1 :
◆0qGdEBxXXo :
もう、ヒト中心は行き詰っていると思う。
自然の場当たり計算の中に身を置くものとして
その摂理には素直に従い、敬って、
自然と共存する事がこれからの生き方では無いだろうか?
2 :
ろりぽっぷ ◆epMrs1963. :2005/08/08(月) 17:47:13 ID:f3qokOEi
そうだなぁ。2ゲットも大事だけど、確かにそれは大切だとおもう。
3 :
ろりぽっぷ ◆epMrs1963. :2005/08/08(月) 17:49:19 ID:f3qokOEi
キリスト教もその辺、反省に入っていると思うけど、
改革派の中で、神学的にその辺を考えている人いるのかな??どうなんだろう。
そもそも運命と言うものはヒトが関連付けたものであって
自然の中では常にその場の計算しかしておらず、
その答えが次の計算の要素となって連々と続いていくだけなんですよ
ですから、結果として運命付けるのではなくて
その先を予想し、自身の生き方を見つけるほうが得策なのですよ
予想通りには行かないものなんですが・・・・
今日、外で弁当を食べた。
食べこぼしが地面に落ちてしばらくしたら蟻が集っていた。
そこへ人が通り過ぎ、食べこぼしごと蟻を踏みつけて行った。
結構な蟻が踏み潰されてた。
さて、ここに運命は存在するだろうか?
無残にも踏み潰された蟻は無念な霊として残るのであろうか?
人間てなんだろうねぇ
自分のことしか考えていないのに
相手には思いやれってさ
確かに、『囚人のジレンマ』からは強調した方がいいってのはわかるけど
みんな、裏切られて相手に5点も取られるのが悔しくて裏切っちゃうんだよねー
本当にジレンマだ
相手が信頼を出す人だと判ればいいのに・・・
8 :
名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 02:05:33 ID:X4oFl8a7
>1よ...マジレス中のマジレスだ。
今から大変な事を教える。よく読んで考えてくれ。
君は
もう、ヒト中心は行き詰っていると思う。
自然の場当たり計算の中に身を置くものとして
その摂理には素直に従い、敬って、
自然と共存する事がこれからの生き方では無いだろうか?
と考えて居ると言うことはわかった。
かつて、私もそう考えた。深く深く考えた。
その結果ひとつわかった事がある。それを教える。
自然の摂理に従ってと思う私が本質的に自然の摂理を捉えきれるのだろうか?
まあ、すべて捉えることが必要でないとして、どこまでが自然の摂理といえるのか?
人間はすでにその誕生よりすでに自然の一部だという認識が欠けているのではないか?
君は共存する事が自然の理だと考えているが、私はさらに、自然を征服しよう、自然の法則に
反発しようとすることも生物としての人間の宿命であると考えた。それで納得いかないかも知れないが
現にそうしているではないか?また、完全に征服も反発しコントロールも出来ていないではないか?
それが人間である。自然の中の人間の姿である。
他の生物と違うのが良くないというならば、生き方を考えることも良くない。
人間ならば目に映る現象を認めて疑え。
9 :
名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 03:56:19 ID:NtToVhNi
日本の宗教はもともとそいうものだな。
誰かが「日本人は宗教を信じないが信心深い」といってたが、これは当たってる気がする。
もともと日本は自然信仰だから「何々教」を信じるという習慣はないからな。だから「私は何々教を信じています」というような人はキモイということになる。
しかし、逆にいえば「何々教」を信じていないからといって信心深くないわけではない。日本人はもともと信心深いのであえて「何々教」を信じる必要はないのだ。
キリスト教やイスラム教も見習った方がいい。
10 :
名無しさん@3周年:2005/08/20(土) 04:23:05 ID:wnbP0ufz
9確かに♪俺は無神論者やからキリストやアラーとか言われても、ピンと来ないがネイティブアメリカンが言う人は精霊の大いなる恵みに生かされているってのは分かる♪
11 :
220:2005/08/23(火) 02:02:17 ID:yrh54Cj4
自然の摂理を無理やり擬人化し、人間の欲望を反映させたのが今の宗教の神と呼ばれる奴だね!
そしてやがて国家神道への道が続く
人から自然 自然から天皇 天皇から軍 あれ?
14 :
名無しさん@3周年:2005/10/08(土) 00:49:03 ID:GyUWIgSy
自然に身を任せたかったら、楠木政成の最期を参照。
15 :
名無しさん@3周年:2005/10/08(土) 11:31:45 ID:CtkZ3UUF
自然科学を学ぼう。
16 :
名無しさん@3周年:2005/10/08(土) 12:04:14 ID:p2BtS2U9
自分を生かしてくれている森羅万象に対して、
思わず手を合わせてしまう日本の素朴なアニミズムが
いかに自然や環境と共生的か。
一神教の神の残虐性を見る時、
日本古来のアニミズムに安堵を覚えるのは俺だけだろうか。
17 :
名無しさん@3周年:2005/10/08(土) 12:08:16 ID:mVnYnfIy
783 :やほよろづのかみたち ◆0ryc.81s2s :2005/10/08(土) 11:15:55 ID:XH+vSApx
地上に現れた、「もっとも知的な生物」は、今からおよそ5万年前に出現し、そして滅亡した。
彼等をホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス、俗に「ネアンデルタール人」という。
ネアンデルタール人の脳は1700グラム。これを頂点に、ホモ属の脳は縮小に転じ、ホモ・サピエンス・サピエンス(現生人類)に至って1300〜1350グラムにまで縮小した。それだけでなく、脳の大半を使わずにいる。
すなわちこれ以上の知性の獲得はもはや遺伝子の自己複製という生物の競争原理に不利なのである。
現生人類は、その知性の重みに耐えかね、知識狩りを得意とするようになった。
中国の焚書坑儒、ナチスのユダヤ思想の根絶やしなど、世界史は知識狩りの歴史で彩られている。
戦争は、その共同体のもっとも心身が優秀な個体を集め、一気に処分する合理的なシステムである。
一神教もまた、知識狩りの合理的システムとして遺伝学的に証明できる。
サロメのカトリック・スレ荒し行動は、知識狩りの現生人類としての本能を観察する典型材料として、とても分かりやすいのである。
あんげ
19 :
名無しさん@3周年:2005/10/08(土) 23:40:59 ID:E7uCFuIx
自然の叡智。愛地球博の宗教化はどうか?
20 :
名無しさん@3周年:2005/10/08(土) 23:49:55 ID:L4GHcClH
>>11 擬人化。でぐぐってみろ、日本が八百万の神の国だと言うことがわかるぞw
22 :
名無しさん@3周年:2005/10/09(日) 22:46:19 ID:nF22GEnH
昭和60年5/4 朝日新聞に「6700万円所得隠し」
当時、阿含宗全体の経理を担当していた関西総本部が国税局に摘発されています。
ちなみに責任者の和田尚子事務長は桐山氏の愛人といわれている人で、
現在は関西総本部のトップになっています。
阿含宗の関連企業の代表、役員はすべて桐山氏の身内です。
このスレ、まだあったのですね・・・(笑)
>8の言うこともわかりますね。
自然は全てを容認して全ての事象に対して答えをちゃんと用意してくれる。
それに対して敬う心を持ち続けることこそが肝要に思うのです。
何人たりとも摂理の呪縛からは逃れることは出来ません。
24 :
名無しさん@3周年:2005/11/15(火) 20:12:27 ID:D9QAy18z
物質や精神に偏向した宗教からヒト中心の宗教へ
>>1 ま、自然摂理のウェートをもう少し大きくする必要性はあると思う。
本来、宗教というものは宇宙の摂理・法則を基点に、人間の生き方・振舞い方を指し示したものだから。
そりゃ、儒教のように社会救済重点だと割り切ったスタンスの「宗教」だって、たしかに有用だとは思うのだが。
>>21 まあ、「理神」「人格神」の双方に神名をつけて敬っていたということだろう。
天理教に「十柱の神名」というのがあるが、これは決して偶像化される「人格神」ではなくて、あくまで「理神」。
人間の身のうち、ならびに世界(自然界)での働きの種類を十種類あるものとして、その働きに神名を付けたもの。
日本をはじめ、世界中では古来から行なわれていた神様の敬い方。
それらを総称して「八百万の神々」と、日本では呼び習わしたわけであろう。
まあ、次第に「提唱宗教」が主流になりつつあるけれど、それでもまだまだ、世界中にはアニミズムとも少し意味を異にする、自然崇拝の宗教もたくさん残っている。
27 :
名無しさん@3周年:2005/12/10(土) 06:23:39 ID:G1O9nYYm
自然と共存するなんて考え方が己自身が自然である事を忘れた典型的な近代の二元論的世界観を前提としている訳だが
28 :
◆0qGdEBxXXo :2005/12/17(土) 00:37:43 ID:Y4JwG7Vb
まぁ、あまりに当たり前の事を声高く言うのでそう聞こえてしまうわけだとは思うが・・・
ヒト中心の宗教が多いからね
いくらあがいても摂理の掌からは逃れられないのに・・・
29 :
名無しさん@3周年:2005/12/17(土) 01:08:55 ID:vJkg6VCZ
1はわかっとらんね。
地球において自然の摂理はもともとから人間中心なのに。
それはいわゆる
我、思うゆえに我あり
と言う意味で言っているのかな?
31 :
( ´,_ゝ`):2006/01/07(土) 20:57:22 ID:6PM2RKCE
関係ないけど、
藻前うざい、ゆえに藻前いるって
どうして言わないんだろう。
32 :
名無しさん@3周年:2006/01/09(月) 23:46:00 ID:CSubDyjl
それは、この2chにおいて
アラシの存在を消したいけど
認識してしまうと言う
一言ですねw
うひゃ、うまいね。
皮肉が素敵(^^♪
34 :
名無しさん@3周年:2006/01/16(月) 23:44:58 ID:MkXj/HaZ
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
ちょっと古い話だが
マホメットを風刺したマンガで暴動が起こった事がありました。
投石や放火をして蔑んだ相手に成敗を加えるのだそうです。
それって客観的に考えて暴力ですよね
暴力に対してイスラムの神は何をしたのでしょうか?
暴徒と化した群集には何も制裁はなかったでしょう
それを理由にまた暴徒は暴力を繰り返す。
ヒト中心の宗教の典型的な例ですね
平和を願うのも、
暴力を行使するのも、
いたく自然だということに異論はありませんよね。
sage
神仏
よく自然選択などと言いますが、人間はさまざまな生物の進化の流れや絶滅を
発見し、それについて考えるという知恵をつけてしまいました。よく環境を守ろう、
絶滅から救おうなどと言いますが、それは自然なのでしょうか。人間もこの世界の
コマの1つ、他の生命と同等としてしまえば、それは人間の好き勝手な振る舞いも
許されてしまうという考えに陥ります。環境の汚染によってある種が危機に瀕しても
絶滅するのは彼らが適応できなかったからだという論理です。そう言う時人は良心
の呵責を感じるでしょう。
一方で人間は世界を管理すべきだという考え方があります。現実はこちらの論理で
動いていますね。しかし、実際問題うまくいっていません。気温はどんどん上昇し
海面上昇により陸が消え、多くの都市が水没するだろうと言われています。
これを食い止めることは自然に反することなのでしょうか?人間があまりにも強い
力をもってしまったから引き起こしたことで、責任は自分たちで取るという論理は
果たして正しいと言えるのか疑問です。あくまで良心からくる贖罪というふうに見え
なくもないです。
よくわからなくなってしまいました。皆同等という価値観も人間優位の価値観も
結局は同じなのか、それとも違うのか。
>>8には概ね同意ですが、同じ意味でも
>>29は本質が違いますね。
もともとから人間中心なのではなく、それは人類が長い歴史の中で
の進化と知恵の発達によって発見した瞬間に見えた「人間は世界の中心だ」
という一つのものの見方でしょう。太古の昔、人は今よりはるかに無力な存在でした。
地球が丸いことさえわかったのはごく最近です。昔は他の人種の存在など知りよう
もなく、身近な家族だけで細々と自然の恩恵を受けて生きていたのです。
その中ではまさに人は自然の一部と言っていい存在だったでしょう。
ひとつ言えることは、人間が見ている世界は人間だけのものということです。
それぞれの生命が見る、というより認識するといった方がいいのでしょうか、
それぞれの生命の、世界との関係性はそれぞれの世界で完結していると思います。
だからこそ私は言いたい。人間は自然の中心ではないと。人間が自然の中心だ
というのは、人間が群れることによって、お互いが、人間以外の生命にも支えられて
生きているという事実に無神経になった結果の暴論だと思います。
しかし、結局は人間は人間中心にものを考え、人間中心にこの世界で
生きていくしかないというのも事実です。大切なのは、それぞれにそれぞれの
世界があることを忘れないということではないでしょうか。これは人間の自己
満足的な一方的観点でもありますが。
>>27 あなたは、ではどうあるべきだと思いますか?「自然と共存する」という考え方
が気に入らないようですが、それがいくら二元論的と言って切り捨てても、
そうしないわけにはいかないでしょう。
愚かなキリスト教猿が、世界は人間中心だと言ってるのを聞いたことがありますが
この難題を解決してすっきりするためのツールが宗教なのですか?
私には、むしろ目を晦ませているようにしか見えません。
44 :
名無しさん@3周年:2006/04/16(日) 18:42:57 ID:iINs5GG8
自然に優しいエコロジー宗教なら良いかも。
45 :
名無しさん@3周年:
宗教など不要。宗教のために電気ガス水道石油ガソリン、人的資源、
食料、紙、そのた物資が大量に必要なのだから、そんなものは無駄というほかない。