>>131 天台の御釈に云く
「若し余経を弘むるには教相を明さざれども
義に於て傷むこと無し。
若し法華を弘むるには教相を明さずんば
文義欠くること有り」文。
法華経に云く
「種種の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり」文。
種種の道と申すは爾前一切の諸経なり。
仏乗の為とは法華経の為に一切の経を説くと申す文なり。
問ふ、諸経の如きは或は菩薩の為、或は人天の為、
或は声聞縁覚の為、機に随て法門もかわり益もかわる。
此の経は何なる人の為ぞや。
答ふ、此の経は相伝に有らざれば知り難し。
所詮悪人善人・有智無智・有戒無戒・
男子女子・四趣八部。総じて十界の衆生の為なり。
所謂、悪人は提婆達多・妙荘厳王・阿闍世王、
善人は韋提希等の人天の人、
有智は舎利弗、無智は須利槃特、
有戒は声聞・菩薩、無戒は竜・畜なり。
女人は竜女なり。
総じて十界の衆生、円の一法を覚るなり。
此の事を知らざる学者、
法華経は我等凡夫の為には有らずと申す。仏意恐れ有り。
此の経に云く
「一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此の経に属せり」文。
此の文の菩薩とは、九界の衆生、善人・悪人・女人・男子、
三蔵教の声聞・縁覚・菩薩、通教の三乗、
別教の菩薩、爾前の円教の菩薩、
皆此の経の力に有らざれば仏に成るまじと申す文なり。