神は科学的に存在しない

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1 ◆tYG8C1aAz2
この世に神は科学的に存在しません。
なぜならば、その存在が未だ証明されていないからです。
もし仮に神の存在を主張するならば、神が存在するという証拠を出せるのかどうか、


イ  エ  ス  か  ノ  ー  か  ど  っ  ち  で  す  か  (ワラ
2名無しさん@3周年:2005/04/29(金) 17:03:43 ID:EEeZKyJz
アホかと
3名無しさん@3周年:2005/04/29(金) 18:08:43 ID:Erhfze6S
科学的にやんなくても、ふつうに考えれば、神なんて存在しない。神が存在すると思っている人は、ちゃんとした教育を受けてない人なのでは?
4名無しさん@3周年:2005/04/29(金) 18:16:10 ID:9IaCT6JG
科学は神を証明しようなんてしてませんからw

5名無しさん@3周年:2005/04/29(金) 18:34:32 ID:NqnLARR2
>>1
God Bless America.
Land that I love
Stand beside her, and guide her
Thru the night with a light from above.
From the mountains, to the prairies ,
To the oceans, white with foam
God bless America
My home sweet home.

God Bless America,
Land that I love
Stand beside her,
And guide her,
Through the night
With the light from above,
From the mountains,
To the prairies,
To the ocean,
White with foam,
God bless America,
My home sweet home.
God bless America,
My home sweet home.
6名無しさん@3周年:2005/04/30(土) 01:29:24 ID:+t9TLWPj
神なんて妄想はやめろ。
7名無しさん@3周年:2005/04/30(土) 08:01:51 ID:+t9TLWPj
そうやって、神のせいにしてればいいよ。
8名無しさん@3周年:2005/04/30(土) 11:00:49 ID:sq7UCdzm
http://www.jinjahoncho.or.jp/
日本古来の神々を敬いましょう。
9名無しさん@3周年:2005/04/30(土) 12:47:53 ID:x9e50+35
科学や哲学をかじると神は存在しないと思えるがより深くそれらを深求すると神が存在すると思える。何事も中途半端はいけませぬぞっ
10名無しさん@3周年:2005/04/30(土) 13:18:49 ID:zHfjsd+K
科学が万能だと思ってるのか…情報過多な この社会で めでたい事だな

科学じゃ 宇宙の事を何パーセント証明されてるか 理解してるのかな?毎晩 見ている宇宙の事が5パーセントも解明されていないのに 風呂敷広げるには 千年は 早いんじゃないかな

ネタが無いにしても幼過ぎるよ
11名無しさん@3周年:2005/04/30(土) 13:26:21 ID:aXGnUuP+
科学的な思考とは「神は存在しない」とか「神は存在する」とかそれぞれ根拠の無い思い込みを退ける所から始まるのではないか
12名無しさん@3周年:2005/04/30(土) 17:33:01 ID:+t9TLWPj
科学が万能だとは誰も思ってないよ。宗教なんかより信用できる代物だけどね。
13名無しさん@3周年:2005/04/30(土) 17:36:25 ID:1ci4W07g
>>8
神棚は、
神社でいただいてきたお神札をおまつりする神聖な場所です。
神さまを棚にまつる風習は古く、
天照大御神がお父上である
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)から授かった宝物を
棚におまつりしたことが神話にも語られています。
神棚の神殿には、
伊勢神宮のお神札である神宮大麻(じんぐうたいま)、
私たちが住んでいる地域をお守りしてくださる氏神さま、
そのほかに崇敬する神社のお神札をおまつりします。
 私たち日本人の祖先たちは、稲作を中心とした生活を営み、
稲の生育に合わせて数多くの儀式を生み出してきました。
こうした儀式は暮らしに密着したものであり、
儀式の中心となる神さまは、
私たちの生活を常に見守ってくださる
身近な存在として崇められてきたのです。
 さらに日本人は、神さまへの日々の感謝の念をあらわすため、
神社からいただいてきたお神札を家の柱などに貼ったり、
より丁重におまつりするために、
神棚を設けてお神札をおまつりし、
神さまの御加護を祈念してきました。
 お参りの仕方は、神社の参拝と同じで「二拝二拍手一拝」です。
朝は家族の健康と安全を願い、
一日の終わりには平穏無事に過ごせたことに
感謝してお参りします。また、
お祝いごとのあったときなどは、
その都度神棚にその喜びをお伝えし、
神の恩恵に感謝してお参りしましょう。
14☆林檎の目☆:2005/04/30(土) 18:12:36 ID:rB+MMijx
そもそも科学と同じ次元で宗教を考えることが妥当であるかどうかを考えなければならないと思います。

科学は人の目に見える範囲での尺度を持っていて、その範囲の中において、
検証したり証明したりすることができるということだと思うのですが、
その科学的な思考において、目に見える(証拠がある)ゆえに存在するということは証明できても、
目に見えない(証拠がない)ゆえに存在しないとするのでしょうか。

科学的思考では、目に見えない→存在しない、と考えるわけですが、
目に見えない神の存在を論じる上では、「わからない」という結論しか「実際的」には下せないでしょう。
科学的思考ではないですが、私の個人的な意見としては、「被造物」(あらゆる自然)を通して、
神の息吹、人知をい超えた神の力を知ることによって、神の存在を知ることはできると思います。

ただ確かなのは科学がどのように発展しても、科学は宗教の中心的内容である「人を人として真に生かすもの」を提供することはできないと思います。

しかし、科学自体がキリスト教精神が基盤となっていたヨーロッパにおいてしか発生・発展しなかったというのは、
興味深いところではあると思います。
15名無しさん@3周年:2005/04/30(土) 21:30:24 ID:tA1uNPBC
>>9
科学者の6割は無神論者で、一流と呼ばれる科学者であるほど
その割合が大きくなるという統計があるけどな。

>>14
宗教が「人を人として真に生かす」ことをしているかどうかは、
結局基準があいまいだから自己申告、言ったもの勝ちだね。
「アウトドア活動は人を人として真に生かす」という方がまだ説得力あるな。
ところで科学がキリスト教影響下でしか発生・発展しなかったというのはどうよ?
天文学はマヤ・アステカにもあったし火薬や羅針盤などは中国起源説あり。
アリストテレスもピタゴラスもキリスト教じゃないし。ユークリッドはどうだったかな
16名無しさん@3周年:2005/04/30(土) 22:25:01 ID:VnJwk5M2
神は信じている人の脳内に存在します。



し  か  し  、  残  念  な  が  ら  

こ  の  世  に  は  存  在  し  ま  せ  ん  (ワラ

172チェ:2005/04/30(土) 22:54:07 ID:X3bCHn5Z
科学と宗教、「どっちが信用できるか」という
次元で比べれば良いのではないか。

科学が「人を人として真に生かすもの」を
提供できようができまいが、全く関係ない。
科学は「人を人として真に生かすもの」を
提供する為に発展してきたわけでも、それが目的でもない。

そもそも「人が人として真に生きる」とはどういう事なのか。
18☆林檎の目☆:2005/04/30(土) 23:28:48 ID:rB+MMijx
>>15さん
そういう統計があるとはじめて知りました。何かしらの科学雑誌とかで見たのですか?

宗教の中心的内容である「人とは何か、人間の生命とは何か、そして、人を人として真に生かすものは何か」
ということを、アウトドアが多少は見出せるかな?・・・う〜ん?(^^;)
って僕は思うのですが・・・。まあ何とも言えないところですか。
ただ上の内容は科学が進歩しようとも、見出せるものではないと思います。

>キリスト教世界における科学の発生・発展
あっ、確かに語弊がありました(^^;)僕が言いたかったのは、
確かにアリストテレスや中国起源の火薬や羅針盤の発生、そしてイスラム世界での科学技術の向上など
キリスト教文化圏以外での科学の発生・発展はありましたが、本格的に近代科学の流れを形成したのは
ガリレイ・ニュートン・ケプラーなどが活躍した17世紀の中世西洋世界であったということです。
近代科学の流れはなぜ中国でもなくイスラムでもなく西洋世界から出てきたのかということです。
ガリレイらは、従来の西洋世界に広がっていたアリストテレス哲学による「形相因」「目的因」の考え方でなく、
宇宙を数学的に読み取るべきというギリシア時代のピタゴラス・プラトンの思想とキリスト教思想が結びついた
「新プラトン主義」の考え方でアプローチするようになったのですが、
やはり、その根底には「この世界は神によって秩序化された、数学的なものとして造られた」という
考え方が強く働いていたというのです。
今、日本人を含めて多くの人に享受されている近代科学はもともとはキリスト教思想に根ずいたものであったと
考えると、とても興味がわくものがあると言いたかったわけです。
19☆林檎の目☆
>>16さん
上でも述べましたが、それは目に見えない、手段を施すことによって捉えることはできないものは
考えない科学の尺度によるのであって、確かにその人間の体系化された知識集積による科学によってでは、
存在しないとしか下せませんが、本当に存在するか否かは結論は下せないと思います。
科学的には存在しないかもしれないが、しかし、「本当に存在しない」とは断言できない、わからない、
という結論しか出ないでしょう。

>>17さん
>科学は「人を人として真に生かすもの」を
>提供する為に発展してきたわけでも、それが目的でもない。
確かにそうですね。ただ、近代科学の発展は上にあるように
「この世界は神によって秩序化された、数学的なものとして造られた」と考えた、
そして、そのことを追求しようとしたガリレイやケプラーに負うところが多いということは言えるでしょう。

>「人が人として真に生きる」とは?
それはイエス・キリストを救い主と信じて人生を歩むということです。
人は知恵を得たことによって堕落して以来、自らの力によってでは抜け出せない罪の中にいます。
自己中心に、欲望のまま生き、楽しみを求めても、そこには苦しみとむなしさしか感じたことはないでしょうか?
それが、神から離れている、罪の中に生きているということなのです。
しかし、神はイエス・キリストが十字架にかかられて、全ての人の罪を贖われたのです。
キリストを救い主と信じることが人が人として真に生きるということなのです。