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うさぎ888σ(・ω・*) ◆l8/Ncjcsrg :
無条件のゆるしの福音
姦淫を犯しイエスの前に引きずり出された女性の話は有名です。(ヨハネ7章53,8章1−11)
このエピソードの中に、ユダヤ民族主義の基本たるモーセの律法への批判が厳としてあります。
「あなた方の中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」とユダヤの律法に対する
「反対命題」として展開したイエスの言葉、「しかし、わたしはあなたがたに言う。誰でも情欲を
いだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」がた反響しています。
誰もこの女性に石を投げつけずに去り、イエスもまたこの女性を断罪しなかったです。
「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」
ここで重要なのは「今後はもう罪を犯さないように」とイエスが言っていることです。つまり、姦淫は
罪なのであって、決死てそのままにしておいて良いとは考えていないのです。さらに重要なのは
イエスのその勧告の言葉が語られる順番です。決して「今後はもう罪を犯さないように。そうすれば
私はあなたをゆるそう」という条件付きではなく、むしろ「わたしもあなたを罰しない」、つまり「あなたは
ゆるされているのだ」という言葉に継続するものとして初めて語られているのです。
あの女性はどうなったでしょうか。イエスのゆるしを見に受けて立ち直れたでしょうか。
それともまた罪を犯しているでしょうか。そういう可能性も否定できません。
福音に基礎付けられていない人間には、イエスのその言葉は重圧でしかないでしょう。
なぜなら言葉の意味によって満たされる力が福音に基礎付けられていない人には宿って
いないからです。
しかしそれでも、イエスのゆるしの福音は語り続けられます。なぜならば、人をダメにして
しまうかも知れない可能性を持つほどに徹底したゆるしだからこそ、それは真実に人を
立ち直らせることができるからです。