そもそも宗教って何だ?

このエントリーをはてなブックマークに追加
614名無しさん@3周年
本当に何なんだろうね。
漏れも6年前に台湾に本部があるとある精神修養団体に出会って、それをきっかけに自分の
考えが180度変わった。ノイローゼからの脱却もはかることができた。とても満たされたもの
も感じた。

けど、5年ほど前に本部の最高幹部にあたる人が亡くなり、新しい人に変わったんだけどそ
れから組織の流れが明らかに変わった。
「功徳になるから」と国内外問わずすごくでっかくきらびやかな宮殿ができるたびに献金
を募り、「これを身につければ守られる」とか「願いが叶う」とかいう触れ込みでありとあら
ゆるグッズを売り出したり。
そのお金はどうも、台湾の本部の方に流れているように感じる。
売り出すグッズも、みんな日本製でない安っぽいつくりのものばかりだし。
自分がそこに出会った頃は一切そういうのもなかったし、ご利益主義みたいなことはほと
んど口に出して言うようなことはなかった。
そういうカルト的な臭いが鼻につくようになってから、漏れは疑問を感じそこに行くのを控
えるようにしているが頻繁に電話がかかってきて、「なぜ出てこない」みたいなことを責め
口調で言われる。どうしてこんな風になってしまったんだろうか・・・。

やっぱり、お金が絡むと人間ってダメになるのかな。最近、相次いで逮捕されてる某企業
の社長さんのように。そういう人間が運営している組織もまた、お金が絡むと変質していく。
宗教って、人の弱みに付け込むビジネスなのか?
自分が正しいと思ったことは、何でもかんでも他人に押し付けてもいいんだろうか。
なんか全くわからなくなってしまった。長文乱文スマソ。最近、まじで悩んでます。
615名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 02:16:40 ID:X0R38Cm1
素粒子は階層的になっている。クオーク、電荷、レプトン それと似て霊性や意識には階層がある。
正直者が正直に話す時はドミソなど和音として数学的に調和している。いい流れの旋律。
善人が恥ずかしく悪を振る舞う場合はやや調性を欠いた音楽になるが、心根の浅い意味不明感ぐらいである。
でも、トップ、ボトムに欺瞞や欲望のあるばあいはドミソ♯とか、倍音の伸びが悪かったり弦の調律が合っておらず不協和音を醸すなどする。
そのへん、音感(霊感)あればわかるよ。Accuphaseはいいよ。
616名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 02:18:25 ID:X0R38Cm1
厭世に頷首すれば…信じられるものといえば絶望的な前途。
マーラに頷首すれば…ハイなときはよくても途端に欝になる。
魂は回向する対象の影響を受ける。
仏に回向するか、仏を名乗る未完聖人に回向するか。
徳のないものに頷首すれば喜んでついてきてしまう。
その世界で「神」とされているものの愛情の基盤になっているものが現実打破的なルサンチだとしたら、愛情に満ちている高いときは慈悲深くても愛情が欠けて低くなると途端に罪着せたがりになるとか考えられる。
仏閣でも開祖の人は聖人であっても三代四代になって格式が保てなくなってくるところがある。普通にその高すぎるレベルを保てないってだけならいいんですけどね。
でも二代目でそんな風になるってことは、もとがたいしたことなかったんだと思う。あるいはそういう階層にて高みに至ってたんでしょう。いずれカルト臭を発するのもわかりますねぇ。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1149198978/7
617名無しさん@3周年:2006/06/12(月) 02:24:36 ID:X0R38Cm1
涅槃の完成されたところにしか回向(エコー)しないほうがいい。
低い階層が依然霊障に満ちていると、それが連鎖してこちらが業を負ってしまう。
徳性の優れたものに付き従えばこちらの徳性も階層的によくなる。よい波紋を広げていこう。
そういうのは当たり前すぎてわからないぐらいだけどね。自然だから。
618名無しさん@3周年:2006/06/29(木) 18:30:32 ID:59jgCSWq
宗教が好きな奴は自由にやってヨシ
但し、人に迷惑掛けないようにネ
詐欺集団、カルトと言われないようにネ
619名無しさん@3周年:2006/07/07(金) 21:04:33 ID:oEI986Bq
無しさん@3周年:2006/06/30(金) 17:20:12 ID:4EgjQFCd
真光では年々信者が減少し信者集めの為の奇跡体験を喉から手が出るほど
欲しがっています。信者には”医療と十字に組んで”とか言いながら
実際には医療否定の教義を教え込み薬物治療や手術を忌避する傾向にあります。

医学に頼らず病気が治ったなどという奇跡体験の陰には医療拒否による
多数の被害者が存在しているのです。
620名無しさん@3周年:2006/07/09(日) 11:12:22 ID:RWIMmDUd
聞いている範囲では、真光とやらは気功だよ。
気功は明らかに存在していて神秘的なものでもなんでもありません。

気功には病気治癒の効果もあります。気功の力がほとんどない普通の人でも、
体の痛いところに手をあてると多少改善することがあります。
これも気功の一種です。治療・看護のことを「手あてと」いうのはこのためです。
しかし、気功だけで全ての病気が治るということでは全くありません。

だけど、気功は、分からない人達には奇跡体験に思え、神秘的な印象を与えます。
これに色々と講釈を加えて宗教に仕立てて、金儲けをするヤカラがいます。
可笑しな宗教には気をつけましょう。

医療自体が気功をもっと取り入れて、治療効果を高める努力をするべきですね。
そうすれば、医療は進歩し、拝金宗教は減ります。
621名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 19:36:16 ID:tnYo3V1+

「宗教マーケティング」

「宗教」は毒にも薬にもなる便利なツールだ。
もちろん聖を謳わないと儲からないから綺麗にみえるが 邪かどうか、を見極めるには
「方法」があるのだが 信者は「信じたい」から「信仰」へと逃げ、「真理」を見極めようという気は さらさら無いらしい。


生物の至上命題は言うまでもなく「生」だが。

言い換えれば「快感」だろう。 さらに「金」とも言える。
「生」は「金」で買える。

よって、稼ぐわけだが、さらに儲けたい場合は「詐欺に詐欺を重ねる」ことになる。
それは、より効率的に「生」を得る手法だ。
要素としては、粉飾、虚言、などと分類されるが、ここには「善人」の入る余地はない。
利他的な者ほど つまりは「効率が悪い」から、 むしろ「自然淘汰」される運命にある。

宗教依存者も、「生」のため「妄想」によって「快感」を得、生きながら得ている。

彼らは 生きるために 自分を騙し、「妄想」を貪り続ける。

そしてその「経営者」も儲かる=生が充実する、というすばらしい相互依存システム、それが「宗教」である。

信者は自らのココロの母体となっている「教え」に どんな不整合があってもそれを認めることはできない。
認めたら「死」に近付くわけであるから、生物の至上命題に逆らうことになる。

「宗教」は表向き「善」を謳うが 「効率が悪い」善人は、より効率良くしようとして「依存」し、哀れにも「鴨」になる。

ttp://www.geocities.jp/sonomama_da/gaikann.html

622名無しさん@3周年:2006/07/10(月) 20:05:13 ID:nNIyp8Ai
人間は弱いから何かを信じて力を得ようとするんだお。
623名無しさん@3周年:2006/07/11(火) 05:05:08 ID:xDMqA2Ga
ネ申だよ
624名無しさん@3周年:2006/07/11(火) 06:43:21 ID:NqnSCONB
>>622
信仰は君が考えてる心理学的な物とは違う。
マインドコントロールとかはともかく、本当の信仰はそういった物では
説明できないものを与える。(明確な意識や判断力を持っているし、単純な
思い込みだけでは得られないくらい「全体が」変化する。)

また、何割かは熟考した上で論理的に真実だとし、(いやいやながらも)
それに従うしかないという考えに思いあたる。もちろん彼らは君みたいな
単純な心理学をまっさきに考える。
625名無しさん@3周年:2006/07/11(火) 08:52:33 ID:YlCnYdNg
信仰とは人間の防御本能の一つ。
精神的安定を求めた結果である。
動物とは違い明確な意志を持つ人間が、精神的不安や欲求を制御するために
脳内に作り上げた避難所なようなもの。一度味わうとなかなか抜けだせない
麻薬と変わらん。外部からの精神的不安を遮断することで自らを守ろうとし
ている。信仰とはそういうものだ。神など存在しない。悪魔もな。しいて言
うなら自分自身が神であり悪魔である。まずそのことに気付!
626名無しさん@3周年:2006/07/11(火) 08:57:49 ID:YlCnYdNg
ってうちの愛犬が吠えてた!
627名無しさん@3周年:2006/07/11(火) 09:36:26 ID:NqnSCONB
>>625
無神論者は話を聞かないですぐにちゃぶ台ひっくり返して、自分の単純な
世界観が全てなんだと決め付けるから、話がいつまでたっても膨らまないんだけど・・

君の理解を深めるためにアドバイスしておくと、精神的安定があったり麻薬的陶酔
があるっていうのは勝手な想像。もしそういったものなら、目が虚ろだったり判断力が
しっかりしてないなど、すぐ外見に出る。少なくともクリスチャンは、以前よりも
広い見解が持てるようになって、知的にもなった人が非常に多い(マジ)。

また外部から自分を遮断するどころか、むしろ君みたいに自分が神であって
世の中は自分が全てという「妄想で作ったプライドを精神安定として使う」殻
から抜け出して、積極的に他人と交われるようになるよ。
628名無しさん@3周年:2006/07/11(火) 15:08:00 ID:YlCnYdNg
『神』という存在を全てのものごとの結論・終着点にする事が信仰なのか?
信仰とは人間にとって非常に便利なものだな。信仰こそ大事なときに話が膨
らまない原因になる。結局、結論は『神』になるからな。
信仰心を全否定はしない。信仰がヒトを救うことは事実。ただそれによって
争いが起こることも事実。信仰によって少なからず他人との間に壁を造からだ。
629名無しさん@3周年:2006/07/16(日) 22:41:20 ID:zDzQp5Xa

真光は取り敢えず初代が借金返済のために立ち上げた宗教だが…
630名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 13:07:07 ID:FUH4LpSk
わが国では、神とは恐ろしいもののことです。神は畏れ敬うものです。
631名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 19:11:16 ID:Tx0TYHB2
宗教とは「浮遊感」
アヘンで味わうことができる体験
632名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 19:41:01 ID:C9cpsSUj
>>1「宗教って何か」って疑問点が
すでにポイントからずれているように思えてならない……
そんな君は、宗教を必要としないから。
633名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 21:16:13 ID:eZnNH+mU
神道は宗教ではありません。
神道は、歴史と儀式の集合です。
634名無しさん@3周年:2006/07/17(月) 22:04:24 ID:a6g+JJOw
>>1
宗教、信仰、信心が、なぜ必要なのか申しますと、私達は何かを信じなければ生きてはゆけないからです。
信心とは、何かを心で信ずることです。
信ずるということは言葉をかえればたよりにする、あて力にするということです。
私たちは何かをたよりにし、あて力にしなければ生きてはゆけません。
すなわち、何かを信じなければ生きておれないのです。
妻は夫を信じ、夫は妻を信じ、親は子供をたよりにし、子供は親をあて力にして生きております。
その他、自分の身体や生命、財産や金銭、家や名誉や社会的地位 等、何かをあて力にして人間は生きております。
だから生きるということは信ずることなのです。
神や仏を信ずることだけが信心ではありません。
昔から鰯の頭も信心からと言われますが、つまらぬ ものでも信じていればその人の信心です。
だからすべての人は何らかの信心をもっているのです。
ところが私たちは、ただ生きているのではありません。
幸福を求めて生きている人ばかりです。
そして一切の苦しみ悩みを厭うております。
苦しみ悩みはどこから起きるのか考えてみますと、信じていたものに裏切られた時に起きてくるのです。
病人の苦悩は健康に裏切られたからであり、家庭の悲劇は夫を信じ切っていた妻が、夫に裏切られたからです。
子供に裏切られた親、親に裏切られた子供。
家の子供にかぎってと深く信じていればいるほど、裏切られた時の親の苦悩や悲しみ怒りは大きいのです。
これで分かるように我々は何かを信じなければ生きてはゆけませんが、やがては我々を裏切ることのあるものを信じて生きるということは馬鹿げたことです。
では、この世で生命をかけて信じても後悔のない、いわゆる、絶対に裏切ることのないものはあるでしょうか。
結論を急ぎましょう。何もないのです。
この世の一切は死ぬ 時にはなんのあて力にもなりません。
この肉体さえ焼いてゆかねばなりませんから。
今死ぬ という時でも変わらぬもの、それは三世諸仏をして成仏せしめた本師本仏の阿弥陀仏あるのみです。
この御仏を信ずるものこそ、永遠不滅の無上絶対の幸福で生きぬくことができるのです。

参考URL ttp://www.shinrankai.or.jp/jinsei/index.htm
635名無しさん@3周年:2006/07/18(火) 03:02:34 ID:G7uaVg48
空想はヤメロ
宗教にまで裏切られたらいったいどうしろと言うのだ…
金儲けだろ所詮
信者と書いて儲と読むんだよ
636名無しさん@3周年:2006/07/18(火) 03:13:48 ID:qEq/t7BW
死後の世界が分からない限り宗教はあり続けます。
637承狂:2006/07/21(金) 02:43:29 ID:0P34MzuC
お邪魔します。
スレタイについての私見ですが、一方の科学信仰者は、大統一理論や進化論等が完成していないにもかかわらず、『宗教キモッ』と言い、もう一方は手垢マミレの戯言を無批判に『ホントなの』と言います。
詰りは、真理の探究はドーデモ良く、皆は各々が『正しい』と思う仮定を断定してるだけです。
任意の論者が集まれば、宗教が完成します。
勿論、リアルでは、金や権力等との相依性ですから、簡単にポコポコ湧く訳ではありませんけど。
638名無しさん@3周年:2006/07/21(金) 03:20:28 ID:tfBfqUFE
>>1

639名無しさん@3周年:2006/07/21(金) 09:03:24 ID:vdCWjTZm
信 じ る 者 は 騙 さ れ る

ア − メ ン
640名無しさん@3周年:2006/07/25(火) 15:12:22 ID:oXBnWURE
そもそも宗教って何だ?


開教者のメシの種
641名無しさん@3周年:2006/07/27(木) 05:17:40 ID:baEcGiaJ
自動車に乗ってて一時停止するのは、危ない場所で安全を確認するためだよ。
「一時停止の標識がある場所では一旦止まらなくてはならない」
と、罰せられないための規則として守っている人は、
安全も確認しないでいきなりストップ&ゴーで人をはねてしまう。
これが宗教というものだよ、早い話が。
642名無しさん@3周年
なかなか良いたとえだね