|†| キリスト教@質問箱136 |†|

このエントリーをはてなブックマークに追加
155XYZ(素人正教徒) ◆xbX1kRWdrE
>>150
 正教会の伝統として、異教徒の救いについては
 「救われるとも、救われないとも、断言してこなかった」という事情があります。
 これは、私の個人的見解ではなく、正教会の見方と申して宜しいかと思います。
 ニッサの聖グレゴリウス(4世紀頃です)は「悪魔に至るまでの救済」に希望を
持ちましたが、断言を避けた為に異端とされることを免れました。
 対して現代の正教会もその著作を尊重しているオリゲネス(3世紀)は、本人は
「この見解が異端視されるのであれば、この見解を私は撤回しよう」と述べていた
にも関わらず、その異教徒も救われることについて断言した見解が後世、異教徒の
救いを断言する強力なグループを生み出してしまったことにより、オリゲネス没後
数世紀以上経ってから、オリゲネス本人というよりはその後継者を自認する人々を
断罪するという意味で、惜しまれつつ異端宣告が出されてしまいました。
 しかし、アトスの聖シルワン(20世紀初頭)は「私達は全ての者のために祈らなく
てはならない」として、異教徒の為の祈りを示唆していますし、先述の19世紀ロシアの
イェルチャニノフ神父は日記の中で、異教徒の死後の運命について、救われる可能性を
全否定していません。