【新共同訳】聖書はどの翻訳がいい?3【新改訳】

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190名無しさん@3周年
【 聖書の成立に関わる年表・後編 その1 】→旧題名【 聖書の構成変化の流れ 】

[51]年ごろからパウロ書簡、64年以降にマルコ伝、
[110〜150]年ごろまでにヨハネ伝・ヨハネ書簡・ヨハネ黙示録。
@マルキオン(140年ごろ)の聖書、ルカ伝+ルカの使徒行伝+8パウロ書簡。

Aイレナエウス(180年ごろ)の[頃の]聖書、4福音書+使徒行伝+13パウロ書簡
(フィレモン・ヘブライ・Tペテロ・TUヨハネ除く、黙示録は外典)
Bテルトゥリアヌス(203年ごろ)の[頃の]聖書、
  4福音書+使徒行伝+13パウロ書簡+ユダ書+ヘブライ+バルナバ+ヘルマスの牧者
Cオリゲネス(200年代前半)の評価、27書は疑わしい。

●ヒエロニムス(300前後)がラテン語聖書の編纂の際に旧約をヘブライ語から翻訳。
Dエウセビオス(325年ごろ)ニカイア会議前から「教会史」書き始める。

E小アジアのラオディキア会議(363年)、ヨハネの黙示録を除く26巻を正典に。
Fアタナシオス(367)第39復活祭書簡、2[7]書を増やしても減らしてもいけない。
Gヒッポ会議(393)カルタゴ会議(397)27書を正典と確認。

Hコンスタンチノープルのトゥルルス会議(692)
  東方教会がヨハネの黙示録を、[外典から]正典に承認し27書を決定。
Iルター(1522)ヘブライ・ヤコブ・ユダ・黙示録を正典から外す。
191名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 06:57:27 ID:ddyA3dj8
【 聖書辞典 新教出版社 】
p258 せいしょ 聖書 ・・・[原典と写本]聖書はもともと,
羊皮紙あるいはパピルス・・・今ではこの原本は失われてしまったが,
原本から多くの写本が残され,それがもととなって今日の聖書が編集されている。
2世紀ごろの写本の断片も存在するが,・・・次のようなものがある.
@アレキサンドリヤ写本・・・Aヴァチカン写本・・・Bシナイ写本・・・
Cエフライム写本[旧約]・・・D死海写本[旧約]と呼ばれている。

p261 せいてん 正典 ・・・結局,{五世紀前夜の}393年のヒッポ会議,
397年のカルタゴ会議にいたって現行の形{新約聖書27巻}で正典化された。

 それと諸々の紹介。
○ヨハネ福音書・書簡・黙示録は、パトモス島流刑の使徒ヨハネ(85年〜90年)による執筆。
従来は学者により2世紀の中頃(133−167年代)に書かれたという。
ジョン・ライランズ・パピリという,この福音書の写本(135年と推定)の断片が発見され、
発見されたエジプトの内陸部まで伝わるためには,
少なくとも数十年はかかると考えられるから90年代と推定したのである。
○マルキオン(140年代活躍)は黒海沿岸ポントス・シノペ生まれ、ローマに行った事がある。

 2世紀つまり100年代で、
マルキオンのルカとパウロ書簡のみの聖書(140年代)や、
ヨハネ福音書・書簡・黙示録(110〜150年代)が出来た、
グノーシス・キリスト教(異端)が全盛の頃。
192名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 07:01:04 ID:ddyA3dj8
●テモテ書はメモというより伝言手紙の断片を編集したものといい
    パウロのテサロニケ書〜ローマ書とルカの福音書と使徒言行録は
    きちんとした手紙としての各教会向けの書簡だった。
    聖書正典にはないが、使徒教父文書という聖書の後続の書簡・手紙の写本が実在する。
    例: クレメンスの手紙・イグナチオの手紙・ポリュカルポスの手紙

   ○バチカンの写本は後半部がなかったり断片である
    (西方写本系・ベザエ写本・ベザ写本?・ビザンチン写本)
   ○シナイ写本(エジプト写本系)は30巻の新約聖書
    (27書+ヘルマスの牧者・バルナバの手紙・12使徒の遺訓[ディダケー])
   ○アンテオケ写本(シリア写本・レニングラード写本)
   以上の3系統の異説の(ヘレニズム)コイネー・ギリシア語の写本がある。
193暇人:2005/12/20(火) 07:31:55 ID:NAOW7dmt
>>182

ウルガタは70人訳をラテン語訳。

194名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 08:26:23 ID:tcbuFu2Y
>>191

【 聖書辞典 新教出版社 】
p258
せいしょ 聖書 ・・・[原典と写本]聖書はもともと,
羊皮紙あるいはパピルス・・・紙に書かれていた。
・・・今ではこの原本は失われてしまったが,
原本から多くの写本が残され,それがもととなって今日の聖書が編集されている。
2世紀ごろの写本の断片も存在するが,
・・・現在残されている有名な写本には、・・・次のようなものがある.
@アレキサンドリヤ写本〈記号A〉1628年・・・発見された。5世紀のもの。
Aヴァチカン写本〈B〉写本の中で重要視されている・・・4世紀の作。
Bシナイ写本〈アレフ〉4世紀のもの。
Cエフライム写本〈C〉5世紀に属する。
D死海写本 1947年・・・クムラン洞穴で発見・・・。と呼ばれている。
p261
 せいてん 正典 ・・・結局,{五世紀前夜の}393年のヒッポ会議,
397年のカルタゴ会議にいたって現行の形{新約聖書27巻}で正典化された。
195名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 08:26:57 ID:tcbuFu2Y
新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか(大修館書店)のp83には
新約聖書はコデックス「綴じ本」で「ヴァチカヌス」(ヘブライ書の後半部分、
テモテ書の一と二、テトス書、フィレモン書、黙示録が欠如している。)と、
「シナイティキュス」(新約聖書全巻、バルナバの手紙、ヘルマスの牧者が
収まっている。)であった。ほかに、p104「ビザンチン写本」と呼ばれる
グループの写本で、エラスムスがギリシア語テキストを確定する。
黙示録22:16−21が欠如していたが、ラテン語版をギリシア語訳にして作った。
1516年のギリシア語テキストは、こうして出来上がって印刷屋に渡された。
またp108−110には、300年ごろの標準テキストの大改訂があって、
三グループあったという。
(1)「アンティオキア写本」・・・「シリア写本」
(2)「アレキサンドリア写本」・・・「エジプト写本」
(3)「西方写本」・・・「コデックス・ベザエ」

http://www.d2.dion.ne.jp/~yoo1tae5/diin/syahon.html

クレルモン写本〈D〉[コーディックス_ベザエ(西方型・西方写本)]
ベザ写本〈D〉[コーディックス_ベザエ]:__ケンブリッジ大学図書館[ケンブリッジ写本]
ヴァチカン写本〈B〉[ヴァチカヌス]:____ヴァチカン図書館[アレ型]
エフラエム写本〈C〉・レギウス写本〈?〉:_パリ国立図書館(アンティオキア写本[シリア写本]?)
シナイ写本〈?〉[シナイティキュス]・アレクサンドリア写本〈A〉[エジプト写本]:_
______________________大英博物館[2つとも旧約新約全体]

★メソジスト教派:_オックスフォード大学_ジョン・ウエスレー派(フス派の聖書で聖書を読み解く)
196名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 08:27:47 ID:tcbuFu2Y
【 日本語対訳 ギリシア語新約聖書 1マタイによる福音書 教文館 】
 原文は聖書協会世界連盟とドイツ聖書協会の許可で、
 TheGreekNewTestament(ThirdEdition)(Corrected)(1983)を使用。
 Nestle−Aland26版も参照。

新約聖書略解(日本基督教団出版局)概説p15では、
日本の口語訳のテキストとして用いられたものは、
ネストレ編集の「ギリシャ語新約聖書」で、19世紀後半に原文から校訂したテキストです。

新共同訳の聖書の序文の最後に、
(2)新約聖書「ギリシア語新約聖書(修正第三版)」(聖書協会世界連盟)とあります。

聖書辞典(新教出版社)の せいしょ聖書の欄には、
[原典と写本]・・・羊皮紙あるいはパピルス・・・紙に書かれていた。
・・・現在残されている有名な写本には、次のようなものがある。
@アレキサンドリヤ写本〈記号A〉1628年・・・発見された。5世紀のもの。
Aヴァチカン写本〈B〉 写本の中で重要視されている・・・4世紀の作。
Bシナイ写本〈アレフ〉4世紀のもの。
Cエフライム写本〈C〉5世紀に属する。
D死海写本 1947年・・・クムラン洞穴で発見・・・。
197名無しさん@3周年:2005/12/20(火) 08:34:14 ID:cvvMdiZX
>参考

1.について
それぞれの底本(ギリシア語新約聖書)が異なるために生じた違いです。
口語訳  ネストレ-アーランド(NA)版第21版
新改訳  ネストレ-アーランド(NA)版第24版
新共同訳 聖書協会世界連盟(UBS)版修正第3版

29節〜31節には大きく分けて3つの異読(アパラトゥス)があります。
(1) 兄は「いいえ」と返事するが、行く。弟は「はい」と返事するが、行かない。
  祭司長たちの答は「兄」。(シナイ、エフライム写本等)
(2) (1)と同じだが、祭司長たちの答は「弟」。(ベザ写本等)
(3) 兄は「はい」と返事するが、行かない。弟は「いいえ」と返事するが、行く。
  祭司長たちの答は「弟」。(ヴァチカン、コリデティ写本等)
(NA21,24版は (3) の読みを、UBS修正3版は (1) の読みを本文として採用)

16世紀〜19世紀までは、ほとんどビザンチン型の写本しか知られていなかったため、
(1) の読みに従っています。その後、ヴァチカン写本が知られるようになると、その
重要さの故に、(3) の読みが採られるようになり、20世紀前半は、(3) の読みが支配
的でした。しかし、最近の本文批評は (3) の読みではなく、(1) の読みを採るように
なっています(NAは26版、UBSは3版から共に (1) の読みを本文として採用)。
因に、UBS版には「確かさの度合い」なるものが付されており、当該個所は{C}
「どちらを採用すべきかかなり疑問なもの」の判定が付けられています。

どの読みを採るかは、マタイの救済史観を考察する上で重要な個所かもしれません。