【超教派】クリスチャンと靖国神社Part8

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957名無しさん@3周年
>いや、兵士たちが「死んだ後、自分たちが神として靖国に祀られる」という教義に基づいて行動したと言う話をしているのですけど。
これも不正確な認識です。靖国神社は招魂社をその祖としていますので。
もっとも、キリスト教徒の方に、その概念が理解できるとは思っておりません。

>宗教的権威と言うのは、天皇ですな。
宗教的権威と祭祀的権威は日本では異なります。天皇家成立の歴史を知られると良いかとも思います。
これには民間伝承の発掘が大変必要とはなりますが。

>天皇を宗教的に権威付けするために、即位の儀式などは神式で行われるわけでして。
宗教的に権威付けするのではなく、国家を統合する存在として権威付けされるのです。
958名無しさん@3周年:2005/11/17(木) 04:31:21 ID:51Ikz+nw
>その「農民の不満」の理由の一つとして、宗教的に抑圧されていたこともあるでしょう。
いえ、あの地方に年貢を課すのは難しかったのですが、それをしてしまったことに問題もありました。
そして、自然バランスがキリシタンの増加で狂っていたことも挙げられます。
また、そのことを願い出てもきちんとした対処をしなかったことも問題として挙げられます。

>外国と通じていたとしても、その外国との関係を改めさせればいいだけの話ですよね。というか、どうせその後鎖国をするわけですし。
デウスという存在はキリシタンにとって大きなものでもありました。宣教師は、それらと同一視されもしていました。だから危険だったのです。

>国外追放とか、信者殺戮と言った非人間的な行動をする必要がありません。
これも当然のことです。キリシタンは国内を荒らし、一向宗より危険な存在でもあったからです。

>「巡礼者の保護」と言うのは、政治的な目的でしょう。「自国民の保護」と言い換えればお分かりいただけるかと思いますが。
これは、宗教的意図によっても行われたことです。異教徒から聖地を取り返すことという大義名分がありました。
教皇の立場は、日本の天皇陛下のように国家の統合というものとは明らかに相違があり、宗教的なものでもありました。
959名無しさん@3周年:2005/11/17(木) 05:00:48 ID:51Ikz+nw
CDUさん、これだけははっきりといっておきますが、
私はキリスト教を責めようという意思は毛頭ございません。
謝罪をしてもらおうという意思もありません。

ただ、一つの歴史の背景としてこのようなことがあったと申しているだけです。
また、CDUさんのご意見を否定しているわけでもありません。
一つの歴史に対する感想は、誰しもが持つことでしょうから。

ただし、神道では在りのままを受け入れねばなりませんから、
そこに人間の感情に基づいた感想を付け加えるということはしないのですよ。
960名無しさん@3周年:2005/11/17(木) 05:08:11 ID:51Ikz+nw
>確かに奴隷売買は問題ですけど、異教徒も人間だとは認識していました。
あの当時は、まだそこまで認識が定着されてなかったのです。
異人種が人間となるには、キリスト教徒になることが条件だったのです。