★東方正教会こそ本当のキリスト教かも★

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512XYZ(正教徒) ◆xbX1kRWdrE
>>503
あんまりなこと仰っていますが、どれだけの人間が信仰を棄てずにボリシェビキ政権に処刑されたか御存知ですか?どんな弾圧を受けていたか御存知ですか?

・ティーホン総主教の後継者とされていた3人の主教品は全て追放処分。うち一人はシベリア流刑。
・1914年に1025あった修道院は、1920年までにうち673が閉鎖された。
・教会預金の全額没収。
・宗教教育は完全に禁止。
・1921年から1923年にかけて、主教28人、妻帯司祭2691人、修道士1962人、修道女3447人、其の他信徒多数が処刑された。
・ソロヴキィ修道院は収容所に転用。
・フルシチョフ政権下の第二の弾圧期で、1958年に約2万5千あった教会が、1965年には8千以下に減らされた。
・1950年代に90あった修道院が、60年代に入って17に減少。

 処刑された主教の中には、初代京都の主教、聖アンドロニクも含まれています。
 勿論、全ての聖職者、正教徒が体制に関係なく信仰を守っていた訳ではありません。「御用宗教」と批判されても
止むを得ない部分が帝政ロシア時代にあったことは事実ですし(トルストイがこれを描いていますね)、ソ連と結託
した恥ずべき聖職者も数は不明ですがかなりいました。>>509さんのように「はず」という表現は用いません。
これらは事実です。
 しかし同時にまた信仰の為に殉教を厭わない信者たちや、弾圧に耐えて生き延びた人々もいました。これら
もまた事実です。本当に「単なる帝政ロシアの御用宗教」でしかなかったならば、過酷な弾圧下でどうして
生き延びることができたでしょう?20世紀に、時の政権から聖職者4000人以上が殺された教会が尚存続して
いることは、神の奇蹟です。神の愛により、ロシア正教会は地上で復興を遂げました。これは、帝政ロシア
期の正教会の中で砂金のように光るサロフの聖セラフィムや、クロンシュタットの聖イオアンといった人々
によって、ロシア正教会にも信仰が保たれていたことを示すものです。
 日本のセルギィ府主教も、特高の拷問を耐えました。
513XYZ(低血圧正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/05/23(月) 21:34:37 ID:jZe3IiFT
>>509
 随分と「〜筈」を使うのがお好きな方ですね^^

>その彼にロシア正教会代表のニコデモ主教が保守的な神学の立場から激しく批判をおこなったそうだ。

 保守派が実はソ連政権寄りだったということを仰りたいのかもしれませんが、思想は関係ありません。
 スターリンの手先となって総主教庁を中心とするロシア正教会を攻撃したのは、改革派の「生ける教会」
だったという事例もあります。
 無論、「だから改革派はソ連政権寄りだった」というつもりはありません。帝政下で硬直化したロシア
正教会の改革を志していた人々は沢山いました。
 その一部はソ連時代は地下教会として活動し、現在「自由正教会」という組織を形成するに至って
います。誠に残念ながらこれはモスクワ総主教庁とは友好的とはいえないのが現状ですが…。尤も、
「自由正教会」といえども「同性愛公認」や「女性司祭」など認める気配もないという意味では、俗に
いう「リベラルなキリスト教」よりはずっと保守的です。また、「反ソ」という動機だけで今に至るまで
所属している保守派も含んでいますので、一概に思想的に「改革志向」とは云えない。
 帝政ないしソ連政権に阿る保守派。帝政ないしソ連政権と対決を辞さない保守派。
 帝政ないしソ連政権に阿る改革派。帝政ないしソ連政権と対決を辞さない改革派。
 どれもロシア正教会に存在したということであって、思想と政権に対する立場の間には、ちょっと
相関性は見当たりません。また、カムフラージュとして思想を利用した人々もいますので問題はさらに
複雑です。
514XYZ(低血圧正教徒) ◆xbX1kRWdrE :2005/05/23(月) 21:44:17 ID:jZe3IiFT
>>509
>今は平穏に見えるが、プーチン(KGB出身)とロシア正教会には深いつながりはあるはずだし、

 「深い繋がり」どころか、しょっちゅう白日の下で会談していますよ^^;以下のモスクワ総主教庁
の英語ニュースサイトでも見て下さい。
<2005年4月21日>
http://www.mospat.ru/text/e_news/id/9144.html

 しかし、会った位で云々されるのなら、アレクシィ聖下は天皇陛下とも
会っていらっしゃるのですが…^^;
 ただ一言蛇足ながら申し上げますが、エリツィン政権時代に比べて、ロシア正教会と現政権は、距離
が微妙に生じています。現モスクワ市長のルシコフ氏の方がモスクワ総主教庁と関係が深く、大聖堂の
復興などに公的資金援助を行ったのも彼の影響が大きい。頻繁にモスクワの奉神礼に訪れるのも彼です。
ペテルブルクを地盤にするプーチンにしてみれば、あまり面白いことではありません。無論エリツィン
の後継者である以上、プーチンもロシア正教会との繋がりは保持したいところであり、ロシア正教会も
それに応じていますが…。共産党のジュガーノフやプリマコフといったライバルが自沈していくなか、
モスクワだけでならば、ルシコフはプーチンにとって脅威となりうる存在です。一時はプリマコフとの
連合も話題に上ったルシコフ。彼も応援する総主教庁には、油断はしていないという面もプーチンには
あるでしょう。ロシア政治界も我が国や他国と同様、複数の陣営があることは覚えておいて下さい。