原始佛教 その14

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ついでにpubbe以下も
" Samudayo samudayo" ti kho me bhikkhave pubbe ananussutesu dhammesu cakkhuü udapàdi.
\àõaü udapàdi. Pa¤¤à udapàdi. Vijjà udapàdi. âloko udapàdi.
未だ聞いたことないこれらの諸々の真理(つまり縁起の各支)によって、眼が開き、
智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた

pubbe 〜前に ananussutesu 未聞の dhammesu 法の複数 cakkhuü 眼
udapàdi 生じるのアオリスト 三人称単数 主語は比丘たちではないか?
つまり、12支を聴き、「眼が開き、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じた」たのは、
釈尊ではなく、聴聞していた比丘では?
\àõaü NANaM 智 Pa¤¤à 慧 
Vijjà 明 呪 ベェーダのことですね。「明知」「悟り」と訳されているが[sk vidyA]
智慧の一つですね。Âloko 光明

光明も明も智も慧も 智慧の別称を並べただけだと私は思いますけどねぇ。