■訃報■田原米子さん逝去

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11名無しさん@3周年

          ☆。.:・’゜★  キリストを証し続けた生涯  ☆。.:・’゜★
 
17歳の時に鉄道自殺未遂。命はとりとめたものの左腕半分、右足首、左足半分、そして右手指2本を
切断するという状況の中、キリストに出会い、その後の人生をキリストの証人として捧げた田原米子さん
が4月18日、心不全のため急逝した。67歳だった。

18日の夕刻、外出先から帰宅した夫の田原昭肥師(市川友愛キリスト教会牧師)が、自宅のリビング
で眠るように倒れている米子さんを発見。すでに息はなかった。それまで元気な姿で家事をしており、
突然の死だった。遺体は献体される。前夜式はなく、告別式が23日午前11時より、市川市斎場(千葉県
市川市大野町4‐2610)で行われる。また、日本のキリスト教界全体のために、『 合同教会葬 』
(米子さんを偲びお別れする会)が6月12日午後3時より、神奈川県大和市の大和カルバリーチャペル
(大川従道牧師)で行われる。
                          ◇

自殺未遂後の絶望の中、キリストを信じて『 私の指、3本もある!』と叫んだ米子さん。無くなったも
のにではなく有るものに目を留める、キリストにある希望を発見した。彼女の生き様は『 生きるとは 』
(英語題YONEKO)というタイトルの映画となり、それを契機に米国への2年間の伝道旅行、日本で
のテレビ出演なども行った。その後、講演依頼が多くなり、キリスト教界はもとより、全国各地の学校、
福祉施設などでキリストの証人として活躍。近年は特に、未信者の人々に生きる希望を伝えていた。

昭肥師は、『 神を信じたらこんなにも素晴らしい生き方ができる。そのことを伝えるために米子は生き
たのです。生き様を通して証をしました。そして死に様も見事でした 』と語る。また、訃報を聞いて自宅
に駆けつけた人々は、「本当に優しい人でした」「私たちは愛を一杯もらった」と泣きながら米子さんの
思い出を語っていた。

米子さんの遺志を継ぎ、昭肥師は、定年を迎えた牧師のための基金を設立する。引退牧師のグループホーム建設を
目指すという。【谷口和一郎】http://www.revival.co.jp/news/news01.html
12名無しさん@3周年:2005/06/13(月) 01:37:12 ID:19fo2g3d
昨日、神奈川県大和市の大和キリスト教会で行われた
お別れ会がインターネットで公開されています
http://www.yamatocalvarychapel.com/
http://www.yamatocalvarychapel.com/media/video/20050612-4v150.ram

すばらしいお別れ会です