キリストやクリスチャンは「油」という意味の単語から派生しており
コイネーその名を万国共通というコイネー・ギリシャ語の直訳です。
コイネーはペロポネソス半島の東方のアッティカ方言の一種で
インド・ペルシャからエジプト・ローマ・ヒスパニアまで
ヘレニズム時代の共通語でした。
ペロポネソス半島の中央部にアルカディア高原があり
昔、人々はアルカディアに住んでいた。という言い回しがあります。
アルカディアに住むとは、自由の地に住む、自由な暮らしをしていた。
理想の暮らしであった。古きよき時代があった。昔は良かった。の意味です。
ギリシャ人のこの言い回しに対抗して
ユダヤ人は人類は昔エデンの園である楽園に住んでいた。
楽園は天国であった。神と共に暮らし不自由がなかった。
と考えていた。
エデンは豊穣を意味するシュメール語系統の言葉で
周辺が砂漠の死の世界にあって
水と果樹の豊かな不自由の無い生きた生活の場を意味した。
コスモ+ポリタンの共通語です。
(世界+都市国家[町]の人。世界の町々に横断的な人。国際人。)
現在の国際人の言語はアメリカ英語ですが。
>あらゆる生物の最終目標は神様を超えることでいいのでしょうか。
神を超えるとか超えないと言うのではなく
最終目標は 造り主の神様の御身元に行き
一緒に代々(よよ=世代横断的に=永遠)に楽園な暮らしをする です。
【 教会の頭(ブドウの幹)はイエス・キリスト、肢体(枝)は信徒 】
神なる父(三位一体論の神性のみ)
↓
神の子キリスト(神性と人性(両性論・キリスト論)神と人の中保者・取り成し手、
↓ 永遠の神が有限の人間の罪を代わって償う
『聖霊の洗礼』 [人間となったキリストの有限の命は、人間の罪の身代金])
↓
神の子となった信徒(洗礼を受けた人間。
↓ 教会の一員となったからには、教会の頭キリストが主人である事を宣言し、
↓ 血(ワイン)を飲んで罪の赦しを契約し、肉(パン[同じ釜の飯])を食べ、
↓ 神の言葉:ロゴス・永遠の命を、信者の肉体(神の宮:神殿)の中に持ち、
↓ キリストの一部になる)
↓ ↓
↓ 福音(よい+知らせ:戦勝報告[戦いに勝ち生き延びられた[喜び]を人に知らせる]、
↓ ↓ エウ+アンゲリエ[エヴァンゲリオン]・キリストの救いを布教する事)
↓ ↓
↓ 罪を赦された余裕を持って、罪ビトにも赦し愛を与える。
↓
[一人間の命の終わりの]死後の裁き(第一審判決)と
[この世の終わりの]最後の審判(最終判決)
↓
罪ビト(洗礼を受けてなくて、キリストの弁護も期待できないし、
有限の人間が自力で、楽園(天国)から追放された
永遠の罪を償えないので、
無限に天国に帰れない[同じ生まれ変わり死に変わり
の『悪に悪を返すのを善と間違える』輪廻[を]し続ける]地獄へ行く人間)
[キリスト教の一番大事なことは]愛する[こと]。[で、]
愛は[神へと人へと]2つあるが神様が先。
神様を愛する。ドウ愛する。礼拝する。神に祈る。賛美します。
人間が神様に出来るのは、賛美しかないから。
赤ん坊は母親を、笑顔で手振り嬉しがってほめる事しかできない。
おっぱいを吸うだけ。
生きていられる人間として生まれている神の恵みを賛美するだけ。
雨風に川の流れ・海の幸・山の幸・日差しなど神から頂くだけ。
隣人を愛する。ドウ愛する。お互いが生きられるように助け合う。
どういう神?父と子と聖霊が神。
隣人を愛するのに罰則はあるの。基本的に赦し合い。
戒に照らし合わせ死刑もありうる。
モーセの十戒のうち五戒とか六戒が隣人愛に対する規制。
もっと細かくは、教会令だか宗教会議の決定とか難しいの。
あと各教会の聖職者や信徒会合の判断。
イエスをキリストで神と信じる
聖職者・信徒の集会(エクレーシアスマ)が「教会(エクレーシア)」
信徒になるのに何が必要。
聖職者や信徒の合意で、信者になる儀式に預かる事。
あと集会を支える活動に参加・協力する事。
聖堂・礼拝堂・信徒会館の維持も。