433 :
名無しさん@3周年:
ダニエル氏とカトリック信者の皆さんの対話、
非常に興味深かったですよ。
曽野綾子さんはエッセイで「日曜日のミサに出なければ大罪です」と
シスターに言われて育った世代なので云々、みたいなことを書いていたので、
それはもう昔のことで、今は違うルール?になったのかと思っていましたが、
今も大罪であることに変りは無いんですね。
そのことが逆に新鮮でした。
434 :
希美 ◆55nynIr58w :2005/06/21(火) 22:46:32 ID:73pycPiV
435 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/06/21(火) 22:57:05 ID:C0pl84BK
>>433 まだまだ序の口です♪
楽しみにしててね。
436 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/06/21(火) 23:04:28 ID:C0pl84BK
さて、カトリック教会には五つのおもなおきてというものがあります。
そのうちのひとつはこれです。
●定められた日に償いの務めを果たすこと。
カトリックでは、償いを果たすことが重要なおきてです。
さて、ではこのことの間違いについて簡単に端的に述べることにします。
437 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/06/21(火) 23:06:15 ID:C0pl84BK
このおきては次のことを命じています。
(1)灰の水曜日とキリストの受難と死を記念する聖金曜日に大斎、小斎を守ること。
(2)毎週の金曜日に、克己、犠牲、あるいは積極的に他人への愛徳を実践し、
または特別な信心を行なうなどの償いのわざを行うこと。
大斎は1日のうち1回だけ十分な食事をすることです。なお、そのほか、朝とも
う1回、わずかの食事がゆるされます。小斎は鳥獣の肉をひかえることです。
以上、カトリック要理より
438 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/06/21(火) 23:11:15 ID:C0pl84BK
カトリック教会の重要なおきてである
「償い」は、必要のないことです。
何か、教会で決められた事柄をすれば、それが償いだ、というのは
大間違いですね。こんなことは、誰でも簡単に分かることです。
第一、償いなどいらないことは聖書にきちんと書かれているのです。
439 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/06/21(火) 23:14:11 ID:C0pl84BK
わたしたちが、あれこれと取り決めをした償いはいらないのです。
なぜなら、イエス・キリストの購いと神の恵みを受けたからです。
以下の聖句を、どうぞよくよくお読みになってみてください。
ローマ 3:23
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより
無償で義とされるのです。
>>437 >小斎は鳥獣の肉をひかえることです。
肉の代わりに寿司食べるのはアリですか?
441 :
名無しさん@3周年:2005/06/22(水) 00:05:54 ID:f3XxJeMe
442 :
I cento passi ◆q9ZgyP8Ly6 :2005/06/22(水) 00:35:40 ID:Lz8RkuT1
苦しみ
主が 十字架に釘付けにせられて死し給いたるを黙想し、
聖母の御取り次ぎにより救霊の恵みをこいねがわん。 Amen.
443 :
雹:2005/06/22(水) 00:39:32 ID:rW8vjTaO
「魚はいいだろう。」とか思って断食を軽くしている人は犠牲の意味を全く理解していない。
大事なのは食べ物の種類ではなく、心の持ち様です。
犠牲を捧げる時は本気になってください。
断食は主のご受難への畏敬を表す犠牲であり、犠牲から生じるつらさは神への捧げ物であり、
そのつらさは己の霊魂を磨く苦い良薬なのです。
444 :
ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/06/22(水) 01:28:13 ID:/EUnTXbI
カトリック教会の教義と、聖書の内容に矛盾点がある場合、
まったく気にもせずに、「そんなこともたまにはあるさ」と受け流すのが
立派なカトリック信者のようです。