>>731 その理解は少し違いますね。
原始仏教では人間、つまり自分というものを洞察した結果、身体と心のに分け、さらに心を四つに
分けて、その合計5つが仮に寄せ集まって出来ただけの存在だと考え至ったのです。このことを五蘊仮和合
というのですが、
受: 快・不快・どちらでもない心の働き(認識過程での心作用であるのかは議論の余地があり)
想: 認識したもの、経験したもの、記憶などを一つ、あるいは多数寄せ集めて考えること
行: 行動に結びつくこころの働き
識: 知覚、物事を認識するこころの働き
と一応考えてから原始仏教を読み勧めながら修正するなり確定していくなりすればよいと思います。
部派以降になると意味が変化していきます。
詳しくは別所でするつもりです。