原始佛教 その14

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610無宗だ
【私の理解1】(>>605)
【私の理解2】
>>228にあるように、

中華佛學研究所のサイトの記述によれば、
http://www.chibs.edu.tw/publication/LunCong/023/69-124.htm
(15)其次,i「行」的語根而形成的abhisameti(abhi-sami)
に関しては

・仏教全体で 最高なる証り
を意味する場合もあるし、abhisamaya一語で
・四諦の理論理解
・縁起のあり方などの初歩的な証り
を意味する場合もある。
611?無宗だ:2005/08/20(土) 12:52:48 ID:jokd8l3Z
【私の理解3】
yonisomanasika`ra` ahu pa??a`ya abhisamayo  の解釈に関して、

>>198
そのときわたしには正しい注意と智慧とから現観(abhisamaya さとり)が起こった、
『ゴータマ・ブッダ_釈尊の生涯』 <原始仏教1> 中村元選集・第11巻 春秋社 P.173 L6-

>>543
■メモ■中村元訳と中村元監修本の訳の比較。
「何があるが故に老死があり、何に縁って老死があるのであろうか?」と。
そのときわたしには正しい注意と智慧とから 現観(abhisamaya さとり)が起こった、
「生があるが故に老死が有る。生に縁って老死がある」と。

これと同文の平行箇所が中部第14経にあり、春秋社から中村元監修で出ている。
当然、上記の中村元選集第11巻をより新しい訳になる。訳者は岡野潔。

「いったいなにがあるとき、老いること、死ぬことがあるのか。なにを成立条件(縁)として、
老いること、死ぬことがあるのか」その時比丘らよ、ヴィパッシン求道者が
根源的に思惟すると、智慧によって〔真如を〕まのあたりにすること(現観)があった。
「生まれること(生)があるとき、老いること、死ぬことがある。
生まれることを成立条件として、老いること、死ぬことがある」と。

>>560
paJJAya は「知によって」「知から」「知に」「知の」「知において」のいずれにも取れる

つまり、「ahu + abhisamayo」に関しては、
現観が起こった/さとりが起こった/〔真如を〕まのあたりにすることがあった/現観があった
と翻訳可能である。
612無宗だ:2005/08/20(土) 13:08:59 ID:jokd8l3Z
【疑問】

〔真如を〕まのあたりにすることがあった
は、文脈から解釈して、

生まれること(生)があるとき、老いること、死ぬことがある。
生まれることを成立条件として、老いること、死ぬことがある」という
真理をまのあたりにすることがあった

ということだろう。(真如を真理と書き換えること自体、アウトとか?)
この日本語を次のように書き換えることにどんな不具合があるのか素人の私にわからない。

生まれること(生)があるとき、老いること、死ぬことがある。
生まれることを成立条件として、老いること、死ぬことがある」という
真理がわかった。
-------
真理をまのあたりにした。
もダメなのかな?