25 :
名無しさん@3周年:
フィリオクェ問題がなかったら何て名前のキリスト教になっていたのだろうか?
↓
フィリオクェ問題(フィリオクェもんだい)は、キリスト教の神学上最大の論争の
ひとつである。ローマ・カトリック教会と東方正教会の分離、いわゆる大シスマ
(東西分裂)の主要なきっかけとなった。
この時期のキリスト教では、東地中海沿岸ではギリシア語が、西地中海沿岸では
ラテン語が主に用いられていた。教義は主に東地中海で理論的発展を見たため、
神学理論は主にギリシア語で著述された。公会議で採択されたいくつかの信条も
ギリシア語を原文とする。ローマ教会をはじめとするラテン語地域では、聖書や
信条といった宗教文書をラテン語に訳して用いていた。
ニカイア・コンスタンティノポリス信条の原文では、「聖霊は父なる神から発す
る」としていた。ローマ・カトリック側がそのラテン語訳に9世紀になって一方
的に「子からも(発する)(フォリオクェ)」と付け加え、これを正文であると
主張したためにコンスタンティノポリス教会側が反発した。さらに当時のコンス
タンティノポリス総主教フォティオスと前総主教イグナティオスをめぐるコンス
タンティノポリス教会内部の政治的争いにローマ教皇が介入し、イグナティオス
を支持した。こうして、東西のキリスト教会を二分する深刻な対立状態がもたら
された(「フォティオスの分離」)。
この対立そのものはフォティオスの存命中に終結した。イグナティオスはいった
ん政治的に勝利を収め、フォティオスは破門の上、追放刑に処された。しかしの
ちに名誉回復しコンスタンティノポリス総主教に復帰した。東西教会の分裂も一
応は調停されたが、この対立の間に召集された第4コンスタンティノポリス公会
議の正当性をめぐる意見の相違など、両教会の間には亀裂が残った。「フィリオ
クエ」をめぐってはその後も東西教会で見解が一致せず、結局1054年の大分裂を
生んだ。現在でも東方正教会では「聖霊は父からのみ発出し、子を通して派遣さ
れる」としている。
26 :
名無しさん@3周年:2005/10/24(月) 08:28:18 ID:owxrrRFx
フィリオークェはゲルマン国家の形成・成長に伴う歴史の必然。
27 :
名無しさん@3周年:2005/10/25(火) 22:53:18 ID:yTlj38t5
>>25 っつう事は、今でもカトリックでは聖霊は父と子から発するという教えなので
つか?プロテスタントも同じかな、、、?