α〓公会議を無視する福音派は異端増殖集団〓ω

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6Sister Cecilia ◆9EWIUfFMpQ
めでたし、聖寵満ち満てるマリア、主御身とともにまします。(聖ガブリエル。ルカ1:14)
御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも祝せられたもう。天主の御母。(聖エリサベト。ルカ1:28)
聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。(義人に祈りを願うのは聖書的)

聖寵みちみてる(kecaritwmeneチャリトーメネfull of grace)は、マリア様(ルカ1:14)とイエス様(ヨハネ1:14)に対して、2度しか聖書で使われていません。聖霊に満たされたエリザベトはイエズスの人性を母と等しくしました。
「おんみは女のうちにて祝せられご胎内のおん子イエズスも祝せられたもう」
人性においてイエズスは母と同等の恵みと祝福に浴していた証拠。違うのはイエズスは神格を持っておられたことね。マリア様は例外的に罪がなかったの。
いつから無原罪だったかについては、聖ユスチノス、聖イエレネウス、聖テルトリアヌス、聖エフレムなど、神がマリアを無原罪に創造されたと説明する教父が多くいました。
プロがやたら引用する聖アキナスは受胎から誕生までに清められて無原罪にされたと説きました。改革者も異論がありましたがマリアが無原罪だったことでは一致してます。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1029725823/738
啓蒙主義の悪影響を受けて19世紀に発生した、福音派と称する異端が、改革者の精神まで踏みにじり、聖母から「聖」を削除して罪人に変えてしまったの。
無原罪なら神の救いがいらないという異端がいるけど、原罪なく生んで下さった神様がマリアの救い主なの。アブラハム、エノク、エリヤ、モーセなど旧約時代にも神に救われた人はいます。
だからマリア様は「神はわが救い」と歌ってるじゃない。原罪をまぬがれた意味では最初です。
神父様にはこういう風に教わりました。フツーの人は穴に落ちて泥んこのところを神様から引っ張りあげてもらって救われる。マリア様は穴に落ちる直前に神様に襟首つかまれて救われた。
だから泥だらけにならずに済んだの。私は素直に信じたが何か。文句あるわけ?