日本教職員組合にアウフヘーベンを

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424名無しさん@3周年
 一方、構造主義によって提示された「主体」の問題については、実存主義はほとんど応える事が出来なかったと言うよりほかないでしょう。
ですからこの問題については、構造主義自身が引き受け、より深く分析していく事になります。
というよりむしろ、ポスト構造主義のほうに引き継がれていったと言った方が正しいかもしれません。
「主体」とは一体なんなのか?
我々は本当に主体的に行動していると言えるのか?
という問題については、この後、ポスト構造主義者として位置づけられる多くのフランス現代思想家たちに受け継がれていきます。

 この「主体」に関する一連の問題を、思想を勉強している人たちの間では「主体の形而上学」と言うそうですので、覚えておくと便利かもしれません。
この「主体の形而上学」の問題についてもっとも深く考えた人として、ミシェル・フーコーを挙げることが出来ますが、構造主義ともフーコーとも別の場所で、別の文脈で、この問題を破滅に至るほど深く考え抜いた人たちがいます。
それはフランクフルト学派第一世代と呼ばれる人たち、その中心はアドルノとホルクハイマーです。
でも、ここではフランクフルト学派に敬意を表しつつもちょっと待ってもらって、フーコーに戻る事にしましょう。

 今村仁司氏はフランクフルト学派第一世代とフーコーの仕事に思想的血縁関係を見る第一人者です。
以上に簡単に述べてきた論争についても、今村氏は『現代思想の系譜学』で詳しく論じていらっしゃるのでご興味をお持ちの方は、ご覧下さい。
また、構造主義と実存主義の間の論争については、アンジェル・クレーメル=マリエッティ『ミシェル・フーコー 考古学と系譜学』のP126から哲学史的なスタイルで論じられています。
http://72.14.203.104/search?q=cache:NS2KD8w7GxMJ:homepage3.nifty.com/hermony/newpage22.htm+%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E5%AD%A6%E6%B4%BE%E3%80%80%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9&hl=ja&ct=clnk&cd=30
425名無しさん@3周年:2006/02/02(木) 22:42:22 ID:jKV3Mtxm
東京大学法学部・大学院法学政治学研究科
http://www.j.u-tokyo.ac.jp/



アメリカ知識人の思想

 アメリカの社会科学にはあまり通じていない私だが、その中における亡命者の役割や、ある時期に社会主義・マルクス主義の洗礼を浴びたことのある人の位置といった問題については、かなりの関心をいだいてきた。
 そうしたテーマについて書かれた文献も相当の数にのぼるが、その一つに、コーザーの『亡命知識人とアメリカ』がある(1)。
一九三三年のナチ・ドイツ政権成立から第二次世界大戦終了までの時期に、主にドイツ・オーストリアからアメリカに移住した知識人たち(著者自身もその一人)の群像を描いたものである。
これを読むと、実に綺羅星のごとくに、各界著名人が並んでいることに強く印象づけられる。
クルト・レヴィン、ヴィルヘルム・ライヒ、エーリヒ・フロムといった心理学者・精神分析学者に始まり、
フランクフルト学派、
アルフレッド・シュッツ、カール・ウィトフォーゲルなどの社会学者・社会思想家、
ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、アレクサンダー・ガーシェンクロン、アルベルト・ヒルシュマン、カール・ポラーンニー、ピーター・ドラッカー等々の経済学者、
ハンナ・アーレント、フランツ・ノイマン、レーオ・シュトラウス、カール・ドイッチュ、ハンス・モーゲンソーらの政治学者、
ヘルマン・ブロッホ、トーマス・マン、ウラジーミル・ナボコフに代表される作家たち、
ローマン・ヤーコブソンをはじめとする人文学者たち、
そしてルードルフ・カルナップ、アーロン・ギュルヴィチ、パウル・ティリヒらの哲学者・神学者たち等々である
(多様な民族の人を含むので人名をどう表記すべきかも難しい問題だが、ここではコーザーの邦訳書のそれに従った)。
426名無しさん@3周年:2006/02/02(木) 22:42:54 ID:jKV3Mtxm
 ヨーロッパからの亡命者の中には、種々の潮流のマルクス主義者も多数含まれていた。
最も著名なのは、コロンビア大学に一時的避難所を見いだしたフランクフルト学派(後にロスアンジェルスに移動)である。
同じくニューヨークには、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの中に「亡命者大学」がつくられ、ナチ政権成立で職を失ったドイツ・オーストリア系の学者に研究の場を提供したが、ここにも多くの(元)マルクス主義者が集まった(4)。
亡命メンシェヴィキが本拠をベルリンからニューヨークに移していたことも、ニューヨークの知的生活に一つの刺激を与えた。
メンシェヴィキの主だった指導者の多くがコロンビア大学のすぐそばに密集して住んでいたということを、私はコロンビア大学留学中に聞いたことがある。
 そうした亡命者の知的活動の刺激もあって、アメリカの知識人の間でも、ある時期には社会主義の問題がかなり大きな位置を占めていた。
何となくアメリカの社会科学というと、社会主義ともマルクス主義とも無縁という一般的イメージがあるが、案外そうでもなかったのである。
もちろん、そこではいわゆる正統派マルクス=レーニン主義が中心だったわけではない。
むしろトロツキスト系とか、メンシェヴィキ系といった人たちが大きな比重を占めており、社会主義の理念とスターリンのソ連の現実との対照が深刻な問題として意識されていた。
また、後にマルクス主義から離反していった人も多い。
こういうわけで、マルクス主義との関連はそう単純一筋縄ではないが、それにしても、ともかく一時期は社会主義の実践やマルクス主義の理論的刺激を受け、それが後の知的活動に何らかの影響を及ぼしたという事実が興味を引くのである。
http://72.14.203.104/search?q=cache:KkKPavH9wYYJ:www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/yazawa.htm+%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%88%E5%AD%A6%E6%B4%BE%E3%80%80%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9&hl=ja&ct=clnk&cd=33