阿含宗という宗教90

このエントリーをはてなブックマークに追加
683金剛靖雄+ユビキタス:2005/09/04(日) 13:58:02 ID:BH7WsTeR
運命返しを受けてみよ!!
684Never Returner:2005/09/04(日) 15:59:52 ID:RKhWt6RW
七氏は漏尽通が煩悩を滅する能力ではなくて、煩悩がすでに消滅したことを観察する
能力であると書いた。そこで。私が、それでは、煩悩が未だにあり、解脱していない事を観察する
能力はどういう名称か、たずねた。その時点で、彼は自分の間違いに気づかなければいけない。
気づかなければ馬鹿なのだ。
今彼は、能力という言葉と、神通力という言葉の違いで逃げようとしている。
この場合のサイキックパワーを神通力と名づけようが、能力と名づけようが、智慧と名づけようが
同じである。我々はその機能について論争していたのである。
ただ単に、煩悩がなくなったことを観察する機能なのか、
煩悩を滅する機能なのかという論争である。
七氏は論争に負けたのである。彼の辞典に<煩悩がなくなったことを観察する機能>
についてのみが書いてあったからである。
七氏はばか者である。辞典に頼り、自分でものを考えなかったから破綻したのだ。
七氏は愚か者である。間違いをはっきり書いたのに、
その間違いを訂正しようとせず、正しいこと書いた私に謂れのない非難を書き続ける。
また論争のときに、だんまりを決め込み、七氏に間違いを教えてやら無かった卑怯者が
樹意である。彼もまた不正の人物だ。
このような二人の文章に、信憑性がないのは明白で、阿含宗の正当性がますます証明されたといえるだろう。
685Never Returner:2005/09/04(日) 16:12:00 ID:RKhWt6RW
スシーマ経については、私は既に>>651で結論を書いてしまっており、
樹意とても反論できないはずである。つまり、スシーマ経で言いたいのは、
何よりも<法に対する智慧や認識を確立せねば解脱が成り立たない>、と言っているのである。
それが一番なことである。
ただ神通力修行を否定しているのではない。
実際に、あれほどの神通力を見せておいて、神通力は役に立たないなどと
釈迦がおっしゃるはずはなく、37菩提の中に4神足が網羅されているのを見れば
それもまた重要な修行課題であったことは、明白である。
通力修行は大いに役に立つからすべきなのである。それは釈迦も桐山も共通の認識である。
ただ桐山に対する誤解は、彼が最初は金剛大乗の神通力主体の人であったかのように
樹意が錯覚しているだけであろう。桐山は初期の修行である千座行の中に既に阿含経を
採用していたのである。そのことは樹意も知っておるはずだ。
最初から、桐山は阿含経に動かされていた。
686Never Returner:2005/09/04(日) 16:31:56 ID:RKhWt6RW
神通力の呼称の問題は、今まで明瞭に言い切った人が居なくて、もしかして私が最初の
発見者になるのかどうか分らんが、再度書く。
たとえば、神足通、他心通、天耳通の3つを得た神通力者が居たとしよう。彼に
呼称が有りや?無しや?
3つも能力がありながら、神通力者の中に分類されないということがあるだろうか?
そんな馬鹿なことはないのである。
 彼は六神通力の修行者、端的には六神通力者と、呼ばれたのである。
いちいち、彼は六神通のうちの2つを得たもの,とか、六神通のうち3つを得たもの
という言い方は面倒で言わなかったのである。宿命通以上の三明に届かない者は、
六神通と呼び、三明の中のひとつでも能力があれば、敬意を持って、三明具足と呼んだのだろう。
そう、呼ぶことで、識別した。
またこの言い方は便利なものだった。
神足通、他心通、天耳通の3つを得た大神通力者が、宿命通の修行者に敬意を評した。
宿命通の方が釈迦仏教の本懐たる解脱能力に近いから、いくら3つの能力を強く持っていても、
六神通力者は、三明の修行者に上位を譲ったのである。
それが、仏教教団のあるべき姿である。解脱が出家者の本懐であるのだか、解脱に近いものが、
尊ばれる、当然である。このような名称だった、と解釈することで、阿含経の理解は深まるのである。

もし、この呼称の問題について私が最初の発見者であるのなら、
ノーベル賞をくれ!
だめなら、せめて、文化勲章を!(ふふふふふ)
687Never Returner:2005/09/04(日) 16:45:53 ID:RKhWt6RW
大恥をかいて泣いている七氏は放っておいて、皆さんは、聖なる阿含経を
読んでみて下さい。意味が不明瞭なら、調べてください。暇人さんも樹意も良く分っておいでのようだが、
それと阿含宗の批判と結びつけるととんでもない間違いが起こる場合がある。
樹意はまさに、前提が正しく、結論が間違いだ。阿含宗に対す偏見があるので、
危険な教師である。
本当に納得したいのなら、英訳を当たってみてくれ。
それでも分らないのなら、分らないままにしておけ。
いつか、三明の菩薩が現れる。私は六神通の菩薩に過ぎないが、三明の菩薩が
もっと明瞭に文を書くだろう。たとえば桐山先生は三明具足者だが、ここには来ないだろう。
あなた方にとっては、栗花先生こそ、三明の菩薩かも知れない。
688名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 17:49:22 ID:vgpcjrUD
>>687
>Never Returnerさんが 六神通の“菩薩”で、
>栗花さんが      三明の “菩薩”
ですか。ふ〜ん。
689ユビキタス踊り ◆PYjGRf6fDs :2005/09/04(日) 17:55:06 ID:Z00WHhyV
あたしたち天耳通三姉妹♪
あたいはテン子♪うちはニー代♪この子はツー美よ♪
3人合わせてテン!ニー!ツー!
普通の人には聞こえない音が聞こえるの♪
ほ〜らほ〜ら♪聞こえるわ♪聞こえるわ♪
ジューンシー♪ジューンシー♪
あらやんだ♪これって老人性の幻聴じゃない♪
そう言えばあんだもシワくちゃで汚いわね♪
690名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 18:02:19 ID:vgpcjrUD
壊れた三田明の菩薩
691樹意:2005/09/04(日) 21:27:02 ID:47oGQFnu
Never もといジミズのおじさんは ほんとに懲りない人ですね。
何度指摘しても私が神通力を否定したような書き方をして、読む人の誤解を
さそう詭弁を使う。 
何度同じことを書いても壊れたレコーダーの如く同じ詭弁の繰り返し
どうして普通の道徳意識が持てないのでしょうか?
それから ここはゲイカと教団の批判です 神通力の議論以前にゲイカが
いままでについてきた嘘や反社会的行為 霊感商法に対する反論にはなりません。
そもそも仏陀の成仏法とは八正道であり、その中にある正語 正業 正思 正命 
正精進 正念 を無視して論ずるべきものではありません。
ジミズさんの一連の人の発言を曲げる行為は これらに反するものです。
ゲイカに至ってはこれらを蹴飛ばしている方であると言えるでしょう。

それとそこまで神通力にこだわるのであれば >>659 >>660に引用した 引用に対する反論も
してください。
>道智は八定と五神通の結果ではなく、
>道智は観智の結果である。ゆえに道智は観智の後にしか生起せず、
>八定と五神通の後に生起するものではない。


692樹意:2005/09/04(日) 21:42:42 ID:47oGQFnu
神通力に関してはゲイカの教法とも係わりが少しありますので 
Never氏はこれに反論する必要があります。 ROMの皆さんを説得するのでしたら
どうぞ反論してください。
>>660
> これはどのような意味であるか?道智は八定と五神通の結果ではなく、
> 道智は観智の結果である。ゆえに道智は観智の後にしか生起せず、
> 八定と五神通の後に生起するものではない。<須師摩経Susima Sutta>の中では、
> 全ての観智はすべて法住智に分類している。この中において、法住智とは、
> 全ての行法または有為法(sankhaara-dhamma)の無常、苦、無我の本質
> を見極める観智を指している。行法とは名・色とそれらの因縁である。故に、
> 名・色、名・色の因縁とそれらの無常、苦、無我の本質を見極める観智を法住智と言う。
> 故に、まず法住智で、その次に涅槃を対象とする道智なのである。

漏尽通に関してはこれは漏尽明 漏尽智とも言われ 仏教で得られる悟りの智慧そのものですから
これはその他の五神通とは区別する必要があります。
法住智 観智に五神通が必要である事を経典引用で 反論してください。
私が引用したスシーマ経のように勝手に書き換えないように。
あと森先生の引用にしたような 意味を書き換えるのも無しです。
693樹意:2005/09/04(日) 22:00:18 ID:47oGQFnu
>>691
> Never もといジミズのおじさんは ほんとに懲りない人ですね。
> 何度指摘しても私が神通力を否定したような書き方をして、読む人の誤解を
> さそう詭弁を使う。 

そもそも 八正道を持ち出すまでもなく 妄語戒は在家戒であって五戒を守り 四預流支を具して
、智眼ををもって正法を見るとき その人は「決定して菩提の終局に達するであろう」と
経典にある。 典拠 南伝相応部経典 12 41 五罪畏
神通力を持ち出す前にこのような基本的なことをしっかり やれるように
なるのが 基本なのです。

まあ ゲイカもこんな戒は出したくないから 八正道はうっちゃりましたが。





694樹意:2005/09/04(日) 22:06:13 ID:47oGQFnu
>>687

> いつか、三明の菩薩が現れる。私は六神通の菩薩に過ぎないが、三明の菩薩が
> もっと明瞭に文を書くだろう。たとえば桐山先生は三明具足者だが、ここには来ないだろう。
> あなた方にとっては、栗花先生こそ、三明の菩薩かも知れない。

みんなで明智の説明をしてあげたのにいまだ理解できないようです。 
きっと脳みそが固まってしまったのか シナプスが繋がらないのか
だれか この方の脳にグリスを注入してあげてください。


695名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 22:18:36 ID:ytId3Y30
>>684 :Never Returner:2005/09/04(日) 15:59:52 ID:RKhWt6RW
>七氏は漏尽通が煩悩を滅する能力ではなくて、煩悩がすでに消滅したことを観察する
>能力であると書いた。そこで。私が、それでは、煩悩が未だにあり、解脱していない事を観察する
>能力はどういう名称か、たずねた。

「私」が、煩悩が消滅したことを観察する能力だと書いたのでありません。
中村博士が編集した辞典に、
「漏尽通は、自己の煩悩が尽きたことを知る能力」(『岩波仏教辞典』847頁)
と、書いてあると指摘したのです。
一方、ヂミズさんは何一つ経典の根拠も示さず、学者の説明も示さず、
樹意さんや暇人さんたちの言葉を勝手解釈して、
神通力で煩悩を切るのだと主張し続けている。
仮にヂミズさんと同じ説の人が百人いても無意味です。
中村博士が絶対に間違いをしないなどというつもりないから、
違うというなら、ヂミズさんの説ではなく、
学説でも別な仏教辞典でも示してみればいいいではないか。
696名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 22:22:57 ID:ytId3Y30
>>684 :Never Returner:2005/09/04(日) 15:59:52 ID:RKhWt6RW
>七氏は論争に負けたのである。彼の辞典に<煩悩がなくなったことを観察する機能>
>についてのみが書いてあったからである。

ヂミズ先生、私は阿含宗に出した金額以外で、どう負けたのでしょう。
金額についてはもはやヂミズ先生の勝利を疑う者はいません。
最高額が六万円也のアナゴン様としてスレでは有名です。
しかし、これ以外で、どこでいつどのように負けたのか、教えてくラハイ、センセー!!
仏教学者も人の子だから、個人の著作なら間違うかもしれない。
だが、中村博士という仏教学の大家が編集して、
二百名にも及ぶ当代一流の学者たちが執筆した辞典の解説が間違っているとおっしゃるなら、
それなりの根拠を示していただかないと、説得力がありません。
いくらヂミズ先生がアナゴン菩薩であるとおっしゃられても、
なんせ、阿含宗ではガンの因縁が切れずに死んでも菩薩でございますし、
私はアラハン詐欺師に騙された愚か者でございますから、
ヂミズ先生の耳鳴り神通力くらいでは説得されません。
ところで、耳鳴り菩薩様はいつも「論争」とおっしゃるが、私は議論をしているのであって、
耳鳴り菩薩様のように、矛盾を指摘されたからといって罵声は浴びせないし、
反論できないからといって勝利宣言などしませんから、論争をしたことはありません。
697樹意:2005/09/04(日) 22:26:04 ID:47oGQFnu
三蔵法師に有名な三蔵は 経 律 論という意味で以下に フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
からの引用を致します。

経典(きょうてん、(梵)suutrasanskrit、(パ)sutta)の、「経」とは仏教聖典の内、
釈迦が説いた教えを記録しているもの。修行法や戒律に関するものは「律」、
経典を注釈したものは「論」と呼ばれ、経・律・論を合わせて「三蔵」と呼ぶ。
「経典」という場合、狭義には「経」のみを指すが、広義には仏教典籍全般を指す。
その意味では仏典と同義である。

以上にあるように修行法と戒律はセットで律と呼ばれるものです。
修行 修行といっても基本的な戒律は必要なのであり、四双八輩 に相応しい戒を
備えていると経典にあるように、セットで必要なものでありますから八正道でちゃんと
定義しているわけです。
ゲイカの場合は 食道楽でもあり 名誉欲 金銭欲 その他凡夫に相応しい破戒を
備えております、だから八正道を脇役にしたのです。
それを擁護するジミズ教の教祖も 他人の意見 経典を書き換えて平気です。

なお余談ではありますが三結にある戒取の煩悩とは区別されるべきであると考えて
おります、仏教では最終的に(取)執着となるものを捨てるのですが(筏の喩え)
筏を作る過程には それが必要なのであります。 この点は微妙なので、割愛します。
698名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 22:30:11 ID:ytId3Y30
>>685 :Never Returner:2005/09/04(日) 16:12:00 ID:RKhWt6RW
>スシーマ経については、私は既に>>651で結論を書いてしまっており、
>樹意とても反論できないはずである。つまり、スシーマ経で言いたいのは、
>何よりも<法に対する智慧や認識を確立せねば解脱が成り立たない>、と言っているのである。
>651 :Never Returner:2005/09/03(土) 13:16:02 ID:61xvIUpU
>スシーマ経で、神通力修行があたかもなされなかったかのように書いたのは樹意であって、実際には
>釈迦牟尼の教団は神通力を獲得しているのである。

>>691のように、樹意さんは何度もあなたに反論して、説明しても、
ヂミズさんが一切受け付けないから、あきれかえっているだけです。
批判側は、神通力が解脱に関係がないと述べているだけで、
神通力修行がなされていないなどと、私を含めてただの一人も言っていない。
三明六通を体得したというのだし、四神足という修行法の名称があるくらいだから、
修行の過程でこれらの神通力を体得した比丘がいたことは事実です。
批判側の誰も釈尊や弟子の一部が神通力を体得していたことを否定していない。
にもかかわらず、これをヂミズ先生は、繰り返し繰り返し、
>神通力修行があたかもなされなかったかのように書いたのは樹意
などと、あたかも神通力などないと否定したかのようなねじ曲げた書き方をする。
樹意さんは、そんなことは書いていない、書いたというなら示してみろ、と
何度もヂミズさんに反論しているが、ヂミズさんは完全に無視して、同じことを書き続けている。
1.読んでいない、2.読んでも理解できない、3.耳鳴り天耳通で読むので、すぐに忘れる、
ヂミズセンセー、答えてくラハイ。
複数回答も可能です。
699名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 22:34:13 ID:ytId3Y30
>651 :Never Returner:2005/09/03(土) 13:16:02 ID:61xvIUpU
>スシーマ経で、神通力修行があたかもなされなかったかのように書いたのは樹意であって、実際には
>釈迦牟尼の教団は神通力を獲得しているのである。

批判側は、神通力で解脱するのではない、と述べているのです。
桐山さんは四神足の神通力で業と煩悩を切るのが解脱だと主張した。
ヂミズさんは三明六通の神通力で煩悩を切るのが解脱だと主張した。
このお二人の定義している解脱は釈尊の説く解脱とは違うと批判しているのです。
釈尊や弟子たちが神通力を持っていても、解脱とは直接関係がない。
釈尊が百メートルを5秒で走れるような神通力を持っていたとしても、
解脱とは関係がないのと同じです。
当時のインドでは解脱者は神通力を持つ者と信じられていたから、
釈尊もこの条件を満たしていることを示したにすぎない。
だから、スシーマ経でも比丘は解脱したが神通力など持っていないと述べている。
解脱に必要なら、どうして解脱した比丘が神通力を持っていないのですか。
700名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 22:39:28 ID:ytId3Y30
>>685 :Never Returner:2005/09/04(日) 16:12:00 ID:RKhWt6RW
>スシーマ経については、私は既に>>651で結論を書いてしまっており、
>樹意とても反論できないはずである。つまり、スシーマ経で言いたいのは、
>何よりも<法に対する智慧や認識を確立せねば解脱が成り立たない>、と言っているのである。

あなたが言っているのは、「法に対する智慧や認識」などという抽象論ではなく、
「解脱するには神通力が必要だ」と主張しているのです。
智慧や認識などという単語でごまかさないでください。
スシーマ経はそんな抽象的な話をしているのではありません。
すでに樹意さんが何度も筋を説明しているが、再度説明しましょう。
『阿含経典 第一巻』(増谷文雄)、241〜254頁
にありますから、ぜひ信者さんたちも原文を読んでください。
スシーマ経では、スシーマは釈尊の神通力などを盗もうと教団に潜り込んだ。
ある時、比丘たちが釈尊の前で解脱を宣言した。
これを聞いたスシーマが比丘たちに、解脱して神通力を獲得したのかと質問した。
比丘たちは解脱を認めながらも、一つ一つの神通力を持っていないと、ことごとく否定した。
「友よ、また、そのようなこともないのである。」(247頁)
解脱と神通力の関係をすべて否定し、
「友スシーマよ、わたくしどもは智慧によって解脱したのである。」(247頁)
ヂミズ菩薩様によれば、この言葉を読んでも、まだ解脱には神通力が必要なのだという。
桐山さんとあなたの説はスシーマの質問と比丘の答によって完全に否定されている。
701ユビキタス@鈍感 ◆PYjGRf6fDs :2005/09/04(日) 22:40:22 ID:Z00WHhyV
>>690
あ!今頃気が付いた!
三明の菩薩ではなく、三田明の菩薩か!
うまいっ!
702名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 22:42:56 ID:ytId3Y30
>>685 :Never Returner:2005/09/04(日) 16:12:00 ID:RKhWt6RW
>スシーマ経については、私は既に>>651で結論を書いてしまっており、
>樹意とても反論できないはずである。つまり、スシーマ経で言いたいのは、
>何よりも<法に対する智慧や認識を確立せねば解脱が成り立たない>、と言っているのである。

スシーマは桐山さんやヂミズさんと同じで、頭の中が神通力でいっぱいだから、
神通力と解脱との関係を否定する比丘の説明に納得せずに、釈尊に直接質問した。
信者さんたちは気が付いているでしょうか。
二千五百年前も、桐山さんやヂミズさんのように、
神通力こそが「解脱の素」だと信じこんでいた人たちがいたのです。
普段なら丁寧に受け答えする釈尊がたった一文で、とても無愛想に答えた。
これには二つ理由があり、スシーマが法を盗みに来ていることに気が付いているのと、
もう一つは、桐山さんやヂミズさんのように、
解脱と神通力とが深く関係していると思いこんでおり、
比丘や釈尊が説明しても、受け入れようとしないからです。
ヂミズさんが引用した自恣経にも解脱と神通力を結びつけるものはなく、
スシーマ経に至っては、比丘がはっきりと一つ一つの神通力についても否定している。
これほど明瞭に解脱と神通力との関係を否定されても、
桐山さんもヂミズさんたちも神通力への執着が強すぎて、神通力で業や煩悩を切るのだと言い張る。
二千五百年前のスシーマも同じだった。
703名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 22:46:05 ID:ytId3Y30
>>685 :Never Returner:2005/09/04(日) 16:12:00 ID:RKhWt6RW
>スシーマ経については、私は既に>>651で結論を書いてしまっており、
>樹意とても反論できないはずである。つまり、スシーマ経で言いたいのは、
>何よりも<法に対する智慧や認識を確立せねば解脱が成り立たない>、と言っているのである。

釈尊はスシーマに丁寧に縁起の法から解脱とは何かを説明した(248頁以降)。
ここから先は、桐山さんやヂミズさんと違い、スシーマは釈尊の説く内容に耳を傾け、
順々に説かれた内容を理解した。
しかし、釈尊はスシーマの質問に答えるだけでは終わりにしなかった。
なぜなら、彼は泥棒だったからです。
ヂミズさんが樹意さんに難癖を付けているのは、
この後の釈尊がスシーマに泥棒であることを告白させるために再び質問をした点です。
スシーマの求めていた神通力への質問を繰り返した。
これが神通力の問いかけや、ましてやヂミズさんの言うような
神通力が解脱に必要だなどという内容でないことは、
問いかけの直後スシーマが泥棒を告白、懺悔したことを見ればわかります。
一見、何の脈絡もなく、スシーマは突然ここで懺悔している。(253頁)
最初に解脱の意味を教えられ、神通力で解脱するのだと思いこんでいた間違いを悟り、
次に神通力を質問されて、神通力を盗み取ろうとしていた自分の愚かさを見抜かれていることに気づき、
彼は、告白懺悔したのです。
この経典のどこに桐山さんやヂミズさんのいう神通力による解脱があるのですか。
この経典は神通力による解脱の否定そのものです。
704名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 22:53:06 ID:ytId3Y30
>>685 :Never Returner:2005/09/04(日) 16:12:00 ID:RKhWt6RW
>実際に、あれほどの神通力を見せておいて、神通力は役に立たないなどと
>釈迦がおっしゃるはずはなく、37菩提の中に4神足が網羅されているのを見れば

まだ勝手解釈です。
神通力が役に立たない、なんて釈尊は言っていないし、誰も主張していない。
漏尽通は煩悩が消滅したことを確認する重要な智慧です。
「あれほどの神通力を見せておいて」と書いていますが、
釈尊が人前で神通力をわざわざ示したという事例をあげてみてください。
カッサパ三兄弟を降伏した例など、阿含経にはほんのわずかです。
経典に残っている神通力の多くは河を渡ったなどで、
これは他人に示すためのものではありません。
暇人さんが>>565で堅固経を紹介してくれています。
釈尊に、比丘たちに神通力を使うように言ってはどうかと勧めるが、
釈尊の答えは、魔術のように誤解されるから、ダメだという返事です。
こういう釈尊が「あれほど神通力を見せておいて」などするはずがない。
ヂミズさんの阿含経には神通力だらけ・・・もしかして発行元はヂミズ出版社?
705名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 22:56:49 ID:ytId3Y30
>>686 :Never Returner:2005/09/04(日) 16:31:56 ID:RKhWt6RW
>宿命通以上の三明に届かない者は、
>六神通と呼び、三明の中のひとつでも能力があれば、敬意を持って、三明具足と呼んだのだろう。

>>532に続いて、またヂミズさんの勝手仮説の連続です。
ヂミズ仮説1.自恣経で、釈尊の並べた順序は境涯の高さを表す。
ヂミズ仮説2.六通の一つでも成就した者は六通の成就者、三明のうち一つでも成就した者は三明の成就者。
ヂミズ仮説3.五つの神通力には上下がある。
あなたはいつも仮説の上に仮説を作り、たった一人で盛り上がり、
まるっきり地に足がついていない。
ヂミズさんがどんな仮説を唱えようが、あなたの自由だ。
だが、桐山さんはあなたの三つの仮説など唱えていないし、
ここでもヂミズさん以外、誰一人として、あなたの仮説に賛成した人はいない。
あなたは仮説の根拠を経典や学者の説から示したことはないのだから、仏教の説でもない。
阿含宗の説でもなく、仏教の説でもないのだから、
あなたの仮説はここでの議論の対象ですらない。
あなたの仮説は阿含宗擁護にもなっていないし、批判ではもちろんなく、
ヂミズさんが自己満足を得るための自己主張にすぎない。
706名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 22:59:59 ID:ytId3Y30
>>686 :Never Returner:2005/09/04(日) 16:31:56 ID:RKhWt6RW
>もし、この呼称の問題について私が最初の発見者であるのなら、
>ノーベル賞をくれ!
>だめなら、せめて、文化勲章を!(ふふふふふ)

桐山さんは間脳に霊性があるのを発見したのは自分なのに、誰も認めないと本に書いていましたね。
説を唱えれば、誰かが認めて評価してくれると思っているのだから、オメデタイ。
客観的に証明されなければ、誰も認めないし、誉めもしない。
あなたは、こんなことまで桐山さんと同じなのですね。
アラハンやアナゴンが名誉を欲しがる?!
桐山さんといいあなたといい、よくまあ聖者を自称しながら、
こういう煩悩丸出しの言動をとれるものだ。
ヂミズさんも金があれば桐山さんの真似をして勲章を買うのでしょう。
大作さんの名誉は百をはるかに越えてしまい、桐山さんが地団駄ふんでも追いつけない。
大作さんを非難する言葉に悔しさがにじみ出ていた。
金で名誉を買い集めるというのも下劣だが、
数の上で追いつけなくて地団駄踏んでいるのも、なんとも情けないアラハンです。
707名無しさん@3周年:2005/09/04(日) 23:13:50 ID:ytId3Y30
>>687 :Never Returner:2005/09/04(日) 16:45:53 ID:RKhWt6RW
>大恥をかいて泣いている七氏は放っておいて、皆さんは、聖なる阿含経を
>読んでみて下さい。意味が不明瞭なら、調べてください。暇人さんも樹意も良く分っておいでのようだが、

>>684では私が論争に負けたと書き、今度はヂミズさんの天耳通には私の泣いている声が聞こえるという。
どこでいつどのように大恥をかいて泣いているのか、教えてくラハイ、センセー!!
あなたは反論できないのを「七氏は放っておいて」と書いたのですね?
こういうのを「逃げる」といいます。
ヂミズさんの主張にはほぼ全部反論しており、これを無視しているのはヂミズさんのほうです。
あなたの一方的な解釈、読み方の間違い、根拠のなさ、
何よりもこのスレとは全然関係なく、単にヂミズさんの自己主張のために
根拠のない話を何度も何度も繰り返しているにすぎないことを指摘した。
屁理屈に屁理屈を重ねたのが>>705のヂミズ仮説です。
矛盾やおかしい点は何度も質問しているのに、あなたは絶対に答えない。
答えられないことをあなたは「放っておく」と表現した。
普通、質問にすら答えない、答えられないのを議論に負けたといいます。
ただし、幸いヂミズさんは羞恥心がないから、大恥をかいたことには気が付かないし、
恥の感性は神通力で解脱しているから、泣くこともないでしょう。
708栗花 馨 @7:2005/09/05(月) 02:28:09 ID:SkRVECyd
樹意は支離滅裂の外道ですね。

「樹意:仏陀は霊や死後の存在など形而上のことは無記を通したわけです。」

樹意は聖者を非難し、誤った見解をもち、
誤った見解にもとづく行為を蓄積している人。
腐れ外道です。変節言訳常習の樹意は悪魔のことば、
釈尊の経典を悪魔の言訳に利用しています。

悪魔のことば

658 :樹意 :2005/08/24(水) 01:00:49 ID:CoVWgoMQ
三法印のことを書いたら適当にガムテープ貼り付けたような 説が出てきましたので 今回は無記について
>>581
> 因縁は人間の苦(人が苦しいと感じる認識作用)の成立に当てはめると12縁起に代表される支縁起になる。
> 人の苦しみをもたらす運命の成立に当てはめると、運命は過去世の業と生まれた家に流れる霊障とに依拠して起こる。

仏陀は霊や死後の存在など形而上のことは無記を通したわけです。
709栗花 馨 @7:2005/09/05(月) 02:28:55 ID:SkRVECyd
ほれ!

聖者を非難し、誤った見解をもち、
誤った見解にもとづく行為を蓄積している人々が、
肉体が滅んだ死後、不幸な境涯、悪い所、苦しみの境涯、
地獄に生まれるのを、私(釈尊)は見たのである。
さらにまた、比丘たち、
自分で知ったこと、自分で見たこと、自分で理解したことを
私(釈尊)は説くのである
710栗花 馨 @7:2005/09/05(月) 02:48:18 ID:SkRVECyd
樹意ってのは自分が病人で治療受けてるうちに
医者になったつもりになって
医学書を健康オタク調に滅茶苦茶講釈する
重病の偽医者、そんなんですね。
711Never Returner:2005/09/05(月) 08:15:49 ID:WJx2Obzm
何度も言うが、それでは煩悩が未だあることを確認する能力は、なんと呼ばれるのか?という
私の質問で、七氏は自分の間違いに気づくべきだった。それが未だに気づかない。
自分が間違いを書いたことを認めないのでは、このスレに居る資格はない。
彼が認めぬのであれば私は継続的に、この件を記述し続ける、そうすれば彼は、
釈明をし続けなければならなくなる。彼は漏尽通の定義を誤って書いた。自分の頭で
考えず、辞書を丸写しし、恥をかいた。漏尽通は、煩悩から解脱するサイキックパワーである。
単なる観察力でない。解脱力の発現なのである。だから最高位の神通力に位置している。
論理的な思考が出来ない七氏は単なる阿呆である。
712Never Returner:2005/09/05(月) 08:24:44 ID:WJx2Obzm
七氏は今度は辞典にそういう記述があると指摘して見せただけだ。と逃げようとしている。
何度も言うが、その辞典の間違いを、煩悩が未だあることを確認する能力は、なんと呼ばれるのか?という
私の質問で、七氏は気づくべきだったのだ!そこが問題である。辞典が間違いだ私は主張したのである。
ところが、七氏は辞典にそういう記述があると指摘した、といっている。
これでは脳なしと私に評価されてもしょうがない。
もう一度、七氏に質問してみよう。お前は、漏尽通を煩悩から解脱する精神力だと思うのか、
それとも煩悩から解脱したと悟る精神力であり、解脱力とは違う、思っているのか、どちらなのだ?
かわいそうだから、もう一度聞いてやろう。もう一度辞典に従うつもりか?どうなんだ?
713Never Returner:2005/09/05(月) 08:32:28 ID:WJx2Obzm
確かに栗花先生が言われるように、樹意は釈迦牟尼本人が目の前に現れても
阿含経を講釈するでしょう。愚か者です。
こんな馬鹿、二人と居りません。
七氏とともに、名物馬鹿です。

私はアヒムサカの問題は、自分で英訳を探してきて、どうやら私の方が
間違いであって、本当は元からアングリマーラの本名であった、ということを認めている。
間違いを正す、と言う真理に対して忠実なのである。
ところが七氏は自分が間違いを書いたことを認めない。だから議論が先に進まない。
良くそれで他者を批判できるな?
人間として恥ずかしいだろ?
714Never Returner:2005/09/05(月) 08:48:13 ID:WJx2Obzm
もし。漏尽通が解脱力の発現としてのサイキックパワーなら、言うべきことは山ほどあり、
桐山阿含宗が非常に有利な立場になるのは明白である。
六神通は、スシーマの経典にあるごとく、下から、マニピュ−ラチャクラ開発行たる神足通
から始まって。最後は頭頂チャクラ開発行たる漏尽通まで、順番に修行するものだ。


観神足法・・・宿命通、天眼通、漏尽通 (以上を三明という)
     ・・・アジナーチャクラ、サハスララチャクラ
心神足法・・・他心通、天耳通
     ・・・アナハタチャクラ、ヴィシュダ-チャクラ
勤神足法・・・神足通
     ・・・マニピュ−ラチャクラ
欲神足法・・・上記の基礎訓練
     ・・・ムラダ−ラチャクラ、スヴァジスターナチャクラ

いきなり、漏尽通では危険なのである。このように修行しなければあぶな怒らしたから順番に修行する。
スシーマ経における順番は、意味のない順番ではない。これは私が修行してきた順番である。
私にとって、スシーマ経はそういう意味もある経文である。
解脱には法に対する智慧が必要である。その智慧が先で、その智慧を
魂の奥底に届ける自在力である神通力を使って、自己の心を統御するのである。
樹意は、前段階のその智慧が先で、という部分で止まってしまっているのだ。
魂の奥底に届ける自在力を使って、智慧による心を統御、これが、スシーマ経の本質である。
神通力を毛嫌いしていては、解脱できないのである。釈迦が、神通力は如意足は解脱に非常に役に立つ
といった意味はこれである。
樹意は修行者ではない。彼は解脱できない。持っている智慧の前提を、どうやって、達成できるだろうか?
715Never Returner:2005/09/05(月) 08:50:51 ID:WJx2Obzm
七氏は議論を止めている。
もちろん、それでも 
私は困らない。
勝手にすれば。
716名無しさん@3周年:2005/09/05(月) 09:37:14 ID:45hFoDSw
Never Returnerさんは守護神とコンタクトが取れるの?
717Never Returner:2005/09/05(月) 12:31:25 ID:WJx2Obzm
>>716 正直言って守護神を意識したことはないですね。
年に数回、前世に関する夢を見たり、来世に関する夢をみたり、解脱に関する夢を見たり
するのです。VISIONは向こうからやってくる。
そういうのが守護神と関係があるのかどうかはまるで分りません。
718Never Returner:2005/09/05(月) 14:23:03 ID:WJx2Obzm
南伝相応部経典  51、1、彼岸
漢訳増一阿含経  29、7


かように私は聞いた。
ある時、世尊はサーヴァーッティーのジェータ林なるアナータピンディカの園にましました。
その時、世尊は、比丘たちに告げて仰せられた。
「比丘たちよ、四つの如意足を修め習い、それを繰り返し繰り返しして修すれば、此の岸より彼の岸に至ることに役立つであろう。
では、その四つとは何であろうか。
欲求について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足
精進について、意のままに集中し実践する能力を与える如意
思索について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足
また観察について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足
719Never Returner:2005/09/05(月) 14:54:01 ID:WJx2Obzm
ここで翻訳の整合性について、考える。718の増谷先生の翻訳と四神足の名との整合性である。
対比させると、いい加減なところが在るのだ。
@欲求について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足++++欲神足法
これは良い。欲の字が完全に一致します。
A精進について、意のままに集中し実践する能力を与える如意++++勤神足法
これも良い。精進と勤める、これは意味が完全に一致している。
B思索について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足++++心神足法
ここからおかしいぞ!天耳通と他心通は他者の存在認識の問題であり、思索の問題ではないからだ。
心を持つ他者と行動する他者の認識の問題である、いわば他者存在の完全な把握の問題である。
明らかに翻訳がおかしい言わねばならぬ。他者の存在、の本質をさっと見抜く能力である。
このままだと。整合性が取れません。
C観察について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足++++観神足法
これが七氏の岩波の辞典の原因であろう。観察とある。
煩悩を完全に観察すれば、解脱出来るのである。
煩悩を完全に観察すれば、煩悩を破壊し、消滅することが出来るのだ。
なぜそうなるかは、私が既にソンデイの架け橋的自我という言葉で解説した。
あれを思いまだしていただければ煩悩を完全に観察すれば、煩悩を破壊し、消滅することが出来る、ということが
理解できるでしょう。観察し、観察した自我が変化するのだ。辞典はこれを忘れている。
漏尽通が煩悩を破壊消滅の意味まで込められていることは明白なのである。
それと同様に、宿命通では前世を悟れば悟った自我は変化する。
天眼通では来世を悟れば悟った自我が変化するのだ。
だから、この翻訳文を安易に読めば間違うのである。十分注意されたし
720金剛靖雄:2005/09/05(月) 15:07:45 ID:/MVlPM3F
3ヶ月ほど前にアメリカに危機が迫っている事を書いたが
今回のハリケーンはまだ警告にすぎない
阿含宗の悪しきカルマは世界をおおっている
721Never Returner:2005/09/05(月) 15:27:36 ID:WJx2Obzm
「では、スシーマよ、そなたもまた、そのようにしり、そのように見て、
 人間の聴覚をはるかに超えた天界の聴覚を得て、人間と天界の、遠きまた近き
 両界の音声を聞くことができるであろうか」 (天耳通)

「ではスシーマよ、そなたもまた、そのように知り、そのように見て、その心をもって、
 他者の心を知り、他の人々の心を把握することができるであろうか。−−
 たとえば、すでに解脱したる心をそれと知り、いまだ 解脱に至らざる心
 をそれと知ることをうるであろうか」 (他心通)
 
「ではスシーマよ、そなたもまた、そのように知り、そのように見て、いろいろ
 と前世のことを思い出すことができるであろうか。−−たとえば、
 一生、二生、−−−そのようい詳しく、いろいろと過去世の事を思い出すことが
 できるであろうか」 (宿命通)

「では、スシーマよ、そなたもまた、そのように知り、そのように見て、人間を
 超えたる清浄なる天眼を得て、それによって、人々が死してまた生まれる時、
 −−−彼らのなせる業に従って、その幸と不幸とがわかれるであろうことを
 知ることができるであろうか」 (天眼通)

「では、スシーマよ、そなたは、またさらに、そのように知り、そのように見て
 形象(色)の世界を超え、眼にみえぬ寂静解脱を、その身に触れて住するであろうか」
(漏尽通)
722Never Returner:2005/09/05(月) 15:39:09 ID:WJx2Obzm
721を読めば分る。解脱したかどうかは他心通で分るんよ。

さて問題なのは、神足通です。
  「たとえば、一にして多となり、多にして一となり、
 或いは、見え隠れして、壁や土塁や丘を、虚空のように自由に通りぬけ、
 或いは、地中に出入りすること、あたかも水中に出入りするがごとく、
 あるいは、水を破ることなくして
 水上をゆくこと、あたかも地上をゆくがごとく、或いは、
 虚空に趺坐してゆくこと、あたかも
 翼ある鳥のごとく、あるいは、また、かの大なる神力ある日月をも手玉にとり、
 或いはまた、その身をもってかの梵天界にも赴くことができるであろうか」
これを神足通と呼ぶことはちょと、理解に苦しみます。これだと私は神足通を成就していないと
言える。私は、ここで主張したいのですが、観神足法、心神足法の基本行です。
これから上の神通力に行くための基本的な体質を完成させる行です。
だから、精進の行です。だから、勤神足法なのです。この記述だと、まるで魔法使い、
観神足法や心神足法よりすごいことになってしまう。???
修行者としての私の限界かもしれません。桐山先生だったら、イエス、と言うのかも。
723皆様へ:2005/09/05(月) 18:53:52 ID:EFeSLr89

500KBに近付きましたので、新スレ立てました。
このスレを使い切ってから移動して下さい。

阿含宗という宗教91
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1125913780/


724樹意:2005/09/05(月) 21:32:24 ID:0Bfw3HRg
Never氏は
>>692
> 漏尽通に関してはこれは漏尽明 漏尽智とも言われ 仏教で得られる悟りの智慧そのものですから
> これはその他の五神通とは区別する必要があります。
> 法住智 観智に五神通が必要である事を経典引用で 反論してください。
> 私が引用したスシーマ経のように勝手に書き換えないように。
> あと森先生の引用にしたような 意味を書き換えるのも無しです。

には答えることができないようです、まあ何度指摘しても人の発言改ざんも訂正しませんでしたし
根本仏教における空に関しても引用はできませんでしたから そんなもんでしょうね。
神通力に明智がつくものと そうでないものと違いがあるというのもこのような方が
いるおかげで説明できるのですから まあ このスレでの存在価値はあるといえるでしょう。

725樹意:2005/09/05(月) 21:48:15 ID:0Bfw3HRg
>>700
> >>685 :Never Returner:2005/09/04(日) 16:12:00 ID:RKhWt6RW
> >何よりも<法に対する智慧や認識を確立せねば解脱が成り立たない>、と言っているのである。
>
> あなたが言っているのは、「法に対する智慧や認識」などという抽象論ではなく、
> 「解脱するには神通力が必要だ」と主張しているのです。
> 智慧や認識などという単語でごまかさないでください。

いい指摘ありがとうございます、そもそも この法に対する智慧や認識などの
概念は批判側が引用したものからの拝借でしょう。
反論に詰まってのごまかしでしょうね。
 
ゲイカもそうですが 仏教の基本である 戒定慧 三、四法印の概念のカケラもない
この方もまた 単なる神通力オタクでしかないということでしょうね。


726Never Returner:2005/09/05(月) 21:48:33 ID:WJx2Obzm
樹意や七氏の主張に反して、漏尽通は六神通の中に分類されている。
他の5つの神通とはっきりと切り離されて論じられては居ない。
そして三明は六神通の中に分類されている。
そして、修行は、順番に、下から、上に、順番に行われていた。
基礎体力、基礎的意志力の増進である欲神足から始められる。
そして、次に、神通力の基礎である勤神足が行われる。そこから次が、心に関する心神通、ついで
観察力と解脱の観神足と言う具合で、順番に行われていた。
修行者は、スシーマ経にもあるように。まず法に関する智慧を先達から授かる。
この世と、世間と、肉体と、感覚とがすべて無常であり、苦しみの源泉であり、執着するに値しないことを
教わるのである。それらを深い瞑想の上に乗せるために、この四神足をなしたのである。
この、神足通が無ければ、彼らは阿羅漢にはなれなかっただろう。
この神足通の行こそ、釈迦牟尼が言うところの、自在力だ。もし自在力が無ければ
修行ははかどらないのである。スムーズに阿羅漢に到達した者は、この精神的自在力を持っていた。
この精神的自在力を神通力と呼ぶ。
であるから、神通力修行をしなかった者は、修行がはかどらなかっただろうから、
斯陀含で終わったり、あるいは須陀恒にさえなれなかった人も居たと思われる。
だから、神通力修行は必ずせよ、と私は言うのである。解脱のために役に立つのである。
だが、樹意や七氏は自分が解脱をなしたことも無いのに、神通力を持っていなくても
解脱した修行者が大勢居たと、貴重なご意見を我々に教えてくれるのである。
傾聴に値する立派なご意見ですな。(藁)
727Never Returner:2005/09/05(月) 21:54:46 ID:WJx2Obzm
樹意や七氏は、おそらく「神通力」という言葉に偏見を抱いているのでしょう。
いいですか!心の自在力です。意のままに深い瞑想ができるサイキックパワーを
聖なる力であるということで神通力と言うのですから、神通力ある者の方が
解脱がスムーズに行くのは当然。阿羅漢を得ようと言う人々は、きそって神通の修行を成したでありましょう。
くれぐれも、解脱を知らない凡夫の言いなりになって、修行をおろそかにしないように!
728樹意:2005/09/05(月) 22:05:12 ID:0Bfw3HRg
>>712
> 七氏は今度は辞典にそういう記述があると指摘して見せただけだ。と逃げようとしている。
> 何度も言うが、その辞典の間違いを、煩悩が未だあることを確認する能力は、なんと呼ばれるのか?という

天下の碩学である中村博士はじめ多くの学者さんたちの仕事にケチをつけるのであれば
それに負けないくらいの碩学 経典の引用根拠を示してくださいといっているのに まるっきり
意にかいさないそのあつかましさは まあ 別の意味で凄いことであると思われます。
仮に万歩譲って 間違いがあったとしても
引用根拠 典拠の中身まで引用した方が責任を負うようなものでは無いのは 明らかです。
仏教辞典の製作に奈々氏が係わっており、その責任者であるなら別ですが。
Never氏はこんな区分けすら踏み越えて 引用も意見も なんもかんも ごちゃ混ぜにするのが
好きな方です。 なんですかね スシーマの改ざんは 見るに耐えない。
ゲイカは さすがに こっそり改ざん
Never氏は 目の前でぐちゃぐちゃ まぜまぜ。 ハイどうぞ。 「 w

729Never Returner:2005/09/05(月) 22:06:41 ID:WJx2Obzm
いいですか、神足通、他心通、天耳通の3つの神通力を持っていたものが、
神通力者の呼称が無かった、ということは非常識なんです。
彼は、六神通力者と呼ばれていたのです。
六つ全部そろえたら、解脱してしまいます。
ここまで言っても、分らんの?
樹意、七氏は先取観念に頭をやられてるんです。
いいですか、呼称の問題は私が正しいの。このことを念頭において、
阿含経を読み直せ。
特に学者は読み直せ。新しい発見があり、今までの誤解が解けるだろう。
730樹意:2005/09/05(月) 22:12:17 ID:0Bfw3HRg
>>726
> 修行者は、スシーマ経にもあるように。まず法に関する智慧を先達から授かる。
> この世と、世間と、肉体と、感覚とがすべて無常であり、苦しみの源泉であり、執着するに値しないことを
> 教わるのである。それらを深い瞑想の上に乗せるために、この四神足をなしたのである。

Never氏もこのスレッドで このような概念を書くようになりました。 進歩といえば進歩です。
ここでの議論も少しは役に立っているようですね。
もしかして>>692 に対する反論がこの程度ですか?
どこに引用典典拠がありますの?

あ、後
>>718
> 欲求について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足
> 精進について、意のままに集中し実践する能力を与える如意
> 思索について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足
> また観察について、意のままに集中し実践する能力を与える如意足
是は以前 このスレッドで紹介させてもらったことがあります。

731Never Returner:2005/09/05(月) 22:15:23 ID:WJx2Obzm
阿含経においては、三明は六神通より上です。智慧と通力の概念区分ではなくて、
包摂関係です。三明が六神通を含んでいるのです!
神足通、他心通、天耳通の神通力者は六神通と呼ばれます。
だが、神足通、他心通、天耳通、宿命通の神通力者は三明と呼ばれます。
神通力が三明に届いているかいないかの差で、区別したのだ!
732名無しさん@3周年
>>711 :Never Returner:2005/09/05(月) 08:15:49 ID:WJx2Obzm
>釈明をし続けなければならなくなる。彼は漏尽通の定義を誤って書いた。自分の頭で
>考えず、辞書を丸写しし、恥をかいた。漏尽通は、煩悩から解脱するサイキックパワーである。
>712 :Never Returner:2005/09/05(月) 08:24:44 ID:WJx2Obzm
>もう一度、七氏に質問してみよう。お前は、漏尽通を煩悩から解脱する精神力だと思うのか、

「漏尽通は、自己の煩悩が尽きたことを知る能力」(『岩波仏教辞典』847頁)
これが漏尽通の定義です。
仏教での定義です。
あなたは学者たちを何だと思っているのだ?
学問的に研究して、どういう意味なのか検討し、議論して、定義づけている。
経典などに根拠があるからこそ、彼らはこういう定義をしているのです。
あなたのような根拠のない勝手な解釈を自分の頭で考えるとは言わない。
仏教学の大家が編纂し、一流の仏教学者たちが書いた辞書の記述が間違いだというなら、
間違いの根拠を示すべきだと述べているのです。
ヂミズさんは根拠を示せないから、すでに私が何度も答えた無意味な質問を
しつこく、しつこく、繰り返すしか逃げ道がないのです。
沈黙すれば体裁も保てようものを、沈黙すらできず罵りでごまかそうとする。
五十過ぎの男の態度としては、みっともない、の一言に尽きる。