キリスト教†聖母マリアについて語りましょう†2

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123リドウィナ ◆4qadkgYVBo
◆マリア崇敬が正しい証拠◆
@、マリア崇敬は聖霊に満ちたキリスト者の告白です。ルカ1:41
A、聖霊に満ちると最高の聖人、「主の母」と交わります。ルカ1:43
B、人はキリストの愛を行なうことによって義と認められるのであり(マタイ7:24、ヨハネ15:17、ヤコブ2:24)、マリアはその鏡です。
C、「神と人との間の仲介者は唯一、人としてのキリスト・イエス」(1テモ2:5)の「唯一」と訳されているギリシャ語 "heis"は「1人」の意味です。「唯一」という意味ではありません。モーセも仲介者でした。
http://www.biblestudytools.net/Lexicons/Greek/freqdisp.cgi?book=1ti&number=1520&count=2&version=kjv
D、イエスは神の言葉の受肉として、産まれてからも「主、神」でした(ヨハネ1:1、20:28)。マリアは神の母(ルカ1:43)です。
E、聖書は「汝の父母を敬え」と命じ、エリサベツはマリアを「主の母」として崇敬し、ルターもマリアを崇敬しました。
F、聖伝は、1世紀から存在する使徒や教父の文献で、4世紀の公会議で聖伝から正典が編纂されました。聖書を正しく解釈する先人の遺産です。
マリア崇敬が正しいことは、聖書的にも、歴史的にも立証済みです。
124リドウィナ ◆4qadkgYVBo :2005/09/03(土) 12:45:23 ID:sLhXlGeF
◆マリア崇敬が正しい証拠◆
改革者者も聖母を崇敬しました。
A,マルチン・ルター
1、神の母 「マリアは正しく、人の母であるばかりか、神の母とも呼ばれる。マリアがまことの神のおん母であることは確かである。」(Martin Luther, Weimar edition of Martin Luther's Works, volume 24, 107.)
2、終生童貞「マリアが主の御母でありかつ処女であるというのは信仰箇条である」(Martin Luther, op. cit., Volume 11, 319-320.)
3、無原罪の宿り「マリアの霊魂の受胎が原罪なく行われたというのは、甘美なる、敬虔なる信仰である。
すなわち、霊魂の受胎そのものにおいて、マリアもまた原罪を免れ、神の賜物に満たされ、神によって受胎する純なる霊魂を受け、こうして、生の最初の瞬間から、すべての罪を拭われていたという信仰である」
("On the Day of the Conception of the Mother of God," 1527).
4、被昇天「処女マリアが天国におられることは疑い得ない。それがどのようにして起こったのかは、私たちにはわからない。」(Martin Luther, Weimar edition of Martin Luther's Works Trans.by William J. Cole 10, p. 268.)
5、マリア崇敬「マリア崇敬は人間の心の奥底に記されている」(Martin Luther, Weimar edition of Martin Luther's Works 10, III, p.313.)
「キリストのみがたたえられるのでしょうか?神の聖母もたたえられるべきではないでしょうか?この方は蛇の頭を踏み砕いた婦人。どうか、私たちに耳を傾けてくだい。御子はあなたの願いを拒まないからです」
(1546年1月、ウィッテンベルクにおける最後の説教。Martin Luther, Weimar edition of Martin Luther's Works, Volume 51, 128-129.)
125リドウィナ ◆4qadkgYVBo :2005/09/03(土) 12:46:15 ID:sLhXlGeF
◆マリア崇敬が正しい証拠◆
改革者者も聖母を崇敬しました。
B.カルヴァン「エリサベツはマリアを「主のおん母」と呼んだ。マリアに受胎する肉なる人が、同時に永遠の神であると彼女がいえるほど、その人性はキリストの2性質に融和していたからである」
(John Calvin, Calvini Opera [Braunshweig-Berlin, 1863-1900], Vol45, 35.)
「マリアに何人も子供がいたという、ヘルビディウスは、無知過ぎる。幾つかの箇所で、それはキリストの従兄弟であると示されているからである。」
(Bernard Leeming, "Protestants and Our Lady", Marian Library Studies, January 1967, p.9. )
「御子の母に選ばれ、運命付けられることによって、神がマリアに最高の栄誉を授けられたことは否定できない。」( John Calvin, Calvini Opera [Braunshweig-Berlin, 1863-1900], Volume 45, 348.)
「御子の母とならせたもうことにおいて、神がマリアに崇敬と誉れをお与えになったことに思いを馳せずして、キリストにある祝福を楽しむことはできない」(John Calvin, A Harmony of Matthew, Mark and Luke (St. Andrew's Press, Edinburgh, 1972), p.32.)
C.ツウィングリ「私は、神のおん母、永遠に純潔なる、原罪なき童貞マリアを篤く敬う。キリストはいとも清き童貞からお生まれになった」(Stakemeier, E. in De Mariologia et Oecumenismo, Balic, K., ed.,
Rome, 1962, p. 456.)
D.ジョン・ウェスレー「私は信じる…イエス・キリストが祝されし童貞からお生まれになったことを。マリアが、主をおうみになってからも、純潔かつ、染みなき童貞であり続けたことを」
("Letter to a Roman Catholic," quoted in A. C. Coulter, John Wesley, New York: Oxford University Press, 1964, 495}