1 :
1:
奇跡体験した人にお聞ききしたいのですが、
その奇跡はあなたにとって、人生にどんな意味があったのでしょうか?
あなた自身やその周辺に、どんな変化があったのでしょうか?
大事故でたった一人生き残ったあなたも、
死のうとして、直前の間違い電話で生きる意志を取り戻したあなたも、
メキシコで宇宙人?と遭遇してしまったあなたも、
自分の感覚を通して、奇跡の意味を探りませんか?
オカルト体験もOK!
その奇跡体験から味わった、あなたが生活の中で感じた
その出来事の意味や思いなどを書いてくださると嬉しいです。
荒らしは放置。煽り、誹謗、中傷、個人叩き禁止。
(一般常識に沿った心得のご投稿をお願いますね。。。)
2 :
1:2005/07/19(火) 12:54:14 ID:TIXudDoE
「奇跡体験」は信仰と同じように、主観的なものだと私は感じます。
「信仰」も神や仏に依存して、本人に奇跡が起きることがあるようですが、
どうもそうした依存心から生まれた奇跡は、うさん臭く感じてしまいます。
(と思いながらも、本物の宗教に出会いたいと思っていますが)
私は奇跡というのは、精霊を見たことかな。オカルトになってしまいますが(汗)
霊媒体質なので、良いものも悪いものも両方感じていました。
社会人でしたが、そうした善悪両方の霊に来られるようになって、原因不明の頭痛が続き、外に出られなくなりました。
ただ次第に善霊の力が増幅してきて、頭痛は止み、
今度は精神の金縛り状態になってしまいました。
それが一年半以上続き、次第に夢から覚めるように、霊的金縛りは解けましたが、
それ以後が一層不思議な日々になります。
現実生活の中で、偶然が頻繁に起きるようになってきたからです。
精霊を見たのは、この金縛り以後の時期です。
私の経験はオカルト的なことが現実とつながっていて、
いつか、このある意味宗教的でもある体験が、本物の信仰へとシフトしていく
日が来るのじゃないかなと思ってたりします。あいまいなまとめでスマソ。
若い頃の話ですが、心が汚れていたから悪いものに取り憑かれたのだと思います。
人間不信の祖父、拝金主義の祖母、両親はまともでしたが、
子どもをまともに愛せない家庭になってしまっていました。
4 :
名無しさん@3周年:2005/07/19(火) 14:45:52 ID:TIXudDoE
今日立てたばかりのスレだから、一応あげておくか。
sage進行向けテーマのような気がするけど。。。(^〜`)
age
奇跡といえば、聖なる泉。
ホンマに足とか悪いの治るのですかね。
7 :
名無しさん@3周年:2005/07/21(木) 12:08:07 ID:C7cR66hY
ルルドの聖なる水とかは、ガンにも効くんでしょうか
必然。
宇宙人が地球にきてるという話を読んだことがある。
アダムスキースレのほうがいいネタかもね。
10 :
名無しさん@3周年:2005/07/22(金) 14:54:41 ID:aqlpPx2Y
あげてみよう
11 :
名無しさん@3周年:2005/07/22(金) 23:51:01 ID:UoMXGRTp
精神科の範疇で終わるな。
幻聴。
悪魔が去ったら、記憶消し。
下らぬ神の賜物(???)。
みな自分の頭の中で起きては消えていく。
早く神、死ね。お前が心の中でいなくなればボクの心は平安に満ちる。
12 :
名無しさん@3周年:2005/07/28(木) 00:06:06 ID:8NJKZYEw
神が人間より上に立っている証。
神のオナニ−。
真理なら権威も奇跡も何もかも放棄できるハズだ。
自分だけ核保有して【核のない平和】を吼えているな、カス、ヤハウェ!!
13 :
名無しさん@3周年:2005/07/28(木) 00:07:06 ID:bU5NzqrU
宗教とは原始的なマルチ商法。
一部の人間が生きていくために考案した集金システム。
教祖や僧や牧師や神主などから見れば、
信者は『金』にしか見えない。
いかに信者から『金』を搾り出すかが
聖職者と呼ばれる人間たちの
本音だ。
教祖や僧や牧師や神主などから見れば、
信者は
『お前ら、馬鹿じゃねーの?
せいぜい頑張ってくれよ』
位にしか思っちゃいない。
教義上、平等を説いているが
信者の差別化は常識だ。
貧乏人や障害者、低学歴はこの世界でも
聖職者と呼ばれる人間たちからの
侮蔑、嘲笑にさらされる。
宗教団体の聖職者の言動や行動をよく観察して見るがいい。
金の亡者で欲望の権化ばかりだ。
聖職者たちの裏の顔を暴いてみればわかるだろう。
14 :
名無しさん@3周年:2005/08/07(日) 15:08:12 ID:eFScwhnN
奇跡体験について述べるスレですが、
奇跡体験をしてる人は、なかなかいないということかもしれないですね。
そんな体験してたら、宗教スレなんて興味ないだろうし。(スレ立てた私自身がそうだもん)
本当の奇跡って生活と密着してるから、
救いの意味で、わざわざ宗教に頼ったりはしないと思うしなぁ。。。
小学校高学年の頃の体験ですが、当時中学受験のために毎晩夜中の1時〜2時
頃まで勉強していました。子供ですから当然眠いのですが、母で寝かしてくれ
ませんでした。鬼のような母です(笑)
あるとき勉強に集中していると瞑想状態に近かったのかもしれませんが、意識
が光の玉となり、どんどん広がってゆきました。この広がってゆく意識に比し
て、自分という感覚は(その意識の一部なのですが)単なる点のように小さく
なりました。この点のような自分は、広がった意識に対して安心感と限りない
懐かしさを感じていました。この広がった意識は私のものなのか、あるいは別
の存在なのかは定かではありません。当時同じ体験を何度かしました。意味は
わかりません
『ペルーの聖なる谷にあるオリャンタイタンボ遺跡でのこと』
オリャンタイタンボ遺跡で聖なる谷に向かって立っていました。すると聖なる
谷から何かの気配を感じました。それが何なのか知覚はできないのですが、何
か祝福されているような感じでした。そこで手のひらを谷に向けて腕を広げて
みました。その瞬間、聖なる谷から唐突に風が吹いてきました。そして腕を下
ろすと風はやみました。単なる偶然だと思ったのですが、もう一度同じ動作を
繰り返してみました。驚いたことに、またしても腕を広げると風が吹き、おろ
すと風が止むのです。結局、十数回繰り返してみましたが、同じ結果でした。
「ああ、私は風をあやつれるのか」と思いました。
後で一緒にツアーに参加していた人が、「〇〇さん(私のこと)の気配がちが
った。あまりの気配につい写真を撮ってしまった」と言っていました。後で見
せてもらった写真には何も変わったものは写っていませんでしたが・・・
17 :
1:2005/08/11(木) 11:13:29 ID:OoXF6uWt
>>15-16 何かの啓示&予告の意味があったのかもしれませんね。
その後の人生に意味を落としているのは間違いなさそうですね。。。
どんな解釈を
>>15さんが持たれたのか、ふと興味が湧きますね〜。
私は霊媒体質を自覚した二十歳頃から、自分の手に不思議な能力があると気付いたです。
気功に近いような違うような、癒す力というか。(本来誰でも持ってる力なんですが)
マッサージがうまいだけというのとも微妙に違っていて、
気のねじれた部分がわかるつーか。自分でも不思議でした。
夢は十字式マッサージのような、ポンポンと背中を軽く叩くだけで
治療ができる能力を持つことかな。お年寄りは肌が弱いですから。
>>17 意味があったとすれば、子供の頃の体験を通して「人間は自分が思っている
ような卑小な存在ではない」と考えるようになったことでしょうか。
私という存在は唯一絶対の実在であり、世界は仮想現実だと感じていました。
「私が見ていないところでは世界は現われていないのだ」というような・・・。
そうとうデンパですが「私は神の子である」としばらくは思っていました。
中学2年の時に交通事故に遭いましたが、その傲慢さに天罰があたったのかと
思い、そのような考えを封印してしまいました。
『投影された宇宙―ホログラフィック・ユニヴァースへの招待』
マイケル・タルボット (著), 川瀬 勝 春秋社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393366247/qid%3D1122435375/249-5075511-8470701 なかなか面白いので、ちょっと引用します。
---------------
最も衝撃的なのは、全体性というものについてボームが完成させた考え方であ
ろう。彼はこう考える。宇宙の森羅万象は、内在秩序というホログラフィック
な生地からできているため、宇宙が「部分」の集まりで成り立っていると見る
のは意味のないことであり、それは噴水がつくり出すさまざまな形を、もとの
水とは別のものと考えてしまうのと同じである。電子はただの「素粒子」では
ない。それはホロムーブメントのあるひとつの側面につけられた名前にすぎな
いのである。そもそも現実を分割して各部分に名前をつけるということ自体が
独断的なのであり、単なる合意の産物でしかない。なぜなら、素粒子も、この
宇宙にあるその他すべてのものも、雅やかなカーペットに織りこまれた模様の
各部分と同じように、互いに別々の存在ではありえないからである。P.50
私たちの脳は、つきつめてしまえば他の次元---時間と空間を超えた深いレベ
ルに存在する秩序---から投影される波動を解釈し、客観的現実なるものを数
学的に構築しているのである。すなわち、脳はホログラフィックな宇宙に包み
込まれたひとつのホログラムなのだ。P.59
---------------
えーと、レイキというのを習ったことがあります。手を当てているところが
ぽかぽか暖かくなります。で、安らいで寝てしまいます。病気を治したりは
できませんが・・・
21 :
1:2005/08/12(金) 10:34:38 ID:t243W+3U
>>15-16 風を操れるなんてすごいと思う訳ですが、
実際、もしかすると前世の能力かも知れないその力は、
実生活ではどのような形に変換されていたりするのでしょうか?
私の想像だと、やはり自然回帰的な生き方をしたい、となるかなあ?
本当の人間に戻りたくなるでしょうね〜。
私は、自分のいろんな体験や能力を今後どのように生かしてゆくべきかずっと悩んでいるので、
自分の方向性の探り方にメリハリ持ってる人は羨ましい限りです。
22 :
1:2005/08/12(金) 11:04:42 ID:t243W+3U
>>18 子どもの頃に、見える世界の実在や実相について考えるという人物について、
私はこう考えますね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
彼は、見えない世界の力で幼くしてすべてを鮮明に認識させられるが、
彼が傲慢になってしまうことや、一端は挫折するであろうことは、
見えない世界は百も承知で幼い彼に世界の実相、真実を教えるのだ。
未来に彼が必ず、手探りで「あれはなんだったんだろう?」と回帰してくれると、
見えない世界の存在にはわかっているから。
23 :
1:2005/08/15(月) 02:34:23 ID:B4b6pTzr
>>19 内的秩序とはホログラフィックなもの・・・とは神でしょうか?
何度か読んで浮かんだのは、プラトン的神学世界、複雑系、エントロピーなどの言葉。
ボームは神を信じているのは間違いなさそうですが、哲学ではなさそうですね〜。
この人はダーウィンの進化論を題名に入れた本出した人かしら?(違うかな)
ふと感じたのは
>>19さんは完成された世界観を必要としてるのかな?ということです。
24 :
1:2005/08/15(月) 11:23:51 ID:B4b6pTzr
>>22補足しますね。
>>18 中学の頃の交通事故がきっかけで封印された認識も、現在なら解放してもいいのでは
ないかと思うのですが、どうっすか?
人間は様々な「ホンモノ」を求めてやまない存在です。
でも、幼い時期に簡単に自分にとってのホンモノがわかってしまうというのは、ある意味毒ではないかしら?
下手すれば、間違った道に迷い込んだりしないですかね。。。
正しい信仰へ導いてくれるの優れたナビゲーターでもいれば別だけど。
でもそんな大人がいるとしても、組織化と教祖作りのプロセスの中で、育てられてしまいそう。
自分の運命に奇跡的な体験が訪れ、それが生と死を超越するほどの意味を持つ内容ならば
きっと見えない世界は、一生を通して、時期を選んで、
その個性に合った指導をしてくれるもんだと思うのですが。
ただし、人間の持つ弱さを熟知した上で指導すると思うなあ。
例えば、人間関係を破綻させた中から人生の疑問が出てきてホンモノを求める傾向の人には、
そのパターンを人生で繰り返させるとか。(マジで言ってますがw)
あくまで私の私見なんですけどぉ。。。
25 :
1:2005/08/15(月) 12:46:05 ID:B4b6pTzr
あげちまった。。。(゜〜`)
肉体を持ち、この肉体の有限性の中で人間は一人では生きられないこと、
生きる中で煩悩がつきまとい、憎しみや悲しみが絶えないことを知る。
そこから逃れることが人生の唯一の目的となる。
一方、精神ではこの汚い肉体を超越した存在を真の自己だと願う。
物質ではない、心こそ真の姿であると。夢の世界こそが真の覚醒した世界だと思う。
――何故、こんな矛盾した現実を神様は我々に与えたのでしょうか。
人間の存在こそが奇跡だとかいう考え方もあるようですが、現実に世界は争いや
不平等が続いている訳であり、そこからつまり「事実」から見てゆくしかない訳ですが。
そうした矛盾の中で生きる我々に起きる奇跡とは、一体どのような意味があるのでしょうか?
26 :
1:2005/08/15(月) 12:52:08 ID:B4b6pTzr
終戦記念日age☆
28 :
1:2005/08/15(月) 17:54:00 ID:B4b6pTzr
>>27 友達になら「ニーチェでも嫁!」って言うだろうな。
(ちなみに私は今、善悪の彼岸読んでまつ)
>>27さんの悩み、昔の私を思い出しますです。
現実に限界がきて、胸苦しくなって、
何もかも「もういいや!」と投げやりになった時、別の何かが来た。
とことん向き合わされてる状態かもですね。(違ってるかもだが)
虚しい気持ちとか、虚無に向き合わされてるのでしょうか?
だとしたら何しても楽しくないでしょうね。
私は理不尽とすら自覚できないほどの切迫した悩みだったな。
孤独じゃないっすか?
誰にも理解されない苦悩、お疲れ様です。。。
見当違いだったらスマソ。
昔だったら奇跡と思っていたことが、今
催眠として科学的に奇跡を体験できるようになりました。
宗教の奇跡が地に落ちた格好です。
宗教はより本質的な教義を持っているところだけが残ります。
宗教はトリックがバレてしまったのに、まだ意地を張っています。
31 :
1:2005/08/16(火) 08:36:34 ID:d4nbGM16
日本の夏に欠かせないイベント、花火を味わう心情は、100年前もそれほど変化は無いと思います。
西洋では、絵画に触れて芸術体験をするというのは、19世紀末になってからで、
それまで絵画は聖なるもの(キリスト教)の象徴だったのが、革命的な変化を遂げ、
それが近代合理思想の幕開けとなった、という文章を最近読み返してみて、
日本で、花火を何気なく毎年見ている自分に、何か不思議な感じを覚えました。
絵画と花火、この二つとも、私には同じレベルの、感動を味わう芸術なのですが。。。
32 :
1:2005/08/18(木) 10:13:40 ID:jbmDUwZk
>>29 本質的な教義とはどのようなものなのでしょうか?
余談ですが、私は、人間がせっかく獲得した「自由」または「自由意思」を
否定に導く教えや、歪んだ解釈加える教義を持つ宗教に対しては、
今では疑問どころか、かなり否定的に見ていますね〜。
奇跡は広がりを持つものであるべきではないでしょうか。
神またはそれに相当する存在に対して、
感謝の気持ちが必然的に湧いてくる事件でなければ、本物の奇跡とは言えないと思いますが。。。
しかし!! その場合「教祖のお陰で感」がクローズアップされる事件だと、
カルト街道まっしぐらかも。(・△・)
くわばら、くわばら。
33 :
1:2005/08/18(木) 13:02:14 ID:jbmDUwZk
20代半ばから道が見えなくなった時期がありました。
とっくにやめていた新興宗教に答えが無いかとも考えたりもして。(無かったですがw)
実は霊的なことは当時随分あったのに、私はそれを真剣に受け止めていなかった。
ホントにこの世的人間(俗物)だった。奇跡が起きていても気付けないほど、エゴむき出しの人間で、
霊的な事でいい気になったりした。若くて意味がわからなかったから。
霊的なことは良い事と悪い事の両方ある中で、当然良い方のが「奇跡」なんだけど。
奇跡という実感は、私には、身勝手な生き方をしていた私へのブレーキ機能を果たしてくれた霊現象に感じたです。
この世的すぎるのも、あの世的すぎるのも悪い経過を生む。
見えない世界からの声は、現実に真に生きていない私に、やるべきことを示す声でもあった。
――もう、その声は今では聞こえてこない。
あとは自分で現実化への意思と努力を向ければいいだけ、なんだろうな。やっぱり。(~.~)
34 :
1:2005/08/19(金) 08:51:51 ID:fO9UFtvc
帰省して、学生時代の友達に会いました。私の友達はわりと綺麗な子が多いけど、
今回その中で10数年ぶりに再会した一人がリューマチに苦しんでいて、
杖が無いと歩けない、それこそヨチヨチ歩きでビックリ。
財力あり、性格もいいし賢いし、ダンナサマも色男(噂w)娘二人は国立大の才媛、
なのだか、ご本人は長年のリューマチで自殺も考えたそう。
奇跡とは別次元ですが、人から羨ましがられる人に限って、
家族や周囲の俗物たちの相念の浄化をさせられてる事が結構あると感じていた。
この友達もそうかも。
彼女にマッサージしてあげたくなり「ぜひおながい」と言ってくれたんで、
プロじゃないけどやってあげたら、みるみる固い表情が和らいで、歩き方が変わった☆
私が奇跡を感じるのはこんな時。
体が少しでも楽になれば、神経に伝わり、機能も多少変化する。
「まだいける」「ここをケアすれば、まだ快適になれる可能性があるんだ」と思える。
彼女は杖で歩くことでかなり肩が凝るらしく、それがストレスにもなっていた。
考え方変わったみたい。他人が変わるって、奇跡♪
手前ミソですた。
35 :
1:2005/08/19(金) 11:10:01 ID:fO9UFtvc
ソクラテスの美についての考察の中で、黄金率とか、
美の比率というのは決まっているらしいですね。(’△’)ヘェェ
それと同じように?人間もシータ波の数値まで欲を無くすと、
願いが叶ったり、前世の記憶を蘇らせたり、未知の発明ができたりできるとか、
何かで読んだことがありますが、使用法を誤ると、
麻薬などの副作用のように、恐ろしい結末が待っていそうな気が。
できることなら欲は自分で浄化して、
聖なる存在に導かれて、
現実的に生きる実感を味わいたいものです。
宗教はきっかけにはなるが、最終的には、真の自己である守護霊と自分との一体化によって、
混乱した世界に船を漕ぎ出すための、実験室の働きしかしないものだというのが実感です。
人生はアートであるべき、独創的で、創造的であるべきだと思う。
ゆえに、神は畏れ敬う為の存在ではなく、我々自身が真のロゴスとして
生きられる為に助力をしてくださる存在だと私は思っている。
弱い人間だから宗教に走る人がいる?
教祖の教えをお伝えする?
・・・私には、現代では、宗教への信仰は神を思い起こす為のペースメーカーかも。。。
36 :
220:2005/08/19(金) 14:56:23 ID:HSWfXDUC
判り切った在り来たりのことしか起こらないことの方が奇跡です。
予測できないことが起こりうることの方が自然です。
37 :
1:2005/08/19(金) 18:25:19 ID:fO9UFtvc
自我意識から自己と世界とが現出し、そこに二元対立の世界ができあがります。
そしてわたしと他人、わたしと自然とが対立する我他彼此の世界のなかで、わたしは悩み、迷い、苦しみ、闘いつづけています。
――――――
十牛図・自己発見への旅(横山紘一著 春秋社刊)p.54
38 :
名無しさん@3周年:2005/08/19(金) 18:42:04 ID:X/PumdoP
なんか
>>1さんのブログみたいなスレですね(嫌いじゃないです)
たださすがに読むのがしんどいので
>>1さんが次に書くとき
1さんの考えていることの、まとめみたいなのをお願いします
39 :
1:2005/08/21(日) 08:00:41 ID:Y54FjAgp
>>38 ここを見てしてくださるだけでも嬉しく思います。
クレームが嬉しいという経験は初めてかも。(^ー^)
パソコンならあちこち飛べて楽しいけど、携帯の不便さへの欲求不満、
誰も読まないだろうという軽薄な気持ちで遊んでますた。。。すまそ。
40 :
1:2005/08/21(日) 09:09:56 ID:Y54FjAgp
>>38 考えは常に変化しますが、まとまってきたものもあります。
●まず宗教の起こす一切の奇跡などは、
念の持ち方とパワー次第で、誰でも個人的に起こし得るということです。
●次に、神秘現象は日常に生かせることがベストだなということ。
ただいくら霊的に優れた力の恩恵を他者が受けて、一時的に心境の変化があっても
マイナスからゼロになったにすぎず、精神的にプラス効果は無いかも知れません。
●さらに、神という概念そのものが、人間がつくったものであり、宗教は疑わしいという事。
神の解釈は国や個人によって違います。
人間は影響されやすく、歴史が「自由」を民衆から奪っていた時期は、
その時代の思想に支配され、現代から見れば異常な魔女狩りまで行われていたし、
自由な時代には、抑圧されていた欲望を解放しまくっている。
(今浮かぶのは、個人の身勝手な性的満足の為の殺人など)
41 :
1:2005/08/21(日) 09:33:13 ID:Y54FjAgp
>>38 続きです。
●加えて、カリスマ教祖率いる宗教団体は必要ないと考えます。
今現在のところは、宗教は人間の精神的進歩の歴史を伝える為、
手にした「自由」をうまくコントロールできない人間のブレーキ的役割の為、
純粋な信仰の各拠点
として、必要なのかもしれません。
キリスト教も仏教も、私はイエス様やお釈迦様は存在を信じていますが、
歴史や経過を知らずして、真の理解に至れないんじゃないかと感じます。
だから勉強し続けたいと思っています。
42 :
1:2005/08/21(日) 11:57:16 ID:Y54FjAgp
私は、元会員だったある新興宗教の知人数人に、
カリスマ教祖がパクリをしていると教えても「そんな訳ない!」と言われ、
教祖の哲学者からの引用を教祖の言葉だと信じきっているのを見て、
無知、視野狭窄とはこういうものかと実感しました。
通常の世界では嘘と知らなければ恥になる事実が、彼らには当然の事実なのです。
盲信者は、教養が無く頭が悪いとしか言えません。。。(゜〜`)
私は頭がよく教養がある訳ではない。普通です。
でも私は「霊的」にそこの教祖を信じているのですが(・・)
しかし、この事実を突き付けられても、盲信的にウチにこもってゆく盲信状態では、
コミュニケーションは不可能。脳の眠りは深まるばかりでしょうね。
彼らの偽我の死なないのは、無常を手元に引き寄せないから。
彼らの偽我が死ぬのは、教祖が平凡な人間であると認め、教祖の奇跡とは自分の祈りや
願いが本物であったからそう感じるにすぎないと認識してからの話。
43 :
1:2005/08/22(月) 10:33:53 ID:3fPc82z1
私に言わせてもらえば、
前世もわからない人に「死」を超えられないだろうし、「生」も成り行き任せにしかならないと思いますね。
傲慢な意見ですが。
そういう霊体質でもないのに、宗教に頼る、盲信する、偽りだらけでパクリだらけなのに、
疑問も持たず、弱者の自分のアピールしかしない盲信者。
他人が傷つけられていても気にならないが、自分の正しさを評価されたいのか、少しでも否定されるとどんどん論点をずらす盲信者。
ただのバカにしか見えない。
それでもよく相手する人がいるなあと感心するが、
本人は教祖に守られている自分は特別な光に包まれた魅力があるとでも
勘違いしてるんだろうなと、そんなうぬぼれに満ちた女性を多く見てきたので考えてしまう。
間違ったことをしても、自分を客観的に見れないことが原因で、
教祖から離れたからこうなったんたわと、また熱くなるが、
過ちの原因はそれのみしか彼らには無い。
そういう盲信者が消えることが、神の奇跡だと思う。
44 :
1:2005/08/23(火) 10:58:16 ID:OylFLBcn
植物を上手に育て、芸術に取り組む友人がいます。
プチトマトのサラダがメチャウマで、尊敬してしまいます。
うちの枯れた植物の事言ってないのに、その植物を偶然くださったりします。
人間、なにかでつながってるんだろうけど、こういう事も奇跡だと思うのです。
植物は確かに不思議な力を持ってると思う。
45 :
1:2005/08/23(火) 11:00:08 ID:OylFLBcn
植物を上手に育て、芸術に取り組む友人がいます。
プチトマトのサラダがメチャウマで、尊敬してしまいます。
うちの枯れた植物の事言ってないのに、その植物を偶然くださったりします。
人間、なにかでつながってるんだろうけど、こういう事も奇跡だと思うのです。
植物は確かに不思議な力を持ってると思う。
46 :
1:2005/08/25(木) 08:27:29 ID:m0gTkto9
偶然のような「奇跡」が起きる時は、たとえ一瞬のことでも、
その意味と影響を、時間をかけてじっくり確認してゆく必然のある、
超個人的な(身近な周辺は理解できるかも)出来事なのかもしれない。
47 :
1:2005/08/30(火) 15:03:55 ID:2BsF0uG8
保守age♪
このスレも、本来私の興味の広がりの一環として、育てていきたいけれど、
実は日常に私の体験する奇跡は、言葉で表現できないことばかり。
誰かが書いていたが、奇跡とは、何も起きないことが奇跡とか。
つくづくそうかもねと思うわ。
そして奇跡とは、まさに個人的な事件にすぎないのよね。
奇跡とは一途に努力して尽くす人の先に、たまたま起きる個人的な出来事。
それらは人格の深まりとセットになっていたりすると思う。
48 :
1:2005/08/30(火) 15:44:46 ID:2BsF0uG8
つまり個人の数だけの奇跡があるということになるでしょうか。
イワシの頭を信仰しても、奇跡は起きるでしょう。
信じる=念を送る、ということだとすれば、
念の強い人間は奇跡といえる事象を起こせるかもしれません。
なにが奇跡なのかは、個人個人の定義によっても違うから、
私のいう奇跡は、曖昧ですが、
人間の意思(意志)の力で起こす奇跡が、
最も共感できる奇跡だなとは思っています。
モーゼの海が分かれた奇跡などに惹かれるなぁ。。。
人類にとっての、奇跡の初歩体験かもだけど。
イエスにカバーされちゃいましたが、そこには、みずみずしさがある。
あの奇跡は意味があると思うが、あまりに奇跡的な出来事は
偶像崇拝に移行させてしまう、いまだ不明瞭なままの、人類の意識の眠りが一番の問題。
奇跡的事件には正しい解釈が重要だと思います。
49 :
1:2005/08/30(火) 16:38:35 ID:2BsF0uG8
あ、もちろん、モーゼの海が二つに分かれたという記述が、
事実あった出来事と仮定しての話。
あらためて言っておきたいのですが、
ここで私がどんな荒唐無稽な話題を振ろうと、
それについては特別記載が無くとも、常識的な判断を願いますね。
当方、かなり霊的体質、今でいうデンパ体質です。
さて、私や他の人々の個人的主観に彩られたものにせよ、
奇跡体験が、人類のよき発展に貢献し、
歴史を支えた人々に多く見られたことは確かゆえ、気になるところ。
しかし、人類に破壊と差別と不自由や悲しみを与えた人々もまた、
奇跡体験を重視していたことも忘れてはならないですね。
(私が集団が大嫌いなのは、救いでした)
50 :
午前2時:2005/08/30(火) 23:38:15 ID:OM7G+/ct
はじめまして。
>>14 > 奇跡体験について述べるスレですが、
> 奇跡体験をしてる人は、なかなかいないということかもしれないですね。
いろいろ振り返ってみたり、過去のできごとを奇跡という
視点で考えたりしたのですが、結局私は「奇跡体験」とは
無縁のようです。(アンビリーバブルw)
それでは奇跡体験をしたという人やその出来事について
私はどんな反応するか、反応したかを考えてみても、嘗て
あったかもしれない関心、興味さえ今は見当たらなような
気がします。
感動する力が失われてしまって、たとえそれがどのような
出来事、現象であっても感応できなくなってしまったのかも
しれないし、そうなら、私には深刻な事態かもしれません。
51 :
1:2005/09/01(木) 14:35:02 ID:CZ1fUumM
>>50 午前2時様
奇跡体験が無い、そうした体験した人、出来事にも関心が無いということですが、
とりあえず書き込みありがとうございます。(゜ー゜)y―~~
52 :
午前2時:2005/09/01(木) 16:50:05 ID:y+dmnRrb
1さん
>>51 > ........................そうした体験した人、出来事にも関心が無いということですが、
関心が無い、そういった積極的なものとは少し異なり、
感受性が鈍磨して、パワーダウンしてしまったようだ、
というようなニュアンスで書きました。
ただ、驚く力、というと変ですが、長く自分自身の中で
ずっと常識としてきたものが実は大きく違っていたのだ
と知った時の、無知と、くやしさの自覚と同時に感じる
うれしいような感覚は今も変わらずにあるようです。
五木寛之と森一弘の対談、「神の発見」の中で語られ
ているのですが、「ヨハネの福音書」の”はじめに言が
あった”という、この『言(ことば)』というのが、もともと
のヘブライ語では、ギリシャ語で「ロゴス」と表現された
ものとは随分ニュアンスが違うようなのです。
この部分を週刊誌の書評で見て本当に驚いて、先日
購入してきたばかりですので、詳しくはまたあらためて
投稿したいと思います。これは、翻訳の問題ひとつに
とどまらない衝撃でした。
「聖書」に詳しい人にとっては常識なのでしょうが私に
とっては殆ど驚天動地に近いできごとだったのです。
知らないことばかりで、ときどき、こわくなります。
53 :
鬼・悪魔−っ!!:2005/09/01(木) 23:01:24 ID:hSL+SCkB
ホンモノは黙ってでもする。
ニセモノは証を必要とする。
【ア−メン、ア−メン、ア−メン。なぜ証をしたがる。それは信用がないからだ】
さて。人に振り向いて貰いたい時だけ預言者を送るゲス野郎とは???
54 :
名無しさん@3周年:2005/09/01(木) 23:09:21 ID:BylLRZVu
蟻が水溜りにはまって溺れかけたとする、それを人間が
棒切れを差し出して蟻を救ったとする。
…これって蟻の日常からは到底考えられない出来事なので
蟻にとっては大奇跡の生還体験となる。逆に人間にとっては
別に奇跡でもなんでもない行いにすぎない。
我々、人間にとっては奇跡としか言いようの無い出来事も、
神にとってはなんでもないことなんだと思う。
55 :
午前2時:2005/09/02(金) 00:32:12 ID:nToswru4
>>54 >>54さんの投稿を読んでいて、以前読んだウスペンスキーの
『超宇宙論』で似たような考えが展開されていたのを久しぶり
に思い出しました。
> 我々、人間にとっては奇跡としか言いようの無い出来事も、
> 神にとってはなんでもないことなんだと思う。
こういうことはあり得そうな気がしますね。1000年後の科学も
想像を絶しますし、今もしそれが見られたら将来の科学も又
信じ難い奇跡かもしれません。
56 :
コピペ:2005/09/03(土) 11:23:11 ID:2M1Lb80k
57 :
1:2005/09/04(日) 02:15:12 ID:KkATKuMg
>>52 午前2時様
感動する心が鈍磨ですか。。。うーむ、それは問題かも知れませぬな。
まぁ、自分の感覚に嘘をつかないことが、人生をドツボにはまらせない一番の方法
だと私は思いますので、自分の感じ方を大切になさるべきかと言ってみるテスト。
ところで、ここからは独り言ですが、安全な場所からものを言う、
盲信者や唯物的思考に冒された、非常識な俗物の言を、
2ch周辺で読んでいて、マジでその教養の無さにあきれるばかりです。
私が無知で馬鹿なのでよけいに思う。謙虚に言ってるのではなく、事実を言っています。
教養と言っても、「現在の知識や目先の知恵だけで単純に
判断しきれない出来事や事象がこの世にはある」
といった認識に至れる謙虚な学習態度を培う程度の教養でいいんですよ。
私の見解にすぎないけど、魂レベルの交流か無理だと私には時間の無駄に感じられる。
58 :
1:2005/09/04(日) 03:31:05 ID:KkATKuMg
>>52 午前2時様
聖書のことはあまり知りませんが、どの福音書もキリスト者にとって
大変重要ですよね。ぜひぜひカキコ願います。
「奇跡」こそキリスト教の真骨頂と言えるものではないでしょうか。(それしかない?)
たとえば「はじめにことばがあった」に関係しますが、
神がこの世界を創造したとか、うっ! すごい奇跡だ〜っ!(’○’)
と思いますよ。
「仮に本当なら」と頭でとらえていますが。
59 :
1:2005/09/04(日) 14:40:02 ID:KkATKuMg
カスパール・ハウザーをご存じでしょうか。
ある日、身なりのよい、いたぶられた様子もない16〜17歳に見える若者が保護された。
この若者は著しく知的発達に問題が見られ、自分の名前も、どこに住んでいたかも言えない。
ピアノマンみたいな出だしですが、カスパール・ハウザーは、結局生まれて
ずっと幽閉されていたのが、突然外界に出された少年だと分析されたんだったかな?
本もパソコンもないんでうろ覚えの内容。
彼は若くして死んでいます。
人間は愛され、安全で安心できる環境で育てられないと、
生きる希望に満ちた生は与えられないかもしれない。
なぜ一人じゃ人間になれないのかな?
母親に子どもへの愛が無いことを糾弾したかつての私。
それをしたから、現在は親離れができる感じなんだけれど(母にも)
カスパールは私には想像もつかない人生です。
私だって幽閉されて育ち、いきなり16で放り出されたら、愛されても手遅れかも。
アマラとカマラの短命は人間より狼に愛されてたのが原因かなと思う。
一人の人間が普通に成長するのは、生まれてすぐからのたくさんの愛情が必要なんでつね。。。
60 :
1:2005/09/04(日) 15:42:20 ID:KkATKuMg
宗教や思想に盲信的な母親はいやだなぁ。
私の母親はそんなことはないので、そこはよかったな〜(’▽’)
年齢がくると、憎んでいた親への理解への道が始まる人が多い。
そんな憎しみを放ったらかしにしてる人や、人生の意味や自分の罪に気付けない人って、
ほとんど共通して特徴に「押しつけがましさ」を持っている。
そういう人はまず環境に意識が縛られているので、ソトの尺度を重視する。
自分自身のことや環境がイヤなのだ。(笑)
そこを宗教で理論武装する。盲信者の出来上がり。
そういう人を責める気はないけど、批判されても仕方ないと思う。
こんな自分をなんとかしたいと思ってる謙虚な人は、柔軟な発想をするからわかるわ。
少なくとも、公共の掲示板に参加するなら、普通並の知性は持つのが礼儀だと思う。
掲示板というバーチャルな人間社会に、居心地の良さを求める人の心理がわからない。
むしろ、ホッとできるアットホームさよりは、
質の高い緊張感と向き合えるような、アートな???場が私は欲しい。
NYのペントハウスに住むような、ゴージャスな気分で♪(殴w)
それができたら奇跡。
実はモーセの海が二つに別れた奇跡は、ありえると説明できるらしいとは
昔読んだ。(「アトランティスの発見」竹内均著1978年刊、ごま書房)
昔は、奇跡に偶然あった人々は、それを「神の恩寵」として書きとめたに違いない。
実際、神は奇跡を与えたのかも知れない。
問題は、奇跡のあとのことです。
奇跡によって、ある人は選民意識を持ち、ある人は偶像を拝みはじめる。ある人は神に依存する。
つまり人が信仰心を見失いやすいのが「奇跡」という事件でもあるのではないでしょうか。
現代のユダヤ人は自分達の悲痛な歴史から学んでいる、優秀な人物を輩出する民族ですが。
しかし、旧約世界は謎が多そう。
「神の存在の証を必要としない奇跡体験」というのもあるですよ。
それは神秘主義の世界での奇跡。
自分で書きながら、どう文続けたらいいかわかりませんワ。(苦笑)
と前フリしておいて、もう寝ますね。朝だけど。。。
しかし、ドイツ神秘主義の歴史は深そう。(エックハルト〜)
あー暑い日でした。
ノシ(`△゛)
63 :
1:2005/09/08(木) 23:10:32 ID:psre2wBt
奇跡は自分がそう思えば、外からはそうでもないような事が、本人には奇跡になりますね。
神様の意思を、人間の誠実な篤い信仰の力が動かす?のでしょうが、
表面上は偶然を装ったりする場合もありますから。(ホンマ?(゜、゜)
本人にだけは奇跡とわかっている場合が結構あると、思ってたりします。
私が今の考え方になったのは、感覚や体験の積み重ねからに違いないです。
またこうも思います。
いろんな病気が、人間に神様から与えられたもので、
しかもふだん使うもので治せたらいいなあ、と。。。
(イエス様なら治せるのかもしれないですが)
今は、病気は奇跡の力で治してもらっても、
感謝しない人類が多いから、奇跡とは感じないだろうな。
奇跡は、それなりの意味があると思う。
人生が意味あるものに考えられるようにとの、神(宇宙)のはからい。
ある日、花がそれまでになく生き生きと感じられたらそれが奇跡だよ♪
無我であり、神が共に存在してるんじゃないでしょうか。
緊急の奇跡は、人を変化させない。
誠実に信仰し苦悩した人が、力尽き、諦めた時奇跡が来たら、人は変わるでしょうけれどねぇ。。。
64 :
午前2時:2005/09/12(月) 22:54:04 ID:QzSL9oyF
>>58 1様
>>52 >この部分を週刊誌の書評で見て本当に驚いて、先日
>購入してきたばかりですので、詳しくはまたあらためて
>投稿したいと思います。
遅くなりました。まず本文を引用、紹介させていただきます。感想はあらためまして。
>*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*
著者 五木寛之 対話者 森一弘 「神の発見」
顔をそむけることは、心をそむけること
森 さきほど五木さんが、仏教について指摘されたことと同様に、ギリシャ世界にキリ
スト教がはいっていくにしたがって、聖書の読みかえが行なわれたと考えていいと思いま
すよ。いろいろな例をあげることができます。たとえば、言葉を表わすギリシャ語のロゴ
スは、語源的には、物事を束ねるとか、本質を整理するという意味合いがふくまれます。
五木 わかります。
森 ヘブライ語では、言葉はダバール。内側から噴き出してくる生命、という意味がふ
くまれています。たとえば、五木さんが生きてきた、いろんな人生体験が言葉となって表
われて作品になりますね。その言葉には、五木さんの人生がある。それが相手のこころの
なかにはいって、相手の心を動かし、あたためることになりますよね。
「ヨハネの福音書」の書き出しは、「はじめに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神
であった」とあります。そのときの「言」というのは、ダバールというもともとの意味で
とらえれば、神の生命が、キリストを通して人類にあふれ出てきた、神の生命が噴き出し
たという意味になります。ところが、ギリシャ語で「ロゴス」というと、キリストは神そ
のもの、キリストには神の本質がある、ということになってしまう。
(引用、続きます)
65 :
午前2時:2005/09/12(月) 23:00:09 ID:QzSL9oyF
( 引用、続きです )
五木 知的になっていますね。
森 そう、知的な側面が強くなるんです。
五木 ヘブライ語のほうが、人間的感情の原点に近い。
森 ええ。近い。
五木 生々しい感じがありますね。
森 生々しいんですね。
五木 なるほど。
森 顔のことを、ヘブライ語でパー二ームと言いますが、この言葉には、その人の内側
が相手に向かう、交わりがはじまるというような意味がふくまれているんです。単なる静
止的な顔でなくて。
五木 なるほど、なるほど。
森 そもそも聖書は、交わりのほうにアクセントがあったんです。「神が顔を向けてく
れた」ということを、最高の恵みとしてとらえた。
五木 顔をそむけるということは、相手を拒絶することですね。
森 そういうことですね。
五木 単なる顔ではなくて。
森 そうです。
五木 顔をそむけるというのは、心をそむけることでもありますから。
森 そうでしょう。
五木 なるほどね。
(引用、続きます)
66 :
午前2時:2005/09/12(月) 23:02:42 ID:QzSL9oyF
67 :
1:2005/09/13(火) 02:31:10 ID:KNpxi2SM
あっ、午前2時様だ!
ネタを書き込もうとしておりましたが、またにします。。。
パソコンがようやくつながりました。
でもついついケータイで見てしまう。ここはケータイでしか書き込んだことがない。
まだまだ奇跡というテーマすら、把握していないアタシ。
おやすみなさい。 (-.-).。○
68 :
午前2時:2005/09/13(火) 02:44:47 ID:V8FyIF02
>>67 乙.........おやすみなさい... *: ☆
.:*:・☆.:*:・'゜'.:*:・.:*:.:☆'.:.
69 :
1:2005/09/13(火) 03:25:26 ID:KNpxi2SM
実はまだ起きている。今日は夜更かしして映画を観てまつ。
気晴らしも大事よ。繊細な人間には、なんちゃってw
リンクも少し読んだけど参考になりそうでつ。ありがとー^^
2時さん、今日もお疲れ様〜
やっと、いろんな掲示板見られるわ。わーいわーい。
ぱそ開通記念age☆ (ー、ー)y−~~
70 :
名無しさん@3周年:2005/09/16(金) 01:03:54 ID:wF6FQYsD
奇跡なんてありません
71 :
1:2005/09/17(土) 12:45:34 ID:9urGgMDl
ちょい休憩して。ティタイムにいたしましょ♪(^^)
(てゆーか、いつもそんな感じなわけであるが。。。)
奇跡を信仰なしに実現してしまう(のかどうか?)活動は
いつの時期にもあるわけですけど、非常に負のオーラを出している人は多いけれど、
本当に悩んでるな、こいつという人もいれば、リアリティない人も多いです。
どこかの漫画から飛び出てきたキャラみたいな人がいて、それはそれで楽しい
宗教板。wwwwww
でもねえ・・・リアルというか現実では普通の顔していて、
掲示板では普段できないことをしていると、人によっては、
全部自分に返ってくるんじゃないかなと思うですよ。。。
2chは、人生に疲れたり孤独な時期に助けてもらえる場かもしれないし、
雑誌読む感覚の人もいるだろうし。生活の必要情報を得ることがあるし。
一人の人間がいろんな面を見せる場でもありますね。。。
さて、リアルの充実に向けて、2chを脳内貢献させることができたら奇跡ですワ。w
72 :
1@デンパさん:2005/09/17(土) 13:17:19 ID:9urGgMDl
宗教的なことは、信仰心なしに、霊的通信(霊感)や直感だけで活動していると、
怖い気がします。これは体験から。
たとえば私の場合ですが、
「ゆがみを正せ」「真実を生きろ」という霊的通信を得たことがありますが、
それって普通の人なら、「聖霊がキターーー!!!(゜▽ ゜)」と、
そちらに目が行きがちなのですが、実際には、
私の精神的末期的状態の時期に、現実に誰もその人に言う人間が(はげますことなど)
いないので、あの世が必要に応じて、示唆しに来てくれただけにすぎないのですが。
霊的体験がありすぎると、日常茶飯事すぎて、あたり前になります。
(それはそれで、ちょっと困るのですが・・・・まあ、若い一時期のことですから)
ただ、当時のゆがんだ土壌やそこから生まれる不満、人間不信、怠惰などによって、
私が人生観をつくりあげてゆくことに対して、あの世の人?は危惧したのではないか
と思っています。
霊的現象は「文脈」と「解釈」が大切だと思うのは、信仰心のないままで
霊的な事象を捉えはじめると、死や凶作、否w、視野狭窄を起こしたりして、
傲慢になったり、孤独になったり、あげくは、悪霊の餌食さんになったり・・・
な土壌が育っちゃいやすいからです。
土壌は「健全さ」を志向したうえで色んなことがありまして、な人生観があると
いいのかも。。。人並みな人間になりたい。
「はやく人間になりたい」というやつでつ。w
73 :
1@デンパさん:2005/09/17(土) 15:41:15 ID:9urGgMDl
>>72 ウーン、かなりわかりにくいでつね。ごめんなさい。
「これだからデンパは!」と言われないよう、書き直しまつ。(´△`;)
____________________________
宗教的なことは「信仰心」なしに霊的通信(霊感)や直感だけで活動していると、
怖い気がしませんか? 私は怖いと思っています。
たとえば私の場合ですが、「ゆがみを正せ」「真実の人生を生きろ」というような
イメージの霊的通信を、若い時期に受けたことがありますが(思い込みかもw
まぁ、脳では霊がキタと信じたとして)それって霊体験ビギナーの人なら、
「聖霊がキターーー!!!(゜▽ ゜)」と、そちらに興味の焦点がいきがちなの
ではないでしょうか。
アテクシ、日々そんな霊的なことばかりだったので、神経が安らぐ暇もなかったし、
(でも夜も寝られたし、朝も爽やかに起きられた。不思議)目覚めて時間が経つと、
ザワザワしはじめるので、不快で不快で・・・グッタリ。。。
気にしないようにしていても、我慢できない腐食していくような感覚が襲って
くるのです。
・・・そんなときに「真実の人生をイ`」と突如、通信されたのです。
生きる意味や意欲を見失いそうになっていたので、ハッとさせられました。
(死ぬ気はなかったけどw)
「聖霊がキター!!!(゜▽ ゜)」というような、純粋に事象だけで嬉しいレベル
ではなかった。(そういう時もあるけどne)精神は消耗しきっていたのよ。。。
雪山で遭難した場合、寝ると体温が下がって凍死するので寝てはいけないのですが、
もう我慢できない、死んでもいいから眠りたい・・・そんなギリギリの精神状態の
時に救助隊が来てくれた状況と似ているかもしれません。
つづく
74 :
1@デンパさん:2005/09/17(土) 15:44:10 ID:9urGgMDl
↑の続き
「 ゆ が み を 正 せ 」 「 真 実 の 人 生 を 生 き ろ 」
・・・言葉の意味が知りたかったですね。簡単な言葉であればあるほど理解が難しかった。
当時はわからなかったの苦しかったです。私にとって、若い時期の霊感は、
苦しみに他(ほか)なりませんでした。
その時期は、私の情緒的末期的状態で、現実に誰も私にはげます人間がいなかったので、
あの世が必要に応じて、励ましに来てくれただけにすぎないと思っていました。
それでも、少しでも前向きになれた奇跡の出来事でした。
もっと早ければ・・・とは言いません。あのタイミングで良かったのだと思います。
あの世(守護霊さん達の世界)から見たならば、当時の私の心の歪んだ土壌では
そこから生まれる不満、人間不信、怠惰などしか生まれないから、若い時期に、
私が夢も持てずに、すさんだ日常を送ることを、あの世の霊が危惧したのでは
ないかとも思えますね〜
まあ、どんな解釈も可能だけど、堪えきれない苦痛でも耐えていれば、助けはある、
道は開けるということを、何度かこのような経験をして信じられるようになりました。
そのうち、苦悩しているだけでは助けは来ない段階に、年月の経過と共になってゆく
わけですが、それはまた別のお話。。。
でも、20年もそんな修行じみたことのおかげで、解釈の失敗ばかりしているので
、認識も表面意識と共に深まって・・・・・・・まだ登攀中wwwwwww
人生に「信仰心を持つことがもっとも重要なことである」とわかるためには、
信仰のない自分が「愛することができない」自分になっていることの自覚から、
私の場合は始まりましたネー。大変だったな〜(遠い目)
・・・・・・
なんか疲れてきた。まだ変かもしれませんが、投稿してお茶にしまつ。(~.~) d_」~~
(トーハトの期間限定マロンハーベスト、んまいっす。ハーベストはもともと好き)
75 :
1:2005/09/19(月) 14:02:41 ID:h7TEKR2F
76 :
1@敬老の日を祝いage:2005/09/19(月) 14:07:26 ID:h7TEKR2F
>>64-66 午前2時様、投稿ありがとうございました。
コメントお待ちしております〜。お暇な時にでも、訪れてくださいませ。
ロゴスとダバール・・・実はイマイチ理解が・・・ロゴスとは知性、
ダバールは感覚なんでしょうかネ?????
この本、読んでみたいのだけど、不器用なんで、まずロゴスの定義を持たないと
いけないわっ! と思ってるとこでつ。。。 (‘‘)ロゴス?
私は知性と聞くと「直感」が思い浮かぶんです。これは経験を基にした感じだけど、
新しい知恵(智慧)が身につく体験なのだと。
「直感」と区別が難しい「霊感」・・・・・未知の感覚が降り注ぐ感じかな。
インスピレーション(直感)とインテュイション(霊感)という言葉はシュタイナーの
本で知った。私は今でも区別をつけるのが難しくごちゃごちゃにしています。
77 :
1:2005/09/19(月) 14:10:41 ID:h7TEKR2F
直感と霊感。この二つの違いについて、今日は考えてみよう。(^^)
霊感はズバリ霊現象で、直感は脳の作用を利用してはいるが、
やはり霊か何か起こしてるのかもしれないと思う私。源は同じだと思うんですよ。
つまり、人間の現実へのアプローチの仕方が、奇跡的な思いつきをもたらす時、
人は「奇跡が起きた!」と感じますが、この場合は、人間の空しく報われない努力の
積み重ねの果ての実感,などが思い浮かびます。
人間の情熱や強い意志が、この奇跡の前提に存在していたことを確信できます。
これは「直感」で、知性のはたらきだと思うのです。自分の側の新しい経験と言うか。
(でも霊が背景にいると私は思う)
それと微妙に違う印象の「霊感」こちらは、私が思うに、まったく自分の側に無い
未知の存在、未知の意志、未知の体験・・・という気がします。
努力なしに、味わったことのない感覚、感情、知識(知恵というよりは知識)、自分で
はない人格を持つ存在者の実感・・・などが、脳内に組み込まれるイメージです。
あの世側の強い意志が、人間に静かな命令のような形で、こちらも従わざるを得ない
説得力が理屈抜きで施行されているぞっ! という感じかな。
「神の啓示」と呼ばれるものはこちらではないかと思ったりする。
特殊な例で、思いがけずすばらしい絵画や文字を書(描)いたり、子供が大人顔負けの
天才的な音楽を奏でたりすることがありますが、そういうのもこの次元なのかも
しれないですね。
その場合は、神様へ、その個人が芸術を通して自分の人生を捧げる約束が前提に
あったのではないかと思っています。個人の生活圏での目に見える出来事だが、
あの世側に属する、明らかな奇跡だと思う。
あ〜、また頭が疲れてきたyo (>o<)
78 :
名無しさん@3周年:2005/09/20(火) 23:16:10 ID:4UnXtNq0
age
79 :
1:2005/09/22(木) 02:30:34 ID:M14wE0A2
タイムトンネルというTV番組を覚えている人は、かなりの・・・w
あれは面白かったです。シマシマのトンネルを抜けると・・・未来(川端もビク―リ)
実は私が今も知りたい真実の一つに、アメリカの空軍基地のタイムワープ実験の
真相があります。こういうのは絶対明らかにならないから、ジレッタイでつよ。
昔ムーブックスでこのことを知った時、異常に興奮しました。
知らない人はさっぱりわかんないですよね。
マインドコントロールを受けた男性が、知らずにタイムトラベル実験を
手伝わされていた・・・検索しましたが、あまり詳しいエッセイやコラムは
あまり無いようです。いろんな話題とミックスされているのが多い。
本は出回ってるようですが・・・。2冊本持ってます。
後日談があって、著者の二コルズ氏は「20年前にタイムワープして、
この現代に来た。そして過去の俺と最近会ってしまったんだ」
体験を語る記事と証拠ビデオの写真が載っていた雑誌はボーダーランド。
(1996年8月号)ムーのような、トンデモ記事満載で面白かったです。
電気工学の専門家の著者が語るので、本当らしく聞こえた。ワクワクして
読んだなあ・・・すぐ飽きたけど。w
でも時々人生に疲れたら、思い出す話題。
UFOコンタクトの話もワクワクするYO!
奇跡とはまさに「未知との遭遇」
80 :
79の参考にドウゾ:2005/09/22(木) 02:56:47 ID:M14wE0A2
81 :
1:2005/09/26(月) 22:07:15 ID:nBSc2vEq
幼稚園児の頃、近くの教会で日曜学校があった。
マリア様の壁掛け画と、ノアの箱舟の絵本と、マリア様に妊娠を告げる
翼をつけたガブリエルの絵・・・絵本とお菓子をもらって帰る園児ら・・・
こうした記憶が私にはある。
ユダヤ教徒がイエスの復活を信じていない。
高校生になってもユダヤ教がイエス様の復活を否定してるなんて知らなかった。
なんとなく聞いたことはあったけど。
イエス様はユダヤの民だけを愛されてはいない、すべてのキリスト者を愛する。
ユダヤの民は、自分たちが神に選ばれた民族だと信じてる。
・・・・・・この程度しか知らない私。
ユダヤのようにさまようことが、キリスト教徒から見れば、罪の報いになるという。
半ユダヤ思想は、ダーウィンの進化論を得て、強い人間こそが劣った人間を圧するのだ
というような歪んだ思想を生み出し、ヒトラーがそれを利用し、逆の選民思想を
持って、600万人のホロコーストを行う。
自国の政治活動に失敗した権力者たちが、当時はユダヤ人に罪をなすりつけ、
大衆の目をそらすために、ユダヤ人を虐殺したのだ。ドイツ然り、ロシア然り。
イエスの復活を信じてないだけで、こんなひどい目にあうのか。。。
一方、キリスト教徒は・・・こちらも迫害の歴史。
頭が痛くなってきた。
奇跡の民は、みんな、みんな、迫害されているなんて。
そして今は・・・あああああ、
宗 教 っ て 何 よ ? ? ? ? ?
82 :
1:2005/09/28(水) 04:40:42 ID:a/Mq8caA
昔、親しかった友達に、電磁波?を出す人がいた。
彼女は恋愛がこじれてくると、電話機やTVなどが壊れる。
別れて次の相手に行ってしばらくは安定しているが、
彼女はとてもわがままなので、(はじめは猫をかぶっているw)
男のふがいなさや身勝手さに我慢できなくなると、
彼氏のいない寂しさと苛立ちをはかりにかけるて、前者を取った場合、
次第に彼女の部屋の電気製品が壊れ出すのである。
すごいマインドコントロール能力も持っていた。
外見は見るからに清楚なお嬢様なので、ロリコン男によく後をつけられたり
していたらしいが、歳より幼くは見え、イチゴのようなふっくらした唇、肉感的で
愛らしい色白の彼女は実はかなりなSでもあった。
高学歴な自称Mのオタクが、森高千里ばりの彼女のふくらはぎに夢中になって、
Mに調教しようとして失敗、男はやがてM男となった。
彼女のマンションに半日鎖(おもちゃの)でつながれて、帰ってきた恋人が
ピタピタのバドガールのミニをはいて(男の持ち物w)ピンヒールの先で
オノレの尻を蹴り上げてくれる・・・それが彼のヨロコビとなった。
言葉責めの得意な彼女にあらゆる性的罵倒を浴びせられ、首輪で室内を
歩かされ・・・至福の時だったようだ。
このM男となった男とつきあっているときには、彼女の部屋の電気製品は何も
壊れなかったという。
ちなみに、壊れた電機製品は20台くらい・・・電話は一番多い。
携帯は壊れにくいらしいです。
だから何よ? ですって?
彼女と機器の破壊は関係ないかもしれないし・・・? ですって?
いえ、まだ書けないことは結構あって、そでもそれ書くと、オカルトになりそうで。
この話は奇跡ではないけど、脳の持つパワーは侮れないのではないかという話でした。
83 :
1:2005/09/28(水) 04:59:19 ID:a/Mq8caA
訂正です。
>高学歴な自称Mのオタクが
↓ ↓ ↓
>高学歴な自称Sのオタクが
Mなら、彼女をMに調教する必要ないですよね。
すごいミスだ。w
ちょっと脚色してありますが、ここは重要な部分。
誤字多いなあ。
>>81も半ユダヤ→反ユダヤですしね。
84 :
1:2005/10/04(火) 01:08:09 ID:muETf4aA
一日のうちに、交通事故になりそうな現場を三度見たことがある。
三度も続けてそういう場面を見ると、妙な気持ちになる。
もしかして、「今日、おまえは事故にあうよ」という知らせ????
・・・なんてね、ちょっと悩んだよ。
四度目は本当に衝突事故があって、自分が目撃者になった。
ああ、そういうことか・・・と胸を撫で下ろした。
ちなみに、自動車とバイクがぶつかったその事故は、表面派手に見えたけど
バイクの運転してた人のかすり傷程度ですんだ。よかったなあ・・・
そういう経験、ありませんか?
85 :
1:2005/10/04(火) 01:11:07 ID:muETf4aA
うわ〜、あげちゃった!!!!(゚D゚)sage!
ホントは、奇跡のネタは結構あるのですが、
説明つかないことが多いのと、特定できるネタもあるので書けない。
書くのがもったいないのではなく、書きたいことはイッパイあるです。
大したネタしかふれなくてごめん・・・
スレの芸風変えようかな。
やはり奇跡とはなにか? ・・・に尽きるが、奇跡についての話題なら、
体験でなくってもよくってよ。(ゲイふうに)フォー!!
しかしやはり短編より、長編の方が、書くのは楽しい。
短編はわれながらつまらん。レスもね。
87 :
名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 07:07:07 ID:Z7wyufNU
88 :
名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 07:11:25 ID:Z7wyufNU
89 :
名無しさん@3周年:2005/10/10(月) 07:13:03 ID:Z7wyufNU
ディクシャのネタ募集あげ
90 :
名無しさん@3周年:2005/10/12(水) 23:16:48 ID:CKbyhZDp
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
91 :
age:2005/10/20(木) 00:55:10 ID:T49ZtsSo
age
92 :
読書する名無し:2005/10/23(日) 16:48:27 ID:qeqd2Iq3
スウエデンボルグを読んでいますが、昔読んだ時より不思議。
死後世界に旅ができるなんて、霊媒とは違う特殊能力。
だれか現代でそういう能力持ってる人、知ってる人いませんか?
93 :
名無しさん@3周年:2005/10/23(日) 18:21:14 ID:tfo2SfDE
奇蹟っておこるもんだね。
でも、普通人が想像するような大金がころがりこんだり、突然病気が治るということ
ばかりじゃないよ。私の場合、ここ数年、行き止まりにぶつかって
解決法も思いつかないまま、途方にくれて落ち込んで、お祈りするしかなかったんだけど、
ある日突然奇蹟が起きた。
なんて言えばいいんだろう。神の御技と言うべき精度で、私に
必要なこと、求めていることが、場所と時期と人を違えずに起きたんだ。
それはある人々にとって有益だけど、
バチを与えられなければならない者たちには見事なバチ(試練)にもなっていた。
気がついてみると私が個人的に欲しいものは全て与えられたね。
しかも心の奥底から深い深い幸福感がじわりじわりと持続的に湧いてくるんだ・・・。
そうそう、ここでしっかり神に感謝しとかなきゃw
94 :
読書する名無し:2005/10/24(月) 01:27:18 ID:vY54Xpol
>>93 読んでて嬉しくなるよ。
祈りって通じるものなんですね。
>>93さんが真剣に生きていたからだと思う。
苦しい時期越えて万歳って叫びたい気分だろうというより、
じわりじわりと幸福感が・・・やったね! ホンモノだよ。
神様がくれた奇跡は借金みたいなものかもしれない。
これからの生き方で返していくのかな?
でも、今はおめでとう!!
>>93
95 :
読書する名無し:2005/10/24(月) 02:11:27 ID:vY54Xpol
天外司朗(字が違うかも)という人が、デビット・ボームの
「ホログラフィー宇宙モデル」というのを使って死後の世界を説明していた。
ここに書くのがめんどう。
この世には明在系と暗在系があり、後者がユングや
トランスパーソナルでいう普遍的無意識、つまりあの世。仏教では空。
97 :
名無しさん@3周年:2005/11/03(木) 00:20:18 ID:PuNpowEw
てんげしろうさんはアイボをつくったひとです。
直感とは、自分を助けるものだから「奇跡」といえる。
自分を助ける「奇跡」は、他人を傷つけようという方向には働かないものだと思う。
「奇跡」には感謝が伴い、驚き、戸惑いがつきものではないだろうか。
霊能力というテーマひとつ考えてみても、
たとえば、「天使を霊的に直感で感じる」というのは(天使がいるという前提であっても)、
単に霊能力が優れているというだけの話である。
その力をコントロールできない初期は、その人間に様々な邪心が少しでもあると、
悪霊に支配されやすいと思う。
そういう力を持った者は、死ぬまで
「人間とはどういうものか?」の探求を続けるべきであり、
常に自己を疑っていなければならない。
当然、善と悪に精通していなければならない。
〜〜〜〜〜〜〜
以上が霊能者として生きることを選んだ者の最低の前提条件の一部。
100 :
名無しさん@3周年:2005/12/03(土) 00:43:37 ID:ZDmMHqrm
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課
二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
101 :
1:2005/12/06(火) 02:53:57 ID:G2TpOoTF
最近、ちがうスレに集中しているので、来る暇がない。
ひどい風邪をひいてしまいました。
奇跡か。
霊体質以外は普通な自分が、今は不思議。
今回は邪悪な存在を、「外」に感じた話をしたいです。
悪魔とも悪想念とも呼ばれるそれは、確かに外界にも存在します。
二十年以上前にもそれを「見た」――意味のある繰り返しだとは思う。
102 :
午前2時:2005/12/06(火) 03:40:20 ID:/pgUiJln
1さん
>>101 > 最近、ちがうスレに集中しているので、来る暇がない。
わたしもまだ、
>>64-66の続きが書けていないのです。 m(_ _)m
> ひどい風邪をひいてしまいました。
お大事にしてください。
昨夜、鹿児島県の早い初雪のニュースをTVで見ました。
各地で大雪のところも多いようです。冬本番になりました。
103 :
名無しさん@3周年:2005/12/15(木) 03:43:49 ID:aes32lSx
>>93 うらやましい!自分も悩みうんぬんじゃなくお祈りして全てを無にしたい時がある!いまはそんな簡単な事もできない なぜって家は盗聴盗撮されてて未だ解決されてないから 本当にくだらない邪魔な事件が多すぎる これほど人間を恨んだことはない
104 :
1:2005/12/19(月) 15:05:38 ID:wuDGu2Wb
>>102 午前2時様
こんにちは。レスありがとうございました。
風邪は治りましたが、ぶり返してしまいそうな大雪です。
寒い〜(T_T)
ご心配いただきまして、ありがとうございました。
お返事遅れまして申し訳ありません。
非常な忙しさで、私的なことは何もできない状態でした。
やっと落ち着き出したところですが、
完全には落ち着くのは来年になりそう。。。奇跡スレにネタ書こうとしましたが、できないままだYO☆
105 :
1:2005/12/19(月) 17:48:06 ID:wuDGu2Wb
外にサタンチックな存在を最近「見た」時ははっきり言って驚愕ものだった。
ここ20年はそんなもん見たことなかったんで・・・。
もちろんある出来事があり、その同じ繰り返しが起きたからこそ、
同じものを見たのだろうけど。
「奇跡」は目に見えない。私は今回はそれを「見た」と言うのだが。
「それ」は人間の形をしていない「邪念の塊」だった。
20年前と違い、霊感は強くなっていたが、内向していた。
私は最近では、現実重視の日常にほぼどっぷりつかっていたし、だから
「それ」を見た時は、かなり不安になった。
未知の出来事だと瞬間解釈したのだ。(もちろん既に経験済みの事象だった)
そういう存在の真偽より、見た人間の解釈こそが重視されるべきだと、
常に善し悪しではなく思っている。
私は20年間のカルマが、再び姿を現したのだと感じた。
その「邪念の塊」にまつわる現実の人間関係の中で、
私は脚本通りの役柄を演じた。そして、
再び自らの責任を引き受けるべき時が来たと理解した。
106 :
1:2005/12/19(月) 18:27:05 ID:wuDGu2Wb
あるカルマの旅が終わりを告げつつあるのだと感じた。
私はサタンちっくなものには修行してきて強くなっていたが、
ようやく、家族のカルマ切断に、一歩足を踏み入れたように思う。
やっと、私の長年の修行が役に立つ時が来たと思っている。
私の霊能力は、生まれ育った家族が一つになるためにこそあったのだから。
すみません。身に起きた出来事を整理してみたくて書いてみました。
わかりにくいですが、自分を信じられるかどうかだと思う。
あの世は存在するだけでなく、邪霊は人間をコントロールしようとします。
私は恐ろしい世界をソトに見ることができますが、普通は人はそれが見えないし、
私にそれを取り除く力はありませんでした。今は自分を救うくらいはできます。
他人が間違った道を信じて歩いても、多くの人にはわかりません。
また残念ですが、私にそれがわかっても、その人を私は救えません。
107 :
1:2005/12/19(月) 19:47:01 ID:wuDGu2Wb
自 分 を 信 じ る
これほど難しいことはないと思います。
私は邪悪な存在に影響された家庭に生まれましたが、
祖父母が恐ろしいエゴと支配欲の塊で、父母はまともでした。
しかし、悲しいことに人間は環境に染まるのですね。
私はとことん染まりませんでした。守護霊さんのおかげ。
というよりは、守護霊より他の聖霊さんたちのおかげなんだけどね。^^
人間は少しずつゆがみ、少しずつ狂ってゆくのです。
私は20年かけて、魂と心の大掃除してきた感じです。(掃除というより整理かな)
キレイゴトだけでは、悪や魔に負けてしまいます。
本当のものを目指したいものです。
問題が小さいうちに、真実を口にすべきだと思います。
私はそれを姉歯元建築士の耐震強度改ざん事件で改めて感じました。
正しいことを言う勇気、間違ったことはしない勇気の重要さは、
今の日本人には大切な気がしています。
たとえば宗教は真実を語らねばならない。
夢や妄想や理想を語り、会員らの自己慢心の拡大、および現実逃避の道具にしてはならないはずですが。
現実には新興宗教は奴隷会員が多い。
108 :
1:2005/12/30(金) 21:03:16 ID:E95c/jBD
亡き父の通夜の前日、自宅にいったん遺体を寝かせ、母と隣室で話している時でした。
襖は開けていたので、私から父の横顔は見えてていました。
近所の方々や親類の方々が大勢訪れて、父との別れを惜しんでくれましたが、
お茶を出すのが忙しくて、一休みしていた時。
「あれれ?」と思う出来事がありました。
遺体の向こうに座布団が一枚敷いてありましたが、そこに父の霊体?が見えるのです。
母に「ヒェ〜、霊が見えるよ。お父さんが座布団に座ってる。体を抜けたみたい。
寝間着のまま、自分の体を覗き込んでるよ〜。」と話しました。
ウチは呪われた家庭なんでw、そういう話題はわりと通じる。
むしろ、「よかったね。地獄行きじゃなさそうね」なんて安心しあったりしました。w
その会話のすぐあと、私の脳にある通信がありました。
父と私のカルマが瞬時に解けた瞬間でした。
すげ〜、あんなに苦労しても解決しなかった最後のわだかまりが、
父の死後すぐ消えるもんなの?・・・ の体験ですた。L('。`)
これは、始まりにすぎませんでしたが。
109 :
午前2時:2005/12/31(土) 22:43:30 ID:K5lUYPEL
わたしの、父の死の想い出といえば、生前見たこともないやすらいだ、笑顔のような表情でした。
>>108 >その会話のすぐあと、私の脳にある通信がありました。
1さんの、亡くなられたお父さんとのこのできごとは、わたしには想像もつかないことですが、
>父と私のカルマが瞬時に解けた瞬間でした。
人生には、このようなことも起こり得るのかと、その不思議に、驚きと羨ましさを感じます。
今年は、1さんにはたいへんな面も多かったことと拝察します。お父さんとの貴重な体験と共に、
迎える新しい一年が、より広がりと実りのあるものとなりますように。
よいお年を!
110 :
1:2006/01/02(月) 15:38:29 ID:Zi9JUXKT
>>109 午前2時様
レスありがとうございます。
今は次のステップへ向けて、ダイエット成功の奇跡を願っております。w
さて、私に、カルマがというより、親子のわだかまり氷解が、
父の死後突然やってきたわけですが、
実は父が病に入る数年前から、ある善なる存在がやってきていたのです。
私にはあの世の仕組みや、計画などさっぱりわかりませんが、
敷かれた絨毯の上を歩けばよい(父に関してのみ)状態でした。
母にはつらい出来事であったかと思いますが、
私はできることだけに集中しました。(母の支え、雑用全般、マッサージw)
父の闘病期に関する限り、私にはある意味現実感覚がありません。
あの世はこの世での、悪霊のわるさに苦しむ人間を救わないこともあります。
それはその人間が自力で見える世界で頑張れるとみてるからと判断しています。
実は誰もが、自分を信じられるなら、悪霊はわるさはできないのです。
・・・間違った道に入った人間が「自分を信じる」とは言うことはなかなか難しい。
間違ったと気付けないから人間は「自分を信じ」他者を自分を守るために
過ちと言い訳を重ねます。
(続く
111 :
1:2006/01/02(月) 19:17:17 ID:Zi9JUXKT
続き)
父もそのような人間の一人です。(もちろん、私もですが)
負の展開が父の魂の解放とは別に、現実ではいろいろ起きました。
まだそのプロセスの中にあります。
数年前からの来訪する善霊は、父の本質だと思います。
父が今回の病の初入院を知る直前、不思議なことがありました。
聖なる次元の祝福に満ちた雰囲気に満たされた、ある朝があったのです。
至福に満ちた霊気、世界がいつもと違う朝。
経験から、何かに向かわせられる前兆だと予感して、身を引き締めました。
その日から父の死後の現在に至るまで、私の中に現実感覚がないのです。
私は厳しい霊的試練の中から「死」に関しては、普通の感覚で捉えていないです。
うまく説明できないけど。
どう今を生きるかに、繋げるために「死」があり、死は「今」のためにあるのだと思います。
でも、最後の入院時に際しては、私に現実感はあったな〜泣いたよ〜
あれで納得した。
(まだ続く〜)
112 :
名無しさん@3周年:2006/01/02(月) 19:42:59 ID:Zi9JUXKT
続き)
父は間違った道に入らざるを得なかった人間です。
「理不尽極まりない環境で、波乱の人生を生きた人」が父に相応しい表現です。
父は妻方のカルマ(父は養子を)引き受け、背負いきって逝ったひとですが、
カルマが消えたわけではありませんから、残された者達に引き継がれざるを得ません。
一体カルマとは何なのか?
そんな見えないものに縛られ、我々は生きていかねばならないのか?
・・・だろうね〜。
でも年を重ねて、自分の人生を省みて、
私は私だけの個性的なこだわりで生きてきたんで、よかったです。
多くの他者の言葉から解放され、自分の言葉で悲しみ、苦しみ、怒り、泣く。
これこそが私にとっての至福なんだから。
113 :
1:2006/01/02(月) 21:22:21 ID:Zi9JUXKT
>>109 午前2時様のお父様は生前見たこともなかった
安らかな表情で亡くなられたということですが、
祖父が亡くなる時、非常に周囲に感謝し、まぁまぁ安らかな死に顔でした。
彼は天国へ行った、と親類の者達は話し合っていました。無理があったな。
死に方と死後行く世界は、違うこともあると思うですよ。
午前2時様の父上は安らぎの世界に旅立たれたと思いますが、
祖父は地獄に今もいると思います。
こういうことを、親類達のように、綺麗事でごまかす気にはなれません。
「死んだら全員仏」の訳がないのに。(苦笑)
祖父は努力した人ですが、カルマの一つには女性問題があると思います。
孫(私)は大変だったんですが。タチの悪い男性に惹かれたりして。w
あ、自分のせいか。<(~.~)>ホホ〜
その時、善霊が止めに来ましたよ。いい思い出です。
今の私は昔の自分に戻り、普通の人と出会いましたが、
霊的に開くと悪いものが出ちゃった典型的な例ですね、私は。w
それ以上にすんごい助けもあった、珍しい例かも。
奇跡だよぉ。('、')
今年も午前2時様にとって、素敵な一年の始まりでありますように♪
114 :
1:2006/01/09(月) 17:36:24 ID:ITzvotIb
カルマには善のカルマがあって、
「奇跡」というのは、この善カルマの働きによるものじゃないでしょうか?
家族が悪いカルマだと私が感じても、よいカルマもあったはずなんですよね。
感じ方の問題で、私、損な人生を送ってきたのかな?
そう思うことは、何度かありましたが、仕方ない。それが私の人生。
そのかわり、いろんなタイプの人々、個性的な人々と出会えたから。
それこそ、奇跡だと思う。
感じ方は少しずつ、意識的に変えて、
本物の奇跡を起こしたいなと思う今日この頃です。
ある過去生を辿る旅に出かけました。
過去生を辿るとは、ある過去生と決別し、その過去が
新しい生に統合されることを(私には)意味します。
悔い多き過去は、「その個性を残しながら生かされる」時を待っていると感じるから。
過去生の住み家の前は公園でした。私は沈思黙考し、交流を試みます。
そこには身近な感覚の安らぎがあるだけでした。
ビンビンした霊感など感じず、
心身の「文化的充足」とでも呼べる(微笑める)、
私が私の人生で味わうすべのなかった感覚なのでした。
私はまだそんな満足を味わう身分でもないのに、苦労した成功者が隠居して、
人々に尽くすことや、好きなことに打ち込めて、精神が生きがいに満ち足りて
いるような、文化的?安らぎが、私には感じられたのでした。
この過去生は悔いはないらしいです。そんな前生は初めて。w
そこへ行かなければ、認識することのなかった好好爺の感情でした。w
耳を澄ませていれば、人生は、身近に不思議なことが満ちています。
そんなことを知る為の旅でした。
(すべて気のせいだったかもしれません。でもこんな脳内奇跡wなら素敵ですよね)
独り言。
長い間に培ったカルマは、強い力で人を縛る。
どんなに夢に向かおうとしても、
カルマが自身の中まで染み込んで、思うようにはならない。
それが現実。
人間は諦めるのが好きで、諦めの中に美を見る。
他人にまでそれを広める野心にとらわれたら、もう美ではない。
「悪口は許されない」という考えは正しいが、それを絶対化すれば、
もう美ではなくなる。
自分の体験を絶対化する人は、背景に、前世カルマや先祖の因縁霊がいると思う。
相手にそれが見えると(-_-;)善し悪しを超えて、私は引く。。。
そういう人の意識の巻き添えになり、死ぬほど理解したw
そうなりゃ、切り時、引き時。(掲示板でも同様だ)
彼らは絶対引かない。w
でしゃばり、引かないことこそ、カルマなのだ。
彼らは大切な者を巻き添えにし、傷つけ、悔いなければ変われない。
大変だな〜。(周囲がw)
私が困る、困惑するのは
善霊?の通信があると、それがあるプロジェクト?の始まりを意味する。
昨日ありました。夜八時前後かな。
悪魔が出る前、必ず通信されるのです。
掲示板だけでなく、リアルでも始まる。
同じことを繰り返さないためには、知恵が要る。
知恵とは、つまり、こだわらないことかな。いつも不思議なんで、今回通信のこと書いてみたけど。
反省しろということかもでつ。w
120 :
名無しさん@3周年:2006/02/11(土) 12:27:10 ID:johq3Wbk
何でもかんでも自分たちに起こることを、奇跡にしてしまうが偽クリスチャン。
奇跡なんか簡単におきないのに、
奉仕や献金をすれば起きると思い込ませるのが、カルト牧師の手口。
121 :
1:2006/02/11(土) 13:26:04 ID:+AocVHjj
確かに簡単には起きないな。>奇跡
今日TVで見た計算の天才。
数字が彼独自の世界から見ると、
普通とはちがう調和、秩序が美しく繰り広げられているのかな。
脳の世界は昔から興味がありましたが、
彼の特徴は、自分の世界を語ることができること。
障害を持つことと、天才的能力は紙一重と、彼が語っていたような。。。
奇跡の人は時々いますね。
(映画「レインマン」は泣いたなー)
122 :
not 1:2006/02/12(日) 21:41:26 ID:MEGgKGzc
奇蹟とは何か。この宇宙があること。私がここにいること。愛し合えること。
123 :
not 1:2006/02/12(日) 21:52:19 ID:MEGgKGzc
第一動者(プライムムーバー)の想念はダバールと等しい。
ダバールについて「宇宙の法則」という単語を使えば「原理(ロゴス)」の
意味を内包する。それはロジカルな言葉である。
ダバールについて「内側からほとばしる生命」という単語を使えば、
「一なる生命」の意味を包含する。それは愛の言葉である。
第一動者はダバールである。法則であり愛であり生命である。
理性(ロゴス)によって表象されれば人はロゴスをもって理解をする。
愛によって表象されれば人は愛をもって理解する。
生命によって表象されれば人は生きることで理解する。
神の言葉は直覚で捉えることが可能だがそれは個人的な体験にすぎない。
神の言葉は知的推論で捉えることが出来るが、伝えることはできても深まらない。
実際には両者の正しい統合をもって神を捉えなければならない。
この生命宇宙は既に奇蹟だ。
私たちの個々の人生は全て奇蹟だ。
124 :
not 1:2006/02/12(日) 22:01:45 ID:MEGgKGzc
ことだま。あなたはどのようにことだまをつかうのか。
ダバール。神がどのようにダバールを使っているのかを
よく観察しなくてはなるまい。
神は神話で言う架空のエデンとしてこの宇宙を作った。
私たちはエデンに生まれ、まだ目を覚ましていない。
神はまだこの世界を創造している最中である。
宇宙には始まりも終わりもない。
神はあなたに生命の息吹を吹き込んだ。
息吹は言霊でありプネウマでありロゴスでありキリストだ。
目覚めるのか?
神はこの宇宙の支配権を既にあなたに委譲している。
あなたは目を覚まして真に生きることを今すぐに始めなくてはいけない。
この仮想のエデンを夢のままに留めずに、現実の宇宙とする。
あなた自身が生命や愛や理性でこの宇宙の創造に参画する。
あなた自身が救いの光である。
あなた自身が人の子である。
さぁ、放蕩息子よ、父の元に帰りなさい。
目を覚ましなさい。
125 :
not 1:2006/02/12(日) 22:07:50 ID:MEGgKGzc
心の貧しい人々は幸いである。
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである。
その人たちは慰められる。
柔和な人々は幸いである。
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は幸いである。
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は幸いである。
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人たちは幸いである。
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである。
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は幸いである。
天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、
あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。
天には大きな報いがある。
あなたがたより前の予言者たちも、同じように迫害されたのである。
126 :
not 1:2006/02/12(日) 22:10:09 ID:MEGgKGzc
あなたがたは地の塩である。
だが、塩に塩気がなくなれば、
その塩は何によって塩味がつけられよう。
もはや、何の役にも立たず、外に向かって投げ捨てられ、
人々に踏みつけられるだけである。
(あなたがたは生命そのものなのだ。気がつきなさい。)
あなた方は世の光である。
山の上にある町は、隠れることができない。
また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。
燭台の上に置く。
そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
(あなたがたは生命の光そのものなのだ。くぐもっていてはいけない。)
127 :
not 1:2006/02/12(日) 22:15:15 ID:MEGgKGzc
あなたがたも聞いているとおり、
「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。
しかしわたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなた方の天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、
あなたがたにどんな報いがあろうか。
徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、
どんな優れたことをしたことになろうか。
異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。
(だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。)
(あなたがたは生命そのものなのだ。気がつきなさい。)
(あなたがたは生命の光そのものなのだ。くぐもっていてはいけない。)
(あなたがたは、この宇宙を今創っているのだ。あなたがたはダバールである。)
(あなたがたは完全な者となりなさい。第一動者のように宇宙に参画しなさい。)
神=第一動者=ロゴスは、あなたがたを、ずっとお待ち下さっている。
128 :
not 1:2006/02/12(日) 22:18:06 ID:MEGgKGzc
奇蹟とは何か。この宇宙があること。あなたがここにいること。愛し合えること。
129 :
not 1:2006/02/12(日) 22:19:17 ID:MEGgKGzc
それ以外に何を欲しがっているのか。奇蹟はあなたの中に内在している。
解き放て!
130 :
not 1:2006/02/12(日) 22:23:04 ID:MEGgKGzc
かつてナザレのイエスは内在するキリストの光ダバールを
解き放った。イエスは神の子となった。
聖書をお読みなさい。
イエスの言葉を全部調べるのです。
イエスは言いました。
「あなたがたのほうが私(イエス)よりも大きなことをなすだろう」
私たちも神の子であり人の子であり、生命の継続者なのです。
解き放ちましょう。あなたが生きていることが奇蹟なのです。
131 :
午前2時:2006/02/13(月) 03:04:59 ID:SCd3Ow1w
>>122-130 not 1さんはすでに解き放たれ、イエスよりも大きなことをなされた・・・
と理解しました。
して、これからは何をされるのですか?
132 :
名無しさん@3周年:2006/02/13(月) 11:26:51 ID:OG3w3zua
新手の荒らし?
133 :
名無しさん@3周年:2006/02/13(月) 12:38:37 ID:OG3w3zua
やっぱり醒めた目で見ると”奇跡”ってのは”偶然”の宣伝的言い回しなんだなと
思えます。奇跡の復活、奇跡の治療、etc 。
奇跡は起きないのか、トリノ……
ジャンプに期待したい。
頑張れ、フィギュア!
すれ違いスマソ。w
だけど、奇跡と本人が感じても、
誰かの失敗で自分が得をする奇跡なら、
後味が悪い。
生命の危機がからんでたらなおのことだ。
飛行機事故で自分一人助かったりしたり、
自動車事故で運転してた自分は軽症ですんだのに、
同乗していた親や子が大ケガしたりというような。。。
心が重くなる。
135 :
名無しさん@3周年:2006/02/21(火) 04:18:18 ID:vS5uj4vo
奇跡。
大いなる奇跡。
便所の紙が神だと人を騙し続けられている事。
これこそ偉大なる一番大きい奇跡だ!!
聖書読んだけど、真理ではないのがよぉぉぉおおおおく解った。
あれは解釈がマチマチであり、でたらめ集である。人類のウソの結晶である。
136 :
1:2006/02/28(火) 06:31:18 ID:nq2vsdDS
「奇跡」の金メダル・・・しかし、サーシャやイリーナが転倒しなければ、
荒川静香のメダルの色は違っていただろう。
彼女の演技は、彼女の自己プロデュース能力あってのものだったけれど、
身勝手なメディアに左右されず、自己の欲するところに忠実に
歩みを進めていった結果の気迫勝ちに違いない。
チャレンジャーだけが、世界を征服するチケットを手にできる。
それは片道切符だったが、荒川はもっと向こうまで行くつもりなのかもしれない。
たかがオリンピック。されどオリンピック。
数値で決められてしまう個人の客観的価値付けなど、本当の価値とは私は思わない。
芸術への感動は、見る側の体験や状況や人生観なども含めた、
個人的な出来事でありプラス客観性だとすれば、
私にはこれからの荒川の生き方にこそ、芸術的生を求めたい。
伊藤みどりが、ショート演技のあと、荒川への辛口の批評をしていたことが
印象に残っている。
誰にも見えていない真の荒川が、伊藤には見えていたのだろうか。
確かに採点方法が変わり、荒川には不利になったフィギュア競技に向けて
闘って勝つためには、伊藤の求めているひたむきな情熱など、
演技の美しさに気を配りたい荒川には、邪魔でさえあったろう。
点を稼ぐには何をどうすべきかを決断しなければ、トリノにすら行けなかったのだ。
だが、ショートプログラムのあと「荒川さん、甘くないですよ。メダルは」と
伊藤の言ったその言葉は、「トゥーランドット」のメロディとともに、
トリノの地に凍りついたままだろう、時がそれを踏みつけてゆくだろう。
(tuduku)
137 :
1:2006/02/28(火) 06:34:37 ID:nq2vsdDS
ある条件さえ整えばメダルは取れると思い、そして荒川は、その条件を研究し尽くす。
何が必要で、何が必要でないのかを。
芸術に奉仕させるために、肉対は鍛えられてゆく。
曲目は変えられ、コーチも変わった。
「やる気を引き出すため」だと荒川は語っていた。
長野の挫折が、荒川にオリンピックに対して消極的にさせていたのだとすれば、
随分、自分に自信がなくなっていたのだろうけれど、それにしても、
四回転に派手に失敗して、そのあと何度も転んで、粘りはあったが、
カッコ悪かった安藤美姫の、フリーを演じたあとのインタビュー時の、
晴れ晴れとした前向きさと比較して、
荒川静香の16歳当時の傷つきやすさを思うと、
世代が違うんだなということを嫌でも感じざるを得なかった。
ただ、荒川の中で、オリンピックはようやく肯定されたのである。
そのことに思い馳せてみようではないですか。
日本でたった1個の金メダルは、24歳の女の子が、
「オリンピックを見直す物語」の象徴ににすぎないのだとしたら・・・
その陰に真央ちゃんのようなイキのいい若いのがいたり、努力型の村主がいたり。
やっぱりフィギュアはスポーツなんだよね。ライバルがいてこそ燃えるなんてさ。
ロリボディの可愛いサーシャも、逆境イリーナもかなり意識してチラチラ荒川を
見ずにはいられないようだった。相当な自信家さんたちだと思うのに。
静香の気迫勝ち。巷では作戦勝ちとの噂。
138 :
1:2006/02/28(火) 06:36:16 ID:nq2vsdDS
(saigoni)
オリンピックを否定したところで、若いムスメは不幸にもならないし非難もされない。
成熟した静香の、エロティックな縦開脚?を見て「いいねぇ、目の保養だ」と
考える人はいても、誰が「メダルを取れないなら、あんたは滑るなよ」と言うだろうか。
税金で行かせてもらいながら、ミキティは「自分が楽しめた」を連発していたが、
誰も責めないだろう。四回転ジャンプは彼女だけだし、綺麗な娘だからして。
しかし、それなりに美姫は成長した。若さと単純さが彼女の魅力かも。
輝きを失っていた肢体が、トリノでようやく自信を取り戻したのだった。
これからが本当の「奇跡」の始まりだと思いたい
139 :
1:2006/03/03(金) 13:31:18 ID:KEYW0pub
>>52 午前2時様
>五木寛之と森一弘の対談、「神の発見」の中で語られているのですが、
>「ヨハネの福音書」の”はじめに言があった”という、この『言(ことば)』
>というのが、もともとのヘブライ語では、ギリシャ語で「ロゴス」と表現された
>ものとは随分ニュアンスが違うようなのです。 (略)
>これは、翻訳の問題ひとつにとどまらない衝撃でした。
金子晴勇さんの「対話的思考」(創文社)のp.129にダバールに関する記述がありました。
キリスト教系思想の良書を多く出してる人のようです。興味深いので書いてみます。
>>64-66の午前2時様の引用してくださった
>著者 五木寛之 対話者 森一弘 「神の発見」 株式会社平凡社 2005年 P.117-P.119
のご参考に。
この本1976年初刊の本ですが、すごくいい本。かなりもうけもの。100円!
でもこれがきっかけで、同著者の他の本に目が行ったりするから、特なのかどうかw)
・・・理論と実践とを一つに理解する考え方はヘブライ的であるといえよう。
「理論と実践」の関係は同時に「言葉と行為」の関係と考えてもよい。
ボーマンは『ヘブライ人とギリシア人の思惟』において、へブル語の「言葉」
(ダーバール)とギリシア語の「言葉」(ロゴス)を比較し、次の相違点を指摘した。
へブル語のダーバールは「後ろにあって前に追いやる」、より詳しくは、
「背後にあるものを前へ駆り立てる」の意味である。ダーバールは動態的で
「言葉」と同時に「行為」をも意味している。
だからゲーテが『ファウスト』のなかで「初めに言葉ありき」という聖書の一説を、
「初めにわざありき」と訳したのは、アラム語原典による深い意味の層を汲んで
なされたものである。
他方、ギリシア語のロゴスは「話す」から由来し、その語幹レグは「集める、
順序だてて集める、秩序づける」の意である。
だから、ロゴスから「話す、計算する、思惟する」という三つの意味が派生し、
「言葉」から「理性」にまで発展したのである。
ここから、へブル語の「言葉=行為」の動態的性格に対して、ギリシア語の
「言葉=理性」の静態的性格をもって、両者を特徴づけることができる。
(以上です)
140 :
1:2006/03/03(金) 14:50:53 ID:KEYW0pub
前後の文も引用したいけど、とりあえずという感じかなー(--)
でもやっぱり引用しよっと。w
キリスト教的「奇跡」の認識に関わっているような気がするんですよね。マジで。
「金子さんは「理論と実践は一つに合わせて考えられないか」という人ですね。
>「伝統と慣習の中に安住していると、理論上正しいことがわかっていても、実践面で
>しりぞける間違った態度がとられる」(p.128)
>ヘブライ的・キリスト教的思考において、真理は単に理論のことではなく、何らかの行為、
>出来事、特定の時間・空間、ある人格と結びついたもの、歴史のうちに「行われた」もの、
>それが私に関わってきて「出会う」もの、一言で表せば、「邂逅としての真理」(ブルンナー)
>として語られている。(p.130)
ギリシア語を自由に駆使するヨハネ福音書の語句がこのことを物語り、ギリシア的諦念を
受け入れながら、これを変化させているとのことです。これって・・・ゥゥゥ、とばそ。
>真理は隠された神秘であるが、(ヨハネ福音書は)ギリシア思想のように
>理性によって観照されるのみではなく、キリストという歴史的人物のうちに実現し、
>彼につくかつかないかの決断を迫る。
>ギリシア思想では真理の反対が「臆見」(私見)であるのに対し、キリスト教の
>それは「偽り」である。(p.130)
141 :
午前2時:2006/03/04(土) 23:50:50 ID:owkYN0zm
1さん
>>139 > >著者 五木寛之 対話者 森一弘 「神の発見」 株式会社平凡社 2005年 P.117-P.119
> のご参考に。
>>140 >前後の文も引用したいけど、とりあえずという感じかなー(--)
>でもやっぱり引用しよっと。w
ご丁寧な引用、ご紹介、ありがとうございました。
お手数をおかけいたしました。
難しい内容のようですので、まずよく読んでみます。
142 :
名無しさん@3周年:2006/03/13(月) 11:57:31 ID:BnzswCMI
偶然を内、宗教的宣伝に利用されるものを奇跡と呼ぶ。
143 :
1:2006/03/21(火) 01:23:05 ID:OjrzmkDE
>>141午前2時様、レスありがとうございます。お返事遅くなり申し訳ありません。
引用の順番がわかりにくくてごめんなさい。
これ、たぶん実際この本熟読しないとわからない・・・。
私も知りたい内容なので、とりあえず読んでおります。ぼちぼち。。。
きちんと読めば、キリスト教にも近道となる認識をいただけそうです。(~_~)
(きちんと読むのがしんどいけど)
奇跡についてひとこと。
「奇跡は信仰へのきっかけである」というのをどこかで読みましたが、w
それは気持ちにぴったりきます。
でも多くの人は、現世利益の奇跡のため、信仰しているようですが。
・・・「思い通りの人生を引き寄せる」のも人間はやれます。実際やってみた
ことがありますが、そこでは何かが欠落している感じが、常につきまといました。
結局、すべて捨ててしまいました。
念で引き寄せる奇跡は不思議で、夢のように求めていたものが集合します。
人間はそんなこと、簡単にできるのです。
コツはありますが、無理していたわけでもありません。そういった生き方が
許されるほど、それまでの私の人生は環境に支配、利用されまくりの
どうしようもない、空しく空回りの人生でした。(本来の自分ではなかった)
自分の人生を幼稚にプロデュースしてはつぶす・・・の繰り返しが続きました。
(苦笑)
結論。
本当に求めていたことを、汗かいて歩むことができること・・・それこそが、
現実的にも霊的にも本当の本物の「奇跡」だと思います。(私にはですが)
おやすみなさい。午前2時様。そしてロムしてくださる仲間たちへ。(^^)/
144 :
午前2時:2006/03/21(火) 01:54:20 ID:EaXpnbFu
1さん
>>143 > これ、たぶん実際この本熟読しないとわからない・・・。
ホッ。w
> 「奇跡は信仰へのきっかけである」というのをどこかで読みましたが、w
そうでしたか。
> それは気持ちにぴったりきます。
それはよかったですね。
-------------------------------------------------------------
「一昨年、修道院の畑でようやくそれの再収穫に成功したのです。
あとはそれを大量に生産する畑があればいい。そのためにも水源を確保しなければ・・・・・」
「五十年以上も前に枯れてしまった水源をですか? 奇蹟を待つしかない・・・・・」
「シニョール豪士、奇蹟はこういう場合には起こらんもんです。
奇跡とは、常に、結果に対してではなく、信仰を深めるきっかけとして起こるものなのです。」
-------------------------------------------------------------
from パイナップルARMY 8
おやすみなさい。
お返事ありがとうございました。
145 :
1:2006/03/27(月) 16:51:42 ID:jD/wUjYo
今ここにあることの奇跡・・・それとは別に、奇跡が日常的にあたりまえの人も
いるのかもしれない。(感じ方が大袈裟なだけかもしれないだけだったりしてw)
世界に自覚なく奇跡を振りまく人なんているようでいない。
(マジシャンや荒川静香は計算された職業的奇跡を起こす)
けれども、子どもはその存在そのものが奇跡だ。天才的な記憶力、あらゆる大人を
超えた才能、あどけない表情でやってのける10代たちが昔から存在している。
さて、それとは別に日常で、普通の人間が、壊れた大人の印象を感じさせず、
子どもの頃の感性を持ちつづけながら、大人としての思考力も身につけなきゃ
ならないことの困難さは、確かにあるな〜。
「楽しむこと」「ワクワクすること」を軽薄に大人が求めると、単なるワガママが
噴出する。
その状態が長期化すれば、ヒトは幼児化し、自閉し、脳にも悪影響を及ぼすかも
しれない。
「ワクワクすること」「楽しむこと」――それらは、人間が、世間からの縛りで
不自由になった脳みそを本来化させるために用いることが本来の目的では
なかったのか。
146 :
名無しさん@3周年:2006/04/17(月) 01:29:24 ID:S6OkhUIp
奇跡を体感しました。玉子食べた直後のことです。ずっとお互い避けていた父とバッタリ… 驚いてしまって思わず言葉を失いました。因に同じ家には住んでません。
>>146 玉子食べたあとというのが気になる。。。どういうこと?
もう少し詳しく書いてください。
148 :
名無しさん@3周年:2006/04/21(金) 13:55:13 ID:CQ/9K452
詳細キボンあげ。
>>147 多分イースターエッグだろう。
今週の日曜はどこのキリスト教会でも配ってたと思うので
そのアイテムのご利益を報告しているものと思われ。
150 :
1:2006/04/22(土) 15:30:10 ID:DpFCNrdu
>>149 さんくす。
それからどうなったんだろうね。
>>146さんは。。。
偶然てさ、ずっと抱えてたこだわりの気持ちが、理屈抜きで
とけることがあるじゃん。あ〜〜〜〜聞きたいYO!!
(あ、
>>147は1でつ。まぁ、どうでもいいことだけど)
151 :
名無しさん@3周年:2006/04/29(土) 13:04:29 ID:9QVR3pQe
152 :
名無しさん@3周年:2006/05/14(日) 00:39:38 ID:rBa/lUri
age
153 :
1:
霊能力は奇跡なんだろうか?
その原理はなんだろう?
霊はいるかいないかよりも、
さまざまな土地にアニミズムの名残が点在していることが、不思議だと思います。
沖縄のユタ、恐山のイタコ(他にもいろいろあるけど)、
本などで読んでみて、シャーマニズムの発生が呪術と重なっているとは思わなくて驚いた。
後にそれらは宗教となり、日常化してゆき、
現在では、神社などの土着信仰として定着するに至りました。
かつて国家権力だったアニミズム。
しかし、太古の人々は、現代人以上に畏れを知っていたと思います。
太古の人々は、水や樹木や石などに神霊が宿ると考え、必死で祈ったのですね。
それが霊山、霊石、霊水などの古代信仰の名残を今に伝えています。
シャーマニズムについては、まだまだ謎だらけで、ほんとうに未知です。
信仰そのものが、どこからきたのか、謎。。。
長生きして、知ってゆきたいものです。
まさか、霊能力の発生は、
呪術(病気平癒、開運、愛憎問題、天候祈願)だったとか???