602 :
アゴン・アルビンドX 27号:
のぞみさんと仲良しですが、今回 私自身の意見を言わせてもらいますね
>本は、一般流通させたら、様々な解釈される当然のこと、行者は気がつかないみたぃ。
確かにそのとおりです。一理あります。
>566 :希美(のぞみ)
>ヨガと、宗教、内観の関わりも、関心ありますね。
>禁戒、勧戒をある程度、実践出来るようになってから、連絡をしてみたいです。
>549 :行者 :2005/03/27(日) 16:18:32 ID:xck/bgWV
>ラージャヨーガの立場では禁戒や勧戒を実践していきながら座法や瞑想なども行じていかなくてはならないんですよ。
>そうすることで禁戒、勧戒もより深いものになる。
私も1回だけ木村先生の講義に参加させていただいたことがあるのですが、理解が間違ってたら、行者さん、ごめんなさい。
たしか禁戒に関する内観の教えがあったような気がします。
つまり禁戒を、単にやってはいけないルールとしてでなく、
プラティヤハラ・ダラーナという大袈裟な瞑想ではないけど初歩的瞑想で学んでいくというお話だったような気がします。
今回は行者さんの意見を支持します。理由は私はアゴン宗やってます。
大乗の「六波羅蜜(ろくはらみつ)布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」 が取り入れられています。
信者の1人1人の心癖によって、特にあなたは六つのうち、例えば”忍辱”を重視するようにという指導がありますが、
宗教の信者さんの場合、「”禅定、智慧”は関係なく”忍辱”を守ればいいのだな!」となりがちです。
しかし私思うに仏教は瞑想あってこそだし、瞑想の体勢=肩の力抜き、肛門閉め、丹田に気を落とす これを瞑想以外にも応用し、
”忍辱”に反しそうなとき、その体勢を取り、こらえる。感情を理性で抑えるのでなく、体勢に集中し、感情を無視するよう努力する。
アゴン宗は普通の宗教になってしまっていて、いつも残念に思っていて、それ故、今回の禁戒に関しては行者さんの意見に自分は近いです