エホバの証人ふざけるな! 40

このエントリーをはてなブックマークに追加
454名無しさん@3周年
>>452

ヘブライ11:3
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、
従って見えるものは、目に見えているものからできたのではない
ことが分かるのです。
455名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 11:52:53 ID:S7BvRD2+
★★★ インターネット家庭礼拝 ★★★

第二章 日常生活 ニ 家庭人として 1 キリスト者の家庭 (2)家庭礼拝 
・・・順序を一例を左にかかげる。

一 讃美歌 http://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/066.html

一 聖書 http://www.bible.or.jp/index.html
(時としては短い感話)
     http://salveregina.dyndns.org/avemaria/mass.html
     http://seishonikka.org/200404/11/nikka.htm
     http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/sekkyou.html
     http://www.igmtokyo.com/sermon/sermonf.html

一 祈祷 http://www2.odn.ne.jp/~aai50550/kirisutokyo-02.htm
     http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/1125/inori/asa.html
     http://www.minc.ne.jp/~hosanna/prayer/contents1.htm
     http://www.minc.ne.jp/~hosanna/menu.htm

一 主の祈り http://www.ss.iij4u.or.jp/~ana/inori.htm
     http://www.christusrex.org/www1/pater/JPN-japan.html
     http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/pentagrm/pentagrm.html

一 頌栄 http://www32.ocn.ne.jp/~ginzanokaze/Jesus/a383.htm
456名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 11:54:43 ID:S7BvRD2+
【 信徒必携(日本基督教団出版局) 】

第一章 教会生活 八 教会の組織 3 役員会
(2)戒規 ・・・教会の秩序をみだす者に対して行われる。
 信徒の戒規には、戒告、陪餐停止と除名の三つがある。
陪餐停止の処分・・・選挙されることはできない。
除名は、教籍を除くことであるが、・・・地上の教会の秩序・・・を保ち・・・
・・・さばきの日に救われるため・・・(コリントT五・五)
p73
※ 陪餐停止: 聖餐式でパンとワインに預かれず[信徒として]罪が赦されないこと。

第二章 日常生活 ニ 家庭人として 1 キリスト者の家庭
(2)家庭礼拝 ・・・順序を一例を左にかかげる。
一 讃美歌
一 聖書 日課輪読または司会者朗読(時としては短い感話)
一 祈祷
一 主の祈り
一 頌栄
・・・教師にたずねて聖書通読暦等に従った解説書を用いるとよい。
p98

http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=1&to=100
457名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 12:15:11 ID:aTUI5YUO
>>452 454
>神の言葉によって創造され

ヨハネによる福音書1章
3節 万物は言によって成った。成ったもので、
言によらずに成ったものは何一つなかった。
4節 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

14節 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、
恵みと真理とに満ちていた。

12節 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には
神の子となる資格を与えた。
13節 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、
神によって生まれたのである。
458名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 12:33:23 ID:aTUI5YUO
ラビ(ユダヤの教師)は祈って、神に呼ばまわった(シェムエル)。
神は生きておられる(エリヤー)。彼らを救って下さい(エル・イェシュアテーヌ)。
すると 聖書のある箇所に目が止まり 神は一つの聖句を示された。
聖句から前後してヒントが与えられ アイディアを生かして努力し 彼らは救われた。

始めにコトバ(ロゴス)があった。神はコトバと共にあった。
コトバは神であった。コトバの内に愛があった。
コトバ(ロゴス)に愛があって、神は愛であった。聖霊は神の霊である。

聖霊の内(なか)で生きるように、愛の内で生きるようになった。
平和の内(うち)に過ごせる様になった。

聖霊に”よって”という外から他人に聞かされて
             (魔が差すように)他人が身体に入ってくるのではなく
聖霊の”なかで”という愛・コトバ(アガペー・ロゴス)に包まれて
                       身体の内側から呼ばれるのである。

人間には聖霊があるし聖霊を持っているし聖霊のうちにいる。
人間には愛があるし愛を持っているし愛のうちにいる。
しかし人間は不完全で愛が働かず良心の痛みや理性を失い
その時その時に必要な物が判らないし知る事が出来ない。

トルストイの民話(モルモンのHP)・ヨハネ福音書・聖ワシリー(聖バシレウス)の説教などから。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/lds/nandeikiru.htm
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=88&to=88
http://my.2ch2.net/occult/test/read.cgi?bbs=magic&key=1118041669&st=32&to=44
459名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 12:52:34 ID:aTUI5YUO
神は一つで3つの位格を持つ(3つで1つ、1つで3つ)
父なる神、神の子キリスト、聖なる神の霊

愛・神の言葉・永遠の命・希望の光などにおいて
ホモ+ウシオス(同等+本質・同一+本質・同質・等質)