ウォッチマンニーとウィットネスリーの真実

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1通りすがり
20世紀の最大の霊的な巨人であり殉教したウォッチマンニーと
その後継者でありしばしば異端と非難されるウィットネスリー、
その真実は何なのか?
2のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/30 01:00:22 ID:cgSoS3QT
2get! 回復訳聖書で、がんばりまぁーす!
(^O^)v
3のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/30 01:04:40 ID:cgSoS3QT
>>1
乙かれぇー、ホスト制限大丈夫だったのね。
今日は落ちまぁーす、おやすみなさぁーぃ。
4通りすがり:05/01/30 01:05:03 ID:dR0/3VKu
>>2
やっとスレがたてられました。
ここでは実りある話をしたいものですねー
5通りすがり:05/01/30 01:07:18 ID:dR0/3VKu
>>3
おやすみなさい。私も明日(今日?)に備えて眠ります。
6通りすがり:05/01/30 21:25:20 ID:qxTGFCy4
996さん、お待ちしております。
と言っても、一応中立的な立場でスレをたてたつもりだけど、
たて方が悪かったかなあ。
7のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/30 21:36:04 ID:cgSoS3QT
>>6
聖書スレにリンク貼ったらいかがですか?
8通りすがり:05/01/30 21:56:00 ID:9qRkmFtw
>>7
そうですね、ありがとう。
9のぞみ ◆55nynIr58w :05/01/31 01:43:29 ID:h9oZYuus
最初に読んだらいぃのは、
ウォッチマンニーの[キリスト者の標準]いのちのことば社、
でしたょね。
リーの著作では、何がいぃのかな?
ライフスタディは、どんな本?
10通りすがり:05/01/31 02:09:18 ID:7vO8JO+4
>>9
ただね、私は今のところ、回復訳とリーの著作は勧められないですね。
ウォッチマンニーはいいと思うけどね。
ウィットネスリーはワンネスの疑いがあるからね。
それで実際に苦しんでいる人がいるから。
そのあたりを996さんにお伺いしてみたいと思っているのです。
11名無しさん@3周年:05/01/31 22:49:53 ID:OUurGZT8
都内の方はこちらへぜひどうぞ
ttp://www.h6.dion.ne.jp/~mukojima/
12通りすがり:05/02/01 01:43:49 ID:E6h7I5gx
今のところ、
リーは本質と経綸に分け、
本質としては、父・子・聖霊の3つのパースンにして1つの神を認めている。
しかし、経綸としては、父が子として具体的な形を取って現れ、さらに子が
いのちを与える霊として、つまりに三一の全てを含む霊として人に与えられる
という。このあたりがどうなんだろうか。
13996:05/02/01 15:21:09 ID:bbkbbbu0
お久し振りです。
レスが遅くなってすみません。

リーの三一論は、
様態論、いわゆるワンネスとは違うと私は思います。
様態論というのは、三一の一の面を強調しすぎて
三の面を無視する立場です。
リーは本質上の三一においても経綸上の三一においても
御父、御子、聖霊が同時に存在し、
それは永遠に不変であることを明言していますので、
様態論とはいえないと私は思っています。
14通りすがり:05/02/01 17:59:51 ID:rBiIa8E3
>>13
996さん、ありがとうございます。
なるほど。リーの三位一体論については一応わかりました。

次に、
ローマ7:17〜18の「ですから、それを行っているのは、もはや私ではなくて
私の内に住む罪なのです。私は、私のうち、すなわち、私の肉の内に善が住
んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるの
に、それを実行することがないからです。」
の箇所ですが、

回復訳のリーの説明は
「ここの肉は、堕落し腐敗した人の体とそのすべての情欲です。この肉は、神
によって造られたものではありません。…神は人の体を純潔な器として創造さ
れました。しかし…サタンが自分をその中に注入し込むことによって、腐敗し
て肉に変質しました。今や、サタンは人格化した罪として人の肉の中にあり、
そこに彼のすみかを造ります。…」

ルターは肉とは「神の意志に逆らう人間存在全体」だと言っていますが、
リーは肉=身体=サタンの住処と言っているように受け取れます。
これは行きすぎであり、「あなたがたの体は神の神殿である」という
聖書の言葉とも矛盾し、グノーシス主義的な傾向を感じるのですが、
いかがなものでしょうか?
15通りすがり:05/02/01 18:32:13 ID:rBiIa8E3
自己レスですが、

歴史的には、
この身体への罪の内住=サタンの内住という考えは
マカリオスにもあったようなのですが。
どうもそこからメッサリア派という身体を軽視し、
あるいはむち打つという異端があったらしい。
時代的には全然違いますが。
16996:05/02/02 11:27:35 ID:d2Mcw1r9
ニーとリーが、人が霊・魂・体の三部分からなるという説を採っています。
神の創造において、人は純粋な器として造られました。それは、霊の中に
神を入れるためです。
ですが、創世記第三章において、アダムが善悪知識の木から食べたことにより、
サタンが人の中に入ってしまいました。胃袋に知識が入らないのと同じで、
霊の中にサタンが入ることはそもそそも不可能です。ですからサタンは体に入りました。
リーはこれを「サタンの受肉」と表現します。ニーが同じ言い回しを使っているのは
まだ見たことがありませんが、言っている内容は同じです。この「サタンの
受肉」によって、人の体は肉になってしまいました。聖書において、体といった
ときは特に否定的な意味合いはありませんが、肉というと非常に否定的です。
それは人の肉=サタンの受肉という意味があるからです。
人が主を受け入れてクリスチャンになると、人の霊の中に三一の神が入ります。
ここでリーは「混ざり合い」という用語を使います。お湯の中にお茶の葉っぱが
入ると、お茶の要素が溶け出し、お湯と混ざり合って分離できなくなります。
同じように、人の霊の中に三一の神が御霊(回復訳だと「その霊」)として
入って混ざり合わされ、一つになります(第一コリント6:17)。
霊には神、体にはサタンがいるわけです。
人の自己は魂の中にあります。ですから、人(魂)は神(霊)とサタン(肉)にはさまれて
おり、常に霊=神=命の木をとるかサタン=肉=善悪知識の木を取るかを
判断しなければならないのです。
第一コリントに書いてあるのは、人は本来神の宮、神の臨在の宿る場であから、
体は堕落によって肉になってしまっていても、霊を選択し続けることによって、
本来の機能(神の臨在の器)を果たせるという励ましの意味だと私はとっています。
17996(続き):05/02/02 11:55:20 ID:7A8CJBuF
これはグノーシス主義とは随分違っていると思います。もっと正確に言うと、
グノーシス主義の逆の路線です。確かに用語や似たような概念が出てきて、
私も以前は紛らわしく感じましたが、個々の用語・概念の定義を正確に調べていったら、
全然別のものであることが分かりました。
15に書き込みされた「身体を軽視し、あるいはむち打つ」という要素は、
私が知る限りで、ニーもリーも言っていません。サタンはすでに人の体に
受肉してしまっているので、軽視してもむちで叩いても変わらないのです。
むちで叩いても、右目をえぐり出しても、右手を切り取っても、
肉は依然として存在します。もっとどんどん切り取っていっても肉は依然として
存在します。必要なのは自分の力で肉を対処することではなく、霊を選択すること
です。
リーの『神の永遠のご計画』をおすすめします。

三一論やキリスト論、人の造り変えに関する教理などについては、地方教会と
論戦して勝てる神学者はちょっといないのではないでしょうか?これほど
聖書に忠実で穴のない神学はないと思います。私は最近LSMのホームページで
読めるアファーメーション・アンド・クリティークという神学雑誌を読んでいますが、
人が神となることについて特集を組んでいた号を読んで、主義というと変ですが、
この神学について行こうと決めました。
ニーやリーとは会ったことがないし、彼らが自分たちの言葉に忠実であったか、
地方教会の内部にいる人たちはどこまでニーやリーの言葉に忠実であるか
知りませんが、たとえ彼らがそこから外れていたとしても、私はニーとリーの
本を聖書と照らし合わせつつ読んできっちり理解し、したがっていこうと
思っています。
18996(続き):05/02/02 12:20:51 ID:3ErMkN7l
通りすがりさんが質問された事柄は、ライフスタディや、日本福音書房から
出ている本の巻末の広告に載っている本を読むとほとんど解決してしまうと
思います。回復訳は携帯には便利ですが、それ自体は圧縮しすぎて
よく分からないので、ライフスタディを読むことをおすすめします。
もし英語をお読みになるのでしたら、アファーメーション・アンド・クリティーク
を推薦します。ヨハネによる福音書の特集号のロン・カンガスというライターの
書いた記事など、ヨハネによる福音書の回復訳を読むとき非常に助けになります。
日本福音書房の方に、是非日本語版を出版してくださるようお願いしたい気持ちです。

今私が関心を持っているのは、ニーとリーの教会論です。
通りすがりさんはおそらくご存知だとおもいますが、彼らの教会論は
かなり過激です。そして、教会論はニーとリーの神学の中心でもあります。
さっき「たとえ彼らがそこから外れていたとしても・・・」と書きました。
ですが、彼らの主張が聖書に忠実であることはほぼ確信を得ていますが、
過激さのゆえに、正直なところ、おじけづいています。
地方教会の人が、本当にニーやリーが言ったとおりにやっているなら
何の問題もありません。メンバーの三分の一、いや、五分の一がそれを実行している
だけでも十分です。もしそんなことが現実に起きているとしたら、教会生活は
リーの最後の祈りの言葉である「新エルサレムの前味わい」でしょう。
しかし、本当に可能なのかな、実際のところはどうなっているのかな、と
よく考え込んでしまいます。
とりあえずいまはニーとリーの教会論を読み続けつつ、主の導きを求めています。

どなたか地方教会の方がここに来てくださるよう待っております。
ニーやリーの神学についての質問も、私が答えるより、そういう方がお答えに
なる方がふさわしいでしょう。私もたくさん質問があります。
19名無しさん@3周年:05/02/02 12:34:19 ID:ZJ0I4iR+

地方教会って どこにあるの? 
20名無しさん@3周年:05/02/02 17:20:24 ID:SPZn1Gxc
○○に在る教会と称して、あちこちにありますよ。

しかし、「サタンの受肉」って、ちとコワイが。。。マジでつか?


21通りすがり:05/02/02 18:44:28 ID:DpVtp5Fb
>>16>>17>>18
詳細に答えてくださりありがとうございます。

「サタンの受肉」というのは、ちょっと受け入れがたいものです。
あとは、パウロが7章で言っている「肉」が霊・魂・身体の3分説の身体=肉
だとは今のところ納得できません。むしろ、ルターの言うように「肉」とは、
「神に反逆する人間性全体」と取る方が聖書に即していると思うのですが。

もうひとつ、疑念があるのですが、お答え下さると幸いです。
神化について、リーは「神性と人性の混ざり合い」ということを言うのですよね。
これがもうひとつの?を生むのです。
ギリシャ教父たち、特に神化について詳しく述べたグレゴリオス・パラマスは
神化は神性そのものに与るのではなく、あくまでそのエネルギーに与ることで
神に似たものに変えられるというのです。

「神性と人性の混ざり合い」というのは、主イエスキリストの神性と人性にお
いても起こりません。なぜなら「混合せず」ですから。

ましてや、私たちと神においては「神性と人性の混ざり合い」は起こらないの
です。

22通りすがり:05/02/02 18:45:07 ID:DpVtp5Fb
(続き)
そして、微妙な懸念があります。リーは「神格を除いて私たちは神になる」と
いうのですが、上記の「神性と人性の混ざり合い」も含めて考えると、私たち
が混ざり合いの結果、「神性」を持つと考えているのでしょうか?

だとしたら、残念ながら、異端の疑いは免れ得ないです。

ギリシャ教父たちの神化は神のエネルゲイアを通して参与することにより、私
たちが神に似たものになるのですが、決して神性を獲得するわけではないから
です。

以上、正直にはこんな疑念をもっています。

リーの「神の永遠のご計画」は英語のHPからも読めますでしょうか?

もし読めますならば、ギリシャ教父たちと比べ合わせながら読んでみたいと思い
ます。
まあ、いずれにしてもall or nothingではなく、部分肯定部分否定のつもりで読
むつもりです。
23996(続き):05/02/02 19:57:25 ID:Z2/mSmd5
重要な事柄を含んでいると思うので、調べてから書き込みさせてください。
リーの本だけでなく、教会教父やカトリック(実はカトリックも人の
神化について教えています)の本も見てみないといけないと感じています。

リーの『神の永遠のご計画』はThe Economy of God というタイトルで、
www.lsm.org
の Online Publicationsにいくと見つかります。
24フーチーにある召会:05/02/02 20:44:37 ID:8NxEg+kI
ウィットネス・リーの「神性と人性の混合」の教義。そうして、ウィットネス・リーだけが「回復の時代における唯一の神の代弁者である」という教義。この二つが結合発展しますと、「ウィットネス・リーは神-人でありキリストである」という教義になる危険性があります。
そして実際に、中国大陸の家の教会には、リーをキリスト、あるいはキリストに優越する「三位一体の第四位格」として礼拝の対象にする異端が存在している、との報告が、香港にある召会から提出されています。

http://web.archive.org/web/20021020181936/www.geocities.co.jp/Bookend/7933/part2/hongkong.html
25通りすがり:05/02/02 21:19:53 ID:A6D4UNSP
>>23
調べて見てください。

ちなみに私が神化について、参考にしております本は、
「キリスト教東方の神秘思想」(ロースキィ)
「東方キリスト教思想におけるキリスト」(メィエンドルフ)
「エネルゲイアと光の神学」(大森正樹)
「信仰の機密」(東京復活大聖堂)
です。

正教はカトリックよりも神化ということを救済の中心テーマに据えて
いますが、それでも神のエネルゲイアに参与し、神に似たものと変え
られると言い、決して「神性と人性の混合」は言わないと思います。

26通りすがり:05/02/02 21:40:42 ID:A6D4UNSP
ちなみに「信仰の機密」に書かれている神化の説明は次のようです。

『神との交わりによる人の変容は聖師父たちの著作では「神の養子」
、「神への変化」、「神への変容」、「体合」と様々に呼ばれている。
体合(セオーシス、神化のことです)という考えは東方教会の信仰生活
の中心点で…
聖イオアン・ダマスキン(ダマスコのヨハネ)によれば、「人は神に引き
寄せられて、変容するが、それは神の光に包まれるためであって、神とし
ての存在になるためではない。」』(163ページ)

また、その記述の後、新神学者シメオンの言葉が引用され、
「神性は火にたとえられ、人性は干草にたとえられる。火は干草を包むが
決して焼かない。…
神は神のままであり、人は人のまま、干草は火と交わらず、火は干草を焼か
ない。神性は人性と交わらず、人性は神性に溶け込まない。他方、人がそっ
くり変化、変容し、恩寵により神になるほど神との体合はきわめて緊密で、
交わりも深い。」(166〜167ページ)

これを読むと、「神性と人性の混合」ではない。
あくまで、人性は人性のまま、神性のエネルゲイアに与ることによって、
神的なものになるということです。
つまり、人性は鉄、神性(のエネルゲイア)は火のようなもので、鉄は
火に熱されれば、火と一つに白熱するけれど、それは火への参与による
もので鉄が火になったのでも、鉄と火が混合したのでもない。
27のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/02 21:47:53 ID:BIijikjI
☆通りすがりさんへ
難しぃことは、わかりませんけど。
あなたがこのスレで求めてるのは、リーや地方教会が異端という、他者の確認を得るためですか?
28通りすがり:05/02/02 21:53:45 ID:A6D4UNSP
>>27
いや、疑問をそのままぶつけているだけです。
今のところ、異端かどうかはわかりません。
ただ、真実が知りたいだけなのです。
ウォッチマンニーの本は大好きだし、
ウィットネスリーにも心惹かれるところはあります。
だが、しかし、?となるところもあるわけです。
29のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/02 21:57:56 ID:BIijikjI
>>28
なかなか100%同意出来る人って、いなぃですょねぇ。
あと始めた方は好きでも、その後の在り方に、疑問があったり。
30通りすがり:05/02/02 22:06:37 ID:GWZ8EsUs
>>29
それはそうですね。
神様と違いますから、どんな人の本でもそうです。
だから、どんなものでも部分肯定部分否定ですね。
ただ、根本的な懸念があったのであえて996さんにそのまま
ぶつけてみたのです。
31名無しさん@3周年:05/02/02 23:37:45 ID:vRlgUB2E
部分肯定部分否定しているご自分は100%肯定できるわけですか?






32名無しさん@3周年:05/02/02 23:46:17 ID:vRlgUB2E
失礼さんながら、通りすがり様の強烈な「我」の臭いを感じるのですが。
他人を吟味している自分は吟味できているのかどうか。




33通りすがり:05/02/03 05:45:42 ID:IbifT0S/
>>31>>32
私は我執を放つ罪人にしかすぎませんが、
人の判断によって自分を判断することはありません。
私の我執については聖霊が始終、お示しになっていますよ。

だがしかし、
私は聖書と教父を重んじるものです。
ここはその見地からウォッチマンニーとウィットネスリーを見定めようと
しているわけです。
それについては私が聖人でなくてもできると信じております。

あしからず。
34通りすがり:05/02/03 05:53:19 ID:IbifT0S/
それから、肯定的意見でも否定的意見でもよろしいので
このスレに関係したことをお書き下さい。

これ以後は無視させて頂きます。
35名無しさん@3周年:05/02/03 10:01:12 ID:iLh9eEHU
>>32

なるほろ禿同! 通りすがりさんと我さんの自演でつたのね・・・ ♪
36フーチーにある召会:05/02/03 10:12:32 ID:SfvzB3w+
ウィットネス・リーの「人が神となる」教義については、次の語録を取り掛かりとして議論を始めたらどうでしょう?

リー語録−神の究極の奥義「人が神になる」−
http://web.archive.org/web/20030110031254/www.geocities.co.jp/Bookend/7933/part2/God_talk.html
37通りすがり:05/02/03 10:55:51 ID:IbifT0S/
>>35
我さんとは誰なのか、知りません。
通りすがりと書いている人以外は私ではないです。
38通りすがり:05/02/03 10:57:13 ID:IbifT0S/
>>36

ありがとうございます。参考にさせていただきます。
39名無しさん@3周年:05/02/03 11:35:34 ID:iLh9eEHU

  我さんとは あるがままの我でつね ...

     我さん=通りすがり+α= 三位一体 ヽ(^。^)ノ
40996:05/02/03 12:01:01 ID:F5Cai0AS
私はカトリックも正教も素人なので、調べものに時間がかかりそうです。
とりあえず現時点で言えることだけを箇条書きしておきます。
・霊・魂・体の三部分については、聖書の原文が厳密に単語を使い分けている
ことから明らかです。
・人が神の神聖な性質にあずかることは、第二ペテロ1:4に
書かれています。
・人の神化はギリシア・ラテン教父の間ではごく普通に語られていた
教理で、彼らの著作を読んでいるとしばしば目にします。
カトリックや正教はそれを受け継いだのだと思われますが、
どのように受け継がれているかは寡聞にしてよく存じ上げません。
・神の性質にあずかることと、神格を持つこととは別です。これも、聖書の
原文が単語を使い分けていることから明らかです。神格とは、神を神たらしめ
ているものであり、神の神聖な命は神格から産出されます。この神の命には
神の性質が伴っており、再生によって神の命を得た者は神の性質にあずかります。
礼拝の対象になりうるかどうかは神格の有無により、神聖な性質の有無によるのでは
ありません。使徒パウロも再生され、神聖な性質を持った神・人でしたが、
使徒行伝第14章で、礼拝されて激昂しています。リーも中国の「李常受主派」
の一件が相当に遺憾だったようで、一九八〇年代中ごろに使徒第十四章を
引用しつつ声明を発表し、自分を礼拝するのをやめるように呼びかけています。
・神の霊と人の霊とが結合されて一つの霊になること(第一コリント6:17)、
さらに混ざり合わされること(レビ2:4)は、聖書に明確に書かれてある
通りだと私は思います。
・リンクに飛んで、しばらく前に休止した「知られざる燭台」を久し振りに拝見しました。
「李常受主派」は、リーの務めどう受け止められたかという事例であって、
彼の主張の正当性とは関係ありません。もちろん、もしこれが地方教会内で
起きているとしたら、主は19世紀にブレザレンを離れて中国大陸でW・ニーを
おこしたように、別のグループを起こされるでしょう。
人の神化に関しての<解説>はリーの言わんとするところを汲んだ上での
ものではありません。『命の認識』『命の経験』あたりを再読されるようお薦めします。
41996:05/02/03 12:02:40 ID:F5Cai0AS
フーチーにある召会さんは、「知られざる燭台」の作成者の方ですか?
42フーチーにある召会:05/02/03 12:49:33 ID:SfvzB3w+
>>41
いいえ。
43通りすがり:05/02/03 12:50:46 ID:IbifT0S/
>>40

こんにちは。神化については一般的にはそうですね。
ただし、神化が最もはっきり定義されるのは、東方でトマス主義者バルアラムと
聖グレゴリオスパラマスの論争のときです。
おいおい、パラマスの神化論とリーの神化論について比べてみたいと思っています。

しかし、
その前に、カルケドン公会議で
「我らの主イエス・キリスト…唯一かつ同一のキリスト、御子、主、ひとり子、
混合なく、変化なく、分割なく、分離なく、二つの本性のうちに見分けられ、
合一が二つの本性の相違を少しも消滅させることなく、むしろ双方が固有な
存在様式を保持し、唯一の位格及び唯一のヒュポスタシスのうちに共存する方
…」
と決定されています。

ここで、キリストの神性と人性について、「混同することなく」と語られている
のに、なぜリーは「混ざり合い」を言うのか?
レビ2:4はタイポロジーであって、はっきり神性と人性の混ざり合いを示したもの
ではありません。
まして、キリストについて言えないことが私たちに適用できるのか?
疑問です。
44通りすがり:05/02/03 13:11:25 ID:IbifT0S/
フーチーさんのリンクをたどって資料32を見てきました。

リーは私たちが神ー人になること、また神性を持つことを明言して
おりますね。これはギリシャ教父たちの考えを越えています。

例えば、東方で神化を最も強力に主張したパラマスの研究書である
「エネルゲイアと光の神学」にはこう書かれています。
「神が世界と人間の創造主であるかぎり、神の本性と人間の本性は
完全に異なることはいうまでもない。両者は存在的に異なる次元に
属し、相互が本性上入り交じることはありえない。もしこういう事
を無視して、人間が神にとってかわって神となり、あるいは神も人
間もその境が定かならず、渾然一体となるという仕方で人間が神に
なるというのであれば、一つは極めて傲慢な人間の思い上がりの罪
を再び犯すことであり、一つは汎神論という謗を免れ得ないことで
あろう。しかし、当然のことながら、人間の神化を強調するギリシ
ャ教父は、このいずれの考えもとらないのである。そうした考えほ
ど、ギリシャ教父の意図から遠いものはないと言わねばならない。」
(70ページ)

ところが、りーの言う「神性と人性が混ざること」とはまさにここで
警告されていることであるとしか、本当に残念ながら思えません。
45通りすがり:05/02/03 13:32:52 ID:IbifT0S/
ギリシャ教父たちの言う神化についてはこう書かれています。

「人を神化する賜物は神のエネルゲイアであり、神の働きなのである。
光の中には神的エネルゲイアの充溢があり、それに浴することは人間が
全的に神の恵みに浸ることである。神はその本質において、あたかも闇
の中に住まうごとく被造物とは断絶されている。その闇の中なる三位の
相互関係は豊潤な愛のそれである…」(344ページ)

ギリシャ教父たちの神化は、神ご自身は本性としては被造物を超越して
いるのであるが、ご自身のエネルゲイアによって人を神化するというこ
とです。

それは人に神性を与えると言うことでは決してないのです。

ですから、まことに残念ながら、リーの神化論は教父の路線を逸脱して
いるようです。異端と言われてもしかたないです。

だが、しかし、あのオリゲネスも異端とされ、実際、異端でしたが、彼
の著作の正統的なところは読まれ続けています。私たちも、リーを読む
のであれば、フィルターにかけて読まねばならないでしょう。それは誰
にもできることではないので、万人にリーの著作をお勧めすることはで
きません。

以上が私の一応の結論です。
46996:05/02/03 13:57:53 ID:rtXJZEHJ
「混ざり合い」の定義を確認する必要を感じます。
カルケドン信条の件はそれではっきりすると思います。
リーはよく、お茶のたとえを使います。お湯にお茶の葉を入れると、お茶の
成分がお湯の中に溶け出して混ざり合わされます。お湯の「お茶化」です。
この時、お茶の成分とお湯とは不可分になりますが、依然として両者の性質は
変化せず、識別可能です。香りはお茶の成分から、液体であるという特徴は
お湯から来ています。つまり、混ざり合いによっては二つの性質は変わらないのです。
リーはこの点について、きわめて慎重です。
人が主を受け入れると、主は人の霊に入り、ご自身を神聖な命として与えます。
この命が、いわばお茶の葉っぱなのです。この状態をリーは「結合」と呼んで
います。これを混ぜ合わせることにより、お茶の葉っぱからお茶の性質が
溶け出すように、神の命から神の性質が人の中へとひろまっていきます。
これが「神化」です。リーは一九九四年以前は「造り変え」と言っていました。
具体的には、祈ったり、聖書を読んだり、リーの言う「主の名を呼ぶ」ことなどを
通して「霊を活用」することと関連してきます。これは、カルケドン信条と
同じ路線です。
レビ2:4はおっしゃる通り予表ですが、予表によって「混ざり合い」を
示しています。予表であるからはっきりしていないとは、ちょっと乱暴
な話だと思います。該当箇所のライフスタディをお読みください。

教父たちは少なくとも人が神の性質を持つことは認めていますし、
神・人という用語を使わないにしても、人の神化ははっきり言っています。
混ざり合いについても同様です。
通りすがりさんの引用された文章には、神の性質にあずかることと神格を
持つこととの混同が読み取れますし、リーにはこの批判はあてはまりません。

第二ペテロ1:4を書いた使徒ペテロは異端なのでしょうか?「神的エネルゲイア」
による神化の根拠となる聖句をお教えください。
47通りすがり:05/02/03 14:12:39 ID:IbifT0S/
フーチーさんのリンクをたどって、資料30を読んでみた。

そこで、リーはカルケドンの「混合せす」ということに対して、
自分の「混ざり合うこと」の弁護を企てているのであるが、
納得できない。
つまり、リーはカルケドンの「混合せず」というのは神性を人性を
吸収するというエウテュケスの異端に対して言われたもので自分には
あたらないとしている。「混ざり合うこと」は混合しても神性と人性
は変化しないと彼は主張している。

実はキリスト教の混合論については(「個の誕生 坂口ふみ 232ページ
から236ページ)に書かれている。

そこには
9つの混合のタイプが書かれているが、
リーの言っているのは(9)にあたる。
「共通質料が存在せず、完全に結合して新しい一つの存在を現出するが、
ただし、二要素は、たんに潜在し続けるのではなく、完全に現実的にそ
の自己同一性を保っている。」

しかし、これはネオプラトニズムの混合なのである。
この場合、結合されるものどうしが自然な親和性があるものである。
確かに、砂糖は水に溶け、溶けてできた砂糖水も、甘いという砂糖の
性質も液体であるという水の性質も失っていない。
しかし、神性と人性はこのような親和性を持っているだろうか?
ネオプラトニズムはそう考えた。しかし、それはグノーシス的な思考
なのである。
48通りすがり:05/02/03 14:41:20 ID:IbifT0S/
>>46
もちろん、ペテロは異端ではありません。
ペテロは「神のご性質にあずかるものとなる」と言っています。
あずかる、つまり参与するとは言っていますが、
所有するとは言っていません。

神格と神性は分離できません。
正統なキリスト論では、人性はロゴスという神格に付加される形で(これを
エンヒュポタシスと言います)で神性と結合したのです。

ですから、そこに神性があれば当然神格もあるのです。

ということは、茶葉とお湯が混ぜられる形でキリストにおいて神性と人性
が結合したのではなく、神格という位格によって神性と人性が結合してい
るのです。当然、受肉する前は、神格と神性は結びついていたわけです。

リーの論理はキリスト論においても不可能であれば、
当然、私たち人間においても不可能と言うことになります。
49通りすがり:05/02/03 14:41:57 ID:IbifT0S/
(続き)
神格と神性は分離できないのですから、私たちの人性と神性が混ざり
合わされると言うことは不可能です。

もし、無理に神格と神性が分離できるというなら、ネオプラトニズム
でもない限り無理です。

ですから、ギリシャ教父は注意深く、神性そのものとそのエネルゲイア
の区別をしたのです。

私たちは神のエネルゲイア(働き)によって、神のご性質に参与するもの
となるのです。
決して神性と人性の混ざり合いではなく、神のエネルゲイアに浸透されて
人のまま神のご性質にあずかるのです。

ここは微妙ではあるが、非常に大事な分かれ目です。


50のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/03 16:43:28 ID:qSWJQgy3
☆996さんへ
リーの著作で、最初の1冊におすすめは、何でしょう?
それから、ライフスタディーは、解説本ですか?
それとも自分でも記入するワークブックみたぃのですか?
51通りすがり:05/02/03 17:03:26 ID:IbifT0S/
リーの神化論と教父たちの神化論の違い

その前に、教父たちでは、イエス・キリストの位格的統一(位格において神性
と人性が結合される)と私たちの神化はパラレルではないが、
リーにおいてはパラレルになっている。つまり、イエス・キリストにおいて、
神性と人性が混ざり合いするように、私たちの神化も神性と人性が混ざり合い
する。

そのうえで、神化の違いを考えてみる。

ところで、もともと位格(ペルソナ)の原語であるヒュポスタシスは個別者あるいは純粋存在性を表すニュアンス
で三位一体論で使われている。
だから、神格(神の位格、神のヒュポスタシス)とは別にして、神性と混ざり合うというリーは何かヒュポスタシ
スを「神的な我」と考えているふしがある。

本題に移る。

神をひとつの強力な磁石で例えよう。この1個の磁石においては、神格と神性は固く結ばれている。

人間をひとつの鉄の固まりで例える。この1個の鉄においては、人格と人性は固く結ばれている。

この鉄のそばに、磁石を置く。すると、鉄は磁石の出す磁力のために、磁石になる。
鉄そのもののヒュポスタシスと本性は変わらない。磁石から離せばまた元の鉄になる。しかし、
そばにある限りは、鉄そのもののままで磁石になるのである。

52通りすがり:05/02/03 17:04:11 ID:IbifT0S/
これが教父の神化論である。
つまり、人間は神のエネルゲイアを受けて、人間としての人格また人性は変化することなく
神のようになる。これが「神のご性質にあずかる」という意味である。

リーの場合はどうだろう。

磁石と鉄を混ざり合わせる。すると、まず、磁石も鉄も個体性を失う。つまり、ヒュポスタシス
を失うことになる。
確かにできあがったものの内には、磁石の破片があり、鉄の破片もあるが、
もはや磁石のヒュポスタシスでも鉄のヒュポスタシスでもない。

つまり、リーの神化論では、神のヒュポスタシスと神性、人のヒュポスタシス
と人性をばらばらにしなくてはならない。
それは不可能である。
53通りすがり:05/02/03 17:05:34 ID:IbifT0S/
52は51の続きです。
54通りすがり:05/02/03 17:23:25 ID:IbifT0S/
あと問題点は、

神性と人性が「混ぜ合わせ」られるなら、
磁石と鉄が混ぜ合わせられるように、キリストであれば神格が
人間であれば人格が別の位格、ヒュポスタシスに変わらざるをない。

それをリーは神ー人と言っているようなのだが、

これも正統なキリスト論と合わない。

なぜなら、ロゴスが受肉して神性と人性の二性を持つようになっても、
依然としてヒュポスタシス、位格は神格だからだ。

以上、996さんのおかげで明らかになった問題点です。

私には、サタンの受肉という考えと
    神化に関して「混ざり合い」という考えが
ごらんのように受け入れられません。

他にも何か出てくるかもしれませんが、
とりあえず、リーを読む場合はその部分を除いて読みたいと思います。

ちょうど、オリゲネスを読むのと同じです。

もし不快な思いをさせたなら、お許しください。
私はただ真実を知りたかっただけなのです。リーの著作のすばらしさ
に惹かれる自分と、しかし何だかわからないモヤモヤと。
しかし、そのあたりがはっきりしました。
55996:05/02/03 21:39:05 ID:6LeP2oac
通りすがりさんにレスをすべきですが、もう少しお時間を下さい。

のぞみさんへ。
リーの本は、とりあえず日本福音書房のホームページにある
「良書十選」から選ばれてはいかがでしょうか? 私は回復訳の注を
読んで疑問に思った「エコノミー」という語の意味が知りたくて、
『神の永遠のご計画(神のエコノミー)』から読み始めました。ちょっと高め
ですが、リーの「造り変え」(神化)に関する神学のダイジェストになっています。
それから、意外にいいのが『人生の奥義』という伝道用のパンフレットです。
『神の永遠のご計画』の要約になっていて、あわせて読むとポイントが押さえやすい
のです。

ライフスタディは、リーが二十一年間かけて語りおえた、全聖書の講解
メッセージです。日本語版は、リーが語った直後に訳したらしく、
一応全巻訳されていますが、訳が荒いし、訳語がこなれていません。
たとえば、回復訳の注で「すべてを含むキリスト」と訳している語が、古いライフ
スタディでは「万有網羅のキリスト」となっています。これはいくら何でも
読みづらいので、最近新しく訳しなおしてハードカバーになっていっていますが、
(グリーンブックというそうです)まだ半分もいっていません。
私が自分で買ったライフスタディは創世記とローマだけで、あとは知り合いから、
昔出たふるい翻訳のを借りて読むか、ネットで英語で読むかしています。
こんなところで愚痴っても仕方がないのですけれど、日本福音書房の本は高すぎて
なかなか手が出せません。品切れ中の本も多すぎます。
読者層が地方教会の人と、あとは牧師が隠れて読む程度で限られているから
必然的にこうなってしまうのでしょうか? 
キリスト教の書店に行くと、ニーの全集や単行本は手に入りますが、リーの
本は回復訳やライフスタディでさえ置いてなく、注文しなくてはなりません。
リーの英語の本は高校のリーディングの教科書並みです。実は私はリーの
本を読むためにリーの本で英語を学びました。英語の勉強には結構使えますよ。
56通りすがり:05/02/03 22:10:10 ID:/vcgFSiv
>>55
996さん、ありがとうございます。
あれだけ書いてしまったので激怒しておられるのではないかと思ったのですが、
感謝いたします。
どうぞ、ゆっくりお返事下さい。
57のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/03 23:07:59 ID:qSWJQgy3
>>55
ありがとうございます。
参考にします。
まずは、伝道パンフをもらおうかなと、思います。
ライフスタディは、わたしは福音書のが、欲しぃかな。
ヨハネとマタイあたりでしょうか。
書籍代は、キリスト教はかかりますね。
たまにブックオフの105円均一に良書があると、うれしくなります。
このスレは内容が難しいですね。
またわたしの場合、初心者的な質問させていただくかもしれません。
その時はまたよろしくお願いします。
58通りすがり:05/02/04 07:25:58 ID:AEESsHks
996さんへ、私書箱にお返事くださってありがとうございます。

もしよろしければ、ICFに私書箱を作ってくださるか、
あるいはフリーメールでも構いませんが、私書箱当てへのメールで
教えて頂ければ幸いです。無理にとは言えません。

ここに書けないこともありますので。
59996:05/02/04 12:55:23 ID:eSD4Sh6Z
「あれだけ書いてしまったので激怒しておられるのではないかと思ったのですが」
いえ、とんでもありません。ちょっとびっくりしただけです。
調べものはボチボチ進んでいますが、もう少しお時間を下さい。
「まずは、伝道パンフをもらおうかなと、思います。
ライフスタディは、わたしは福音書のが、欲しぃかな。
ヨハネとマタイあたりでしょうか」
確か、マタイとヨハネはグリーンブックになっていて、読みやすい翻訳で読める
はずです。
最寄の図書館の蔵書を検索すると本が見つかることがあります。

地方教会の人がここに来てくださるのを待っています。
私は気持ちとしては完全に地方教会側ですが、何しろ付け焼刃でわからないこと
だらけです。私が答えるよりちゃんと地方教会の実際を知っていて、リーとも
直接会ったことのあるような方が質問に答えられた方がいいと思いますし、
私も質問が山ほどあります。
私が知りたいのは「使徒」とは誰か、「使徒たちの教えと交わり」とはどういう
ことか、教会でそれに従わない人たちが出てきた場合は実際的にどのように
しているのか、です。
今リーの『長老訓練』というシリーズを少しずつ
読んでいますが、言葉は簡単なのに、
どうしたことかなかなか理解できません。

お待ちしております。
60996:05/02/04 14:06:09 ID:1a9+VrmZ
ちょっと時間があったので、「ワンネス」のスレを覗いてみました。
通りすがりさんの書き込みがたくさんあったので100番台まで読みました。
通りすがりさんがなぜ三位一体論やキリスト論について疑問を持っておられるか
よく分かりました。
ニーはいいけどリーは・・・とおっしゃる意味も、そこのスレを読んで
納得できました。
今晩あたりにワンネスのスレを最後まで読もうと思います。

ご質問の意図をちゃんと理解せずに書き込みし続け、すみませんでした。
どうかご勘弁ください。
61通りすがり:05/02/04 14:20:43 ID:AEESsHks
>>60
ありがとうございます。「カリスマ派CIアジアを語ろう」の方も読んで
いただけると幸いです。

そうですね、この頃、三位一体論とキリスト論に非常に敏感になったのは
ワンネスの被害者(ひとりは昨日の者さんで、もうひとりはまだ回復して
おられない方で「行ってはいけない教会」に書き込まれることもある)に
出会ったからです。

そのため、この頃、自分の信仰の教理的基盤を見直し、マクグラス、エリ
クソン、メイエンドルフ、ロスキー、はたまたアウグスティヌスの「三位
一体論」と読んでいます。

そのなかで、ウィットネスリーのことが出てきたので、慎重にも慎重になら
ざるをえない状況ではあります。
62のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/04 17:49:38 ID:uut74tE9
>>59
はぃ、ありがとうございます。
マタイ、ヨハネは新しぃ翻訳になってるわけですね。
地方教会HPは、東京はフレーム仕様かな?
ケータイで見れませんでした。
それで、松戸をちょっと覗いてみました。
どなたか、いらっしゃるといぃですね。
63通りすがり:05/02/04 18:38:38 ID:AEESsHks
996さん、私書箱にメールを返信しておきました。
64996:05/02/06 17:22:38 ID:s3Qh0sbb
通りすがりさんへ。
読いたしました。ありがとうございます。
お教えいただいたホームページは三分の一くらいまで読みました。
読み終わったら何らかの形で感想を書きおくらさせていただきます。
リーの三位一体論とキリスト論は、『神の言葉を完全に知る』The Full Konledge
of the Word of Godの第5章がよくまとまっていると思います。
例によって、LSMのホームページでタダで読めます。

のぞみさん、すみません、『人生の奥義』はネット上で公開されていました。
それから、三人しか住人がいないのに、通りすがりさんとメールのやり取りを
始めたりして、申し訳ありません。
でも、通りすがりさんは一本気でいい人ですね。

このスレのおかげで、三位一体論とキリスト論を学びなおすいい機会が与えられました。
ちゃんと教会教父の著作を読まないといけなさそうです。
65のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/06 18:30:26 ID:XaxIwi/9
>>64
こんにちわ
わたしは知識が無ぃので、お気になさらず、お二人で進めてくださぃね。
話が難しくて、とてもわたしには、ついていけません。
またICFのメールボックスは、携帯不可です。
わたしは、使えなぃです。

話や教えていただきたぃことがある時は、このスレに書かせていただきますので、その際にはお願いしますね。
66通りすがり:05/02/06 19:30:36 ID:WSl91cBY
>>66
すみません。難しい話題になってしまって。
でも、のぞみさんが回復訳を読まれているのであれば、その質問などを
バンバンしてもらって996さんに答えてもらうのもいいかもしれません。
私書箱は使えないと思いますが、何かあったらMSNメールのアドレスを
乗っけておいたのでメールください。お祈りの依頼とかでもいいですよ。

>>64
情報ありがとうございます。あのHPを読んでどう思われるのか、楽しみに
しています。この頃は教父ばかり読んでいます。そのあたりが基準になる
のではないかと思ってのことです。
67通りすがり:05/02/06 19:39:45 ID:WSl91cBY
>>65
のぞみさん、
何だかさみしく思われるかなと思って
アドレスを載せたのですが、
女性の方には逆に失礼だったかもしれません。
もしそうでしたら、ごめんなさいね。
68のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/06 20:18:05 ID:XaxIwi/9
>>66-67
メアドは、わかりました。
でも気にされなくて、大丈夫ですょ。
他スレ、あちこち、カキコしてますから。
何かあるときは、このスレにもカキコしに来ますね。
気を使ってくれて、ありがとう。
69996:05/02/06 23:24:58 ID:ba8mSStI
いいスレだなぁ。
70のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/06 23:29:32 ID:XaxIwi/9
996さんと通りすがりさんは、きちんとした方だからですね。
71996:05/02/07 22:54:50 ID:udNd5Byp
「でも、のぞみさんが回復訳を読まれているのであれば、その質問などを
バンバンしてもらって996さんに答えてもらうのもいいかもしれません」
通りすがりさん、さりげない口調で何てことを書いてらっしゃるんですかっ!
勘弁してくださいよ。

「996さんと通りすがりさんは、きちんとした方だからですね」
通りすがりさんとのぞみさんがちゃんとした方たちなので、私もつられて
行儀がよくなって、匿名をいいことにケンカ腰のことを書いたり
できなくなってきました。ありがとうございます。

最近英語版の回復訳を見ていて、細かいところで修正がなされているのを
何箇所か見つけました。現行の英語版回復訳は1991年初版ですが、
それ以降も時々手を加えているようです。
日本語版には1996年の初版以降手が加えられていないようです。中国語
版は未確認。
日本語版には、何箇所か、誤訳・・・というか、回復訳らしくない箇所が
あって気になっています。たとえば、ピリピ1:8はほかの日本語聖書に
引っ張られて原文から離れた訳になっていますが、注に書いてある通りに
訳した方が回復訳の方針にあっている気がするし、
より深いように私は思います(日本福音書房の方のレス希望)。

ところで、こんなのがあったので貼っておきます。
地方教会の讃美歌(英語版)です。
ニーの作詞能力ってすごかったんですね!
ニーを導いたシスターM.E.バーバーの詞も最高です。
http://www.hymnal.net
72名無しさん@3周年:05/02/08 02:55:41 ID:iFQi/CU2
初歩的な質問ですみません。
回復訳って何ですか?
どこで手に入りますか?
岐阜・愛知にも教会がありますか?
73のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/08 03:12:54 ID:gCP1nW3S
>>72
回復訳聖書、電話かネットで、注文できます。
回復訳の見本も、ありますょ。
わたしは、996さんに教えていただき、回復訳を買いました。
996さんが詳しぃので、わたしはHPだけを貼っておきます。
http://www.jgbr.com/index.htm
74のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/08 03:18:23 ID:gCP1nW3S
>>71
わたし、このスレだけですょ、丁寧にと心かけてるのは。
お二人の力です。
75narumi:05/02/08 18:22:59 ID:X4Qo8/jp
回復薬なんて知らなかった。
カトリックのだけでいいよおいらは。。。
76narumi:05/02/08 18:24:07 ID:X4Qo8/jp
>>73
ええ〜〜〜買って読んだの?すごいなー。
77narumi:05/02/08 18:26:25 ID:X4Qo8/jp
ねえ。聖書って、プロテスタントにはたくさんあるのね。びっくりしたよ。
エホも聖書あるでしょ。或る福教会にも聖書あるでしょ。みんな教派ごとに聖書持つの?
キモイなー
78のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/08 18:27:37 ID:gCP1nW3S
>>75
あたしが好きなのは、フランシスコ会の本田神父さんが訳した聖書なの。
回復訳聖書は、まだまだ少しだけょ。
あたし、いろいろ手を出すからねぇ〜。
79名無しさん@3周年:05/02/08 18:27:58 ID:R0LyIY05

カトリックにも 新共同訳に本田訳、フランシスコ会訳といろいろあるやん♪
80のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/08 18:29:39 ID:gCP1nW3S
>>77
カトリックだって、新共同訳、フランシスコ会訳、バルバロ訳、本田訳、他にもあるんじゃなぃの?
81のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/08 18:31:26 ID:gCP1nW3S
>>79かぶったね、わかんなかった。
82narumi:05/02/08 18:36:52 ID:X4Qo8/jp
でも、カトリックの場合は「そっちの訳はおかしいよ間違いだよ誤訳だよ変だよ」なんて互いにけんかしないよ。
共通して守っている基本教理があるから。だから公会議の精神は必要だよ。
83996:05/02/08 21:47:45 ID:kg3ew1sJ
「岐阜・愛知にも教会がありますか?」
愛知には「名古屋に在る教会」があって、
最近ホームページができました。名古屋大のあたりですね。
このグループの人たちは「地方教会」「主の回復」などと呼ばれていますが
(ネット上では、それで検索するとヒットします)、
彼ら自身はそれを団体名として用いる意志はないようです。あくまで、
対外的な名称に限っています。
名前らしい名前といえば、各都市にある教会が「札幌に在る教会」とか
いう風に都市名で呼び合っている程度でしょうか。
歴史的背景、神学的特徴そのほかは、最近彼らのホームページが充実
してきているのでそちらをどうぞ。

narumiさん、ようこそ。三人だけでもともとさびしかったところに、
最近では私と通りすがりさんが2ch以外のところで話しているので、
シーンとしていたところでした。
うれしい限りです。
84突然の訪問者:05/02/09 21:02:34 ID:b+9z9Okm
>>1
通りすがり氏、突然で申し訳ありませんが、ご相談したいことがございまして、
私書箱の方にお送りしました。
どうか、見ていただけませんでしょうか?
なにとぞ、よろしくお願い致します。
85996:05/02/10 15:40:57 ID:O1LKLrFa
マタイとヨハネの最初と最後の方を回復訳で読んでいて、ついでに注を
参照して、思わず手を打ちました。
なぜ四つも福音書があり、それぞれの違いは何なのかがきっちり書いてあったのです。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネはそれぞれ、イエス・キリストの四つの面、
王、人に仕える奴隷、完全な人、神の四つの面をあらわしているというのです。
そしてこれはかしらとしてのキリストの歴史を記述しており、からだとしてのキリストの
歴史は使徒行伝に記述され、かしらとからだの各面の詳細は書簡に書かれてある
のだそうです。
注はさらに、四福音書の特徴を述べていきます。
たとえばイエス・キリストの系図。マルコは奴隷としてのキリストだから、
奴隷には系図がありません。ヨハネは神としてのキリストだから、三位一体について
触れるだけで人としての系図はありません。マタイの冒頭にある系図は王家
の系図、ルカの系図は人としての系図という違いがあるのです。なるほど!
昇天についても納得しました。マルコとルカにだけ昇天の記事があります。
ヨハネのキリストは神だし、おしまいで「聖霊を受けよ」といって信者たちの中に内住
しているので昇天について書いていないのだそうです。マタイはインマヌエル
(神われらと共にいます)としてのキリストであり、最後に「時代の満了の時まで
あなたがたと共にいる」といっているので昇天の記事がないのだそうです。
ああそうかと思って福音書を通読していたら新しく発見がありました。
悪霊に憑かれた人がイエスに「神の子よ!」と叫んで、イエスに黙らせられた
箇所がこれまでよく理解できませんでしたが、四福音書の原則を知ってよく分かる
ようになりました。ヨハネ以外はイエスの人としての面に強調点があり、
イエス自身「人の子」と名乗っています。だから悪霊に憑かれた人は「神の子」
と呼び、イエスはそれを黙らせているのです。
啓示録(黙示録)4:7などに出てくる四つの生き物も、リーによれば
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと関係があるらしいのですが、
これについて書くにはもう少し旧約を精読する必要がありそうです。
自分でもまだちゃんと消化しきれていないことを書いちゃってすみません。
86通りすがり:05/02/10 16:05:14 ID:0NLan16G
>>84
お返事しておきました。お読み下さい。
一度では書ききれないので、また読んだ後に質問とかあればどうぞ
してください。
87名無しさん@3周年:05/02/10 17:31:44 ID:O1Prtk03
>>85
回復訳は読んだことないけど 四福音書のテーマの違いは
聞いたことありまつね。それぞれテーマがあるのでつね。♪

マタイ・・・ 王としてのキリスト
マルコ・・・ 僕としてのキリスト
ルカ・・・・  人としてのキリスト
ヨハネ・・・ 神の子としてのキリスト
使徒行伝・・ 身体としてのキリストの歴史
各書簡・・・ 頭と身体の各面の詳細
88のぞみ ◆55nynIr58w :05/02/10 22:23:40 ID:pwN3EpXk
>>85
参考にさせていただきますね。
89名無しさん@3周年:05/02/12 03:32:21 ID:WzbNFTKo
ワンネス神学とは・・・
http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda2/31mffugSFSqyE22844.htm

これと関係あるかな?
90996:05/02/15 16:07:56 ID:8HC13jdn
いえ、ありません。
私と通りすがりさんが最初の方でリーのワンネス疑惑についてやりとりしましたが、
詳しい内容はメール等を使って個人的に話しましたので、ここで簡単にまとめて
おこうと思います。
ワンネスとは、三位一体の「一」の面を極端に強調し、三の面を軽んじたり、否定
あるいは無視したりする立場で、異端的です。
ワンネスの人たちはイザヤ9:6や第一コリント15:45の後半を用いて、
御父=御子=聖霊であり、神は一人であると強調します。
これに対し、反ワンネス論者は、イザヤ9:6や第一コリント15:45後半を
字面通りに解釈するのは誤りだと反論するのです。
ウィットネス・リーはイザヤ9:6や第一コリント15:45を字面通りに
解釈し、御父=御子=聖霊で、神は一人であるとしつつも、御父、
御子、聖霊がそれぞれ神格を持っているという「三」の面も認めています。
リー自身著書でこのことを繰り返し語っており、通りすがりさんはリーの本を
読んで、今は、リーはワンネスではないと判断しておられます。
リーに対するワンネス疑惑は、ある面、いわばとばっちりのようなものなのです。
ですが、リーはワンネスだ、サベリウス主義だとしつように批判し続ける人も
います。これは、おそらくリーの教会論に対して反対している人たちの
デマであると私はとっています。ニーやリーのビジョンに従う人たちとまともに
教会論で論争しても勝てないと見て、戦法を変えているわけです。
リーの三一論、キリスト論については、『神の永遠のご計画』と
『神の言葉を完全に知る』あたりが手ごろなのではないでしょうか?
91通りすがり:05/02/15 23:27:55 ID:AB9Mzssc
ウィットネスリーの三位一体論について、なるべく公平・公正に判断しました。
まず、リーは本質的三位一体論と経綸的三位一体論に分けています。
本質的三位一体論では、3つの位格と1つの本質を認めています。疑いの余地は
ありません。
そして、経綸的三位一体論ではイザヤ9:6やTコリント15:45をそのまま解釈しつ
つも、本質的三位一体論を同時に認めています。

どうしてそんなことが可能かと考えていましたら、アウグスティヌスの「三位一
体論」に書いてありました。
つまり、創られた人間にとって神は父であると。すなわち、父なる神だけではな
く、子なる神も聖霊なる神も人間には父なのです。
また、「神は霊である」と聖書にあるのは、聖霊にだけ当てはまることではなく
父なる神にも、子なる神にも(もちろん受肉したことを除いて)当てはまること
なのです。

ですから、リーはワンネスでもサベリウス主義でもありません。


92996:05/02/16 21:59:28 ID:uQ3NE32R
アウグスティヌスの『三位一体論』は英語で読まれたのですか? 日本語ですか?
よろしければ出版社名等をお教えいただけませんか?

最近、リーの『性格』という本を読み返しておりました。
その本の中でリーは、語学の素養の必要性について述べつつ、
キリスト教書を読むために必要な語学として、ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、
英語をあげています。ドイツ語もフランス語もあがっていないのは、
ルターもカルバンもガイオン夫人も英語で読めるからだと思いますが、
ラテン語があがっているのには少々驚きました。
しばらく前まで、ニー、リーといえば、ケズィックコンベンションの流れとブレザレンの
流れとをうまく組み合わせた神学であるとのイメージを持っていました。それは
それで間違いではないはずですが、私が思っていた以上に、教会教父の研究を
しっかりやらないと、ニー、リーが本当に意図していたことは分からないのではないかという
気がしてきています。
それに加えて、70年代後半以降、リーは東方教会の教理と実行に接近しています。
アメリカのA&C PRESSという出版社からリーの弟子筋にあたる人たちが神学雑誌を
出しているので、そちらを参考にしつつ教会教父や東方教会の本を読まなくっちゃと
思っています。
通りすがりさんがいてくれるので頼もしい限りです。
93通りすがり:05/02/16 22:15:06 ID:NG1WIyrK
>>92
日本語で読んでいます。英語ならばCCELにもありますが、
やはり英語だと読める分量が限られていることと(残りの人生は短いので(笑))
ちょうど教文館から新訳が出ていたのでとびつきました。
「アウグスティヌス著作集28 三位一体」(泉治典訳 教文館)
です。

私は、実は、東方の三位一体論を念頭におきつつ読んでいますのでけっこうアウグ
スティヌスの三位一体論は批判的に読んでいます。
しかし、時折退屈なところはありますが、はっとするところもかなりあります。

>キリスト教書を読むために必要な語学として、ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、
>英語をあげています。
うーん、私はこのなかの英語しか読めない。人生、時すでに遅しという感じです。
しかし、まあ今年こそ、ギリシャ語を始めなければと思っています。

「神の永遠のご計画」を英語版で丹念に読んでいますが、
これは東方のエネルゲイアを言っているとか、シネルギアだとか結構思い当たる
ふしが出てきています。

そのうち、明確になったらお教えします。

今はおおざっぱに、回復訳とThe Orthodox Study Bibleを読み合わせてみようか
なと考えています。

94996:05/02/17 10:54:22 ID:nENcWQUz
教文館ですね。ありがとうございます。
私の場合、図書館で利用できるものを除いては、CCELになりそうです。
本は、買ったりおいておいたりするのにお金がかかりますね(涙!)。

Eメールでお伝えいただいた、ウェスレーの東方教会からの影響の件、興味深く
拝読いたしました。
一つ、気になる事があります。
C・ウェスレーの書いた讃美歌にAnd can it be that I shoud gainというのがあります。
http://www.hymnal.net をご参照ください)
この詞でのウェスレーの強調点は、人の子イエスの十字架刑ではなく、
神ご自身の十字架上での死によって、私たちが解放されたという点なのです。
私はこの歌詞に東方的なものを感じます。
ライフスタディのどこかでリーは、「これは異端ではないかと戸惑った」と告白しつつも、
使徒20:28に「神の血」と書いてあるのを思い出し、
この詞には何かがあると思って地方教会の讃美歌集にはそのまま載せた、といっています。
私が気になっているのは、リーが1994年2月に中国語で発表した、彼の執筆による
最後の讃美歌What miracle! What mystery!です(英語版全文と中国語からの
逐語訳は歴代誌ライフスタディのメッセージ2にあります)。
これが実は、C・ウェスレーの賛美歌の替え歌なのです。
リーが東方教会から影響を受けていたことはほぼ間違いないと確信するに至っています。

95996:05/02/17 11:08:31 ID:5lIyqfCm
1おお何という奇跡、奥義! 神と人が混ざり合う!
 神が人と成るは、人が神となるため;
 天使も世人も知らぬことよ、はかりしれない神のエコノミー、
 最高の目的、神・人の混ざり合い。
2受肉した神・人は、私を神とならせる;
 命、性質同じ、唯一、神格はなし;
 神聖な特質はいまや、私の徳としてあらわれる;
 栄光のみかたち、神は表現される。
3私は単独でなく、今、神と共に生きる;
 神と協力して、宇宙の家を建造する;
 キリストの有機的なからだ、団体の大きな器となり、
 三一の神を、宇宙に表現する。
4最終の新エルサレム、啓示、ビジョンの集大成、
 三一の神と、三部分から成る人は、
 混ざり合い、共に住み合って、夫婦として永遠にいたる;
 神の栄光は、人にてあらわれる。
(日本福音書房刊 「詩歌」第二版より)

一番と二番はアタナシウスの『ロゴスの受肉について』からの引用が明らかなように、
教会教父や東方の影響が色濃く出ていると私は感じます。
ニーとリーの教会論に、教父たちや東方教会がどの程度影響を与えたのか
これから調べていくつもりです。
96通りすがり:05/02/17 11:45:40 ID:9gNPaILs
>>94

讃美歌の歌詞を読みました。「私の神が死なれた」と言っていますね。
しかし、これは東方ではごくふつうの言い方です。

初代教父のアンティオケイアのイグナティウス(35〜110)は
イエスの流した血を「神の血」、その受難を「神の受難」と呼んでいます。

ナジアンゾスのグレゴリ オス (260頃〜339/40)も
「我々は受肉し、死にふされる神を必要としていた」と言い、やはり「神の
血」とか「十字架につけられた神」と言っています。

しかし、一方で「神性」は苦しむことも死ぬこともありえない。
なぜなら、「神性」が苦しみ死ぬなら「神化」が不可能になる。

この矛盾する二つのことを一致させたのが、
「神(格)は肉(人性)において苦しみ死なれた」という公会議の
決定だったわけです。

しかし、確かに本は買うのにお金がかかるし、場所も必要。
ニーまで行かないにしても、本のすきまに布団をひいて寝ています。
97名無しさん@3周年:05/02/17 20:44:55 ID:t4LMNtsY
清浄の行者、涅槃に入らず、破戒の比丘、地獄に堕ちず。
我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。
柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。
大力の人がどうして彼の両脚を挙げることができないのか。
一粒の芥子、よく須弥山(しゅみせん)を隠す。
一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。
私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。
看よ、東山全嶺が水上を歩いている。
エックハルトの乞食の挨拶 「[朝な朝な好(よ)き朝です」。 雲門 「日々是好日」
雨降って、降らず。
扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。
昨日は痛かったが、今日は痛くない。 さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。
腹が減れば食い、疲れれば眠る。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。
啼かぬさきの烏(からす)の声を聞け。
わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。 光あれと命ずる以前の神と共にあれ。マタイ伝
98996:05/02/17 21:21:32 ID:jiZ8vVNK
ニーやリーだけではなく、ほかのクリスチャンでも正教の影響を受けた人が
いるのかどうか、気になります。ウェスレーが影響を受けているというのなら、
ほかにもいたとしても不思議ではないはずです。
ニーとリーが直接影響を受けたとされているのは、ガイオン夫人、アンドリュー・
マーレー、ジェシー・ペン・ルイス、オースチン・スパークスなど、キリストが人の内側
で命として生かし出されることに注目した人たちと、J・N・ダービー、
ガボット、パントン、ペンバーなどのブレザレン系の神学です。
リーが正教の著作を読み始めたと思われるのは70年代後半から80年代ですから、
もしこれらの本に正教の影響があるなら、70年代以前は間接的に
影響されていたということになります。
私は正教については何もわからないので判断できませんが、今後、正教的な視点から
これらの著作を読み直すことで何か違ったものが見えてくるかもしれません。
しかし、ニーにしろリーにしろ、教会教父についてはいろいろと書いているのに、
何で正教についてはほとんど何も言っていないのか。
ニーやリーが西方に属しているのかどうかわかりませんが、
東方について何か発言している西方の人もあまりにも少な過ぎます。
2chのほかのキリスト教系スレでリーについて肯定的な発言をすると「カルト」
とかいって叩かれるのと同じような状況でもあったのでしょうか?
興味の対象はひろがっていきますが、
本代と本を置く場所、本を読む時間は有限です。
悲しいかな。
99通りすがり:05/02/17 22:36:00 ID:cUnoiQS1
>>98
ウェスレーはまれな例かもしれませんね。
特に、プロテスタントの世界では「神化」という言葉を出しただけで、
異端のレッテルを貼られそうですし。
そうたくさんはいないのでは。
ただ、ウェスレー研究の方向が80年代以降、東方の観点からウェスレー
を見るというように変わってきていて、そういう面ではウェスレー系の
人たちには大きく変化は起ってきているようです。
加えて、結構、著名人が正教に改宗したりしているので、幾分認知度は
上がってきています。ヴィンヤードの教会がまるごとひとつ正教会にな
ったとか、フランシスシェファーの息子やカリスマ運動の指導者のマイ
ケルハーパー、教会史家のジャスロフペリカンなどが正教徒に改宗して
います。
100通りすがり:05/02/17 22:42:27 ID:cUnoiQS1
あとご存じかもしれませんが、
日本基督教団で東方典礼を行う教会も出てきています。
http://www16.ocn.ne.jp/~miyakoch/00.htm
ここの牧師はホーリネス出身らしいですが、
「もう西方神学は忘れてしまった」と言っているらしいです。
101>1:05/02/18 00:25:50 ID:gzIOEDJD
マービン・ゲイとレイ・チャールズの真実っつーのはどう?
102名無しさん@3周年:05/02/19 15:12:22 ID:cRBS+gIZ
>>96
>しかし、一方で「神性」は苦しむことも死ぬこともありえない。
>なぜなら、「神性」が苦しみ死ぬなら「神化」が不可能になる。

なぜ、そうなのか、良く分かりません。
詳しく説明を聞きたいのですが・・。
103名無しさん@3周年:05/02/19 16:21:46 ID:HFO/ZeOT
>>98
>>リーが正教の著作を読み始めたと思われるのは70年代後半から80年代ですから
これってほんとですか? 知らなかった。
このスレ面白いですね。
わたしは、ニーやリーをたくさん読んだ後、正教を読んだらね
エコノミーや神化の教説、教会を神秘と解するのが、正教ととても似てると
思ったな。
ところが、それをアメリカのプロ福音派が理解できなくて
リーを神化の教説をとっていることによって異端扱いしている
現象は、ある種珍妙に思えるね。

但し、ニーの教会の歴史観は、狭すぎるね。
これは、ブレズレンやマレーの影響を受けてるんだろうが、
宗教改革以降の西方教会しかみてないから、
ブレズレンの正当を引き継ぐのは、自分たちだけで
それが啓示録のフィラデルフィアの教会ってことになるんだよね。
フィラデルフィアのみが、主から叱責されていない唯一の教会で
教会の基礎は、この地方の立場に立つことが、勝利者の道と
いうことになる。
このせまい教会史観が、この集団のカルト性の原因だね。
104ウォッチマン・リー:05/02/19 17:37:13 ID:zNis4E6Z
>このせまい教会史観が、この集団のカルト性の原因だね。

禿同。自分たちだけが正統だってね。
ある地方で、先に「○○に在る教会」って看板あげたら
そこだけが正しい地方の立場になるわけでしょ。
後で始める人たちは、そこに連なるしかなくなる。
おかしいでしょ、どう考えても。





105996:05/02/21 09:53:52 ID:t3j/X73h
教会論について、ニーとリーの見解は違っていた、というご理解でしょうか?
それはちょっと違うと私は思います。リーは晩年に至るまでニーの教会論にしたがって
いたことを、彼の本を読んで確認したからです。
教会論に限らず、ニーとリーとは別だと思っておられる方は多いのですが、
私にはそうは思えません。去年、一年かけてニー全集の第三期とリーの1994年以降の
メッセージを読んで、例の「人の神化」に関する点においてさえ、ニーとリーは
同じ路線だったのだと確信しました。違うのは用語だけで、言っている内容は同じなのです。
おっしゃる通り、ニーの1920年代のメッセージはブレザレンの影響が強く、
彼の教会論もブレザレンのものを修正した程度で、「中国版ブレザレン」などと
呼ばれたことさえありました。ですが、いくら何でもニーが宗教改革以降の西方
しか見ていなかったと考えるのは無理があります。彼は若い頃から本を集めて
教会教父もカトリックも東方もちゃんとフォローしていて、リーが地方教会に
来てすぐに、個人的に教会史のレクチャーを与えたと、リーが証言しています
(『召会と地方召会の歴史』『時代の先見者ウオッチマン・ニー』日本福音書房)。
ニーの全集を丁寧に読めば、リーのこの証言が嘘ではないことははっきりする
でしょう。
私は、ニーもリーも、聖書に書いてある教会論をそのまま語ったと思っています。
もしニーやリーの教会論がカルト的であるのならば、イエスもパウロもペテロも
ヨハネもみんなカルト的であったということになると思います。
私は彼らの務めに徹底してしたがっているわけではありませんが、
クリスチャンとして、彼らの教会に関する教えをカルト的と言う度胸はありません。

お二人(別人ですよね?)のレスを読んでいて、本当にニーの本をちゃんと
読んでおられるのか疑問に感じます。『正常なキリスト者の教会生活』は読まれましたか?
それから、マレーとは誰でしょうか?寡聞にして存じ上げませんのでご教示願います。
106名無しさん@3周年:05/02/21 11:01:29 ID:9xhd+u5u
5 :カルト化 :05/02/17 13:15:20 ID:sgE0RpwZ

●「主の十字架cc脱退・脱出者の連絡ページ」は以下のURLです
  http://www.h5.dion.ne.jp/%7Ej.1/exodostop.htm

関連サイト
TLCCCの真実 
http://homepage3.nifty.com/nathan/index.htm
107名無しさん@3周年:05/02/21 20:14:07 ID:Zemj+Slf
>>105
ニーは、いいけどリーは、いけないとはいってないですよ。これは、よくニーの本が好きなプロの人たちが、カルト視されている地方教会
とリーからニーを分離しようとする動機に基づいて、いっている論法でしょうね。

ニーが、教会教父もカトリックも東方もちゃんとフォローしていてうるかどうかは、疑問符がつきます。教父、カトリック、東方への理解に関しても
主としてブレズレンの理解のしかたを継承しているといえるでしょう。
108名無しさん@3周年:05/02/21 20:16:23 ID:Zemj+Slf
107の続き
   ニーやリーは、自分たちの"回復"の中で教会史上のいろいろの人たちの貢献に対して、誰から習ったかを明らかに
していますが、その中で教父に直接、言及するのは、まれでは。イレネウスを教会を最初に組織化してしまった人物として
批判することくらいですかね。カトリックに関しては、ガイオン夫人やブラザーローレンスが内在のキリストや主の臨在に関
して、カトリック教会に属してたにもかかわらずわかっていたとか、カトリックには、主にない深みがあるとかいったことくらい
しか聞いたことないですね。
109名無しさん@3周年:05/02/21 20:16:46 ID:Zemj+Slf
正教の中の人物に具体的に煩雑に言及することは、あまりないのではないかと思います。例えば旧約
に予表論的な解釈が、ブレズレンにはじまるというわけでなく、もともとギリシャ教父にあったもので、そ
のことは、正教でもカトリックでも今日にいたるまで教会の伝統として何ひとつかわっていないという事実
に関しては、無自覚といえる思います。
110名無しさん@3周年:05/02/21 20:18:04 ID:Zemj+Slf
109のつづき
 "聖書に書いてある教会論"といういいかたは、プロテスタント急進派の伝統の上に立つもので、この考え方は、
カトリックや正教の教会論では、ありえません。伝統的な教会では、教会が聖書に先行して存在し、聖書は、教
会の伝統の中で最重要な文書という扱いです。イエスや12使徒の時代、新約聖書は、成立しておらず、新約聖
書自身が、当時流布していたいろいろな文書の中を聖書として認定していたのは、ニーやリーを含めて単純な聖書
主義に立つ宗教改革急進派のひとたちが、すでに堕落してきってすている当時のカトリック正教に分裂以前のカト
リック教会の教会会議です。
   
私は103ですけど、『正常なキリスト者の教会生活』は、20年くらい前に一度読みましたよ。

マレーは、アンドルーマレーのことです。ニーやリーをヨハネの啓示録の中の7つの教会を具体的な歴
史上の教会にあてはめて理解する方法はもともとマレーによっています。
111名無しさん@3周年:05/02/21 21:55:27 ID:hzNmK7UH
レスありがとうございます。
おっしゃる通り、ニーの認識にブレザレンの影響が強くあらわれているというのは、
ニー全集でいう第一期のメッセージには言えることだと思います。ですが、第三期まで
読むと、必ずしもそうとは割り切れないものを感じます。リーが晩年に教会教父や
正教に傾いたのも、どうもニーの鼓嶺山でのメッセージ(1948年頃)などの
影響ではないかと私は思います(たとえば『神の言葉の務め』)。
ニーやリーのメッセージで言及されるのは宗教改革以降の西方の人物・書物が圧倒的に
多いというのはご指摘の通りです。ですが、それは、彼らがそれを知らなかったとか
無視していたとか言うことではないと思います。
ニーやリーの本の大半はメッセージを書籍化したものであり、学術論文のように、
一々参考にした文献をあげたりはしません(訓練で語られたメッセージでは、
若干参考文献の話が出て来る頻度があがります。たとえば『神の言葉を完全に知る』
『神の啓示とビジョン』)。
リーも、これはちょっとまずいんではないかな、と思っていたようです。
『長老訓練』の第3巻だったと思いますが、アナハイムに在る教会の集会所の地下に
ニーとリーが参考にした文献のライブラリーを作って公開する予定だったけれども
取りやめにした、という話が出てくるからです。
LSMのホームページに行くと、アファーメーション・アンド・クリティークという
神学雑誌が閲覧できます。それを読むと、リーのネタ本がいっぱい出てきますよ。
110は実に大きな論点なので、後日レスさせていただきます。

質問があります。ニーの『教会の正統性』を日本福音書房の訳で読んでいたら、
アンドリュー・マーレーが教会史に関する非常に聖書的な本を書いた、と書いてあったので
探し回ってみたのですが、見つかりませんでした。
そこで、調べもせずに、多分本当はアンドリュー・ミラーの
ことで、翻訳者の誤記だろうと今日まで勝手に思い込んできたのですが、
マーレーも教会史の本を書いていたのですか?
だとしたら、恐れ入りますが、書名と出版社をお教えくださいませんでしょうか。
日本語か英語なら買って読んでみたいのですが。
112名無しさん@3周年:05/02/21 22:51:19 ID:Zemj+Slf
>>111
わたしもそのマレーの本の原本が何の本か当時わかりませんでした。
『教会の正統性』日本語訳の記述からそのことを私も覚えているのではないかと思います。
かれこれ20年前のことなので。
現在、グーグルでひいても簡単にでてこないので,
ご指摘な通り その内容からいってもAndew Millerの Chruch Historyのことを
間違えたのではないでしょうか。

http://www.stempublishing.com/history/

文面からするとリーは、亡くなったようですね。そういえば死んだというニュースを数年前に見た気がします。
晩年に教父や正教に傾いたそうですが、その当時の著作とかメッセージをみてみたいもんです。
私の地方教会に関する生の知識は、基本的に20年ほど前でストップしてますので。
113996:05/02/23 23:33:38 ID:YDZIEwsD
リーが亡くなったのは1997年、91歳だったときいています。
最後の言葉は中国語で、「犠牲」だったそうです。

最近、通りすがりさんの影響で正教の本を読んでいます。
確かに、1980年代以降、リーは教父と正教の本を読んでいたようです。
リーの本に出てくるフレーズが正教に由来しているのを確認できたりして
興奮しました。
ニーは若い頃から収入の三分の一を書籍費につぎ込んで、教父や正教を
含む、キリスト教の代表的な著作をほとんど読破していたそうです。
いくつかの項目で東方的なことも言っています。
しかし、ニー=東方とするのはちょっと乱暴かなと最近思い始めてきています。
人の神化について、リーは教父を徹底して学び、正教からも学んでいますが、
リーの人の神化論は彼の教会観と深く結びついていて不可分です。とりわけ、
人の神化の目的の話になると、もう完全に教父や正教の枠から飛び出しています。
ニーとリーの教えの中心は教会論にありますから、そこをはずしてしまうと、
教会論以外の点でも、何らかの形で、ニーやリーの言っているのと
違うことを言わないと聖書解釈が整合しなくなってくるのです。
今回、正教の教えとニー・リーの教えの一致点・相違点を確認しつつ
そういったことを感じました。

リーの晩年のメッセージは、英語ならLSMのホームページでタダで読めますよ。

失礼ですが、20年前まで地方教会におられた方ですか?
114名無しさん@3周年:05/02/24 01:04:10 ID:jilEoEpd
  そうですね。20年ほど前に、1年くらい通ってました。
ただなにか違うなという思いが消えないので、もといたカリスマ派の教会に戻りました。現在は、カトリックです。
  正教の本、読まれるといいですね。世界が、広がると思います。
私自身の中にあったリーやニーは、いったいなにが違うんだという疑問に納得のいく答が得られたのは、
正教関連の本を読んだ後でした。


 




  
   



  


  



115名無しさん@3周年:05/02/25 18:26:39 ID:0e1vR5tT
最近、リーの晩年のメッセージを読んでいて、
「教父と正教の影響だ」と簡単に割り切れないものを感じ始めました。
リーが人の神化について語るときに、しばしば、自分はキリスト教の
歴史の流れに従ってこのことを語っているのだということで、キリスト教史に
言及します。そして、今からしゃべる内容はW・ニーの務めの延長線上にある、
といってから、人の神化について語っているのです。
まさかと思ってニーの全集をパラパラめくってみたら、かなり初期の段階
(1920年代)ですでに「人は命と性質において神と同じになる」と
発言しているのです。びっくりしてしまいました。
ここしばらく調べてきたこと、話してきたことが
根底から覆ってしまったからです。ニーがどこまで正教について
知っていたかはわかりませんが、教父は読んでいたでしょう。しかし、
そうだとしても、この発言には驚くほかありません。
これまで、ニーはすごいと思って愛読してきましたが、私が思っていた以上に
ニーは底知れません。
リーが晩年に正教の本を学んでいたのは事実だと思いますが、正教の本だけ読んで
人の神化のメッセージを始めたと考えるのは、実は行きすぎで、
リーはやはり終生リーの影響下にあったのです。
折角なので正教の本は納得がいくまで読み続けるつもりですが
(最低限、ロースキィの『キリスト教東方の神秘思想』と
カリストス・ウェアの本はともかく読もうと思っています)、
同時に、ニーとリーの本の読み直しが必要だと思います。

最近、通りすがりさんものぞみさんも静かですね。
116名無しさん@3周年:05/02/25 22:15:37 ID:NcbYseby
>>115
  わたしは、ニーやりーは、教父や正教のことなんどほとんど知らずに神化の教説をといていた
理解しました。それで正教の著作を読んだときに非常におどろいたのですが、その後、
カレン アームストロングの神の歴史やプロからカトへの改宗者であるルイス ブイエ神父の
プロテスンタントに関する著作などを読むと伝統を全否定しているプロテスタント諸派のいろいろ
人々が、それと知らずに「先祖帰り」している現象は、プロテスタントの歴史の中にしばしばある
ことだと知りました。逆に言えば、典礼的な教会の伝統の外にいても、聖霊は、同じようなことを、
神を熱心に求めている人々に啓示していることでしょうか。カトリックでは、第2バチカン公会議後、
よく教会かどこかにあるかは、明確にわかるが、聖霊の息吹が、カトリック教会の外でどこに吹いているか
は、確実には、わからないともいいます。





117996:05/03/01 22:59:58 ID:ET5pTsuN
いえ、やはり読んでいたんだと思います。
ニーの時代は教父や正教の研究書はあまりなかったかもしれませんが、ニーは
原典にあたっていたはずです。リーは、ニーから個人的にレクチャーされてある程度は
知っていたはずです。
教父や正教の研究書や翻訳が英語でどんどん読めるようになって、
リーやリーのブレーンたちが読んだのは、ニーが1952年の投獄されて以降のことだと
思います。
ニーが読むことができなかったのは、そういった研究書や翻訳書です。
ですから、ニーがすでに1920年代に語っていた人の神化論には、
現在ある教父学や正教研究とは違う、彼独自の見解が含まれている可能性があります。
ブレザレンあたりの神学者的な人たちや、通りすがりさんの
指摘されたウェスレーなどを参考にしていたことも大いにありえます。
しかし、何を参照していたにせよ、あの時代にあの若さで
教父や正教の膨大な蓄積を原典で読みこなし、今日我々が参看できるような
研究書に頼ることもなく、
人の神化を説いていた霊的見識には驚嘆するほかありません。

いずれにせよ、ニー、リーの著作と教父たちの著作、正教の研究書を
丁寧に比較しつつ読まなくてはならなさそうです。
神学論文が一本書けそうですね。

ニー、リーの場合、カトリックや正教への先祖がえりというよりは、初代教会
への先祖がえりでしょう。使徒たちの時代から数世紀下った時代にではなく、
聖書の記述を頼りに初代教会への回帰を図っていたのだと、私は理解しています。
118希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/27(日) 04:45:41 ID:KwJpyO3T
☆996さんへ
ごめんなさぃ、回復訳ですけど。
48ページの解説、13の3、「本人」は、わたし達ですか?
「彼」とは、誰ですか?
119996:2005/03/28(月) 00:42:08 ID:mkcp8IoC
ここに書き込みするのは久し振りですね。

マタイ7:13の註でよろしいですか? 
註の日本語がすこし変なので英語版と中国語版を確かめました。「本人」というのは
「その人」とでも訳した方がしっくりくると思います。聖書本文の訳はいいんですが、
註の訳にはたまにこんなのが出てきます。次の行に出てくる「彼」と同じ人を指しています。

「本人」も「彼」もどちらも、マタイ7:13後半の、崩壊に至る広い門から
入ってそのまま幅の広い道を歩いている人を指していると思います。

「わたし達ですか?」という問いは、返答しにくいな。「あなたの信仰生活は御心に
かなっていますか?」という問いと同じですから。私はあんまり胸を張ってこたえられません。

ここの註のおしまいに第一コリント3:15を参照するように書いてありますが、
私はマタイ5:4のチャート(○がいくつもならんでるやつ)、
巻末の「七十週とキリストの再来、および聖徒たちの携え上げに関する図表」
ローマ5:10やヘブル12:28とその註も参考になると思います。

特にヘブル12:28の註1は、9000以上ある回復訳の註の中でも傑作の部類に入ると思います。
私はこの註を読んでよく分からなかったけどどうしても理解したくなって、
ニーの『神の福音』、リーの『天の王国の簡潔な定義』『王国』などを必死になって
読んだ時期があります。あまりにも楽しくって、毎日毎日夢中でした。
マタイによる福音書のライフスタディもおすすめですよ。

ところで、のぞみさんは首都圏の方ですか? 代々木の駅のまん前のビルの五階だか六階だかに、
日本福音書房が店舗を持ったのだそうです。店員さんも多分主の回復の人たちでしょう。
私もそのうち見に行くつもりです。
120名無しさん@3周年:2005/03/30(水) 14:54:55 ID:qD/j38Br
この人は悪質なスレ荒しです。

149 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:25:57 ID:y1/G0iSO
はぁ〜、今わぁ、マム撫で撫でぇ〜

150 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:27:09 ID:y1/G0iSO
のぞみの、オナニスレにぃ〜、なりましたぁ〜

151 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:29:21 ID:y1/G0iSO
ショーツが濡れてぇ、マムに張り付いていますぅ〜♪

152 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:45:19 ID:y1/G0iSO
今わぁ、ショーツをめくって、クリをころころぉ〜。
はぁ〜、感じるぅ
あぁ〜ん、気持ちい〜ぃ

153 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:47:24 ID:y1/G0iSO
マム、指入れたぁ〜
いぃ、いぃ、あぁー!
いぃょぉ〜、感じるぅ〜
はぁ〜

154 :希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/03/29(火) 18:49:46 ID:y1/G0iSO
いくぅ〜、いくいく、いきそぉ〜
あぁー、あー、あっ、ああぁ〜ん
はぁ〜〜
良かったぁ、いったぁ〜




121996:2005/03/30(水) 20:25:32 ID:W7GAmWJ+
スレ主の通りすがりさんに何のことわりもなく勝手なことをしてしまってすみませんが、
下記のスレでの議論をこちらに誘導しています。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1106744137/
議論の流れが分からない場合は、そちらのスレと合わせてご覧ください。
122キョウフクまん:2005/03/31(木) 20:18:02 ID:5cZPnRix
のぞみのくっさいおめこなめたい
123岩本:2005/03/31(木) 20:29:00 ID:tdnmua8Z
異端です
124名無しさん@3周年:2005/03/31(木) 21:10:26 ID:w46hc2OL
「異端です」なんて自己紹介はじめてみた。
125996:皇紀2665/04/01(金) 17:49:06 ID:HVU/4QYR
よく話題になって、一々説明するのが面倒なので、W・リーの三一論についてまとめて
おきます。W・リー『真理課程』第一段階第一巻(日本福音書房)の
第二課「三一の神」冒頭のアウトラインに、本文から参照聖句をおぎないました。

T.神はただお一人である(Tコリント8:4、イザヤ45:5-6、21-22、46:9、
  44:6、8、詩篇86:10)。
U.神には父子霊の三つの面がある。
 A.神は自らを「わたし」また「わたしたち」と呼ばれる(イザヤ6:8、創世記1:26)。
 B.父子霊の問題(マタイ28:19)。
V.父子霊は永遠から永遠まで同時に共存する。
 A.父子霊はみな神である
  1.父は神である(Tペテロ1:2、エペソ1:17)。
  2.子は神である(ヘブル1:8、ヨハネ1:1、ローマ9:5)。
  3.霊は神である(使徒5:3-4)。
 B.父子霊はみな永遠である
  1.父は永遠である(イザヤ9:6)。
  2.子は永遠である(ヘブル1:12、7:3)。
  3.霊は永遠である(ヘブル9:14)。
 C.父子霊は同時に共存する(ヨハネ14:16-17、エペソ3:14-17、Uコリント13:14)。
W.父子霊は相互内在し、互いに分離しない(ヨハネ6:46、5:43、14:9-10、15:26、
  14:26、8:29、ルカ4:1)。
X.父子霊三者は一である。
 A.子は父である(イザヤ9:6、ヨハネ14:7-11、ヨハネ10:30)。
 B.子(最後のアダム)は命を与える霊となった(Tコリント15:45、ヨハネ14:16-20)。
 C.主(子)は霊である(Uコリント3:17)。
Y.神が三一である理由(Uコリント13:14)。

詳しくは日本福音書房『回復訳聖書』の註をご覧ください。
英語版はネットで読めます。 ttp://www.lsm.org
126名無しさん@3周年:皇紀2665/04/01(金) 17:57:36 ID:GpW+5JUg
>神には父子霊の三つの面がある

へえ、父子霊は神の「三面」なんですか?
それぞれが区別されるペルソナ(person)ではないのですか?

>子は父である(イザヤ9:6、ヨハネ14:7-11、ヨハネ10:30)。
>子(最後のアダム)は命を与える霊となった(Tコリント15:45、ヨハネ14:16-20)。
>主(子)は霊である(Uコリント3:17)。

御子=御父????

普通のtrinityの定義は、

「父≠子、子≠聖霊、父≠聖霊であり、三つのペルソナをもたれ、本質(ウシア)において
同一の神」

ですよ。

996さんはすでにリー教会のスポークスマンですね(笑)

127996:皇紀2665/04/01(金) 19:58:00 ID:6M8AOH/S
同じ内容を繰り返します。

父、子、霊は、区別されるべきです。それをラテン教父の用語で説明するなら、
おっしゃるとおり「三つのペルソナ」となるでしょう。
この三つのペルソナ、父、子、霊はみな神であり、みな永遠の存在であり、
同時に存在します。
そしてこの三つのペルソナは、ただお一人の神であり、相互に内在して互いに分離せず、
本質において一つです。父=子、子=霊、父=霊です。

よく噂されるように、もし三つのペルソナを言わずに「父=子、子=霊、父=霊で、
唯一の神だ」と強調するなら異端と言われても当然ですが、
リーはそういうことは一貫して言っていません。

むしろ、「父≠子、子≠聖霊、父≠聖霊」と断じてしまう方が危険であると
私は思います。参照聖句をお読みになり、祈りを通して主の御前に
出られることを強くおすすめします。
128名無しさん@3周年:皇紀2665/04/01(金) 20:12:23 ID:GpW+5JUg
う〜ん、996さんはすでにリーのメガネを通して聖句を見ていますね。
「父=子、子=霊、霊=父」とするときの「=」はどういう意味でしょうね。

私はただ普通の、一般の、三位一体の理解を言っているだけなんですが、
あえて、それに疑義を唱えるとすれば、普通の、一般の信条とは違うわけですね。
リーの三位一体は。

それになんでそこまでリーを擁護する必要があるのでしょう?
普通の、一般の信条でいいでしょう。



129996:皇紀2665/04/02(土) 00:50:47 ID:zUGLj9pi
>う〜ん、996さんはすでにリーのメガネを通して聖句を見ていますね。
いえ、私なんかまだまだです。

>「父=子、子=霊、霊=父」とするときの「=」はどういう意味でしょうね。
本質においてイコールだという意味だと思います。

>私はただ普通の、一般の、三位一体の理解を言っているだけ
「父≠子、子≠聖霊、父≠聖霊」とすることが一般的な理解であるならば、
私はそのような立場はとりませんし、そのような立場をとる人たちのために
もっと祈らなくてはならないと思います。

>なんでそこまでリーを擁護する必要があるのでしょう?
私は「リーを」ではなく、「リーが言っていることを」擁護しているつもりです。
それは、リーの言葉が徹頭徹尾聖書的であるからです。
130名無しさん@3周年:2005/04/02(土) 08:28:36 ID:ckTIn4mi
>本質においてイコールだという意味だと思います。

と言うと思いました。ならばあえて=にする必要はないのです。普通の三位一体でも
本質はひとつと言っているのですから。父、子、聖霊と言った時には神のペルソナを
言っています。このレベルでは倒置できません。主イエスが「父よ」と祈ったとき、
御子と御父はあくまでも≠なのです。

>それは、リーの言葉が徹頭徹尾聖書的であるからです。
統一教会も、エホバでも、それぞれの教祖を徹頭徹尾聖書的と言っていますね。
聖書そのものとリーの言葉は≠なのです。

あなたのためにお祈りいたします。

131名無しさん@3周年:2005/04/02(土) 08:31:30 ID:ckTIn4mi
訂正:
倒置ではなく、等値です。

それと、=の意味ですが、996さんは「本質において」と言っていますが、
リー自身はペルソナの意味で言っていますよね。
普通の三位一体を「三神論」と批判していますから。

132名無しさん@3周年:2005/04/03(日) 01:09:49 ID:zM1+AJfu
言葉の混乱があるので指摘させていただきます。
三位一体の三位に関連する単語にラテン系の「ペルソナ」を使っているのに、
一体の方はギリシア系のウシアを使っておられますが、
ラテン系かギリシア系のどちらかに統一されてはいかがでしょうか?
あまり突っ込むと面倒な議論に突入するのでよしますけど、
ちゃんと統一したほうが、今後の議論で混乱をさけることができるんじゃないでしょうか?
133名無しさん@3周年:2005/04/03(日) 05:06:45 ID:zM1+AJfu
読み返しててだんだん腹が立ってきた。
見ちゃいられないので、ひとこといわせてもらいます。

>ならばあえて=にする必要はないのです。普通の三位一体でも
>本質はひとつと言っているのですから。(×)
本質は一つですけど、どのように一つかというと、父=子=霊なのです。
「必要はない」って、聖書にそう書いてあるんだからそうでしょう?
それともあなたはリベラルですか?

>父、子、聖霊と言った時には神のペルソナを言っています。このレベルでは等値できません。
ブーッ。父、子、聖霊はそれぞれペルソナを持っていて、この三つのペルソナは分けられていて
融合しません。ですが、父、子、聖霊は本質においては互いに=の関係かつ相互に内在していて、一つなのです。
ペルソナとエッセンチアの区別、ついてないでしょ?

>主イエスが「父よ」と祈ったとき、 御子と御父はあくまでも≠なのです。
ほら、これが動かぬ証拠。的外れな指弾でとばっちりをくう人は大変ですね。

>=の意味ですが、996さんは「本質において」と言っていますが、
>リー自身はペルソナの意味で言っていますよね。
違うでしょ。人が異端かどうかって話なんだから、もっと慎重に議論したらどうですか。
最低限、出典を明らかにするのが常識です。
今日は授業料払わなくていいから、以後きちんとするように。

>普通の三位一体を「三神論」と批判していますから。
これも本当かなぁ? 私もりーの本読むことありますけど、
「三神論に近い」「無意識的に三神論的な概念に基づいて考えている」
くらいの言い方をしてるのをみたことはあるけど、「三神論だ」って断言したりは
してないんじゃないかね。出典が明らかでないから話にならんわ。

長居するといじめに会いそうだから消えます。
134名無しさん@3周年:2005/04/03(日) 09:59:07 ID:nhoLgv80
133様、ちょっと妄想ですよ、妄想(ホリエモンではないけどね)、、、www

438 :名無しさん@3周年:2005/04/03(日) 08:30:16 ID:nhoLgv80
>あなたがた、互いに連絡取り合って作戦立てながら書いてませんか?

大丈夫かよ、妄想だわwwww

440 :名無しさん@3周年:2005/04/03(日) 09:31:52 ID:KQAoMxsK
>436
> あなたがた、互いに連絡取り合って作戦立てながら書いてませんか?

あなたがたこそ、リーの教会の2ちゃん対策部なんでしょ?
こんな時間にまで大変ですね。
お疲れ様でーす。

135996:2005/04/03(日) 16:23:43 ID:f5q/UdRS
何だかどんどん荒れていきますね。やはりわたしのせいでしょうか。

質問があります。
>普通のtrinityの定義は、
>「父≠子、子≠聖霊、父≠聖霊であり、三つのペルソナをもたれ、本質(ウシア)において
>同一の神」

>私はただ普通の、一般の、三位一体の理解を言っているだけなんです

>一般の信条

これは具体的に何のことを指しておられるのでしょうか?
「父≠子、子≠聖霊、父≠聖霊」と言うのが使徒信条からカルケドン信条までの
一体どの信条のどの箇所のことを指しているのか、ちゃんと確認してからの方が
より噛み合った議論になると思うに至ったのです。
ゆうべ読み直してみたところ、
諸信条には、「父=子=霊」を言っている箇所もありませんでしたが、
「父≠子、子≠聖霊、父≠聖霊」も同様に発見できませんでした。

>あなたがたこそ、
「あなた」に書き直して欲しいところです。

>リーの教会の2ちゃん対策部なんでしょ?
主の回復が反対にあったときの対応は、大体いつも団体ぐるみで、
このような個人的な方法はとらなさそうな気がします。
反論はおそらく彼らのホームページを用い、仮に2chでやるとしても、実名を出してくると思います。

読み返してみると、いかにもぷらっとおとずれて、書き残して、去っていった
という風で、個人的なものだと私は思うのですが。
136名無しさん@3周年:2005/04/03(日) 18:33:50 ID:nhoLgv80
三位一体のお勉強はこちらです:
http://jmc.12-3.jp/faq/sanmi.htm#6

137996:2005/04/04(月) 14:37:37 ID:48t3J0VT
>使徒信条からカルケドン信条まで
アタナシウス信条も読みましたが、「神の母」というのは
どうなんだろうなと思って何回も読み直していたため、「カルケドン信条」
と書いてしまいました。失礼しました。
138希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/06(水) 00:15:57 ID:5mx4oJuh
近ぃうち、代々木に用事があるので、福音書房に寄るかも?です。
139996:2005/04/07(木) 01:27:08 ID:kWFaJdba
ふぅ、やっと帰宅できました。

・今週から来週の前半にかけて非常にいそがしくなるので、
私に対しての書き込みがあってもレスできるかどうかわかりません。
ご了承ください。

・日本福音書房の店舗は、代々木駅の改札を出てすぐ目の前にあるビルの、確か五階です。
見えにくいのですが、窓を見上げると看板になっているのでわかります。
先日いってみたらドアがしまっていました。また代々木の方に行く用事があったら
寄ろうと思いますが、事前に電話をかけてからにしたいと思います。

・希美さんも、回復訳や本田訳の気に入っておられるところを書き写されては
いかがですか?

140996:2005/04/09(土) 01:37:41 ID:6V4Hc7F0
リーのいう「父=子=聖霊」に対して「サベリウス主義である」
との批判と、リーがどうこたえてきたか、まとめて読んでみました。

なぜ批判されたか。これは、教会が東西に分裂する以前の公会議でだされた
信条に、そのことが述べられていないからというのが一つ。
もう一つは、サベリウス主義の人たちが「父=子=聖霊」と言っているからです。

一つ目は、明らかにおかしな批判であると言えましょう。信条に書いてあること以外に
認められないというなら、その人たちは、信条を聖書と置き換えてしまっているのです。
しかし、そのような人たちでさえ、カルケドン信条の「神の母」は認めないことが
しばしばあります。混乱しているのです。リーは聖書主義者であり、私もそうです。
しかも、仮に信条を信仰の基準としているとしてもおかしなところがあるのです。
各信条を丁寧に読んでみましたが、「父≠子、子≠聖霊、父≠聖霊」とは言っていません。
首をかしげるばかりです。

二つ目も簡単です。サベリウス主義者が「父=子=聖霊」といっているのは、
実は聖書に即した正しい主張なのです。サベリウス主義者の問題点は、三位一体の三の
方を否定している点です。リーが三位一体の三の方もちゃんと言っていることは、
すでに書きました。

リーの三位一体論は正常であり、聖書的です。リーを批判する人は、リーの
三位一体論を知らないか、彼ら自身の三位一体論に問題があるか、嘘をついて
攻撃しているか、あるいはその複合形か、です。
これが私の達した結論です。
141チャールズ・ホッジ:2005/04/09(土) 12:43:13 ID:lqr029Xk
いわく:

「永遠なる唯一の神の本質において,3人の永遠に区別される位格(Persons)が存在する.
すなわち,御父,御子,そして聖霊である.これらの三者は同一の神であり,すべては完
全な神であり,しかるに,御父は御子でも御霊でもなく,御子は御父でも御霊でもなく,
御霊は御父でも御子でもない。」

Systematic Theology (Grand Rapids, Mich.:Eerdmans ), 1973, Vol.I

142996:2005/04/14(木) 09:34:02 ID:D/ijRnZD
lqr029Xkさん。折角の書き込みなのですが、文意が非常にとりにくいので、
すみませんが原文をコピペしていただけませんか? よろしくおねがいします。

希美さんへ。日本福音書房に行かれたら、『ウオッチマン・ニーの証』
『十二かご』『主を食べる』を手にとっていただけませんか? おすすめします。
それから、『時代の先見者ウオッチマン・ニー』という本は、
写真が多くて楽しめます。ニーはかなり長身だったようですね。

しばらく忙しくなりそうです。私に対しての書き込みがあっても、レスは
ニ、三日から一週間ほど遅れる可能性があります。そのときはどうかご勘弁ください。
143希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/16(土) 22:48:13 ID:BuLNwmm8
>>142
この前、代々木に行きはぐりました。
17時までなので、なかなかって感じです。
何冊か書籍名を挙げてもらえましたけど、日本福音書房の中で、一番のおすすめは何でしょうか?
144996:2005/04/17(日) 03:54:18 ID:5ZbIA90o
「良書十選」とライフスタディから選べばハズレはないと思いますよ。

個人的には、ニーとリーの教会論がおすすめです。
ニーの『キリストの奥義』と『教会生活をさらに語る』、
リーの『教会の認識』がおすすめです。

それから、『詩歌』。好き嫌いが分かれると思いますが、私は愛用しています。
最後に載っている附7番というのは、リーが亡くなる少し前の
祈りに曲をつけたものだそうです。
リーは自分で「附5番が最高だ」と言っていますが、私は附7番だと思います。
ニーのものも、304番、756番などが気に入っています。
145希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/17(日) 06:30:31 ID:lRrC6nd6
>>144
ありがとうございます。
教会に関する本が、いぃのかな。
まず、その辺りを買ってみょうかなと、思ぃます。
回復訳を買おうと思った決めても、996さんが、ベックさんの話を書いたからでした。
146名無しさん@3周年:2005/04/18(月) 08:32:04 ID:WW4exVHE
ホッジさん、663さんはすでに相当に重症ですから、無駄ですよw


147希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/19(火) 20:27:48 ID:ETlPuSHA
今日は、サンパウロと、CLCに行ったので、ニーの「キリスト者の標準」を、買いました。
わたしの世界に、どれだけ迫るか、わからなぃのですけど。
148996:2005/04/24(日) 01:28:22 ID:nuUOEDqL
ベックさんとの関連でW・ニーの本を読むのであれば、『キリスト者の標準』は必読書の
部類だと思います。いい買い物をされましたね。

この本は、リーの用語で言う「有機的救い」について、ニーがローマ書の前半に沿って
語ったものです。
この本ではあまり取り扱われていませんが、「有機的救い」にあずかれるのは、
聖書に啓示されている正常な教会生活においてである、というのがニーとリーの一貫した
主張です。この本で語られている内容の具体的活用形は、ニーとリーの教会論の本で
展開されています。
『キリスト者の標準』のあとは、『栄光の教会』がおすすめです。

私も時間があれば代々木まで足をのばしたいところですが、四月のうちは無理みたいです。
ゴールデンウィーク中は店やってるのかな?

149希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/04/24(日) 15:03:30 ID:IMJnuZyr
>>148
だいぶ前に、わたしが、1冊目は何が良いか?の問いに、996さんと、通りすがりさんの答えが、「キリスト者の標準」でした。
それで今回それを、買いました。
本はたくさんなものに関心があり、キリスト教も様々なもの、また他宗教の本もなので、お金の都合もあり、すぐには買えませんでしたけど、「キリスト者の標準」は、ずっと記憶の中に、ありました。
代々木は、閉店がせめて、18時なら気軽に行けるのですけど、17時閉店では、なかなか行けないですね。
ゴールデンウィークは、どうなのでしょう?
書店というより、出版社の売店のイメージですものね。
次にと言われた、「栄光の教会」は、日本福音書房の書籍ですか?
それとも、他出版社のものですか?
150996:2005/04/30(土) 10:01:43 ID:fpJ1rp8K
『栄光の教会』は日本福音書房からしか出てないと思います。ニーを評価している人でも、彼の教会論をまともにとりあげるのはかなり勇気が必要だからです。自分の教団からも信徒さんたちからも総スカンを食ってしまいかねないのです。
ベックさんがなぜ主の回復のメンバーにならなかったかは存じあげませんが、あのような形の集会を組織したのは、少なからずニーの教会論の影響があるとおもいます。
私はそのあたりのことを、事情を知っておられる方かベックさんご本人におうかがいしたいと思っています。希美さん、何かご存知ありませんか?
151オリバー:2005/05/02(月) 00:04:01 ID:uoR8qd3u
通りすがりのオリバーと申します。
私も以前からW.リーのメッセージと東方キリスト教との類似点に
注目していました。たとえば正しいかどうかは定かではありませんが
次のような対応が成り立つのではないでしょうか?

 (a) 神のオイコノミア(東方キリスト教 ) <===> 神のエコノミー(W.リー)
 (b) 変容(東方キリスト教 ) <===> 造り変え(W.リー)
 (c) 神化(東方キリスト教 ) <===> 神化(W.リー)
  注)ここでいう神化とは命と性質においてであり(2ペテロ1:4)、神格においてではない
 (d) 奥義的共同体(東方キリスト教 ) <===> 神聖な有機体(W.リー)
 (e) 否定神学(東方キリスト教 ) <===> 神聖で奥義的な領域(W.リー) ???

西方キリスト教においてはルターらによって刷新・復興がなされたわけですが、
東方キリスト教のエッセンスを聖書に基づいて鮮やかに解き放ったのがW.リーだった
と個人的には考えています(そして、西方の流れを汲むプロテスタント諸教派から
W.リーが異端視されがちなのもここに原因があるのではないか、と考えています)

152nijiko:2005/05/02(月) 16:25:04 ID:olO5MZYp
はじめまして。
先週初めて教会に足を運んだばかりのものです。まだ自分の聖書も持っていません。
どの訳を買おうかと悩んでいましたが心が決まりました。ここのスレはまだ16までしか読んでいませんが、今から回復訳を見に行こうと思います。
こちらでの巡り合わせ、お導きに感謝します。
153のぞみ ◆55nynIr58w :2005/05/02(月) 20:43:53 ID:Z9MjFt/6
>>150
わたしは、吉祥寺キリスト集会は、数えるぐらいしか、行きませんでした。
それも、吉祥寺でなく、他の地域の家庭集会です。
ベックさんにも、1度お会いしただけで、内情は全くわかりません。
154名無しさん@3周年:2005/05/03(火) 00:02:54 ID:IIPybTBg
>>150
ベックさんはリーとも親交がありましたが、
リーがアメリカに渡ってから変質したことに気がついて
リー教会とは一線を引いて独自の働きに入られたのです。
これはある時にベックさんから直接お聞きしたことです。

155名無しさん@3周年:2005/05/03(火) 00:57:35 ID:MnEnMYE4
アメリカに渡ってからリーはどのように変質したのですか?
もし何か具体例があったら教えて下さい。
156996:2005/05/06(金) 00:26:52 ID:Rnoz2veh
オリバーさんは現役の主の回復の方ですか?

リーと東方正教との類似点はいくらでもあげられると私も思います。そのようなレスもたくさん書きました。
ですが、最近思うのは、ニーやリーが東方正教の本を読んでいた形跡はあるのですが、
それよりもむしろ、教会教父を中心に読んでいたと考えた方がよさそうだということです。
教父たちが言っていることをそのまま語っている点ではリーと正教会とは非常に似ています。
ですが、オイコノミアや教会論、終末論などは、別々だというくらいに考えてようどよさそうです。

ニーとリーが目指していたのは新約の時代の教会生活を回復することです。
正教会は、よくわかりませんがおそらくローマ帝国が東西に分かれる前の時代
を回復し保持すべきものとしているように思います。
ですから、ニーとリーにおいては、基準は聖書のみであり、教父たちの著作は聖書を理解するための
資料なのです。正教では、聖書が聖伝の第一であって、唯一の基準ではありません。
ここに違いがあると思います。

オリバーさんはアファーメーション&クリティークは読まれますか?
リーはあまり教父や東方教会について突っ込んだ発言を残していませんが、
アファーメーション&クリティークにはそのあたりのことが詳しく述べられています。
A&C PRESSから出ています。

>>154
私も詳細を希望します。

157996:2005/05/22(日) 02:22:59 ID:+nRHbDN7
別のスレで、アメリカの主の回復の人たちがよく裁判を起こしている、という指摘がありました。
主の回復の人が説明すべきところですが、彼らは2ちゃんねるにはでてこないと思いますので、
私個人の意見として、ひとこと申し上げます。
私は実は、主の回復の人との接触があります。中国人留学生で、主の回復の
三世です。もう直接会ったりはできませんが、今でもEメールのやりとりをしています。
彼によれば、中国大陸には主の回復が非常に広がっていて、現在も政府による弾圧が
あるのだそうです。主の回復ではないけれど、ニーやリーの本を使っているグループまで
いれると、日本全国のクリスチャンの総人口よりも多いよ、といっていました。
政府はアメリカのキリスト教雑誌やキリスト教のホームページをよく見ていて、
そこで危険なカルト集団だと取り上げられると、そのメンバーを逮捕してしまうのです。
逮捕されるといつ出てこられるかわかりませんし、激しい拷問を受けたりもします。
殺されることもあるそうです。
私は中国という国を批判する気もなければ、擁護する気もありませんが、
私が個人的に調べた限りでは、これはどうやら事実のようです。
ならば、訴訟を起こしてでもカルトと呼ばせないようにするのは、当然のことではないでしょうか?
私が調べた限りでは、実際、ニーもリーもカルトではありません。それは、読んで確かめれば誰でもわかります。
中国政府の担当官が2ちゃんねるまで閲覧してるかどうかは知りませんが、
主の回復に対してであれ、ほかのグループに対してであれ、カルトとか
異端とかいう言葉を軽く使っているレスを見ると、心が痛みます。
本当にカルトなり異端なりであれば、仕方がありません。ですが、カルトでも何でもないのに
カルト呼ばわりされ、逮捕されたり殺されたりする人はどうなるのでしょうか。
中国大陸のクリスチャンたちが自由に教会生活ができるようになることを、
心から願っています。
158オリバー:2005/05/24(火) 01:10:55 ID:+KnSy8XR
>>157
>政府はアメリカのキリスト教雑誌やキリスト教のホームページをよく見ていて、
>そこで危険なカルト集団だと取り上げられると、そのメンバーを逮捕してしまうのです。

今まで、中国政府による迫害は政府公認の三自愛国教会に属さない地下教会メンバー全員
をターゲットにしていると思っていたのですが、996さんは上の情報の確かなソースを
ご存知ですか?

ところで、中国の家の教会の指導者の一人だったブラザー・ユンという人が書いた
「天国の人」という本が最近話題になっていますが、この本を読むと中国政府による
迫害は言語を絶する凄まじいもののようです。ただ、この本を読んだ限りでは、
家の教会の指導者たちはニーやリーとは無関係なようなのですが、どうなんでしょう?
著者のブラザー・ユンも(本の情報によると)今現在、地方教会とはつながりを持って
おらず、ドイツの伝道者ラインハルト・ボンケと協力関係にあるようです。

159996:2005/05/29(日) 01:45:07 ID:Cd2qxLmd
情報のソースは確かなのですが、あまり詳しいことを書くと、教会の人に隠れて
2ちゃんねるをやっているのがバレるので、どうかご勘弁ください。
地下教会の兄弟姉妹に比べると微温的で情けなくなります。

中国政府も何もかも弾圧するわけにはいかないので、ターゲットを絞っているようですよ。
主の回復は人数の増え方が激しいし、弾圧しても国際情勢に影響はないとみて、
目のかたきにされたようです。20年以上前ですが、全国の公共施設にニーとリーの名前が
貼り出され、「この二人の本を持っているのを見つけたら逮捕する」と警告がなされたり
したそうです。
ですが、香港から回復訳を多量に持ちこもうとした人が見つかって死刑判決が出たのを
ブッシュが抗議したあたりから流れが変わりつつあるともきいています。

私の知り合いに、家の教会出身の人がいますが、そのグループの神学はニー・
リーのものとよく似ていました。彼女は、リーの葬儀が中国のテレビで
中継されたのをみたとも言っています。
私はブラザー・ユンという人物については何も知りませんが、
ニーやリーのことを全く知らないということはないと思いますが・・・・・よくわかりません。
160オリバー:2005/05/29(日) 20:06:41 ID:K4bgNyKj
>>159
中国におけるクリスチャンたちの状況については、断片的な情報しか
得られないため、なかなか全体像が見えてきません。

ところで前に紹介した「天国の人」ですが、マルコーシュ・パブリケーション
というところから出版されています。

天国の人―中国河南省・家の教会の「奇跡と感動の物語」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872072308/qid%3D1117364433/249-8628946-8055568

以下はAmazon.co.jpでのカスタマー・レビューです

「文化大革命の最中、ほとんど息絶えたかと思われる中国におけるキリスト教。
でも神様は決してちいさな祈りを聞き逃さないのです。
これはサブタイトルの「奇跡と感動の物語」なんて安っぽいものではなく、
ブラザー・ユンと他の家の教会の宣教師達の命をかけた壮絶な戦いのドキュメントです
彼らに起こる奇跡のあまりの多さに驚かされ、架空の物語のような錯覚を起こして
しまいそうですが、使徒行伝に重なる部分も多く、これが本来のキリスト教の世界
なのかもしれません。
ブラザー・ユンが本書で言っている通り、私たちはあまりにも物質的なものに
恵まれています。それゆえ彼ら中国のクリスチャン達のようにすべてを捨てて極貧で
迫害に耐える生活に望んで入っていけるかというと不可能に近いことです。
ですがそれが神様が私たちに与えた課題なのかもしれません。
ぜひぜひ映画化して、多くの人が中国のクリスチャンの実情を知り、自分の生活を
振り返る機会が与えられることを願います。」

161996:2005/05/30(月) 06:18:09 ID:Z1+KMzXr
中国は最近かなり情報が入るようになってきました。
ですが、依然として全体像がみえにくいのは確かですね。
中国全土のクリスチャンは約1000万、うち、主の回復は50万から100万と私は推測しています。
聖書を持つことすら危険な時代が長らく続きましたが、今は北京や上海の書店に入ると普通に店頭に並んでいます。
ニーとリーの著書はいまだに取り締まりの対象だそうですが、最近では主の回復のメンバーでなくても回復訳や
ライフスタディを持っていたりもします。
どうも、政府はクリスチャン全体にも主の回復にも寛容になってきつつあるようです。
それでもたまに逮捕者がでるのは、田舎の警察署がやることがなくて、
たまに家の集会(主の回復の家庭集会はかなりやかましいらしいんですが)に踏み込んで逮捕するケースがほとんど
だときいています。
かつての中国みたいなことをまだやっているのは北朝鮮です。
北朝鮮のクリスチャンについては何かご存知ありませんか?
162名無しさん@3周年:2005/07/11(月) 20:09:42 ID:xW5Y/Iff
光武帝最高
163希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/07/18(月) 23:45:05 ID:DUBfAVez
十二かご12冊セットの案内が、ありました。
今まで出版済の分だけの、書評をお願いします。
164名無しさん@3周年:2005/07/20(水) 19:04:27 ID:kbvOtC7t
十二かごって、ウォチマン・ニーとウィトネス・リーのショートメッセージ集でしょ?
あれはいいですよ。
真理が開かれるだけじゃなくて、真理にしたがった生活の道も開かれますから。
聖書を読むときに「命」という言葉に注意をはらうようになりました。
クリスチャン生活で何か突破できない壁みたいなのがある人にいいと思います。
165希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/07/20(水) 19:29:38 ID:giNEXLWL
>>164
ありがとうございます。
12冊セットって、買ってみたぃかなっていう気持ちになりました。
あと、あなたのいう真理とは、どんな意味で使っているのでしょうか?
166名無しさん@3周年:2005/07/22(金) 11:17:11 ID:us8D+JHi
質問。
ウィットネス・リーが使う「エコノミー」の意味がわからないので
どなたか説明していただきたい。
福音主義プロテスタントにもある概念で、用語が違うだけなのか。

それともうひとつ。リーを嫌う人たちは理由を教えてほしい。
このスレでも、通りすがり氏は結局納得してリーを批判しなくなった。
リーの三位一体論を批判していた人は消えてしまった。
いったいどこがどうおかしいのか、はっきりしないので、
読みつつも安心できない人が大勢いるのではないかと思う。
167名無しさん@3周年:2005/07/28(木) 20:04:42 ID:hqdi3jYT
十二かごはもう手に入ったの?
読んでみてどう?
当方、購入を検討中ですが、セット全巻で一万円をこえるので
ちょっと慎重になってます。
168希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/07/28(木) 20:08:58 ID:PxT+G0LG
>>167
発売は、まだですよね?
わたしも価格で、やはり悩みます。
169当直中:2005/07/29(金) 03:06:42 ID:ziRu13ld
十二かごの新版はもう出てますよ。
旧版が6巻までだったのに対し、新版12巻では旧版未収録のメッセージが多数おぎなわれてます。
旧版ならキリスト教書店に並んでますから、店頭でみていいと思ったら
新版を買えばいいんじゃないですか。

しかし、あまり書き込みのない板なのにものすごい即レスですね。
希美さんて、初心者聖書スレで回復訳について書き込みされた方ですね?
地方教会の集会に行っておられるんですか?
170希美(のぞみ) ◆55nynIr58w :2005/07/29(金) 03:15:09 ID:JzIoG4D0
>>169
ぁはぁ〜、即レスぅ〜。
今までイグナチオスレに、いたの。
教会は、カトリックです。

回復訳は、吉祥寺のベックさんがリーやニーに関心持ってると聞いたからです。
996さんからね。
12かご、半分はキリスト教書店にあるのですね。
まずそれを見たいなぁ。
171帰宅中:2005/07/29(金) 06:49:18 ID:ziRu13ld
わたしもまだ日本語版の現物を見ていないのですが、
日本語の旧版は中国語版からあれこれメッセージを選んで編集し直してあるので、
旧版全6巻と新版の1〜6巻は対応していないと思います。
過去レスをざっと読んでみたんですけど、東北の方ですか?
(「行きはぐる」って書いてありました)
もしまた東京にお越しになる機会があれば、
日本福音書房の書店が代々木にありますので、
そこなら多分新版が見られるんじゃないですかね。

場所はごぞんじでしょう。
わたしは地方在住でまだ一回しか行ったことがありませんが。

カトリックでベックさんでウォッチマン・ニーとウィットネス・リーですか。
すごいとりあわせ。
マダムガイオンとかブラザーローレンスなんかを読まれるんですね?
172名無しさん@3周年:2005/07/29(金) 17:20:00 ID:ziRu13ld
いいですね、このスレ。
ウィットネス・リーの三位一体論がわかりやすくまとめてあって。
三位一体の三の面と一の面があって、
ウィットネス・リーの説明だと一の面の説明が伝統的な神学より詳細みたいですね。
でも、それを理由にワンネスだ様態論だと糾弾するのは明らかに行きすぎです。
むしろ、糾弾している側の人たちは組織神学の教科書を聖書より上位にしているのでは?
わたしは、ウィットネス・リーの三位一体論は聖書に則していると思います。
思いますっていうか、客観的にみてそうでしょ。
なんでここまで噛みつく人がいるのか、よくわからんですな。
わたしも理由が知りたい。
ぶっちゃけ、何が気に入らんのですか?
173名無しさん@3周年:2005/07/31(日) 05:37:23 ID:1hMgbCGp
ニーとリーに敵対的な感情を抱く人たちというのは、
彼らの教会に関する教えに反応してるんじゃないですか?
だって、地方の立場にたつ教会のみが真の教会であって、
あとは分派だと言ってるんですから。
地方教会以外のクリは、クリだけど分派に捕われているので、
正しい立場へと回復されるべきだと。
これは、東方正教会スレでちょっと前に話題になった「帰正」という概念と似ています。
けど、正教会は地方教会ほどは叩かれません。
この理由は定かではありませんが、どこかに書いてあったように、
牧師は週ごとのメッセージのネタがバレるのをおそれるからだと思いますよ。
教会員が地方教会の考え方に影響されたらみんな出ていっちゃうし。
牧師は大変なんです。
この苦労はやんないとわからんですよ。

神のエコノミーについては、回復訳だけでなく、
リーの本を読んでください。いくらでも説明がありますから。
174名無しさん@3周年:2005/08/03(水) 19:52:54 ID:dwh4kwGI
で、十二かごはどうなった?

175名無しさん@3周年:2005/08/08(月) 12:13:38 ID:Qo43pXSa
これ最高。文句なくすごいわ。
ウィットネス・リーがいなくなっても地方教会ってちゃんとやっていけてんだね。

ttp://www.affcrit.com/archives.html
176名無しさん@3周年:2005/08/08(月) 13:30:49 ID:NmjAWtTn
>>175
何がすごいのかよくわからんのだが。説明よろ。
177名無しさん@3周年:2005/08/08(月) 18:30:09 ID:Qo43pXSa
おお、レスがついてる!

まだアーカイブスのはじめの方をちょっと見てみただけで
あんまりちゃんとしたことはいえないんだけど、
トピックがW・リーのメッセージよりも明確かつ詳細に扱われているんです。

たとえば>>125でW・リーの本から三一論についての引用があって、
確かに分かりやすいはわかりやすいけど、
もう一歩二歩踏み込んだことはいえんのかという気にもなるでしょ、やっぱり。
一般の信徒向けのメッセージという制約はあったんだろうけど、
牧師や神学生には食い足りないわけ。
だから、こういう論文形式のものってありがたいんですよね。

ベニー・ヒンがボロクソに書かれているところは、関係者には悪いけど藁
178名無しさん@3周年:2005/08/23(火) 00:13:45 ID:ffYffJha
>>175
deificationをググったら先頭に出てきた。
英語圏では正教より読まれてるってことか?
179名無しさん@3周年:2005/08/31(水) 13:02:52 ID:J1ikodx2
180名無しさん@3周年
ただで読めるのは外国語だけかと思ってたら、
ちゃんとあったよ。

ttp://www.emanna-japan.com/archives.htm