日本祭政公私共和国憲法制定

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784名無しさん@3周年
ガリレオ・ガリレイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ガリレオ裁判



第1回の裁判


この裁判の担当判事はイエズス会員ロベルト・ベラルミーノ枢機卿(Francesco Romulo Roberto Bellarmino)だった。
ベラルミーノはすべての証拠を吟味した上で、ガリレオに無罪の判決を下し、署名入りの判決文をガリレオに手渡した。
教会の布告は教会の敷地内でのみ有効であるという解釈だった。
ただしこれは文字通りの意味ではない。
神や天地創造と地動説を結び付ける発言をしなければ問題はない、という意味である。


第2回の裁判


ガリレオは、ベラルミーノの判決文の内容から、地動説を紹介しても、その説に全面的に賛同すると書かなければ問題はないと考えて出版許可をとり、ローマ教皇庁も若干の修正を加えることを条件に出版許可を与えた。

ガリレオはベラルミーノ枢機卿の無罪の判決文を提出して反論した。
しかし、異端審問所は、ガリレオを有罪とするという裁判記録を持ち出して再反論した。
この裁判記録には裁判官の署名がなく、これは異端審問所自らが定めた規則に沿わないものであった。
しかし、裁判では有罪の裁判記録を有効とし、ガリレオの所持していた判決文は無効とされた。
第1回の裁判の担当判事ベラルミーノは1621年に死去しており、無効の根拠を覆すことはできなかった。

1616年当時の裁判にも参加し、ガリレオの親友でもあったバルベリーニ枢機卿(Barberini)がローマ教皇ウルバヌス8世となっていたが、教皇の保護はなかった。
一説によれば、『天文対話』に登場するシンプリチオ(「頭の単純な人」という意味)は教会の意見を持っており、シンプリチオは教皇自身だと教皇本人に吹き込んだ者がおり、激怒した教皇が裁判を命じたというものがある。
この説には物証がないが、当時から広く信じられている。
785名無しさん@3周年:2005/09/25(日) 21:24:40 ID:mUr34b79
裁判の検証


第1の大きな疑問は、1616年の判決が2種類あり、内容がまったく逆であること。
第2には、『天文対話』の発刊にはローマ教皇庁から正式の許可があったにもかかわらず、発刊をもって異端の理由とされたことである。

Giorgio di Santillanaによれば、有罪の裁判記録そのものが、異端審問所が偽造したものであった。
もちろんこれを直ちに信じるわけにはいかないが、無罪の判決文が無効という証拠がいまだ見つからないことと、第2の理由もこれにより説明がつくことから、署名のない有罪の判決文は偽造であるという考えが強くなっている。
ただし、この1616年の有罪の判決文が偽造であるという説については、偽造した者が誰なのか未だにわかっていないということもあり、ただちにこれを認めることはできない。


ローマ教皇庁の対応


1965年にローマ教皇パウルス6世がこの裁判に言及したことを発端に、裁判の見直しが始まった。
最終的に、1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪した。
ガリレオの死去から359年後のことである。

2003年9月、ローマ教皇庁教理聖省(以前の異端審問所)のアンジェロ・アマト大司教(Angelo Amato)は、ウルバヌス8世はガリレオを迫害しなかったという主張を行った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%A4