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名無しさん@3周年:
魔女狩り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かつて魔女狩りといえば「12世紀以降キリスト教会の主導によって行われ、数百万人が犠牲になった」というように言われることが多かったが、
このような見方は1970年代以降の魔女狩りの学術的研究の進展によって修正されており、「もともと民衆の間から起こった魔女狩りは15世紀から18世紀までにかけてみられ、全ヨーロッパで最大4万人が犠牲になった」と考えられている。
ヨーロッパにおける魔女狩り
魔女狩りの起源
もともとヨーロッパの各地では民事に関しては、権力者でなく民衆が自発的に行う民衆裁判によって治安を維持する伝統があった。
その中で暴力や窃盗とならんで、「魔術によって出た害」も裁きの対象となっていたが、特別重い刑が科せられるというわけでなく、他の犯罪と同じように被害に応じた刑が科されていた。
また同じ魔術でも良い目的に用いられると考えられたもの、いわゆる「白魔術」は一般的に良いものとみなされていた。
かつて「魔女狩り」といえば「中世ヨーロッパにおいて12世紀のカタリ派の弾圧やテンプル騎士団への迫害以降にローマ教皇庁の主導によって異端審問が活発化し、
それに伴って教会の主導による魔女狩りが盛んに行われるようになり、数百万人が犠牲になった」のように語られることが多かった。
しかし1970年代以降、さまざまな研究によってこのようなステロタイプな見方は覆されることになった。
特に有名なノーマン・コーン(Norman Cohn)とリチャード・キークヘファー(Richard Kieckhefer)の研究によれば、魔女狩りはスイスとクロアチアの民衆の間で始まり、やがて民衆法廷という形で魔女が断罪する仕組みがつくられたという。
異端の追求は行っていても、魔女裁判には長く関与していなかったカトリック教会が異端審問を通して魔女狩りとかかわりを持つようになるのは15世紀に入ってからのことである。
これは1384年と1390年にミラノの異端審問所に、魔術を用いた容疑で訴えられた二人の女性に対して、異端審問所ではこの種の訴えを裁くことはできないという判断が出されていることからもわかる。