原始佛教 その14

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128名無しさん@3周年
>>126
>ただ、9月といわず、今の段階で、
>> 「縁起の現觀」は四禪乃至滅盡定等九次第定を超出したもの
>の根拠となる経典を挙げ貰うわけにはいきませんか?

経典の中で、「現観は四禅の後である(後に生起する)」とか「滅尽定を超出したものである」
と言う記述を私は見出しておりません。もしあれば教えてください。ただ、前後解釈として、
四禅を終えた後で縁起観に間を置かずにabhisamaya(現観、観、所証、証、現証、通達)が生起します。
四禅には部派仏教において様々な解釈があります。三界それぞれに四禅があり、無色界に
おける滅尽定ではなく、色界の四禅において縁起観をし、間髪を置かずに現観が生起すると
するのが通説です。

私の論文の試みは部派の援用なしにサンスカーラという観点から原典を分類吟味した上で
縁起を考察するところにあります。もうすでに同じ研究がありますが、視点を少し変えてみます。
ですからもう少しお待ち下さい。

ご提示の部分ですが、縁起(四諦との関係は割愛)し終わって間髪をおかず生起する現観
というように、縁起とは切り離せない関係を述べていますね。
それでは失礼致します。