「魂は存在しない」と思う私を論破して下さい 2魂目
904 :
名無しさん@3周年:2007/03/14(水) 15:27:36 ID:q6Yml76f
またちょっと話がそれとしまうのですが。
科学的な議論を交わすのだったらそれは大切なことではない方、書込みにある
気持ちや姿勢で判りますが。
魂の存在のする・しないの場合存在しないと思われている方は科学的な見解から、
存在すると思われている方は自分の体験から主張されている方が多いと思います。
それぞれの立場から考えたら、存在しないと思われている方から見ればこの世界を
知るために一生懸命勉強してきたのに何故あなた達は何もせずに存在するといえる
んだという思いがあるのではないかと思います。もう一方の存在すると思われてい
る方は実際に体験したことの方が信じられる、何故なにも体験していないのに存在
しないといえるのかと思われているのではないかと思います。
今は科学に支配されている世界ですので、存在するという方にとっては不利ではな
いかと思います。
>>最後において双方が合意に達するとは限らないけど、少なくとも「分岐点」は
>>分かる。分岐点が分かることは意味のないことじゃないと思う。
私もそう思います。でも
>>「オレはAだと思う。」「いや、オレはBだと思う。」ではダメ。
>>「オレは〜〜〜〜という理由で、A(またはB)だと考える」まで下がればいい
>>んだよね。
をもうちょっと寛容に考えて(存在するという方へのハンディ)話を進めれば
お互いの理解できる範囲が多くなるのではないかと思います。
後はそれで分岐点までどれだけ進めるかですね。
ちょっと大きなお世話だったかもしれません。
長々と書いてしまった。
これだけ書けるのなら体験談を書けば良かった。
すみません、体験談は又今度。
905 :
名無しさん@3周年:2007/03/14(水) 15:47:33 ID:q6Yml76f
すみません。異常が起きたので書き込まれていないかと思って3回も書き込
んでしまいました。
「ぜったいに論破されない」という魂を持っている。
>>904 > またちょっと話がそれとしまうのですが。科学的な議論を交わすのだったら
> それは大切なことではない方、書込みにある気持ちや姿勢で判りますが。魂
> の存在のする・しないの場合存在しないと思われている方は科学的な見解か
> ら、存在すると思われている方は自分の体験から主張されている方が多いと
> 思います。
「科学」という言葉の使い方について少し考えていることを書いてみる。
おそらくオカルト的文脈において「科学」というのは「世界について人類が持っ
ている [[既存の]] 知識」を指しているものと思う。そうであれば、「科学に
とらわれ、科学を盲信する人間」などというのは、それこそ愚劣の極み、ただ
の阿呆だ。オレから見ると、大槻教授なんてのがそのたぐい。
だけど、そこでの「科学」の解釈が、実は誤用なんだよね。例えば、既に科学
の教科書に載っている理論とは矛盾するようなデータが得られているとき、そ
れでも頑固に既存の理論に固執するような態度は、むしろ完全な非科学。科学
者においても無意識的にそれをやってしまうことがあるのだという話は「認知
の肯定性バイアス」に関する話でで話したとおり。
で、そういう自称「科学的」な非科学バカにとって、魂も神様もみんな、既存
の科学知識の体系に含まれていないというだけで除外される対象となる。
じゃあ、本来的な「科学」とは何だろうか?広辞苑で引いてみると…
「科学」
(1) 世界と現象の一部を対象領域とする、経験的に論証できる系統的な合理的
認識。研究の対象あるいは方法によって種々に分類される(自然科学と社会科
学、自然科学と精神科学、自然科学と文化科学など)。通常は哲学とは区別さ
れるが、哲学も科学と同様な確実性をもつべきだという考えから、科学的哲学
とか、哲学的科学とかいう用法もある。
(2) 狭義では自然科学と同義。
「自然科学」
(natural sciences) 自然に属する諸対象を取り扱い、その法則性を明らかに
する学問。ふつう天文学・物理学・化学・地学・生物学などに分ける。最近は
生化学・生命科学・人間工学など古典的境界を越える新しい分野も生じている。
つまり、この世界がどのようになっているか、どういう法則性のもとに動いて
いるかに対する「認識」である、という話。「認識」というとき、もちろんそ
こには「認識結果としての既存の知識」も含むわけだけど、同時に「認識とい
う行為」をも意味しているということが分かる。
オレは、「科学的に言って」というとき、本来の意味は「従来の科学的知識か
ら判断して」というよりは、「科学という認識行為のルールに従って言えば」
という意味だと思う。つまり、「何を正しいと判断するか」という基準や方法
論。
で、科学的な「認識の正当性の基準」とは何かについては、ここで説明するの
は大変なのできわめてかいつまんだ話をすると、要するに「経験に基づく」
「判断基準とするデータには客観性が求められる(つまり、人間の認知システ
ムの誤謬などに左右される可能性のあるデータは排除する)」「必然性のない
仮説を導入することを避ける」「反証可能性を必要条件とする」など。当然、
「こうあってくれたらいいな」というような恣意を反映させてはいけないわけ。
そして現在の科学界で霊魂や神様が正当な世界認識として受け入れてもらえて
いない理由は、まさに必然性がないから。それらの存在を裏付ける客観性のあ
るデータが取得できれば、それを発見した科学者に対して批判的な立場の科学
者からの批判的検証を繰り返してそれが本当であることが証明され次第、それ
は正当な世界認識として科学的知見に積み重ねられる。
ところが、いつまでたってもそういうことになってないよね?出てくるのは形
而上学と「個人的経験」というやつのみ。形而上学がこの世界のなんたるかに
ついて語る力を持たないことは当たり前のことでしょ。一方「個人的経験」に
ついては、「体験」がいかに怪しいデータであるかは、既に述べたように認知
心理学などの分野で暴露されてしまっている。認知エラーにかかれば、実世界
と乖離した「体験」などいくらでも生まれる。目の錯覚なんてのも、「体験」
としては曲がった線にしか見えないのに、実世界ではあくまでもまっすぐな線
だなんて話はいくらでもあるわけだし。あるいは、側頭葉のてんかん発作を起
こすと神様に会うなどの神秘体験が起こることが報告されている。もちろん、
あくまでも主観的に。
> 今は科学に支配されている世界ですので、存在するという方にとっては不利
> ではないかと思います。
「科学に支配されている」わけではないよ。世界認識について「科学」という
ものがなぜこれほど重要視されるかのそもそもの理由を考えれば、「科学に
支配されている」のではなく、「世界を認識しようとする実践のことを科学と
呼んでいる」のだということが分かると思う。
だから、霊魂を語るにしても、あくまでも科学的基準・科学的方法論に基づい
て語ればいいだけなんだよ。しっかりしたデータさえとれば、科学はいくらで
も霊魂を認めてくれる。オレを含めて、霊魂に関するそういう科学的検証がな
されることをずっと待ち続けてる。しかし、いつまでたっても出てこない。
さ〜て、なぜなんだろう?って思わない?
> をもうちょっと寛容に考えて(存在するという方へのハンディ)話を進めれ
> ばお互いの理解できる範囲が多くなるのではないかと思います。
どうだろう。オレとしては、どちらが有利でどちらが不利という問題ではなく、
あくまでも主張の哲学的・論理学的正当性をベースにした方がいいと思う。
ここで「科学的」と書かなかったのは、「世界認識に対する基準や方法は科学
のみである」という主張に対する反論は、もはや科学の領域ではなく、哲学や
論理学の領域においてなされなければならないから。
だって、例えば明らかに不当な要求をしている北朝鮮に対して、他の各国がハ
ンデを与える必要なんてないよね?基準はあくまで正当性であるべきで、「犯
罪行為をやめてやるから何か見返りをよこせ」みたいな話は本来まかり通っては
ならない。現実ではまかり通ってるけど・・・。
だから、正当でない主張はあくまでも正当でない主張として、どの点がどのよ
うに正当でないかを明らかにすべきだと思うんだけど・・・。
「それを言っちゃうと話が始まらない」のかもしれないけど、もしそうだとし
たら、それはそれで実はそれ自体が大問題なわけでしょ?ビリーバーとしては。
「話にもならないようなものを信じ込んでいる」ということになっちゃうから。
現在の状況において、霊魂の存在を主張するための方法は2つある。
(1) 「科学」という基準・方法論を認めた上で、あくまでもそれに則って霊魂の存在を示す
客観的データを取得し、その存在を合理的に主張する。
(2) 「科学」という基準・方法論では明らかにできないものが世界に存在しているということを
合理的に説明し、霊魂がそれに当たること、そして、霊魂の存在に対する根拠が十分に
合理的であることを示す。
もちろん、どちらにおいても「存在していて欲しい」という願望が混入することは徹底的に排除
しなくてはならない。世界は人間の願望とは無関係に動いているらしいことは明らかであって、
「存在していて欲しい」と思うようなものこそが存在していてくれるという傾向は今のところ認め
られないわけだから。
オレが思うに、神様というのがもし存在しているとすれば、そいつは人類に対して、すくなくとも
中立、おそらくは敵対的な立場だ。なぜなら、ものごとは放っておけば人間にとって不都合な
方向に動くことが経験上分かっているから。放っておけばものは崩れ、壊れ、散らかる。人間
はそれを常に一生懸命、自分の都合のあるように建築し、製作し、整頓し続ける。神様に
つねに抵抗し続けなければ、心地よい暮らしは実現できない。
そういえば、「自分を自分と感じる感覚は科学では説明できず、ここに魂の存在の根拠が
見いだせるのではないか?」みたいな話をしていたような気がする。
ところが、近年になって、自他区別や自意識・共感というものをもたらしている神経科学的
メカニズムにも少しずつ解明の光が当てられ始めているって知ってた?
「ミラーニューロン」でぐぐったりすると、そういう話が見られるよ。
魂仮説の逃げ場所は、時代とともにどんどん狭まっていく。
914 :
名無しさん@3周年:2007/03/16(金) 14:55:38 ID:uxllQ5sg
>>911 私がとやかく言うことでは無いことは判っているのですが、私の性格上つい発言
してしまいます、お許しを。
あなたのこういった議論に対する姿勢は正しいと思います。
で私が言いたいのは正しい・間違いというのではなく実際両方の立場の人間は上で
書いたとおり、片方は科学的・論理的に片方は体験を交えて、話を進めているよう
に800件ぐらいの少ない統計ですがその中からはそう感じられます。
じゃ存在を信じている方がもっと勉強すればいいという突っ込みも出て
来るかもしれませんが、実際をそうはならないと思います。
逆の立場から言えば科学的・論理的なものの考え方をする人がオーラが見えるよう
にトレーニングしたり気功やレイキを習ったりあるいはスプーン曲げの練習をした
りしないのと同じように思えます。(中にはいるかもしれないですが。)
書きたいことがうまく伝わっているか不安ですが、もうちょっと簡単に書くと
同じ議論の繰り返しが何度も行われそのたびに両者があいつらはわかって無いん
だという雰囲気のまま1つのテーマへの議論が終わったりしているようですので、
このループをなるべく長く(第3段をされる場合ですが理想は1000件で1ル
ープ)に出来れば中身が濃ゆくなるような気がします。
915 :
名無しさん@3周年:2007/03/16(金) 14:56:54 ID:uxllQ5sg
>>914続き
そのためには科学VS科学では同じ土俵ですので問題ないですがこういった問題は
同じ土俵で議論しているように見えて結局すれ違っているようにこちらに書かれて
いる内容からは見受けられます。まずはお互いの考え方を知る必要があるのではな
いでしょうか?"何故もっと論理的に深く考えないんだ"では無く、"この人たちは
どういう思いからそう考えている。"という見方をしたらどうかと。
その後であたなと考えていること又は体験したことは科学ではこう言うふうに説明
されているのような説明を入れれば、相手がどのような気持ちで書いているかある
程度判れば書く文章にも気をかけるのではないかと思います。
最後に正直な気持ちを言うと私はいろんな人の書込みを見たいです、存在を信じる
人の意見でも信じない人の意見でも、今の姿勢からはお互い直ぐに感情的になって
思っていることの半分も読み取れない。
自分で書いていて本当に余計なお世話だと思います。利用させて頂いているやつの
1意見だと捕らえてください。
>>913 それは科学が迷走しているだけと言うか
自己の基盤を疑わなくなって来ているからなんだけどね。
神経細胞が1ビットである根拠はニューロンの反応を
脳と切り離して1次元線形空間の電位で
表現してしまった事に起因するから
コンピューターには魂が無い。故に魂は無いと言っているのと
論法としては同じなんだよ。
>魂仮説の逃げ場所は、時代とともにどんどん狭まっていく。
これには同意。
一応、反論する方法はあるけど、結局は「反社会性の根源」としてしか
生き残れないと思う。
918 :
名無しさん@3周年:2007/03/16(金) 16:12:23 ID:uxllQ5sg
>>「ミラーニューロン」でぐぐったりすると、そういう話が見られるよ。
まだ調べていないのですが、昔コンピュータに意識を持たせる研究をしている
学者がいるというのを聞いたことがあります。その研究が進んでいるんでしょうか?
その時の研究はまだ自分は何であるかという問いを無限ループさせると無意識と
呼ばれる(ちょっと違うかも。)ものが作り出せるのではないかというものだったような。
私が求めているのはそれを感じ取る能力だったのでまだ納得できないなと思ってい
ました。 「ミラーニューロン」。また勉強するのが増えた。
>>魂仮説の逃げ場所は、時代とともにどんどん狭まっていく。
私は逆です。もっとバンバン進んでいってほしいです、そしてその最後には全てが
解明されるのか、最後の最後に何かこの世界では解明できないものが残るのかを知
りたい。
他の存在すると思っている方の考え方とは違うのかもしれませんが。
私はこの世界を観察し感じている存在以外は全て解明できるのだと思っています、
はやく最後の最後にある1点まで突き止めてほしい。
919 :
名無しさん@3周年:2007/03/16(金) 16:13:26 ID:uxllQ5sg
ついでに1件だけ私の体験談を書きます。
昔のことです、幽霊を見たことだ在ります、それは私の見たことの無い人で、
その特徴を母に言ったところそれは義理の姉であることが判りました、その義理の
姉は母も小さいころに分かれ諸事情によりそれから会っていません、じゃなんで母
が姉だと判ったかというと母は毎晩姉の幽霊を前から見ていたからです、(このこ
とは後でまた)
でもそのころに姉が死んでいるという情報はどこからも入っていませんでした、
後になって私と母が見ている頃にはもう交通事故で亡くなっていることが判りまし
た。
私は今でもその顔を覚えています。
写真もなく母にはこういった感じの容姿と伝えただけなので実際は違う人物
に見えているのかも知れません。でも今も覚えている人物は逆に写真で刷り
込まれた映像ではないともいえます。
母も私の以前無意識に見ていた人の幻覚も見ているといわれればそれまでです。
私は一応両方の立場から見るように心がけていますので、幽霊と考えずに説明
するとしたら上のようになります、でも実際体験したものからすれば上の説明で
はあまりにもかけ離れています、見え方は実物と全くかわりありませんし。
ご意見ください。
上の方で手加減をと書きましたが私には必要ありません、あなたの考え方にある程
度理解をしていますし、これだけの情熱は私には持ち得ないので尊敬もしています、
少々厳しい言葉でも問題ありません。その中でどうしても理解
できないこと、腑に落ちないことがあればまた書きます。
920 :
新入りです:2007/03/16(金) 18:47:54 ID:GPy5Eynl
「魂は存在する」という私を論破しなさい。100%できないから。
921 :
911:2007/03/18(日) 16:34:46 ID:lgvg2yk8
>>914 > で私が言いたいのは正しい・間違いというのではなく実際両方の立場の人間
> は上で書いたとおり、片方は科学的・論理的に片方は体験を交えて、話を進
> めているように800件ぐらいの少ない統計ですがその中からはそう感じられ
> ます。
うん、だから、双方がベースとしている根拠というものが、「魂は存在するだ
ろうか」という疑問を考える上でそれぞれどの程度正当性を持つものかを考え
るというのが、ここでやるべきことだと思うわけ。
> 逆の立場から言えば科学的・論理的なものの考え方をする人がオーラが見え
> るようにトレーニングしたり気功やレイキを習ったりあるいはスプーン曲げ
> の練習をしたりしないのと同じように思えます。(中にはいるかもしれない
> ですが。)
気功術やら何やらにせよ、そのようなトレーニングの結果得られる「体験」に
基づく認識が世界を正しく言い当てているのだということを、説得力のある形
で論理化すればよいだけの話ではないのかな?
何度も言うとおり、「体験」が世界のほんとうの姿を言い当てていないことは
よくあるわけで。例えば、
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/ を見たと
き、オレたちはこのヘビが回転していることを「体験」する。一方で、世界の
ほんとうのあり方はその体験と合致していないこと、つまりこのGIF画像が静
止していることも分かっている。「体験」が必ずしも「世界のほんとう」を言
い当ててくれないことは確かなんだよ。そして、このような「体験」と「世界」
との乖離は、願望などの認知的バイアスによって強化されることも、前に示し
た参考文献などを読めば、学術的に明らかにされていることが分かると思う。
922 :
921:2007/03/18(日) 16:35:41 ID:lgvg2yk8
これをふまえた上で、「それでも自分たちのその体験について言えば、それは
世界を正しく言い当てている」ということ、および「その体験は魂の存在を正
しく裏付けている」ということを論証すればいいわけだよね?
もしも「魂は存在するか?」という疑問についてまじめに議論するならば。
※ 科学的に、そのような「体験」が認知エラーではなく、正しく世界を言い
当てているかも知れないという可能性を検討した例がないとは思わない。しか
し、それが論文に出てはいない。その理由はおそらく、認知エラーの混入を排
除できなかったからだと思う。「これは認知エラーの可能性があるという結果
になりました」では「当たり前」であり、当たり前のことを書いても論文とし
て認めてもらうことはできないから。論文はあくまでも「新しい知見」を公表
するための文書なわけだからね。
だから、「科学原理主義」も「体験原理主義」もしりぞけなければならないわ
けだ。互いが科学と体験の両方を懐疑・検討した上での議論でなければ意味が
ない。「絶対的に正しいもの」を主張し始めれば、それはイスラム原理主義と
同じ穴のムジナになるわけで、その先には水掛け論しかない。
オレはオレで、科学的基準・方法論が絶対に正しいとは断言できないと考えて
いる(実際、現代思想の世界ではいろいろと議論が起こっている)し、科学が
経てきたいくつものパラダイムシフトの存在から考えても、「現状の科学的知
見の全てが疑いようもなく正しい」などという考えがいかに馬鹿馬鹿しいもの
であるかは理解している。
923 :
921:2007/03/18(日) 16:36:18 ID:lgvg2yk8
> そのためには科学VS科学では同じ土俵ですので問題ないですがこういった問
> 題は同じ土俵で議論しているように見えて結局すれ違っているようにこちら
> に書かれている内容からは見受けられます。まずはお互いの考え方を知る必
> 要があるのではないでしょうか?"何故もっと論理的に深く考えないんだ"で
> は無く、"この人たちはどういう思いからそう考えている。"という見方をし
> たらどうかと。
部分的には同意するよ。ただし、論理的であることはあくまでも重視する必要
はあるだろうとは思う。「体験」に基づく主張でも論理的に示すことはできる
はずで、論理的におかしな主張を認めてしまえば、もうそれは議論としては破
綻したやりとりにしかならないから。
魂仮説の正当性を主張するには、論理的に、科学的基準・方法論の限界を示す
なり、論理的に、魂仮説の科学的な正当性を示すなりをしてくれればそれでい
いのでは?
一方、魂仮説の不当性を主張する側は、科学原理主義で終わるのではなく、な
ぜ科学的な妥当性の主張が必要なのかを論理的に説明する。
> 最後に正直な気持ちを言うと私はいろんな人の書込みを見たいです、存在を
> 信じる人の意見でも信じない人の意見でも、今の姿勢からはお互い直ぐに感
> 情的になって思っていることの半分も読み取れない。
これには同意。感情論に走ったら議論もへったくれもなくなる。
>>916 >
>>913 > それは科学が迷走しているだけと言うか自己の基盤を疑わなくなって来てい
> るからなんだけどね。
うーん、ちょっと何を言いたいのかが分からない。科学者が自己の基盤を疑う
かどうかという問題と、ミラーニューロンをはじめとする神経科学的な「意識」
へのアプローチとの関係性が分からない。
> 神経細胞が1ビットである根拠はニューロンの反応を脳と切り離して1次元
> 線形空間の電位で表現してしまった事に起因するから
「1ニューロンがもつ情報量は1ビットである」とは誰も主張してないよ。実際、
ノイズなどを計算に入れるとそれ以下になったりするし、ニューロン間結合の
状態や、細胞内部の化学的ダイナミクス次第で、何ビットになるかは変わる。
ていうか、そもそもニューロンが扱う信号はデジタルではないと思うけど。
それから、神経細胞のダイナミクスに線形性を仮定するという話は聞いたこと
がない。
> コンピューターには魂が無い。故に魂は無いと言っているのと論法としては
> 同じなんだよ。
・・・ごめん、これも何を言いたいのかがよく分からなかった。
>>917 > >魂仮説の逃げ場所は、時代とともにどんどん狭まっていく。
> これには同意。
>
> 一応、反論する方法はあるけど、結局は「反社会性の根源」としてしか
> 生き残れないと思う。
「反社会性」!?
社会性とは、少なくとも直接には関係しないような気がするけど・・・。
オレが感じてるのは、宗教にせよオカルトにせよ、「十分に検討した上で世界
を明らかにするわけではないやりかたで世界を認識・説明しようとする行為」
においては、「認識の正当性を検討した上で世界を明らかにしようとする行為」
である科学がもたらす世界説明との間にバッティングが起こると、その場所は
避けるようにして生存領域を減らしていくようなイメージ。
科学が台頭してくる以前の時代の宗教的・オカルト的世界説明と現代のそれと
の領域の広さを比較すると、領土はずいぶん減っているわけで、今ではほとん
どが「この世の外のお話」、即ち形而上学に移行しているような感じ。
>>918 > まだ調べていないのですが、昔コンピュータに意識を持たせる研究をしてい
> る学者がいるというのを聞いたことがあります。その研究が進んでいるんで
> しょうか?
そういう話も扱っている科学者は大勢いると思うけど、それがすぐに劇的に進
むとは到底思えない。「意識」とは何かを規定すること自体、大問題だもん。
> >>魂仮説の逃げ場所は、時代とともにどんどん狭まっていく。
> 私は逆です。もっとバンバン進んでいってほしいです、そしてその最後には
> 全てが解明されるのか、最後の最後に何かこの世界では解明できないものが
> 残るのかを知りたい。他の存在すると思っている方の考え方とは違うのかも
> しれませんが。私はこの世界を観察し感じている存在以外は全て解明できる
> のだと思っています、はやく最後の最後にある1点まで突き止めてほしい。
哲学的に言えば、人類が世界の「全て」を解明することは、永遠に不可能だよ。
ここには原理的な不可能性がある。そもそも、どうやって「全てが分かった」
ことを保証することができるのか?できないよね?
人類にとって、世界は永遠に「部分的にしか分からない対象」であり、完全に
それを把握している存在は、「神」と呼ばれる。
もちろん、神様や霊魂に関する客観的なデータが取得される可能性は永遠に0ではない。
もしも、いきなりそんな論文がNatureとかに掲載されたとしたら・・・考えるだけでワクワクする。
そのとき、神様や霊魂は宗教やオカルトではなく、科学の一分野になるわけだよね。
それはものすごくエキサイティングなことだよ。
>>919 > ついでに1件だけ私の体験談を書きます。
いよいよだね!
> 昔のことです、幽霊を見たことだ在ります、それは私の見たことの無い人で、
> その特徴を母に言ったところそれは義理の姉であることが判りました、その
> 義理の姉は母も小さいころに分かれ諸事情によりそれから会っていません、
> じゃなんで母が姉だと判ったかというと母は毎晩姉の幽霊を前から見ていた
> からです、(このことは後でまた)
> (以下、省略)
先に紹介した本のレビューに、まさに当てはまる文章があるよ。(なんか、リ
ンクが長すぎると怒られたので、
http://www.amazon.co.jp に行ってもらって、
「超常現象をなぜ信じるのか」でサーチをかけてもらっていい?)
> 情報のインプットである五感の錯誤。人間は見た物をそのまま見ているので
> はありません。次に記憶のあいまいさ。事前や事後に与えられた情報によっ
> て、なかったことを「確かに体験した」と信じることもありえます。続いて、
> 解釈の偏り。人間には「スキーマ」と呼ばれる「世界の見方」についての基
> 本フレームがあり、それを通して世界を見ていますが、自分のスキーマにあ
> わないものは気持ちが悪いので切り捨て(認知的不協和の解消)、合致する
> ものだけ取り入れます。結果、「見たい物だけを見る」こととなり、解釈は
> 大幅に偏ったものになってしまいます。
事後的な解釈形成の過程で、脳の働きにより、自らの既存のスキーマに気持ち
よく合致する解釈が選択されたという可能性が排除できないよね。もちろん、
必ずそうだとは誰も断言できないわけだけど。
では、まさにその体験を根拠に、「魂あるいは幽霊というものが実在する可能
性は大きい」と考えるのが適切かどうか。これは「蓋然性(もっともらしさ)」
の問題になるわけだけど、脳科学・認知科学をある程度つついた経験のある人
間から言わせてもらえば、「全く適切ではない」となる。むしろ、「いかにも
典型的な認知的エラーの例」のように感じるというのが正直なところ。
> 私は一応両方の立場から見るように心がけていますので、幽霊と考えずに説
> 明するとしたら上のようになります、でも実際体験したものからすれば上の
> 説明ではあまりにもかけ離れています、見え方は実物と全くかわりありませ
> んし。
うーん、ほんとうに「かけ離れている」だろうか?
> 上の方で手加減をと書きましたが私には必要ありません、あなたの考え方に
> ある程度理解をしていますし、これだけの情熱は私には持ち得ないので尊敬
> もしています、少々厳しい言葉でも問題ありません。その中でどうしても理
> 解できないこと、腑に落ちないことがあればまた書きます。
まずは、紹介した本を読んでもらって、更に別の研究者の本とかを読み進めて
いくのが、今一番実のある作業かもしれない。
認知というのがいかに頼りないものであるかに関して現在までに分かっている
ことを大まかに理解した上で、その「体験」を再検討なさってみてはいかが?
930 :
914:2007/03/18(日) 19:01:01 ID:Mp7tYSlZ
>>921 判りました。この話はもうここまでにします。
2つの条件のようなものを見つけたので、それの確認の意味もあったのですが。
>うーん、オレはもう少しアグレッシブで、水掛け論をやっても意味がないこと
>には同意するけど、じゃあ水掛け論でなくするためにできることはないのかと
>言えば、あるはずだと思ってる。
という姿勢を重視ということですね。
>最後において双方が合意に達するとは限らないけど、少なくとも「分岐点」は
>分かる。分岐点が分かることは意味のないことじゃないと思う。
までにたどりつくには現状に変化がないとまたいままでの繰り返しではないかと思ったので。
あたなの意に添うように話を進めて行きます。(私に出来るのだろうか。)
>「ミラーニューロン」でぐぐったりすると、そういう話が見られるよ。
私の書いたものとは全然違いましたね。でもこれは面白い。
人間は個としての認識ともう一つ社会全体を個としている認識があるようですので、
その研究にも役立ちそうですね。
>うーん、ほんとうに「かけ離れている」だろうか?
これはなんとも言い表せないです、本に書いてあるとおりだよと言われればそれまでですが。
実際に目の前で見たものとしてはそれだけでは不十分。
すみませんとても表現しづらいです、何を不十分と感じているか自分の心を整理してまた書きます。
>先に紹介した本のレビューに、まさに当てはまる文章があるよ。(なんか、リ
>ンクが長すぎると怒られたので、
http://www.amazon.co.jp に行ってもらって、
>「超常現象をなぜ信じるのか」でサーチをかけてもらっていい?)
別に怒っているわけではないですよ、私のような直感的で半ば適当に書いているようにも
見える文章に詳しく丁寧に返答が帰ってきてすごいなと思っただけです。
本の方なのですが今別の本("泣ける2〜" すみません)を読んでてそれを読み終わったら
注文しようと思っています。
でも脳の中の幽霊という本(超常現象の本じゃないですよ)は読んだことがあります。
ひょっとすると同じような内容の本かもしれません。
> 判りました。この話はもうここまでにします。2つの条件のようなものを見
> つけたので、それの確認の意味もあったのですが。
> >最後において双方が合意に達するとは限らないけど、少なくとも「分岐点」は
> >分かる。分岐点が分かることは意味のないことじゃないと思う。
> までにたどりつくには現状に変化がないとまたいままでの繰り返しではない
> かと思ったので。
ん?要するに、論理的正当性をベースに議論をする限り、魂仮説の是非につい
ては水掛け論にならざるを得ないという意味?
もしも議論っぽいことができたとして、それが論理的に正当でないなら無意味
だと思わない?ただの机上の空論になっちゃう。それがやりたいというなら、
オレはそれにはつきあいたくないから、ここを去るけど。
> あたなの意に添うように話を進めて行きます。
いや、なんかオレの個人的嗜好みたいな言い方をされてしまっているけど、
「論理的正当性を必要条件とする」という前提は一般的だと思うんだけど。
それをomitするというのがむしろ特殊な条件なわけで。それをomitした場
合・・・一体何をベースに何を明らかにできるのか、想像もつかない。
> 別に怒っているわけではないですよ、
あ、ごめん、怒られた相手は2チャンネル。Amazonのリンクをそのまま貼り付
けて投稿しようとしたら「そんなに長い行は入力できません」と怒られたの。
> でも脳の中の幽霊という本(超常現象の本じゃないですよ)は読んだことが
> あります。ひょっとすると同じような内容の本かもしれません。
そちらは認知科学と言うより脳科学。まあ同じようなと言えば同じような内容
だけど、ラマチャンドラン先生の方は、認知エラーとオカルトとの関係に特化
した話ではない。例の「側頭葉てんかん」の話はまさにその本の内容だね。
932 :
916:2007/03/19(月) 04:28:01 ID:G7NYJWIH
>「1ニューロンがもつ情報量は1ビットである」とは誰も主張してないよ。実際、
>ノイズなどを計算に入れるとそれ以下になったりするし、ニューロン間結合の
>状態や、細胞内部の化学的ダイナミクス次第で、何ビットになるかは変わる。
>ていうか、そもそもニューロンが扱う信号はデジタルではないと思うけど。
そもそもニューロンが扱う信号は1次元では表わせはしない。って論説かな。
整数ビットかどうかは二進法かどうかの問題だからそれこそ無関係でしょ?
僕はデジタルであれアナログであれ
系の内部に閉鎖的に存在している情報処理に当て嵌まらないと言いたかった。
>「認識の正当性を検討した上で世界を明らかにしようとする行為」
>である科学がもたらす世界説明との間にバッティングが起こると、その場所は
>避けるようにして生存領域を減らしていくようなイメージ。
活字になった記録が蓄積されていく以上、
もうそれだけで何の仮定を導入しなくても
その活字を扱う人間がどれほど誠実に検討を重ねても
魂は存在しないと言う結論に傾いて行くって事。
そこから導かれる結論として、
活字文書の一種である六法全書や判例も
魂は存在しないと言う前提で法の裁きを執行するようになるから
反社会性の根源と見なされるようになる。
もし活字が存在しなくても、平面状の紙に記録する限り重要な知見は得られず、
魂が存在すると言う側は劣勢を強いられるんじゃないかと思います。
>今ではほとんどが「この世の外のお話」、
>即ち形而上学に移行しているような感じ。
電子回路に取って重力場は系の外側だって話はご存知ですか?
そう言う意味で「この世の外」と考えては如何でしょう。
933 :
916:2007/03/19(月) 04:32:10 ID:G7NYJWIH
>電子回路に取って重力場は系の外側だって話はご存知ですか?
>そう言う意味で「この世の外」と考えては如何でしょう。
撤回します。自分自身の論説とは無関係ですし誤解を招くかもしれません。
>>932 > そもそもニューロンが扱う信号は1次元では表わせはしない。って論説かな。
> 整数ビットかどうかは二進法かどうかの問題だからそれこそ無関係でしょ?
> 僕はデジタルであれアナログであれ系の内部に閉鎖的に存在している情報処
> 理に当て嵌まらないと言いたかった。
「次元」については,少しイメージができてないかもしれない。ビット数につ
いては、以下のリンクの下澤先生の話が印象に残ってる。
http://ncmac2.es.hokudai.ac.jp/Staff/Shimozawa.htm ここのsmz1.pdfでは,コオロギの尾の感覚器から中枢に向かう神経が束になっ
ている理由は何かという議論をしている。ニューロン1個の情報量をShannonの
測度で定量化すると,1ビットの情報は k_B T [J](k_B はBoltzmann定数)の
コストと等しいことが分かるが、神経の熱雑音(揺らぎに起因する発火)はそ
の10倍のオーダになる。それに対して、神経系を束にすることで、逆に熱雑音
を利用してS/N比を上げている、というようなお話。
あと、神経システムを脳単体で扱うという傾向は、脳関係ではよく見られるも
のではあるけど、センサ・モータ系との連関の上でこれを開放系として扱うと
いうアプローチもないわけではないよ。昆虫系から哺乳類まで、特に歩行等の
身体運動制御のような文脈で、そういう研究もなされてる。
> 活字になった記録が蓄積されていく以上、もうそれだけで何の仮定を導入し
> なくてもその活字を扱う人間がどれほど誠実に検討を重ねても魂は存在しな
> いと言う結論に傾いて行くって事。
あなたが「活字」という言葉に何を込めているのかがよく分からない部分があ
るんだけど、要するに「シンボル化を経由する時点で、シンボル化できない知
識は記述ができなくなる。そして、魂仮説はシンボルでは扱い得ない」という
話?それはそれで興味あるので、そのあたりのロジックをもう少し話してもら
えるとうれしいな。特に、一つの現象でありながら、なぜシンボル化ができな
いのか。(あるいは「客観性」とも絡むのかな?)
> そこから導かれる結論として、活字文書の一種である六法全書や判例も魂は
> 存在しないと言う前提で法の裁きを執行するようになるから反社会性の根源
> と見なされるようになる。
ただ、例えば「熟練技能」なんてのはシンボル化できない知識の典型的な例だ
けど、だからといって、例えば「日本の古典芸能は反社会的だ」とはなってな
いよね?・・・やっぱオレ、勘違いしてる?
> もし活字が存在しなくても、平面状の紙に記録する限り重要な知見は得られ
> ず、魂が存在すると言う側は劣勢を強いられるんじゃないかと思います。
ふむふむ。
> >今ではほとんどが「この世の外のお話」、即ち形而上学に移行しているような感じ。
> 電子回路に取って重力場は系の外側だって話はご存知ですか?
> そう言う意味で「この世の外」と考えては如何でしょう。
でもそれは、ある対象に関係する物理法則だけを考える場合はそれ以外の法則
性はomitされるという話であって、今この場でしている魂仮説については、そ
うではなく、全ての観測可能な法則性を総動員したとしても、魂仮説はその外
に逃げている、という話ではないだろうか。
> 撤回します。自分自身の論説とは無関係ですし誤解を招くかもしれません。
ありゃ、そですか。
936 :
914:2007/03/19(月) 14:50:31 ID:MoBLBp05
>>931 >>ん?要するに、論理的正当性をベースに議論をする限り、魂仮説の是非につい
>>ては水掛け論にならざるを得ないという意味?
んーどうしよう、言いたいことが伝わらない。
ずっと同じようなテーマの議論で同じような内容で同じような
結果を何度も繰り返し(しかも1ループの件数が段々短くなっている)
てるのであまりそれでは面白くないので何かを変えて内容を変え
ることが出来ないかなと思って。
>>オレはそれにはつきあいたくないから、ここを去るけど。
私は何か勘違いをしているのかもしれない。
>>1の方ではないのですか?
> あたなの意に添うように話を進めて行きます。
あまりいい発言ではなかった。 失礼しました。
>>人間は個としての認識ともう一つ社会全体を個としている認識があるようですので、
>>その研究にも役立ちそうですね。
これで思い出したことがあるのですが。
心理分析にエニアグラム法というのがある(ご存知かも)のですがそれは人間大きく
分けて3つの性格に分けられ、本能・思考・感情のどれか1つを柱にして物事を判断
するそうです。
でそれをあと1段階分けて9つの性格にしたものを使っていくつかの地域でその性格
別の統計をだしたところ、どこもほぼ均等になるそうです。
男女なら判りますが、個人個人の目や耳から入った情報から産み分けするのはちょっと
無理そう。これはどう考えられますか。意見を聞きたいです。
恐怖マン4 心霊写真 ヘリコプターボーイ
http://heli.boy.jp/02ufo4/2007/01/post_360.html (森林の紳士)と言う心霊写真をご覧下さい 彼は、言いました。
我々自身が語ることこそ真実ですよ。私の顔なら知ってる者も多いでしょう。
我々の語ることにこそ、信仰があるのです。
そしていうことは、私の心霊研究は正しかったということだけです。
私のことに関心を向けてください。バーチ霊の霊媒に感謝を・・・ 以上
Fより・・ シルバーバーチの導きにより心霊写真の鑑定を命じられました。
そして大勢の霊達の魂の声を聞きました。
霊は、禍々しい者ではありません、神様もおいででしたよ。
我が背後霊のお顔を知ることも出来ました、私としては、良いお仕事が出来たつもり
ですので是非知ってほしいのです。霊界の存在 そして霊訓こそ真実である。
F.マイヤース氏(1843−1901)英文学者。詩人。心霊研究家
著書:永遠の大道・・・私は正しかったでしょう、証明いたします。(マイヤース)
シルバーバーチの霊媒。霊医アトス様のヒーラー そしてF.マイヤース大先輩の代打Fでした。
>>936 また返事が遅れました。
>>ん?要するに、論理的正当性をベースに議論をする限り、魂仮説の是非につい
>>ては水掛け論にならざるを得ないという意味?
> んーどうしよう、言いたいことが伝わらない。ずっと同じようなテーマの議
> 論で同じような内容で同じような結果を何度も繰り返し(しかも1ループの
> 件数が段々短くなっている)てるのであまりそれでは面白くないので何かを
> 変えて内容を変えることが出来ないかなと思って。
なるほど。その問題に対するオレの提案は、「きちんと論理的正当性を互いが
根拠づける。事項Aについて納得してもらえないときは、「事項Aの根拠」を問
題にし、その根拠がやはり納得してもらえないときは「事項Aの根拠の根拠」
を問題とする」 というやり方だったつもり。
根拠を示さずに「とにかく事項Aは真理である」と主張するのは原理主義であ
り、原理主義に陥れば、実のある議論には絶対にならない。
あと、適宜「まとめ」を互いが提案するというのもありかもしれない。例えば
「問題となっている地点の一つは体験に基づく主張の正当性であり、体験して
いないものには分からない領域に真理があるとする立場と、主観的体験こそエ
ラーの原因になっており、客観性のあるデータが示される必要があるとする立
場がある」みたいな。これにより、「どこまで進んだか」を確認する。
> >>オレはそれにはつきあいたくないから、ここを去るけど。
> 私は何か勘違いをしているのかもしれない。
>>1の方ではないのですか?
あ、オレは
>>1ではないよ。「魂は(おそらく)存在するだろう」とする主張
とともに、「魂は存在しない」と断言する主張もまた、誤りであるとする立場。
> >>人間は個としての認識ともう一つ社会全体を個としている認識があるようですので、
> >>その研究にも役立ちそうですね。
> これで思い出したことがあるのですが。心理分析にエニアグラム法というの
> がある(ご存知かも)のですがそれは人間大きく分けて3つの性格に分けら
> れ、本能・思考・感情のどれか1つを柱にして物事を判断するそうです。
> でそれをあと1段階分けて9つの性格にしたものを使っていくつかの地域で
> その性格別の統計をだしたところ、どこもほぼ均等になるそうです。男女な
> ら判りますが、個人個人の目や耳から入った情報から産み分けするのはちょっ
> と無理そう。これはどう考えられますか。意見を聞きたいです。
同一種の生物において形質が類似することはむしろ当然で、「性格」を特徴づ
けるパラメータの設定方法次第では、そういう結果になる可能性は十分あると
思う。いずれにせよ、それが魂仮説を根拠づけるデータになりうるとは思えな
い。
それから、心理学という大きな枠でくくる場合、その中にはサイエンスとサイ
エンス以外が共存していることには注意する必要がある。例えばフロイトは、
哲学の世界では偉大な功績を残した人間ではあるが、科学的には彼の理論は正
当性が非常に疑わしい。特に臨床心理学なんかは「治療できてなんぼ」の世界
で、科学的正当性 (例えばメカニズムの解明) は二の次なんだよね。
統計学に基づく手法も、一見すると科学的なんだけど、実は統計というのは研
究者の恣意が容易に混入する手法であって、よほど慎重にやらないと客観的な
妥当性を実現できないんだよね・・・。
943 :
神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 20:38:55 ID:SA1LgAz0
〇〜
魂仮説を支持する根拠の一つは、以下のようなものかもしれない。
「魂の存在の裏付けは、幽霊を見たり感じたりするという主観的な「体験」で
あり、それが主観的なものである以上、客観的事物しか扱い得ない科学という
方法論ではそれを明らかにはできない。従って、現在の科学が霊魂を相手にし
ていないという事実は、霊魂の存在をいささかも否定するものではない。」
しかしながら、実は科学的に扱いうる「主観的体験」というものは普通に存在
する。例えば、統合失調症の一部の患者に見られる考想吹入や考想伝播という
妄想があることは科学的に扱われている。この妄想は、自分の頭の中で考え出
した言葉が「自分の考え」であるのか「他人の考え」であるのかの区別がうま
くできなくなる(自他区別の障害)ことに起因しているのだが、これ自体はあ
くまでも「主観的体験」だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87#.E8.87.AA.E6.88.91.E6.84.8F.E8.AD.98.E3.81.AE.E9.9A.9C.E5.AE.B3 では、魂仮説の場合と病的妄想の場合の違いは何か。統合失調症の妄想の場合、
患者の主観的体験(例えば「考えを盗聴されている」)を、安直に客観的事実
(世界はそのようになっている)に結びつけることは決してしない。統合失調
症患者の主張を受け入れ、「なるほどこの人の考えは他者に盗聴されているの
か」などと考える医者・科学者はいない。
一方で、魂仮説についてはどうか。「幽霊を見たという人がいる(あるいは自
分が幽霊を見た)。なるほど、やはり霊魂は存在するのか」と、安直に主観と
客観を直結してしまう。
この点に飛躍があるんじゃないだろうか。
保守
「風邪を引く」という経験について考えてみよう。医師から見れば患者は
ライノウイルスだのアデノウイルスだのに感染している様子にしか過ぎな
いが、患者本人にとっては発熱や悪寒、咳、筋肉のこわばりなどの諸
症状の経験こそか風邪なのである。
だけれど我々はわざわざ「風邪を引いた」となどと相変わらず言い表す。
風邪の原因がウイルスなのを我々は知っていて、昔の人々が風邪の
原因を悪霊の仕業だなとと思っていたということを無知蒙昧だと笑った
りする。
でもちゃんと理解しているであろうか?周りのヒトがそういっているからそ
ういってるだけではないだろうか。臨床医や研究者以外は風邪(感冒)
のウイルスがどのようなものか具体的なイメージを思い浮かべることが
出来ないのではないだろうか(かつてみた電子顕微鏡写真程度のもの
は思い浮かべられるだろうが)。
150年ほど前の人々が風邪の原因を悪霊の仕業だと思っていたのは
やはり周りのヒトがそういっていたからだろう。現代の我々と150年前の
人々にどれほどの違いがあるだろうか?
>>946 「風邪をひいた」という状態自体は、そのメカニズムとは関係なく、ある一定の状態を表しているわけ
だから、それがなんとかウィルスの仕業だとかそういう話は関係なく、「風邪を引いた」と表現すれば
いい。
別に、その症状の背景にあるメカニズムについて語っているわけではなく、症状自体について語って
いる言葉なわけだから。
948 :
神も仏も名無しさん:2007/04/19(木) 19:00:52 ID:xuq4G5lu
もう、めんどくさいから、
「生きているという実感」「生命(いのち)とでも言うべき存在感」
そうした「価値」を、「魂」と定義付けちゃえばいいじゃんw
争点はそこではない。
950 :
神も仏も名無しさん:2007/04/21(土) 09:10:36 ID:5Bj1XP4v
19世紀末期、ヨーロッパでされた降霊術を検証してみたらどうだろう。
なんらかの物質化現象が現われたと言うよ。
>>950 「検証」ったって、科学者が追実験でもしない限り、意味ないだろ?
19世紀の連中が書いた内容を全て鵜呑みにすれば「確かに霊魂が降りてきている」ことになる
だろうし、鵜呑みにしないなら何一つ検証の材料はない。
自身が体験する以外にないだろう
ま、たいていはケーブル否定派と同じ
主観的体験では「検証」にはならない。
オカルト・宗教業界では、高度な騙しテクがいろいろと用いられているわけで、
「体験」を捏造するのは簡単なことだ。