今のコピペ魔に比べれば、あああさんは自分の考えを持ってるだけまともだったな。
もう、このスレも、これだけコピペに荒らされては議論が成立しない。
スレ主の1さんは可哀相だけど、このまま日蓮正宗信者に荒され放題でスレ終了の予感。
929 :
◆tMSVgGYtxE :2005/09/28(水) 14:48:07 ID:I44rgoH8
私の考えだから、誤解しないでね。
今、お寺側にいる人もね。昔、学会だった人達が沢山いる訳じゃない?
だから、なんかやってる事が似てたりするようなとこも、あるんだよね OTL
ただね、私の考えは、日興正人様が、命懸けで守った、大御本尊様を信じてるだけ。
私には教学がないから、余り難しい事はわからないけど、根本はそれなんじゃないかな?
昔の人は、そうだったんじゃないのかな?
だから、今も、残っているんじゃないのかな?
日蓮正宗信者は一方的な人ばかりですよね、じゃないと坊さんの援助交際の為お布施なんて
できないか。
日興が命懸けで守った?
命懸けって何よ?
そんなことしたの?
なんか、日蓮正宗の信者の人って別に命賭けてるわけでもないのに、
命懸けって言葉を簡単に使うね。
あと、オカルト好きが多い。
釈迦の額から光線が出たなんて話、まじで信じてるのかね?
932 :
名無しさん@3周年:2005/09/28(水) 14:58:48 ID:I44rgoH8
そんな事いいだしたらキリないよ!
学会は、池田先生の名誉のために、何千万って寄付してんじゃん!
金で買える名誉費用のために
933 :
名無しさん@3周年:2005/09/28(水) 16:35:55 ID:FtGUx2vV
>>929 昔から残っているのがいいというのなら、鎌倉時代の新興宗教として
日蓮が作った日蓮教よりも、神道をお勧めするよ。
それとお布施事で反論してる時間があるなら、仏さんの額から光線が
出たという話を信じているか、どうなのか聞かせて欲しいなぁ〜。
国に都合よく乗せられたネット右翼はひっこんでろ。
神道なんて教義も糞もないだろ。兵隊集めるための愛国心教育にどこの国でも使われてる。
>>934 おいおい、愛国心教育って、いつの時代の話だよw
俺は浄土真宗で念仏を唱えてるものだが何か?
それとな、俺に言わせれば、国内の主な仏教系の宗派で、
神道の感覚に一番近いのが日蓮正宗だよ。
日蓮正宗とかけて神道ととく その心は・・・
どちらもオカルトの世界を信じてます
日蓮大聖人は入滅に先立って、
門弟のなかから日興上人を選んで、
本門戒壇の大御本尊をはじめとする法門の
すべてを相承し付嘱されました。
大聖人の精神と法義を固く守られた日興上人は、
時あたかも地頭の不法によって謗法の地になりつつあった
身延の地を去る決意を去れ、大聖人が生前より、
「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて
戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ」
(三大秘法禀承事・新編一五九五)
「国主此の法を立てらるれば、
富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」
(身延相承書・新編一〇二二)
と遺命されていたとおり、
日本第一の名山富士山の麓に一切の重宝を捧持して
弟子たちと共に移られ、そこに大石寺を建立されたのです。
その後、大聖人の仏法は第三祖日目上人、
第四世日道上人と、一器の水を一器に移すように
代々の法主上人によって受けつがれ厳護されて、
現在御当代上人に正しく伝えられているのです。
この間の宗門史は、
また正法厳護のための尊い苦難の歴史でもありました。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/faq/whytrue.html#8
>>935日蓮正宗の信仰は
教条的に現実生活上の行動を規制するものではなく、
日常生活の中で日日、
御本尊を信じ礼拝し唱題することが基本であり、
誰でも支障なく信行に励むことができるのです。
第五の信仰による利益については、
大聖人が、
「道理証文よりも現証にはすぎず。」
(三三藏祈雨事・新編八七四) と仰せられるように、
現証は宗教を判定するうえでもっとも大切なことです。
さらに大聖人は、
「南無妙法蓮華経と申す人をば
大梵天・帝釈・日月・四天等昼夜に守護すべし」
(諌暁八幡抄・新編一五四三) とも、
「南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ」
(九郎太郎殿御返事・新編一二九三) とも仰せられています。
すなわち、
日蓮正宗の御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える人は、
諸天善神に守護され、
未来永劫にくずれることのない仏の境界を
築くことができるのです。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/faq/whytrue.html#8
>>935 今の時代だよ、国を挙げてネットと書籍と映画で右の教育やってるのがわからん中学生はもう寝なさい。
今度はドラマで戦中の純愛でもやって若い女性取り込みますとさ。
939 :
614とかいろいろ:2005/09/28(水) 20:34:38 ID:9SMWrFxP
>929
昔、正宗だった人が今の学会員。逆です。
だからやってることなんて似てて当然。
正しいのは正宗で悪いのは学会と、こうお考えなら
昔一緒に正しい正宗にいた連中の9割以上が悪い方へ行ってしまった、
この原因をよく考えてみてください。
何故、あそこまでカルトが自宗内で肥大化するのを止められなかったか。
破門したから御破算して、正宗に責任一切無しとか言うなよ。
きちんと反省して学習しないと何度でも同じことを繰り返すぞ。
もう繰り返していくつか破門してるしね。
それと、散々公式HPよりコピペされてる「正しい信仰と宗教」の内容は
学会破門以前から、ほとんど同内容で本がでてる。
これを読んだのに、結局学会へ流れた人間も沢山いることだろう。
自宗内の信者にすら届かない程度の内容だってことに気付けよ。
940 :
名無しさん@3周年:2005/09/28(水) 21:55:31 ID:Y3UO6TXi
仏教では、無条件に信ずる事(理解なく信じ込む、盲信)は否定
されています。…といっても、日蓮教信者は知らないか。
941 :
名無しさん@3周年:2005/09/28(水) 22:12:55 ID:boGyMSEC
>>920 日蓮正宗の信仰修行は理性を失う狂信でもあり、
わけもなく信ずる盲信でもあります。
942 :
sai:2005/09/28(水) 22:16:22 ID:G57nkNYL
偶然ということは一切なく、原因と結果があり、このスレを見た人も
何かの縁でしょう!
943 :
名無しさん@3周年:2005/09/28(水) 22:42:05 ID:wGwMUfIa
このスレを見た人は幸運です。
正宗関係というカルト宗教の情報を得ることができましたから。
彼らのアホな争いに巻き込まれることはなくなりますでしょう。
944 :
名無しさん@3周年:2005/09/29(木) 01:15:51 ID:1SKE5mMt
>>939 激しく同意。
今の正宗の信者だって以前はほとんど創価学会員ですよ。
その中でたまたま池田についていった方が、現在も創価
学会としてやってるだけで、池田につかず学会を脱会し
寺の側についたのが日蓮正宗ですよね、確か・・・。
創価学会と正宗の人数比って30:1ぐらいでしょ?
もし仮に、現日蓮正宗信者が創価学会「最悪」なんて思って
るのなら、考えを改めた方がいい。
創価学会が最悪なのではなく、日蓮正宗をやっていたら
30人に1人は「最悪」になるって事だから。
今の日蓮正宗のやってることは、例えるなら30人の子供の内
29人がぐれてしまって、その長男を非難しているのと同じ。
自分が29人の不良少年・少女を育てた事を棚にあげて、
養子に出してしまった親と同じ。
いずれにしてもカルト集団の母体となっているのは否めない。
945 :
信者:2005/09/29(木) 05:02:57 ID:vC505rYb
ホントくだらない所になったなぁ話が出来ないコピペ洗脳野郎いいかげんにしろ!もう主さんも見てないだろうなぁ
946 :
◆tMSVgGYtxE :2005/09/29(木) 10:59:40 ID:1sVAM3tK
うーん。だけどさ。
自分の考えで学会やってる人とかっているのかな?
少なからず、家族がやってるから。親戚がやってるから。とか、人付き合いが、主体じゃないの?
どんな宗教でもさ。
自分の考えがなかったら、だめなんじゃないの??
法華経には、
「信(しん)を以って入ることを得たり」
(譬喩品第三・開結一七五)
とあり、日蓮大聖人は、
「仏法の根本は信を以て源とす」
(日女御前御返事・新編一三八八)
と教示されています。
また大聖人は、
「有解無信(うげむしん)とて法門をば解りて
信心なき者
>>940は更に成仏すべからず。
有信無解(うしんむげ)とて解はなくとも
信心あるものは成仏すべし」(新池御書・新編一四六一)
と説かれて、たとえ仏法の教義を理解できる人
>>940であっても、
信ずる心のない人を救うことはできないと教示され、さらに、
「法華本門の観心の意を以て一代聖教(いちだいしょうぎょう)
を按ずるに菴羅果 (あんらか) を取って掌中に捧ぐるが如し」
(十法界事・新編一七六)
と仰せられ、真実の仏法を信ずるとき、
一切の宗教の浅深は、
あたかもたなごころを見るように
明らかになるのであると説かれています。
正しい御本尊を信受し修行することによって、
あなた
>>940の真実を求め、見きわめる力は、
より正しく発揮され、人生に大きく役立ってゆくことでしょう。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/faq/whytrue.html#2 どの宗教が正しいのか自分でたしかめてみたい
日蓮大聖人の願いとするところは、
正しい仏法によって個人も社会もともに
健全に発展し幸福境涯を築くことであり、
日蓮正宗を信仰する者は邪法に迷う人々を
目覚めさせるために正邪を説き、
自らの姿をもって信仰の尊さを示しているのです。
しかも正法を信ずるならば仏力・法力によって、
おのずと円満な人格と福徳が備わり、
社会人としても多くの人々の信頼と尊敬を
受けていることはまぎれもない事実なのです。
もしあなた
>>941が、
信仰者の真剣な礼拝唱題の姿をとらえて、
それを狂信だ盲信だと非難するならば
それは妄断であり、誤りです。
なぜならばそれはあたかも、
職人が一心不乱に仕事に打ち込み、
運動会で子供が一所懸命に走っているところ
だけをとらえて、「気違いだ」「狂っている」と、
はやしたてている
>>941ようなものだからです。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/faq/objection.html#11 宗教は狂信、盲信のすすめではないか?
>>939 >>944 現在の創価学会員は、
総本山大石寺に参詣(さんけい)することも、
本門戒壇の大御本尊を拝(おが)むこともできない状態です。
それは創価学会が許されざる
謗法(ほうぼう)集団と断定(だんてい)されたからに
ほかなりません。
創価学会では、会員に対して、
総本山に参詣できなくなった理由として、
「宗門が学会員の参詣を拒否(きょひ)したから」
「大石寺が」謗法の山となったため、
参詣し供養することは謗法与同(よどう)になるから」
「現在、戒壇の大御本尊は、
日顕宗に乗っ取られた状態にあるから」
などと言(い)い訳(わけ)をしていますが、
大御本尊から離(はな)れた者が、
いかに理屈(りくつ)を並べても、
正しい教えから外(はずれ)れている
という事実に変わりはないのです。
昭和四十七年に正本堂が建立(こんりゅう)
されたことをきっかけとして、
宗門の伝統(でんとう)法義から
逸脱(いつだつ)するに至(いた)りました。
しかし宗門からの厳(きび)しい指摘(してき)を受けて、
創価学会・池田大作は反省(はんせい)の姿を示したため、
時の御法主日達上人は
創価学会が信徒団体として正しく歩(あゆ)んでいくことを
条件として、これを容認(ようにん)されたのです。
ところが、平成二年十一月十六日、
当時日蓮正宗の全信徒の代表である
法華講総講頭(こうとう)を務(つと)め、
創価学会名誉会長であった池田大作は、
これまで創価学会を賞賛(しょうさん)し
守られてきた御法主日顕上人を突如誹謗(とつじょひぼう)
するスピーチを行(おこな)いました。
これはかつての反省を反故(ほご)にした
背反(はいはん)行為であり、
信仰上の重大な誤(あやま)りだったのです。
この創価学会の誤りに対して、
宗門は再三(さいさん)にわたって善導(ぜんどう)し
訓告(くんこく)を与(あた)えましたが、
いっこうに過(あやま)ちを改めようとしなかったため、
平成三年十一月二十八日、
創価学会を破門(はもん)に処(しょ)しました。
951 :
ポリニチレン:2005/09/29(木) 22:29:51 ID:4zalIjqJ
コピペ信者のレスは何の根拠もなく、何の証明にもなっていない。
これでも論破したつもりになっているのか。
さすが自慰宗教。
日蓮正宗の信仰は
教条的に現実生活上の行動を規制するものではなく、
日常生活の中で日日、
御本尊を信じ礼拝し唱題することが基本であり、
誰でも支障なく信行に励むことができるのです。
第五の信仰による利益については、
大聖人が、
「道理証文よりも現証にはすぎず。」
(三三藏祈雨事・新編八七四) と仰せられるように、
現証は宗教を判定するうえでもっとも大切なことです。
さらに大聖人は、
「南無妙法蓮華経と申す人をば
大梵天・帝釈・日月・四天等昼夜に守護すべし」
(諌暁八幡抄・新編一五四三) とも、
「南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ」
(九郎太郎殿御返事・新編一二九三) とも仰せられています。
すなわち、
日蓮正宗の御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える人は、
諸天善神に守護され、
未来永劫にくずれることのない仏の境界を
築くことができるのです。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/faq/whytrue.html#8
954 :
名無しさん@3周年:2005/09/29(木) 23:04:17 ID:6RT55d3a
>>952 >当初は恥しい思いをするかもしれませんが、
人生最大の汚点であり、遺恨となるでしょう
>周囲の信頼と尊敬を集めることができるのです。
気色悪がられて軽蔑の眼差しに晒されるでしょう
法華経には、
「信(しん)を以って入ることを得たり」
(譬喩品第三・開結一七五)
とあり、日蓮大聖人は、
「仏法の根本は信を以て源とす」
(日女御前御返事・新編一三八八)
と教示されています。
また大聖人は、
「有解無信(うげむしん)とて法門をば解りて
信心なき者
>>921は更に成仏すべからず。
有信無解(うしんむげ)とて解はなくとも
信心あるものは成仏すべし」(新池御書・新編一四六一)
と説かれて、たとえ仏法の教義を理解できる人
>>921であっても、
信ずる心のない人を救うことはできないと教示され、さらに、
「法華本門の観心の意を以て一代聖教(いちだいしょうぎょう)
を按ずるに菴羅果 (あんらか) を取って掌中に捧ぐるが如し」
(十法界事・新編一七六)
と仰せられ、真実の仏法を信ずるとき、
一切の宗教の浅深は、
あたかもたなごころを見るように
明らかになるのであると説かれています。
正しい御本尊を信受し修行することによって、
あなたの真実を求め、見きわめる力は、
より正しく発揮され、人生に大きく役立ってゆくことでしょう。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/faq/whytrue.html#2 どの宗教が正しいのか自分でたしかめてみたい
日蓮正宗の「信仰」とは
総本山大石寺にまします、
本門戒壇の大御本尊を根本とし、
唯授一人の血脈に従 い、
本門の題目を自行化他にわたって行じることです。
信仰とは、絶対的なものを「信じ仰ぐ」ことです。
「何」を対象として信ずるか によって正邪が決まりますが、
仏法では三宝を対象とします。
日蓮正宗の法義では「文底下種の三宝」といって、
仏宝―日蓮大聖人
法宝―本門戒壇の大御本尊
僧宝―日興上人を随一とする御歴代上人
と立てます。
その当体への「信仰」については、
『当流行事抄』に、
「我等唱え奉る所の本門 の題目其の体何物ぞや、
謂わく、本門の大本尊是れなり、
本門の大本尊其の体何物 ぞや、
謂わく、蓮祖大聖人是れなり」(聖典954頁)と、
人法一箇の御本尊を 信じ、
本門の題目を唱えることと明示されています。
唯授一人血脈相承の御法主上人の御指南に従い、
大聖人出世の御本懐である本門 戒壇の大御本尊を、
信じ行ずることが日蓮正宗の「信仰」なのです。
レッテル社会といわれる現代では、
より安定した生活を送るためには有名校を卒業して
大企業や官公庁に入り、
重要ポストにつくことが幸福の要件と考えている人があります。
これについて二点から考えてみましょう。
第一の点は、はたして社会的な地位につくことが
幸福の条件なのか、ということです。
最近、四十代、五十代の、
いわば社会的に重要な地位にある年代のエリートが、
仕事上の行きづまりや人間関係の悩みによって
ノイローゼになったり、自殺に走るケースが頻繁に起こっています。
現代の熾烈な競争社会の中で責任のある地位につくことは、
それだけ大きな負担となり、
身心ともに苦労も多くなることは当然です。
ではなぜ人々は苦労の多い地位を望むのでしょうか。
その理由は、ひとつには人に負けたくない、
人の上に立ちたいという本能的な願望であり、
もうひとつには地位 が向上すれば経済的に豊かになる、
周囲から敬われることなどが挙げられると思います。
もし願いどおりの地位についたとしても、
それに適合しない性格であったり、
負担に堪える人間的な能力がなければ、
その人は苦痛の毎日を送ることになるのです。
第二の点は、
学歴至上主義がもたらす弊害と不幸がいかに大きいか、
ということです。
958 :
名無しさん@3周年:2005/09/29(木) 23:17:44 ID:1SKE5mMt
最近の状況(コピペ荒し)を見て、流石のあああさんも
同朋を見捨てられたようですね。
こういう異常者を作り出すのが日蓮正宗の土壌という
ことが、見てる人にも分かったんじゃないかな。
このスレも異常者の荒しのせいで、異様にスレが進む
のが早くなったけど、信者になるとどうなってしまうか
分かっただけでもスレの意義はあったのかなと思う。
人は誰でもなんらかの信念を持って生きています。
それも人生全般に関わる信念もあれば、
人生の部分に対する信念もあります。
たとえば「宵越しの金は持たない」という人もいれば、
「無駄遣いはしない」という人もいます。
また「少々の熱や咳は働いていれば治る」と
信じている人もいれば、
「少しでも具合が悪ければ医者に行くに限る」という人も
いるというように、ひとりの人間の信念といっても、
金銭面 ・健康面・教育面・職業面などにわたって多種多様です。
しかもそれらの信念は、
その時代や環境・年齢などによって変化することも多いのです。
それは人間の心が常に揺れ動くものであり、
その心によって生み出される価値観や信念が
定まることなく変化するのは当然といえましょう。
と同時に私たち凡人の智慧や判断には
おのずから限界があることも当然です。
このような個人的な信念を宗教とする生き方が、
はたして正しいのでしょうか。
「宗教」とは、真理を悟り究めた聖者が、
人々のために根本の正しい道を説き示して
救済することを意味しています。
すなわち、
正しい宗教とは法界の真理を悟り究めた仏の教えであり、
人生にとって不変の根本原理として、
すべての人々を安穏な境界に導くとともに、
人間に勇気と希望と活力を与える源泉なのです。
したがって仏の説き示された教えと、
個人の不安定な信念とは天地雲泥の異なりがあるわけですし、
これを同等に考えることは
宗教の意義をまったく理解していないことになります。
個人の信念のみを強調して宗教を否定する人のなかには、
「一定の宗教を持つと教義や規則に拘束されて、
画一的な人生観や価値観を押しつけられ、
人間の個性や自由が奪われるのではないか」
と懸念するむきもあるようです。
しかし日蓮正宗の教えは、
あたかもさまざまな草木や花をすべて育て養う大地のように、
ひとりひとりの個性や信念を超えて、
それぞれの人生を開発し、開花させるものであり、
けっして画一的な価値観や思想を押しつけるものではありません。
現実に日蓮正宗を信仰する人々は、
家庭や職業・年齢・地域などによってそれぞれ異なった
信念のもとで生活しておりますし、個性も抑圧されるどころか、
信仰に培われて、
より健全にのびのびと発揮しつつ社会の中で活躍しています。
また日ごろはそれほど信念について固執したり
深く考えているわけでもないのに、
こと宗教の議論になると、とたんに取って付けたように
「自分は信念を宗教にしている」
などと理屈を並べる人もいるようです。
いずれにせよ私たちの能力には限界があり、
性格的なくせもあれば欠点もあって、
けっして完全ではありません。
時には思い違いや人生を狂わせる考えに陥ることもありましょう。
あなたの信念をより正しく充実させ、
しかも人生のうえでりっぱに結実させるためには、
主体者であるあなた自身が大地のごとき正しい仏法に帰依し、
信仰に励むことが絶対に必要なのです。
961 :
名無しさん@3周年:2005/09/29(木) 23:48:47 ID:1SKE5mMt
日蓮大聖人の願いとするところは、
正しい仏法によって個人も社会もともに
健全に発展し幸福境涯を築くことであり、
日蓮正宗を信仰する者は邪法に迷う人々を
目覚めさせるために正邪を説き、
自らの姿をもって信仰の尊さを示しているのです。
しかも正法を信ずるならば仏力・法力によって、
おのずと円満な人格と福徳が備わり、
社会人としても多くの人々の信頼と尊敬を
受けていることはまぎれもない事実なのです。
もしあなた
>>961が、
信仰者の真剣な礼拝唱題の姿をとらえて、
それを狂信だ盲信だと非難するならば
それは妄断であり、誤りです。
なぜならばそれはあたかも、
職人が一心不乱に仕事に打ち込み、
運動会で子供が一所懸命に走っているところ
だけをとらえて、「気違いだ」「狂っている」と、
はやしたてている
>>941ようなものだからです。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/faq/objection.html#11
963 :
614とかいろいろ:2005/09/30(金) 00:22:38 ID:YoQe/7JV
>946
>どんな宗教でもさ。
>自分の考えがなかったら、だめなんじゃないの??
俺は、はじめっからそう言っておる。
>950
慈悲の心を与えて学会を守ってきたが、突然大作が裏切った為、
破門した、と。
一番悪いのが大作であることは間違いない。
が、大作のカルト性を見抜けず、9割以上の信者をカルト教団に
持っていかれてしまった宗門側の責任も重い。
正宗の教えがしっかりしてれば、信者はカルトについていったり
しなかったんじゃないの?
それが簡単に信者を根こそぎ持っていかれるようでは、正宗の
体質に問題があったとしか考えられまい。
964 :
961:2005/09/30(金) 00:23:24 ID:It8Lkty+
>信仰者の真剣な礼拝唱題の姿をとらえて、
>それを狂信だ盲信だと非難するならば
>それは妄断であり、誤りです。
別にそんな風に思わんが?
てか、俺は信仰者だが?
ところで君は誰?
昭和四十七年に正本堂が建立(こんりゅう)
されたことをきっかけとして、
宗門の伝統(でんとう)法義から
逸脱(いつだつ)するに至(いた)りました。
しかし宗門からの厳(きび)しい指摘(してき)を受けて、
創価学会・池田大作は反省(はんせい)の姿を示したため、
時の御法主日達上人は
創価学会が信徒団体として正しく歩(あゆ)んでいくことを
条件として、これを容認(ようにん)されたのです。
ところが、平成二年十一月十六日、
当時日蓮正宗の全信徒の代表である
法華講総講頭(こうとう)を務(つと)め、
創価学会名誉会長であった池田大作は、
これまで創価学会を賞賛(しょうさん)し
守られてきた御法主日顕上人を突如誹謗(とつじょひぼう)
するスピーチを行(おこな)いました。
これはかつての反省を反故(ほご)にした
背反(はいはん)行為であり、
信仰上の重大な誤(あやま)りだったのです。
この創価学会の誤りに対して、
宗門は再三(さいさん)にわたって善導(ぜんどう)し
訓告(くんこく)を与(あた)えましたが、
いっこうに過(あやま)ちを改めようとしなかったため、
平成三年十一月二十八日、
創価学会を破門(はもん)に処(しょ)しました。
966 :
961:2005/09/30(金) 00:31:03 ID:It8Lkty+
>>963さん
日蓮正宗について詳しいようなので教えて下さい。
今の日蓮正宗の信者も、ほとんどは創価学会員
だったんですよね?
つまり今でこそ別々に活動してますが、ちょっと
前までは日蓮正宗≒創価学会でしたよね?
967 :
614とかいろいろ:2005/09/30(金) 00:33:20 ID:YoQe/7JV
>965
俺はこれを読んだ上で、>963を書いたのだが。
宗門側には責任は無いと?
最善の努力をしたが、叶わず学会員800万人は
正宗に残ってくれることは無かったと?
正宗の教えに耳を貸してくれていた人はほとんどいなかったと?
そんくらい耳に届かない教えしかできてなかったと?
そんでいいのか?プライドないのか?
968 :
961:2005/09/30(金) 00:33:41 ID:It8Lkty+
何を言いたいかというと、今、創価学会を批判している
日蓮正宗の信者も、実は元創価学会員って事ですよね?
法華講は、
日蓮大聖人御在世(ざいせ)当時から
存在している信徒組織であり、
近年の創価学会問題に対応(たいおう)して、
新たに作られたものではありません。
かつて池田大作は、
日蓮正宗信徒の代表として
法華講総講頭(そうこうとう)の職にありました。
また当時の創価学会員はすべて、
本宗末寺の信徒でもあったのですから、
当時の学会員も法華講の一員だったのです。
今、あなたが学会を脱会して
法華講へ入講するということは、
日蓮大聖人の信徒として、
本来(ほんらい)の姿に戻(もど)るということなのです。
法華講を「脱会者の集まり」といういい方は
適切(てきせつ)ではありません。
むしろ「日蓮大聖人の仏法を
正しく信仰する人々の集まり」というべきです。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/sokagakkai/shakubuku_kyohon/355.html 法華講は脱会者の組織なのか
970 :
614とかいろいろ:2005/09/30(金) 00:41:57 ID:YoQe/7JV
>966
俺はそんなに詳しくないですが、知ってる範囲で。
>前までは日蓮正宗≒創価学会でしたよね?
その通りです。というか、事実は>965に書いてある通り。
平成3年に学会が宗門から破門された。
それまで学会は正宗内での団体として活動をしていた。
学会の初代と2代目の会長は正宗寄りだったのだが
3代目の大作になって、正宗にたてついて破門を喰らった。
が、正宗信者のほとんどは学会員だったため
正宗は信者を根こそぎ学会に持っていかれてしまった、と。
こんな感じですな。
法華講は、
総本山に法華講本部を置き、
御法主上人によって本部指導教師と総講頭(そうこうとう)・
大講頭・幹事(かんじ)がそれぞれ任命(にんめい)されています。
また末寺には、
住職・主管が指導教師(しどうきょうし)となり、
講頭を中心とした法華講支部が組織され、
そこには壮年・婦人・青年・少年の各部が設(もう)けられています。
さらに各支部が連合して
「日蓮正宗法華講連合会(れんごうかい)」が組織されています。
これらはともに、御法主上人の御指南にもとづいて、
すべての法華講員が信心を倍増(ばいぞう)し、
総本山及(およ)び末寺を外護(げご)しつつ、
広宣流布をめざして精進(しょうじん)するための組織です。
法華講(ほっけこう)は、
日蓮大聖人の教えにもとづき、
総本山大石寺にまします
本門戒壇(かいだん)の大御本尊を信仰の根本とし、
唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血脈(けちみゃく)
付法の御法主上人の御指南に随順(ずいじゅん)して、
自行化他(じぎょうけた)にわたる信心修行に励(はげ)み、
自身の幸せと広宣流布をめざす
日蓮正宗信徒の組織(そしき)です。
「法華講」の名称は、
大聖人が御自(おんみずか)ら付(つ)けられたものであり、
本門戒壇の大御本尊の脇書(わきがき)にも
「法華講衆等敬白(けいびゃく)」
と認(したた)められています。
また日興上人も当時の信徒を「法華講衆」
(佐渡国(さどのくに)法華講衆御返事(ごへんじ))
と呼ばれていました。
このように、大聖人御在世(ざいせ)当時から、
本宗信徒は「法華講衆」と呼ばれていたのです。
973 :
614とかいろいろ:2005/09/30(金) 00:47:14 ID:YoQe/7JV
>968
全部が全部そうじゃないとは思うけど。
江戸時代からの正宗檀家さんもいるだろうし。
ただ、俺は元学会員で今正宗信者の人に勧誘を受けたよ。
その人は学会員だったころは公明党支持の運動をしてたが
破門依頼、一貫してアンチ公明党になってる。
なっていうか、極端な人だ。
法華講と創価学会の信心の違(ちが)いは多くあります
@ 目 的
法華講は、正法興隆(こうりゅう)と広宣流布をめざし、
法華講員の信心の育成(いくせい)をその活動の目的としています。
法華講員は、大聖人の仏法を純粋(じゅんすい)に信仰し、
成仏するための信心をしています。
一方、創価学会は、信仰集団としての一面と、
文化団体・平和団体としての一面を持ち合わせています。
そのため会員は、信仰活動のほかに、
選挙活動や民音(みんおん)のチケット販売(はんばい)、
書籍(しょせき)販売など、
信仰とはまったく無縁(むえん)の活動に
奔走(ほんそう)させられています。
A 師 弟
法華講は、
日蓮大聖人を末法の御本仏(ごほんぶつ)と仰ぎ、
大聖人以来の血脈(けちみゃく)を継承(けいしょう)される
御法主上人の御指南に随順(ずいじゅん)して
信心に励(はげ)んでいます。
これに対して、創価学会は
「日蓮仏法を奉(ほう)ずる」などといっていますが、
実態(じったい)は
「日蓮仏法を具体化して弘めたのは池田先生である」といい、
会則(かいそく)には
池田大作を「永遠の指導者」と謳(うた)っています。
すなわち学会員にとっての「師匠(ししょう)」とは、
日蓮大聖人が入滅(にゅうめつ)後の
大導師(どうし)として定められた
血脈付法の御法主上人ではなく、
池田大作なのです。
B 参 詣
寺院は宗祖大聖人の時代から存在し、
そこには三宝尊(さんぼうそん)がそなわる重大な意義があります。
法華講の信心は、
総本山大石寺を信仰の根本霊場(れいじょう)とし、
所属寺院を修行の道場として、日常の信心活動に励んでいます。
日蓮正宗の総本山とその流れを汲(く)む末寺には、
真の仏宝(ぶつぽう)・法宝(ほうぼう)・僧宝(そうぼう)の
三宝が厳然(げんぜん)とそなわっており、
法華講員は寺院に参詣することによって、
直接三宝を敬(うやま)い、
大きな功徳を積むことができるのです。
一方、創価学会には、会館はありますが、
総本山も末寺もありません。
創価学会の会館には
仏法僧の三宝がそなわっていないことはもちろんのこと、
掛(か)けられている本尊も『ニセ本尊』など、
すべて血脈が切れたものなのです。ですから、
学会の会館へ行っても、
功徳を積むどころか恐ろしい悪業(あくごう)を積むだけです。
なお、創価学会には、本宗から離脱僧(りだつそう)が
占拠(せんきょ)しているわずかな寺院と、
「会館寺院」と称(しょう)する施設(しせつ)がありますが、
これらは寺院としての本来の意義はまったくありません。
これらの三点だけを見ても、
法華講と創価学会の信心には形態(けいたい)・
内容などに大きな違いがあることがわかります。
しかも、もっとも大切なことは信心の結果であり、
法華講の信心には、正法正義(しょうぎ)による即身成仏
(そくしんじょうぶつ)の大利益(りやく)がありますが、
創価学会の信心には、謗法(ほうぼう)の悪業(あくごう)
による現罰(げんばつ)と堕(だ)地獄の苦しみがあるだけです。
976 :
614とかいろいろ:2005/09/30(金) 00:59:36 ID:YoQe/7JV
学会はカルト。これは今更言うまでも無い。
そのカルトを撒き散らした原因の一端が日蓮正宗にあったということ。
法華講は、
日蓮大聖人御在世(ざいせ)当時から
存在している信徒組織であり、
近年の創価学会問題に対応(たいおう)して、
新たに作られたものではありません。
かつて池田大作は、
日蓮正宗信徒の代表として
法華講総講頭(そうこうとう)の職にありました。
また当時の創価学会員はすべて、
本宗末寺の信徒でもあったのですから、
当時の学会員も法華講の一員だったのです。
今、あなたが学会を脱会して
法華講へ入講するということは、
日蓮大聖人の信徒として、
本来(ほんらい)の姿に戻(もど)るということなのです。
法華講を「脱会者の集まり」といういい方は
適切(てきせつ)ではありません。
むしろ「日蓮大聖人の仏法を
正しく信仰する人々の集まり」というべきです。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/sokagakkai/shakubuku_kyohon/355.html 法華講は脱会者の組織なのか?