【偶然?】奇跡とはなにか【必然?】

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64午前2時
>>58 1様
>>52
>この部分を週刊誌の書評で見て本当に驚いて、先日
>購入してきたばかりですので、詳しくはまたあらためて
>投稿したいと思います。

遅くなりました。まず本文を引用、紹介させていただきます。感想はあらためまして。

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                          著者 五木寛之 対話者 森一弘 「神の発見」
 顔をそむけることは、心をそむけること

森  さきほど五木さんが、仏教について指摘されたことと同様に、ギリシャ世界にキリ
スト教がはいっていくにしたがって、聖書の読みかえが行なわれたと考えていいと思いま
すよ。いろいろな例をあげることができます。たとえば、言葉を表わすギリシャ語のロゴ
スは、語源的には、物事を束ねるとか、本質を整理するという意味合いがふくまれます。
五木 わかります。
森  ヘブライ語では、言葉はダバール。内側から噴き出してくる生命、という意味がふ
くまれています。たとえば、五木さんが生きてきた、いろんな人生体験が言葉となって表
われて作品になりますね。その言葉には、五木さんの人生がある。それが相手のこころの
なかにはいって、相手の心を動かし、あたためることになりますよね。
「ヨハネの福音書」の書き出しは、「はじめに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神
であった」とあります。そのときの「言」というのは、ダバールというもともとの意味で
とらえれば、神の生命が、キリストを通して人類にあふれ出てきた、神の生命が噴き出し
たという意味になります。ところが、ギリシャ語で「ロゴス」というと、キリストは神そ
のもの、キリストには神の本質がある、ということになってしまう。
                                               (引用、続きます)
65午前2時:2005/09/12(月) 23:00:09 ID:QzSL9oyF
( 引用、続きです )

五木 知的になっていますね。
森   そう、知的な側面が強くなるんです。
五木 ヘブライ語のほうが、人間的感情の原点に近い。
森   ええ。近い。
五木 生々しい感じがありますね。
森   生々しいんですね。
五木 なるほど。
森   顔のことを、ヘブライ語でパー二ームと言いますが、この言葉には、その人の内側
が相手に向かう、交わりがはじまるというような意味がふくまれているんです。単なる静
止的な顔でなくて。
五木 なるほど、なるほど。
森   そもそも聖書は、交わりのほうにアクセントがあったんです。「神が顔を向けてく
れた」ということを、最高の恵みとしてとらえた。
五木 顔をそむけるということは、相手を拒絶することですね。
森   そういうことですね。
五木 単なる顔ではなくて。
森   そうです。
五木 顔をそむけるというのは、心をそむけることでもありますから。
森   そうでしょう。
五木 なるほどね。
                                               (引用、続きます)
66午前2時:2005/09/12(月) 23:02:42 ID:QzSL9oyF
( 引用、続きです )

森   聖書をヘブライ語にもどって読み返していくと、隠れていたものが、新しく見えて
くる。
五木 いや、私たちは、たとえば「はじめに言があった。言は神だった」と言われると、
そのまま自分たちの思考方法に当てはめて考えますが、原初の生々しい感じと、だいぶ違
ってきているわけですね。
森   そうですね。       
(以下、略) 
                                             
   著者 五木寛之 対話者 森一弘 「神の発見」  株式会社平凡社 2005年 P.117-P.119
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 (引用、以上です。)
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003728.html
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31574263