本スレッドは、マリア崇敬の批判者を考察するスレッドです。
まず、マリア崇敬批判とその考察の一部を紹介します。
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1087218197&st=2&to=6&nofirst=true > @聖書はマリヤ崇敬等の偶像礼拝を厳禁しています。出20:4-6、レビ19:4、26:1、
> 申4:16-19、23、5:8-10、イザ44:9-20、Tコリ6:9-10、Tヨハ5:21、黙22:15、他にも多数
レビ記 26:1 あなたたちは偶像を造ってはならない。彫像、石柱、あるいは石像を国内に建てて、それを拝んではならない。わたしはあなたたちの神、主だからである。
のように、偶像とは拝むためのものであり、典礼等で扱う聖画像は拝む対象ではありません。それ自体は崇敬する(=敬う)ためのものであって、
原像を敬うための造形芸術にすぎません。
聖歌や賛美歌のような音楽芸術や聖書の詩篇や雅歌のような文学的芸術の場合と同様に、
芸術を通して崇敬の気持ちを表現するためのものです。
> A偶像礼拝は神に背く行為である上に、悪霊と交わるという二次的な害があり
> ます。Tコリント10:19-20
聖人は死者ですが、死者を敬うことは悪霊との交わりにはなりません。
主はユダの王ゼデキヤに預言者エレミヤを通して、こう言われました。
エレミヤ 34:5 あなたは平和のうちに死ぬ。人々は、あなたの先祖である歴代の王の葬儀に際して香をたいたように、
あなたのために香をたき、『ああ、王様』と言って嘆くであろう。このことをわたしは約束する、と主は言われる。」
聖人のために香をたくのと、王のために香をたくのとの差異はありません。
もし聖人崇敬が悪霊と交わりならば、死者の王に向って「ああ、王様」と言うのも悪霊との交わりになり、
主がユダの王に約束したのは悪霊との交わりということになります。