■危険!秋田の霊が精神病の種をまいている■

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97小林徹也

私は1997年2月11日、秋田の聖体奉仕会での奉仕を終え、実家に一度戻る為に
関東に入った。帰宅途中、群馬県邑楽郡大泉町の日系ブラジル人の多く住む一帯を
通り、町の中にある聖体の宣教クララ会のミサに与った。

この大泉町は、太田市の富士重工の工場から近く、この富士重工の工場は、戦時中は
中島飛行機といって、ゼロ戦などを製作し、軍需産業の基地であった。

私は、この大泉町で、現在まで継続する不思議な”攻撃”を受けた。
それは、聴覚に何らかの方法で”声を伝える”という方法で、私に心理的、思考的、身体的、社会的な圧力と操作、
誘導を加えようとするものであった。

”彼ら”は、”俺たちは柔のヤクザだ。これはおとしまえだ。”とささやきかけた。
それ以後、現在まで、この聴覚への攻撃は、止まることなく、一分も休むことが無い。

これは、どのような力だろうか?
超常能力としてのテレパシーであろうか?あるいは、何か特殊な通信機器を用いているのか?
特定の周波数で、このようなことが可能なのだろうか?

”彼ら”は、私の思考を絶えず呼んでいることもわかる。つまり、心の声も読んでいるのだ。
そして、雑音も増幅して聴覚に入れている。これほどの、人間の尊厳への侮辱があるだろうか。

トラピストで起きた異常な出来事の数々は、結局、私が退会せざるをえない状況になったが、
自宅に帰ってからの、日本の司教、司祭たちの異常で安易な対応は、あきらかに”彼ら”との何らかの
つながり、あるいは脅迫を感じさせた。

98小林徹也:05/03/18 10:32:59 ID:r3T17us3

私は1997年2月11日、秋田の聖体奉仕会での奉仕を終え、実家に一度戻る為に
関東に入った。帰宅途中、群馬県邑楽郡大泉町の日系ブラジル人の多く住む一帯を
通り、町の中にある聖体の宣教クララ会のミサに与った。

この大泉町は、太田市の富士重工の工場から近く、この富士重工の工場は、戦時中は
中島飛行機といって、ゼロ戦などを製作し、軍需産業の基地であった。

私は、この大泉町で、現在まで継続する不思議な”攻撃”を受けた。
それは、聴覚に何らかの方法で”声を伝える”という方法で、私に心理的、思考的、身体的、社会的な圧力と操作、
誘導を加えようとするものであった。

”彼ら”は、”俺たちは柔のヤクザだ。これはおとしまえだ。”とささやきかけた。
それ以後、現在まで、この聴覚への攻撃は、止まることなく、一分も休むことが無い。

これは、どのような力だろうか?
超常能力としてのテレパシーであろうか?あるいは、何か特殊な通信機器を用いているのか?
特定の周波数で、このようなことが可能なのだろうか?

”彼ら”は、私の思考を絶えず呼んでいることもわかる。つまり、心の声も読んでいるのだ。
そして、雑音も増幅して聴覚に入れている。これほどの、人間の尊厳への侮辱があるだろうか。

トラピストで起きた異常な出来事の数々は、結局、私が退会せざるをえない状況になったが、
自宅に帰ってからの、日本の司教、司祭たちの異常で安易な対応は、あきらかに”彼ら”との何らかの
つながり、あるいは脅迫を感じさせた。
99小林徹也:05/03/18 10:46:38 ID:r3T17us3

私は数人の司教を尋ねた。訪問したのは、東京教区の森司教、当時の浦和教区長・岡田武夫司教、
大阪の池長大司教、そして横浜の浜尾司教であった。
いずれも、私の報告への対応は違いがあったが、東京教区の森司教は、私に、ある一人の司祭に会うようにと勧めた。
森司教は、上石神井のイエズス会を訪問し、生熊神父と言う日本人司祭に会うようにと勧めた。

私は指示通り、上石神井を訪問し、生熊神父に会った。彼は、上石神井イエズス会黙想の家の指導司祭であった。

生熊神父は、森司教から聞いて私を待っており、「森司教から聞いている。」といい、自分から話し始めた。
彼は、自分のキャリアを懸命に話し出した。東京大学を出て、イエズス会に入り、六甲学園の校長もした、と言った。
そのようなことを話した後、私に対して「言わなくてもいいことは、言うな。」という意味の間接的な脅迫を行った。

私はその時、あまりにも軽い調子で言われたので、脅迫と気づかなかったが、話の内容を振り返ってみると、明らかに、自分のキャリアを話して圧迫した後、
私の口を開けないようにする為の誘導をした、と言える。

もし、生熊神父がそうしていない、と言うなら、それは偽証であり、彼は天国へ行くことはできない。

”汝、偽証するなかれ”は、十戒のおきてであり、キリスト教の根本的なルールである。

この一件は、同じイエズス会の聖霊刷新指導司祭・フランソワ・マシー神父(アメリカ人・上智大学名誉教授)に
1999年に報告しているが、マシー神父は、「生熊は悪魔か!」と言って笑っていた。

主イエスの御名によって真実の証しとして
100小林徹也:05/03/18 10:47:33 ID:r3T17us3


私は数人の司教を尋ねた。訪問したのは、東京教区の森司教、当時の浦和教区長・岡田武夫司教、
大阪の池長大司教、そして横浜の浜尾司教であった。
いずれも、私の報告への対応は違いがあったが、東京教区の森司教は、私に、ある一人の司祭に会うようにと勧めた。
森司教は、上石神井のイエズス会を訪問し、生熊神父と言う日本人司祭に会うようにと勧めた。

私は指示通り、上石神井を訪問し、生熊神父に会った。彼は、上石神井イエズス会黙想の家の指導司祭であった。

生熊神父は、森司教から聞いて私を待っており、「森司教から聞いている。」といい、自分から話し始めた。
彼は、自分のキャリアを懸命に話し出した。東京大学を出て、イエズス会に入り、六甲学園の校長もした、と言った。
そのようなことを話した後、私に対して「言わなくてもいいことは、言うな。」という意味の間接的な脅迫を行った。

私はその時、あまりにも軽い調子で言われたので、脅迫と気づかなかったが、話の内容を振り返ってみると、明らかに、
自分のキャリアを話して圧迫した後、私の口を開けないようにする為の誘導をした、と言える。

もし、生熊神父がそうしていない、と言うなら、それは偽証であり、彼は天国へ行くことはできない。

”汝、偽証するなかれ”は、十戒のおきてであり、キリスト教の根本的なルールである。

この一件は、同じイエズス会の聖霊刷新指導司祭・フランソワ・マシー神父(アメリカ人・上智大学名誉教授)に
1999年に報告しているが、マシー神父は、「生熊は悪魔か!」と言って笑っていた。

主イエスの御名によって真実の証しとして
101名無しさん@3周年:05/03/18 11:17:16 ID:8ksNKze0
リニューアルされた小林徹也ファンサイトはこちら♪

http://www.geocities.com/francistetsuya/kobayashi.html

小林くんが神父たちやカトリック団体へ名誉毀損を繰り返した
過去のスパムメールが読めます!
フランシスコ会や神父、司祭などさまざまなカトリック関係者を侮辱した
2004年8月のメールも追加されています!

102名無しさん@3周年:05/03/18 11:17:45 ID:8ksNKze0

おい小林、お前んとこの電話、ここ数日ずっと留守電じゃん。
それじゃあメダイ欲しいって電話が来てもわからんなw
2ちゃんねるに一日中張り付いて、電話に出る余裕もないか?w
アメリカやフィリピンに送ったというのは、統合失調症によるお前の妄想なんだよ。

それにさ、http://www.newlifejm.net/contact_101.htmlにある
電話番号、使われてない番号に変えるなよー。
前の番号(05013448075)は何回かけても留守電だしさ。
ほら、前の番号宣伝してやったぞ。やる気ねぇならやめちまえ、メダイ売り。

前の電話はずっと留守電の上、メダイのHPは使えない番号載せるなんて、
人と話すのもこわいのか?
お前は2ちゃんねるでしか大きな口叩けないんだな。
所沢教会でもご婦人方の発言にびくびく怯えてちっちゃくなってるしな。

この臆病者w そうやって聖霊や人を冒涜し続けるお前は、地獄行きだ。

103きち香具師徹也:05/03/18 11:21:58 ID:yzh71Bvr
>>95

■毎日スパム送付■101その4■秋田非公認メダイ■
立てたよー

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1111112347/l50
104名無しさん@3周年:05/03/18 11:23:11 ID:IspvdBYt
>>95は反カトリック。乗せられないように。

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1105930742/252-253
252 :理解ある方へお願い♪ :05/03/17 20:52:43 ID:9zN0H3lZ
>>249
聖体奉仕会や秋田聖母やカトリックがどうなろうと、私には関係ないよ。
小林と一緒に桜町病院へどーぞ…w
105小林徹也:05/03/18 11:24:21 ID:r3T17us3

さかのぼるが、1993年、私がフランシスコ会志願院(大阪・生野修道院)に入った時、
同期に珍しく5人の志願者が集まった。このようなことは近来珍しかったようで、
志願者担当の松井繁美神父と志願院長のリノ・ミケレッティー神父も喜んでいた。

しかし、私を含む同期の6人のうちに、ときおり、不審で異常なことをするものがいた。

ひとりは、北浦和教会から入会志願をしてきた30代の青年で、彼は英語塾の講師をしていた。
彼は、塾の講師をしていたこともあり、基本的には常識人で、社会感覚もある人物であった。

しかし、決定的に不審なことが韓国訪問の折に起きた。
生野修道院は、大阪・生野区にあり在日韓国・朝鮮人が、住民の30%存在する地域である。
私たちは、在日の人々との交流を盛んに行っており、志願期中に韓国へ交流に行った。

この韓国訪問の折、上記の北浦和出身の青年は、2週間ほどの滞在日程の間、なぜか、一度も
入浴をしない、という奇行を行った。4日目くらいからは異臭がして、周囲の人々や礼拝中に
聖堂内に漂った。私や同室の兄弟は注意したが、明確な理由の説明も無く、ただ、徹底してシャワーも浴びなかった。
松井神父にも注意してくれるようにお願いしたが、効果が無かった。

この一件で、韓国の兄弟は気づかないフリをしてくれたが、かなり傷ついていたと思う。
明らかに、何らかの嫌がらせか、脅迫として、彼が志願院に入り込んだと言える。
彼は、昼寝を充分とって志願期過ごし、修練院に向かう前に、自己退会した。

6人いた兄弟の中で、修練期に向かったのは、私と現・古里慶四郎神父(佐賀県出身・元地方裁公務員)だけであった。
東京と長崎出身の二人の兄弟は、もう一年志願院で過ごすことになった。
106小林徹也:05/03/18 11:25:06 ID:r3T17us3

さかのぼるが、1993年、私がフランシスコ会志願院(大阪・生野修道院)に入った時、
同期に珍しく5人の志願者が集まった。このようなことは近来珍しかったようで、
志願者担当の松井繁美神父と志願院長のリノ・ミケレッティー神父も喜んでいた。

しかし、私を含む同期の6人のうちに、ときおり、不審で異常なことをするものがいた。

ひとりは、北浦和教会から入会志願をしてきた30代の青年で、彼は英語塾の講師をしていた。
彼は、塾の講師をしていたこともあり、基本的には常識人で、社会感覚もある人物であった。

しかし、決定的に不審なことが韓国訪問の折に起きた。
生野修道院は、大阪・生野区にあり在日韓国・朝鮮人が、住民の30%存在する地域である。
私たちは、在日の人々との交流を盛んに行っており、志願期中に韓国へ交流に行った。

この韓国訪問の折、上記の北浦和出身の青年は、2週間ほどの滞在日程の間、なぜか、一度も
入浴をしない、という奇行を行った。4日目くらいからは異臭がして、周囲の人々や礼拝中に
聖堂内に漂った。私や同室の兄弟は注意したが、明確な理由の説明も無く、ただ、徹底してシャワーも浴びなかった。
松井神父にも注意してくれるようにお願いしたが、効果が無かった。

この一件で、韓国の兄弟は気づかないフリをしてくれたが、かなり傷ついていたと思う。
明らかに、何らかの嫌がらせか、脅迫として、彼が志願院に入り込んだと言える。
彼は、昼寝を充分とって志願期過ごし、修練院に向かう前に、自己退会した。

6人いた兄弟の中で、修練期に向かったのは、私と現・古里慶四郎神父(佐賀県出身・元地方裁公務員)だけであった。
東京と長崎出身の二人の兄弟は、もう一年志願院で過ごすことになった。

107名無しさん@3周年:05/03/18 11:25:58 ID:8ksNKze0

ほら小林、お前のスレがまた立ったぞ。よかったなー
お前の暇つぶしのために、親切な人が作ってくれたんだぞ。
感謝しろ、暇な病人w

■毎日スパム送付■101その4■秋田非公認メダイ■
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1111112347/1n-
108小林徹也:05/03/18 12:20:01 ID:r3T17us3

この韓国訪問の折、上記の北浦和出身の青年は、2週間ほどの滞在日程の間、なぜか、一度も
入浴をしない、という奇行を行った。4日目くらいからは異臭がして、周囲の人々や礼拝中に
聖堂内に漂った。私や同室の兄弟は注意したが、明確な理由の説明も無く、ただ、徹底してシャワーも浴びなかった。
松井神父にも注意してくれるようにお願いしたが、効果が無かった。

この一件で、韓国の兄弟は気づかないフリをしてくれたが、かなり傷ついていたと思う。
明らかに、何らかの嫌がらせか、脅迫として、彼が志願院に入り込んだと言える。
彼は、昼寝を充分とって志願期過ごし、修練院に向かう前に、自己退会した。
109小林徹也:05/03/18 12:21:39 ID:r3T17us3

この韓国訪問の折、上記の北浦和出身の青年は、2週間ほどの滞在日程の間、なぜか、一度も
入浴をしない、という奇行を行った。4日目くらいからは異臭がして、周囲の人々や礼拝中に
聖堂内に漂った。私や同室の兄弟は注意したが、明確な理由の説明も無く、ただ、徹底してシャワーも浴びなかった。
松井神父にも注意してくれるようにお願いしたが、効果が無かった。

この一件で、韓国の兄弟は気づかないフリをしてくれたが、かなり傷ついていたと思う。
明らかに、何らかの嫌がらせか、脅迫として、彼が志願院に入り込んだと言える。
彼は、昼寝を充分とって志願期過ごし、修練院に向かう前に、自己退会した。
110名無しさん@3周年:05/03/18 12:24:23 ID:8ksNKze0

おい小林、お前んとこの電話、ここ数日ずっと留守電じゃん。
それじゃあメダイ欲しいって電話が来てもわからんなw
2ちゃんねるに一日中張り付いて、電話に出る余裕もないか?w
アメリカやフィリピンに送ったというのは、統合失調症によるお前の妄想なんだよ。

それにさ、http://www.newlifejm.net/contact_101.htmlにある
電話番号、使われてない番号に変えるなよー。
前の番号(05013448075)は何回かけても留守電だしさ。
ほら、前の番号宣伝してやったぞ。やる気ねぇならやめちまえ、メダイ売り。

前の電話はずっと留守電の上、メダイのHPは使えない番号載せるなんて、
人と話すのもこわいのか?
お前は2ちゃんねるでしか大きな口叩けないんだな。
所沢教会でもご婦人方の発言にびくびく怯えてちっちゃくなってるしな。

この臆病者w そうやって聖霊や人を冒涜し続けるお前は、地獄行きだ。

111名無しさん@3周年:05/03/18 12:28:33 ID:eMzEcjfO
>>110
携帯電話の番号、通報しますた。
112名無しさん@3周年:05/03/18 12:29:33 ID:8ksNKze0
>>111

さんきゅー。小林はひたすら荒らすだけで、何の反応もないんだもん。

113名無しさん@3周年:05/03/18 12:34:23 ID:+gOyYg/r
げ そんなことあるの?本当に
114名無しさん@3周年:05/03/18 12:36:33 ID:8ksNKze0
>>113

スレが削除されたりする。でも当の小林は何もリアクションなしなのよ。
ひたすら荒らすことに生きがい感じてるのかしらw
115名無しさん@3周年:05/03/18 12:55:12 ID:Qlijxzc6
マリアを神格化したのはずっとあとのことでそれは協会側の策略であり
バチカンが認める認めないとか以前の問題かと。
それよりもマグたらのマリアこそが真のキリストの後継者であることを
認めることのほうが重要。
キリストは実は洗礼者ヨゼフの弟子でその教団を乗っ取った。
116小林徹也:05/03/18 13:18:08 ID:r3T17us3
ああ、聖体奉仕会を出発したのは、1997年ではなく、1996年のことであった。
年月に混乱が見られるが、あまりにいろいろなことがあったので、多少混乱しているのである。

聖体奉仕会を出て、関東に入り”彼ら”の超常的な”攻撃”が始まってからも
私は比較的冷静に対処していた。1996年のことである。
このようなことは、起こりうることだと感じていたし、中村がガリラヤの家から秋田に戻ってきた
ときの証言を考えれば、類似することがいくつもあった。

私は、深い黙想の中にあった。体験してきたこと、そして今体験していることが、いったい1何を示すのか、
現実の世界と日常生活の中で見極めたかったからである。
三軒茶屋教会時代に小平正寿神父からいただいた「司祭のマリア運動」のメッセージの内容の熟読と黙想のうちに、
私は1997年に,函館トラピストへ行くことを決意し、小平神父に推薦状を書いていただいた。

1997年早春、私は函館に入り、頭の毛を刈った。トラピストは基本的に肉食を控える生活で、頭の毛は剃る習慣だからである。




117小林徹也:05/03/18 13:18:38 ID:r3T17us3

ああ、聖体奉仕会を出発したのは、1997年ではなく、1996年のことであった。
年月に混乱が見られるが、あまりにいろいろなことがあったので、多少混乱しているのである。

聖体奉仕会を出て、関東に入り”彼ら”の超常的な”攻撃”が始まってからも
私は比較的冷静に対処していた。1996年のことである。
このようなことは、起こりうることだと感じていたし、中村がガリラヤの家から秋田に戻ってきた
ときの証言を考えれば、類似することがいくつもあった。

私は、深い黙想の中にあった。体験してきたこと、そして今体験していることが、いったい1何を示すのか、
現実の世界と日常生活の中で見極めたかったからである。
三軒茶屋教会時代に小平正寿神父からいただいた「司祭のマリア運動」のメッセージの内容の熟読と黙想のうちに、
私は1997年に,函館トラピストへ行くことを決意し、小平神父に推薦状を書いていただいた。

1997年早春、私は函館に入り、頭の毛を刈った。トラピストは基本的に肉食を控える生活で、頭の毛は剃る習慣だからである。
118小林徹也:05/03/18 13:19:53 ID:r3T17us3


ああ、聖体奉仕会を出発したのは、1997年ではなく、1996年のことであった。
年月に混乱が見られるが、あまりにいろいろなことがあったので、多少混乱しているのである。

聖体奉仕会を出て、関東に入り”彼ら”の超常的な”攻撃”が始まってからも
私は比較的冷静に対処していた。1996年のことである。
このようなことは、起こりうることだと感じていたし、中村がガリラヤの家から秋田に戻ってきた
ときの証言を考えれば、類似することがいくつもあった。

私は、深い黙想の中にあった。体験してきたこと、そして今体験していることが、いったい何を示すのか、
現実の世界と日常生活の中で見極めたかったからである。
三軒茶屋教会時代に小平正寿神父からいただいた「司祭のマリア運動」のメッセージの内容の熟読と黙想のうちに、
私は1997年に,函館トラピストへ行くことを決意し、小平神父に推薦状を書いていただいた。

1997年早春、私は函館に入り、頭の毛を刈った。トラピストは基本的に肉食を控える生活で、頭の毛は剃る習慣だからである。
119小林徹也:05/03/18 13:39:31 ID:r3T17us3

トラピスト(厳律シトー会)の源流、すなわちシトー会は、中世フランスにおいて、偉大な大修道院時代を
築き、中世文化の発信基地でもあったが、近代に入ると、第二バチカン公会議の時期、アメリカのゲッセマニ修道院にトマスマートンが現れ、
その思索と平和主義の主張によって、ベトナム戦争で混乱するアメリカに、キング牧師と共に精神的支えを与えた。

厳律シトー会は、シトー会から別れて、より忠実にベネディクト戒律の遵守を目指そうとした。
厳律シトー会がフランスから日本に来たのは明治期、100年前である。
私が入会した1997年は、ちょうど厳律シトー会来日100周年の記念すべき年で、様々な催しがあり、
特に、現在の総長や、フランスからトラップ修道院や母院のブリュックベック修道院の院長の訪問などがあった。

私は当時のアルゼンチン出身の総長やトラップやブリュックベック修道院の院長に、志願者の一人として個人面談している。
彼らも私の顔を見れば、きっと思い出すだろう。写真も撮影したのだから。

さて、トラピストでの生活に入った初期、私は期待した以上の喜びを感じた。
神の国の自由と喜びを、である。
120小林徹也:05/03/18 13:40:13 ID:r3T17us3

トラピスト(厳律シトー会)の源流、すなわちシトー会は、中世フランスにおいて、偉大な大修道院時代を
築き、中世文化の発信基地でもあったが、近代に入ると、第二バチカン公会議の時期、アメリカのゲッセマニ修道院にトマスマートンが現れ、
その思索と平和主義の主張によって、ベトナム戦争で混乱するアメリカに、キング牧師と共に精神的支えを与えた。

厳律シトー会は、シトー会から別れて、より忠実にベネディクト戒律の遵守を目指そうとした。
厳律シトー会がフランスから日本に来たのは明治期、100年前である。
私が入会した1997年は、ちょうど厳律シトー会来日100周年の記念すべき年で、様々な催しがあり、
特に、現在の総長や、フランスからトラップ修道院や母院のブリュックベック修道院の院長の訪問などがあった。

私は当時のアルゼンチン出身の総長やトラップやブリュックベック修道院の院長に、志願者の一人として個人面談している。
彼らも私の顔を見れば、きっと思い出すだろう。写真も撮影したのだから。

さて、トラピストでの生活に入った初期、私は期待した以上の喜びを感じた。
神の国の自由と喜びを、である。

121小林徹也:05/03/18 13:41:04 ID:r3T17us3

トラピスト(厳律シトー会)の源流、すなわちシトー会は、中世フランスにおいて、偉大な大修道院時代を
築き、中世文化の発信基地でもあったが、近代に入ると、第二バチカン公会議の時期、アメリカのゲッセマニ修道院にトマスマートンが現れ、
その思索と平和主義の主張によって、ベトナム戦争で混乱するアメリカに、キング牧師と共に精神的支えを与えた。

厳律シトー会は、シトー会から別れて、より忠実にベネディクト戒律の遵守を目指そうとした。
厳律シトー会がフランスから日本に来たのは明治期、100年前である。
私が入会した1997年は、ちょうど厳律シトー会来日100周年の記念すべき年で、様々な催しがあり、
特に、現在の総長や、フランスからトラップ修道院や母院のブリュックベック修道院の院長の訪問などがあった。

私は当時のアルゼンチン出身の総長やトラップやブリュックベック修道院の院長に、志願者の一人として個人面談している。
彼らも私の顔を見れば、きっと思い出すだろう。写真も撮影したのだから。

さて、トラピストでの生活に入った初期、私は期待した以上の喜びを感じた。
神の国の自由と喜びを、である。

122名無しさん@3周年:05/03/18 14:18:22 ID:8ksNKze0

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小林くんが神父たちやカトリック団体へ名誉毀損を繰り返した
過去のスパムメールが読めます!
フランシスコ会や神父・司祭、自分が所属するカトリック所沢教会会員など、
さまざまなカトリック関係者を侮辱したメールが追加されています!

123きち香具師徹也:05/03/18 15:29:25 ID:yzh71Bvr

だからさー、小林君、君が統失だっていうのは、君がクドクドカキカキ
して証明してくれなくても、それはみんな分かっているんだから。
このスレは、秋田の聖母像がなぜ精神疾患者を生み出したかというのが主題。
君は引っ込んでな。
124小林徹也:05/03/18 17:11:13 ID:r3T17us3

トラピストでの生活については、二つの側面があった。
それは、神的喜びにあふれた賛美と観想の生活の側面と、”彼ら”の支配と妨害の明らかな介入の体験による現実的な戦いの側面であった。
函館トラピストは、渡島当別という木古内から函館へ向かう途中の海峡線の駅にあり、駅前にも、ほとんど何も無いような場所であった。
駅から10分ほど歩くと、函館トラピスト修道院のポプラ並木が見えてくる。津軽海峡を望む丘陵沿いに建てられた修道院は、明治時代のレンガ造りである。
トラピストは、敷地の生活圏が囲いで覆われ、中世的なスタイルの禁域となっている。修道者と協力者の地域住民、そしてゲスト以外は入れないのである。

敷地内には山を持ち、牧場と農場、バターとバターあめとクッキー、ジャムの工場がある。
礼拝は朝3:30分から始まり、一日に7回の礼拝の時間がある。労働は、朝8時から日本の労働基準法に合わせて8時間行われる。

就寝時間は、朝が早いので夜8:30であるが、実際は夜9:00〜11:00まで起きている。
テレビは無く、日曜日だけ視聴が許され、皆でレクリエーションにドキュメンタリーや時事のビデオを見る。

食事は、基本的に肉食は禁止され、たんぱく質は乳製品と豆類、魚で取る。パンやヨーグルト、チーズ、野菜などは、敷地内の農場と牧場のものを使う。
産業革命以前の中世的なスローライフの形式が、今も美しい形で残されている。しかし、先進技術は取り入れた工場や事務の管理体制なので、文化の後退は感じさせない。

最初の三ヶ月は、レクティオ・ディビナ(霊的読書)と学習、そして様々な部門の労働の体験の中で生活に慣れることから始めていった。
非常に喜びに満ちた、素晴らしい日々だった。日々の礼拝の主を賛美する歌こそが、最高の喜びだった。


125小林徹也:05/03/18 17:12:28 ID:r3T17us3

トラピストでの生活については、二つの側面があった。
それは、神的喜びにあふれた賛美と観想の生活の側面と、”彼ら”の支配と妨害の明らかな介入の体験による現実的な戦いの側面であった。
函館トラピストは、渡島当別という木古内から函館へ向かう途中の海峡線の駅にあり、駅前にも、ほとんど何も無いような場所であった。
駅から10分ほど歩くと、函館トラピスト修道院のポプラ並木が見えてくる。津軽海峡を望む丘陵沿いに建てられた修道院は、
明治時代のレンガ造りである。
トラピストは、敷地の生活圏が囲いで覆われ、中世的なスタイルの禁域となっている。
修道者と協力者の地域住民、そしてゲスト以外は入れないのである。

敷地内には山を持ち、牧場と農場、バターとバターあめとクッキー、ジャムの工場がある。
礼拝は朝3:30分から始まり、一日に7回の礼拝の時間がある。
労働は、朝8時から日本の労働基準法に合わせて8時間行われる。

就寝時間は、朝が早いので夜8:30であるが、実際は夜9:00〜11:00まで起きている。
テレビは無く、日曜日だけ視聴が許され、皆でレクリエーションにドキュメンタリーや時事のビデオを見る。

食事は、基本的に肉食は禁止され、たんぱく質は乳製品と豆類、魚で取る。
パンやヨーグルト、チーズ、野菜などは、敷地内の農場と牧場のものを使う。
産業革命以前の中世的なスローライフの形式が、今も美しい形で残されている。
しかし、先進技術は取り入れた工場や事務の管理体制なので、文化の後退は感じさせない。

最初の三ヶ月は、レクティオ・ディビナ(霊的読書)と学習、そして様々な部門の労働の体験の中で生活に慣れることから始めていった。
非常に喜びに満ちた、素晴らしい日々だった。日々の礼拝の主を賛美する歌こそが、最高の喜びだった。

126小林徹也:05/03/18 17:13:39 ID:r3T17us3

トラピストでの生活については、二つの側面があった。
それは、神的喜びにあふれた賛美と観想の生活の側面と、”彼ら”の支配と妨害の明らかな介入の体験による現実的な戦いの側面であった。
函館トラピストは、渡島当別という木古内から函館へ向かう途中の海峡線の駅にあり、駅前にも、ほとんど何も無いような場所であった。
駅から10分ほど歩くと、函館トラピスト修道院のポプラ並木が見えてくる。津軽海峡を望む丘陵沿いに建てられた修道院は、
明治時代のレンガ造りである。

トラピストは、敷地の生活圏が囲いで覆われ、中世的なスタイルの禁域となっている。
修道者と協力者の地域住民、そしてゲスト以外は入れないのである。

敷地内には山を持ち、牧場と農場、バターとバターあめとクッキー、ジャムの工場がある。
礼拝は朝3:30分から始まり、一日に7回の礼拝の時間がある。
労働は、朝8時から日本の労働基準法に合わせて8時間行われる。

就寝時間は、朝が早いので夜8:30であるが、実際は夜9:00〜11:00まで起きている。
テレビは無く、日曜日だけ視聴が許され、皆でレクリエーションにドキュメンタリーや時事のビデオを見る。

食事は、基本的に肉食は禁止され、たんぱく質は乳製品と豆類、魚で取る。
パンやヨーグルト、チーズ、野菜などは、敷地内の農場と牧場のものを使う。
産業革命以前の中世的なスローライフの形式が、今も美しい形で残されている。
しかし、先進技術は取り入れた工場や事務の管理体制なので、文化の後退は感じさせない。

最初の三ヶ月は、レクティオ・ディビナ(霊的読書)と学習、そして様々な部門の労働の体験の中で生活に慣れることから始めていった。
非常に喜びに満ちた、素晴らしい日々だった。日々の礼拝の主を賛美する歌こそが、最高の喜びだった。