めた人のことです。
その人たちは「かならず、悪くなっている」のだそうです。
それどころか、後半の文章では、「棄捨する者」つまり辞めた者は、
地獄に堕ちたような苦しみや患いを受けるという。
どうやら、私や樹意さん、ユビキタスさん、源太郎さんたちは、
地獄に堕ちたような苦しみを受けているらしい???
そのわりには、みんな楽しそうに批判を書いている。
しかも、それは桐山さんが言っているのではなく、
阿含宗で諸経典というのだから、諸々の阿含経に書いてあるというのです。
いったいどこにそんな経典があるのか?
経典と聞いて、信者さんたちはピンと来ましたよね。
桐山さんの頭には、十数年前に旧の『修行者座右宝鑑』を書いた時の
>>284 の衆集経のことが浮かんでいたのです。
「桐山阿含経」の「脳内衆集経」には、
「三悪道に堕ちて、未来永劫にわたって浮かぶことができない」と書いてある!!
427名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 23:58:37 ID:rtqKEuiR
>>425 :名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 23:46:53 ID:rtqKEuiR

「地獄の苦患に会うであろうこと、諸経典の説く通りなのである。」
という経典が衆集経であると聞いて、信者さんたちはあきれませんか。
>>287で説明したように、衆集経にはこんな内容はありません。
当たり前のことだが、阿含経には仏舎利尊やこれに類似するものは出てこない。
だから、そもそも仏舎利尊を捨てるも拾うも書いてあるはずがないのです。
私の説明で納得したくないなら、
『國訳一切経 阿含部 7』184頁〜
『現代語訳「阿含経典」2』平河出版社
『原始仏典 3』春秋社
などを読んでみてください。
特に後者の二冊は現代語訳されていますから、素人でも読めます。
サーリプッタが立て板に水を流すように説明しているだけで、
桐山さんのような霊的な脅かしなどありません。
428名無しさん@3周年:2005/11/04(金) 00:03:45 ID:rtqKEuiR
>>425 :名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 23:46:53 ID:rtqKEuiR

これだけはっきりと信者さんたちは霊的な脅迫をされているのです。
法話でちょっと言い過ぎたとかいうのではなく、
信者さんたちの真っ先に読まなければならない、座右にある本で
桐山さんは阿含経や釈尊まで持ち出して信者さんたちを霊的に脅かしている。
桐山さんの霊感商法の行商歴は長く、
旧の『修行者座右宝鑑』では、ご宝塔について、はっきりと法罰と書いている。

「そまつな扱いは、法益を得られぬのみか、法罰をこうむる。」(226頁)

法罰を受けたり、辞めると地獄のような苦しみを受けるなら、
こんな怖い仏舎利尊は最初からもらわないのが一番です。
429名無しさん@3周年:2005/11/04(金) 00:13:19 ID:BP1Uoqwh
>>425 :名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 23:46:53 ID:rtqKEuiR

旧では上記の一文のみなのに、今の座右宝鑑では>>425のようにもっときつい書き方になっている。
和讃から「因縁返し」という部分を削除して、霊的な脅迫がないかのようにしながらも、
桐山さんは霊的な脅迫が辞められないのです。
霊的な脅迫は桐山さんにとって麻薬だからです。
霊的に脅かすのが桐山さんが長年修得してきた最も得意とする技であり、
人を金を集めるのには効果的な方法だからです。
これがなくなれば集金力、集客力が一気に落ちる。
桐山さんにとってのもう一つ麻薬なのは、
他人を脅かすことで他人を平伏させたいという強い欲求と抑圧があるからです。
周囲を土下座させて、自分を尊敬させたいという誘惑と快感に勝てない。
それが座右宝鑑のこれらの文章ににじみ、しみだしている。
ヂミズさんがアナゴンどころか、人並みの人格すら持たないのがわかるのは、
文章に煩悩がにじみ出ているからです。
煩悩は別名を「漏」というが、桐山さんの欲望という煩悩が文面に漏れて、
染みだしているのを見れば、桐山さんが解脱者であるはずがないことは一目瞭然です。
430名無しさん@3周年:2005/11/04(金) 05:58:14 ID:gOGOkh45
死んで阿含の正しさを理解して、後悔するから地獄に落ちるの。
431名無しさん@3周年:2005/11/04(金) 09:00:12 ID:+qtYZr87
空中元彌チョップ面白すぎ!
「狂言力」て・・・
成仏力なんていってる桐の頭の中も
あのプロレスみたいになってるんだろうな。
432Never Returner:2005/11/04(金) 18:47:41 ID:VOTeirl1
レイザーラモンNR、ふおおお--!
433名無しさん@3周年:2005/11/04(金) 19:19:49 ID:V8gpxXVc
アッフォオオオ−!!
434名無しさん@3周年:2005/11/05(土) 22:24:32 ID:miTH0PgH
静かだな。
435樹意:2005/11/06(日) 00:56:47 ID:NqDs9Wb2
>>426
> 旧の『修行者座右宝鑑』よりも、むしろ強い法罰が書いてある。
> 放棄したり、返納する人というのだから、阿含宗を辞めた人のことです。
> その人たちは「かならず、悪くなっている」のだそうです。

以前のスレッドにもありましたが 仏陀釈尊が説くのは涅槃へ至る道です。
涅槃を得ない限りは (苦)Dukkha が続くことになるわけです
此れを説く事と 特定の神仏に対する不敬罪の如くのイメージを持たせる
ものはまったく意味が違うわけです。

仏陀が説くのは支縁起(十二因縁)より生起する無我なる五蘊の消滅
です。
> それどころか、後半の文章では、「棄捨する者」つまり辞めた者は、
> 地獄に堕ちたような苦しみや患いを受けるという。
この文章から伺えるのは何処までいっても常見を前提とした 概念をもって
脅迫文を書いているという事です。
436名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 01:06:43 ID:Q7gsY/77
ロマンがあるよなー。桐山さんと阿含宗って。
ほとんどオナニーみたいな世界だけど俺は好きだな。
437樹意:2005/11/06(日) 01:26:01 ID:NqDs9Wb2
>>426
> 放棄したり、返納する人というのだから、阿含宗を辞めた人のことです。
> その人たちは「かならず、悪くなっている」のだそうです。

宝生の批判とジミズ氏絡みの神通力批判の為に私の投資板での書き込みを
このスレッドに引用しましたが、此れは私の経済見通しが当たったとかを
自慢する為ではなく、経営上の管理 或いは ヘッジ手法を示したものでも
あります。
このところのガソリンの値上がりで社員が社有車を使わせてもらえない
例もあるようです(重い荷物をもっての営業も大変な事でしょう)
確かに単体で株式或いは転換社債に投資された方は僅か数ヶ月で5割4割からの
益が出たわけですが、世界的に見てまだまだ原油が値上がりしそうだと思うなら
ガソリン(油)を使う経営者はこういう形でヘッジする必要があるという事です。 

重要なのは予言が当たっただとかではなく 考え方の方であるという事です
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



438樹意:2005/11/06(日) 01:39:43 ID:NqDs9Wb2
>>437
> 重要なのは予言が当たっただとかではなく 考え方の方であるという事です
> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ゲイカはこの教団を経営するにあたり自分はこの経営者の考え方を実践しており
霊感商法として挙げられない為にはどこら辺がボーダーラインか踏まえた
経営をしていますし この教団の教義そのものが、この人生上のリスク管理を
架空のホトケなる存在にゴキシャ させるものです。

現実世界をよく観察し時々に応じてどう転んでもいいように布石を打っておく
というのが当たり前の生き方なのですが、この教団は供養と称する利益を
得る為 保険屋の如く振舞い責任の所在は一切無いというビジネス(?)モデル
を構築しています。
その弊害としてもろもろの事故がこのスレッドでも報告されています。
ゲイカは自分はこの経営者の考え方を実践しつつ 信者には観察より来る
経営者の考え方をされては困るわけです。
その一番の教えが (計算づくめのボンギョウするな )というものです。
ゲイカ本人は計算尽くめですが、信者には計算を放棄させようとするわけです。


439名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 07:30:01 ID:ZJ6oO3nE
聖マラキの予言の秘密が解けた。
440名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 16:33:04 ID:FzA6q6I+
ダッタラ言えよ。言いたいのだろ。ツマランゴタクを。
441子縁財務急転:2005/11/06(日) 19:52:03 ID:D7uzCa2x
呪医は株をやってるのか…… それで信仰や仏陀がどうのとよく言えたものだ。見損なったね。
442名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 21:18:06 ID:ZJnaBtHT
>441
在家である以上、株をしていようが個人の勝手だろ。
他人が責めるべき事じゃないだろ。
443名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 22:33:48 ID:KdMS4NJr
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem
旧『修行者座右宝鑑』(1978年)48頁
「この仏に供養をささげる者は大福徳を得、この仏をそしり、この仏にそむく者
は、三悪道に堕ちて、未来永劫にわたって浮かぶことができいなのである。(衆集経巻の十二)」

>>422以降で書いたように、桐山さんは実際には釈尊は言っていないにもかかわらず、
逆らうと仏罰や法罰が下るかのような上記の書き方している例が他にもあります。
『間脳思考』に出てくる「好戦経」です。
前からこのスレを読んでいる方は、また好戦経の話か、とおっしゃるかもしれなない。
だが、好戦経は阿含宗でいう霊障のホトケが阿含経にもあるのだという重要な根拠とされている。
今まで書いたことのない新しい批判もありますから、
信者なら、桐山ゲイカの二十年前の御講義をお勉強しましょう。
136頁に雑阿含経「好戦経」とあり、その前に、
「肉体なく意識だけの生命存在――意生身」
と桐山さんが表題をつけていますが、表題からして、ダマシ、です。
こんな表題を付けたら、好戦経の中に意生身という言葉が出てくると思ってしまいます。
しかし、好戦経や次の堕胎経(139頁)にも意生身という言葉は出てきません。
桐山さん好戦経の前に紹介した身命経(131頁)で出てきた意生身が
いかにも他の経典にも出てきたかのように見せかけているのです。
わずかなことだと信者さんたちは思うだろうが、表題からして嘘だというのは、
桐山さんの話が最初から最後まで嘘であることを象徴している。
444名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 22:36:59 ID:KdMS4NJr
>>443 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 22:33:48 ID:KdMS4NJr

雑阿含経の好戦経や堕胎経は下記にあります。
『國訳一切経 阿含部 2』113〜114頁
ところが、好戦経の原文と桐山さんの引用を比較すると、
桐山さんの引用のほうが倍くらい長いことに気が付きます。
桐山さんの引用の前半のうち、大目連がゴンネンとミショウするところまでは、原文の好戦経にはありません。
ただし、これは捏造ではなく、好戦経や堕胎経は似たような経典が前後に42もあるため、
共通している部分を「乃至」という言葉で省略しているのです。
だから、堕胎経(139頁)のように、「乃至」までの前半と、
後半も省略されているのが、元々の好戦経の姿なのです。
だから、桐山さんが引用した形での好戦経はありません。
445名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 22:44:30 ID:KdMS4NJr
>>443 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 22:33:48 ID:KdMS4NJr

「乃至」の部分を再構築することは捏造ではないが、
桐山さんはなんと好戦経を再構築するときに転記を間違えている。

『間脳思考』137頁、後から二行目
「一大衆生の身を挙げて皮無く、純ら一の肉段にして空を乗じて行けるを見たり。」

『國訳一切経』好戦経、114頁
「一大身の衆生の身を挙げて毛を生じ、毛の利きこと刀の如く、其の毛燃え、
還って其の身を割くに、痛み骨髄に徹せるを見たり。」

まったく別な文章です。
桐山さんが引用したのは、好戦経より前の「屠羊者経」に出てくる内容です。
家畜や動物を面白半分に殺したことで、死んでから自分が肉段になって、
これらの動物に突かれながら、苦しんでいるのが屠羊者経。
戦争を好み、人々を刀に傷つけて苦しめたから、死んでから身体中から刀のような毛が生えて、
しかも燃えているために、彼自身の身体を傷つけ、痛みに苦しんでいるのが好戦経です。
桐山さんの引用では、人々を刀で傷つけたのに、動物からついばまれて苦しむなんて、
話がおかしくなっています。
446名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 22:49:48 ID:KdMS4NJr
>>443 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 22:33:48 ID:KdMS4NJr

霊障のホトケとしての「肉段」は屠羊者経には出てくるが、好戦経には出てきません。
阿含宗では好戦経の霊障のホトケとは肉段だと思っているが、
元の経典には肉段などという表現はないのです。
信者さんたちはこういう間違いを小さいこととみないことです。
超人的能力や仏陀の智慧を持っている桐山さんがまるで凡人のような間違いをした。
霊障のホトケの根拠を示す重要な経典なのに、転記を間違えているのです。
転記ミスだといえば聞こえはいいが、これも御立派な経典捏造です。
しかし、桐山さんの表題のダマシや転記のミスなど、この後の悪意ある解釈に比べれば、まだ序の口です。
447樹意:2005/11/06(日) 22:50:54 ID:JEpaZVwi
>>441
> 呪医は株をやってるのか…… それで信仰や仏陀がどうのとよく言えたものだ。見損なったね。

まあ予想通りの反論?が返ってきましたね (w
安心したまえ君らのような脳みそゴキシャの信者に尊敬を得ようなどと
思う気持ちは毛頭無い。
仏陀は詩を唱えた報酬すら拒否された方であり報酬としての利益は
拒否するのが本来の教法です。

私は信仰や仏陀の教法に偽装した霊感商法を批判しているのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どちらかと言えばこの教団の批判スレッドはこのような宗教板ではなく
防犯板が適当かと思っています。
仏陀の教法を持ち出すのは批判するにおいて必要だからです。
私が出家であるなどとは宣言もしておりません。
この教団の教義は仏陀の十二因縁を 運命上の星の概念に置き換え
人生のリスク管理を教団依存に摩り替えるものです。
なによりこの教団は宝生のご利益を説きます。




448名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:05:51 ID:KdMS4NJr
『間脳思考』163頁
「この、シャカの説いた『異陰』を、わたくしは、「不成仏霊」と名付け、
モッガラーナの見た存在を「霊障のホトケ」と名付けているのである。」

仙尼経に出てくる異陰は不成仏霊であり、
好戦経に出てくる肉段は霊障のホトケだというのが阿含宗の教学です。
しかし、本物の仙尼経には異陰などという単語は出てきませんから、
桐山さんの捏造であることは、昨年、阿呆陀羅經さんなどから指摘されました。
仙尼経の異陰は桐山さんの完璧な捏造です。
好戦経に出てくる「一大身の衆生」は何か霊的な存在ではあるかもしれないが、
桐山さんのいう霊障のホトケであるというのはおかしい。
阿含宗では、霊障によって生きている人が不幸になるから、解脱させなければならないと説く。
しかし、好戦経や堕胎経での釈尊はそんなことはいっさい説いていないからです。
449樹意:2005/11/06(日) 23:06:33 ID:JEpaZVwi
>>441
> 呪医は株をやってるのか…… それで信仰や仏陀がどうのとよく言えたものだ。見損なったね。
>>447
私は信仰や仏陀の教法に偽装した霊感商法を批判しているのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

スレ違いになるが教えといてやる 
>>19 樹意
> なお私が人に勧めるのはリスクの少ない転換社債というものです。
> カルトに老後のお金を持っていかれた方にはこういうやり方 預け方もあるわけです。
> 殆ど定期預金なみのリスクで最大数割の金利がつくものもあるわけです。

今時は郵便局で投資信託を扱うようになっている 日本が米国並になる日も近いだろう
投資板に書いたものだから株式とも書いたが 私が他人に進めるのは上記にあるものだ。
カルトに老後の資金を持っていかれた方或いは経営者は上記のような
管理術もあるということだ。
事細かに値段をつけ 霊感商法を展開する団体の批判をするからにはこのような
批判の形があっても良いだろう 。


450名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:09:32 ID:KdMS4NJr
>>448 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:05:51 ID:KdMS4NJr

「我も亦た此の衆生を見て、而しも説かざるは信ぜざるを恐るるが故なり」

霊障のホトケとやらを見た釈尊はこのように述べているだけです。
信者さんたちは釈尊のこの言葉に愕然とするべきです。
桐山さんは「衆生を見て」に着目して、釈尊が霊障のホトケを見る力を持っており、
自分も同じ力を持っているのだと自慢したかったのでしょう。
しかし、釈尊は自分も見えると自慢したのではありません。
「説かざる」とある。
信者さんたちには「衆生を見て」ではなく、「説かざる」に着目してほしい。
肉段が仮に霊障のホトケだとしても、釈尊は「説かざる」なのです。
釈尊は、霊障のホトケを説かない、と出家の比丘にすら言っているのです。
驚きませんか。
451名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:16:31 ID:KdMS4NJr
>>448 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:05:51 ID:KdMS4NJr
「我も亦た此の衆生を見て、而しも説かざるは信ぜざるを恐るるが故なり」

もっと驚くのは、釈尊は、この霊障のホトケが生きている人に悪影響を与えているとも、
これを成仏させろとも説いていない。
まるで珍しい動物でも見たかのように
「パンダ?ああ、いるとも。大目連君も見たのかね。
見た人でないと、あんな動物がいるなんて信じないよなあ」みたいに、
釈尊は肉段にさして関心を示していない。
「我も亦た此の衆生を見て」と、ただ見たと述べているだけです。
大目連の話が嘘ではないと擁護するために発言しているかのようです。
452名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:20:35 ID:KdMS4NJr
>>448 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:05:51 ID:KdMS4NJr
「我も亦た此の衆生を見て、而しも説かざるは信ぜざるを恐るるが故なり」

釈尊の「霊障のホトケ」への反応は、桐山さんや信者さんたちと全然まったくさっぱり完璧に違う。
霊障のホトケが生きている者の潜在意識に悪影響を与え、
哀れ、堤青年は無実の罪をかぶって、ムショに一年も入れられた!はずだった。
桐山ゲイカほどの成仏リキをもってしても
三年もかかってようやく18人の霊障武士を成仏させた!!はずだった。
霊障のホトケのカルマで地球は壊滅するのを桐山ゲイカの成仏リキで、モンゴルにアメを降らし、
印パの核戦争の危機を防いだ!!!はずだった。
だったら、釈尊もここぞとばかりに「大目連君の見たのがアレなんだよ。比丘たちよ、
これが霊障のカルマなのだ。これを成仏させねば、地球に平和はない。
おまえたちもズエッタイに解脱できない。ワシの神通力で成仏させてやっから、
信者から十万円ずつ集めろ」と言ったはずです。
ところが、実際の釈尊は「見えるが、説かない」という。
こんなに重要な霊障のホトケだっていうのに、釈尊のこの無関心な態度を信者さんたちはどう思うか。
453樹意:2005/11/06(日) 23:22:42 ID:JEpaZVwi
>>447
私は信仰や仏陀の教法に偽装した霊感商法を批判しているのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ゲイカは私が此れまで書いた
管理を実践しているし、予言にしても両方予言して当たった方を宣伝に
使っている。 (此れはあまりに安直 安っぽい手法であるから辟易した)
財務内容(金の流れ)を精査するなら その法人のありようは真実の
姿を浮かび上がらせる。 右翼だの政治家だのにも使っているとの
報告がこのスレッドにも寄せられています。
どういう教団(団体)か解かろうかというもんです。


454名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:25:15 ID:KdMS4NJr
>>448 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:05:51 ID:KdMS4NJr
「我も亦た此の衆生を見て、而しも説かざるは信ぜざるを恐るるが故なり」

信者さんたちは好戦経を読んだ時、奇妙に思うべきです。
なぜ、釈尊は好戦経はじめ同様の42もの経典群で
「一大身の衆生」の存在を認めているにもかかわらず、
異陰や意生身という単語が一度も使わないのですか。
不成仏霊や霊障のホトケの存在が修行で重要なら、
肉段だの一大身の衆生だのといわずに、異陰や意生身と言えばいいではないか。
ところが、表現は好戦経と堕胎経の間ですら一貫しておらず、「此の衆生」です。
此の衆生とは、この人たちとか、あの連中という程度の表現です。
まるっきりどうでもいい人たちを指している表現です。
釈尊が不成仏霊や霊障の存在を重視していたというなら、
「肉段異陰」や「肉段意生身」といった一貫した単語で彼らを表現したはずです。
だが、霊障のホトケを説いたという好戦経にも堕胎経ですら、そんな表現はない。
つまり、釈尊にとって異陰も意生身も、死んでから自業自得で苦しんでいる存在も、
修行や関心の対象ではなかったのです。
455名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:27:51 ID:KdMS4NJr
>>448 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:05:51 ID:KdMS4NJr
「我も亦た此の衆生を見て、而しも説かざるは信ぜざるを恐るるが故なり」

釈尊が無関心なのも当然で、阿含宗でいうような不成仏霊も、
霊障のホトケや霊障の悪影響も釈尊は説いていないからです。
桐山さんのズル賢い点は、釈尊が霊障ホトケなど説いていないにもかかわらず、
霊障のホトケを説いたかのように見せかけて、
阿含宗での解脱供養、冥徳供養、柴燈護摩などに経典の根拠があるかのように錯覚させている点です。
信者さんたちの多くが桐山さんの好戦経の解説を読んだ時、釈尊も霊障のホトケや霊障の悪影響と、
これを解脱させねばならないと説いたかのような錯覚をしていた。
よく経典を読んでみてください。
桐山さんが「霊障のホトケ!!」と説いて説いて説きまくっているのに、
釈尊は霊障のホトケなど「説かざる」なのです。
釈尊は霊障のホトケを認めたどころか、説いていないのです。
桐山さんの小手先の目くらましはこれだけではない。
456名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:29:23 ID:KdMS4NJr
『間脳思考』164頁

『所以は如何。如来の所説を信ぜざる者有らば是れ愚痴の人にして、
長夜に当に饒益せざる苦を受くべければなり。』
つまり、
「如来―ブッダになられたかたから発せられることばを信じない者は、
仏罰によって、饒益せざる苦を受けるようになる、
つまり、地獄に落ちるのである。そうなるとその者がかわいそうであるから、
自分は言わないのである。」
シャカのいわれたことを信じない者は、モッガラーナの見た不成仏霊とおなじようなってしまうのである。
457名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:35:00 ID:KdMS4NJr
>>456 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:29:23 ID:KdMS4NJr
『所以は如何。如来の所説を信ぜざる者有らば是れ愚痴の人にして、
長夜に当に饒益せざる苦を受くべければなり。』

>>456の経典の文章と桐山さんの解説をよく比較して読んでみてください。
釈尊が言いもしないことを桐山さんは堂々と書いている。
いったいどこに、「仏罰」「地獄に落ちる」なんてあるのですか。
釈尊の言っていることにはそんな脅かしはありません。
好戦経、堕胎経などに代表される42にある経典群で述べられていることは、
生前、悪業をなしながら、罪を問われることがなくても、
死後、行いによる報いは来るのだから、悪いことをするな、という教えです。
釈尊の教法を無視して、戦争を好み、人々を傷つけたら、
自分のなした悪業で長期に渡り苦痛を受けるなど当たり前です。
釈尊は仏罰の話をしているではなく、自業自得の話をしているのです。
これを桐山さんは仏罰が当たり、地獄に堕ちるなどと解釈している。
好戦経などで釈尊は特別変わったことを説いたのでなく、
上記の一文は下記の教えとなんら変わらない。

「183.すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、
――これが諸々の仏の教えである。
ダンマパダ、真理のことば、中村元」
458名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:38:25 ID:KdMS4NJr
>>456 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:29:23 ID:KdMS4NJr
「如来―ブッダになられたかたから発せられることばを信じない者は、
仏罰によって、饒益せざる苦を受けるようになる、

桐山さんは、自分が説いたことはまさに釈尊も説いており、
自分が見ているものはまさに釈尊も見ており、
釈尊の言うことを聞かない者が地獄に落ちるように、
自分の言うことを聞かない者も地獄に落ちると脅しているのです。
桐山さんのインチキ霊視を釈尊の神通力と同じレベルであるかのように見せかけ、
釈尊の経典の中にインチキ霊障を紛れ込ませる。
桐山さんのこの姿と手法はまさに「虎の威を借る狐」です。
459名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:42:44 ID:KdMS4NJr
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem
「この仏に供養をささげる者は大福徳を得、この仏をそしり、この仏にそむく者
は、三悪道に堕ちて、未来永劫にわたって浮かぶことができないのである。(衆集経巻の十二)」
>>456 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:29:23 ID:KdMS4NJr
「如来―ブッダになられたかたから発せられることばを信じない者は、
仏罰によって、饒益せざる苦を受けるようになる、
つまり、地獄に落ちるのである。」

そこでようやく最初に戻ります。
>>456の『間脳思考』の虎の威を借る手法が、>>284の旧『修行者座右宝鑑』
とまったく同じであることにお気づきでしょうか。
釈尊の権威を使い、これに逆らったら、地獄に落ちる、という内容が経典にあるとして、
「釈尊に逆らったら地獄に落ちる」
→「阿含宗に逆らったら地獄に落ちる」
→「桐山ゲイカに逆らったら地獄に落ちる」
と言い換えている。
だから、上記の>>284>>456文章で桐山さんは次のように言いたいのです。
460名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:44:11 ID:KdMS4NJr
>>284 :名無しさん@3周年:2005/10/28(金) 12:36:24 ID:ksXvSRem

「この阿含宗に供養をささげる者は大福徳を得、この桐山をそしり、この桐山にそむく者
は、三悪道に堕ちて、未来永劫にわたって浮かぶことができいなのである。(桐山衆集経巻の十二)」

>>456 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:29:23 ID:KdMS4NJr

「有余依涅槃の聖者―ブッダになられたかたである自分(桐山)から発せられることばを信じない者は、
仏罰によって、饒益せざる苦を受けるようになる、
つまり、地獄に落ちるのである。そうなるのは当然だ。ざまあみろと思うから、
だから自分は言うのである。」
自分(桐山)のいわれたことを信じない者は、モッガラーナの見た不成仏霊とおなじようになってしまうのである。
461名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:53:26 ID:KdMS4NJr
>>460 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:44:11 ID:KdMS4NJr

いかがですか。
>>460のように意訳すると桐山さんがあれらの本で何を言いたいのかよくわかる。
阿含経の釈尊の権威の前に立った銀狐殿は、
自分は釈尊と同じ霊能力を持ち、自分に逆らう者は釈尊に逆らう者であり、
釈尊に逆らう者が地獄に堕ちるように、自分に逆らえば、地獄に堕ちるぞ、と言いたいのです。
しかし、地獄に堕ちるのは桐山さんやこれに従う者たちです。
供養と称する金集め人集めのために、釈尊の教説をねじ曲げ、
時には正反対の意味にとり、釈尊を鉄槌に使って人々の頭上に振り落とす。
「ブッダになられたかたから発せられることばを信じない者」とは、
まさに桐山さんや信者さんたちではないか。
釈尊の教法をオシエだと投げ捨て、カルマを断ちきるのが釈迦の成仏法だの、
霊障や悪因縁を説いたなどと嘘を説き、釈尊の禁止した護摩や占いをして、
骨をナモナモして能力開発という御利益が授かるなどというのは、
「この仏をそしり、この仏にそむく者」に他ならない。
こんな悪業を積んだら、生きている時は教祖として君臨し、
信者さんたちも霊感商法をするカルト宗教とは批判されないだろうが、
死後は、釈尊によれば「饒益せざる苦を受ける」ことになり、
桐山さんによれば「地獄に落ちるのである」という。
信者さんたちは死後こんなふうになるために金と時間をかけていることになる。
462樹意:2005/11/07(月) 00:06:04 ID:X0KtSfwl
>>447
私は信仰や仏陀の教法に偽装した霊感商法を批判しているのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

看板が宗教であるからこういう板にありますが,内容的には防犯 詐欺対策の板で
語られる内容と同様です。
まあ 卑近な例としては消火器詐欺というのもあります。
手口としては業界で有名なメーカーの名前を使って錯覚を誘い ついで契約書にサイン
させるというものです。 どう錯覚を誘うかがポイントなわけです。
錯覚手法や大手の名前を騙る点において手法的に同様であり 
その手法の解説は今奈々氏さんはじめ批判側諸兄の指摘にある通りです。
法律の盲点を突いた 究極のビジネス(?)であるということです。
まあ 魂の犯罪が平気な方でありますから、究極といえば究極のものですね。
防犯板の手口などはかわいいもんです。
463樹意:2005/11/07(月) 00:47:08 ID:X0KtSfwl
>>441
> 呪医は株をやってるのか…… それで信仰や仏陀がどうのとよく言えたものだ。見損なったね。

言っとくが 私は仏教を説いているつもりは毛頭無い。
お宅らの商品(?)が 偽装されたものであり 本物はこうであると
比較しているだけであるから、これが消火器詐欺の場合は 消火器の法規や充填剤が
その批判対象となるのである。

資源関連のリスクヘッジを例にとりゲイカの説くところとの兼ね合いを書いたが
かつてのオイルショックのような混乱は無いにしろ、市況というものがあって 
これこれのモノが不足し値上がりしそうだと思う時には買いだめなりの手を取るのは
別段何処の家庭でもやることであって此れが企業の債券なり株式なりの形での
手法を紹介したということです。

あなた方は市況(マーケット)を無視してもマーケットはあなた方を無視することは無い
高くたって必要なものは買わざるを得ない。そういうことです。

本当の意味の宝生を説くのであればこのリスクヘッジの考え方を教育する方が
私は重要であると私は考えます。
464名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 22:47:46 ID:VAiPZjkv
>>448 :名無しさん@3周年:2005/11/06(日) 23:05:51 ID:KdMS4NJr

『間脳思考』の好戦経や堕胎経を信者さんたちはもっと深刻に読むべきです。
好戦経は前後に同じような経典が合計42あります。
いずれも、生前なした悪業で死後に苦しんでいるということです。
その中に「ト占女経」「ト占師経」という経典があります。(『國訳一切経 阿含部2』116頁〜)
好戦経や堕胎経と同じで、生きている時、占いを使って悪業をなし、
死後に苦しんでいるという内容です。
これらの占い師は、
「式を転じてト占し、疑妄して人を惑わし以て財物を求めたり。」
「多人を誤惑し以て財物を求めたり。」
というのですから、占いを使って嘘やデタラメで人々を脅迫し、惑わし、
金や物を巻き上げて財産をなしたということでしょう。
・・気のせいか、どこかの教祖様とよく似とるなあ。
465名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 22:51:19 ID:VAiPZjkv
>>464 :名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 22:47:46 ID:VAiPZjkv

仏教では占いは禁止されています。
在家はとかもく、出家が占いをするなどありえない。
占い師は世俗の職業であり、しかも呪術だからです。
信者さんたちは、スリランカの「高僧」から、桐山さんはトラック何台分もの
徳をもって生まれたなんて占ってもらったと本気にしているのだろうか。
もし、そのスリランカの坊さんが占いをしたとすれば、高僧ではなく「低僧」、つまり破戒僧です。
阿含宗が批判している日本の伝統仏教ですら、まともな坊さんは占いはしない。
密教には宿曜経という占いの経典があるが、
研究の対象にはなっても、占いに使う坊さんは稀です。
ところが、その稀な自称坊さんが桐山ゲイカです。
466名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 22:53:38 ID:VAiPZjkv
>>464 :名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 22:47:46 ID:VAiPZjkv

坊さんが占いをすること自体が破戒です。
桐山さんは坊さんではないから破戒のしようもないという冗談はともかく、
桐山ゲイカの占いはまさに「疑妄して人を惑わし」「多人を誤惑し」た。
『一九九九年七の月が来る』では、長年の桐山さんの占星術の
研鑽の結果だという「天象三九秘宿法」で、地球壊滅を大予言した。
467名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 22:54:47 ID:VAiPZjkv
『一九九九年七の月が来る』150頁、1995年

前の節にのべた天象三九秘宿法の、星の原理にもとづいて得たものを、次に
記す。
つまり、一九九五年から「危」に入って、全地球的な危機の時代となり、九
七年に、さらにその度が強まる。しかし、それで終わりとならず、反転して、
九八年に、ふたたび「危」の時代に入り、二〇〇〇年に「滅」をむかえる。そ
して、二〇〇〇一年に、回復、安定に向かう、という構造である。
「九道」において、このような「反転」があらわれるのはあまり例がなく、過
去三〇〇年の歴史で、二度あっただけである。そのことも、「天象三九秘宿法
解説」で書くことにしよう。(二〇〇〇一年、などの表記は原文のまま)
468名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 22:59:00 ID:VAiPZjkv
>>467 :名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 22:54:47 ID:VAiPZjkv

阪神大震災や地下鉄サリン事件が起きて、人々が強い不安にかられていた1995年、
まるで火に油をそそぐかのように書かれたのが>>467の本です。
桐山さんにとっては他人の不幸こそが蜜の味です。
桐山さんは、「危」や「滅」とは占いの象意であり、
危機や滅亡の意味ではないなどと言い訳をするつもりでしょう。
しかし、2001年には回復安定に向かうというのだから、
「危」「滅」はこれらとは逆の意味に使われている。
本が出た1995年当時の信者たちは桐山さんのこの予言を読んで、
いよいよ地球壊滅が始まると信じ込み、この後に13運動に突入した。
しかし、現実には桐山さんが一番危ないと占った1999年と2000年には何もおきなかった。
469名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 23:04:57 ID:VAiPZjkv
>>464 :名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 22:47:46 ID:VAiPZjkv

信者さんたちは桐山さんのこういう予言は警告なのだと言い逃れるでしょう。
その言い逃れは成り立ちません。
なぜなら、地震予知の専門家たちは、地震予報を出して災害に備えるように言っても、
「私のマジナイ札を買えば助かる」とは言わない。
彼らは科学的、経験的な根拠を示して、警告をしているにすぎない。
科学的、経験的な根拠を示さずに予報を出したら、当たり外れは別として非難される。
ところが、桐山さんの根拠とは、これまで当たった証拠のない占いです。
名前だけは「天象三九秘宿法」などと仰々しいが、
「光明解脱大日護摩極秘伝次第」と同じで、名前だけで、中身が伴わない。
密教占星術奥伝と称して、他人の本をかっぱらってきたのが桐山さんですよ。
天象三九秘宿法も解説の端々からわかるのは、
宿曜経と九星を組み合わせただけのつまらない占いでしょう。
内容がつまらなくても今まで地震を言い当てたというならともかく、
桐山さんは天変地異を外したことはあっても、当てたことなど一度もない。
事実、1995年には星まつりで、「東京で震度6の大地震か起きる」と予言して、
中外日報(2月21日付)にまで載ったというのに、見事に外した。
470名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 23:08:01 ID:VAiPZjkv
>>467 :名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 22:54:47 ID:VAiPZjkv

こんなデタラメな占いを元にして、地球壊滅が来るかのように言うだけでも
反社会的な行為なのに、桐山さんは地球壊滅で助かりたければ、
阿含宗と自分に帰依するように説いた。
こういうのを予言や予報ではなく、脅迫というのです。
横変死の因縁が40%、強い肉体障害の因縁が50%に達しており、
世紀末の地球壊滅で健全でいられるのはわずか10%だと書いた。

『一九九九年七の月が来る』84頁
「あなたは、この10%の中に入るか、四〇%の中に入るか、どちらだと思っているであろうか。
また、あなたの最愛の人は、どうであろうか?
その答えによって、あなたが、いま、なにをさしおいてもなさねばならぬことが何であろうか、
おわかりになるのではなかろうか?」
471名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 23:13:48 ID:VAiPZjkv
>>470 :名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 23:08:01 ID:VAiPZjkv

>>470の「なさねばならぬこと」とは何を指しているかは明瞭です。
阿含宗に帰依しろと言っているのです。
阪神大震災での犠牲者のようになりたくなければ、
自分の最愛の人を死なせたくなければ、阿含宗でナモナモしろと言っているのです。
信者さんがどう思おうが、こういうのをカルト宗教といいます。
教祖に帰依しなければ地球壊滅などの大災害で死んでしまうぞと脅かすのをカルト宗教というのです。
桐山さんが本に書いたことは、まさに
根拠のない占いで「疑妄して人を惑わし」「多人を誤惑し」た。
他人の不幸や不安に乗じて、悪事をなすことを火事場泥棒といい、品性下劣な行為です。
しかも、世紀末地球壊滅予言がバカ外れしても懲りずに、まだやっている。
472名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 23:15:45 ID:VAiPZjkv
『ダルマチャクラ』167号、2004年
この星が中宮に入るとまず、戦争、動乱、地震、台風というような天変地異が考えられます。
今年特に注意したいのは、やはり地震です。
わたくしは今年はかなり強い地震が起きると思っています。
起きる場所は、五黄土星が中宮に入りますから、日本の中心、
つまり関東地方・東京を中心に地震が起きると思っています。
また、テロが起きる可能性もありますから、十分な必構えを持たなければなりません。

『守護神を持て』169頁
わたくしは、この文章中で「この30年のうちの、あと10年に、人類の限界を見るのである」と言っている。(169頁)
この、「あと10年」とは、まさしくいま、2001年から2010年を指して
いるのである。すなわち、それは「現在の10年」なのだ。そしてその現在の10
年の、始まりの一年目に、9.11のニューヨークのテロが起きたではないか。
473名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 23:20:47 ID:VAiPZjkv
>>472 :名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 23:15:45 ID:VAiPZjkv

占いや予言で脅かしては外れるのが、桐山さんの運命の反復のようです。
相変わらず、九星占いなんて子供騙しの占いを使って人を脅かしている。
2004年に関東地方・東京を中心に強い地震と
言わなければならない程の地震やテロはありましたか。
こうやって信者を脅かして、柴燈護摩というイベントに駆り立て、
金と人を集めさせ、その金を自分と一族の貴族生活に使い、海外に投資して、勲章を買い集める。
まさに「多人を誤惑し以て財物を求めたり。」
こういうことをした2500年前の占い師たちは、
京都から職員に料亭の弁当を毎日届けさせている桐山さんのような贅沢をしていたのでしょう。
だが、彼らの死後は、「已に地獄の中にて無量の苦を受く。
地獄の余罪にて今此の身を得るも続いて斯の苦を受くる」
すでに一度地獄に堕ちて無量の苦を受けており、
霊障のホトケとなってさまよい苦しむのはそのオマケだというのです。
釈尊によれば、これが桐山さんの亡くなった後の姿です。
474鳩摩羅什:2005/11/07(月) 23:22:29 ID:yNBf83yo

仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一
切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是
諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽
無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙
故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅
三貌三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切
苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩
婆訶般若心経
475名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 23:28:31 ID:VAiPZjkv
>>472 :名無しさん@3周年:2005/11/07(月) 23:15:45 ID:VAiPZjkv

ところで、信者さんたちはいかがなものか。
信者さんは、ALCは占いを悪用していないし、金品も受け取っていないというでしょう。
しかし、自分が悪いことをしていないつもりでも、
占いで、因縁や霊障、天命殺などという何の根拠もない話をして霊的に脅かし、
入行、護摩木、解脱供養、冥徳供養に結びつけ、
これがALCには徳という財物になるのだから、経典のト占師と同じ事です。
経典に出てくるト占師は神仏の名前を使って人を脅かしたとは書いていない。
一方、阿含宗はなんと釈尊を占いの看板にしている。
占いを禁止した釈尊の名前を使い、霊感商法まがいの占いで入信や宗教グッズのお勧めをする。
あなた方のしていることのほうが、経典のト占師よりもはるかに何倍も悪質に見えます。
そんなに霊障のホトケになりたいのですか。
いくら釈尊を拝んでもこういう悪業は消えません。
釈尊は因縁解脱、業解脱など説いていないからです。
やってから消すことを考えるよりも、やらないのが一番です。
もっとも、ザのスレの使者さんや星祭さんなどを見ていると、
業解脱を説く桐山ゲイカにあの世までお供するのが一番ふさわしいのかもしれない。
476名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 12:49:52 ID:Q4m5rBRt
『間脳思考』で信者さんたちにもう一つ着目してほしいのが堕胎経です。
内容的には好戦経と同じだが、桐山さんが42ある経典の中からわざわざ選んだのには理由がある。
水子の霊障で脅かすため?
いいえ、天下の霊感商法の詐欺宗教家・桐山靖雄殿ですよ、
そんなありふれた素人が予想するようなものではない。
経典は『間脳思考』の139頁、解説は167頁です。
先に申しあげておきますが、中絶の是非を議論するつもりはありません。
前にこの経典について議論になった時も、話が中絶の是非になってしまっていた。
ここでは中絶ではなく、人々の弱みや後悔や同情心を利用して
人々を霊的に脅かし、金と人を集める霊感商法について批判しているのです。
477名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 12:52:34 ID:Q4m5rBRt
>>476 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 12:49:52 ID:Q4m5rBRt

桐山さんは「子のいのちを断つ悪業のむくい」と題して、
中絶したら、全員が「肉段」となって苦しむのだという論調です。
つまり、阿含宗に帰依しない限り、中絶したことのある人は全員が
死後、霊障のホトケとなって、苦しむことになる。
すさまじい話です。
戦争で人を殺したら霊障のホトケになって苦しむというなら、
赤紙一枚で戦争に駆り立てられ、国と家族を守るために戦争をした人たちも地獄に落ちることになる。
他にも屠殺業や漁師、猟師についての経典があるが、
これらの職業の人たちは全員地獄に堕ちて、霊障のホトケになって苦しむのか。
釈尊はいくらなんでもそんなことは説いていません。
好戦経の例がそうであるように、この霊障のホトケとやらは生前に
戦争を好楽(コウギョウ)して、面白半分に人を斬り殺した。
ト占師経、ト占女経でも、占いをしたから死後苦しんでいるのではなく、
占いで人を騙し、財産を得たというのだから、多くの人を泣かせた。
占いをする宗教家だから地獄に堕ちるのではなく、
人々を霊的に脅かし、縛り付け、金と人を集めさせるという悪業をなすから
地獄に堕ちて、その後にも霊障のホトケになったのです。
478名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 12:57:43 ID:Q4m5rBRt
>>476 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 12:49:52 ID:Q4m5rBRt

こういう前後の経典群の主張の流れからみたら、中絶は悪業だが、
だからといって、即刻地獄堕ちるなんて言っていない。
屠殺業や漁師、猟師など動物を殺さざるを獲ない職業の人たちは全員地獄に堕ちるのか。
だったら、他人に殺させて、これを食べている我々はどうなのだ。
釈尊だって肉を食べていた。
不殺生なんて言って菜食主義をしても、植物も命があり、
結局、他の命を奪わないでは一日たりとも生きていられないのが人間です。
ジャイナ教のように断食して死ぬのがもっとも慈悲深いのか。
釈尊はこういう極端もまた批判して、中道という仏教の重要な思想を説いている。
479名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:00:21 ID:Q4m5rBRt
>>476 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 12:49:52 ID:Q4m5rBRt

釈尊は中絶した者が即刻地獄に堕ちて、霊障のホトケになるなどと言っていない。
それを桐山さんは、まるで全員が地獄行きだと釈尊が述べたかのように書いている。
非常に悪質です。
桐山さんには中絶の経験のある者に逃げ場を与えず、
徹底的に追い込み、自分の思い通りに誘導したい。
まず、他人事だとノホホンと聞いている男性の逃げ道を塞いだ。
信者から出た「なぜ女性だけが業苦を受けるのか」という質問を利用した。
責任は男女両方にあるに決まっている。
しかし、問題は、桐山さんが示した根拠です。
480名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:05:04 ID:InbOHxcL
>>476 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 12:49:52 ID:Q4m5rBRt

桐山さんの根拠は、6対4くらいの割合で男性も水子の霊障を受けているからというものです。
信者さんたちには不思議ではない表現かもしれないが、
ここに桐山さんのとても子供じみた心がよく現れている。
「中絶は男性にも責任がある」ということと、
「男性も水子の霊障を受けて不幸になる」というのでは話の内容がまるで違う。
後者は責任という自己の行いを反省するのではなく、
霊障という罰を受けるのが嫌だからするべきではない、という意味です。
桐山さんの頭の中は、こんなふうに、賞罰で物事が決まっている。
釈尊は自分で考え、自分で善悪を判断して、自分から反省することを説いた。
桐山さんはカルマの法則とか、仏罰や天罰という自分以外からの賞罰で判断するのです。
自分以外の神仏や法則で縛らないと判断できないのは、子供です。
だから、桐山さんの教えは御利益というアメと、悪因縁や霊障というムチでできている。
そしてこれらを解決するのに、判断し責任をとる自己を確立するのではなく、
仏や教祖に依存して、隷属するように説いている。
釈尊の教法とまるで逆です。
481名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:09:52 ID:InbOHxcL
>>476 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 12:49:52 ID:Q4m5rBRt

男性の逃げ道をなくしただけでなく、信者の逃げ道もなくし、もっと追いつめた。
信者からの「水子を解脱供養で成仏させただけでは済まないのか」という二つ目の質問です。
「それだけでは済まない。罪業、罪障がある」というのが桐山さんの回答です。
桐山さんは、泥棒が盗んだ品物を返したからといって罪が消えるわけではないというたとえをしている。
信者が10万円で水子の解脱供養をして成仏させても、まだ罪障が残っており、

「罪障消滅の供養をあわせおこなって、悪因縁解脱をはからねばならぬ」(170頁)
482名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:14:23 ID:InbOHxcL
>>481 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:09:52 ID:InbOHxcL

上記の一文で桐山さんが何をしろと言っているかわかりますか。
「10万円だけでは足りないから、教団にもっと金と人を出せ、
そうすれば、おまえの罪障も帳消しにしてやろう」と言っているのです。
免罪符と発想が同じであることに気が付いてください。
しかも、水子の解脱には10万円という金額が明示されているが、
罪障消滅のための免罪符には値段がついていない。
罪障自体がどのくらいあるのか桐山さんにしかわからないのだから、
これでいいというまで、無限に続くのです。
信者さんたちに無制限の借金返済をさせることができる。
悪業という借金の証書を桐山さんが手に入れたかのように見せかけ、
これを脅迫ネタにして、借金のカタに宗教奴隷にされたのが
中絶の経験のある信者さんたちです。
483名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:18:11 ID:InbOHxcL
>>481 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:09:52 ID:InbOHxcL

水子を供養してあげようという気持ちと、水子の解脱供養は違います。
信者さんたちは桐山さんの成仏力で水子は成仏すると信じている。
だが、桐山さんは存在しない18人の霊障武士が霊視して、成仏させた人ですよ。
護摩の火を『チャンネルを回せ』では、女性たちの霊が集まった姿だと書き、
『守護霊を持て』では自殺した女子大生の霊だと書いた。
こういう桐山さんの霊能力や成仏力とやらを信じて、10万円出した。
桐山さんの霊能力って、こんなにデタラメなのですよ。
しかも、請求書は10万円では済まないという。
阿含宗にもっともっと供養という名前の貢ぎをして、
悪因縁を切らなければ、あなたはこの世では不幸のどん底に落ち、
死んでからも、肉段になって苦しみ続けるのだという。
それがいやなら、一生阿含宗の宗教奴隷になり、金と人を貢げと言っているのです。
484名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:21:39 ID:InbOHxcL
「罪が許される一つの条件にはなるけれども、
それですべて許されてしまうということにはならない。」(169〜170頁)

解脱供養を出すことは、罪が許される最初の条件ではあるが、
もっと阿含宗に供養しないとすべては許されないというのです。
これを読んで、何も奇妙だとは感じないとすれば、信者さんはまだ仏教を理解していない。
仏教には、誰かが誰かの罪を許すなんて考えはありません。
釈尊にどんなに懺悔して、金品を差し出せば、「ヨッシャヨッシャ、
お前の悪業は消えた。ほれ、免罪符を発行するぞよ」なんて言ってくれない。
釈尊は懺悔告白や、必要最小限の衣食住の供養は受け付けただろうが、
彼は神様ではないから、悪業を許し、帳消しにするなんてしないし、できません。
では誰が信者さんたちの罪を許すのでしょうか。
485名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:29:49 ID:InbOHxcL
「罪が許される一つの条件にはなるけれども、
それですべて許されてしまうということにはならない。」(169〜170頁)

桐山さんの上記の文章の主語は、実は桐山さんであることに気が付いてください。
桐山さんは仏への供養を条件としているかのように書いているが、
前述のように、仏である釈尊は信者の悪業を許して消すなんてしないし、できない。
過去の業や業報を断ち切る力など釈尊は持っていないからです。
結局、桐山さんは阿含宗に解脱供養という金や、
その後も金と人を提供すれば罪が許されると言いたいのですから、
自分に金品を提供して許しを乞えと言っているのと変わりない。
水子の霊障話で脅かすだけではなく、中絶への罪悪感を利用して、
男女を問わず、許して欲しければ、解脱供養だけでなく、
一生桐山さんに貢げ、というのが『間脳思考』の堕胎経での主張です。
さすがは霊感商法の家元と言われただけあって、見事な宗教奴隷、宗教家畜の作り方です。
486名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:57:59 ID:M/Vfjiku
供養など普通の寺院で普通にやっているよ。
水子供養でも、それ中心にやっている有名なお寺
もあるし、お地蔵さん沢山まつって風車が沢山回るとこ。
487名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 18:37:12 ID:nCKrBKKP
特殊なテレパシーによってのみ水子は成仏するのです。

冥界に送られるのです。

阿含宗しかできません
488名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 18:40:36 ID:juCeB5C/
いいえ、お地蔵さんの導きによって成仏するのです。
賽の河原で泣いている、水子を抱き上げてつれて
行ってくれるのです。
489名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 19:50:44 ID:yWudVT39
真に解脱すれば猊下のお話は全てなるほどと素直に理解できるはず。

仏陀の智慧は我々とは違う。

神仏はみな猊下とつながっているのだから猊下のお話だけを信じていればいい。
490名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 22:04:03 ID:nCKrBKKP
戦後60年で1億回の人工中絶があったの。これがニートの原因なの。

仏陀の智慧しか成仏できないでしょう。
491名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 22:58:34 ID:ixK8JXSm
>488
>490
実行委員長、相変わらずだね。
2ちゃんねるに書き込まないんじゃなかった?
>489
それを信じてると、実行委員長になるんだね。
492名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 12:34:01 ID:2+7T2rek
>>486 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:57:59 ID:M/Vfjiku
>供養など普通の寺院で普通にやっているよ。

阿含宗でやっている水子供養は普通のお寺でもやってるから同じだと言いたいのですか。
もしそうなら、486さんは阿含宗の事を知らないのです。
阿含宗の水子供養は普通のお寺の水子供養とは違う。
これは先祖供養、死者供養も同様です。
普通のお寺でも先祖供養や死者供養はするが、阿含宗のそれは似て非なる別です。
ちょうど>>487さんが良い例を出してくれた。
>特殊なテレパシーによってのみ水子は成仏するのです。
こんな仏教ではありえない変なことを言っているお寺はありません。
493名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 12:37:24 ID:2+7T2rek
>>486 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 13:57:59 ID:M/Vfjiku

普通のお寺では、水子が可哀想だから手を合わせて供養しましょう、ナモナモ、というやり方です。
ところが、阿含宗では水子とは「崇り霊」です。
子供の異常行動は水子の崇りだというのが桐山さんの説で、
『守護霊を持て』あたりに書いてあります。
>>480で述べたように、『間脳思考』の堕胎経で、水子の霊障は男女を問わず受けるというのは、
これは子供のことではなく、水子を持った大人を指しています。
阿含宗での水子は大人、子供に関わらず、激しく崇る存在なのです。
普通のお寺での供養とは、親なら懺悔の気持ちで手を合わせる。
ところが、阿含宗の水子とは崇り霊であり、恐怖の対象なのです。
それがどれほどの恐怖かはちょうど>>490さんが書いてくれた。
494名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 12:42:26 ID:2+7T2rek
>>490 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 22:04:03 ID:nCKrBKKP
>戦後60年で1億回の人工中絶があったの。これがニートの原因なの。

働きもしないでぶらぶらしているニートが社会問題になっているが、
その原因が水子だというのです。
水子が生きている人たちに祟るとか、ニートの原因になっていると説くお寺なんて聞いたことがない。
そんなお寺があるとすれば、それは阿含宗の真似をしたのでしょう。
普通のお寺はただ水子の供養をしているにすぎない。
普通のお寺の水子供養とは、可哀想だから、だけです。
ところが、阿含宗の水子供養とは、祟りをなす悪霊としての水子なのです。
阿含宗は水子供養という名前で、水子を人質にとり、
解脱させたかったら金を出せという。
阿含宗で解脱供養しなければ、水子は悪霊となり、霊障で生きている者に崇り、
家庭も人生もメチャクチャになるぞと脅かしている。
両者は水子供養と名前をつけているが、簡単に書けば、
普通のお寺・・可哀想な水子
阿含宗・・祟りをなす悪霊
と、中身は正反対です。
495名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 12:45:05 ID:2+7T2rek
>>490 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 22:04:03 ID:nCKrBKKP
>戦後60年で1億回の人工中絶があったの。これがニートの原因なの。

普通のお寺で、「うちで供養しなければ水子は祟る」なんていうの、あります?
坊さんとしても自分とこでやって欲しいだろうが、
「よそでやったってダメ」なんて普通は言わない。
しかし、阿含宗でなければ絶対ダメだと桐山さんは言っています。
お釈迦の成仏力を体得した桐山さんにしかできないのだそうです。
阿含経には水子はもちろんのこと、死者の成仏など説いていません。
事実、堕胎経でも、悪業をなした本人が死後苦しんでいるというだけで、
釈尊は水子が霊障を出して苦しんでいるとか、これを成仏させろとか、
生きている人に祟っているとも一切述べていない。
堕胎経とはいいながら、水子は登場しないのです。
桐山さんの言うように水子が祟るなら、42にある経典に水子経が出てきて、
霊障のホトケとなって苦しむ水子が描写されていいのに、ありません。
釈尊の教法の基本は自業自得で、悪いことをするな、ですから、他からの崇りなんてありません。
496名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 12:50:43 ID:2+7T2rek
>>490 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 22:04:03 ID:nCKrBKKP

『守護霊を持て』あたりでは、水子の霊障で脅かすだけだった。
ところが、『間脳思考』では、水子の霊障で脅かすだけでなく、
罪障という新しい商品を開発した。
解脱供養を出せば水子は成仏するが、罪障は残るから、
これを消すために教団にもっともっと金と人を貢げ、と言っている。
普通のお寺がこんなことを言っているなんて聞いたこともない。
桐山さんにしてみれば、水子は、信者を二度も三度も脅かせる有り難い道具です。
信者はすっかり桐山さんの宗教奴隷になり、矛盾を見つけても、
どう反応するかが、ちょうどザのスレで出ている。

>[85]K地区信者 05/11/09 05:25 7eKQ7bSiFH
>でも修行していて自分の思うようにならないときに自分自身の至らなさは、、と考えた場合その部分が最も大きいということですね。

ご覧のように桐山さんを批判するどころか、自分を批判して反省して、
しかも教祖に従順に反省する自分を誇り、他人に自慢している。
自分の至らなさと、桐山さんの矛盾とは別物だということすら気が付かない。
カルト宗教にはよく見られる「教祖への過剰な寛容」です。
497名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 13:00:10 ID:WaxDHR1Y
>[85]K地区信者 05/11/09 05:25 7eKQ7bSiFH
>でも修行していて自分の思うようにならないときに自分自身の至らなさは、、と考えた場合その部分が最も大きいということですね。

オウムの幹部たちがK地区信者さんと同じ反応をしていた。
麻原がどれほど俗物丸出しの醜悪なことをしていても、
それは、なにか深い深い聖者の智慧や意図があるのだと解釈するのです。
阿含宗も御同様であることは、信者が書き込んだ次の文章でもよくわかる。

>>489 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 19:50:44 ID:yWudVT39
>仏陀の智慧は我々とは違う。

ご覧のように、自分の思考を完全停止させている。
K地区信者さんと同じで、桐山さんは特別であり、凡人の知恵で推し量るのは間違いであり、
それは絶対にやってはいけないことなのだと自分に言い聞かせる。
桐山さんがあるが上にも欲しがるように見えるのは、
自分の餓鬼の因縁がそのように見せているのであるから、自分が悪いと反省する。
オウム信者の信じた解脱者は今は拘置所で垂れ流しをして、
阿含宗信者の信じた超人の仏陀様は脳梗塞を患い、ヨレヨレ状態です。
498名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 13:06:41 ID:WaxDHR1Y
>[85]K地区信者 05/11/09 05:25 7eKQ7bSiFH
>でも修行していて自分の思うようにならないときに自分自身の至らなさは、、と考えた場合その部分が最も大きいということですね。
>>489 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 19:50:44 ID:yWudVT39
>仏陀の智慧は我々とは違う。

信者の皆さんも他人事と思わずに、彼等のこの言葉を噛みしめて読んでください。
知性を放り出していながら、仏陀の智慧を説くというのだから、おもしろい。
智慧を賛嘆しながら、自らの知恵を捨てているのです。
命は地球よりも重いと主張しながら、機関銃を乱射するようなものです。
こんな矛盾したことを書きながらも、矛盾と感じないのは、
「脳味噌のゴキ捨」をしているからです。
桐山さんが信者さんたちに最も求めている供養とは、
金や人よりも、まず信者さんたちの知性や理性を差し出すことです。
桐山さんは仏陀の智慧で考える人で、信者さんたちは無批判に言われたとおりに実行する人。
上記の二人は脳味噌を捨てて宗教家畜となりはてたことを自ら宣言したのです。
499名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 13:12:34 ID:WaxDHR1Y
>>489 :名無しさん@3周年:2005/11/08(火) 19:50:44 ID:yWudVT39
>仏陀の智慧は我々とは違う。

こんなふうに見えない霊的な世界にすべての原因を押し付け、
死んだ人たちを人質にして、霊障などで脅かすのが、阿含宗の得意技です。
これをうまく本物のように見せるための手段に
堕胎経などの阿含経の権威や、神仏の現形写真を使う。
護摩に現形したという水子の写真も『霊障を解く』の口絵などに載っていた。
信者はあれを水子が成仏した写真だと信じている。
しかし、人の姿をしていると言われれば、そんな気もするという程度のただの炎です。
「いや、水子だ」というなら、一つ考えてほしい。
あの写真は頭に冠をかぶっているようにもみえるから、桐山さんから
菩薩の現形だと言われれば、信者さんたちは信じたでしょう。
桐山さんの霊能力や言葉を信じているだけで、何の証明にもなっていない。
ところが、信者たちは逆にこういう写真に阿含宗の正当性の保証を求める。
500名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 13:14:36 ID:WaxDHR1Y
阿含宗と桐山氏について―第十七章 ―から部分転載
>[91]○○屋 05/11/09 10:03 D-Oab/h
>わたしが、中沼さんにレスを求めた意図は、つまり、護摩の火炎に現われる現形が聖霊なのか。
聖霊だとすると、どういうわけで出てくるのか、という辺りを掘り下げたかったからです。

信者さんたちは、○○屋さんのこの態度がまるで逆であることに気が付いてください。
現形が聖霊かどうかは、現実の阿含宗の有様を見て判断するべきです。
阿含宗が本物であるなら、現形は本物の聖霊である可能性が出てくる。
「阿含宗が本物 → 現形は本物の聖霊」
と考えるのが順序であり、これを、
「現形は本物の聖霊 → だから阿含宗は本物」
と、○○屋さんは考えたいのです。
桐山さんから現形写真こそが阿含宗が本物であることの証拠だと教え込まれているからです。
501名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 13:19:32 ID:4daHsjsT
>[91]○○屋 05/11/09 10:03 D-Oab/h
>わたしが、中沼さんにレスを求めた意図は、つまり、護摩の火炎に現われる現形が聖霊なのか。
>聖霊だとすると、どういうわけで出てくるのか、という辺りを掘り下げたかったからです。

現形自体が曖昧で客観性は何もない。
桐山さんは、不成仏霊の現形写真を『チャンネルを回せ』では女性の霊の集まったものと書き、
『守護霊を持て』では自殺した女子大生だと書いた。
その場しのぎの実にいい加減なことを書いているのがよくわかる。
『輪廻する葦』にはムチャリンダ龍王の現形写真があり、その姿は龍なのだという。
だが、ムチャリンダ龍王はナーガ、蛇王であって、中国型の龍の姿などしていません。
仏教の龍王とは蛇王であり、普通はキングコブラの姿で表される。
仏教にはドラゴンの姿をした龍王など存在しません。
桐山さんが龍王を文字通りにドラゴンの姿をしていると信じ込んでいるからです。
応供の如来も伊達相平さんの本では金剛界大日如来の姿だと詳細に述べており、
桐山さんはこの本に推薦文まで載せている。
ところが、十年後には、あれは大日如来ではないと講義した。
これでは「現形は偽物 → だから阿含宗は偽物」の証明です。
502名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 13:23:27 ID:4daHsjsT
>[91]○○屋 05/11/09 10:03 D-Oab/h
>わたしが、中沼さんにレスを求めた意図は、つまり、護摩の火炎に現われる現形が聖霊なのか。

百歩譲って、あれらの現形写真に何か霊的な存在が写っているとします。
もし、そうなら、本尊、経典、僧侶の三宝からして偽物で、
教義の大半が自己矛盾する阿含宗に現形する霊的な存在とは何なのか?
「阿含宗がインチキ宗教 → だったら、現形は動物霊」
ということになります。
現形写真の中でも一番重要な応供の如来も奇妙な姿をしている。
釈尊であるはずなのに、チャラチャラした飾りを付け、印を結び、
しかも、正面ではなく、横向きに背を丸めている。
なによりも、信者さんたちには如来の衣の後ろを見てほしい。
ウエデングドレスのように、如来の衣が後ろ(写真の右側)に延びている。
その衣の下から、白い煙が真っ直ぐに出ている。
足があると思われる部分から真っ直ぐに延びている。
如来を作り出したのが炎であるにもかかわらず、この部分だけは白い煙です。
まるで、見事にふさふさした白いシッポのように見えませんか。
姿だけは大日如来に化けたが、シッポまでは隠しきれなかった。
あれが霊的な現形なら、シッポの生えた動物霊であることがはっきりと写っている。
503名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 13:27:16 ID:4daHsjsT
>[91]○○屋 05/11/09 10:03 D-Oab/h
>わたしが、中沼さんにレスを求めた意図は、つまり、護摩の火炎に現われる現形が聖霊なのか。

現実の嘘と矛盾で出来たような阿含宗なら、
応供の如来が、オキツネ様が化けたものであったとしても不思議ではない。
三宝からして偽物、因縁解脱の嘘、霊障話の嘘、霊的なことで人を脅かすカルト宗教、
教祖は名誉欲と物欲のかたまり。
こんな教団に現形する霊体があるとすれば、低級な動物霊以外にあるはずがない。
阿含宗では因縁相応という。
桐山さんと同レベルで、嘘が大好物で、虚栄心が強く、
人を脅かして土下座させて快楽を得るような動物霊です。
桐山さんのようなただの俗物がブッダを自称している教団ですから、
オキツネ様が如来であり、スネに傷のあるチンピラの蛇が大竜神です。
だから、不気味な霊障のホトケとされている現形写真は、
案外、あれこそは彼らが正体を暴露した時の姿かもしれません。
504樹意:2005/11/09(水) 18:11:42 ID:8hmdvhC9
ザのスレッドから転載
http://religion.bbs.thebbs.jp/1131118587/
阿含宗と桐山氏について 第十七章

[79]中沼源太郎 05/11/09 01:37 W64LNNroH5
ー(中略)−

星祭さんが何をわめいても、桐山さんが、チベット密教の法なる
ものを体得し、それを弟子に伝授できると豪語している詐欺性は
消えませんよ。彼はこういうことをいっている。
“チベット密教の中に、自分が成仏していなくても、霊魂を
 成仏させることのできる、チベットの成仏法がある。
 これはわたしだけ知っている。他は誰も知らない。これを
 屋敷浄霊法に盛り込むと、すごい力を発揮する。これで
 わたしが亡くなっても大丈夫です”
このような話しを冥徳祭でしたことがある。この真偽は私には
わからない。この伝授と、もしこの法の効力をこの目でみて
体感したならば、わたしは悪口のすべてを懴悔して、やりなおし
ましょう。しかし偽物、インチキ発言だとわかったら、絶対に
容赦しない。

体験を盛り込みつつ論ずるとは言っても、私の立場は“桐山宗教”“桐山靖雄さんの行為”の批判です。
505樹意:2005/11/09(水) 18:20:45 ID:8hmdvhC9
>>504

> “チベット密教の中に、自分が成仏していなくても、霊魂を
>  成仏させることのできる、チベットの成仏法がある。
>  これはわたしだけ知っている。他は誰も知らない。これを
>  屋敷浄霊法に盛り込むと、すごい力を発揮する。これで
>  わたしが亡くなっても大丈夫です”
> このような話しを冥徳祭でしたことがある。この真偽は私には
> わからない。この伝授と、もしこの法の効力をこの目でみて

源太郎氏の書き込みは含蓄が豊富であり このところ勉強させて
頂いているのだが この後に及んで握りこぶしの中に何かが
あると思われているのには驚きを隠せない。
仏陀の教法は蘊処界の法門であり このような教師の握りこぶしは無い
と説くのが仏陀の教法です。 
何よりもこの現実世界において嘘が多く、仏陀が沙門果経において
戒として やるなと諌めているものをやる教団が成仏を説くなどというのは
ありえない話です。
506樹意:2005/11/09(水) 18:25:34 ID:8hmdvhC9
>>504
> “チベット密教の中に、自分が成仏していなくても、霊魂を
>  成仏させることのできる、チベットの成仏法がある。
>  これはわたしだけ知っている。他は誰も知らない。これを

仏陀が形而上のことを説かないといったり 占いをするなと戒を
定めるのは、奈々氏さんがいうような理由もありますが、これ等はすべて
常見に通じ我見を増長するものですから、禁止されたものと思われます。
一切の煩悩は五蘊に我を認めるところから生じるからです。
507樹意:2005/11/09(水) 18:37:44 ID:8hmdvhC9
>>504
> “チベット密教の中に、自分が成仏していなくても、霊魂を
>  成仏させることのできる、チベットの成仏法がある。
>  これはわたしだけ知っている。他は誰も知らない。

こんな台詞はもう なんといいますか 中小企業の親父以下の発言
でしかなく、結局は何十年もやって後進を育てるでもなく 握りこぶしの
中は空っぽという証明のようなものです。
この教団で定める成仏の要件には 解脱を成就した聖師とやらが必要で
あるからです。 (まあ ぐちゃぐちゃのその場限りの 風呂敷です)
虹の階梯 とかいう本に確か、成就者は他の者を良い境涯に転生させる
能力を持つとかあったように記憶していますから 案外そういところから
パクって思いつきで言ったのでしょうが、
伝授しようにも伝授できないというのが本当のところなのでしょう。

508名無しさん@3周年:2005/11/09(水) 19:20:00 ID:ssqcT5V+
>こんな台詞はもう なんといいますか 中小企業の親父以下の発言
でしかなく、結局は何十年もやって後進を育てるでもなく 握りこぶしの
中は空っぽという証明のようなものです

中小企業の親父の経営者を侮蔑しています。
撤回してください。
509樹意:2005/11/09(水) 20:15:59 ID:8hmdvhC9
>>508
> 中小企業の親父の経営者を侮蔑しています。
> 撤回してください。

ROM者を意識して
苦し紛れに 論点を摩り替えるいつものやり方が始まりましたね。
無駄です そういうことは。 
前回はチベットの問題での発言に 同様の論旨のすり替えがあったようです。
私は中小企業の親父さんたちは尊敬の対象ですし
侮蔑したつもりもありません。
ですから撤回はしません。
後進の育成は中小企業の親父さんですら布石を打つことです。
この教団が説く内容において矛盾が生じているということです。

まともなビジネスを展開し税金を納め社会に貢献する法人と
税制上の優遇措置を受けながら 嘘を前提とした利益を得ようとする
法人では比べようにも比べようがありません。
510樹意:2005/11/09(水) 20:36:24 ID:8hmdvhC9
>>504
> “チベット密教の中に、自分が成仏していなくても、霊魂を
>  成仏させることのできる、チベットの成仏法がある。
>>508
> 中小企業の親父の経営者を侮蔑しています。

何処がどう侮蔑であるのか指摘して下さい。

本来の仏陀の出家は詩と唱えた報酬すら拒否するのが 生活の決まりです。
阿含経を依経とするなら当然この決まりに従わなくてはなりません。
この教団の教祖は企業経営者をやっており 宗教法人から関連企業を
あわせるなら当然中小企業の範疇を超える規模であるといえるでしょう。
精白児やボケ老人すら社会復帰させると宣伝した グモンジ法を持つ教祖が
後進の手当てすらままならない現状を指摘しています。
また 経営判断の面から見ると実質自分が全権を握った状態でこの教団を
後に残す布石であると考えます。 まあ 伝授しようにもできないというのが
正解なのでしょう。


511樹意:2005/11/10(木) 05:09:39 ID:oyX5rE4C
言葉刈りの反論をお待ちしておりましたが 無いようです。
本題である批判には正面から反論できないものですから 
いつも何かしら 言葉尻をとらえようとされているようです。

霊的なものも否定しませんし 法力 通力を自称したって
そんなのは自由です。
ザのスレッドの源太郎氏が今念力の護摩次第について いろいろ
書かれているようですが、実際ある程度の真剣さや通力めいたものも
あるのかもしれません、私もこの教団とのかかわりのある識魂なのかどうかは
解かりませんが 変な識魂を意識したこともあります。

ただしーー それと信仰の実質依りどころとしない
阿含経典を依経であると自称することや(権威のみ使用)
現実世界や(自身の信仰 本尊等)で嘘を根拠にすることは
まるっきり次元の違う議論です。
仏陀に対する冒涜であり、この教団の教祖はじめ関係者 信者が
悪趣に落ちる原因となるでしょう(実際の阿含経には根拠があり、奈々氏
さんが説かれています。)
奈々氏さんはじめ批判側諸氏は そういう意味でも 阿含経に
基づいた警告を発しているのであると 理解して頂きたいと思います。
512名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 07:09:50 ID:YFKx+163
↑自分の言葉と気分に酔っているだけじゃねえのか(笑)。
釈迦でもないのに悪趣に落ちると決め付ける。
その慢心こそ悪趣への因となるんだよ。
513名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 12:37:42 ID:xt9laLjr
阿含宗と桐山氏について―第十七章 ―から部分転載
>[124]○○屋 05/11/10 01:38 //om86Otj9
>ユビキタスさんは依存信仰は本道ではないといつも言いますが、
>仏教の成仏について全くわからなかった日本の民衆に「ニルバーナ」を目指すことを教えたのは猊下の功徳でしょう。

使者さんやOO屋さんの書き込みを読んでいると、阿含宗の是非の議論以前の
仏教のごく一般的な部分での知識がないのには驚かされます。
OO屋さんなど行歴のも長く、輪廻からの解脱を目指しているというから、
仏教を勉強しているのだろうと思っていたが、
どうやら、桐山オカルト仏教以外は学んだことがないらしい。
なんと日本で民衆にニルバーナを教えたのは桐山さんだという!!
これは阿含経を広めたのは桐山さんだという主張よりももっとすさまじい。
学校でどういう歴史や倫理社会を習ったのだ?!
日本に仏教が輸入されてから約1500年、その間、僧侶たちが何を目指したのか?
俗物の坊さんはともかく、出家が目指したのは解脱、つまりニルバーナに至ることです。
仏教の成仏とは何かくらい普通の坊さんたちが民衆に教えてきた。
だから、除夜の鐘は108なのです。
あれは煩悩の数です。
鐘を聞きながら、一つ一つの煩悩を来年に持ち越さないようにする。
煩悩を断ちきる方法が各宗派で違っているだけです。
一方、ニルバーナを伝えたという桐山さんが何を説いているか。
514名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 12:43:06 ID:xt9laLjr
>[124]○○屋 05/11/10 01:38 //om86Otj9

『修行者座右宝鑑』106頁
「仏陀は、業からの脱出、業からの超越を説いて、成仏法を教えた。」

桐山さんの説いている解脱とは、業からの解放、カルマからの脱出です。
これを阿含宗では因縁解脱と言っている。
俗人の持つようなおおまかな因縁をなくすことは因縁切りであり、
どんな小さな因縁も残らないまでに切ることが因縁の完全解脱といって、
これを有余依涅槃の聖者、つまり仏陀だと桐山さんは述べている。
つまり、桐山さんの成仏の定義とは、業から解き放たれることで、これを涅槃と読んでいる。
桐山さんの成仏、解脱、涅槃の定義は仏教のそれではありません。
まったく間違っている。
大乗仏典を依経とする伝統仏教ですらしていない間違いです。
515名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 12:44:07 ID:xt9laLjr
『一九九九年七の月が来る』82頁
難行苦行をかさねた結果、ゴータマは、遂に、このカルマを断ち切って、
身心を繋縛する因縁から解脱する方法を完成した。
つまり、釈尊に樹立された真実の仏教には、このカルマを断ち切る方法が伝えられているのである。

『岩波仏教辞典』225頁
解脱・・・煩悩から解放されて自由な心境になることをいう

『岩波仏教辞典』647頁
涅槃・・・煩悩の火が吹き消された状態の安らぎ、さとりの境地をいう
516名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 12:50:33 ID:nLcgdcxB
>>515 :名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 12:44:07 ID:xt9laLjr

信者さんたちは、桐山さんの解脱や涅槃の定義と、学者の定義の違いをよく見て、
まったく違うことに気が付いてください。
学者のは知識にすぎない、などと反発しないで、まず学者の説も読んでみることです。
学者は解脱はしていないかもしれないが、釈尊が阿含経で述べた解脱や涅槃とは何かを
言葉を使って定義しているのです。
ノーベル賞を取れる人は少数だが、ノーベル賞とは何かを説明することは誰でもできる。
これと同じで、涅槃や解脱に至ることは困難でも、説明は学者にもできます。
ご覧のように、煩悩を断ち切ることが解脱であり、涅槃であり、断ち切った存在を仏というのです。
業なんてまるで関係ない。
517名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 12:55:17 ID:nLcgdcxB
>>515 :名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 12:44:07 ID:xt9laLjr

桐山さんの解脱や涅槃の定義は、カルマからの脱出です。
しかし、阿含経の釈尊の解脱や涅槃とは、煩悩を断ちきることです。
まるで違うではありませんか。
解脱や涅槃の定義が違ったら、もはや仏教ではない!
阿含宗は外道だ、オカルト仏教だと批判するのは悪口ではなく、
一番肝心な解脱成仏、涅槃の定義が違っているからです。
目標が違ったら、まったく別な宗教です。
阿含宗でも煩悩を心の因縁としてこれを断ちきることをいちおう説いている。
だが、桐山さんは煩悩を切ることを「小解脱」、
悪業や悪因縁から解放されることを「大解脱」と称して、
カルマを断ち切ることこそが解脱であり、煩悩を切ることはオマケのような扱いです。
経典に出てくるから無視できないだけで、「小解脱」とくさしているように、さして価値を置いていない。
釈尊は煩悩を断ち切ることにのみ価値を置き、これしかないと説いているのです。
518名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 12:56:30 ID:nLcgdcxB
「阿含経講義」『ダルマチャクラ』38号、1992年

煩悩の解脱と業の解脱
解脱するためには、十結をすべて切らなければいけないとお話ししましたが、これら
の煩悩は到底自分の力だけでは切れません。仏の加護、仏の加持力というものがなか
ったならば、煩悩などとても断てないのです。仏の力が自分に加わって初めて、煩悩を
切る力や修行を続ける力が湧いてくる。
また、煩悩を切りさえすればそれでよいというものでもない。なぜならば煩悩をなく
しても、それまでの煩悩だらけの自分がつくつた不徳(=悪因緑)は消えないからです。
ひとくちに 「解脱」と申しますが、「解脱」
「小解脱」と「大解脱」 の二種類が
あるわけです。「小解脱」というのは、煩悩から解き放たれることで、いわゆる「煩悩
解脱」です。それに対して「大解脱」というのは、悪業や悪因緑から解き放たれる「因
縁解脱」のことなのです。
519名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 13:00:59 ID:nLcgdcxB
>>518 :名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 12:56:30 ID:nLcgdcxB
煩悩の解脱と業の解脱

桐山さんは>>518で「煩悩の解脱」と書いている。
こういう表現自体がいかに解脱を理解していないかをよく表している。
解脱とは煩悩を断ちきることだから、煩悩の解脱などと言ったら、
「煩悩の煩悩切り」というようなおかしな表現なのです。
前に、使者さんがこのことを指摘していたから、
使者さんのほうが桐山さんよりも仏教を理解していることになる。
桐山さんのいうような大解脱、小解脱など仏教にはありません。
因縁解脱などもちろんない。
桐山さんの説明でもう一つ仏教では絶対にありえないことが書いてある。
520名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 13:04:17 ID:nLcgdcxB
>>518 :名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 12:56:30 ID:nLcgdcxB
「これらの煩悩は到底自分の力だけでは切れません。仏の加護、仏の加持力というものがなか
ったならば、煩悩などとても断てないのです。」

これは釈尊の教法とは正反対のことを説いている。
釈尊は自分の力だけで煩悩を断ち切れと説いているのです。
信者さんには仏の加持力という表現に慣れ親しんでいるだろうが、
阿含経にはこんな力は存在しません。
阿含経のどこを読んでも、釈尊が弟子や信者たちが煩悩を切るのに
「加持力」といった神秘力を貸したなんて話は出てきません。
加持力を成仏力と言い換えてもかまわない。
成仏力なんて単語は阿含経にはありません。
信者さんたちが仏様にナモナモして、お力にすがり、頼りたい気持ちは
私も俗人であり、信者時代に同じ事をしましたから、よおーーくわかります。
しかし、阿含経の釈尊はいっさいそんなことは認めていないし、否定しています。
521名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 13:05:15 ID:nLcgdcxB
大パリニッバーナ経、『ブッダ最後の旅』中村元、64頁

アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、
他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしないでい
る人々がいるならば、かれらはわが修行僧として最高の境地にあるであろう、−誰でも学ぼうと望む人々は。」
522名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 13:09:57 ID:hv0tEnPY
>>521 :名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 13:05:15 ID:nLcgdcxB

これは信者さんたちもご存じの、「自灯明・法灯明」の有名な場面です。
「わたしの死後にでも」とあることに着目してください。
釈尊が生きていようが、死んでいようが、関係ないと述べているのです。
こういうと、信者さんたちは「死後は仏舎利がある」というだろうが、
仏舎利を拝めばなんとかなるというなら、
生きている時の釈尊は全身舎利なのだから、これを拝めと言ったはずです。
しかし、そんなことは説いていない。
遺体の処理について質問に、釈尊は四辻に仏塔を建てるように遺言した。
真偽のほどは学者に譲るとして、
その理由は、仏舎利に金品を差し出し、拝めば功徳が得られるとは説いていない。
「花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、また心を浄らかに
して信じる人々には、長いあいだ利益と幸せとが起こるであろう。」
「心を浄らかにして」というのだから、煩悩をなくしてという意味です。
仏塔を拝む時、釈尊の教法である八正道を思い出して、
これを実践するなら、長いあいだ利益と幸せとが起こるであろうという普通の教えです。
どこにも、釈尊や仏舎利から成仏力が垂れ流れてきて、
信者の煩悩をチョン切って、解脱が得られるなんて説いていないのです。
523名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 13:15:48 ID:hv0tEnPY
>>521 :名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 13:05:15 ID:nLcgdcxB
「アーナンダよ。今でも、またわたしの死後にでも、誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、」

桐山さんのように仏の加持力がないと成就しないというなら、
なぜ「自らを島とし」なのですか。
そういうと信者さんたちは「法をよりどころとし」とあるのだから、
これが加持力ではないか、というかもしれない。
この法とは、信者さんたちの大好きな七科三十七道品、簡単にいえば八正道のことです。
八正道には仏の加持力に相当するものはありません。
信者さんたちは上根、下根などと桐山さんからオカルト仏教を教えられているが、
釈尊の教法には上根の成仏法、下根の成仏法などありません。
ちょうどザでユビキタスさんが説明しているように、
あれは桐山さんが自分だけが特別だと言いたいために作り上げた概念です。
在家も出家も修行の基本は同じで、八正道です。
だから、釈尊は「誰でも」と述べている。
524名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 13:18:15 ID:hv0tEnPY
>>521 :名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 13:05:15 ID:nLcgdcxB

「他人をたよりとせず」「他のものをよりどころとしない」とある。
自分以外の他人というのだから、たよりとしないのは釈尊や桐山さんも、仏の加持力も含まれる。
応供の如来とやらに人と金を差し出すと、
見返りにくれるという功徳も、自分以外ですから「他のもの」です。
釈尊はこれらのものを頼りにしたり、拠りどころとするなと説いている。
信者さんたちが金品を差し出して、その見返りに仏から力を得て、
解脱を得ようとすること自体、釈尊は否定しているのです。
釈尊は、自分で八正道を実践しろと説いているだけです。
そのためには、桐山さんや仏の加持力どころか、釈尊本人すらもいらないのが仏教です。
釈尊本人すらいらないのに、その遺骨などなおさら必要としない。
525名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 13:21:46 ID:hv0tEnPY
>[124]○○屋 05/11/10 01:38 //om86Otj9
>仏教の成仏について全くわからなかった日本の民衆に「ニルバーナ」を目指すことを教えたのは猊下の功徳でしょう。

桐山さんは業解脱を説き、煩悩を切るのですら、
仏の加持力、つまりは桐山さんの法力に頼るように説いた。
釈尊は業解脱など説いておらず、自力で煩悩を切ることを説いており、
そのためには八正道を自分が実践することであり、これが解脱であり、涅槃です。
仏の力に頼るように説いたら、頼るなという釈尊の教えに反することを説いている。
中身も方法も手段も、まるで違うことを説いている桐山さんのどこが、
一番民衆に涅槃を伝えたことになるのですか。
むしろ、この人くらい解脱や涅槃を誤って伝えた人はいない。
もののたとえではありません。
なぜなら、解脱とはカルマからの解放だと桐山さんに教えられ、
これを本気にして、とんでもないことをしでかした愚か者が一人いた。
526名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 13:26:54 ID:hv0tEnPY
>[124]○○屋 05/11/10 01:38 //om86Otj9
>仏教の成仏について全くわからなかった日本の民衆に「ニルバーナ」を目指すことを教えたのは猊下の功徳でしょう。

麻原彰晃です。
桐山さんのカルマ解脱を本気にして、カルマを断ちきって解脱者となったのだから、
どんな悪行をなしても、カルマの束縛や業報を受けることはないと信じた。
愛人をたくさん囲っても、飽食をしても、さらには人殺しをしても、
これらの悪業は報いが解脱者には来ないのだから、何をしてもいいことになる。
その結果が、サリン事件です。
信者さんたちは阿含宗はオウムとはまるで関係がないと思っており、
よさんは一方的な被害者だと書いていた。
だが、桐山さんが誤った解脱や涅槃を説いたことが、
麻原の犯罪に思想的な手助けをした事実を見ることです。
多くの人たちを間接的に苦しめている。
涅槃を目指すことを一般大衆に広めたどころか、誤った概念を流し、
殺人に思想的なヒントを与えたという点で宗教的には桐山さんは大罪です。
527樹意:2005/11/10(木) 18:30:53 ID:GBVDwrm+
>>[512]名無しさん@3周年<>
>↑自分の言葉と気分に酔っているだけじゃねえのか(笑)。
>釈迦でもないのに悪趣に落ちると決め付ける。
>その慢心こそ悪趣への因となるんだよ。

経典に戒として示してあることです。
これをより所としないなら根本仏教などと名のらなければいいのです。
以下もう一度読み直してみてください。
>>[461]名無しさん
>供養と称する金集め人集めのために、釈尊の教説をねじ曲げ、
>時には正反対の意味にとり、釈尊を鉄槌に使って人々>の頭上に振り落とす。
>死後は、釈尊によれば「饒益せざる苦を受ける」ことになり、
>桐山さんによれば「地獄に落ちるのである」という。
>信者さんたちは死後こんなふうになるために金と時間をかけていることになる。
528名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 19:42:45 ID:NnpApzWa
そんなことより自分が実践して成仏しなきゃね。
529阿含宗会員1:2005/11/10(木) 22:59:43 ID:53ba1J4I
今日は沖縄出張中、相変わらず 戯言け論を言い合ってるね。
体験に勝るものなし

530名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 23:51:48 ID:N2UrVcXH
緊急告知!2ちゃん発の宗教を作ろういうスレを覗いて貴方方の意見を書込んで下さい
531名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 12:41:53 ID:2BAsXjP0
>>528 :名無しさん@3周年:2005/11/10(木) 19:42:45 ID:NnpApzWa
>そんなことより自分が実践して成仏しなきゃね。

>>461の意味を理解していないようですね。
阿含宗の信者は成仏どころか、地獄に堕ちないように気をつけないといけないと書いたのです。
釈尊の教法をこれだけ歪め、阿含経を捏造している。
生きている時は何も起きないかもしれない。
好戦経に出てくる肉段も、生きている時は、人を殺せば殺すほど誉められ、
勲章や名誉を与えられ、収入を得て、高級レストランで美食をしたのでしょう。
だが、業の報いは必ずその人に返ってくる。
だから、釈尊は悪いことをするなと説いているのです。
俗人は普通に暮らしていても、つい悪業をなしてしまうというのに、
阿含宗はあろうことか、釈尊という如来を使って悪業をしている。
桐山さんだけでなく、これを支持し、金銭や労力を提供していたら信者も同罪です。
因縁切りどころか、悪因縁をわざわざ作っているのだから、
528さんも解脱成仏よりも、地獄に堕ちることを心配するべきです。
532名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 12:45:09 ID:2BAsXjP0
>>529 :阿含宗会員1:2005/11/10(木) 22:59:43 ID:53ba1J4I
>今日は沖縄出張中、相変わらず 戯言け論を言い合ってるね。
>体験に勝るものなし

信者は議論では勝てない、と正直に書いてはどうか。
桐山さんの作った教学は壊滅状態だから、信者は「体験だ!」と吠えるしかない。
智慧の獲得を目指す阿含宗信者が知性を捨てることを誇るしかないのだから、ミジメなものです。
理屈理論はいらないというあなたの態度には桐山ゲイカから説教してもらうことにしましょう。
桐山ゲイカはあなたの意見は間違っていると、座右宝鑑に次のように書いておられる。
533名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 12:45:43 ID:2BAsXjP0
『修行者座右宝鑑』91頁

「おそらくは、その教団の一方的な主張や教理を、そのまま盲信しているものと思われる。
愚かなはなしだといって笑ってすませられる問題ではない。事はあまりにも重大
すぎる。自分の全身全霊を托して救いを求めるのである。その信仰をえらぶのに、
あまりにも無知、軽率すぎるのではないか。クルマ一台えらぶのにも、われわれは、
出来るかぎりのデータを集めてえらぶのである。
この無知の妄をひらかねばならない。」
534名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 12:49:48 ID:K98xDD6a
>>533 :名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 12:45:43 ID:2BAsXjP0
「この無知の妄をひらかねばならない。」

桐山さんによれば、阿含宗会員1さんは「無知の妄」だそうですよ。
「その教団の一方的な主張や教理を、そのまま盲信している」と桐山さんは書いている。
これは今のあなた方にとてもよくあてはまることです。
信仰とは「全身全霊を托して救いを求める」ものなのだから、
信仰を選ぶのに、ただ「体験に勝るものなし」などと主観で信じるのは、
「あまりにも無知、軽率すぎるのではないか」と桐山ゲイカはおっしゃっている。
阿含宗会員1さんが無知、軽率だと桐山ゲイカはおっしゃっている。
では、阿含宗会員1さんの無知の妄をひらくためには何をすればいいか。
これも桐山ゲイカはちゃんと指導されている。
「出来るかぎりのデータを集めてえらぶのである。」
この場合のデータとは、あなたの体験などという思いこみの主観ではなく、
第三者にも確認できるような客観的な事実のことです。
535名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 12:59:09 ID:K98xDD6a
>>529 :阿含宗会員1:2005/11/10(木) 22:59:43 ID:53ba1J4I
>体験に勝るものなし
>>533 :名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 12:45:43 ID:2BAsXjP0
「おそらくは、その教団の一方的な主張や教理を、そのまま盲信しているものと思われる。

桐山さんのこの文章は、そのまま阿含宗にあてはまる。
>>533は三宝について書いているのだが、
阿含宗は三宝である仏法僧においてすべて偽物です。
仏である本尊は真正仏舎利だというが、これは由来書付きの偽仏舎利。
法となっている阿含経は桐山さんの捏造経典、
釈迦の成仏法と称して、因縁解脱や霊障解脱ができると称しているが、
釈尊は因縁(業)解脱や霊障解脱など説いていない。
桐山さんは僧侶の資格がないのだから、阿含宗の坊さんは全員が偽坊主です。
釈尊は許可を得ずに勝手に出家を自称することを禁止した。
このように阿含宗とは三宝において偽物なのです。
聖なるバイブレーションを感じるから仏舎利は本物だなどという
主観的な体験で信じるのではなく、
信者さんたちは「教団の一方的な主張や教理を、そのまま盲信している」という桐山ゲイカの批判に従い、
阿含宗の三宝を自分の知性で判断してみてはどうか。
536名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 13:11:20 ID:K98xDD6a
阿含宗と桐山氏について―第十七章から転載

[165]星祭@銀座NOW 05/11/10 23:03 DVbFM8vP05
銀座アゴンビルなどなくても良いでしょう。使い勝手が悪いし、金食い虫。
いまどき広告塔にもなりゃしない。ゲイカの考え方が古いんだよ。
銀座がステータスの時代の人だから。
あんなのつぶして修行道場を山に建てたほうがよほどいいのです。
537名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 13:13:44 ID:K98xDD6a
>>536 :名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 13:11:20 ID:K98xDD6a
>[165]星祭@銀座NOW 05/11/10 23:03 DVbFM8vP05

銀座ビルがどうなるのかはさておき、
「ゲイカの考え方が古いんだよ」というと、いかにも星祭さんは
客観的に冷静に桐山ゲイを見ているかのようだし、本人もそのつもりです。
しかし、これも一種の自己洗脳なのです。
銀座ビルがなくなるなら、阿含宗にとってはいろいろな矛盾が出てくる。
一番目に出てくるのが、桐山さんの超能力や因縁解脱への疑問です。
星祭さんはこれを回避するために、
正面から見るのではなく、「ゲイカの考え方が古いんだよ」と書くことで、
一番重要な桐山さんの超能力や因縁解脱へ批判を回避して、
最初から自分は銀座ビルに賛成していないかのように、
問題を焦点をずらし、自らも納得してしまう。
つまり、全部は防御しきれないから、「古いんだよ」と肉を切らせて、
その代わり、超能力や因縁解脱という骨を切らせないように防いだのです。
おまけに、「修行道場を山に建てたほうが」と書いて、
箱根の修行道場をしっかりと弁護している。
まずい点は正面から見ずに視点をそらし、
しかも現状を常に肯定するのが、星祭さんの自己洗脳方法です。
自分では賢く立ち回ったつもりだろうが、愚かな行為です。
[94]星祭@超人になる 05/11/09 12:31 DVbFM8vPyx
も、同じ手法を用いている。
何がどうゴマカシなのか、信者さんたちは星祭さんの手法を考えてみてください。
538名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 13:17:15 ID:K98xDD6a
>[165]星祭@銀座NOW 05/11/10 23:03 DVbFM8vP05

信者さんたちは、星祭さんのように銀座ビルを唾棄するのではなく、
しっかり後ろを振り返ってください。
銀座ビルでは、文化セミナーと題して、臨床心理学の権威だという外国人を招き、講演した。
第一回というわりには、その後が続かない。
医師や心理学を専攻した人たちのためのカウランセラーの採用試験まであり、
50人くらいが面接を受けた。
あれから間もなく十年になるのだから、今では素人ALCの物売りカウンセリングではなく、
専門家たちがやってくれているのでしょう・・・か??
職員採用のために信者から募集して桐山さんが面接した。
わざわざ京都からまで来た信者がいて、桐山さんは誉めていた。
でも、あんなにたくさん人を集め、中には就職を控えてまで採用通知を待っていたのに、
採用通知どころか、返事すらしなかったという。
さすがは大王様で、世間の常識すら超越しておられる。
13運動では銀座ビルにわざわざ各地区の修行者を集めて指導した。
「奇蹟をよぶ思念の瞑想」の講義では、桐山ゲイカのホー力に感応して、
大地が振動しましたね。
その場では、偶然だと認めていたのに、その後の護山会では、
思念に応えて大地が動いた、なんて言い出した。
しかも、震度まで話が大きくなっていた。
あれなど桐山さんの妄想がどう広がるかを示す典型的な例です。
539名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 13:21:16 ID:+x7bhVsv
>[165]星祭@銀座NOW 05/11/10 23:03 DVbFM8vP05
>いまどき広告塔にもなりゃしない。ゲイカの考え方が古いんだよ。

北京飯店に開設された阿含宗北京事務所とか、
ニューヨークに開かれた広報センターなんて、どうなったんでしょうね。
ああいうのを開設するのには膨大な金がかかる。
もっと古くは、神田のシャンバラがある。
喫茶店を開き、マンダラや精神世界の本を並べて、不思議大好きな若者を取り込もうとした。
「シャンバラ通信」という雑誌も創刊して4冊ほど出た。
しかし、人が集まらず、広告塔にもならず、布教の成果もなく、ただの喫茶店で終わった。
もっとも店長は桐山さんの愛人だったから、愛人に店を持たせたという点では
男の甲斐性としては成功だったのでしょう。
星祭さんは、責任さえとれば、アラハンに愛人がいてもいいという意見でしたね。
540名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 13:24:09 ID:+x7bhVsv
『修行者座右宝鑑』88頁
「この長期にわたって、総本山、総本殿の建設をすすめ、無事竣工したということは、
私の中途挫折の因縁の解脱を示すものに他ならない。」

阿含宗が普通の中小企業で、桐山さんが社長なら、
営業成績の上がらない店舗の閉鎖は当然の判断です。
しかし、桐山さんは事物の明快な認識力、予知力、他人を思うままに動かす力など、
超人的能力を持ち、しかも、上記のように中途挫折の因縁を解脱したはずです。
その桐山ゲイカが判断して購入したはずのビルが10年もたたないで、
中途挫折するのはおかしくありませんか。
桐山さんは普通の人ではないのです。
やることなすこと、普通の人をはるかに上回る見識と能力を示すはずです。
ところが、シャンバラといい、銀座ビルといい、
まるで桐山さんが思いつきで始めたが、まるでダメだったために、やめてしまったかのように見える。
こういうのを阿含宗では中途挫折の因縁と言います。
541名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 13:26:27 ID:+x7bhVsv
>>529 :阿含宗会員1:2005/11/10(木) 22:59:43 ID:53ba1J4I
>体験に勝るものなし
>[165]星祭@銀座NOW 05/11/10 23:03 DVbFM8vP05
>いまどき広告塔にもなりゃしない。ゲイカの考え方が古いんだよ。

信者さんたちは体験だが重要というなら、こういう体験こそ着目するべきです。
自分の主観的な体験ばかり見るのではなく、
現実に目の前にある桐山さんと阿含宗の有様を観察するという体験こそが重要です。
ポイントは桐山さんの「知行合一」あるいは「口行合一」かどうかです。
桐山さんが口で言っていることと、実際に行っていることが一致しているかどうか。
中途挫折の因縁を完全解脱して、しかも、超人的な能力を持つと口先で言い、
文字にまでしている桐山ゲイカが、シャンバラや銀座ビルのように実際に事業を行った時、
そのとおりになっているのかどうかを観察し、如実に体験することです。
542名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 13:30:18 ID:AzKCHZ7u
>[165]星祭@銀座NOW 05/11/10 23:03 DVbFM8vP05
>いまどき広告塔にもなりゃしない。ゲイカの考え方が古いんだよ。
>銀座がステータスの時代の人だから。

星祭さんのこの指摘は正しく、桐山さんの世代では銀座は特別な思いがある。
今なら、六本木の高級マンションに住むというようなものです。
銀座に本社ビルを持つことは桐山さんの世代の大きなステータスだった。
「原宿なんて、ガイジンがいっぱいいるからダメだ」と桐山さんは法話で話して、
銀座こそがすばらしいと誇った。
差別心丸出しの発言をマズイと思わずに信者の前で漏らした。
桐山さんにとって銀座ビルは、あんなチッコイビルでもホコリだったのです。
ビルにはなんとネオンサインまで付けた。
宗教団体だからネオンサインが悪いとは言えないが、悪趣味。
上品ぶりたがる桐山さんがネオンサインまで付けたことを見れば、
あのビルを所有したことが桐山さんにとってむせ返るほどのものすごいホコリだったのがわかる。
543名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 13:35:12 ID:AzKCHZ7u
>[165]星祭@銀座NOW 05/11/10 23:03 DVbFM8vP05
>いまどき広告塔にもなりゃしない。ゲイカの考え方が古いんだよ。

こういう桐山さんを観察して、信者さんたちは聖者だと思うか。
桐山さんは有余依涅槃の聖者、つまり仏陀、アラハンだと宣言している。
仏教の聖者、特にアラハンとは、煩悩を完全に断ちきった存在だから、
ビルを所有して自己顕示したいなんて欲望があるはずがない。
聖者は、所有は欲望にすぎないし、
これを誇りたいのは名誉欲にすぎないことを知る知恵をもっているから、
彼らにとっては生ゴミのように嫌悪すべきものにすぎない。
銀座ビルだけではなく、総本殿も、各地の道場も同様です。
修行の場と称して、信者に金と人を集めさせるのだから、営業所です。
信者さんたちは無償で働くセールスマン兼客にすぎない。
その金を集めて、銀座ビルを買い、自分の野心と名誉欲を満足させた。
この桐山さんのどこが仏陀なのだ?
宗教をビジネスとして昔はそこそこに成功を得たが、
老化して、今の時代に合わなくなり、投資に失敗した中小企業の社長そのものです。
544名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 20:10:12 ID:9tdORpH5
検索で銀座NOWって検索したら昭和30年代以降の関東地方の番組だった。

ザ掲示板が廃人の巣窟でよかった。
545名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 20:27:54 ID:9tdORpH5
50代くらいになると立場上カルトもさすがに辞められないよね
同情はしないけど。
546名無しさん@3周年:2005/11/11(金) 20:30:33 ID:zx3wZ/Ul

仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一
切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是
諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽
無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙
故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅
三貌三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切
苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩
婆訶般若心経
547名無しさん@3周年:2005/11/12(土) 18:04:43 ID:DhJEmQOA
サスガ、94にもなると熱が冷めたようですね。お互いに。
しかし、今から読まれるロム者諸氏・信者予備軍の皆様、
1からお読み下さい。批判・擁護を越えて抱腹絶倒、保証します。
笑わなかったら、お代はいらない。モッテケ!!ドロボ−
548樹意:2005/11/13(日) 02:29:24 ID:BQbrUMgn
ザのスレッドより転載です
http://religion.bbs.thebbs.jp/1131118587/190-

[242]中沼源太郎 05/11/12 03:40 zh0KALUjem
2ちゃんねる で“樹意さん"が、わたしの書き込みをみて
『握りこぶし』といわれた。わたしが、いまだ握りこぶしを信じて
いるのではないかということですね。
また、お釈迦様の教えには、霊魂の成仏などはなく、それ自体が
お釈迦様の教えとは違っていると・・・・。
言われていることはよ〜〜〜くわかるのです。しかし、日本的な
仏教かもしれませんが、成仏ということはあると思うのです。
意味は、自分の親などの先祖の成仏ということです。わたしは
先年父が亡くなり実感として、死後の霊魂の存在を心から信じる
ようになりました。主観的すぎるかもしれないが、そのように考え
たのです。残念ながら、日本の既存の仏教宗旨の僧侶では、霊魂の
解決に力はありません。私の実家のご僧侶が何の力もなく、霊魂を
引導していないのです。しかしラマやチベットの教えは違った。
私はまざまざと実感したのです。ですから、死後の救いというと
=仏教となってしまうのです。桐山宗教で、それができるのなら
というのは、信じているというのではありません。?ハテナとい
うことです。霊を完全に見ることのできない私には解らないから
です。しかし釈尊の教えとは異っています。
549樹意:2005/11/13(日) 03:08:34 ID:BQbrUMgn
>>548
ジミズ氏のインチキ引用の都合で森先生のゼミ掲示板にお伺いしたときに
阿含経には識魂という表現があるという書き込みを読みました、(確認はして
いませんが。)
私は此れを霊魂ではないかと思っています。
支縁起 には10支縁起というものがあり 無明 行はこの中には入りません
別名尺取虫の十支縁起というそうです。
行(縁起の法によらない人間の意志的な考え方 我あり)
つまりは行を超えることができないが故に尺取虫の如く 識により新たなる
名色を生じる事になるのであろうと 私は現時点で解釈しております。
アホダ羅経氏には輪廻の主体なる見方をたしなめられていますが、
識に関しては これまた無我であるという認識です。
原始仏教においては 成すものと受くるものが同じというのは常見という
説諭があり 誰がという問いに関しても仏陀は どうして識という食があるか
と問うべきであると返答する場面も出てきます。
つまるところ原始仏教においては十二縁起が考えの根本であると 理解に
及んでいます。

550樹意:2005/11/13(日) 03:26:34 ID:BQbrUMgn
> 私は此れを霊魂ではないかと思っています。

阿含経に識魂があろうとなかろうと五蘊無我の観点からあえて識魂と
書いたわけです。
誰がという言い方はしないのであるし  この観点からいけば先祖の誰それが
という言い方は仏陀の無我の教えからいってありえないと思われます。
(無記の議論はここではおいといて)
成仏の一番の障害になるのは断見 常見 (縁起の法によらない人間の
意思的な考え方 行 )(我あり)を克服できないからであると思われますから
ゲイカが説くような 占いを前提とした 誰それが の常見を基本にした考え方
自体 仮に死者の成仏を願うにしろ成仏の妨げになるものと考えます。
私がよく引用する パオヤセドーのhpでは 密集を見破ると書いてあったように
記憶しています。



551樹意:2005/11/13(日) 03:37:09 ID:BQbrUMgn
>>548

識魂に関しては私にはお馴染み(あまり性質が良くない)でありますから 別段
源太郎氏のように思われるのはご先祖を敬う気持ちのある方がみんな持つ
気持ちであろうと思います。
ただし、常見を前提とした見方なのか無我(支縁起)に基づいた見方なのかで結果も
変わってくるものと思われます。一切の煩悩苦悩は我見より生じるからです。


552樹意:2005/11/13(日) 03:54:26 ID:BQbrUMgn
主観を書いて申し訳ないが
この教団の識魂なのかそうでないのか見分けが付きませんが道場内で
結構たちのよくない識魂をたびたび意識しています。
道場内ではないが氏にかけたことも何度かあります。

彼らは人の記憶を操りますし 奉仕の方の頭を出たり入ったりしているのも
目撃したこともあります。(幻覚を見させているのかもしれませんが)
そういう意味で識を操るといっていいでしょう。 まあどういう意図なのかは
解かりかねますが。 こういう意味でも無我というのは理解できるわけです。
以前私が名無しで書いたことのある如意輪法と般若心経瞑想法(途中から)
4年の行の最後の時などは 複数?の識魂にイタヅラされまくって
(ゲイカの権威を使い)來盤に座布団無し (板の上)で一晩中行をさせられた
事があります。 朝には持病が悪化して病院送りになったわけです。
私が批判するのは実際 般若心経瞑想法なりをやってみいて(不完全ですが)
その上で批判しているわけです。

最後にこういう形而上の議論は仏陀は禁止されておりますし 見惑の
林に迷い込むとして禁止(無記)されていたように思います。
553樹意:2005/11/13(日) 04:33:52 ID:BQbrUMgn
>>552
> 最後にこういう形而上の議論は仏陀は禁止されておりますし 見惑の
> 林に迷い込むとして禁止(無記)されていたように思います。

まあ 勝手にザのスレッドから転載して議論もなんも無いもんだと 自分で
思ってしまいました。 (^^

過去スレにもありますが 死者の成仏(この教団でやっているような行為)
は仏陀は否定されています。
本当に通力があるなら口こみで人は集まります
なんも根本仏教を騙る必要などありません。
簡単に見ればいいのです。
物事は大きく俯瞰して眺めて その上で個別の事象を見ればいいのです


554暇人:2005/11/13(日) 09:39:56 ID:8NdNNXOn
どなたも 呆れ果てて 手取り足取りの解説はされないようですので

>こんな台詞はもう なんといいますか ○○○○以下の発言
>でしかなく

この用法の○○○○には、比較対照として 誰が見ても『低れべる』な
ものが例示されます。皆に『この台詞』が下らないものであることを
印象づける『意図』があるからです。

>後進の育成は○○○○ですら布石を打つことです。

この「〜ですら」も同様の用法です。ここに尊敬の対象は入りません。
高レベル、通常レベルでは当然布石を打つ。 
低位の○○ですら布石を打つという用法です。

これを侮蔑が含意されてないとの主張は 世間の言語感覚と大きくズレて
ます。
555暇人:2005/11/13(日) 09:45:15 ID:8NdNNXOn
>仏陀が形而上のことを説かないといったり

釈尊は そんなことは一言も言ってないですね。
後代 特に現代の学者からすると
「釈尊は 形而上のことに無記という姿勢で応えた」
というこですね。

形而上というより 
むしろ…略
556名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 10:10:28 ID:UAefpCYp
はっきりいって、もはや、”ここは”掃き溜め、
ゴミ捨て場以外のなにものでもありません。
「ザ」から引用しなけりゃやっていけないとこになって
しまいました。
557名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 21:18:12 ID:e7O1emTd
阿含宗と桐山氏について―第十七章 ―から転載

[280]星祭@出世間 05/11/12 23:44 DVbFMDuRA4
だから〜何故、三宝というのか基本を考えろよ!
桐山さんとかじゃなくて、そんなのはゲイカも阿含宗も関係ない!、
仏教の基本でしょ。出世間福なのだよ、仏法に関する布施はね。
出家を助けて清らかな心を育てる福は出世間福だろ、なに言っているの?
これはあなた言う煩悩消滅にあたるだろ、煩悩が消えるから清らかな心が育ち自己の境涯が上がる。
立派な出世間です。

[287]星祭@仏道の為 05/11/13 00:03 DVbFMDuRA4
もっともゲイカも出世間福が最高で、
これさえやっとれば世間福もついてくるようなニュアンスでぼかして言っているが、
心清まり、因縁も切れ、人格的に向上すりゃ、そりゃ、世間的な福も当然ついてくるだろうけど、
直接、お金が儲かるとかいう福ではない、あくまでも仏法実践、
すなわち解脱への原動力となるべき福のことでありましょう。
だからこそ、仏、法、僧に対する布施により出世間福を得るためというのです。
558名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 21:21:08 ID:e7O1emTd
>>556 :名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 10:10:28 ID:UAefpCYp
>はっきりいって、もはや、”ここは”掃き溜め、
>ゴミ捨て場以外のなにものでもありません。

嘘だらけの阿含宗はゴミそのもの、それも有害な産業廃棄物だから、
批判するこのスレはゴミ捨て場と言われればそんな気もしますね。
しかし、そういう態度だから、星祭大先達様は>>557のように何も学ぶことなく
桐山さんから講義されたとおりの世間福と出世間福をそのまま信じている。
星祭さんなどは批判を頭からただの悪口だと決めつけているから、意味がわからない。
釈尊の経典を示して、たぶんのスレが始まってから初めての指摘なのに、
このスレはゴミが捨ててある所だという556さんと同じで、
文字は読めても意味が理解できない。
応供のオキツネ様の信者らしく、馬の耳に念仏、豚に真珠、猫に小判と、
まるで阿含宗は動物園ですね。
559名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 21:26:10 ID:e7O1emTd
>>557 :名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 21:18:12 ID:e7O1emTd
>[280]星祭@出世間 05/11/12 23:44 DVbFMDuRA4
>だから〜何故、三宝というのか基本を考えろよ!

相変わらず、阿含宗の大先達様は己の無知を棚にあげて、
「基本を考えろよ!」などと怒鳴りつける。
これまでどれほど星祭さんはこういう罵りをして、自分の無知をさらし、
矛盾点を突かれたか数知れないのに、まるで学習効果がない。
ユビキタスさんと何年も議論していれば、彼が出世間福について書いたということは、
何か根拠なり証拠があって書いたのだろうと普通は思う。
桐山さんの経典引用や解釈にはデタラメが多いことくらい知っているはずです。
だったら、丁寧に「何を根拠にして書いているのか」と質問するでしょう。
読んでいる信者さんたちもそうしませんか。
ところが、星祭さんは世間福経を読んだこともないのに、相手を頭から罵る。
間違いなど指摘されてもどこ吹く風で、偉そうに説教するわりには、
自らの根拠はいつも「思う」「体験した」、こんな程度。
謙虚さや反省心を解脱しているのは、いかにも桐山さんとこの先達らしい。
560名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 21:31:08 ID:e7O1emTd
>[280]星祭@出世間 05/11/12 23:44 DVbFMDuRA4
>仏教の基本でしょ。出世間福なのだよ、仏法に関する布施はね。
>出家を助けて清らかな心を育てる福は出世間福だろ、なに言っているの?

世間福と出世間福については、>>247以降で説明したように、
元となった世間福経での説明と、桐山さんの説明ではまるで違います。

阿含宗
世間福・・・「一般社会に対する布施行による功徳のこと(いわゆる寄付やボランティア)」
出世間福・・「阿含宗に寄付することで、功徳として因縁解脱などの見返りを受けること」

阿含経
世間福・・・「比丘たちに必要な衣食住を提供すること(仏教でいう供養)」
出世間福・・「仏教に帰依して自ら教法を実践すること」

阿含宗での出世間福は阿含経の世間福のことです。
世間福経は世間福や出世間福という特別な内容を説いた経典ではない。
比丘たちの最小限の衣食住を供養するように、また自らも帰依して実践するようにというのだから、
在家信者にとっては当たり前な内容です。
出世間福なんていうと特別なことのように聞こえるが、
釈尊や比丘たちが在家に功徳や福という特別なものを授けるという話ではなく、
在家でも「自分で教法を実践しろ」という普通の経典です。
561名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 21:33:32 ID:e7O1emTd
>[287]星祭@仏道の為 05/11/13 00:03 DVbFMDuRA4
>あくまでも仏法実践、すなわち解脱への原動力となるべき福のことでありましょう。
>だからこそ、仏、法、僧に対する布施により出世間福を得るためというのです。

星祭さんのこの説明は桐山さんの受け売りだが、原典の世間福経にはこんな教えは存在しません。
仏法僧に布施するのは世間福だというだけでなく、
布施した見返りに出世間福という「解脱への原動力」が得られるのではありません。
そんなことは一言もない。
桐山さんが巧みに言葉で誤魔化している部分だから、
信者さんたちもこの点をよおく気をつけてほしい。
562名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 21:38:02 ID:e7O1emTd
>[287]星祭@仏道の為 05/11/13 00:03 DVbFMDuRA4

釈尊は在家に供養をするように説いた。
信者さんたちは金と人を貢ぐことだと思っているだろうが、
釈尊のいう供養は、比丘たちに必要最小限の衣食住を提供することです。
>>266以降でも説明したように、あの時代には食うに事欠く時代だった。
比丘たちは働きもしないで、食を求めるのだから、物乞いと同類に扱われた。
>>275で紹介した「詩を唱えて[報酬として]得たものを、わたくしは食うてはならない。」
(『ブッダのことば』中村元、23頁〜)
とバラモンの供養を断った有名な一節があるが、
あれもバラモンが最初は「私は働いているのに、あなたは何をしているのか」と
釈尊に批判と皮肉を言ったのです。
護摩や占いをして人々の歓心を買い、供養を得ている宗教家がたくさんいたのだから、
何もせず、ただ黙然と鉢をもって入り口に立つだけの比丘たちは圧倒的に不利だった。
一日一食の飯がもらえなくても、空腹と戦い、もう一度托鉢したいという欲望を抑え、
食事にありついた他の比丘をうらやむでもなく、静かに瞑想に戻る。
食事すらなかなか得られない状態であったことは経典の端々からわかります。
563名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 21:42:12 ID:e7O1emTd
>[287]星祭@仏道の為 05/11/13 00:03 DVbFMDuRA4

当時の比丘たちがいかに食事に事欠いていたかは、
マハーカッサパが、比丘尼となった在家時代の自分の妻に食事を分け与えた話からもわかります。
もちろん、こんなことすれば、非難ゴウゴウになることは彼だって予想しえなかったはずはなく、
事実、未練があるのだ、などと非難された。
彼の妻は三国一の美人だったが、彼は自分の信条を彼女に話し、
結婚しても指一本触れないまま、両親の死後、互いに家を捨てて出家した。
三国一の美人に指一本触れなかったなんて、ホントにもう・・・あ、いけね、話がそれた。
在家時代からただならぬ人だった「あのマハーカッサパ」が、
妻だったからといって未練があるはずもなく、特別扱いなどするはずもない。
食事を分け与えたのは、よほど彼女が飢えた状態で、見るに見かねたのでしょう。
これは比丘、比丘尼たちの当時の状態をよく示す例です。
564名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 21:48:20 ID:e7O1emTd
>[287]星祭@仏道の為 05/11/13 00:03 DVbFMDuRA4

今だって地球のあちこちでまだ飢餓や餓死があるのですから、
当時の比丘たちが、教法を守ろうとすればするほど、衣食住に困っていたことは事実でしょう。
だから、釈尊は彼らに供養するように在家にたびたび説いたのです。
解脱した比丘は執着を断ち切っているから、餓死しても本人は気にしない。
だが、困るのは在家です。
煩悩を消滅させ、清らかな行いを実践し説く者が減れば、
せっかく釈尊が復活させた「古い道」はまた閉ざされてしまう。
代わりに、護摩や占いなど呪術で人を喜ばせ、
霊障や悪因縁で人を脅かすような宗教詐欺師どもが跋扈する。
人々は釈尊の説いた清らかな教法を忘れ、骨や焚き火にナモナモして、
真言という呪文を唱えて、阿含経すらも呪文のように唱えるばかりで、
体験がすべてとうそぶいて、知性で理解しようとしない。
御利益を得ようと餓鬼信仰をして、
解脱すらも出世間福という御利益の一つだという愚かな信仰を持つようになる。
こういう宗教詐欺師どもへの殺虫剤こそが、煩悩を断ち切った比丘です。
本物の比丘がいなくなれば、宗教詐欺師が増殖してはびこり、
人々は愚かな信仰に先祖返りして、冬の山の上どころか外国にまで出かけて、
焚き火の周囲でドンドコドンドコと太鼓を叩きながら、踊ることになる。
だから、清らかな行いをする比丘が一人でも多く、一日でも長く生きていられように、
釈尊は在家の人に供養するように説いたのです。
565名無しさん@3周年:2005/11/13(日) 21:53:15 ID:e7O1emTd
>[287]星祭@仏道の為 05/11/13 00:03 DVbFMDuRA4
>あくまでも仏法実践、すなわち解脱への原動力となるべき福のことでありましょう。
>だからこそ、仏、法、僧に対する布施により出世間福を得るためというのです。

信者さんたちは釈尊に供養することが出世間福を得られる道だと教えられている。
だが、釈尊は亡くなり、衣食住を必要としないから、供養は無用です。
遺骨は食事をしないし、ましてや金と人など必要としない。
とすれば、信者さんたちがしなければならないのは、
如来への供養ではなく、阿含経に説かれた出世間福を実践することです。
釈尊は煩悩を断ち切るという教法を実践することを出世間福と説いた。
因縁を切るとか、霊障を解くなんて説いていないし、
また、いかなる力も徳も授けるとは説いていない。
何も持っていない方だから、信者さんたちがいくら金品を差し出しても、何もくれない。
釈尊は、「自分で」煩悩を断ち切れば、
在家でも解脱への道を歩み始め、やがて解脱するのだから、
この世にはもう戻って来ない、つまり出世間福が得られると説いたのです。
三宝に供養することで、功徳という原動力が得られるのではありません。
釈尊はただ道を示し教えるだけで、押してもくれないし、原動力にもなってくれない。
阿含宗の教法とはまるで違うことに気が付いてください。
566樹意:2005/11/14(月) 05:31:39 ID:J7NhAgPt
>>554
> これを侮蔑が含意されてないとの主張は 世間の言語感覚と大きくズレて
> ます。

原始仏教の碩学である暇人ともあろうものが このようなカルト批判スレッドに来て
批判文章の 添削ですか? 

この教団の三宝が偽モノであり (本尊すら偽ニモ)多くの嘘があることを前提に
書いたものですから そういう意味があっても別段おかしくは無いし 私はこの教団の
嘘に対して喜捨したわけではありません。 多額の金銭と時間を費やした当事者として
書き込みをしているのです。 


567樹意:2005/11/14(月) 05:40:54 ID:J7NhAgPt
>>554暇人
>>555

無記説にしろ仏陀が説かないといったものを 梳き、戒としてやってはいけないといったものを
(占い等)やっているのはこの教団です。

568暇人:2005/11/14(月) 07:10:36 ID:qGvcVWon
私は、ごく普通のオヤジですね 碩学ではないです。誤解なきように。

批判されるのは自由ですが、
擁護者より批判者に見識が求められるものではないでしょうか。
でないと合理的な批判というより 感情的な「怨み・つらみ」に
感じてしまうかもです。
569樹意:2005/11/14(月) 07:58:34 ID:uVeSucAt
14(月) 07:10:36 ID:qGvcVWon
>でないと合理的な批判というより 感情的な「怨み・つ>らみ」に
>感じてしまうかもです

この教祖の著書 出版物に目を通した観点も必要でしょう。
批判文をどう受け取るかは各自の自由ですが私は当事者として
書いていますし、私が喜捨したものも資本の一部になっています。

教義上の欺瞞に止まらず多くの嘘と 嘘を前提とした利益を
得る行為があり この行為は現在進行形です。
どちらにしても批判の確認作業は信者 或いは此れから信者に
なりたい人各自の仕事です。

570金剛靖雄:2005/11/14(月) 22:49:21 ID:5qtnP5ok
ユビ氏にまたかきつかれそうだが
だまって看過できないので書き込みます

阿含宗破滅のカルマが破裂するのはもうすぐです
571樹意:2005/11/15(火) 00:18:25 ID:TFf4YhgU
>>552
> 最後にこういう形而上の議論は仏陀は禁止されておりますし 見惑の
> 林に迷い込むとして禁止(無記)されていたように思います。

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html
ヴァッチャよ、[世界は常住かどうか、霊魂と身体とは一体であるかどうか、
人は死後にもなお存するかどうか、などのような種類の問い]に対する見解は、
独断に陥っているものであり、見惑の林に迷い込み、見取の結縛にとらわれて
いるのである。それは、苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、
厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。

(マッジマ・ニカーヤ 72)

572名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 09:11:20 ID:bBexuMmm
「釈尊は 形而上のことに無記という姿勢で応えた」

つまり否定も肯定もしなかったということ。
それは聞く側のレベルが低かったんで言及しなかったという事実を示している。
現代科学の難しい話を未開の土人に説かないのと同じこと。
猊下は釈迦がまだ早いとおもって説かなかった所までを語られているわけ。
時代の変化が理由だが、ほんとうに素晴らしいことだ。
573電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/15(火) 09:24:14 ID:angDkpsL
>>572
いい加減にしろや。

> 現代科学の難しい話を未開の土人に説かないのと同じこと。
> 猊下は釈迦がまだ早いとおもって説かなかった所までを語られているわけ。
> 時代の変化が理由だが、ほんとうに素晴らしいことだ。

釈尊の無記内容が現代科学で明かされた例を示してみろ。
ペテン師老いぼれ狐の桐山の言うことは戯言だよ。
それをすばらしいというお前はきちがいだ。
574アホ一代:2005/11/15(火) 12:42:07 ID:Gk2m21fq
すばらしい!すばらしい!すばらしい!
「きちがい」結構なことですわ(笑)。
しかし、土人とか、どんどこどんどこ太鼓叩いて踊るだの
大丈夫なのかね〜。(笑)。
おまけにインテリ学者をきどる方が「きちがい」だと!
だめだわここは!
まだこんなことやってんだから
575電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/11/15(火) 14:07:01 ID:angDkpsL
>>574
誰が見ても阿含宗はきちがい何だよ!!
このハクチがぁ!!
576名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 22:26:00 ID:yrimzK4o
阿含宗と桐山氏について―第十七章から転載

[347]星祭@精霊伝授 05/11/14 17:43 VYoijpKHKa
> 332、そうですか!ありがとうございます。
そういえば第二過程以後、少数にわけて・・・なんて言っておりました。
結局、実現できないのでポシャちゃった のでしょう。あれもそうですよね?
「特別修行者候補生」今はただ内陣の整理と例祭での内陣の係り、
それだけで何故「特別」なのか分かりませんでしたが、
精 霊の力をいただくという霊的な伝授のためだったのですね。

[350]星祭@ゆきだるま 05/11/14 17:56 VYoijpKHKa
しかし、中途半端でやめて、そのまんま、という講義、伝法が多すぎますね。
時間がなくて出来なくなったなら、その旨、説明して廃止すべきでしょう。
ゆきだるま式に、何々伝法会だのスクールだの塾など作って、おまけに候補生ですか?
しまりがない!そういうとこは、ほんと嫌ですね。

[354]星祭@雑密 05/11/14 18:31 VYoijpKHKa
だからブッダの法第二過程以降の「火の精霊の加護」と交代作法のサマーナ気の制御が一致してくるわけで、
桐山密教が何を目指し、どう修行させるかが見えてくる。
雑密がすでに実践してたなどと茶化しているようではしょうがないでしょう。
だったら雑密でもやってりゃいいことだよ、そんなの(笑)。
まあ、たんなる罵詈雑言なら別にいいけどさ。
577名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 22:35:50 ID:yrimzK4o
>>576 :名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 22:26:00 ID:yrimzK4o
>[350]星祭@ゆきだるま 05/11/14 17:56 VYoijpKHKa
>しかし、中途半端でやめて、そのまんま、という講義、伝法が多すぎますね。

信者さんたちは星祭さんの反応を読んでいかがでしょうか。
桐山さんの講義、伝法は中途半端でやめて、そのまんまが多すぎると指摘している。
長年、桐山さんの後をついて来た星祭さんの率直な感想です。
これは星祭さんだけでなく、五年もいれば、同じような感想を持つようになります。
桐山さんは本などを書いて、花火だけは華々しく打ち上げられるが、
その時期、講義などをすると、後は放置される。
しばらくすると、また脈絡なく、別な花火を打ち上げる。
この桐山さんの癖は、何も昨今始まったのではなく、昔からそうです。
慈恵会時代には、照真秘流の伝法や、その後の夏期伝法会。
瞑想センターを中心とする瞑想講義。
オウムに攻撃されて、あわてて求聞持スクールでの仏陀の法を出し、
般若心経瞑想、パール瞑想法など、ナンタラ瞑想法は数知れず。
仏舎利をまつり、釈尊こそが唯一の如来と言いながら、
密教の仏にすぎない準胝如来の真言行を始めた。
こんなふうに桐山さんはこの三十年間、脈絡もなく伝法や講義を繰り返してきた。
578名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 22:38:41 ID:yrimzK4o
>[347]星祭@精霊伝授 05/11/14 17:43 VYoijpKHKa
>「特別修行者候補生」今はただ内陣の整理と例祭での内陣の係り、
>それだけで何故「特別」なのか分かりませんでしたが、

特別ナンタラ候補生も真新しいことではなく、今だって「錬成修行者候補生」があります。
候補生で信者にノルマを与えて釣るのは桐山さんの長年の常套手段です。
うまそうなエサをぶら下げて、信者にノルマをかけて、
これを達成すれば「ナントカ候補生」の名前を授ける。
この「候補生」というのがミソで、会社で言えば非常勤、アルバイトです。
誰しも常勤になりたいと望む。
桐山さんはこういう普通の人の欲をたくみに利用する。
候補生になった信者は早く候補生ではなく、正式の修行者になりたいと望む。
だが、桐山さんは簡単にはエサはくれません。
ここでいうエサとは、高度な修行法の伝授という意味ではなく、
ただの名称すらくれないという意味です。
だから、錬成修行者候補生のノルマの賞味期限は一年で、
候補生のままで留まりたかったら、毎年一名導きの貢ぎ物をしなければならない。
579名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 22:43:46 ID:yrimzK4o
>[350]星祭@ゆきだるま 05/11/14 17:56 VYoijpKHKa
>しかし、中途半端でやめて、そのまんま、という講義、伝法が多すぎますね。

信者さんたちは候補生になって光明解脱大日護摩の伝授を受けた先達たちが、
ものすごく立派な人たちに見えるのでしょう。
しかし、私には、桐山さんがぶら下げたうまそうな肉に食らいつこうとして、
必死にジャンプしている痩せた犬のように見える。
その肉には最上級松阪牛(超能力)などと書いてあるが、
実物を見た人も、もちろん食べた人もいない。
桐山さんがそういうものがあるのだと言っているだけです。
桐山さんは食いつこうとする犬の鼻先に肉をぶら下げて、
時々、どこかの馬の骨などを投げてやる。
今回はそれが光明解脱大日護摩です。
すると、痩せた犬たちは、これが松阪牛の一部だと信じる。
過去においてこれがどれほど繰り返されたことか。
だから、星祭さんですらぼやいている。
密教占星術奥伝などと称して、桐山さんが出したのは他人の本の丸写しです。
平気でこういうことをする。
世の中には標準的な護摩の他に、口伝、秘伝の護摩などゴマの数ほどあり、
そのいくつかは密教専門書となって販売されている。
桐山さんのお得意で、これらから寄せ集めて御立派な名前をつけて伝授した。
580名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 22:49:26 ID:yrimzK4o
>[350]星祭@ゆきだるま 05/11/14 17:56 VYoijpKHKa
>しまりがない!そういうとこは、ほんと嫌ですね。

星祭さんですら、桐山さんがやってやりっぱなしで、後始末を何もしないと指摘している。
それが過去数十年に渡り続き、阿含宗に残骸が散乱している。
ここまでは信者である星祭さんも、批判側もそれほど意見の違いはありません。
ところが、ここからが違う。
批判側は、また桐山さんは同じ事を繰り返すだけだ、なぜなら、中身がないから、という意見です。
桐山さんに詐欺能力以外の超能力なんて持っていないのだから、
他人に能力開発を教えられるはずがない。
だから練脳塾もこれまでの繰り返しの一つにすぎず、花火だけで、
練脳塾からは実行委員長以上の人など出てこない、という意見が批判側です。
これに対して、星祭さんやこのたび光明解脱大日護摩を習った77人のご立派な修行者たちは、
桐山さんのこれまでの中途挫折は試行錯誤の結果であり、練脳塾こそは完成品で、
いよいよ、念力の護摩や求聞持法の伝授が始まると信じているのです。
581名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 22:53:14 ID:yrimzK4o
>[347]星祭@精霊伝授 05/11/14 17:43 VYoijpKHKa
>それだけで何故「特別」なのか分かりませんでしたが、精 霊の力をいただくという霊的な伝授のためだったのですね。
>[354]星祭@雑密 05/11/14 18:31 VYoijpKHKa
>桐山密教が何を目指し、どう修行させるかが見えてくる。

星祭さんに至っては、過去の桐山さんの中途挫折も、
実は深い深い意図があったのだと解釈している。
そして、総本殿も完成し、ようやく機が熟して、その時が来て、
桐山ゲイカはこれから信者たちに超人的能力を獲得させると信じている。
77人の大先達様たちは、あわよくば、我こそは念力の護摩を焚き、
五つ(最近は七つに増殖)の超人的能力を獲得しようとしているのです。
信者さんたちは、批判側と、星祭さんと77人との違い目に向けてほしい。
これは、桐山さんが今までどうだったかという現実の問題だけではなく、
信者、元信者たちの心のあり方の違いなのです。
582名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 22:56:50 ID:yrimzK4o
>[350]星祭@ゆきだるま 05/11/14 17:56 VYoijpKHKa
>しかし、中途半端でやめて、そのまんま、という講義、伝法が多すぎますね。

>>579で77人の立派な先達たちを痩せた犬と表現したことには理由があります。
前に、自らもたくさん導き、孫まで含めると200人近いファミリーを持つ大先達に、
牧童犬という名前を差し上げた。
牧童犬さんは今回の77人の中に入っているかもしれない。
牧童犬さんは阿含宗の先達としてはとても立派な方ですから、
資格としては十分すぎるほどあるでしょう。
しかし、私から見たら、桐山さんがぶらさげた超能力というエサに食いつこうとして
必死にジャンプする痩せた犬にすぎない。
牧童犬さんはわりと楽々とジャンプしているが、同じように痩せている。
桐山さんがただの一度も名前通りの立派なエサを与えていないからです。
583名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 23:00:39 ID:yrimzK4o
>[350]星祭@ゆきだるま 05/11/14 17:56 VYoijpKHKa
>しかし、中途半端でやめて、そのまんま、という講義、伝法が多すぎますね。

77人の顔ぶれには、星祭さんと同じくらいの長い行歴の先達たちが含まれる。
彼らは長年、桐山さんからの超能力の伝授を待っていた人たちです。
星祭さんやOO屋さんと同じように、桐山さんの握り拳の中には必ず、
超能力の開発法があり、いつかは伝授してもらえると信じて、
十年、二十年、三十年と待っている人たちなのです。
その間に与えられたエサとは、十回まであった伝法会で教えたのはただの四度加行。
クンダリニー瞑想法などと名前だけは立派だが、初歩的な瞑想や呼吸法。
未来予知、運命透視などと名前だけは立派だが、ただの九星占い。
独古加持や屋敷浄霊など、加持祈祷や金集めのための拝み屋レベル。
仏陀の法などと名前は立派だが、麻原彰晃に先をこされた念力注入で、
誰一人、チャクラもクンダリニーも開かず。
『変身の原理』から見れば、実に三十年以上もの間、信者に与えられたエサとは
こんな程度の、ありふれた、どこにでも転がっているような内容、
いってみれば、ゴミ箱に捨ててある屑肉や骨のようなものです。
それでいて、導きや供養と称する献金だけは確実に増えている。
行歴の長い先達たちは、ノルマだけかけられ、超能力のエサが与えられずにいたから、
すっかり痩せてしまった。
584名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 23:04:31 ID:yrimzK4o
>[350]星祭@ゆきだるま 05/11/14 17:56 VYoijpKHKa
>しかし、中途半端でやめて、そのまんま、という講義、伝法が多すぎますね。

空腹に耐えかねた信者の中には、麻原がばらまいた毒エサに食いついてしまった者、
また、実行委員長のように自分のシッポを食べて、自前の超能力者になってしまった者もいる。
今の阿含宗の瑜伽派(超能力派)は空腹に耐えかねている。
そして、練脳塾でようやくその本物の超能力を食べることができると信じている。
彼らをつなぎ止めているのは、ごらんのように欲です。
超能力を得たい、超能力を得て、世間をアッと言わせたいという欲望です。
他人の欲望をあざ笑っているではありません。
私も因縁を切るという御利益を得ようとした元信者だから、まさに欲に釣られた。
私は瑜伽派ではなかったので、瑜伽派の人たちを客観的に見られた。
星祭さんやOO屋さん、また実行委員長さんやヂミズさんのような信者も知っています。
他人事だから、彼らが何によって突き動かされているのか、岡目八目でよく見えました。
劣等感や自己顕示欲など様々に混じった欲望です。
だから、腹を空かせた痩せ犬というたとえをしたのです。
585名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 23:07:41 ID:yrimzK4o
>[350]星祭@ゆきだるま 05/11/14 17:56 VYoijpKHKa
>しかし、中途半端でやめて、そのまんま、という講義、伝法が多すぎますね。

信者さんたちの中にも瑜伽派の方がいるだろうが、
彼等を参考にして、自分の欲望に気が付くことです。
桐山さんの握り拳の中に何か秘伝があるのではないか、
伝授して欲しい、体得してエラクなりたい、という欲望に釣られて、離れられない。
私が驚かされるのは星祭さんや77人の先達たちが
行歴が長いにもかかわらず、自分の欲望にまるで気が付いていないことです。
オウム事件など、まさに瑜伽派にとって己の欲望を映す鏡そのものだった。
ところが、瑜伽派の人たちは、超能力の欲望に釣られ、
ついに殺人鬼になった人たちを他人事と憐れみ、
オウムに流れなかった自分を誇っていた。
いったい、この人たち阿含経を読誦しながら、釈尊の教法の何を学んでいるのだろう。
586名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 23:13:46 ID:yrimzK4o
>[350]星祭@ゆきだるま 05/11/14 17:56 VYoijpKHKa
>しかし、中途半端でやめて、そのまんま、という講義、伝法が多すぎますね。

長年に渡り、このように自分の欲望に気が付くチャンスはいくらでもあった。
依経とする阿含経では、釈尊は繰り返し欲望や執着といった煩悩を断つように説いている。
読誦している応説経では「漏尽心得解脱」「得諸漏尽」と繰り返し繰り返し、
煩悩を断ち切れと説いている。
三供養品の三善根とは、貪瞋癡の三つの根本煩悩を断ち切れという意味です。
これを毎回読誦しながら、超能力が欲しい、霊能力が欲しいと
長年、欲望で目がくらんでいる。
脳梗塞を自ら認めて、すっかり日々是好日の
妄想ジイサンになり果てた超能力詐欺師の握り拳に
最上級の松坂牛があると信じて、必死に飛びついている。
信者さんたちはこの光景をどう見るか。
瑜伽派の人たちを痩せた犬だいうのは悪口だと思った信者さんもいるだろうが、
ずいぶん和らげて書いたつもりです。
本音を言うなら「痩せた超能力餓鬼」と書きたかったのです。
587名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 23:27:15 ID:qzHmmApJ
友人の宝石屋からムーンストーン450個、単価@130
で購入しました。
神聖仏舎利に変えるには、ダト法でしょうか? それとも土砂加持法?

いえは日タイ寺の近くなので
588名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 23:53:30 ID:+majrSWb
>587 7日間通うのですか?法具の持込は出来るんですか?
589名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 00:08:37 ID:lEl0zjOe
>>587
7日の通いはできます。

590樹意:2005/11/16(水) 01:14:28 ID:rS8GJGst
>>568

暇人さんと原始仏教スレッドで議論した折に 私の書き込みはカルト的であるとの
批判を頂きましたので 私は一瞬ゲイカの影響を残しているのでは? と
自分で自分を疑ったものです。
まあ 私が暇人さんや電波さんレベルの方とやりあう程の読書量はありませんが
彼のスレッドにお伺いするのは 私の認識に対する批判を求めに行くのですから
彼のスレッドの碩学がわざわざこのようなカルト批判スレッドにおいでになり
私のような浅学者に対して批判文を校正していただけるのは ありがたい
事であると そう思います。

但し 原始仏教に明るい方々にお願いしたいのは、2チャンネル宗教板の注にある
ようにカルト問題という社会的な見地からも俯瞰して眺めていただきたい。
社会的であるのか反社会的であるのか そういう見地も必要であるかと思います。
591樹意:2005/11/16(水) 01:17:24 ID:rS8GJGst
http://religion.bbs.thebbs.jp/1131118587/e40
より転載
>>[363]中沼源太郎 05/11/15 03:23 bqrM0Ur7vR
そして最後に破壇作法がある。
普通の不動護摩法では火箸で炉の角をはさんで内に崩すという
所作の真似をする。そして扇のうえにカンを観じて、風輪となり
ふきとばすと観想する。
しかし『念力護摩法』では、扇を仰ぐだけで、すべてざっとやって
しまう。極めて簡略化されている。
ここで“水の精"をつかうわけです。幾人かの多少“霊能"のある
古参者もいるのですが、異口同音に護摩の最後に、上から踏まれる

ように“オキ"がグッグゥと下がるという。何かの力で急速に下がる
のです。これは例祭の護摩でもおなじ。急速にさがる。水の精を
護摩壇の上に集めているからだいわれている。
一般人でもこれを感じる人がいるという。たしかに聞いたことも
ある。真偽は別として、わたしの場合は、これがサンヤマという
総制という技法かとも思い、追求した。つまり滝において“水の力
水の精"を集めるわけです。これが成功したと思われたときには
なんとも言えないことが体内で起こる。よく修験道などでいう
火生三昧とは、これに通じていると思われた。ある方はそれは
『大火生三昧の法』に通じるから大切になされるがよいと言った。
大火生三昧とは、大法:念力の護摩のことである
592樹意:2005/11/16(水) 01:54:38 ID:rS8GJGst
>>591
> ように“オキ"がグッグゥと下がるという。何かの力で急速に下がる
> のです。これは例祭の護摩でもおなじ。急速にさがる。水の精を
> 護摩壇の上に集めているからだいわれている。

密教の法の力 或いは 行から得た力というものを否定はしませんし
私の主観ではありますが、この教団に関係する識魂なのかどうかわかりませんが
所謂 道場内外で念力を使う識魂を意識したことがあります。  

カッサパ三兄弟の逸話にある通り 神通力イコール根本仏教ではありませんし、
以前ジミズ氏との議論にあったように慧解脱の阿羅漢もあります。
法のお次第に限らず、瞑想法でも基本的な修習というものが必要であると
考えます、ペンキ屋さんの仕事の大半は下地を作るのが仕事であるように
下地を作れば 仕上がりが綺麗なものになります。




593樹意:2005/11/16(水) 02:07:59 ID:rS8GJGst
>>591
この教団の場合は源太郎氏が指摘するように仏陀の系譜に繋がっている
わけではありませんから、霊法を修行する場合でも (魔境)には
充分注意が必要です。 在家で修行される方はこの対策に重点を
置いていただきたいと 切に希望します。 本当に危険です。

阿含経を依経といいながら規範としないという欺瞞もそうですが
霊法の面からも危険があることを指摘しておきたいと思います。
いずれにしろ 大念処法等の経典翻訳を読んで仏陀正統の
修行とはどういうものかよく 理解した上で密教の法なりを修行される
事をお勧めします。 
戒なくんば定なく定なくんば慧無し というのが仏陀本来の法です。
戒定慧すなわち七科三十七道品という事です
ゲイカの場合は戒は完全な破戒ですから はじめから脱線している
脱線しているものが強烈な念力を得たらどうなるのでしょうか?
その点を踏まえた上での修行が必要であり この教団が使う誓願の
欺瞞もよく踏まえて御修行下さい。
594名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 09:21:20 ID:YvGIGRF8
>7日の通いはできます。
ちょっと待ってくださいネ。ザ掲示板に詳しい人がいるので聞いてきます。
595名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U
これまでの桐山さんの阿含経の捏造を見て、
大筋で、3つのことを目的として捏造に励んだことに気が付きます。
1.応供の如来、三福道、世間福と出世間福に共通する「福」の捏造
2.異陰や肉段など、不成仏霊や霊障についての捏造
3.阿含経に超能力開発法があるかのような捏造
このうち3についてはまだ批判したことはありません。
これらは阿含宗にとっては1がアメ、2がムチ、
3は1の御利益を生み、2の霊障を消滅させるという桐山さんの力の元となっている。
これらを釈尊が説いたかどうかは、阿含経を依経とする阿含宗にとっては避けて通れない。
ところが、三つとも根拠がないのです。
釈尊はいずれもこんなことは説いていない。
596名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:45:31 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

3の超能力開発法の経典とは安那般那念経や止息経についてです。
信者さんの中で、桐山さんの解釈のおかしい部分を先に指摘してくださる方はいませんか。
批判をしろというのではなく、道を譲っているのです。
批判側に桐山さんの初歩的で愚かな解釈間違いを指摘され、笑いものにされる前に、
自ら認めて、信者にも知性があるのだということを示すチャンスです。
実行委員長が止息法を念仏のように唱え、
ザのスレの瑜伽派の中年先達衆なら、一番関心のある経典なはずだから、
誰か桐山さんの間違いをそれとなく指摘しないかと待っていたが、
ついに誰も指摘しなかった。
口を拭っているのではなく、知らないのでしょう。
もう少し待ちますから、ぜひ桐山さんのトンデモ解釈を指摘してください。
597名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:47:59 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

桐山さんが、福を御利益の意味に改ざんし、悪因縁や霊障を説いているかのように捏造し、
超能力開発法を説いたかのような勝手解釈をするのは、
逆に言うなら、これらは阿含経には存在しないからです。
もし、釈尊が福を御利益という意味で用いて、
悪因縁や霊障を説き、クンダリニーヨーガを説いているのなら、
経典をそのまま出せばいいわけで、何も捏造する必要はない。
霊障の悪影響や成仏を説いた経典があるなら、そのまま出せばいいのです。
ところが、桐山さんが目を皿のようにして阿含経を読んでも、
御利益経典と霊障経典、超能力経典も見つけられなかった。
阿含経や釈尊の教法にはこんなことは最初から存在しないからです。
598名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:49:42 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

御利益と霊障というアメとムチは特に宗教家畜を飼育する上ではなんとしてでも必要です。
阿含宗を立宗したからには、なんとしてでも阿含経に、
御利益(福)というアメと、霊障というムチがあることを示さねばならぬ。
そこで、作家でもあらせられる桐山ゲイカにおかれましては、
ないなら作ればいいとばかりに、オカルト阿含経を捏造した。
信者たちが漢訳経典なんて目を通さないだろうと
適当な解釈を並べて、あたかも釈尊が御利益や霊障を説いたかのように見せかけた。
しかし、桐山さんが捏造までしたということが、他でもない、
釈尊が阿含宗のいうような福、功徳、霊障なんか説いていない証拠なのです。
599名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:52:08 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

桐山さんは御利益、霊障、超能力以外のことで捏造をしていない。
この三つが経典に存在しないから、捏造するしかなかった。
この時期の桐山さんの苦心惨憺の様子が本を丁寧に読むとよくうかがえる。
御利益については旧『修行者座右宝鑑』で>>284で引用したように、
最初は衆集経の「三福業」を採用しようとした。
しかし、>>286で書いたように、たった一行で名前が出てくるだけです。
「あかん、信者はアホばかりとはいえ、これでは騙せない」と桐山ゲイカは長年の経験から直感された。
>>247の世間福、出世間福は名前はとてもいいのだが、経典を出してしまったら、
意味がまるで違うことがばれてしまうから、これもダメ。
経典が出せて、しかも、金と人を貢げば、応供の御利益自動販売機如来様が、
ゴロン、ドロドロと御利益を垂れ流してくれると簡単に書いてある経典でなければいけない。
600名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:58:38 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

桐山ゲイカの苦悩は1979年以降数年続いた。
必死に阿含経と取り組んだ時期です。
御利益を欲望として否定したはずの釈尊の口から、
御利益をしゃべらせようというのだから、難行中の難行です。
そして、ついに応供のオキツネ様の功徳によって、三供養品を大発見した。
前代未聞、空前絶後の大違業といっても過言ではない。
同じ事をしようとした大乗経典の作者たちと比較すると桐山さんの”違大さ”がよくわかる。
大乗仏教の人たちがどうして経典をわざわざ創作したと思いますか。
阿含経を読めば読むほど、どこにも御利益がないからです。
大乗経典のすべてが御利益を目指したものではないが、
法華経などの一部はどうみても、御利益のオンパレードです。
一方、阿含経の釈尊は仏頂面で、御利益のゴの字もない。
護摩も焚かないし、占いもしないし、神通力があるのに売り物にしないし、
二言目には欲を減らせって言うんだから、
これでは、欲を煽り御利益を説く他の宗教にどんどん信者を取られてしまう。
ついに彼らは阿含経から御利益を探すのを諦めて、御利益を説く大乗釈尊を創作した。
601名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:02:54 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

大乗仏教を作り出した天才たちですらなしえなかったことを
我らが違大なる桐山ゲイカはわずか数年で達成したのだ!!
阿含経の中から、御利益経典を探し出したのです。

「ところが、その翌年、この二つの奇蹟をむすぶ経典が出てきたのである。
これはこれでまた一つの奇蹟だといっていいいかも知れない。」(『間脳思考』243頁)

お得意の奇蹟を連発する桐山さんの喜びよう。
阿含経から御利益を説くおシャカを発見するという、大乗仏教も
日本の伝統仏教の宗祖のただの一人もなしえなかったことを
桐山ゲイカは成し遂げたのであった!!
手法もまた天災的で、ないなら書き加えるという
二千五百年間、誰もなしえなかった、またしてはいけない方法であった。
602名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:04:43 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

桐山さんの妄想や捏造の世界での三供養品は三福道を説いた御利益経典だろうが、
実際は、むしろこれを否定した経典です。
阿含宗の在家信者がたった一つ阿含経を選べと言われたら、
三供養品しかないくらい重要な経典ですから、
これを普通に解釈したら、どんな意味なのか何度でも説明します。
三供養品は信者さんたちもご存じのように、
如来、正法、聖衆において功徳を積むという内容です。
どのような功徳かというと、三善根です。
>>289で引用したように、
「善根・・無貪、無瞋、無癡の三つを三善根という」(岩波仏教辞典、499頁)
無貪、無瞋、無癡の貪瞋癡とは、
「・・・貪、瞋、癡のいわゆる三毒が煩悩の根元的なものであり・・」(岩波仏教辞典、752頁)
「三毒・・・もっとも根本的な3種の煩悩を毒にたとえたもの。
教学用語としては三不善根と呼ばれる」(岩波仏教辞典、326頁)
603名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:09:34 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U
「善根・・無貪、無瞋、無癡の三つを三善根という」(岩波仏教辞典、499頁)

貪瞋癡とは、釈尊が説いた煩悩の中でも三毒と呼ばれるほど、
基本中の基本、根本中の根本となる三つの煩悩で、三不善根です。
これらの三つの根本煩悩がない状態を三善根というのです。
如来の所で、正法において、聖衆において功徳を積むとは、貪瞋癡の煩悩を断ち切ることです。
信者さんたちは三福道というから、如来、正法、聖衆に
金と人を貢ぐと、その見返りに、世間的な福も、因縁切りの出世間福も得られると信じこんでいる。
だが、この経典は、信者さんたちが信じていることとはまるっきり逆で、
御利益を願う心は貪という煩悩だから、これをなくせと説いている。
また如来も正法も聖衆も信者さんたちに何かをしてくれるなど、他力的なことは一言もなく、
自分で貪瞋癡などの煩悩を断ち切れと説いているだけです。
604名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:12:11 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

三供養品を信者さんたちは在家のために説かれた経典だと信じている。
だが、原文の三供養品は在家だけを対象とした経典ではありません。
桐山さんは勝手に「自須陀オン至阿那含断五下分結」などと付け加えて、
在家用であるかのように捏造した。
原文にはこのような記述はなく、「涅槃界に至る」とあるだけです。
在家のままではシュダオンやアナゴンが限度ですから、
原文の涅槃界というのに当てはまらなくなる。
そこで桐山さんが付け加えたのです。
付け加えた理由として、涅槃と涅槃界は違うなどと書いていた。
さすがは因縁付けの大将だけのことはある。
涅槃と涅槃界とは違うなどというのは、
芥川賞作家と芥川賞受賞とは違うといっているようなものです。
涅槃を体得したのも、涅槃界に至ったのも、同じことです。
605名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:16:52 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

三供養品は仏法僧の三宝に帰依して出家し、三つの最悪煩悩を断ちきり、
ニルバーナに至る、という普通の経典です。
釈尊には失礼だが、ありふれたどこにでもある経典です。
桐山さんはこのありふれた経典の何に目をつけ、捏造という大罪をなしたのでしょうか。
ちゃんと理由がある。
如来、正法、聖衆において「功徳を種う」と「この窮尽すべからざる福を獲べし」でしょう。
桐山さんの頭では、「功徳=福=御利益」と短絡しているのだから、
「やったー、ついに御利益を説いた釈尊の経典を発見したぞ!」と
功徳、福に大喜びして飛びついたのです。
御利益に過剰反応して、思い込みで飛びつく姿は餓鬼そのものです。
606名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:19:40 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

信者さんたちは三供養品には、三福道が何度も出てくるから、
福という単語がたくさんあるように錯覚しているが、
原典で出てくるのはたった一度だけです。
しかも、ここでいう「功徳を種う」とは、信者さんたちが信じているような
金と人を教団に貢ぐことではありえないし、福もその結果得られる御利益ではありません。
なぜなら、三供養品は出家にも説かれた経典だからです。
「涅槃界に至る」というのだから、出家に説いたといってもいい。
「功徳を種う」とは三善根というくらいだから、煩悩を断ちきることです。
三宝において煩悩を断ちきることを釈尊は「功徳を種う」とたとえた。
煩悩を断ち切って涅槃界に至ることをたいへんな「福」であると述べている。
釈尊のいう功徳や福の意味が、桐山さんが説いていることや
信者さんたちが信じているのとまるで違うのです。
607名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:22:29 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

釈尊の時代にも、世間や他の宗教では功徳や福は
今信者さんたちが信じているような、御利益という意味で用いられていた可能性が高い。
二千五百年前も今も同じ人類なのだから、俗人の感覚では、
神様にお供え物をして、何か御利益を得ようとするのが普通なのでしょう。
だから、釈尊に何か差し出せば、功徳や福が得られると言われると、
今の我々もすんなりと受け入れてしまう。
だが、釈尊はこういう信仰を批判し、否定したのです。
では、なぜ釈尊もまた功徳や福といった言葉を用いたのか。
釈尊の常で、世間で用いられている言葉を否定せず、
中身を煩悩を断ちきるという教法に
置き換えてしまう手法です。
つまり、本当の意味での方便です。
608名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:27:43 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

いつも例に出しているのが、「真のバラモン」という表現です。
釈尊はバラモンなどカーストを教団に持ち込むことは禁止した。
にもかかわらず、経典では真のバラモンを説いています。
釈尊のいう真のバラモンとは解脱した比丘たちのことであって、
カーストのバラモンのことではありません。
これと同じで、世間で使われていた功徳や福といった言葉を否定せず、
中身を釈尊の教法に置き換えてしまった。
在家など特に功徳や福を欲しがる。
欲しがること自体が煩悩なのだが、頭から否定したら、人々は聞く耳を持たない。
護摩を焚き、占いをして、先祖供養によって精霊からの加護が得られるなど、
御利益を説く宗教は当時もたくさんあったのですから、
仏頂面の釈尊からお説教をいただく必要はないと逃げてしまうでしょう。
今の信者さんたちは煩悩を断ち切るのが釈尊の教法だと教えられても、うれしくもなんともない。
阿含宗のように、拝めば御利益満載のほうがありがたい。
二千五百年前の人々も同じだったのです。
609名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:30:24 ID:YvGIGRF8
610名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:31:58 ID:51kIJR8U
>>595 :名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 12:43:01 ID:51kIJR8U

釈尊は真のバラモンと同様に、功徳、福といった世間で用いられていた言葉を採用して、
本当の功徳、本当の福とは何かを説いた。
三供養品の釈尊の説明によれば、教法(如来、正法、聖衆)に従い、
煩悩を断ちきる努力をすることが功徳を種うことであり、
その結果、煩悩を断ちきり、解脱を得ることが最高の福だというのです。
三供養品で釈尊は信者さんたちに、教団に金と人の貢ぎ物を持って来れば、
福という御利益を授けると言っているのではありません。
釈尊の教法に従い、自分の力で自分の煩悩を断ちきりなさいと説いているのです。
これでもまだ信者さんたちは、三供養品の教えに基づくと称して、
骨の仏に貢ぎ物としての金や人をささげ、福という御利益を得ようとするのですか。
611名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:38:19 ID:YvGIGRF8
612名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:53:27 ID:YvGIGRF8
613名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:55:25 ID:YvGIGRF8
614名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 13:59:43 ID:YvGIGRF8
やっぱ苦しいすか?あははw
615名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 14:15:07 ID:YvGIGRF8
止息は止観と同義であり、神仙道が天台の摩訶止観から影響を受けて止息という単語を作ったらしいです
616樹意 1:2005/11/16(水) 21:02:45 ID:rS8GJGst
>>595
日頃の批判活動には敬服する奈々氏さんですが異論がありますので
コメントします。 あらかじめご了承下さい。
阿含経に説かれる神通の意味は一般に考えられる(五神通)(超能力)
以外に意味的に大きな広がりがあります。
マハースダッサナ経の注釈には 神通iddhi の意味として
希望する目的の成就とあり、 現象として 端正 長寿 健康 敬愛の四を
さす場合があります。 密教の四種護摩法に通じるものがあります。
四神足の足は 定を得る足場の意味であるというのはジミズ氏との議論で説明した
通りです。
つまり 神通の意味は(超能力)という意味の他に目的の成就という意味が
隠れています。
四禅 八定といいますが、定を超能力開発に向けるならば五神通を得るという
事になり ジャナバァサバ経にも神通の生起の為にという文言があります。



617樹意 2:2005/11/16(水) 21:18:10 ID:rS8GJGst
>>596
但し >>596で説明されているように
>3の超能力開発法の経典とは安那般那念経や止息経についてです。
安那般那念経や止息経は超能力開発の法とはいえません、慧解脱の
阿羅漢がいるという スシーマの経典を見てもわかる通り これは五神通
を開発する修行法ではありません。
五蘊の無常 無我 空を観智しこれらの密集を見破る為の 観禅の修業法に
なりますから ゲイカが説くようなクンダリーニで超能力を開発するといった
ものとはいえません。
法はよく説かれた 教師の握りこぶしは無いの法の核心はこの四念処一乗道
にあります、ゲイカのように、誤魔化したり 秘伝であるなどとは言っておりません。

いずれにしろかなり強烈に誤魔化しているのが見て取れます。
信者さんたちは自分で大念処経なりの翻訳を読んでみてください。


618クソガキくん:2005/11/16(水) 22:15:09 ID:YvGIGRF8
樹意さんはそこまで知識があるのに何故成仏法を実践しないのですか?
あなたにも↓をおくります
http://religion.bbs.thebbs.jp/1131118587/225
619名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 23:15:38 ID:rbh21wfM
樹意さんは野球選手で言えば阿含ラーメンズで変なコーチに教わったフォーム
で肩壊して退団して、運動学やトレーニング理論などなど一から勉強し直して
るところでしょ。そこからもしかしたら数年後には一般人にもわかりやすい
原始仏教の本を書いたりする可能性だってあるんだし。まぁあまり性急に
物事を片づけてしまわないことですな。ティク ナット ハン氏は本読むとそ
れなりに妥当な内容ですが、実践についてはなんとも言えない。日本人に向
いているのかも含めて。

ムーンストーンさんについては僧籍のかたならば師僧に相談すればいいんだ
が、会員さんだったりしたらなかなか厄介な問題が生じてくるんじゃないで
すかね。「なんで東海本部でやらないんだ?」とか、「土砂加持なり如意
宝珠法なりの伝授を受けたのか?」とか…それより一番マズイのは、普通
は在家は他人のために祈願ってのはやらないお約束があるんですよね。
修験関係の方でさえ本来はそういうものだと仰っていますし。護摩木に
家族や知人の息災を祈るのとは話が違うでしょ。(苦笑)
620名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 23:23:36 ID:YvGIGRF8
>>587 >ムーンストーン450個、単価@130
神聖仏舎利に変えるには、ダト法でしょうか? それとも土砂加持法?
いえは日タイ寺の近くなので

応答が上がりましたよ!!!↑
621名無しさん@3周年:2005/11/16(水) 23:48:31 ID:lEl0zjOe
ムーンストーンです。
アドバイスありがとうございます。 修法はプロじゃないと
まずいとわかりました。

普通のパーツとして扱います。
ちなみにロイヤルムーンストーンというのもあります。

ちと値は張りますが。見ごたえ有り。 では。
622名無しさん@3周年:2005/11/17(木) 00:00:19 ID:SHzipbPD
>>610
そんなこと言っていたら教団など成り立たないよ!
上座部じゃそれで食っているんだからね。
623名無しさん@3周年:2005/11/17(木) 00:02:08 ID:SHzipbPD
タイとかにいってみ!
在家の貢ぎ物でいっぱいだ。
やはり三宝に布施して功徳を積むという考えでね。
624名無しさん@3周年:2005/11/17(木) 00:06:23 ID:h8OPA+rS
>621
プロとか以前に日泰寺に入って勝手に修法など
出来ないとおもうけどなぁ〜?
どうなの、ひかくてき自由に出入りできて、
中で何時間も瞑想している人とかいるの?
625名無しさん@3周年
>>621
ちょっと言葉足らずだったかな…ともおもいましたが、ご理解いただいて
ありがとうございます。在家で自分自身が重荷を背負っているのに、他人の
荷物まで直接的にしょいこむことにもなりかねないのでそういうお約束が
あるんじゃないかと。ご自宅の仏間に安置して拝んでいるぶんにはいいんじゃ
ないでしょうか。そうしているうちに、なにかしら御縁があってムーンストーン
の開眼ができるようになるかもしれませんしね。それが御自身であるのか、
あるいは他の御縁であるのかはわかりませんが。楽しみは先にとっておいても
いいのかもしれませんよ。

ロイヤルムーンストーンですか。レインボームーンストーンとかいろいろ
あるんですね。ちなみに当方は水晶を開眼して如意宝珠の代用にしようか
とも考えています。ではでは。