原始仏教 その11

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531阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/16(月) 08:13:45 ID:rwKU6Jl/
>>527
>私はそういう反省する大乗しかしらん。
単なるマッチポンプであり、特記するようなものではありますまい。
532名無しさん@3周年:2005/05/16(月) 08:16:17 ID:Yu5eBHK+
>>528 530

与太話はええから 「註」をきちんと読めって。
533名無しさん@3周年:2005/05/16(月) 08:18:45 ID:Yu5eBHK+
>>531

どして?
534名無しさん@3周年:2005/05/16(月) 08:20:30 ID:Cql7Qo4P
なんかヤクザみたいなのがいるね。
535阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/16(月) 09:30:21 ID:CrjN+Sye
>>522
> このスレの住人の何人かははっきり言ってファンダ、狂信だよ。原始佛教の教説自体に懐疑的なレスを
> すると物凄い敵意を向けてくるからね。
誤解・誤謬は誤解・誤謬として指摘され批判されるだけ。「教説」も吟味・検討の対象であることをここのコテハン諸氏は
認識し、前提としている筈。尤も>>523のような基地外・能無しは論外ですが。
536阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/16(月) 10:06:23 ID:CrjN+Sye
『スッタニパータ』の註釈としては、第四章に対する『マハーニッデーサ(大義釈)』と第五章に対する
『チューラニッデーサ(小義釈)』がパーリ小部經典に収められており、全体に対するものとしては五
世紀にブッダゴーサが撰述したと伝えられる『パラマッタジョーティカー』が現存します。古層とされる
前二者は南傳大藏經に、後者は和訳が出ておりましたが品切れのようです。尚、中村元訳の岩波本
の註釈もこれらの記述が参照されています。
http://www.shunjusha.co.jp/series/00107.html
537阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/16(月) 10:20:27 ID:CrjN+Sye
『パラマッタジョーティカー(仏のことば註)』全4巻の復刊投票のページです。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=21554
538名無しさん@3周年:2005/05/16(月) 12:19:31 ID:gZInsLmq
>>465 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/13(金) 13:51:11 ID:3WiO84pK
> 出家の経済的基盤について苦慮すべき時代背景ではなかったと言う結論があります。

これは、バラモン教の業報思想に便乗したからではないのですか?
そのために、(バラモン教の)宗教的な要素(托鉢等)を利用した。

それとも、出家は自給自足で生活可能だったのでしょうか?
539阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/16(月) 13:54:52 ID:CrjN+Sye
>>538
バラモン教より、当時の社会に定着していた出家沙門たちへの布施供養の慣習を背景としてます。
540ベロ ◆eOod7XM/js :2005/05/16(月) 17:19:08 ID:2kFzAiki
>>525
そんな人でも念仏を称えれば方便化土には往けるそうじゃん。
ありがたいねー大乗は。感謝、感謝。

>>527
>私はそういう反省する大乗しかしらん。
へぇ、自分に都合の良い部分しか知ろうとしないのね。

>途中から自慢しだし、他者を貶しだした。
だから他者を貶してるのは大乗でも、テラワダでも一緒じゃん。
その事を指摘したまで。

>>聖道門
>これのどこが蔑称だね。
道綽以後は聖道門を貶してますよ。「万善の自力、勤修を貶す。」

>私にとって「この道がさいこー」というのは問題ない。
>誰にとっても「この道がさいこー」と押し付けるとカルト。
末法悪世の衆生には、聖道門なんて無理だし無駄。
ただ浄土門のみ通入可能とか言ってるよ。カルト寸前かもね(笑)。
541名無しさん@3周年:2005/05/16(月) 19:26:04 ID:gZInsLmq
>>539
阿呆陀羅經さん、レスありがとうございます。

つまり、
> 出家の経済的基盤について苦慮すべき時代背景ではなかった
なぜなら、
> 出家沙門たちへの布施供養の慣習

> 当時の社会に定着していた
から。
ということでよろしいですか?

そのような、慣習の定着の背景には、
業報思想に基づき来世のために徳を積むという
在家の信仰があったのではないでしょうか?
だから、仏陀も「生天の法」を説いたのではないのですか?

『解脱や涅槃が目標であり、その為には出家する必要がある。
衆生の済度は、主目的ではなく、来世のことなど知らないよ』
などといえば、
> 出家の経済的基盤
が危うくなる可能性があったのではないでしょうか?
542阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/16(月) 21:08:17 ID:iaLx1l2M
>>541
>業報思想に基づき来世のために徳を積むという
>在家の信仰があったのではないでしょうか?
民間信仰としては確かに広く信じられていたことでしょう。
佛教も次第説法の初歩として施論・戒論・生天論を説きました。
>解脱や涅槃が目標であり、その為には出家する必要がある。
最初期には出家を解脱涅槃の必要条件として説いてはおりません。ヤサの両親にしても、施論・戒論・生天論
を経て四諦説法を聞き、信解に到っても出家しておりません。出家在家の区別や経済的後援の功徳を積極的
にを説くようになるのは後世、>>465の洪範で述べられる状況が現出してからでしょう。
543阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/16(月) 21:18:18 ID:iaLx1l2M
>>542の訂正
×>>465の洪範
>>465の後半
以下補足
> 出家の経済的基盤 が危うくなる可能性があったのではないでしょうか?
そうであればそもそも僧伽など成立不可能だったでしょう。
パーリ相応部の「チッタ相応」や雜阿含經の質多居士に関する記述など在家佛教者に関する
興味深い考察材料となるでしょう。
544阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/16(月) 21:26:47 ID:iaLx1l2M
教団権威の確立の必要が生じ増長するにつれ、四向四果の階梯がいわばマニュアル化され、出家在家の
区別にも適用されるようになったものと考えられます。
545名無しさん@3周年:2005/05/17(火) 00:05:45 ID:CdYuYFbN
>>535
>尤も>>523のような基地外・能無しは論外ですが。
まだ煽りがやめられないのか。この未熟者。いったいいくつのスレをムダにすれば気が済むのだ。
546ベロ ◆eOod7XM/js :2005/05/17(火) 00:49:19 ID:U7hZt0nL
>最初期には出家を解脱涅槃の必要条件として説いてはおりません。

阿呆陀羅さんの説では、最初期の仏教では「出家至上主義」ではなかったと言う事
なんですね。以前どこかで釈尊は出家至上主義を説き、在家では決して解脱涅槃に
至れない在家を差別する差別者だと言う発言を目にしたので驚いたものでした。
釈尊が差別者なら、そんな釈尊を在家信者が経済的に支援するのも変ですよね。
私も出家在家の区別なく、努力次第で誰でもが釈尊と同じ境地に至れるという
釈尊の中にある大乗精神は在家にとっても心強いものだと考えます。
以前に電波男さんが釈尊こそ大乗だとおっしゃっていた事も頷けます。
547暇人:2005/05/17(火) 07:25:47 ID:cMyN6Y2F
>>540

そだね。仏教は信じ難いほど懐が深いね。
私もあなたも誰もが、仏教の「度衆生心」に包まれ育まれているわけだ。

>自分に都合の良い

リアルの私の周りには私を指導してくれる「善き人」ばかりだな。
あなたと違い、私はたまたま恵まれているのかもね。

>大乗でも、テラワダでも一緒じゃん

味噌糞区別がつかん人だな。
「俺とこだけ正しいね。他はダメ」と、新興宗教の創価は言うよね。
南伝ぜんぶがそういうアホなことを言うとは思わんが、スマさんとこのHPは、
そんな感じだよね。
現代の真宗や伝統仏教が、うちだけが「正統な仏教」で他の宗派は全部ダメと
言うのか? 如実に現実を見よ。

>道綽以後は聖道門を貶してますよ

君の引用は親鸞の道綽観であり、道綽の語ではない。
道綽は聖道門を貶しているという場合、直筆があるのだから、
安楽集などの著作から論ぜよ。
仏教の道として聖道・浄土往生の二つを並列してるって(笑)、。
「聖道は、非仏教だ」とか「小乗だ」とか言ってないって。

548暇人:2005/05/17(火) 07:26:27 ID:cMyN6Y2F
>末法悪世の衆生には

哀れだな。道綽は「今の時」と書いている。「現代」と言っているのね。
道綽はさぁ 廃仏時代に生きたのよ。
権力によって寺は打ち壊され、経は焼かれ、強制還俗させられたのね。
その現実を体感して「当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり」は、
意味を持つのね。言葉遊びではなく、道綽が生きた現実なのだ。
真宗を嫌悪しつつ、ぬくぬく ずぶずぶ 大乗のメシを食らう
気楽な坊主稼業の方とは ちゃうのね。だから君には響かないのかも。
仏教が破壊された時代を生きて、それでも自分の仏道を歩み続けた。

道綽にとって、聖道は立派な仏教の道だが、
時代的に困難であるのと、難解なので、
自分の道は浄土往生の道だと心を決めたのね。

とはいえ、現代で「浄土門だけが仏教。 他はダメ」と言ったらカルトだって。
「私には浄土門しか道がない」というのはOK。
ええ加減、この差にきづけ。
549暇人:2005/05/17(火) 07:26:59 ID:cMyN6Y2F
>>546
>釈尊の中にある大乗精神は

きちんと資料にあたらず、自分に都合の良い説には飛びついてしまう。
これがMC、盲信の正体ですわな。成長のない方だ

@ヤサに関しては、古層テーラーガーターには、117、一句がヤサの心境を
を表したと推定されているのみである。
五分律、四分律の記事を援用しても、ベレナスで富商の子を教化出家さし、
ウルヴェーラー移動途上、30人の青年を教化出家さしたとあるのみで、
具体的な名前すら知られていない。
ヤサの話、その両親の話が豊かな物語として語られるのは後期に成立した仏伝文学。
文献的に古層といわれるスッタニパータ805句に「在家に留まってはならない」と
ある。
文献的に知りうる最初期の仏教は出家主義であるのは明瞭ですよ。
ただ文献そのものは後代成立なので、それ以前がどうだったか、
釈尊そのものがどう考えていたかは、それぞれの立場から推理ゲームですね。
A質多居士だけが、文献的に知られる在家で悟ったといいうる唯一の例外。
B「出家解脱 在家生天」は、在家自体が生天を望む社会環境があり、
釈尊の説き方をみると、在家の関心にあわせて正しい行為を説いている節があるので、
もしかすると在家に合わせて説いただけの可能性も有る。
(例えば、沐浴や火祭りという行為では生天できないよ、そういう無意味な宗教行為は
止めて、正しい行為したら確実に生天できるよ。正しい行為とは・・・と仏教を説きだす
やりかた。生天という当時の民衆の関心を間違っていると頭から否定せず、その関心に
沿い掴まえつつ、実践的な仏教的生き様を実質的に教示している)
550樹意:2005/05/17(火) 08:28:26 ID:8oTi7cGk
優婆塞の条件は三法帰依
優婆塞の預流の条件は三宝への浄信 戒 施 聞 智慧 具足
のようです。
根拠 雑阿含経 33 9 12 マハーナーマ  他
在家信者でも 預流の条件を満たせば 預流になるそうです。
涅槃がターゲットラインに入るという事で、出家も在家も等しく涅槃に
向かうということでしょう。

仏法僧の法の部分が変質していくのが問題なのでしょうし
法の部分が変化すれば当然他の条件も満たすことはなくなるという事でしょうね。


551阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/17(火) 09:36:05 ID:MJ+wp/zK
>>545
レスの片手間にスレゴキブリ叩きをしているだけ。汚穢は出てくるな。
>>546
教団成立を正当化するために編纂されたと見られる律藏大品等の文献においてすら各比丘の出家は「自発的」になされて
おり、ブッダがそれを解脱涅槃の必要条件として説示しているわけではありません。先に述べましたように教団の権威や特
権性の確立の欲求が生じることによって、在家で阿羅漢果を得ても即日死ぬか出家するかしか選択肢はないというような教
義が案出されて行きます。中には北道派のような特殊な例もありましたが。
ここは原始佛教スレですので、漢土・日本等における特殊現象である「末法ノイローゼ」や極東の「粟散邊土」での淨土教の
消長と原始佛教を絡めて論じる必要はないものと考えます。
552阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/17(火) 09:52:42 ID:MJ+wp/zK
>>551
補足、北道派といっても地論宗の一派ではなく、在家阿羅漢を認定する大衆部系の部派のことです。
553阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/17(火) 11:34:31 ID:MJ+wp/zK
各典籍の記述を各々の文脈や文献そのものの成立事情をも勘案しながら根掘り葉掘り調査することが不可欠です。
554名無しさん@3周年:2005/05/17(火) 12:30:28 ID:+RgoRf0M
>>551
阿呆陀羅經さん、こんにちは。

> 教団成立を正当化するために編纂されたと見られる律藏大品等の文献においてすら各比丘の出家は「自発的」になされて
> おり、ブッダがそれを解脱涅槃の必要条件として説示しているわけではありません。

これは、
普通免許を取るのに自動車学校への入校は「自発的」に行われており、
公安委員会がそれを必要条件としているわけではありません。
というのと似ていませんか?

要するに、『解脱涅槃のためには出家するのが一般的であり、
在家で解脱涅槃するのは非常に稀である。』ということはいえないでしょうか?

そうでなければ、次第説法において
・布施
・持戒
・生天の法
・欲楽のわざわい
・出離の功徳
と、「出離の功徳」を説く理由が無いじゃないですか。

(出離=出家だと思っているのですが、間違っていたらゴメンナサイ。)
555阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/17(火) 12:41:31 ID:MJ+wp/zK
>>554
> 公安委員会がそれを必要条件としているわけではありません。
> というのと似ていませんか?
珍無類な譬喩ですが、ネタとしては面白いです。ちなみに解脱涅槃は免許制ではありません。
> 要するに、『解脱涅槃のためには出家するのが一般的であり、
> 在家で解脱涅槃するのは非常に稀である。』ということはいえないでしょうか?
どう身を処するかは各人の選択に委ねられています。
> そうでなければ、次第説法において
>「出離の功徳」を説く理由が無いじゃないですか。
出離=出家であると解釈しても四諦などの「本真の法」が説かれるのはその後ですし、それを信解しても
別段出家が要請されるわけではありません。上記の文献をよく読んでみてください。
556ベロ ◆eOod7XM/js :2005/05/17(火) 22:49:17 ID:U7hZt0nL
>道綽はさぁ 廃仏時代に生きたのよ。
>権力によって寺は打ち壊され、経は焼かれ、強制還俗させられたのね。
>その現実を体感して「当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり」は、
>意味を持つのね。言葉遊びではなく、道綽が生きた現実なのだ。

今の私はそんな時代を生きてないのよね、私に実感できる訳ないじゃん。
あんたは実感できるのかい?仏教学んで家壊されたり、仏教書焼き払われたりしたの?

>真宗を嫌悪しつつ、ぬくぬく ずぶずぶ 大乗のメシを食らう
>気楽な坊主稼業の方とは ちゃうのね。だから君には響かないのかも。

ま、あんたも一度坊主になって布施で食べてみて下され。きっとまじめにやれば
やるほど、真宗に限らず現代日本の伝統仏教教団は何か変だと感じるでしょう。

>仏教が破壊された時代を生きて、それでも自分の仏道を歩み続けた。

そのような祖師方の生き方はとても立派ですし、尊敬します。
でもね、私は仏教が破壊されてない時代に生きて、自分の仏道を歩んでいるのよ。
祖師方の実感された末法感や浄土を求める気持ちなんて正直私には全くないのよ。
私が実感するのはこのスレの本題でもある阿含経典やニカーヤに出てくる釈尊の
教えの方なんよ。だからそれらにも聖域を作らずどんどん批判検討したいのよね。

>現代で「浄土門だけが仏教。他はダメ」と言ったらカルトだって。

幸か不幸かリアルな私の周りにはそう言う感じの人が多いのよね。
あんたはリアルでよき人・善知識に恵まれて良かったねぇ、超ラッキーじゃん。
ま、私にもネット内やネットを通じて知り合った方では、電波男さんや阿呆陀羅経
さんをはじめ、尊敬できる法友が何人かいますので、とても心強いです。
557名無しさん@3周年:2005/05/17(火) 23:55:45 ID:eoVRKLYE
>>551
>レスの片手間にスレゴキブリ叩きをしているだけ。汚穢は出てくるな。
その片手間がこうして煽りを引きつけている現実を見ろ、馬鹿者。
558樹意:2005/05/18(水) 00:20:01 ID:pULlfTEI
>>557
> その片手間がこうして煽りを引きつけている現実を見ろ、馬鹿者。

議論をしましょう 
559暇人:2005/05/18(水) 01:45:32 ID:feS/Othf
>自分の仏道を歩んでいるのよ

だったら やたらに他人に絡むなって 
大人になれよ
560阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/18(水) 08:21:08 ID:dcv4WduT
>>557
> その片手間がこうして煽りを引きつけている現実を見ろ、馬鹿者。
ほう、つまりワタシは煽りしか出来ない馬鹿者ですと自認したわけね(嗤笑)。もう玩具にもして
やらない(失笑)。
561名無しさん@3周年:2005/05/18(水) 08:52:57 ID:jeqdw2T3
>>555
阿呆陀羅經さん、おはようございます。

> ちなみに解脱涅槃は免許制ではありません。
やはりそうでしたか。私もそうじゃないかと思っておりました(笑)。

> どう身を処するかは各人の選択に委ねられています。
このレスは、
『解脱涅槃のためには出家するのが一般的であり、
在家で解脱涅槃するのは非常に稀である。』という
命題に関しては、肯定でも否定でもありませんね?

> 出離=出家であると解釈しても四諦などの「本真の法」が説かれるのはその後ですし、それを信解しても
> 別段出家が要請されるわけではありません。上記の文献をよく読んでみてください。

阿呆陀羅經さんは、「信解」をどういった意味で使われているのですか?
「汚れなき真理を見る目を得た。」ものに対して、世尊は、
「来たって浄き修行をなし、苦の滅を得るがよい。」といって受戒しています。

八正道を理解することは、比較的容易でも
八正道を実践し、苦の滅を実際に得るのは、
出家しなければむづかしかったのではないでしょうか?
562阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/18(水) 09:24:59 ID:PU21Twb3
>>561
> 『解脱涅槃のためには出家するのが一般的であり、
> 在家で解脱涅槃するのは非常に稀である。』という
> 命題に関しては、肯定でも否定でもありませんね?
これについてブッダは明確な言明を避けていた節があります。四沙門果を説いても出家が解脱涅槃への
必要条件とも充分条件とも明言しておりません。ブッダも含めて各個人の自覚に基づく選択の問題である
と考えます。

> 阿呆陀羅經さんは、「信解」をどういった意味で使われているのですか?
知的論理的理解を前提とした確信と捉えております。

> 「汚れなき真理を見る目を得た。」ものに対して、世尊は、
> 「来たって浄き修行をなし、苦の滅を得るがよい。」といって受戒しています。
あくまで希望者への出家授戒です。要請はしておりません。
563阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/18(水) 09:38:04 ID:PU21Twb3
>>556
>幸か不幸かリアルな私の周りにはそう言う感じの人が多いのよね。
浮世には「卑下慢教義」やその信奉者が散在してますが、私の場合などは菩堤寺などとの
日常の交際も徹底して世俗的・事務的なものに留め、檀家としての佛事等の行事もいわば
「伝統芸能」として行い、いかなる思想的介入も峻拒するスタンスですので気楽なものです。
564名無しさん@3周年:2005/05/18(水) 11:29:56 ID:jeqdw2T3
>>562
> > 阿呆陀羅經さんは、「信解」をどういった意味で使われているのですか?
> 知的論理的理解を前提とした確信と捉えております。
「信解」は、解脱涅槃に到る途中の段階を指すと考えてよろしいですか?
私は、「汚れなき真理を見る目を得た。」後に
更にその真理に従った修行を行うことで解脱涅槃を得るのだと考えています。

> あくまで希望者への出家授戒です。要請はしておりません。
強制はしていませんが、積極的に勧誘はしていますよね?

>>555
> >「出離の功徳」を説く理由が無いじゃないですか。
> 出離=出家であると解釈しても四諦などの「本真の法」が説かれるのはその後ですし、それを信解しても
> 別段出家が要請されるわけではありません。上記の文献をよく読んでみてください。

まるで、世尊は、凄腕の芸能スカウトのようではありませんか?

街でみかけた見込みのある若者に声を掛け、
その気にさせ、
父親や家族への説得も見事にやってのけております。
565阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/18(水) 11:49:14 ID:PU21Twb3
>>564

> 「信解」は、解脱涅槃に到る途中の段階を指すと考えてよろしいですか?
> 私は、「汚れなき真理を見る目を得た。」後に
これは「見道」といわれ、信解を前提として起こります。 出家するかどうかは各個人の判断選択に
よるのが大前提となっています。「原始佛教=出家至上主義」という思弁執著を捨象して資料に当
たった方がいいですよ。「大乘佛教=在家主義」という思弁執着も同様ですが。

> 強制はしていませんが、積極的に勧誘はしていますよね?
ブッダは「道を示すのみ」で教法の説示は「勧誘」には当たりません。もとより去来自由です。
件の『律藏・大品』なら↓で読めますから、説法の論法も含めて精読考究下さい。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31202006
566名無しさん@3周年:2005/05/18(水) 12:38:17 ID:jeqdw2T3
>>565
> > 私は、「汚れなき真理を見る目を得た。」後に
> これは「見道」といわれ、信解を前提として起こります。
解説ありがとうございます。

『解脱涅槃のためには出家するのが一般的であり、
在家で解脱涅槃するのは非常に稀である。』という命題を
提示しただけで、
> 「原始佛教=出家至上主義」という思弁執著
と言われるのは不本意ですね。

> ブッダは「道を示すのみ」で教法の説示は「勧誘」には当たりません。
「出家すれば、こんないいことがあるよ。あんないいこともあるよ。」
というのは、「出家の勧誘」には当たらない
「教法の説示」であるということですね?

> 件の『律藏・大品』なら↓で読めますから、説法の論法も含めて精読考究下さい。
> http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31202006
うっ。

釈尊をいかに観るか
出版社名 : 山喜房佛書林 (ISBN:4-7963-0138-0)
発行年月 : 2003年09月
価格 : 8,925円(税込)

高いよー(涙)
567阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/18(水) 12:51:25 ID:PU21Twb3
>>566
> >>565

> 『解脱涅槃のためには出家するのが一般的であり、
> 在家で解脱涅槃するのは非常に稀である。』という命題を
> 提示しただけで、
> > 「原始佛教=出家至上主義」という思弁執著
> と言われるのは不本意ですね。
上述の「命題」を原始佛教思想全体にトレースは出来ないということです。
> > ブッダは「道を示すのみ」で教法の説示は「勧誘」には当たりません。
> 「出家すれば、こんないいことがあるよ。あんないいこともあるよ。」
「出家の功徳」の説示と解脱涅槃の充分条件乃至必要条件とは立て分けて考察する必要があるとい
うことです。

> > 件の『律藏・大品』なら↓で読めますから、説法の論法も含めて精読考究下さい。
> > http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31202006
> うっ。
>
> 釈尊をいかに観るか
> 出版社名 : 山喜房佛書林 (ISBN:4-7963-0138-0)
> 発行年月 : 2003年09月
> 価格 : 8,925円(税込)
>
> 高いよー(涙)
そこそこの規模の図書館なら置いていると思いますし、なければ購入を要望しても良いのでは?
568名無しさん@3周年:2005/05/18(水) 23:22:58 ID:RgARjnj8
>> 要するに、『解脱涅槃のためには出家するのが一般的であり、
>> 在家で解脱涅槃するのは非常に稀である。』ということはいえないでしょうか?
>どう身を処するかは各人の選択に委ねられています。

「人はわがものであると執着したものの為に悲しむ。
所有しているものは常住ではないからである。
この世のものは、ただ変滅するものであると見て
在家に留まっていてはならない。」   (スッタニパータ805)

とありますが、誰に向かって言ったか分かりません。

梵天勧請の時に、世間には、その眼のけがれが少なくものは
説法によって、悟りを得る事が出来るだろうと述べています。
その人の置かれている環境についての条件などありません。
空を逆手に取った功徳システムが大きいかと思います。
569名無しさん@3周年:2005/05/19(木) 01:30:45 ID:Ji/4l8r0
>>560
そうやって捨て台詞を吐かずにはおれないご自分の未熟を省みる機会程度に思ってくださればそれで結構ですよ。
おかげでスレが消耗するだろうが、この大馬鹿者!!
570名無しさん@3周年:2005/05/19(木) 06:42:28 ID:GKqWh0i9
>>567
阿呆陀羅經さん、おはようございます。

> 「出家の功徳」の説示と解脱涅槃の充分条件乃至必要条件とは
> 立て分けて考察する必要があるということです。
了解です。
ちょっと話がわき道にそれていましたね。
もとにもどしましょう。

さて、
> 464 :名無しさん@3周年:2005/05/13(金) 12:42:02 ID:Y1q51eBu
> >>462 :電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k :2005/05/13(金) 11:00:37 ID:3WiO84pK
> > さて、このように苦を離れ解脱を求める人たちに対して、生存苦からの開放を望む修行者
> > 以外の人が教えを請いに来ます。この時点で宗教的な要素が発生するのです。
> なんか、飛躍がありませんか?
> なぜ、宗教的な要素が発生するのかが不明確です。
が、発端だったわけです。
まず、確認です。諸法無我の仏教にとって、
・生天の法
・四向四果
というのは、非仏教的であり、宗教的な要素といえるのではないでしょうか?
571阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/19(木) 08:02:32 ID:WA4GJu5p
>>568
> 誰に向かって言ったか分かりません。
九分乃至十二分教には、「ウダーナ(憂陀那)」もしくは「無問自説」や「感興偈」という形式があり、誰に説くでもなく
述べられたというものが多くあります。原始佛典の古層とされるものにはこの類が多いとされています。
例:『ウダーナヴァルガ』
> 空を逆手に取った功徳システムが大きいかと思います。
この言明には論証根拠がみられず、それこそ論理の飛躍でしょう。
>569
いつまでも、そうやって毎日おのれの癡愚・能無し加減を衆人の眼に晒しておけ。
>>570
>非仏教的であり、宗教的な要素といえるのではないでしょうか?
>>462で述べられる、いわゆる「better論」でしょう。
572阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/19(木) 10:04:46 ID:yqHHA8bf
>>568
追記
「マールンクヤ・ブッダ(原文ママ)って、だれなのよ?」
http://homepage1.nifty.com/manikana/logos/kakologos14.html
ブッダが教説を説く論法について、非常に興味深い考察がなされています。
573阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/19(木) 10:30:53 ID:yqHHA8bf
>>570
「四向四果」については各人の修道階梯を確認するための基準であり、畢竟自覚の
問題です。
574阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/19(木) 12:09:50 ID:yqHHA8bf
>>570
不審な点が・・・。
なぜ生天と四向四果が諸法無我に抵触したり非佛教的であるの」か、その理由が述べられていません。
575名無しさん@3周年:2005/05/19(木) 12:35:49 ID:WR1tJ/0h
>> 574
> 不審な点が・・・。
> なぜ生天と四向四果が諸法無我に抵触したり非佛教的であるの」か、その理由が述べられていません。
つっこみ、ありがとうございます。
私は以下の考えを支持します。

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_3.html
> (6)中道の思想
> ブッダは「死後にも魂のようなものとして自我が永遠に生残る」という宗教の独断も、
> 「死後は自我は生残らない」という唯物論者の独断も、どちらも沈黙をもって否定しました。
> このような二つの独断的見解をそれぞれ「常見」「断見」と言います。
> そして、そのどちらにも与しないブッダの沈黙の立場を「中道」と呼びました。

したがって、天生という「常見」を前提とするものは、方便、もしくは、捏造と考えます。
「常見」は、アートマンを前提とし、諸法無我と矛盾するので非佛教的と考えます。

>>573
> 「四向四果」については各人の修道階梯を確認するための基準であり、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%90%91%E5%9B%9B%E6%9E%9C
預流とは聖者の流れに入ることで、最大7回欲界の人と天の間を生れかわれば悟りを開く位。
一来とは1回人と天の間を往来して悟りに至る位。
不還は欲界には再び還らず色界に上って悟りに至る位。
阿羅漢は今生の終りに悟り涅槃(ねはん)に至り再び三界には生れない位をいう。

このことだと早合点し、これは「人と天の間を生れかわり」という「常見」を前提としているので
非佛教的と考えました。
576名無しさん@3周年:2005/05/19(木) 12:36:38 ID:WR1tJ/0h
しかし、以下の考え方だと、問題ないようにも思えます。

http://www.shomonji.or.jp/chosho1.htm
第十三章 羅漢道と菩薩道
第一預流向に於て、身見、疑、戒禁取の三結を除いて初果に入り、
次にこれ等三結を除くの外、貪、瞋、癡の三毒を薄くして第二果に入る。
それから有身見、疑、戒禁取、欲界繋の貪及び瞋恚の五下分結といふものを斷じ盡して第三果に入り、
最後には貪瞋癡の三毒は勿論のこと、煩惱といふ煩惱をば總て斷じ盡し
『現法中に於て自ら知り、自ら覺り、自ら作證し、成就して遊ぶ。生已に盡き、梵行已に立ち、所作已に辯じ、
更に有を受けず、如眞を知る。』
これが第四果即ち阿羅漢果に達した人たちの境界で、斯うなると佛道修行の目的は完全に果されたといふことになる。
これを梵行者の階梯と呼ぶが、この八級の階梯を經て羅漢果を獲ようとするには、
在家の生活を營んで居てはこれを果すことが出來ない。それにはやはり出家生活を營むの必要がある。
577阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/19(木) 12:51:06 ID:yqHHA8bf
>>575
生天や四向四果を「常見」を前提としたものと捉えること自体が誤解の始まりです。これらは
別段生物学的生死を前提しなくても説明可能なものです。三界と九次第定との対応関係など
を見直して下さい。これが理解できると別議論が生じるかもしれませんが、それはこのスレッド
には不向きな議論かもしれません。
578阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/19(木) 12:58:06 ID:yqHHA8bf
>>576
に引用された文で更に引用されている經文を以って出家主義の証左とするのは不適切です。原始佛典の
各層には、四向四果の階梯が出家在家を問わず散見されます。尤もこれは確立された教団権威乃至は各
部派教義の許容範囲内に収まるように慎重に編集されてはいますが。
579阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A :2005/05/19(木) 13:17:05 ID:yqHHA8bf
諸部派が教団権威の確立を意図し、アビダルマなど教義の整備が推進される過程でブッダの神格化超人化や出家主義の
教条化などが為されます。

580阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A
>>575
同じHPからの引用です。
http://www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism12.html
3)出家論
出家と在家の問題は、歴史的問題であって、仏教の本質に属する問題ではないだろうと思います。縁起論や四諦論を仏教の本質
と考えると、そこから、出家の必然性を、論理的に、直接導き出すことはできないからです。実践仏教(つまり、人の悲苦には原因
があり、その原因を見極め、それを取り除く具体的な行動)の一つのアプリケーションとして、出家をする人々がいる、ということだろ
うと思います。