坐禅と見性第10章☆火に触れて焼けず☆

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44第二十一則  雲門屎厥
僧が聞いた。「仏とは何ですか」 和尚が答えた。「乾いた糞かきへらだ」
無門和尚の解説:この和尚も言ったものだ。
家が貧しくて粗末な食事しか出せず、忙しくて原稿も作らなかったような答だ。糞べらなどを持ってきて門戸を支えている。仏法の興衰を見るようだ。
無門和尚は第十九則、第二十則の二則に亘って心のあり方を説き、再び第十八側の本質とは何か、という同じ問いに戻っています。
そして今度ははなはだ汚いものを示します。
乾屎厥とは禅の世界では一般的な言葉になっているようですが、解説書によりいろいろと解釈されている。
排便のあと尻をふくもので、竹で出来ていて使用後は脇に盛ってある砂に突き刺して清掃し、また使うというもの、木切れで作ったへらであり使い捨てだというもの。
または糞かきへらとするのは全くの誤りで、乾いた糞の棒そのものである、とするものなどがあります。
しかし無門和尚の解説の中では、これを以って禅の門を支える、という記述があり、糞の棒ではどうもしっくりしません。
ここでは糞かきへら、として考えます。