日本祭政公私共和国憲法制定

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289名無しさん@3周年
これらのキーワードがハイライトされています: 絶対的 自然法 相対的 自然法   それは「神」ならぬ「天」は、その儒教的・朱子学的規範性が希薄化されれば、直ちに「自然」そのものになってしまうという点である。
この場合、近代西欧自然法におけるnatureが、単なる「天然自然」を意味するものではなく「本質」という意味を併せもっているのとは対照的に、
「自然」なる「天」は、純粋に「天然自然」を意味し、それは、京極のいう「相即コスモス」の「宇宙の大生命」という「実在」と容易に同一化されかねないものであったということに注目しなければならないだろう。
そこでは、まさに「人欲もまた天理ならずや」(『直毘霊』)という論理がはたらくのであり、「天」=「自然」の与えた「自由」とは、「宇宙の大生命の充溢した、元気一杯の人間」が、「自然の生命と一体となり、
情動、衝動ないし欲求を際限なく、また、禁欲と自己抑制なく、自由奔放に、快楽主義の方向で、充足すること」を「人間の『自然の姿』として肯定」するものへと容易に「変容」する危険性を胎胚していたといわなければならないのである。
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