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◆bow4cu97iA :
スレ主です。
正直に言いますね。
このスレをたてた時、既に自分の心の中に強いキリスト教への疑いがあったのです。
だから、わざとあんな無理のある文章の書き方をした。正直ちょっと混乱していたのも事実。
小さい頃からずっと、疑いもなく信じてきたキリスト教。
それを信じられなくなってきた自分を、もしかしたら誰かが引き戻してくれるかもしれないと、そんなことを少しだけ期待していた。
でも、それはやはり、淡い期待でしかなかった。(当たり前ですね)
その後キリスト教の知り合いとも、このことについて時間をかけて話し合った。
それでもやはり、私のキリスト教への疑いが消えることはなかった。
私は「自分教」が私に一番合った宗教なのだということに気づいてしまった。
私にとっては、辛くても、多少苦しくても自分の頭で考えて判断し、決断しながら生きる人生の方がずっと面白いのだと分かってしまった。
今まで信じてきたキリスト教に愛着が全くないわけではない。
正直キリスト教を大嫌いにはなれない。
キリスト教の教えの中には大事なこともたくさんあると思うし、ときには私を救ってくれた。
だが、私の生き方として、神をイエスを絶対価値・絶対存在として固定された観念に縛られて生きるのは、もう止めた。
それは、人間として、個人として、進歩を諦めることに等しいと思ったから。
自分がやるだけやったら、気が済むまでやって、そして老人になったら、またキリスト教に戻るかもしれない。
その時は、心から全てを神に捧げよう。
自分が納得するまでやるだけやり切ったのなら、人生の最後に神に全てを捧げるのも、きっと美しく、穏やかな時となるはずだ・・・。