【討論】聖句の解釈をマターリ語るスレ2【議論】

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815名無しさん@3周年:2005/04/11(月) 12:51:25 ID:RPmQDIe9
理由が幾つもあるよね

理由の一つとして
この出来事がイスカリオテのユダの裏切りの動機の種となったと考えられる。
816ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/04/11(月) 22:00:35 ID:Oz5x5qfW
>>812
基本的には>>814の方が言われる様に、受難が迫っている
事を弟子達が理解していない中で、女性がイエスのそれを
敏感に察知したと言う事だと思います。マルコは弟子達の
無理解さと、むしろ女性達が本当の弟子ではないかと言い
たいんだと思います。
817ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/11(月) 22:34:13 ID:mtRJwQbn
>>811

>キリスト教信者の中には聖書の各書をきちんと読まず、自己関心から
>他書を勝手に結合して読み人がいるが、聖書的根拠のない読み方と
>いわざるえない。
>まあダニエルっちはカトリックなんだろうから、「伝承」を弁護したい
>のかもだが。。。

そうではないと思います。
もし、あなたが書いていることが正しいとすれば、
イエスに香油をかけた女が何人もいることになって
しまうのです。そして、その度に弟子が「貧しい人に
施せばよかったのだ」と、同様に同じセリフをしゃべった
ことになってしまいます。

細部において、異なる部分があるのは、そこに何かの
意味があって、そうなっていると解釈するのが良いと
僕は思います。
818ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/11(月) 22:46:40 ID:mtRJwQbn
>>811 さんへ

>マルコ、マタイでは、香油を塗ったのは、
>ベタニアの「シモン家」で、「一人の女」。

そのことについて、わたしは一言も書いていません。
あなたが勝手に勘違いして書いてきただけなのです。

また、あなたの今回の書き込み内容は事実と異なっています。
マルコ書とマタイ書では、香油はイエスの頭に注いでいます。

ですから、僕が書いたルカ書とヨハネ書に出てくるマリアと
一緒にしてはいけないと思います。

ルカ書とヨハネ書に出てくるマリアは、香油を足にぬったのです。

この二種類の記述をごちゃまぜにしたのは、あなたの方なのです。
わたしは、最初からマリアについて書いているのですから。
819ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/11(月) 22:52:22 ID:mtRJwQbn
>>812 迷いの歌うたい さんへ。

聖書には次のように書かれています。

マタイ26:12
この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、
わたしの葬りの用意をするためである。

ですから、この女は、イエスがこれからどのようなことに
なるのかを予見していた、ということになるのです。

イエスの葬りのために、香油を体に塗ったのですから。

弟子たちは、その時に、まだそんなことは少しもわかって
いなかったのですから、この女がいかにイエスを愛していたか、
いかに、イエスのことを知っていたかがわかると思います。
820名無しさん@3周年:2005/04/11(月) 23:07:24 ID:2k7ja0Ad
まるほど
ユダヤ系が   頭で
非ユダヤ系が 足なんだね

ルカは マルコを 知っていたはずなのに
なぜ 頭を 足に 変えたのかな?

やっぱり 油そそがれた者 に関係あるのかな?
821==妄 想 ==:2005/04/11(月) 23:31:19 ID:/ldJvMdu
マタイ・マルコは
パリサイ派的な 軍事的メシア でもなく

サドカイ派的な 政治的メシア でもなく
エッセネ派的な ダビデ系のサドク家出身の祭司的メシアでもなく

キリスト教(ナザレ派?)的な 十字架上で死んで復活するメシア
を 意識しているんだろうけど、 ルカは 解らないね。

ひょっとすると 頭 と 足 の二資料が ルカの 手元にあった
のかな。 
足資料を採用した理由は ローマに イエス・キリストが
軍事的メシアと 誤解されるのを 恐れたからかな。

822名無しさん@3周年:2005/04/11(月) 23:38:11 ID:0gOCPtep
彼女には葬りの知恵があって油を注いだのだろうか。
だとしたら只者ではない。
また、意味も知らず油を注ぐこともないだろう。

油を注いだことは聖霊の働きがあったとしか思えないな。
イエス様自身が聖霊であるから直接計画を明かされた可能性もある。
はたしてイエス様に「特別な存在」がありえるだろうか。
823ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/04/11(月) 23:46:00 ID:Oz5x5qfW
わはははは!
ヨハネ11/2
このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。

と書いてありながら、ヨハネ福音書にはこの記事がないんですねぇ...
意味解りますか?
ヨハネ福音書の編者は、読者がルカ福音書の7/26−50の記事を
読んでる事を前提に書いてルンですねぇ...
おそらくヨハネ福音書の教会の中で、ルカ福音書の「罪の女」が誰か
問題になったんだよ...それでいろいろ論議が出てきて、これをマ
リアにしようと決めたんだよ...済みませんある学者の受け売りです。
あはははははは!

824名無しさん@3周年:2005/04/11(月) 23:52:40 ID:0gOCPtep
鈍いながらも従順に信仰を持ち、自分なりに考えて判断し注いだのか。
十字架の死を運命として受け取っていたのだろうか。
微かな信仰が、かねて主より聞いていた復活への期待となって、墓のそばにいたのだろうか。
825ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/11(月) 23:57:23 ID:mtRJwQbn
>>823

何言ってるの?ちゃんとヨハネ書にも書いてあるよ。


ヨハネ福12:3
その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、
イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。
すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
826ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/04/12(火) 00:00:19 ID:Oz5x5qfW
>>822
そう取るのかねぇ...イエスが死ぬ事を覚悟してエルサレム
に来てる。弟子達はノー天気でそんな事は全く考えてない。
女性はイエスのただならぬ表情を見て、(この人は死ぬ為に
来てるんだ、今夜は最後の晩餐なのだ)と思ったのでしょう。

この女性がイエスの気持ちを読みとっただけの事だよ...
827== 妄 想 ==:2005/04/12(火) 00:02:55 ID:mlVB9gbL
ヨハネ福音書は 福音書内の時間の進行が 滅茶苦茶だからね。
編集途中で未完の福音書だ とする学者もいるくらいだからね。
828ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/04/12(火) 00:04:21 ID:jMzRhRw8
>>825
前後が逆だろうが、11/3で説明しておいて
12/3でこの女なんて書く馬鹿編者はいないよ
829ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/12(火) 00:07:10 ID:dbDDojFC
>>828

へんな言い訳をしないで、自分の間違いを素直に認めなさい。
830名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 00:11:51 ID:d27JJFIK
分かったから、ココモちゃん、おとなしくしてなさい
でないと、おともだちにキライキライされちゃいますよ
831ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/12(火) 00:26:43 ID:dbDDojFC
こんだけ宗教板にスレッドが立っているのだが、
「聖句」という言葉が入っているスレッドはここだけなのだ。

だから、ここは聖句について語り合う唯一の場と言っても
過言ではにゃいのだ。(●`□´ ●#)ダニエル談
832ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/04/12(火) 00:32:25 ID:jMzRhRw8
そんなことに構っておれないので....その辺の説明も
あの資料に書かれてます...
俺はマジに「罪の女」がどういう職業の人だったのか
調べてるよ....今のところ「異教の神殿娼婦」説ですがね
研究してる人がいたら教えてください。
ユダヤ教徒からは「罪の女」と言われたんでしょうね...
神殿娼婦と通常の娼婦が違う事は、ご存じの方が多いと思います。
創世記38章でオナンの親父のユダが、自分の息子達の嫁が
神殿娼婦に化けて、その息子達の嫁と***して、その嫁が息子達
の異母兄弟を産む話があるんだけど...この「罪深い女」
はユダヤ教と敵対関係の教団の神殿娼婦だとすると、この記事の
中でわりと整合性が出てくるんだな...マグダラ・マリア
と同一人物だなんて言ってる化石連中はそれなりに対応しとくけど
>>827
11−12章は一連の(同じ編者)ものと考えて良いと思うよ
833名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 00:33:21 ID:9nv8+afZ
>>823
あははははっ(と真似して見る)
どこの学者の受け売りか知らんが、
パリサイ人の家での香油を塗った罪の女と、
ベタニアのラザロの家で香油を塗った婦人と混合してはならないと
多くの聖書学者が言っているという注釈があルンよ。
834ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/04/12(火) 00:48:39 ID:jMzRhRw8
あははははは
ちょっと雑知識ね
イエスが受難の前に頭からかけて貰った香油は
最高級品で、300デナリは今の貨幣価値で200−300万円
余程の事がないと使えない物でしょうね。
「罪の女」が塗った香油は、多分普及品でしょうね。
記事の書いてある場面を見ないとアカンよね
835名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 00:53:46 ID:d27JJFIK
ココモちゃんは、花輪君と判明
だれか、ヒデジイ呼んできて。
836ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/12(火) 01:20:31 ID:dbDDojFC
ココモはかわいいやつよのお。
837名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 01:38:09 ID:9nv8+afZ
>>834
あははははっ(また真似して見る)
普及品?
そんなものあったっけ?
俺が知る限りでは、当時の香油は値段が高い貴重品だが?
838迷いのうたうたい:2005/04/12(火) 02:11:04 ID:GZqfVM+B
みなさんありがとうございました。
聖書というのはなるほど前後をしっかり読んでいかなくてはいけないですね。
まぁ、ただその前後の中でイエス様のこれから行おうとする、迎えようとする
事柄に気付かずに『なんでイエス様はこんな事を言うんだろう。いつもなら「こう」なのに』と
困惑してしまう弟子達の気持ちのほうを強く感じてことの本質に気付かず
まさにエスカリオテのユダ状態で読み進めていたんだなぁと思いました。

きっと求道していくうちにこれらの疑問は本当に初心者もいいところの
「信仰ないものは最初そういう読み方するだろうね」的な捕らえ方ではなくなるのでしょうね。

また、会社の子と聖書の話する機会があったら話してみます。
ありがとうございました。
839名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 07:13:16 ID:C4X1e9hV
>>817
>イエスに香油をかけた女が何人もいることになってしまうのです

単純にそうはならんよ。
朝日新聞 毎日、読売、日経と、四紙あり、同事実について、それぞれ
報道したとして、「起こった事実」は一つだが、それぞれの新聞が
微妙に違った表現というのは起こりうる。
置くポイントが違ったりとかね。


>細部において、異なる部分があるのは、そこに何かの
>意味があって、そうなっていると解釈するのが良いと
>僕は思います。

それならば、余計にルカとヨハネを結びつけるのはおかしい。
@ルカだけが三書と違う文脈におかれている。
「葬りの日」のための香油ではない。
Aヨハネだけが「ラザロ」家での出来事と書いている。
ラザロ家のマリア いわゆるベタニアのマリアが「罪の女」とは
聖書の何処にも書かれていない。

あなたは違う文脈におかれた話を「足に香油を注いだ」だけに注目し、
いっしょの人と勝手に見做しているだけですね。
私にはあなたが「細部の異なり」をしっかり確かめ、その違いから
意味を見出そうとしているようには思えないですね
840名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 09:16:35 ID:ASDqGEhN
当時は、香油を用いて大切な客人をもてなす習慣があった。
大切な方のために金を惜しまず最大のもてなしをしたかったのだろう。
彼女は香油を景気よく使った。それに弟子達は文句を言ったが女は反論できていなかった。
弟子達の意見を、貧しい人に施しをする戒めとして理解できていて、困っていた。
自分は良いことと思ってしたが、指摘され、(深く)思わずしてしてしまった事に動揺していた。

マタイ26:10 なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。
彼女は支持され安心したことでしょう。そのところが・・・

マタイ26:12 この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。
共に驚いたはず。
841ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/12(火) 09:33:06 ID:IzCfwZkh
>>839

>あなたは違う文脈におかれた話を「足に香油を注いだ」だけに注目し、
>いっしょの人と勝手に見做しているだけですね。

そのとおりです。
イエスの足に口付けをして
香油をぬった女がふたりもいたとは
自分には思えないです。

ですから、ひとつの出来事を
別の記述者が、それぞれの視点から
描いている、と考えるのが妥当だと
思います。
842名無しさん@3周年:2005/04/12(火) 16:56:21 ID:pYNXii8v
>それならば、余計にルカとヨハネを結びつけるのはおかしい。
禿胴。
ルカとヨハネじゃあ、ほとんど共通点なんかないね。
ルカとヨハネを結びつけるのは、牽強付会つうやつやね。

<ルカ>
○時:エルサレムへ向う以前
○場所:ガリラヤ地方
○シチュエイション:ファリサイ派シモンの家での宴会時
○主人公:罪深い女
○行為:涙をイエスの足を濡らし→髪で拭い→香油を足に塗る
○イエスの反応:女の罪の赦し

<ヨハネ>
○時:エルサレム入城直前
○場所:エルサレム近郊
○シチュエイション:マルタとマリアの家?での宴会時
○主人公:マリア
○行為:香油をイエスの足に塗り→髪で拭う
○イエスの反応:香油の意味の解き明かし
843== 妄 想 ==:2005/04/12(火) 20:09:14 ID:2R1hhEu6
ルカ7.36-50 の面白い 解釈をみつけた。

「彼女が 泣きながら 肌を露に し始めるなら(この文化では
髪をおろすことがそれにあたる) 猥藝にもなる。
それはどぎつい デモンストレーションだ。しかしなんの
デモンストレーションなのか。」 中略 

「彼女が 恥ずかしい 行いをするのは 恥ずかしい 
思いをさせる為であり 彼女の行為の目的は イエスを
褒め称える事ではなく シモンに 恥辱を与え その面目を
潰す事だというのである。」

「イエスの構想に よると 殉教は 戦場での英雄主義の 変形ではなく
娼婦でさえし ようとすれば出来る 苦悩のデモンストレーション である

どんな 屈辱をうけている 犠牲者も 自分の受けている 屈辱を なん
とかして ひとつの言葉の形式に したてれば たんなる犠牲者から
殉教者に 変わる事ができる。」
844PLF ◆hnoPLFOQ7M :2005/04/13(水) 10:39:31 ID:F1nSPnC0
ダニエル氏に質問がございます。なにとぞ、ご意見またはご教示たまわれれば幸いに存じます。
私は「回復訳」聖書の愛読者なのですが、その脚注を読んでいて、分からない部分がありました。
それは「キリストと共にいること」と「キリストを生きること」の違いです。
引用いたします。
>本文「なぜなら、わたしにとって生きることはキリストであり、死ぬことは益であるからです。」(ピリピ1:21)
>脚注「(中略)ここの「益」はさらに高い程度でキリストと共にいることを言います。
>しかし、神の永遠の目的を成就することで、キリストと共にいることと、
>キリストのからだのためにキリストを生きることとは、比較することが出来ません。
>ですからパウロは、キリストを生きることを選んだのです。」
私の霊の賜物では、この脚注すら理解に苦しみます。なにとぞ、ご意見またはご教示の程、
よろしくお願い致します。
845名無しさん@3周年:2005/04/13(水) 17:51:34 ID:MnxCjZpg
引用が沢山いりそうな予感
846グータラのマリア:2005/04/13(水) 19:10:58 ID:+MXXQDw6
マリアがイエスに香油を塗った時、イエスの一物に触れ、それでイエスが興奮、発情し、
マリアと交わり、それで、マリアが妊娠した。
その後、イエスはこれを恥じ、これをマリアが誘惑したせいにして、マリアを罪の女にして、マリアに罪をなすりつけた。
という伝説がまことしなやかに語られている。
という話がありますが、本当ですか?
847ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/13(水) 22:27:22 ID:IcsV57Qv
>>844

>私の霊の賜物では、この脚注すら理解に苦しみます。
>なにとぞ、ご意見またはご教示の程、 よろしくお願い致します。


わたしも、その脚注の意味が、さっぱりわかりません。
その脚注を書いた本人も、自分でも何を言っているのか
わかってないかもしれないです。

世の聖書の注解とは、ほとんどがそんな感じです。
848ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/13(水) 22:32:38 ID:IcsV57Qv
PLFさんが疑問に感じておられる
ピリピ1:21の聖句を知るために、その直後に
書かれている聖句を確認していきましょう。

ピリピ 1:22
しかし、肉体において生きていることが、
わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、
どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。
わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。
わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、
実は、その方がはるかに望ましい。

849ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/13(水) 22:40:23 ID:IcsV57Qv
この文章を書いた人物の気持ちは、
「自分は、もう死んでこの世を去りたい
という気持ちなのでしょう。

なぜなら、肉体的に、この世を去っても、それが永遠の死ではなく
イエスとともに生きることになるのだ、と、この聖句の記述者は
信じているのだろうからです。

しかし、神が、自分にはまだこの世でイエスを伝える働き人と
して使ってくださるなら、それもまた嬉しいことである、と
記述者は思っているのだと思います。


850ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/13(水) 22:46:41 ID:IcsV57Qv
>「なぜなら、わたしにとって生きることはキリストであり、
  死ぬことは益であるからです。」(ピリピ1:21)


この場合のキリストとは、本来の意味のキリスト、つまり
「救い主」、あるいは「神の経綸(ご計画)」のことを
言っているのでしょう。

記述者が、生きてイエスを伝えることは「神の計画」であり
「神のご意志」であり、「メシア」としての働きなのです。

旧約には、イエス・キリスト以外にも「メシア」(油注がれた者)と
よばれている人がいますが、この記述者も、ですから「メシア」と
言っても差し支えないと思います。
もちろん、記述者がイエス・キリストだ、という意味ではありませんよ。

死んで、この世を去ることは記述者にとっては益であり喜ばしいことですが、
しかし「神の働き人」として、自分がまだまだ働くことは、それはそれで
尊いことだ、ということです。
851ダニエル ◆o31oshrvYE :2005/04/13(水) 22:52:08 ID:IcsV57Qv
ひさしぶりに聖句を解説して、気分がいいですなあ。
質問でも疑問でも問いかけでも、自分はこう感じた、とかでも
いいんで、どんどん書いてね〜♪ p(*^-^*)q えへ。
852ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/04/13(水) 23:45:58 ID:hQbCSkbC
香油の女
わはははは!
元のシナリオはマルコでしょうね....
僕は原マルコと言ってるけど、マタイは概ねマルコと同じダネ
マタイ(マルコ)でいけば、過越祭の前日でしょ...最後の
晩餐の前だよ、まさにこれから受難を迎えるイエスの為の
セレモニーだね...それがマタイは少し補足的な修正で
ルカは大幅変更、ヨハネはネタだけ使わせて貰った...
これは福音書全般で言えルンだな....ヨハネなんか
はユダの不正着服の話を書いてるよ....みんな自分達が
書きたいように書いただけさ...あはははははは

ネエねえ、「罪深い女」の「罪」ってどういう罪なんでしょう
僕はそれをマジで調べてルンだけど...
853名無しさん@3周年:2005/04/14(木) 00:49:24 ID:77821cfv
あっ、ココモちゃんだ!
ここもこもこここもここ♪
854名無しさん@3周年:2005/04/14(木) 16:14:48 ID:xxroVJYc
回復訳聖書って、ウォッチマンによる註解がかかれてるの?
855名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 00:54:02 ID:/kLZNPJj
当時の罪深いって何でしょうね。「姦淫の女」と書かれていたり、「罪深い女」だったり。
十戒やモーセの規定を守っていないこと?かな。
貧乏で金銭やものをくすねてた、とか?

「罪」自身はココモちゃんも知ってると思うけど「ハマルティア=的外れ」
神様から逸れた道を歩んでるってことだろうけど…
当時はやっぱり「モーセの律法を破っている」という意味で使われたんだろうか。
856名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 01:41:09 ID:N+Nz9Md7
「罪深い女」は なぜ泣いているのか?
「罪深い女」は イエスと初対面なのか?

「足に接吻して香油をぬる」とは 何を意味するのか?
「涙で足をぬらした」のは 偶然のなのか 故意なのか?

「自分の髪の毛でぬぐい」だから その髪は結んで束ねてはいない
とすれば いつ髪を解いたのか?

「この人が 預言者ならこの人がだれで どんな人だか 解るはずだ」
なぜ 普通の人では解らないのか?

>民数記 5:18  祭司はそれから、女を主の御前に立たせ、その髪をほどき、
>申命記 21:12  自分の家に連れて行きなさい。彼女は髪を下ろし、つめを切り、
「髪をほどき」「髪を下ろし」とは 何を意味するのか?

>2列王記 9:30 (後半)イゼベルはそれを聞いて、目に化粧をし、髪を結い、窓から見下ろしていた。
イゼベルは なぜ「髪を結い」外を見たのか?

女が髪を結っていない状態とは 何を意味するのか?
857名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 06:58:18 ID:ALuBzMp4
(0ω0)おぉ、そこに、光があったのか
858名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 11:30:27 ID:Hu4BNoIM
栗林光夫『荊冠の神学』(新教出版社)231〜296pに、イエス時代の罪人の概念
についての解説があるから、読んでみたら?

イエス時代の罪人の意味は、人間誰も罪人であると言う場合の罪人のことでもないし、
律法の無知ゆえに起こしてしまった事態という意味でもないという。
イエス時代の罪人というのは、社会学的に定義づけられるべき概念であって、
売春婦や取税人以外にも、砂漠の民、河や海の民、遊牧の民、神殿に関与する下級の民、
マイナーな商工業者、血や汚物に関わる民も「罪人」のカテゴリーに入れられていたという。

ルカの「罪深い女」についてだけど、売春婦かあるいは姦淫を犯した女だろうけど、
姦淫の罪を犯した女もパレスチナの多くの地方では強制売春させられたというから、
やはり売春婦のことなんだろうね。

なお、L.ショットロフ/W.シュテーゲマン『ナザレのイエス』(日本基督教団出版局)にも
イエス時代の罪人や売春婦の概念の説明があるから読んでみたら?
ちなみに同書では、ルカの「罪深い女」は高級売春婦であるが、これを「罪深い女」と表現したのは
ルカの神学であって、ルカ以前の最古のイエス運動の段階に由来する表現ではないと分析している。
859名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 17:17:33 ID:RlS9rkRQ
やはり異教の神殿娼婦じゃないかなぁ...
860名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 18:54:20 ID:pX3rKcE1
駐留するローマ軍の将校を相手にする高級売春婦。
861ココモスキー ◆VAutiIin4w :2005/04/16(土) 22:55:21 ID:64/utewO
皆さんいろいろありがとうございます。
神殿娼婦にしても高級売春婦にしても、一般のキリスト教徒が描いてる
売春婦とはだいぶ違うものじゃないかと思います。ここをごっちゃに
(下手すると姦淫も混同してる御仁がいる)考えても何も解らない
と思います。
神殿娼婦...神事として身を開く巫女
高級売春婦..大金持など相手にする売春婦で、知識と教養が必要と
       された...昔の日本の遊郭で言う「大夫」...
ただの娼婦..生活の為に不特定多数の男と***する女
以上は全部職業です。旧約にも新約にも娼婦が出てきますが
それぞれ違う立場の物で、別々に考えないとイカンと思います。
ユダヤ教は、神殿娼婦を毛嫌いしていた様で(申命記23/18)
律法で禁止されていた様です。

姦淫を犯す..配偶者以外の相手と***する事..職業ではない
       誰にも起こりえる罪の1つです。
862名無しさん@3周年:2005/04/16(土) 23:14:25 ID:ZW5QssP+
>>861
立派な答えですね。
863名無しさん@3周年:2005/04/17(日) 02:35:43 ID:kxUVYn9z
ここもちゃんも、なかなかやるじゃない
864名無しさん@3周年
神殿娼婦といえば預言者ホセアの妻。
ホセア 3: 1
主は私に仰せられた。
「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、
干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。」

仮にイエス様が妻にするならば、このような女のはず。