空の思想 - ナーガールジュナの思想
第一章『自性論』(佐倉 哲)より
ナガールジュナの批判は、他宗教にたいする批判ではなく、仏教内批判
です。
というのは、よく知られているように、仏教の基本思想は、無常や無我
の思想ですが、無常とは「ものはすべて変滅する」という考え方であり、
無我(アン・アートマン)とは「人間も無常であり、永遠不変の魂のよ
うなもの(個我、アートマン)など無い」という考え方です。
ナーガールジュナの自性批判の論理は、自性を認めれば、自性は恒常不
滅をその性質として持っているのだから、無常無我の仏教の基本思想に
矛盾するようになる、というものです。
だから、
> もし、有を主張する人々が存在に執着しており、同じ道にいるとしても、
> そこにいささかの不思議もない。(六十頌如理論40)
> ブッダの道によってすべては無常である、と言う人々が、論難をもって
> 存在(もの)に愛着していることは奇異である。(同上41)
と、ナーガールジュナは批判するのです。
ここで、「有を主張する人々」というのは、インド古来のブラーマニズ
ムやその伝統を受け継いだヒンズー教を信じる人々のことです。
彼らが、人間は恒常不滅の魂(個我、アートマン)を内在している、と
信じていたことはよく知られています。
また、ブッダはそういうインドの伝統的宗教の立場に真っ向から批判を
むけて、無常無我の思想を説いて新しい思想が誕生させたこともよく知
られています。
そこで、ナーガールジュナは、ヒンズー教徒たちが恒常不滅の魂に執着
するのは当然だけれど、ブッダの教えを信じると自称する仏教徒自身が、
ものには恒常不滅の自性なるものがあると信じていることは実に「奇異
である」といって仏教内批判をおこなっているのです。
つまり、ナーガールジュナは、自性というものを、ブッダが否定したア
ートマン(個我)と同類のものと見なして、それを否定していることが
わかります。
(以上、抜粋)
仏教って、まるで認知心理学のはしりみたい。
五蘊も縁起も、迷信を退ける、科学的な観察眼だったんだね。