果たしてオウム・アーレフの教義は完璧か?36

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254にいちゃん:2005/04/16(土) 18:27:42 ID:UycRfrSu
>>178
>てか、自分に経験できないことを人が話したからって、それを異端だとかインチキとかいわないで
>ほしいね。変人扱いされてイヤなんだから。

変人として見ている理由は、神秘体験しているからではなく、会話が成り立たないからだと思う。

ボソ・・
255阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/04/16(土) 18:28:25 ID:8iHvzjTo
>>251
ブッダ・阿羅漢は「涅槃の体験」にも留まらない。
阿羅漢-如来も同文-は、ニルヴァーナよりニルヴァーナを知り、ニルヴァーナを思惟せず、
「このニルヴァーナは自分のもの」とは思惟せず、ニルヴァーナについて喜ばない。それは
何が原因かといえば、かれには熟知されたからである、とわたくしは説く。
                                 『マッジマニカーヤ』T-1 『根本法門経』
> 仏教は神秘主義を超越した超神秘主義だと思う。
超越ではなく「克服・調伏」。
256にいちゃん:2005/04/16(土) 18:38:00 ID:UycRfrSu
>>184
>形を失い、消えそうになるのを感じた、ヤバイ自分がいなくなると感じて必死に
>もがいて事なきを得たけど、普段自分がここにいると感じているのを実体だというなら
>瞬間に自分を認識できなる体験をしたら、肉体が実体だという観念すらもろくもくずれてしまう。

自分やこの世が幻影というなら、必死でもがかずに、とっととあちらの世界へ行けばいいのでは
ないかと、サットバに答えてみた。

ボソ・・・
257名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 18:39:16 ID:+62UkB9w
>>231
博識そうな貴方様に伺いたいのですが、【大我】と【真我】とはどのように
違うのでしょか。


たいが【大我】

たいが1仏語。個人的な主観や執着を離れた自由自在の悟りの境地。我見・我執を
    離れた自由自在の境界。

   2インド哲学で、唯一絶対の宇宙の本体をいう。

                    国語大辞典(新装版)小学館 1988.


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

博識そうな貴方様に伺いたいのですが、1仏語の【大我】とここで問題視されてい
る【真我】とは、どこがどのように違うのでしょうか。
258にいちゃん:2005/04/16(土) 18:40:05 ID:UycRfrSu
>>186
>あーら怒っちゃった
>観念的過ぎるのですわ

>181 むかつくよな、すぐこうやっていどんでくるから

相手に怒るなといいつつ、自分は怒っているのは高慢なのだろうかと疑問に思ってみる。


ボソ・・・
259にいちゃん:2005/04/16(土) 18:42:07 ID:UycRfrSu
>>193
>話せばこうやって反感もたれて、しかも口で説明の仕様が無い
>まさしく疲れて倒れてしまう

反感もたれるのは話しがかみ合わないからだと、感じている。

ボソ・・・
260にいちゃん:2005/04/16(土) 18:47:50 ID:UycRfrSu
>>215

>夫婦が別れたと 
>別れた途端に相手のことを100パーセント悪いとは言わないだろ
>いいところがあったからこそ、くっついたと
>でも悪いところが見えてきたからいやになってきたと
>自分の中でパーセントがひっくりかえっただけだよ

「自分で考えないオウム式反論モード」に入っている。
元信の方々はこんな反論、懐かしい事だろうな・・・。

ボソ・・・
261にいちゃん:2005/04/16(土) 18:50:04 ID:UycRfrSu
>>218
>私はある程度サマナに心を許していたから、聞かれたことはほどんど
>答えていたけど、むこうはどれくらいこの子からは取れるか、というのを
>いつも値踏みしていたんだと思うね。。

カネゴンが、世の中幻影というなら、金も幻影だから、あげてもいいではないかと思う。

ボソ・・・
262にいちゃん:2005/04/16(土) 18:51:04 ID:UycRfrSu
>>220
>キリスト十万かよ??
>それもオウムがよくやる手さ
>時間ギリギリとかもう始まっていると値下げするから、マジで(笑

なんだか、金は幻影ではなさそうですね。

ボソ・・・
263にいちゃん:2005/04/16(土) 18:57:24 ID:EsWGY/4C
>>249
>ソンシ、鼻毛は切っておいてね♪

鼻毛も幻影ではないようだ・・・。

ボソ・・・
264阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/04/16(土) 18:58:13 ID:8iHvzjTo
>>251の『ウダーナ』の偈にせよ、神秘体験の表現ではありません。
265名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 22:43:37 ID:CnXKkjbD
仏教徒は仏教が世界最高の宗教という自負があるが、果たしてそうか?
要するに仏教徒は仏教の域内でのみ論争しており、世界の他の宗教を見て
幅広く検証しない傾向がある。
よって輪廻転生がないだとか、霊魂がないだとか、そういう結論になる。
エドガー・ケイシー(1877-1945)はキリスト教徒でありながら、人間は
輪廻転生すると説いている。前世のカルマが今世にあらわれた例を霊視し、
それに応じた処方を述べて相談者の病(カルマが原因)を治した記録が
リーディングとしてマイクロフィルムに保管されているのである。

266名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 22:44:50 ID:CnXKkjbD
たまたま、仏教はヒンドゥを否定した。しかし、ヒンドゥやウパニシャッド
が間違いという根拠がどこにあるだろうか?釈迦がヒンドゥを否定したのは
当時の古代インドの社会状況にある。ヒンドゥの慣習によっておびただしい
カースト差別が繰り広げられていたためである。ヒンドゥの悪弊が一番濃く出た
時代なので、釈迦はヒンドゥと対立したわけで、釈迦がその時代人であることを
忘れてはならないのである。
この読みを間違えた良い例がわが国のノストラダムス解釈である。その時代の
状況を読めばあの有名な予言が世界滅亡ではなく、フランス国内の狭い地域の
予言であったことがわかるからである。

ヒンドゥにもキリスト教にも、イスラムにも
仏教で言うニルヴァーナの境地に入った聖者はたくさんいるのである。
彼らにはすべて共通項がある。神秘体験そして一元性、さらにいうなら
自我の滅却である。加えて、この境地に入った者は
「屁理屈やドグマを説かなくなる」という共通項がある。釈迦もイエスも
教えを「本に書いていない」という共通項があり、説法こそはするものの、
それを文字にまとめるのをひどく嫌った感がある。なぜなら文字にまとめると
必ず誰かがあれこれ「見解」を述べてねじ曲げるからである。
そして見解にとらわれると、人生の時間の無駄遣いになってしまう。
よって釈尊が放棄したのは霊魂でもなく、真我でもなく、それについての
「見解」である。

267名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 22:45:27 ID:CnXKkjbD
世の中で受け入れられる教えは必ず唯物的になり、世の中で受け入れられる
政府は必ず右傾化している。したがって仏教がバリバリの神秘思想であっても
世の中に広まるころには、すっかりろ過され、形式的儀礼的で無難なものに
なってしまうのである。おそらくオウムも神秘性を排除すればどっかの団体
みたいに巨大な宗教になったかもしれない。最盛期でも国内で1万人、
海外で3万人という信者数は他の宗教団体に比べれば決して多い数ではない。
268名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 23:01:54 ID:5I6E1diI
いや、オウムは神秘性=宗教生命だったんよ
神秘性=エ寝るギの支配がなかったら麻原はただのおっさんよ
神秘性がのうてグルを標榜しとるオヤジにゃあウンコぶつけたる
まぁ神秘性があってもその他が糞じゃあしゃーないけどな


269名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 23:04:44 ID:sa20r+BZ
>>266

>この読みを間違えた良い例がわが国のノストラダムス解釈である。その時代の
>状況を読めばあの有名な予言が世界滅亡ではなく、フランス国内の狭い地域の
>予言であったことがわかるからである。

どの予言詩がフランス国内のどの現象を予言したものであるのか、
少し詳細な対比をキボンヌ。
270名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 23:04:46 ID:6jqW4QOJ
はぁ、また話が振り出しに戻ってるよ(笑
前スレ読んでないでしょ。

どこかにテンプレ用意しとかないと、延々とくり返すな。
271名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 23:09:58 ID:6jqW4QOJ
>>266
前スレ35からの転載です。

558 名無しさん@3周年 2005/04/04(月) 16:28:38 ID:jnRTKIgC
>キリスト教がイスラムを間違いって言っているのと同じじゃないのか。

そうではないんだよ。

バラモン教は「ものごとには永遠不滅の自性がある」と考えている。
しかし、釈迦は「ものごとには永遠不滅の自性はない」と考えた。

世界の成り立ちに関する見解が、根本的に違うんだ。

一方は、地球は平らだと言っているが、もう一方は地球は丸いと言って
いるようなもので、他宗教だから間違いだと言っているわけではないんだ。
272名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 23:17:45 ID:6jqW4QOJ
>>257
「真我」は、われわれ生物の本質的実体とされるもので、たとえ
死んだとしても、肉体に依存することなく自立自存する本質(魂
のようなもの)のことだとされています。

一方「大我」は、修行によって到達する「境地」のことじゃないで
すか?
その辞書の説明によるならば。

オウムでいうところの「真我」は、正確には「個我(アートマン)」
を意味していますけどね。
273名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 23:23:46 ID:5I6E1diI
ここで議論するよか麻原を無ショからひっぱり出して問うてみるのが
よかね。。その後死刑にするんよ。
274抜け目がない:2005/04/16(土) 23:28:01 ID:ExNiVeA5
>>273

ショウコウは脳みそに出来物ができて、
糞も垂れ流しの廃人になってると言う訳だが。
275名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 23:32:18 ID:5I6E1diI
信者は髪の毛煎じて飲むんだから糞ショん弁もカね出して買うだろ
売れよ
276名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 23:39:46 ID:A4J/AtP7
岡崎被告の死刑が確定したが、彼は麻原によってマインドコントロールされて
おり、自由意思を奪われ、善悪の判断が不可能で、100%の善意で犯罪を
犯したのだから、「心神喪失」で無罪にすべき。

裁かれるべきは、「信教の自由」に呪縛されて、宗教を放置した司法・行政
及びその理論的支柱となった宗教学者達であると思う。
277抜け目がない:2005/04/16(土) 23:40:28 ID:ExNiVeA5
>>275

その、減らず口に押し込んでやるよ。www

美味いぞ!!w
278カネゴン@キャンディ:2005/04/16(土) 23:49:05 ID:gQOT+JGz
こないだ見たテレビ
レオナルドダヴィンチについて
彼は絵を書くのが好きだったそうだが、死ぬ前、
手が弱くなってもう絵筆がもてなくなると
瞑想部屋にこもって、最後の力をふりしぼり
世界が水没する絵を書いていたんだと
津波が押し寄せて、みんな流される絵
彼は非常に多才で、あらゆる分野に並外れた能力を発揮したそうで
宗教においても、活躍したそう
279名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 23:53:39 ID:6jqW4QOJ
>>250
>オウムは間違ってると思ったときよりショックは少ないですね。
>あの時は生命も財産も皆投げ出そうと、自分の生まれて来た
>意味はこれだと思ってた

上で>>141さんも言ってたけど、アングリマーラが釈迦に出会った時の
感動(驚き?)も、いかほどのものだったでしょうね。

信徒はみんな根は純粋なんだよなぁ。良く言えば。
悪く言うとバカ正直(わたしのこと)。
280名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 00:52:47 ID:afxzCD5P
>>183
>形而上と形而下の区別は、明確なものです。

3は奇数である。
これは正しい。
しかし、奇数とは2の倍数であると定義すると、
誤りになる。
つまり、定義が大切なのですよ。

形而上という言葉の定義を、
「精神や本体など、形がなく、
 通常の事物や現象のような感覚的経験を超えたもの。」
とします。

この定義によると、盲人にとって色彩は、
形がなく、感覚的経験を超えたものであるので、
形而上のものであると言えます。

普通の視力がある人にとっては、
形而下のごく普通のこととなります。

さて、183さんは、形而上をどのように定義するのですか?
その定義に従って、
考察してみたいと思います。
281名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 01:00:51 ID:7ojWSEvk
無限ループしてる。
282シェルター:2005/04/17(日) 01:20:37 ID:LfwnHKsJ
尊師の脳波はフラットです。
私は清流精舎でコピーではない原本を見ました。

尊師を真に理解することができる人は、
尊師と同じように脳波がフラットな人だけでしょう。

ただ、そのような脳波で普通に生きている人は、
おそらく尊師以外には存在しないと思われます。
283カネゴン@キャンディ:2005/04/17(日) 02:13:49 ID:k0J7Me3k
キャンディこないだね テレビで見たの
ボケ始めたお年よりに、若かったころの環境を再現してあげると
活性化するっての

なーんか気になって、自分が小さかった頃のおもちゃとかヤフオクで
探したり、、、オウムに入信する前に好きだったものとか
思い出したりして、浸っているこのごろ。。
守護神もどきに、オマエ年寄りじみてきたんだよ 昔のことを思い出すのは
年取ってきたんだと、言われたり。。

そういえば、さっき、2ちゃんのほかの板言って一人暮らしの板を見ていたら
守護神もどきが、”みんなオナニーしているんだ”って言うの。。
ナに言い出すのかと思ったら、笑っちゃうよ
284カネゴン@キャンディ:2005/04/17(日) 02:17:06 ID:k0J7Me3k
ボケ始めっていうか、気力が失せてきたり
こもりがちの老人っていっていたかな、、
285名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 02:22:30 ID:5QXyQKlL
チベットでは前世の記憶を持つ子が昔から凄い数居て、民衆の中で輪廻は常識らしいよ。
286名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 02:28:24 ID:7ojWSEvk
インカ帝国では、生贄によって災いを避けることができるというのが
常識で、通算ですごい数の良家の子息子女、勇敢な戦士が生贄に
捧げられたらしいな。
287名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 02:39:59 ID:7ojWSEvk
◆ ダライ・ラマが語る「ダライ・ラマ制度の未来」

67歳のダライ・ラマ法王は、現在北インドのダラムサラに住んでいる。
次のダライ・ラマの転生者探しについて、法王自ら次のように述べている。

「チベット仏教文化の伝統に従えば、ダライ・ラマや高僧の転生者探しは、
宗教関係の行事であり、政治とは何の関係もない。
特に仏教の教えを否定している者にとっては、転生者探しに何の関係も
なければ、それについて議論する権利もない。
転生者探しは、職員や委員を選出したりすることと異なる。
高僧の化身は、常に全ての生きとし生けるもののためになるように考えて
生まれくるので、生まれる場所、父母と家系などが重要となる。
これはチベット仏教文化の特徴である。

 もし、チベットの人々がダライ・ラマの転生者が必要であるなら、私の転
生者は、中国支配下のチベット国内ではなく、平和な世界のどこかの国に
生まれると断言する。
それは、前生がやり残した仕事を引継ぎ成就するために転生者は生まれ
変わるとチベット人が信じているからである。

前生がやり残した仕事を邪魔したり破壊したりするために生まれ変わる
転生者はいない。
もし、転生者がやり残した仕事を継承できない国に生まれたら、転生者と
して生まれ変わる意味がない。

つまり、私の転生者を必要とするかどうかを最終判断する権利は、チベット
国民にある」

http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/hh_reincarnation.html
288名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 02:40:33 ID:7ojWSEvk
ダライ・ラマ猊下は“わかってらっしゃる”よ。
289名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 02:42:00 ID:5QXyQKlL
>>286
俺の挙げた常識には一応因があるでしょ。インカの常識には因があるのかい?
290名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 02:47:25 ID:7ojWSEvk
どこにどんな因があるの?
291名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 02:55:01 ID:5QXyQKlL
>>290
だから、前世の記憶を持つ子が多数存在して来たことだよ。前世に住んでた家の内装を詳しく言ってみせたりさ。
大人が確認してみるとその通りなのさ。子供らが全員嘘吐きだと仮定しよう。
嘘を付いた因(動機・メリット)は?
292名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 03:00:58 ID:7ojWSEvk
あぁ、因というか、状況証拠や動機のことね。

輪廻転生を成立させる因と縁は、輪廻の主体であるところの
「魂(真我)」があること。
また、その「魂」がどこを通過して母体に入ったのかとか、そう
いう、輪廻転生を成立させる条件と主体のことだよ。
293名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 03:02:39 ID:5QXyQKlL
人間には自性がないから、無我だから輪廻はありえない、というのは演繹としては正しいかもしれない。しかし前世の記憶を持つ人が様々な国に存在したなら、輪廻があることの帰納的証明になるのではないか?

294名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 03:05:07 ID:7ojWSEvk
それなら会話が成立する。
295名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 03:29:25 ID:5QXyQKlL
人間が一生の内に溜め込んだ記憶は、海馬にある情報だよね。それが脳が死んだ後も何らかの形で残って、新生児の脳に転移するということは考えられないかな。
296名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 03:37:34 ID:fTZbpjwt
>>295
もちろん考えられるよ。
ただし、それしかない、ということが証明されない限り、
輪廻がない、という結論にはならないけどね。
これまであがっている証拠の中には、
今のところ「ある」という証拠(状況証拠も含む)はあるけど、
「ない」という証拠はまだないみたいだね。
297名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 03:56:15 ID:7ojWSEvk
そして振り出しに戻った
298名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 09:56:09 ID:RAzW8P7D
>>265
釈尊は阿含経に記されている通り輪廻転生はあると説いてらっしゃいます。
私もサンスクリットやパーリ語は学びましたが、原本にも確かに記載があります。
チベット仏教でも三悪趣の苦しみは、悪い行為を捨断するために耳にタコが出来るほど
聞かされます。

>仏教徒は仏教が世界最高の宗教という自負があるが、果たしてそうか?
どの宗教であれ、それが最高とその人が考えるからこそ、それを実践するのでは
ないでしょうか?キリスト教、イスラム教そしてアーレフも。

現在、世界のそれぞれの宗教者は宗教が違ってもお互いを尊重することが大事であると
考え動き出しています。故ローマ法王やダライラマ法王などもその動きを進めようと
なさっていました。もともとイスラム教徒とユダヤ教徒の聖地の奪い合いからはじまり
今ではキリスト教対イスラム教の戦いの形を呈しており、十字軍のはるか昔の時代からの
争いとはいえ、皆、危機感をもってきたわけです。

余談になりますが、かつてアクバル帝の時代に宗教を超えた都市が築かれた話をご存知
でしょうか?その時、天空の星はペンタグラムの形を形成していました。一度だけ形成
されたペンタグラムは二度と昨年までは形成されなかったわけです。宗教を超えた都市
もすぐ崩壊してしまいました。
しかし、昨年3度に渡ってペンタグラムが形成されたのです。占星術師たちはその影響
を予測しあったのですが、過去のペンタグラム形成の事例などを考慮し、恐らく再び
宗教を超えお互いに尊重できる都市もしくは組織が立ち上がると予測しています。
そして3回のペンタグラム形成という事実を考えそれは普遍的な動きとしておこると
予測したのです。

昔のインドと現在では状況が違います。外道を論破するという方法はふさわしいとは
いえないのは多くの仏教徒は知っています。

この良い動きが加速化され一日も早く現象化することを願ってやみません。
299名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 10:00:04 ID:XWmrPdg9
>どの予言詩がフランス国内のどの現象を予言したものであるのか、
>少し詳細な対比をキボンヌ。

俺は学者じゃないから詳しいことは知らんが
フランス古語の専門家によると、最初からあの予言詩の数々はフランス国内の
ものであってそれ以外は考えにくいとの事。専門家から見れば一目瞭然だぞうだ。
それにノストラダムスの地元では人類滅亡?で大騒ぎしていなかったと。
知らない人が大半で。テレビでやっていた。
要するに日本の誤答便という駆け出しのライターが脚色し、世間に撒き散らした
ということ。当時は公害や米ソの対立や中東問題などがあり、そういう妄想が
通用してしまったんだな。
それを本気で信じたのが切山やアサハラというわけ。
妄想ゲームの犠牲で死んだ人、たまらんよ、これは。

300名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 10:14:06 ID:XWmrPdg9
釈尊の教えは無数の他人の手を経由して書かれているから、どういう
解釈が為されているか、正しい伝わっているかはよくわからない。
何せ2500年前の話しだから、正しく伝わっていると見る方が不自然。
すべては依存しあっていて不滅の実体はないというのは、この世の次元
ではその通りなんだけど、アストラルに属する霊魂のことを言ったのかは
よくわからないね。第一、釈尊は霊など見えない普通の人向けに説いている
んだろうからそんな話しをするわけがないよ。


301名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 10:37:07 ID:XWmrPdg9
エドガーケイシーによると、人間は輪廻転生してカルマを支払うという。
しかし、オウムの解釈とは違う。たとえば、オウムでは過去生に未開人で、
他人の目をつぶしたものは今世でも未開人で他人につぶされると。
ケイシーの場合はその人は今世では未開人にも生まれず、
他人に仕打ちを受けることもないが、生まれながらの盲目としてあらわれた
と。つまり過去世のコピーとしてあらわれるのではないようなのである。



302阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/04/17(日) 11:50:40 ID:jin4EURy
原始佛教でも輪廻は説かれ、輪廻からの解脱が教理の基礎となっています。しかし、形而上学的諸見解
の拒絶がその大前提になっており、これを踏み外せばオウムのごとき典型的外道・似非佛教に転落します。
尚原始佛教における輪廻観等については原始佛教スレッドで議論を重ねてきましたのでそちらを参照して
ください。ここではスレ違いになり、また外道スレで論じても無益ですのでこれについては論じません。
303名無しさん@3周年
>>272
>「真我」は、われわれ生物の本質的実体とされるもので、たとえ
>死んだとしても、肉体に依存することなく自立自存する本質(魂
>のようなもの)のことだとされています。

無色界は、色蘊以外の受蘊・想蘊・行蘊・識蘊で成り立っていますから、
色蘊つまり肉体の依存には依らないけれども、これとて縁起の一環であり、
自立自存する本質とは違いますね。真我とは何だろうか。

>オウムでいうところの「真我」は、正確には「個我(アートマン)」
>を意味していますけどね。

レスありがとうございます。
私には真我も大我も、例えば「ローマ法王」と「ローマ教皇」との違いでしか
ないのではと思っています。小我を捨てて大我に目覚める→真の自己に目覚め
る(真我)という路線です。真の自己とは、縁起継続する無常変化体としての
自己です。
オームでは、バルドーが幻影だとはっきりと教えています。幻影だということ
は、無いということではありません。見ているとおりには実際にはないけれど、
因縁仮和合としての一時的現象としては有るわけですから、有にもあらず無に
もあらず、すなわち縁起であり無自性空ですね。
自性としてのアートマン(個我)なら、反って意味を為さなくなります。何故
なら、自性とはそれ自体で単独に自存するものであり、生ずるとか滅するとか、
増えるとか減るとか、といった一切の生成変化、つまり縁起に依らないからこ
そ、恒常不変の個我(アートマン)であるからです。